オーバーロードと豚の蛇   作:はくまい

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豚の蛇は不機嫌

隊長が、ニグン・グリッド・ルーインが、切り札である威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚した直後。

その本人が掻き消えるようにいなくなったことに気がづいたのは、彼のすぐ横に震えながら控えていた部下だった。

そして一拍間を置いて草原中に響き渡るような絶叫があがる。

 

皆が驚き、思わず異教徒どもから視線を外して音源のほうを見れば、元いた場所から五、六メートルほど離れた位置で、ニグンが大声をあげ芋虫のようにのたうっていた。

そのすぐ隣には異教徒の一人が立っていて、悲鳴をあげるニグンを見下ろしている。

 

「お、お前らッ…早く! 早く私を助けろ!」

 

先程まで健在だったニグンが地面に這いつくばって草を噛みながら捲し立てた。

 

彼にいったいなにがあったのか。やつはいったいなにをしたのか。

一つ言えるのは、やつがこの一瞬であの距離を駆け抜け、ニグンを連れ去り、なんらかの危害を加えたということだけだ。目で捉えることができない動きという人間の常識をはるかに超えたものに戦慄して、そして同じ道をたどることを恐れて、そこから隊長を助けるべく動けるものなど誰一人としていなかった。

 

「もう一本いってみようか」

 

異教徒が――化け物が、いつの間にか携えていた刀を大きく振り上げる。

そしてその切っ先がためらいなくニグンの左腕へと落とされた。

 

再び絶叫が響き渡る。

そこで陽光聖典の者たちは、先程の悲鳴と、化け物の言葉で、ニグンの右腕がすでに失われていると理解した。そしてこれからその命すら奪われることも。

 

なんと無慈悲で、邪悪で、陰惨な化け物なのだろうか。

この生き物こそを「邪神」と呼ばないのならば、いったいなんと表現すればいい。

自分を召喚した者に指示を与えられるのを待っている威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の輝きが、草の地面へ広がっていく血溜まりを克明に映している。そしてその血溜まりへ顕現した邪神からは、主天使の神聖さを容易く飲み込むほど赤黒く色づいた邪悪な覇気が立ち上っていた。

それが化け物――シュヴァインの装備した伝説級(レジェンド)武器「妖刀瓶割」のエフェクトによるものであることは、知る由もない。

 

「もう本っ当に最悪だわ。お前、空気読めよ。空気を読んで行動するのは社会人として基本中の基本だぞ。…まあ第七位階だったからまだいいけどさあ、問題はこれでさっきモモンガさんが言ってた通り魔封じの水晶に至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)なんかが入ってた場合よ。そんなレアもの奪えませんでしたとかになったら豚君もう立ち直れないんですけど」

 

ぶつぶつと仮面の下で呟かれる言葉の意味はほとんどわからなかった。

けれども次の攻撃はのどを、頭を、もしくは他の致命傷になるところを狙ってくるかもしれないという状況で、のんびりしていられる者がどこにいるだろうか。

部下が使いものにならないとわかると、ニグンは控えていた威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に顔だけを向け、怒鳴るように命令を下す。

 

「<善なる極撃(ホーリー・スマイト)>を放てえぇえええ!」

「は?」

 

召喚主の指示を受け。主天使の攻撃が化け物へと投下される。

ただ起立していた敵の頭に、その聖なる一撃は寸分違わず命中した。

これで、自分は助かった。あとはやつの後ろに控えていた魔法詠唱者(マジックキャスター)と騎士を葬るだけだ。国に戻れば切り取られた両腕も問題なく治癒できるだろう。

そう確信した直後のできごとだった。

 

「いって…やっぱり初心者用(ノービス)の装備じゃだめだな」

 

音を立てて、化け物が身につけていた異質な仮面が地面に転がる。

しかしその二本足は相変わらず直立していた。

ニグンが呆然とその光景を見つめていると、重苦しい仮面が外れたことで明瞭になった声が頭のうえから降ってくる。どこからか、部下の小さな悲鳴が聞こえた。

 

「だから耐久装備とやらを身につけてきてから言え、と言ったんだ」

「正確には言ってください、だろう」

「結局アイテムが手に入らなかったことは謝罪しよう。しかしやつあたりをしてくれるな」

「主天使ごときで本気になった自分が恥ずかしいだけですう。第十位階の魔法を期待していたおれの気持ち考えてください」

「シュヴァインさん、口調、口調崩れてます」

「ん゛んん」

 

後ろを振り返って魔法詠唱者(マジックキャスター)に文句を言うその頭皮には、髪の毛なぞ一本も生えていなかった。

毛髪の代わりとでも言うように、そこでうごめいているのは無数の蛇だ。

こいつは、本物の化け物だったのだ。

 

なにを相手にしていたのかという事実を知り、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の力をもっても勝つことは不可能だという途方もない現実を知り、急激に腹の底が冷える。けれどもニグンが目の前の化け物について考えることができたのはそこまでだった。

 

「ぎゃあああっ!」

 

三度目の絶叫が口から溢れる。空に一本の足が飛んだ。

 

「私たちの敬愛すべきお方にッ、至高の御方に! 私たちを見捨てずに残ってくださった慈悲深きお方に痛みを与えるなんてええぇえっ! ごみである身の程を知れ! このままッ、苦痛を与え続けてやる! けして、けして楽に死ねると思うなよおぉッ! 貴様には許されざる罪が二つもあるんだからなああぁあ! なぜ、シュヴァイン様が欲されたときに魔封じの水晶を献上しなかったああっ! それだけで許されない! 万死に値するのに! あまつさえシュヴァイン様に痛みを、いいいいたみを、いたみを与えるなんてええぇ!」

 

ざく、ざく、ざくり、ざく。

後ろに控えていたはずの騎士が前に出て、悲鳴とも言えるような声を発しながらニグンの足を切り飛ばした。そして何度も、何度も同じところをバルディッシュで切りつける。寸分違わず傷口を抉られるたびに助けを求めるニグンの悲鳴が草原へ木霊した。騎士――アルベドの凶行に彼女の主人たちの「うわぁ」「ひぇ」という言葉も空気に溶ける。

この状態でもう一度威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に命令を下すことのできる気力は、もうニグンには残っていなかった。

 

スレイン法国の魔法詠唱者(マジックキャスター)たちは、ただその怒りが自分へ向けられないようにと一身に祈る。

空が「ぱきん」と割れたことに気づく者は二人を除いて存在しなかった。

 

「なんですか、今の」

「探知魔法に対する防御が発動したんですよ」

「やだっ…わたし見られてる…?」

「その不快なセクシーポーズをナザリックでやるのだけはやめてくださいね」

 

やる気のない返事をしてから、化け物、シュヴァインはアルベドに向き直った。

 

「そこまでだ」

 

あと数センチでもう一度その刀身が肉に届こうとしたとき、バルディッシュが動きを止める。

さんざんに嬲られたニグンは口の周りをよだれで汚し、過剰に与えられた痛みで痙攣を起こしていた。草原のうえに散った血液や肉片やらで見るも無残な光景だったが、それでも甲冑ごしに見つめてくる視線は「まだ足りない」「なぜ止めるのか」と訴えている。

すぐにでも作業を再開させたいのか、バルディッシュの切っ先がぶるぶると震えていた。

 

「聞いていただろう。こいつは、おれがアインズからもらった所有物だ。まだおれの鬱憤が晴れていない」

 

けれどもシュヴァインがそう伝えればアルベドははっと吐息をこぼして佇まいを直し、深く頭を下げた。数十秒前の姿からは想像もできないほど気品溢れる一礼だ。

 

「そのようなお考えに気づくことができず、大変申し訳ありません。ましてや取り乱してシュヴァイン様の持ち物を傷つけるなど、自害してお詫びすることしか…」

「気にするな。どうせあれは鬱憤のはけ口として使い捨ての肉人形にする程度のものだ」

「ありがとうございます。シュヴァイン様の広いお心に感謝致します」

「ああ、お前の全てを許すとも。…おれはこのあとあれを引きずってナザリックに戻るが、アインズはどうする」

 

シュヴァインが「あれ」とニグンを顎でしゃくってからモモンガ…アインズの今後を問えば、一度村のほうへ戻ると返答した。

そして手柄は「アインズ・ウール・ゴウン」のもので構わないなという言葉にうなずいて同意を示す。邪魔者を討伐したところで報酬なんぞは出ないだろう。ならばわざわざ面白みのない村に出向いてもまるで意味がない。

 

それに村にはあの戦士長がいるはずだ。

戦士長との別れ際の会話を思い出せば顔を合わせたくないとも言う。

最初は稀少価値のある持ち物だけが目当てだったとは言え、結論だけ述べればシュヴァインの行為は彼の言う「人間を報酬に求める」という結果になったのだ。

ああいう人間はこういったことを最も嫌うタイプだろう、しかも正当性を真正面からぶつけてくる類いの。すでに五体満足ではないあれを見ていったいなにを言われるか。

 

詰まるところ、めんどうくさかった。

 

「シュヴァイン様が自ら運ばずとも、シモベに運搬させればよいのでは…いえ、出過ぎたことを申しました」

「ああ、構わない。ただ帰りがてらに遊びすぎていろいろ(・・・・)と汚す可能性があるからな。それの片付けだけ頼みたいとシモベたちには伝言してくれるか」

「畏まりました」

「あとは…あれはどうする?」

 

今度は威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を顎でしゃくる。

しかしそれを見るシュヴァインの表情は、顔に感情が現れにくい彼にしては珍しく、少しばかり歪んでいた。

魔封じの水晶を奪い損ねたことをまだ諦め切れていないのだろう。

いくら威力の低い凡庸な魔法であったとしても、敵があれほど絶賛していたのだ。シュヴァインにとってはそれが「稀少価値」を証明するものになるのだから、ぜひとも奪取しておきたい一品だった。

 

「時間が経てば消えるだろうが、その様子だと見るのも嫌だと言いたいようだな」

「そうだとも」

「わかった。ならば他でもない盟友のわがままだ。聞き及ぶとしよう――…<暗黒孔>(ブラック・ホール)

 

小さな黒い点が、アインズ・ウール・ゴウンの指先から生み出される。

その点はどんどんと拡大して空虚な穴になり、音もなく周囲の空気を食らい始める。瞬く間に成長した穴はやがて威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)すらも飲み込んで消えた。

天使から放たれていた輝きが断たれて、辺りには静寂と絶望の夜が訪れる。

 

「他の連中はまかせて構わないな? アインズ」

「勿論だとも、シュヴァイン」

 

それだけを告げ、草原から化け物の姿が一つ消えた。

 

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