第三部の絵里編は今回で終了です。
それでは、どうぞ。
絵里が早足で向かったのは、スデルベッグというカフェだった。アメリカ発祥で、今や世界中でチェーン展開をしている。そこでは、コーヒー一杯で席を長時間占領し、仕事なり勉強なり読書なりをすることに何の文句も言われないのだ。むしろ、そういったコンセプトの店である。絵里は店に入り、Sサイズのカフェオレとパウンドケーキをひとつ注文し、二階の席へ向かった。いつも思うけれど、カフェオレとカフェラテって、一体どう違うのかしら?
絵里は、階段から一番遠い側の、一番端の席につき、早速本を取り出す。バッグは向かいの席に置いた。絵里はケーキを齧り、カフェオレを一口飲んだ。やはり家でいれるものとは何かが違う。口の中で、ドライフルーツの酸味とバターの香りを、ミルク味が柔らかく流し、ほころばせていった。
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レイの部屋の明かりがつく。お世辞にも片付いているとは言えなかった。雑誌と小説が机の上に絶妙なバランスで積まれており、そのいくつものタワーの間にはワインのボトルとグラスがそびえる。まるでいびつな計画の都市のようだ。フローリングには服や下着が脱ぎ散らかしてある。マンションの豪奢な外装と、レイの室内の乱雑さの、対比。ほこりとワインと、フローラルの柔軟剤のにおい。なんだかガラクタの詰められた宝箱のようだ・・・・・・
ミナは大きな白いソファに横たえられた。顔の目の前にレイのぬぎ散らかしたシャツがあり、思わず鼻がひくついた。レイはコップ一杯の水をミナに差出し、自分はグラスにワインを注ぎ、一息に飲み干した。この人は、まだ飲むのか・・・・・・レイはソファの背もたれを倒し、ベッドの様にして、ミナに寄り添うように自分も横になった。そして右の中指でミナの輪郭をなぞり、うなじを撫で、親指で唇に触れた・・・・・・
「前の夫とは以前勤めてた会社で出会ったのよ。彼は私の六つ上で、新人の私に良くしてくれてね。よく考えたら、下心丸見えだったけれど」
レイは国立T大学経済学部をストレートで卒業した後、有名な経営コンサルト会社「SIK」に就職したらしい。T大は日本で最難関の大学のひとつだ。SIKで出会った彼とは一年交際した後、結婚し、わずか一年で離婚したという。その後レイはSIKを退職し、今の出版社に再就職したのだ。
「彼の浮気にはすぐに気が付いたわ。笑っちゃうくらいわかりやすいのよ。でもそのこと自体よりも問題なのは、私がそれについて特に何も感じなかったことでしょうね。怒りも悲しみも嫉妬も、なんにも」
「そりゃあ浮気もしたくなるでしょうね。私、全然彼にかまってあげなかったもの。夜の相手も、全然」
「・・・・・・でも、じゃあどうして、その人と結婚したんですか」
「わからないわ。今となっては。社会に飛び出たばかりで多少不安だったとき、私に一番かまってくれたからかもしれないわ。安心感を愛情にすり替えてしまっていたのかもね・・・・・・それに、あの時は男に興味がないでもなかったのよ・・・・・・」
「初めて付き合った女の子はセイカって名前だったわ。F学院大学の、ひとつ年下の子だった」
ミナはぎょっとした。突然、何を言い出すのか。
「背の小さい、子どもみたいな子だったわ。ちょっとリスみたいで。頭はあまりよくなかったけれど、ころころと笑う、優しくて、可愛い子だった。」
「初めて抱きしめたとき、驚いたわ。女の子って、こんなにも華奢で、柔らかいのかってね。私と全然違ったのよ。ちょっとショックだったわよ」
低く笑いを漏らし、レイは続けた。
「力も弱かったから、簡単に組み伏せることができたのよ。ベッドに押し付けて、強引に唇を奪ったわ。こわばった表情と、厚い鼻息・・・・・・でもだんだん力が緩んできて、受け入れてくれた。その瞬間を待ち受けていたようにも見えたわ」
どうしてレイはこんなことを私に語るのだ・・・・・・?心臓が駆け足になり、鼓動が彼女に聞こえていないか心配で、ミナは胸を右手で押さえつけた。
「だから、初めて夫としたとき、愕然としたわ。ごつごつして、毛深くて、繊細さのかけらもないの・・・・・・セイカとは全く違った生き物だった。表情には出さないようにしてたけれど、彼、気づいてたかもね」
「結婚してから、私は夫との行為を拒み続けた。そして、私は女の子と一切関係を持たないようにしたわ。でも、さすがに限界がきて、結局離婚したわ。このマンションだけもらってね。やっぱり、性的な趣向というのは簡単には変えられないみたい・・・・・・」
ミナは胸を押さえたままの姿勢で静止していた。疲労と眠気が、興奮の熱の渦に巻き込まれていて、頭の中から変な音が聞こえる気がした。
耳の裏に、レイの吐息を感じた。熱い。レイの長い腕がミナの顔をからめとり、レイの唇が、口の端に吸いつく。やがて中央に到達し、ざらざらした舌の侵入を許し、ゆっくりと征服されてゆく。自分のものではない、あたたかい唾液が流れ込んでくる。かすかに、ワインの味。もぞもぞとレイの下半身が動き、軟体動物のようにミナを締め付け、逃がさない。舌の先を吸われ、ミナのだらしない声が短く漏れた。体をよじるが、レイは逃がさないし、ミナも逃げる気はない。服の中に、ミナの手が入ってきた。指の腹をはわせて、乳房を発見し、円を描きつつ、径を狭めていき、先端を撫でた。短くミナの体が波打つ。口は二人の唾液でべたべたしてる。それをレイは舌の先で舐めとっていく。手の動きはさらに複雑さを増し、焦らされたミナの体は小刻みな震えをみせ始めた。
「ミナ、すごくいいでしょう。すぐにわかったわ。あなたがそういう種類の子だって。なぜだかわかっちゃうのよ。」
ミナは、声を出すことができない。脳髄が痺れ、短い呼吸を繰り返すばかりだ。波が、押し寄せてくる。ずっとしてみたいと思っていたこと、そして、することはないだろうとおもっていたことを、今、実際にしているのだ・・・・・・
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「あの、絢瀬会長?こんにちは・・・・・・」
アヤセ?アヤセとは、一体誰のことだっけ・・・・・・?
瞬間、絵里はぎょっとして、ページから顔を上げた。目の前には、見知った顔がふたつあった。青野七瀬と、安田愛。二人とも、生徒会の後輩である。
「ああ、あなたたち。こんなところで会うなんて、なんかびっくりね」
ゆっくりと、動揺をさとられぬように、絵里は話す。
「私だってびっくりですよ~。会長、髪くくってないし、私服だから、一瞬わかりませんでした!」
七瀬が人懐っこい調子で話した。二人は宿題を一緒にやりに来たらしい。一階は満席だったようだ。オトノキって宿題多くないですか、冬休みなんてすぐ終わっちゃうのに、などと文句を垂れている。あとで困らない程度にやっといた方がいいわよ、と生徒会長らしい忠告を与えると、はーいと言いながら、二人は自分の席に向かっていった。
ケーキの残りを食べ、カフェオレを飲んだ。やはり冷めきっていた。またやってしまった。これが夏なら、氷が解けきって極限まで薄まっているのだろうな、と絵里は思った。本にしおりを挟み、バッグに入れて帰ることにした。
家に着くと、亜里沙がもう帰っていた。もう17時をまわっていたのだ。リビングで紅茶を飲みながら、イヤホンで何か音楽を聴いていた。足をぶらぶらさせて、どうやらご機嫌のようだ。
「お姉ちゃんお帰り。どこいってたの?」
「ちょっと図書館で勉強してたのよ。なかなか大変よ」
大嘘である。さすがに、ちょっとカフェに行って、人目を気にしつつ、ちょっぴりHで、それも特殊な小説に熱中してたのよ、とは言えない。
「へえ、冬休みっていっても高校生は大変だあ」
亜里沙がとても良い子でよかった・・・・・・おそらくは、猜疑心というものが一ミリもないのだ。そのまま大きくなってね、と絵里は切に願った。でも、それはそれで心配な気もするわ・・・・・・
亜里沙が紅茶をいれてくれたので、それを飲んだあと、絵里は自分の部屋に引き上げた。コートをハンガーにかけ、ベッドに横たわる。そういえば、今日は図書館の休館日ではないか・・・・・・亜里沙に気付かれたらどうしようかと思ったが、多分彼女は気が付かないだろう。そろそろ母が帰宅するころだ。そしたら、下に降りて夕飯の手伝いをしなくてはいけない。
目の疲れを感じた。こんなに読書に集中したのは、久しぶりだ。まぶたが重たい。抗いがたい眠気を感じ、絵里はそっと目を閉じた。遠ざかっていく意識の中で、絵里は希のことを思った。しかしゆっくりと輪郭がぼやけ、変形していき、やがて彼女は絵里のイメージするミナの姿になった。それは夢の引き金となった。亜里沙が起こしに来るまでの束の間、絵里は夢の中でレイの姿になり、ミナの姿をした希を愛撫していた。時間は引き延ばされ、行為はほとんど永遠に続くかと思われた。やがてミナが体を鋭く震わせ、声を上げる。そこでミナは希に戻り、レイは絵里に戻った。その空間はほとんど暗闇だったが、二人にはそれがわかった。
「お姉ちゃん、ご飯出来たよ。ほら起きて起きて」
亜里沙は絵里の肩を揺らし、絵里はゆっくりと目を開けた。電気がまぶしかった。ふらふらと立ち上がって、部屋の電気を消し、一階へ降りてゆく。
「今日はビーフシチューだって~。冬になると、やっぱりシチューだよね?」
亜里沙は絵里の前を歩きながら鼻歌交じりに話した。ふと、絵里は思い出した。昼間、ライデルで流れてた曲はチャイコフスキーだ。「白鳥の湖」、バレエでよく使われる曲だ。あの時、どうして思い出せなかったのだろう・・・・・・
はい、ありがとうございました。
ミナとレイの話、書きすぎかも・・・・・・
もうあまり出てこないので、ご容赦を。
次回は第三部の希編です。
新しくお気に入りに登録してくださった方々、ありがとうございました。
それではまた。