五河士道は今、混乱していた。
士道は謎の男が自分の前に現れ、助けてもらったことろまで覚えていた。その後は、何かの衝突の余波で吹き飛ばされ気絶した。士道の記憶はそこまでだ。
士道は眼が覚めると、知らない女性が目の前に立っていた。確かにこれには驚いた。目が覚めた途端知らない女性がいるのだから、驚くのは当然だ。しかし、驚くことはまだまだ続き、士道の思考がストップした。
士道は、自分の前を歩く女性のことを思い出していた。
彼女の名前は村雨令音。軍服らしき服を着た、二十歳くらいの女である。無造作に纏められた髪に、分厚い隈に飾られた目、あとは何故か軍服のポケットから顔を覗かせている傷だらけのクマのぬいぐるみ。
彼女は三十年も寝ていないらしい。三日ではない、三十年だ。大事な部分だから二回言った。
本当なのか真実はわからないが、目の濃い隈を見れば寝ていないのは一目瞭然だ。
そんな彼女に連れられて歩いている場所は、スペースオペラなんかに出てくる宇宙戦艦の内部や、映画で見た潜水艦の通路を、士道は思い出した。
「……ここだ」
眠たそうに令音が言った。
「……連れてきたよ」
「初めまして。私はここの副司令、神無月恭平と申します。以後お見知り置きを」
「は、はぁ……」
士道が室内に入ると、丁寧な態度で挨拶をされた。
「司令、村雨解析官が戻りました」
神無月が声をかけると、こちらに背を向けていた船長席が、低いうなりを上げながらゆっくりと回転した。
「ーー歓迎するわ。ようこそ〈ラタトスク〉へ」
その声はどこかで聞いたことのある声だった。いや、何処かでではない、いつも士道の近くで聞いていたこえだ。
ゆっくりと回転し、そう声をかけたのは、士道の可愛い妹、五河琴里だった。
♢
士道は激しく混乱していた。精霊やAST、それが戦ったり、空間震は精霊が来るときに起きたりと、常識からかけ離れた話を次々と言われた。
「あー、もう!どうしてすぐに理解できないのよ!」
普通の一般人に精霊の話をされてもそうそう理解できるものではない。しかし、士道の妹である琴里には容赦がない。
「阿保にーのためにもう一度説明してあげる!精霊は本来この世界に存在しないモノーーこの世界に出現するだけで己の意思とは関係なくあたり一帯を吹っ飛ばしちゃうの」
「……悪い、ちょっと壮大すぎてよくわかんね」
「空間震って呼ばれている現象は、彼女みたいな精霊が、この世界に現れるときの余波だっていってるのよ。それと、次はAST。精霊専門の部隊よ」
「……精霊専門の部隊って、具体的には何してるんだよ」
士道が問うと、琴里は当然と言うように眉を上げた。
「簡単よ。精霊が出現したら、その場に飛んで行って殺すのよ」
「こ、殺す……?」
士道は、精霊というものが危険ということはわかった。だが、殺すというのはどうかと思った。そんな士道の表情を見た琴里は興味深そうに顎に手を当てる。
「何もおかしなことはないでしょう。あれは怪物よ?この世界に現れるだけで空間震を起こす。そして戦闘を始めれば……ほら」
琴里の言葉と同時に、スクリーン画面に映像が映る。これは士道がここに拾われた後の映像だ。一人は巨大な剣を持った少女。もう一人は右手に銃を持った少年。その二人が戦う様子が映されていた。
「……………」
それを見た士道は言葉を失った。少女が剣を振るえば大地が裂け、少年が持っている銃のトリガーを引けば、周囲が巻き込まれるように大地が壊れる。
「こんな化け物、殺そうと考えるのは普通でしょ?」
呆気に囚われていた士道は琴里の言葉に我に返る。
「……でも、空間震は精霊の意思とは関係ないんだろ?なら、俺は殺すなんてことは出来ない!他の方法も何かあるはずだ!」
そんな士道の答えに、琴里は嬉しそうに微笑む。
「士道、精霊を殺さずにすむ方法が一つだけあるわよ?」
「あるのかっ!?」
興奮した様子で士道は琴里を見る。
「ええ、それは、あなたが精霊とデートしてデレさせるのよ」
「………はい?」
「だから、デートしてデレデレにさせるのよ」
「いや、何で精霊を助けるのにデートなんてしなきゃいけねーんだよ!」
士道は心の底からそう叫ぶ。
「あなたは特別なの、あなたがいないと精霊を助けられないのよ!だからつべこべ言わずデートしなさい!私たち〈ラタトスク機関〉が、全力でサポートするから」
「……………」
士道は、もう何も言えなかった。
♢
「ただいま〜」
ドアを開けそう言いながら部屋へ入る。当然、部屋には誰もいないため、返事は返ってこない。
「疲れた〜」
零夜は先ほどの戦闘で消耗したようだ。
すぐさま服を脱衣所で脱ぎ、お風呂へ入る。
今日の起こった出来事の疲れを癒すように湯船に浸かった。
零夜は風呂から上がると、倒れるようにベットへ寝転がる。
「……………」
零夜は今日戦った精霊の少女を思い出していた。
はっきり言ってギリギリの戦いだった。余裕がありそうに見えた零夜は、実は結構焦っていたのだ。強いとは思っていたが、その予想を上回る強さに零夜は驚きを覚え、少し焦っていたのだ。最後は百里がいなければやられていただろう。
零夜とあの精霊では絶対的な差がある。それは“天使”があるかないかだ。天使とは“形を持った奇跡”と呼ばれ、精霊が一つはもつ絶対的な武器だ。対して零夜はの武器はこの世界でもレベル的に見たならば上の方かもしれないが、精霊が持つ“天使”と比べると、段違いに低い。にもかかわらず、何度も“天使”の攻撃を防げたのは零夜の持つ【黒雷】のお陰だろう。あれは唯一“零夜自身”が持つ精霊やASTに対抗できるものだ。
「あ〜、ねむ」
そこまで思い出していた零夜だが、疲れのせいか眠気に襲われ、意識を手放した。
「ふぁ……ん、よくねた……」
零夜が目を覚ましたのは、あれから二日後だった。
「あ〜、冷蔵庫の中何もないじゃないか……」
冷蔵庫の中身を確認した途端、ぐう〜と、零夜のお腹が音を立てる。
「二日も何も食わなかったからな……流石に腹減った」
お腹をさすりながらそう呟く。
『そうね、私もお腹減ったわ』
『ん?そうか、俺が何も食わなかったからか……』
百合は零夜とあらゆる所でパスのようなもので繋がっている。零夜が寝ていると、自然的に百里も眠りにつく。そして今回は二日間も眠っていて、何も食べていなかったため、零夜の空腹が百里にも感じるようになった。
「なら、買い物行くか」
零夜は外室用の服に着替え、財布を手に取り、商店街へ食材を買いにマンションを出た。
「しまった。この時間帯は人間がいっぱいだ……」
人間を嫌う零夜は買い物をするときは極力人がいない時間に済ます。しかし、二日も寝て、寝ぼけていたらしく、一番人が多い時間帯に来てしまったのだ。
「うわ〜、やばい、これは吐きそう……」
零夜は口元に手を抑え、商店街を走り抜ける。
「はぁ……、はぁ、はぁ、忘れてたわ。この時間は一番人が多いこと」
商店街を抜け、住宅街の壁に背中を預ける。
『零夜……大丈夫?』
『いや、大丈夫じゃない……』
『ねえ、もうこの街離れない?住む家はないけどここに居てもあなたが辛いだけよ?』
百里が労るような声で心配そうに提案する。
『いや、それは出来ないな』
『何で?』
『最近、ここ天宮市に空間震が多く発生している。と言うことは……』
『精霊が現れる……。そうよね、あなたは精霊を守るために……』
『ああ、他の精霊たちを“俺たち”のようにさせる訳にはいかないからな…………絶対に!』
『……そうね』
零夜は呼吸を整え、商店街にいたときから感じていた視線。零夜が走ってもその視線が外れることはなく、ここまでぴったりと付いてきた。
「……で?いつまでそうやって見ているつもりだ?」
零夜が誰もいない場所へ、問いかけた。
「きひひ、まさか気付かれるとは思っても見ませんでしたわ」
そんな奇妙な笑い声と共に“地面の影”から少女が現れた。
黒と赤を基調のドレス。不釣り合いのツインテール。そして、“左目が時計”のようになっている。夕日をバックにして現れた少女はどこか神秘的なものを感じた。
零夜は瞬時にその存在の正体に気付いた。
「精霊……か」
「きひひ、はい。あなたと同じ……、いえ、“あなたの中にいる”彼女とも同じ……ですわね」
「ッ……!?」
零夜は瞬時に構える。しかし、少女はそれを見ても構えることはせず、ただ、奇妙な笑い声を上げるだけ。
「お前……、何を知っている?」
零夜は警戒しながら、慎重に聞く。
「そんなに警戒しないでくださいまし。わたくしはあなたと戦いに来たわけでわありませんわ」
「……………」
それでも零夜は一時も警戒を解かない。
本来、精霊は零夜にとって、守る存在だ。しかし、眼前の精霊から感じたのは危険、といった感じだけ。
「ああ、あなたはよく育ちましたわ、わたくしの予想以上に、素敵に、成長してくれましたわ」
精霊は天を仰ぎながら頬を紅潮させていた。
「なにを……言っている?」
「きひひひひ、そのままの意味ですわ。……ああ、ああ、本当に素敵ですわ」
精霊が零夜に向ける目は、最高級の料理を目にした時のようだった。
「……それで?何の用だ?」
早くこの場を離れたい零夜は、なかなか用件を言わない精霊を促す。
「用などありませんわ。ただ、成長したあなたを実際に見たかっただけですわ」
「そうか、なら俺は失礼させてもらう」
零夜はそう言ってそそくさと足を動かし、この場を離れた。
零夜が去るのを見ていた謎の精霊は、ただただ嬉しそうに笑っていた。
「ふふ、あなたを“食べる”のはまだ先ですわ。あなたにはわたくしの悲願のために……」
精霊はそれだけ言うと、“影”の中に入っていった。