オーバーロードと豚の蛇   作:はくまい

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書きかえるかも


ある薬師の語る英雄譚

二つの条件とはなんだったのだろうか。

あのときの英雄の言葉が、今でも気にならないと言えば嘘になる。

しかしそれを懸命に考えたところで自分がその条件を満たすことができていないのならば、どうしようもないことだ。

自分にそう言い聞かせてからンフィーレア・バレアレは額に浮いた汗を拭い、集めた薬草を数え直した。

 

ンフィ―レアが「漆黒」と「漆黒の剣」の、二つの冒険者チームとともにカルネ村へ足を運び、薬草の採取を行ったあの日からずいぶんと時間が経った。

実際はそれほどの時間は経っていないのかもしれないけれど、それほどまでにンフィーレアにとってあの赤いポーションとの遭遇、そして彼との出会いはとても大きなできごとだった。

 

漆黒の戦士モモンは――アインズ・ウール・ゴウンは偉大な人物である。魔法詠唱者(マジックキャスター)としても剣士としても優れた人物であり、危機に瀕した村にすぐさま手を差し伸べてやるような義侠心を持った存在。それがンフィーレアの中にあるその人物に対する感想だった。

そんな人物の元で魔法を学べたなら、なにか役立てるような人間になれたなら、どれほど素晴らしいことだろうか。

 

そんな結局は自分自身のためでしかない願望に自嘲しつつも、むしろできないことこそが救いなのかもしれないとンフィーレアは考える。この卑しい考えはきっと時間がすすいでくれるだろう。

 

あの「神の血」を祖母と自分の手で作りあげるためにンフィーレアとリィジーはカルネ村へと越してきたのだ。

エ・ランテルで起きたアンデッド大量発生の事件で安全を考えて、というのはバレアレ治癒薬店の移動を惜しむ冒険者たちに対する言い訳にすぎない。

より迅速に薬草を入手し、これまでよりも調合や研究に勤しむための時間を確保するため、移動の時間をできるだけ削る。それがまず、赤いポーションの実在を知ったバレアレ家の人間たちが取った行動だった。

 

そうして数え終わった薬草を全てかごに戻し終わったところで、少し離れた場所で同じように薬草を集めていたエンリが声をかけてきた。

 

「もうそろそろ村に戻ったほうがいいって、カイジャリさんが」

 

戻るには少しばかり早いのではないかと思わなくもないが、森はすでに人間の領域ではない。護衛をする彼らにもなにか思うところがあるのだろう。

もう一度採取をしに来る時間が惜しいと思う気持ちはあったが、こちらが守られている立場である以上、そして無理を言って薬草採取に森まで連れてきてもらっている以上は、彼らの判断に従うべきである。無理な主張をそこまで押し通すつもりもなく、ンフィーレアはエンリの言葉にうなずいた。

けれども手についた薬草の汁を拭いつつエンリに近寄ろうとしたところで、不意にゴブリンのうちの誰かが「静かに」と指示を入れた。途端、空気に緊張が走る。

注意深く周囲の様子を観察しているとなにものかが草木を揺らしているような音が聞こえて、それはこちらに接近してきていることがわかった。

 

禽獣か、それとも魔物の類いか。

 

ゴブリンたちは各々の武器を構えて一同に息を殺してその音源に耳をかたむける。そうしていくばくかの時間が過ぎて、やがて草むらから現れたのは、息を切らして走る一人のゴブリンの子供だった。

 

子供の姿を認識して「まぎらわしい」とゴコウがうんざりしたように呟いたけれども、その声色はけして気を抜いてはいない。ゴブリンの子供のその険しい表情と、一瞬後ろを振り向いては走るその仕草は「なにものかに追われている」という証明に他ならないからだ。

 

息も絶え絶えながら懸命に足を動かすその様子にエンリが思わず声をかけようとしたけれど、そのあとに追跡者がいると考慮したカイジャリが制止をかける。

そうして何度も後ろを振り向きながら足を動かし、木陰に隠れているエンリたちの目の前を通り過ぎて、やがて次の草むらに逃げ込もうとしたところで転倒した子供の背中を見送った。あの子供はここまで来るのにそれほどの距離を走り続けてきたということだろう。

倒れた背中を見送ったエンリが子供が倒れた草むらと、ゴブリンたちの顔とを交互に見る。きっとすぐにでも手を差し伸べたいのだ。

 

そうしてどれくらいの時間が経過したのか。

数秒のような気がするし、あるいは数分は経過したのかもしれない。

追跡者がいるかもしれないという恐怖がンフィーレアの身体を抑えつけていた。

それでも追跡者の存在が現れないことを確認したところで、カイジャリが動いてもいいと指示を出した。

 

ゴブリンたちが各自の武器を構えたまま周囲を警戒しつつ、子供のゴブリンが倒れた草むらに近寄ると、子供はなんとか這いつくばって先へ先へと逃げているところだった。どうやら転んだ拍子に足を痛めたらしい。もしも追跡者がいるなら進行速度は絶望的だろう。

 

「あ、あの…!」

「うわああぁあッ!」

「あっ、ごめ、違うの!」

 

エンリが話しかけた途端にゴブリンの子供が絶叫した。おそらく追跡者が来たと思ったのだ。エンリが慌てて謝りながら弁解した。

 

 

子供はアーグと名乗った。

エンリが声をかけたことで恐慌状態におちいったアーグを強制的に引き戻したのはウンライのげんこつだったが、同族がいること、エンリたちに攻撃意思が見られないこと、追跡者は今のところいないようだということがアーグを少し落ち着かせたらしい。

そうして少しばかり持ってきていたポーションを与えながらなにがあったのかとンフィーレアが尋ねれば「怪物が現れた」とアーグは言った。どういうことかと追って尋ねたが、アーグはがたがたと震えてそれ以上を話そうとしない。

ゴブリンたちが「二、三回どついて吐かせよう」と物騒なことを言ったが、それよりも一度落ち着ける場所に行ったほうがいいだろうとエンリがそれを制した。

 

「連れていくんですかい? 本当に?」

 

追跡者がアーグの匂いなどを追って村にやってくるのを危惧しているのだとわかったが、やはりエンリは首を縦に振った。

 

そのとき、耳を割るような爆音が響いた。

 

ンフィーレアはとっさにエンリの腕を引いてかばい、そんな二人をかばうようにしてゴブリンたちが周囲を囲む。その音源は森の奥地――アーグがやってきた方向だ。

色濃い警戒が再び一同を包み込んだが、不思議なことに音量に見合うような爆風に叩かれることはなく、煙もない。地面に伏せた状態から恐る恐る顔を上げたが、爆音は一度鳴ったきりで、それ以上は変化が起きた様子もなかった。

 

「なんだぁ、今のは…」

「わからない」

 

カイジャリの言葉にンフィ―レアは首を振る。けれど森でなにかが起きていることは確かだ。アーグの言う「怪物」というのも気になる。やはり、まずは安全な場所に移動しなければならないとンフィーレアは告げた。

 

「そうだね…、……あ、あの…ンフィ…悪いんだけど、その」

「え、ッ…うわぁ! ご、ごめん、エンリ!」

 

ンフィーレアの言葉に同意したあとにエンリは居心地悪そうに、気まずそうに声をかける。

なにごとかとエンリのほうに視線をやれば、とっさにかばうためとはいえンフィーレアはエンリを押し倒したような状況におちいっていた。

慌てて離れたけれど、ゴブリンたちは「さすが!」「ひゅー!」と茶々を入れる。

そうして赤面しながらも二人は早く村に帰ろうと荷物を抱えたのであった。

 

 

×××

 

 

ンフィーレアに背負われて――ゴブリンたちは本人に歩かせるか、自分が背負うと言ったが、護衛の数を割くわけにもいかないとンフィーレアが請け負った――アーグ含む一同はカルネ村まで戻ってきた。

ゴブリンたち、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンが助力してくれたおかげで囲いができ、以前の村と比較すればかなり堅牢になったと言える場所だ。最近ではバレアレ治癒薬店が店舗を移動させたためそれを目当てに足を運んでくる一部の冒険者も存在する。

 

門をくぐって帰還してきたンフィ―レアに森の爆音を聞いた村人たちがなにがあったと尋ねてきたが、当然答えられるはずもない。できれば村長を呼んできてほしいという旨だけを伝えて、ゴブリンたちが生活する大きな家屋に足を運んだ。

 

そこでポーションでは治癒しきれなかった傷の手当てを行い、気持ちを落ち着けるために白湯を飲ませて、ンフィ―レアはアーグが自分から話し出すのを待った。やがてアーグがぽつりぽつりと語り始めたのは、自分が「東の巨人」の手の者に追われていたということ。そして第三者が、得体の知れない「怪物」が現れたということだった。

 

東の巨人という存在をそもそも知らなかったエンリたちからすれば寝耳に水の話だが、その存在が南の大魔獣――漆黒の冒険者モモンの連れたハムスケと同等の強さを持つというのだからことの重大さが深刻になる。

これまで保たれていた三すくみを「滅びの建物」という存在が崩し、それを討つために残りの二匹が手を組んだ。その使い捨ての兵士としてアーグたちのようなゴブリンが集められた。その非情な待遇から逃れてきて、東の巨人たちの手の者に襲われて、そして。

 

「怪物が現れた」

 

見たことも聞いたこともない怪物だったとアーグは震えながら語った。

それは、アーグが命からがら逃げていた悪霊犬(バーゲスト)を容易く捕らえ、従わせ、そうしてアーグに尋ねたのだという。東の巨人について知った怪物はそのまま森の奥地へと向かったそうだ。

 

「お前たちのような人間みたいな背格好だったけど、髪の毛が蛇で、何匹も魔物を従えていた」

 

怪物本人もそうだが、部下の一匹一匹も恐ろしく強いだろうという言葉に誰もが息を飲む。

爆発音の原因がその怪物ならば目的はなんなのか。怪物もまた、その滅びの建物とやらを討つためにやってきたのか。

いずれにしろ東の巨人たちも、怪物も、ンフィ―レアたちだけで対処できる相手ではないだろう。むしろ南の大魔獣の名前が出てくるという時点で、並大抵の冒険者ですら太刀打ちできないことは想像に難くない。ならば自分たちにとって頼れる相手はただ一人だけだ。

 

「この問題は、冒険者に依頼をしたほうがいいかもしれない」

 

ンフィ―レアの頭には「英雄」という言葉がふさわしい冒険者の姿が浮かび上がっていた。

 


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