1
俺は、修羅の国に滞在することになった。
だけど、滞在を決めてから色々とあった。
まずは……ここはスマホが使えないから、家族と一刀に連絡がとれない、という事実に気が付くところからだった。
「生きとるか?」
界皇様は俺を見下ろして聞いた。
その時、俺は見覚えのない家でスマホをいじりながら、横になっていた。
スマホは圏外になっていた。その時は『山の天辺だから、当たり前かもしれない』と思った。
そして、スマホの時計は止まっていた。
だけど、壊れているわけではなかった。
何故ならカメラ、ムービーといった機能はしっかりと生きているからだ。
不思議だった。なんで時計がダメになっているんだ……?
「……生きてますよ。で、何の用です」
俺は一旦考えるのを止め、スマホをしまい、界皇様に向かいあった。
界皇様は笑みを浮かべていた。
そうして、信じられないことを言った。
「お主の流派は、竹川流じゃったな。それを教えてくれんか」
「は?」
「その流派に興味が湧いた。教えよ」
「興味って……」
何に興味がある、と聞こうとしたけど、先に界皇様が答えた。
「お主は、ワシの知らんことを知っとる。ワシ等と違う関節技の入り方、絞め方、投げ方となァ」
界皇様は屈んで、俺を覗きこんだ。
そうして、蛇のような笑みを浮かべた。
「代わりと言ってはなんじゃが……ワシも武術を教えよう。色々と、面白いのをな」
その言葉に、心がちょっぴり動いた。
山から下りれば、家族への連絡をいつでもとれる。
俺も武術に興味があった。
ちょっとぐらい、教わってもいいか……な……。二日、三日とかそのくらい。
「お願いします」
俺は正座して、頭を下げた。
2
甘かった。甘い考えだった。
カルピスをカルピスで割り、トッピングで、練乳と角砂糖とジャムをぶち込んだものより甘い。
どんな甘党でも……例えば、キラ事件の捜査をした世界一の探偵でも、胸やけするぐらい甘い。
まずは、家族と連絡はとれなかった。
「すいません。教えてもらう前に、家族に電話してもいいっすか? 多分、心配してると思うので」
「はぁ? 電話とはなんじゃ? そもそも、お主は天から来たのじゃ。連絡なんて出来るわけなかろう」
「いや、冗談はいいんで」
「この目が冗談に見えるかのぉ……」
……見えなかった。
むしろ、本気だ。
あと、電話を知らないのか!? まあ、年寄りだし……っていっても電話は知ってるだろ!
いや、それはどうでもいい!
天からってどういうことだ!? そのままの意味か!?
いや、ないない。それはない。いくらなんでも有り得ない!
「……マジ? 嘘はいらないんですけど」
「マジじゃ。大マジ。……ところで“まじ”とは?」
……この人を見ると、やっぱり嘘を吐いているとは思えない。
だけど、信じられない。
確認するには、スマホの圏内に行くしかない!
「あとで説明します! ちょっと山、下ります!」
「ええが、死ぬなよ」
界皇様はそう言って、手を振った。
俺は笑顔で手を振りかえして、山を駆け下りた。
だけど、その元気はすぐなくなった。
「ギャァァァァ! 野生が襲ってくるゥぅぅ!」
ここは修羅の国、というだけあって入ることは生半可ではない。
そもそも“修羅”というのは、素手のみで最強を目指す漢のことらしい。
そんな奴が集まる場所だ。簡単には入れない。同時に、“出れない”のだ。
まぁ……何が言いたいのかというと、山には猛獣が巣食っていた。
オオスズメバチとか、虎とか、熊とか、アナコンダとか、ライオンとか、夜〇猿とか。
……最後3つは、居ていいのか?
たまに、パンダとか癒し系がいたかと思っても、実際は卑し系だった。
白、黒、滴る赤の三色パンダとかいらない! 鉄臭いんだよォ!
頑張って下っても、スマホは一向に圏内にならない。
必死に走っていたら、いつの間にか下りきったが、それでもダメ。圏外。
圏外だから、地図アプリも見れない。
……詰んだ。
「……で、またここを登るのか……」
その苦労を想像すると、涙がちょちょぎれた。
俺は上を向き、またあの山を登った。当然、野生に襲われた。
で……修行は山を登りきったら、すぐに始まった。
界皇様の修行は初日から苛烈だった。
一番最初は呼吸法だった。
「南郷。力を抜け」
「はぁ……」
「そうそう……
横隔膜のあたりを、思い切り突かれた。
その後は、肺の中の空気が一瞬で噴出していく感覚があっただけだ。
「オォ……ゴッ……」
「そうそう。まぁちょっとしたら、普通に呼吸できるわい。そこから始まる呼吸の拍、深さを忘れるな」
「ゴォォォ……ゲホッゲホッ」
「失敗じゃ。もう一度」
格闘技における呼吸は非常に重要だ。
有名どころでは、空手の
他にも、長距離走や出産とか。あのヒッヒッフーってヤツ。
そして仙道……波紋法とか。呼吸法で、水の上走れるし。
まぁ、例はいいや。
問題は、何の役に立つかだ。
教えてもらった呼吸法は、人体の潜在力を引き出すというもの。
そもそも、人体は常に全力は出せない。大抵出せるのは、命がけのときだ。“火事場のクソ力”ってやつ。
その潜在力は、人の全力の70%を占める。
それを引き出すのが、北斗神拳の神髄……って、これは関係ねえか。
そして! その呼吸法の効能は……肉体の鎧化! 反射神経の鋭敏化! 自己治癒力向上! 鎮痛! 美肌効果! 冷え性!
後で気づいた。……ほとんど、温泉の効能じゃねえか! 3分の2が温泉の効能だ。
ちなみに、肉体の鎧化といっても普通の刃物、例えば包丁程度で切れる。鎧化とは何だったのか。
まぁ……打撃には強くなったかも。その程度だ。
で、あとは闘い続けるだけ。
昼も夜もない。殺人的なスケジュールだ。
やりたくて仕方ない男たちが、起きて闘い、飯の前にも闘い、飯の最中にも闘い、鍛錬で闘い、筋トレで闘い、便所の前に闘い、便所の後に闘い、風呂の前後に闘い、寝る前に闘い、寝てても誰か奇襲を仕掛けてくる。
地獄のような疲労を呼吸で癒す。漢からあふれる地獄のような獣臭は耐える。
日に30時間の闘争という矛盾ッッッ! といっても、過言ではない。
それが修羅の国だった。まさしく、
俺はそこで界皇様に投げや関節技を教え、界皇様から技や技術を教わったり、修羅と闘いながら、半年を過ごした。
3
俺が修羅の国にいて、半年ぐらいたった日だ。転機が訪れた。
真昼間の時、北東の方角に白い流星が落ちた。
何となく、懐かしく感じた。
「あの流星……お前、乗って来た流星……」
「ふぅ~ん」
いつの間にか修羅の誰かが、背後に回ってきていた。
俺は何も言わず、左拳で裏拳を放った。
修羅は左手で俺の裏拳を防ぎ、右肘を顔面狙いで、振り下ろしてくる。
俺は防がない。大丈夫、当たらない。
裏拳と同時に蹴り上げた俺の右足が、修羅の左のこめかみを叩いた。
修羅も、防ぐような行動をしなかった。
修羅は、棒のように、頭から倒れた。
「さて、行くか」
一言だけ呟き、俺は界皇様の所へ向かった。
そこまで、何事もなく行けるわけではなかった。
俺の姿を見て、喧嘩を売ってくる修羅もいるからだ。
結局、界皇様の所に着く頃には、夕方になっていた。
「界皇様。あの流星を見ましたか」
「おお、南郷。見たぞ」
界皇様は、道場で2メートルほどの背をもつ修羅を相手にしていた。
俺が声をかけると、界皇様は振り向いた。
その隙を狙うように、修羅は右足で前蹴りを放った。
界皇様は右につつ……と動き、修羅の右足を掴んだ。
そして蹴り足を背負い、投げた。
――蹴り足一本背負い。
竹川流の技だった。
修羅の顔が叩きつけられた瞬間、鼻の骨が潰れる音がした。
そして、血が道場の床を染めた。
「こうかのぉ? 竹川流は」
「ええ。……流星を見たのなら、話は早いでしょう。あの星は多分、俺の友人だと思います」
「ほぉ。で?」
「奴の所に行こうと思います」
「ふむ……」
界皇様はそう呟くと、道場の隅にある箱をゴソゴソと漁った。
「お……コレコレ」
界皇様はポイ、と白くて薄いものを投げた。
仮面だった。
目の部分しか開けてない簡素な仮面だ。
「これは?」
「修羅の面よ。修羅は皆、持っておる」
「ふぅん……」
「外に行くなら持って行け」
「ありがとうございます」
「まずは西に行け。そこに白帝城という城がある。それとあと一つ」
「あと一つ?」
界皇様はゴホン、と咳払いした。
「強くなりたくば喰らえッッ! 男も女もないッッ! 強き者を、喰らって喰らって喰らい尽くせッッッ!」
それが修羅よ……。
界皇様はそう言った。
俺は両方受け取り、頭を下げた。
4
「行ったか……」
――南郷よ、強く在れ。強くなれ。下界にも強き猛者は多い。場合によっては、ここの修羅より強き者もある。その者がお主の技を、力を育む。して、成長し熟れた力を持つ貴様を……
「このワシが食ろうてやる」
もし、肉食獣が草食獣を前に笑みを浮かべるとしたら、このような笑みを浮かべるのであろう。
自分の力で、エサを存分にいたぶることを、楽しむ笑みだ。
小さな、ごくわずかな笑みだった。
そのちいさな唇の隙間に、獣の牙が見えた。