東條希は困惑していた。
いつも通りの朝、ごく普通に登校すると、隣の席に座る噂の編入生、神峰翔太が机に突っ伏しているからだ。
その負のオーラっぷりに、周りの取り巻きたちもチラチラとこちらを伺うだけで、誰も近付こうとしない。
正直自分も、あまり近づきたくはないが、周りの視線が何とかしろよとチクチクと促す。溜め息を吐きつつも、東條は神峰に声を掛けた。
「おはようさん。一体どうしたんや、神峰クン」
「…ああ、東條さんか。おはよう」
東條の言葉に反応し、神峰は気怠そうに顔を上げる。その顔にはいつもの覇気は無く、天籟のスタープレイヤーに匹敵する程の深い隈が出来ていた。
「いや、ちょっと悩みごとがあってさ、全然眠れなかったんだ」
先程から欠伸が止まらない神峰は、ぐーっと怠い体を伸ばしながらそう答える。
「ああ、もしかして…」
東條はピンと閃いた。神峰の悩みに心当たりがあったのだ。二人は息を合わせて答える。
「曲の解釈が難しかったんだ」
「高坂さんたちに、スクールアイドルに誘われたコト?」
「「え?」」
二人は顔を見合わせ、間抜けな声がぴったりハモった。
「えーと…、高坂さんたちの件じゃあらへんの?」
若干顔を引きつらせなが、東條は神峰に尋ねる。
「いや、その件はもうすんでんだ。ってか、なんでアンタが知ってんだ?」
「ふふ~ん♪ウチにかかれば何でもお見通しやで♪」
指を顎に当て、得意満面の笑みを浮かべる東條。正直、胡散臭さ抜群だが、ここはひとまず置いておこう。
「何で高坂さんたちの“誘い断ったん”?」
不思議そうにする東條の質問に対し、神峰はさもありなんといった様子で首を振った。
「オレにあいつらの手伝いをする資格は無ェ」
高坂達は廃校を何とかする為に“スクールアイドル”をやろうとしている。その情熱や覚悟に嘘偽りは無い。断じて無いのだ。
だからこそ、神峰翔太は彼女達に深いれするつもりになれなかった。
神峰が音乃木坂に編入した理由は、所謂家庭の事情であった。
神峰の実父は、親友だった男に金を騙し盗られてしまった過去を持つ。それでも数年は保ったが、遂に限界が訪れる。家業を畳まざるをえなくなり、実家のある東京に引っ越すコトを余儀なくされた。
そして、自宅からも近く、統廃合の対策として実施された授業料の減額を理由に、音乃木坂に編入したのであった。
だから神峰は、廃校を何とかしようとしている彼女達を、手伝おうとする気になれなかった。その資格も無いと思った。
言ってみれば、神峰は“廃校の危機”を利用したのだ。
他の人は気にしないと言うかもしれないが、神峰の“心”がそれを許さなかったのだ。
そんな神峰の様子を見て、どこか釈然としない東條。
「はあ…、“心を掴む者”や“虹を描く指揮者”とまで呼ばれた人が、随分と及び腰なんやなあ」
東條の言葉に、目を見開く神峰。まさか、数年前から“吹奏楽部が無い”音乃木坂学院で、自分のコトを知っている者がいるとは思ってもみなかった。
「まあ、神峰クンがどうしようと、運命の“女神様達”から逃れられへんと思うけどな」
そうクスクスと愉快そうに笑い、一枚のタロットカードを神峰の前に出す。
「これは?」
「“運命の車輪”。今朝占ってみたんよ♪意味は自分で調べてみて♪」
東條からカードを受け取り、じーっと眺める。
カードの意味は解らないが、何故かそれから目が離せなかった。
『ってか、そもそも東條さんってよく解らねェんだよなあ』
初めて東條の“心”を見た時、神峰は安心すらした。彼女の“心”は一面見渡す限りの“海”だ。全てを包みこみ、包容する母なる海。そう神峰には見えた。
だが、一日過ごしてみると、ふと違和感を覚える。
彼女の“心”の表情が見えないのだ。
以前、声が出なくなり、心が深い悲しみの海に沈んでしまった少女に出会ったコトがあった。その時とよく似ているのである。
しかし、同じ海でも、東條の海は暖かみのある海で、普段も特別不審な点も見当たらないのだ。
『人の“心”が見えるのに悩んでて、逆に見えなくなると不安になるなんてな』
神峰は自分の中の矛盾に苦笑し、深く考える。彼女は、この穏やかな海の底に何を隠してるのか、と。
と、そこで、東條は神峰の視線に気づき、照れくさそうに胸を隠す。
「神峰クン…。興味を持つ年頃やから仕方ないと思うんやけど、女の子の胸をジロジロと見るんはアカンと思うよ?」
「いい゙っ!?わ、悪ィ!!そんなつもりは全くなかったんだ!!」
神峰は土下座する勢いで頭を下げる。“ほぼ”女子高であるここで、女の子の胸を凝視する変態野郎のレッテルを貼られたら、確実に存在を抹殺されるだろう。それは御免被りたい。
「冗談や♪」
「え?」
困惑する神峰をよそに、東條はより一層愉快そうに笑う。
「神峰クンがそんなコトする人じゃないって判っとるよ♪」
そんな彼女の屈託のない笑顔を見て、神峰は強く思う。
『やっぱこの人ニガテだ!!』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
実は、神峰が音乃木坂学院を選択した理由はもう一つある。
神峰は常々自分が勉強不足だと痛感していた。
曲の成り立ちや作者の思想、ピアノの伴奏等々。指揮者として学ぶコトが山程ある。
実践で学ぶ事は確かに重要で、現に神峰自身もそうやって力を着けてきた。だが、座学で学ぶのに限界があるのと同様、実践でも限界を感じたのである。
そもそも、神峰が音楽を本格的に始めたのは約一年半前。他の人と比べでも、素人に毛が生えた程度である。基礎知識も少ない。
そして、今回の転校である。一度実践から離れるいい機会だと捉えた。
そして、音乃木坂学院には吹奏楽部がなく、吹奏楽部にも勧誘されることもない。おまけに音楽室の設備も中々整っていたのは嬉しい誤算だった。
加えて、都内や関東の音大に進学した先輩も多いので、指揮の練習にも困らない。
実践から離れ、音楽のコトを一から学び直すには、まさにうってつけの環境なのである。
ただ、音乃木坂学院に編入すると告げた時の皆反応は凄まじいモノだったが。
『“アイツ”はすぐ解ってくれたけど、まさか伊調の奴や聖月さんが怒鳴り込んで来るとは思わなかった…。邑楽先輩は泣き出すし、御器谷先輩のキレたトコ初めて見たし、みんなもニヤニヤ変な一体感出すし…』
神峰はピアノの楽譜を片手に、あの時のコトを思い出しながら音楽室へと向かっていた。
昼休みを利用し、ピアノの練習をするためである。ちなみに、手に持っている楽譜は引っ越し当日に、邑楽から貰った手書きのお古だ。
「あれ…」
神峰が、音楽室に向かう最中、どうやら先客がいるらしく、美しいピアノの音色が聴こえてきた。
『邑楽先輩並みに上手いな。スッと心の中に入って、いつまでも心に残る、そんな感じだ…』
神峰はその旋律に聞きほれながら、音楽室に向かうも、ふと演奏が止んだ。
神峰は急に演奏が止まったことに不審を抱きつつも、音楽室の戸に手を掛け、扉を開ける。
そこで、目に入ったのは。
「…何やってんだ、アンタら?」
何故か腕立て伏せの体制をしている赤味かかった髪の少女と、その傍らにしゃがんでいる高坂であった。
「あ、神峰さん!」
パタパタと神峰の側に駆け寄る高坂。やはり、いつもの満面の笑みであった。
「よお、高坂さん」
後ろで膠着状態に陥っている女の子はいいのか?と疑問を抱くが、彼女も気にしていない様子だし、ひとまず置いておこう。主に自分の精神的安定の為に。
そんな神峰の様子もどこ吹く風か、全く気にしてない様子で神峰に尋ねる。
「神峰さんはどうしてここに?」
「ピアノの練習をちょっとな」
「神峰さんもピアノ弾けるの!?」
「まだあんましだけどな」
「スゴい!だから昨日あんなにアドバイスしてくれたんだ!」
神峰は高坂の勢いに若干押されながらも、質問に答えていく。
「神峰さん、やっぱり私たちと一緒に“スクールアイドル”やりませんか?私たちにはアナタが必要なんです」
神峰は高坂の上目遣いに、若干の罪悪感を感じながらも、首を横に振った。
「…オレなんかがいなくても、高坂さん達だけでもやっていける」
「それでも─」
「ねえ」
いつの間にか膠着状態から解けた、赤髪の少女が、神峰の側に立っていた。
その女は強い目をし、少しキツい性格をしていそうだなと、神峰はそう印象にとった。
「あっ!西木野さん、ゴメンねちょっと…」
高坂は今まで放置していた少女、西木野真姫に急いで謝罪するが、彼女は一瞥もしない。そして、何故か神峰から一切目線を離そうとしなかった。
「アナタ、もしかして神峰翔太?」
「お、おう。そ、そうだけど…?」
無言のプレッシャーに充てられ、しどろもどろに神峰は答える。と、その言葉と同時に、西木野は神峰の手を、目にもの止まらなぬ速さで捕らえた。
「え!?ちょっ、何だ!?」
咄嗟の出来事で、何が何だか解らず混乱する神峰をよそに、西木野は目を爛々と輝かして、こう続けた。
「私、神峰先輩の大ファン何です!!!」
「「え?」」
神峰と高坂は、昨日と全く同じタイミングで、情けない声でハモった。
次の大型連休は11年後らしい