今回も希と希パパの会話がメインです。
パパはとてもよく喋ります・・・・・・
この話で第三部は終了となります。
それではどうぞ!
到着した店はどうやら有名なフランス料理店らしい。
希は店名が読めなかったが、アピシウスと読むのだと父が教えてくれた。
ビルの地上六階のワンフロアに、その店はあった。
エレベータに乗っているとき、希はそれが異界への通り道であるかのように思えた。
ふざけた電子音が鳴り、エレベータの扉が開くと、そこはあの服飾店と同質の雰囲気に満ちていた。
きらびやかなのにどこか品のある内装、静かな音楽、料理のにおい。
高校生がこんなところで食事をしてよいものなのかと、怖気づいてしまう。
「東條様、お待ちしておりました」
30代くらいの端正な顔立ちをした男性のギャルソンが二人に挨拶した。
仕立ての良いスーツを見事に着こなしている。映画のワンシーンから連れてこられたみたいな容貌だ。
「やあ久しぶり。奥の方の二人席、空いてるかい?」
父はギャルソンに気安く話しかけた。
「もちろんでございます」
「よかった。今日は珍しく娘と一緒でね。大学の二回生で、二十歳になったばかりなんだよ。だから当然、ワインもオーケーだ」
希はぎょっとした。
父はまるで消しゴムの滓でも払うみたいに自然に嘘をついた。
「かしこまりました。それではお席にご案内いたします」
ギャルソンは二人に素敵な笑顔を投げかけた。
ええ、ええ、わかっておりますよ、とでも言うように。
二人は席に着いた。
希はやはり落ち着かなかった。
店内の雰囲気が、自分にこの場所にいるための資格を問うているような気がするのだ。
窓際の、少し周りから離れた席であることがせめてもの救いだった。
そこからは東京の美しい夜景を楽しむことができた。
「なあ、この席に着くまで、周りの男は皆お前の方を見ていたぜ。あのギャルソン君もな。ああ、なんて美しい娘だろう、ってな感じで」
「私、恥ずかしくて死にそうなんだけど」
「そうか?自信を持った方がいいぞ。この店の奴らは希が高校生だなんて思っちゃいないし、そのドレスもよく似合っている。こんなところを部下に見られたら、東條さん、あんなビジンとフリンしてるぜって思われるに違いないな」
「私、ワイン飲んでいいの?」
「もちろんだ。この場において、お前は都内の大学に通う20歳の可憐な乙女、東條希だ」
「ほんとは17歳女子高生だけど」
「実際フランスでは16歳からアルコールオーケーだ。というより、年齢による飲酒制限なんてまったく馬鹿げている。身体や脳の発達に差し障るから~といって日本ではお酒は20歳になってから、なんてのたまってるが、微量のアルコールでどうかしちまうような脳なんて、そんなの、もともと蟹みそ程度の出来だったってだけの話だ」
「お父さんは何歳から飲んでた?」
「俺は18からだ。大学受験が終った一時間後には友人たちと飲みまくっていた。それまで勉強漬けだったから、その日はアルコール漬けになろうってな」
「お父さん成績良かったの?」
「まあまあだ。N大学に余裕でストレート合格するくらいには優秀だった」
「え?それってすごくない?」
国立N大学は日本で五本の指に入る名門なのだ。希は父がN大出身だとは知らなかった。
「大したことじゃない。N大生は毎年二千人ほど誕生するが、お前のようなかわいい子は毎年二百人も生まれない」
「実の娘を普通そんなにべた褒めする?」
「それは本当にお前が皆と比較して器量がいいからだ。俺はいい加減なことは言うが、嘘はつかない」
「なにそれ」
二人は思わず噴き出した。こんな上品なレストランで、こんなふざけた会話をしていることが、おかしくてたまらなかった。
そこに、先程のギャルソンが料理を運んできた。訓練された美しい足の運びだった。
「お待たせいたしました。こちら、前菜になります」
彼はそっとテーブルにその品を置いた。
希は、これは、と思わず口に出してしまった。
「こちらは、黒美豚肉とフォアグラのパテ・ド・カンパーニュでございます」
・・・・・・それは本当に料理名なのだろうか。
ぱて、ど、かんぱーにゅとは何なのだ。
ギャルソンがかみ砕いた説明をしてくれたが、希にはよくわからなかった。
「いいから食べてみろ。俺だってどんな料理かは詳しく知らん。というか、フレンチに詳しい高校生なんぞ極めて嫌味な存在だ。知らなくていい」
父は言った。それもそうかと思い、希は料理を口に運んだ。食べたことのない、上品で複雑な味がした。
「これおいしい!」
希は思わず感想を述べてしまった。本当においしかったのだ。
「おいおい、ここはファミレスじゃないんだぜ。とても美味ですわね、お父様、くらいのことは言ってくれよ」
父はにやにやと嬉しそうな笑みを浮かべている。
「そんなの気持ち悪いよ」
「そうか。まあおいしいってなら、ここに招待した甲斐があったってもんだ。マクドネルドのほうがいいなんて言われてたら俺はひっくり返って鬱病になるところだ」
「マックに五百回来るよりもここに一回来たほうがいいよ」
希がそういうと、父は嬉しそうに笑い、自分も料理を口に運び、うまいな、と言った。
次々と料理が運ばれてきた。
活オマール海老のロティ、フィンガーライムと。
薪でグリルした黒毛和牛イチボ肉 ハーブソルトと共に。
カラスミとポワロージュンヌのリングイネ 白ワインソース オレガノ風味・・・・・・
最大限に気取った料理名ばかりで困惑したが、悔しくなるほどにどれも美味しかった。
父は食べては喋りを繰り返していた。顎が疲れないのだろうか、と希は思った。
「ねえお父さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
希が切りだした。
「なんだよ改まって。どうして俺がアズサと結婚したのとか、どうして俺が今年で47になるにも関わらずこんなにも若くてかっこいいのとか、そういうことか?」
確かにその辺のことも聞きたいのは山々だった。アズサというのは、希の母の名だ。
「お父さんってなんの仕事してるの?」
父は噴き出した。すごくおかしかったようだ。
「そっか、知らなかったのか。これは傑作だな。ここ数年のトップに躍り出る面白さだ・・・・・・俺はな、とあるでかい建設会社で設計をしてるんだよ。つまりゼネコンに勤めてるのさ」
「建設?」
「そうだ。東京に駅を建て、大阪にビルをぶったてて、名古屋にドームを作り、札幌に電波塔を出現させる。これが俺の仕事なんだよ。だから俺は仕事での移動が定期的にあるのさ」
「へえ~、知らなかった」
ははは、と父はまだ笑っている。
「N大の大学院を出たのが24だったから、もう20年以上勤めてることになるな。時間ってのは実にあっという間に過ぎてしまう」
「じゃあお母さんとはどこで知り合ったの?お母さんて千葉の人でしょ?」
「ああそうだ。まだ新人だったころに千葉の現場で研修があってな。その現場の近くの喫茶店でアズサはバイトしてたんだよ。たしかその時アイツは大学三年だったかな」
「ええ、お父さん、大学生に手出したの?」
希は身を乗り出して父を問い詰めた。
「ははは、おいおい、表現に気をつけろよ。そのときもうアズサは21だったし、別に何も問題ない。俺が人目惚れして、執拗にアプローチしたのさ。アズサのシフトを記憶して、何度も店に足を運んだもんだ」
「それストーカー?」
「いや、断じて違うね。しかし俺にはストーカーになり果てる人間の気持ちもわからないではない。アズサがいらっしゃいませと言って注文をとりにきたとき、俺の中に何か予感のようなものが生まれたんだ。そしてアズサがコーヒーを運んできたとき、それは稲妻に撃ち抜かれて、確信に昇華したんだ。ああ、俺はこの娘と結婚するだろうなってね」
「・・・・・・そういうもんなの?」
希は父の勢いに圧倒され、言葉に詰まってしまった。
「ああ、そういうものだったんだ。俺はそれまで神を信じてるやつなんて心の底から軽蔑していたが、その時、神って本当にいるかもなって思ったよ。あるいは運命って本当にあるんだなって思った。」
そこに、デザートのナッツとダークチェリ―のタルトと、食後のワインが運ばれてきた。
「私、ほんとに飲んでいいの?」
「ああ、もちろん。大丈夫だ、俺もアズサも酒には強いからお前も強いはずだ。・・・・・・というか、一度くらい飲んだことがあるんじゃないか、ワインくらい?」
「私そんな不良じゃないし」
「そうか。そういうところはアズサに似てるな」
希と父は小さく乾杯した。グラスがぶつかり、コップの中で氷が解けて転がるような音がした。
ワインの味なんて希にはわからないが、想像よりも飲みやすい。
液体が喉を通過したとたん、内側から不思議な熱がぼうっとわいてくるような感覚がした。
「うまいか?」
父が希に尋ねた。
「よくわかんない」
希は正直に応えた。父は薄く笑みを浮かべてこう言った。
「酒の味が本当にわかる奴なんてそうそういやしない。酒っていうのはな、希、原材料とか産地とか寝かせた年数なんかよりも、それを誰と飲むかってことの方が大切なんだ。美しい景色と同じだ」
「それは、なんかわかる気がするよ」
「そうか。それは素晴らしいことだ。俺は今日お前と酒が飲めてこの上なくうれしいよ」
「今度は三人で飲みたい。お母さんも一緒に」
「もちろん」
二人はもう一度グラスをぶつけ合った。
ライトをグラスが反射して、まるで遠い星のようにまたたいた。
二人は店を出てタクシーに乗り、希の家の方に向かった。
やはり父は車内では沈黙を守っていた。
希のマンションまであと六百メートルほどのところで、父がここで降ろしてくれと言った。
「少し歩きたいんだが、いいか、希」
父が言った。
希は首を縦に振って、二人は降車した。
父は自分のバッグと希の着てきた服を持っていたので、少し歩きづらそうだった。
二人はゆっくりマンションへ向かった。
「なあ希。お前って今彼氏いるのか?」
その唐突さよりも、質問の内容に希は驚いた。
「いないけど・・・・・・」
「そうか。まあ女子高だからな。もっとも、お前が共学に通っていたりしたら、お前にちょっかいを出す愚かで馬鹿なガキを何人コンクリに沈めなきゃいけないか、俺は気が気でない」
「あははは」
希は笑って応えた。
アルコールのせいなのか、なんだかいつもより重力が弱まっているような感覚を覚えた。
「でも、大事な人はいるよ。その人は男じゃないけどね」
これは本当の話だ。
父は優しく微笑んで、こう言った。
「そうか。男とか女とか、そんなのは実は些末な問題なんだよ。お前にとって本当に大切な人だったらな。そういう奴は一生大切にしろよ。一緒にふざけあって、大笑いして、そして真剣に考えるんだ。そいつがもし悲しんでいたら、酒の一本でも持っていって気長に話を聞いてやれよ。酒っていうのは、そういうときのためにある」
「うん。そうするよ」
やがて二人は希のマンションの前へ到着した。すると父がバッグから小さな紙袋を取り出して、希に渡した。
「これはクリスマスプレゼントだ。受け取れ」
希は少し当惑した。
「えっ、でもドレスとかも買ってもらったし」
「あれはドレスコードを突破するための一種の武装に過ぎない。それとは別だ」
「・・・・・・ありがとう。でも、ドレスもあの店のフルコースも、高かったんじゃない?」
「高校生が金の心配なんてするな。まあ、普通の家庭ならいざ知らず、お前のパパはけっこう高給取りなんだぜ」
父はおどけてみせた。
「じゃあまたな、希。次は多分来年だな」
「出発は明日の朝なんでしょ?だったらうちに泊まればいいのに」
父は噴き出してこう言った。
「いくら自分の娘でも、一人暮らしの女の部屋に入って、そのうえ泊まるなんてちょっと気が引けるんだよ。それにもうホテルは取ってある」
「何それ、めんどくさいね」
希もおかしくて笑い出した。
「その通りだ。男っていうのは、この宇宙で女の次に面倒な生き物のことを指すんだ」
父はこちらに背を向けて歩み出し、右手を上げてこう言った。
「またな希。メリー・クリスマス」
グレーのスーツがゆっくりと暗闇に溶けていき、やがて同化した。
希は部屋に戻った。
沈黙と冷気が出迎えてくれた。
ついさっきまで父が横にいただけに、寂しさを感じてしまう。
くだらない事でもいいから、父に話をしてほしくなった。
彼にもらったプレゼントを開けてみると、シルバ―の十字架のネックレスが入っていた。
小さな便箋が入っていて、こう書いてあった。
「メリー・クリスマス、希。これは俺とアズサで選んだんだ。ネックレスってのは、学校に着けていってもばれにくい数少ないアクセサリーだからな。気が利いてるだろ? 東條ヒカリ、アズサより。愛をこめて。」
お読みいただき、ありがとうございました。
希のパパ、かっこよかったと思いますよ。個人的には。
次回からは最終章になります!
応援していただけたら幸いです。それでは、またお会いしましょう。