Sweet, Smart, Suite. ~ Story of Kotori 作:Kohya S.
翌日。午前中のμ'sの練習を終えて自宅に戻ったことり。軽く昼食を食べてから準備を始めた。書類は昨日のうちに用意してある。
まずは服を選ぼうとしたのだが、ことりは大いに悩んでしまった。電気屋さんの買い物にあまり可愛すぎるのもよくないだろうし、かといって練習に行く服や制服というわけにもいかないだろう。
それに、彼に会うのにどんな格好をしたらいいのでしょう……。
結局、お気に入りのグリーンのワンピースに七分袖のカーディガンという組み合わせにした。穂乃果や海未とちょっと出かけるときと同じ格好だ。
そして簡単に化粧をする。
部屋の時間を見ると、そろそろぎりぎりの時間だ。
書類を入れた鞄を持ってことりは自宅を出た。
日曜日とあって秋葉原の大通りは混んでいる。なるべく人通りの少ない裏通りを選んで急いだ。
しばらく歩いて秋葉原駅から近いYカメラに着いた。ビルの壁面の大型ディスプレイがちょうど1時を告げている。
彼はいるでしょうか……。目で探す。ベンチに座る彼を見つけた。
「南さん」
彼も同時に気付いたのか、立ち上がり、ことりの方に歩いてきた。ことりも足早に近づく。
「お待たせしました」とことり。
「いえ、時間通りですね」
彼は今日はカジュアルな服装をしている。彼がこちらを見ているのに気付く。視線が気になる。
少し間があってから彼が続けた。
「それでは行きましょうか」
店内に入ると一階が携帯電話の売り場になっていた。
「南さん、今の携帯、みせてもらっていいですか」
「これです」と二年ほど使っている携帯を見せる。
「なるほど。同じキャリアで機種変更のほうがいいでしょうね」
キャリア……? 首をかしげていると彼が苦笑しながらいった。
「ああ、電話会社のことです。すみません」
こっちですね、と進んでいく彼。
「このあたりから選ぶと、いいんじゃないでしょうか」
そこには何種類かのスマートフォンが並んでいた。同じ機種でも色違いがあり、かなりのバリエーションだ。たしかにこれだと選ぶのは難しそうだ。
「あ、これ、穂乃果ちゃんの」穂乃果が使っているものもあった。
「同じ機種にしますか」と彼。
うーん、同じでもいいんだけど、色まで同じだと、ちょっと気まずいでしょうか……。でも他の色には、あまり惹かれませんね。
「……さんのは、どれですか」と彼に聞いてみる。
「私のは一年くらい前のなので、もう売ってないですね。同じシリーズだと、これですけど」
とひとつを指した。黒、白、ブルーにイエローがあるらしい。手に取ってじっくり見てみる。特にイエローは透明感があって魅力的だ。
「この、イエローのはどうでしょう」と、ことり。
「いいと思いますよ。お友達のと、基本的な使い方は同じですし」
「ではこれにします♪」
わりとあっけなく決まった。こんなの簡単です、と思ったことりは、すぐに裏切られることになる。
ことりは店員を呼び機種変更したいことを告げた。カウンターに案内される。彼とともに椅子に座ることり。
「こちらでよろしいですか」と店員が、さきほどのスマートフォンの新品を箱から出し、ことりに示す。
「はい、お願いします」
――それからは怒涛の展開だった。
「今はこちらのプランをお使いですので、スマートフォンには適用できません。こちらからお選びいただくことになります」と店員。
「えーっと、どれがいいんでしょう……」
細かい字でいろいろ書いてありますね……。
「今は高校生の方でも、動画を見たりされますし、お勧めは10GBのコースですね」と店員が指さす箇所には、1万円を軽く超える金額が書いてある。
どうしましょう、毎月こんなに掛かったら、お小遣い減らされちゃいます……。
困惑していることりに彼がいった。
「南さん、動画とか見る予定はありますか?」
「えーと」パソコンもあるし、それに海未ちゃんは「スマホは一日一時間」っていってたし……。「そんなには、見ないと思います」
「では、この3GBのコースで」彼が店員にいう。
そちらの金額は今と比べても少し上がるくらいだ。良かった。
それからも「こちらのコンテンツが初月無料で……」「えっ、それって役に立つんですか」「こういうのに興味ありますか」「あんまり……」「いりません」「一緒に買うとSDカードがお安く……」「これは役に立ちます?」「そうですね、容量は増やしたいですけど、実は、一緒に買うと高いんですよ」「ええっ」「いりません」「海外に行くならこれをぜひ」「うーん、旅行、くらいかな」「それならいらないですね。あとでもできますし」店員とことりと彼とは、やり取りを繰り返す。
しかしそれも、ようやく終わったようだ。書類が印刷されるまでしばらく間が空いた。
「頼もしい彼がいて、いいですね」と店員。
「え、あっ、はい」
思わぬ言葉に赤くなることり。やっぱりそう見えるのでしょうか……。というか、私、否定しませんでした……。
彼の方は……気付いてないみたいですね。それとも無視しているのでしょうか……。
気を取り直して、用意していたお金で精算する。
「では、開通まで一時間ほどお待ちください。ご連絡先をいただけますか」
あれ、すぐに受け取れるんじゃないのですね……。ことりは拍子抜けした。
「こちらに……」と彼が携帯の番号を店員に伝えていた。
それからことりたちはメモリカードを買い(彼が一緒に買うと高い、といっていたものだ)いったん店の外へ出た。
「ちょっと時間が掛かるので……喫茶店でも、入りましょうか」
「そうですね」
・
彼はこのあたりには明るいようでためらわずに歩いていく。ほんのわずかで雑居ビルに着いた。二階が喫茶店になっている。チェーン店だがどちらかというと高級志向で、ことりのような高校生はほとんど行かない店だ。
「ここでいいですか」と彼。
「はい」
店に入る。落とされた照明に低いソファ。落ち着いた雰囲気だ。店員に案内される。メニューを見ると、思ったよりはリーズナブルな数字にちょっとほっとする。
「南さん、決まりました?」と彼。ことりはうなずいた。
「ブレンドを」
注文に来た店員に彼がいい、ことりのほうを見る。
「えっと、この伊予柑ティというのと……季節のケーキを」
最後のほうが若干、小声になってしまうのは仕方ないだろう。彼が飲み物だけなのにケーキを注文するのは、ちょっと恥ずかしい気がした。しかし初めての喫茶店でデザートを食べる機会を逃すのは、あまりにももったいない。
「あの、……さんが難しいっていってた意味が、わかりました」
店員が去ってからことりがいった。
「お任せしちゃえば、それでもいいんだけどね」と彼。
「私なら、店員さんに押し切られちゃったと思います」
ことりは店員とのやり取りを思い出した。
「おせっかいかなと思ったんだけど。でも、少しでも南さんの力になれたら、って」
「ありがとうございました」と改めて礼をいうことり。
「いや、趣味みたいなものだから……」
しばらく沈黙が流れる。おせっかいだなんて、とんでもないです、と伝えた方がいいのでしょうか……。
ほどなくしてふたりの注文が届いた。ドリンクとケーキのセットがことりの前に置かれる。季節のケーキは抹茶ロールケーキだった。
「いただきます♪」
ことりはさっそくケーキを口にした。
「わあ、これ、おいしいです」
抹茶の香りがしっかりと効いているが、くどくはなく、甘みとのバランスもとれている。
「紅茶も、レモンティとは少し変わった感じで……」ケーキにも良く合うようだ。
思わず一気に半分ほど食べてしまってから、ことりはハッと気づく。彼が笑ってます……。
「あの、甘いものが好きなんです……」赤くなることり。
「いえ、女の子なら、みんなそうですよね」
彼は相変わらず微笑んでいた。
ケーキを食べ終わり、食器を下げてもらう。
「そうだ、アドレス帳を移さないと」と彼が思い出したようにいった。
「今の携帯、ロック解除してもらっていいですか」
携帯電話は今は圏外になっていた。暗証番号を入れてロックを解除する。彼はその間、目を逸らしている。
「解除しました」とことり。
「では、ここでこうやって操作して……」
乗り出すようにして、ことりが手にしている携帯をのぞき込む彼。顔が近付く。ことりは彼のいう通り操作する。
そのあとことりは電源を切って携帯電話を彼に渡した。彼はメモリカードを取り外した。続けて鞄からノートパソコンを取り出す。そしてさきほど購入した別のメモリカードも用意する。
「こうしてコピーしておけば、新しいスマートフォンでも、アドレス帳をそのまま使えますよ」
「それは助かります」
「パソコンさえあれば、きっと南さんでもできますけどね」
彼はメモリカードを元に戻した携帯電話と、新しいメモリカードを、ことりに返した。
彼の携帯電話が鳴った。
「……はい、わかりました。うかがいます」準備ができたようだ。
「では、行きましょうか」彼が席を立った。
いつの間にかテーブルの上から伝票が消えている。
レジに向かう彼を追いかける。
「あの、私が出します」とことり。
「いえ、いいですよ」と彼。
「でも、今日は、私に付き合ってもらったので」
ここで払ってもらうのは甘えすぎだ、とことりは思う。
「わかりました。では割り勘で……」
「いーえ、私が出します。アルバイトで稼いでるから、大丈夫です」
ことりは強く主張する。だって、ここで割り勘だと、私が子供みたいですから……。
彼もあきらめたようだ。
「では、お願いします」
「はい、よろしい♪」
喫茶店を出て少し歩き家電量販店に戻る。キャリア(っていうと、ちょっとカッコいいですね)のカウンターに座ると、すぐに店員が品物を持ってきた。
さきほど選んだ明るいイエローのスマートフォンだ。
「回線は開通していますのですぐにお使いいただけます」と店員。「アドレス帳の移行サービスも行っていますが……」
「それは大丈夫です」きっぱり。断言することり。
「わかりました。明細を印刷しますのでしばらくお待ちください」
店員がいったん下がった。
「この間に設定しましょう」と彼。
ことりは彼のいう通りに、スマートフォンにメモリカードを差し込み、操作する。
「そうですね、そこでこの設定を押して……」
彼の声が耳のすぐ近くで聞こえる。
「はい、これでOKです」
わりとあっけなく、終わっちゃいました……。
スマートフォンの連絡先を開くと見慣れた皆の名前が並んでした。無機質な機械に命が吹き込まれたようで、急に愛着がわいてきた。
これからよろしくお願いしますね……。
「お買い上げ、ありがとうございました」
戻ってきた店員からことりは書類を受け取った。
ふたりは家電量販店の外に出た。
午後もずいぶん遅くなっている。秋葉原の駅前は依然としてかなりの人込みだ。
出入り口前から離れ、ベンチなどが並んでいる少し静かな場所に移る。
「今日は、長い時間、ありがとうございました」
ことりはしっかりと頭を下げて彼に礼をいった。
「いいえ、私からいい出したことですから」彼もお辞儀した。
ことりは少し迷ってから、いう。
「あの、このあと、どうされるんですか」
「すこしアキバのお店を見て回ってから帰ります」
流れる沈黙。
ことりが「ご一緒していいですか」といおうとした直前。彼は口を開いた。
「ではこれで。また、カフェででも、お会いしましょう」
ことりは自分の勇気のなさを後悔する。しかし、気を取り直していった。
「あの、メールアドレスを、聞いてもいいですか」
このくらいの勇気ならあります。
「あ、そうですね。何かわからないことがあったら、聞いてください」
彼が自分のスマートフォンを操作し、ことりのスマートフォンにタッチすると、ピコッとかわいい音が鳴った。アドレスが転送されたようだ。
「あ、でも、使い方なら、お友達に聞けば大丈夫ですね」
そういわれると、ちょっと聞きにくくなっちゃいますね……。
「ありがとうございました」
ことりは改めて礼をいう。
「私も、楽しかったです」
彼はそういうとことりに一礼し、去っていった。
ことりはその姿をしばらく見つめていた。
その日の夜、ことりは自室で買ったばかりのスマートフォンを使いながら、日中のことを思い返していた。
スマートフォンを買うのは思っていたよりもずっと大変だった。彼がいなかったらどうなっていたか。
しばらく使ってみておおよその使い方がわかったところで、穂乃果と海未に携帯電話を買い替えたことをメールする。そして彼にお礼のメールを送る。
数分して返信があった。穂乃果からのメールは、相変わらず絵文字がたっぷりで見ているだけで楽しくなる。海未からのメールは、まるで明治の文豪が書いたかのような漢字が並んだ端正なものだ。思わず微笑んでしまうことり。
明日、二人に会うのが楽しみだ。
そして、また通知音が鳴る。彼からのメールだ。本文には、礼には及ばないこと、役に立てたならうれしいこと、が簡潔に記されていた。
ごく事務的な文面だが、ことりは胸の中が暖かくなるのを感じていた。
・
翌日、学園の中庭、昼休み。ことりと穂乃果、海未は昼食を広げる。
「そうそう、そういえば、ことりちゃんもスマホにしたんだってー?」と穂乃果。
「えへへ、買っちゃいました」
「みせてみせてー」
「穂乃果、食事を終えてからにしなさい」
「はーい」
さすが海未ちゃんですね。
三人は昼食を食べ終え一息つく。
「いやー、いい気候だねえー」
と穂乃果がまるでどこかのお婆ちゃんのような口調でいう。
たしかに穂乃果がそういいたくなるのもわかる。初夏のさわやかな風が中庭を吹き抜けている。遠くから吹奏楽部の昼練の音が聞こえてくる。
そのまま目を閉じる穂乃果。ことりが、あれ、このまま寝ちゃうんでしょうか……と思っていると。
「はっ、忘れてた。そう、スマホ、スマホだよ」と穂乃果。
思い出したみたいです。
「こちらです♪」
ことりはそういって、お弁当を入れてある巾着袋からスマートフォンを取り出した。
「おおーっ、いいねいいね。見せて見せて」と穂乃果。
ことりは穂乃果に渡す。
「いろいろ教えてね、穂乃果先輩」
「黄色にしたんですね。ちょっと意外です。ことりなら、白にするかと思ったんですが」と海未。
「お店で見て、この色がきれいだったから、これにしたんだ」
「あれっ、穂乃果のとお揃いじゃないんだね。ちぇー」
穂乃果は自分のと見比べてみてから、ことりにスマートフォンを返す。
「ごめーん、穂乃果ちゃん。でも、使い方はだいたい同じ、っていってたよ」
「お店の方に相談したのですか」
と海未に聞かれる。あ、これはちょっとまずい話題かもしれませんね……。
「えっと、うん、お友達のはこれかなーっていったら、こちらでも同じですよって」
「なるほど」
「海未ちゃんは買わないのー?」と穂乃果が口を挟む。
深く追及されないでほっとしました……。
「私は、スマートフォンのようなものは必要ありません。電話は、通話と、メールができれば十分です」
うふふ、海未ちゃんらしいです。
「それより穂乃果、あれ以来、夜更かしはしてないでしょうね」
「もちろんだよー」
「雪穂に聞いてみます」
「えー、それはだめー」
「もう、穂乃果といったら……」
このふたりは相変わらずですね。