それは唐突に起こった。
アタシの家は定食屋だった。そう、だった。いつの間にか膨大な借金ができ、それを知った母さんはアタシを連れて家を出て元々の出身だった中国に戻った。……けれど、アタシはその家を出ることになった。
元々、良家の出だった母さんは定食屋以外でアルバイトをしたことがないらしく、他の仕事を就こうにもうまくいかなかったみたい。そして、着いた仕事がお水商売だった。幸いなことに母さんの顔が若い方だったからかもしれない。だけどしばらくすると、母さんが男を入れ始めたこともあって家の居心地が悪くなった。
だからアタシは、逃げるように代表候補生の訓練を受けることにした。
―――それが、間違いだったのかもしれない
「……適性が、C」
「残念ながら、ね。だがそう悲観することはない。君にいい病院を紹介してあげよう」
「……びょう、いん?」
治療でどうにかなると思っているのか? だけど、アタシは何故か承諾した。たぶん、あの光景が目から離れないからだろう。
―――自分の母親が、知らない男と交わっているところを……
いつかすることかもしれない。それはわかる。でも、アタシには耐えられなかった。好きじゃない相手とそういうことをするのは。
「……あの、ここは一体……」
気になったアタシは黒いスーツを着た男性に尋ねようとすると、その男性はアタシの方を見ない。
「ちょっと、ここはどこなのよ!」
明らかに病院じゃない。まるでどこかの劇場のようだが、アタシに演劇でもしろというのだろうか。代表候補生がモデルや演劇をするって聞いたことがあるけど。
そんなことを思っていると、アタシの耳に信じられない言葉が届く。
「さぁ、お待たせしました! ただいまより、ヒューマンオークションを開催いたします!」
ヒューマンオークション? 何を言っているんだろう、この男は?
だけど、アタシの疑問は司会と思われる男によって氷解されていく。
「このオークションは愚かな女たちを我々崇高な男性たちが買い取ってやる、特殊なオークションです。さて、本日の愚かな女は―――凰鈴音さん!」
名前が呼ばれると、図ったように黒いスーツの男がアタシを持ち上げて会場の中心に連れて行く。必死に抵抗するも、ほとんど聞かないようで最後は下から出てきたポールに両手を縛られた。
「彼女はこれまでの女たちとは違って胸が貧相すぎますが、それでも立派な14歳。遊ぶには十分な反応を見せてくれます。さて、初額は「10」万円から!」
余計なことを言われたけど、観客席から次々と値段が上がっていく。アタシはその額よりも今自分が置かれている状況に恐怖していた。そんな時だった。
「―――お前ら全員、何を勘違いしているの?」
途端に司会者の足元から何かが飛び出す。司会者から血が飛んで会場内に沈黙が訪れた。
「…ま、まさかけいさ…でも、そんな……」
「ねぇ、何で最初に浮かぶのがそんな雑魚? もっと他にもあるじゃん。魔王とか神とか」
その声の主はいつの間にそこにいたのか、アタシの方へと歩いていく。
「……アンタは……」
「やぁ鈴音。君ってこんなのが趣味なの?」
「そ、そんなわけないじゃない!?」
「そうなの? まぁ、どっちでもいいか。どっちにしろ君は俺が徹底的に調教するから」
言葉の理解が追いつかないうちにその男はポールを蹴り飛ばしてアタシを解放する。
すると会場内にいる人たちも状況を理解したのか悲鳴を上げ、外から銃を持った人たちが現れた。
「負けるのをわかってて仕掛けてくるか。面白いな」
「ちょっと! 何でこんなことになってるのよ!?」
「大丈夫だ。すぐに終わる」
そう言った男は指を鳴らすと、次々と黒服たちを殺して行った。
「ちょ!? そんなことしたら―――」
「まずい? んなわけねえよ。そして俺に前科もつかない。もっとも付いたところで俺が汚れることはない」
「いや、そういうわけじゃ―――」
「それにここは幻覚世界。相手がどれだけ死のうが現実世界には何の影響もない……たぶんな」
男はアタシを持つと、司会の方を睨んだ。
「まだ生きているんだろう?」
「……よくわかりましたね」
「え? どういうこと?」
思わず尋ねてしまうが、嫌がることなく男はアタシの質問に答えてくれた。
「この司会者が鈴音をこの幻術世界に送った本人だ。いや、本体はここにいないからさっきの攻撃で傷つくとしたら精神体か」
「簡単に言えばそういうことです」
「目的はなんだ? 雑魚」
「あなたの強さを見極めるためですよ」
アタシをそっちのけで話を始める二人。アタシはまだ理解ができず混乱していた。
「この世界はいわば、私の常識で作り出せた世界。私の作ったルールを達成しなければ攻略することはできません。……ですが、あなたはそのルールを当たり前のように破壊し、その女も含めて3人の女を助けました」
「当然の結果だな」
そう言って男はアタシを放る。舞台上に落下する―――そう思った時にアタシが見たのは見覚えがある場所だった。
「お、目を覚ましたか、鈴」
「……一夏……? ここは……えっと」
「IS学園の地下だ。鈴はさっきまで「ワールドパージ」されて幻覚を見せられてた」
「……幻覚……?」
途端に頭痛がして、アタシは右手を挙げて触れようとするとそこで初めて自分の手が誰か握られていることに気付いた。
「……確か、この人は……」
「どうやら無事のようだな、凰」
アタシは思わず体を震わせる。恐る恐る振り向くと、織斑先生が心配そうにアタシを見ていた。
「織斑先生、この人は……」
「…やはり、この男の正体にすぐに気付いたのは更識妹のみか」
予想通りと言わんばかりにそう言った織斑先生は、信じられないことを口にする。
「あり得ないと思うがな、この男は桂木悠夜だ」
アタシはもう一度その男を見る。腰まである透き通った銀色の髪、一瞬女とすら見間違う男の前髪を退けて確認すると、一部変色しているけど、彼は確かに桂木悠夜だった。
■■■
「随分と荒い方法ね」
幻覚世界を塗り替えることで機械的な幻覚ウイルスを遮断。ワクチンを用いて鈴音を目覚めさせた俺を目の前の少女は笑った。
「それはお前がよぉく知ってるだろ。なにせお前はラウラを殺しに来た刺客なんだから……」
「ばれてた?」
「なんとなくだがな。AICを使わないところを見るにお前は主を変えたのか?」
「……あなたのせいでね。アタシはもう少しで性処理施設に送らされるところだったわ」
忌々しそうに俺を睨んでくる少女。
「だったら、あの場で回収して色々として……いや、なんでもない」
冗談めかすと、冷たい視線を浴びせてくる少女。俺は一度咳払いし、彼女に尋ねた。
「……それで、どうするつもりだい。ここで幻覚勝負と行く?」
「…………遠慮するわ。あなたと戦っても何の得もない。それはあの時の実験でよくわかってる」
まぁ、あれだけ派手にやったらそう思われても不思議じゃないか。
「私はこれで帰らせてもらうわ。こんなところで無駄に時間を使う気はないし、そろそろパーティーの時間だから」
次第に少女の形がぶれていく。精神を捕まえたところで意味がないのは理解しているので、このまま放置するべきだろうと思っていると、
「あ、そうそう。あなたが特別な存在だと言うことは知っているけど、妹を泣かしたら許さないから」
そう言って少女は消えた。
「………はい?」
俺に謎を残して。
目が覚めると、鈴音が心配そうに俺を見ていた。俺はほっぺをつつくと、声を出すよりも先にひっぱたかれる。
「……もちもち具合を確かめたかっただけなのに」
「まったく。心配して損したわ」
呆れながら言う鈴音に、俺は温かい目で見る。
「お、目を覚ましたか」
「死ねばいいのに」
「第一声がそれかよ!?」
ヤバいな。織斑を見ると殺意しか湧かない。だからあの時も思わず蹴ったんだが。
「冗談だ、冗談。やろうと思えばお前みたいな蛆虫なんざ消し炭にすらならないほど細切れにできるからな。そう考えると、これまでの敵対勢力を自分の手で殺していないのは奇跡に近いな」
「アンタがそれを言うと冗談に聞こえないから怖いわね」
まぁ、実際冗談では済まないだろうな。……それにとても奇跡に近いのも事実か。
床から浮いて立ち上がり、鈴音を抱えて出口を探す。
「そんなことより、こんな薄暗いところから出ようぜ。あまりいちゃいけないエリアだろ」
「……何で鈴を抱えてるんだ? 珍しく鈴も大人しいし」
「珍しいって何よ!?」
「さっきみたいに反射的にお前を攻撃しないためだよ」
「さっきって……じゃあ、もしかしてあの時俺を攻撃したのは桂木なのか!?」
「仕方ないだろ? ISじゃ足でまといってわかり切ってるし、お前なら絶対邪魔するんだから残る選択肢は「織斑を殺す」か「織斑の骨を一本残らず折る」か「白式を壊す」かの三択だけだし」
「………選択肢はともかく、否定できないわね」
「誰一人として、味方がいない」
だって俺敵だしな。
ショックを受けている織斑を無視して黒い球体のようなものを出現させる。
「!? 何だよそれ?!」
「闇の○廊。テストに出るぞ」
「いや、出ないわよ」
素早く中に入って素早く閉じる。そして織斑をボコった場所に出ると、俺はすぐさま回れ右をしたくなった。
「しかし、10年という月日でこうも変わるものですね。あれだけユウ様の後ろにいた大人しいあなたの胸がここまで主張するなんて」
「ちょっ、どこ触ってんのよ!? 簪ちゃん、助けて―――」
「爆ぜれば良いのに」
「大丈夫だって。お兄ちゃんなら胸の大きさなんて気にしないけど……気にしないよね……」
鈴音を降ろして辺りを見回す。幸いなことに、さっきまでいたはずのアランたちはいなくなっていた。
「ミア、それ以上は俺の精神衛生上止めてくれ」
「ユウ様。ご無事……とお聞きするのは野暮ですね」
「まぁな。全盛期に戻った俺に勝てる奴なんて……片手で数えるほどしかいない」
ふと、昔の悪夢を思い出した。いや、大丈夫だ。あいつらがここにいるわけがない。
「それよりもユウ様! この女の胸、大きくなったと思いません? まさか、ユウ様がいるというのに別の場所で男を作ったとか……」
「……最低」
「いないわよ。っていうか何で二人とも本気で睨んでるの?」
こういう理由は女の子同士の方が理解できるのだろう。俺にはさっぱりだ………と思いたい。
「考えてみれば怪しい部分は……わざわざ織斑なんかと同居しているわけだし……」
「ないから。そんなことは一切ないから。これでも暗部の長よ。織斑君程度の気配、すぐに見抜けると断言するわ」
「じゃあ、検査入りまーす」
「朱音ちゃん、その器具何? どう見ても成人指定に出てきそうな機械なんだけど!?」
「朱音、それ没収な」
軽く抑えると、朱音は道具をしまってからふと動きを止める。
「お兄ちゃんが……お兄ちゃんが初めて呼び捨てで呼んでくれた!!」
「そこ、喜ぶところなんだ……ってか、この子誰?」
鈴音が尋ねると、俺たちは揃ってマズいことに気付いた。
鈴音は確かに俺に気があるのは既に周知かもしれないが、朱音のことは今まで隠してきたことだった。いや、冷静になれ。
「この子は学園長のお孫さんで、将来はIS技師として技術を磨きたくてたまにIS学園に来ているんだよ」
「……その割には随分と仲が良いわね」
「その学園長と俺の祖母が友人でな。たまに両親不在ってことがあったから昔はよく一緒に遊んでたんだよ」
「うん。今日も遊びに来てたの!」
よし、ごまかし成功……と言いたいが、鈴音は察しが良いから上手く伝わったかわからない。というか、見ている部位が明らかに胸の方だと思うのは気のせいだろう。
「まぁいいわ。悠夜は面倒見がいいし、そういうのもあるわよね」
ふいに褒められたから俺は思わず顔を赤くしてしまった。
「ともかく帰るぞ。流石に病み上がりであれだけ暴れるのはマズかったしな」
「…に、兄様……」
後ろを向くと、ラウラが今にも怒られるそうで怖がっている子どもみたいな雰囲気を出していた。そういえば、ラウラは俺だとわからなかったんだっけ。もしかしたら気にしているのかもしれない。
俺はラウラを抱っこして部屋に帰ろうとすると、ミアが呼んでくる。
「ユウ様、ユウ様の部屋はあちらです」
「……え?」
指したのは豪華客船、という程の大きさではないがそれなりに大きな船が止まっていた。
「……あの部屋?」
「はい。ユウ様はいずれ数多の女性と交わってたくさんの子どもを作ってもらうことになるのですから、大きさはあれで十分かと」
「……あの半分くらいで問題ないって。それにピンクが多い」
「ダメですか?」
「ああ。せめてもう少し小さくしてくれ」
「じゃあドロシーにそう伝えておきますね。たぶん10分あればできるので」
「………部屋の工事が?」
「部屋の工事が、です」
それを聞いた俺たち全員口を開けて固まった。
建築技術の根底を崩しかねない発言をしたミアに驚いていると、後ろから虚さんが大きな胸を揺らしながら近づいてきた。
「た、大変ですお嬢様!」
10年の空白の記憶が消えていたら間違いなく馴染んていただろうその呼び名に妙な違和感を感じたが、どうやら彼女はそれどころじゃないらしい。
「どうしたの虚ちゃん」
「……家が……更識の家が消滅しました」
それを聞いた瞬間、場違いにも俺は思ってしまった。
―――もしかしてこの騒ぎ、身内が起こしたことなんじゃないか、と
■■■
クロエは意識を通っていた喫茶店に戻す。頼んでいたカフェオレは既に冷め切っていて、彼女は金だけ置いて帰ろうと思ったが、近づいてきた気配を察知して固まる。
「よく、私が来るとわかったな」
「………あなたは、私が軍にいた時から危険人物だと教え込まれていたから。でもあそこから逃げ出して正解だったわ。世の中にはあなたなんか目じゃないほど面白い人がいるんだもの」
「………桂木のことか」
「風間のこと、とも言えるわね」
その名前を出された時、千冬の中に何かが沈んだ。
「ラウラも中々面白い男に好かれたわね。同時にムカついたけど。何であんな妹だけじゃなくて私も引き取らなかったのか」
「……何だ、あの男に惚れたのか? だが止めておけ、あのような唯我独尊な奴を好くと苦労するぞ」
「それは篠ノ之束のこと? それとも、あなたが惚れた「風間剣嗣」という男の事かしら?」
途端に殺気がクロエを襲うが、クロエは笑顔を見せるだけだった。
「あなたは隠しているつもりだったけど、元主は普通に気付いていたわよ」
「なん……だと……!?」
「まさか気付いていないと思っていたの? 脳筋なのに?」
「言っておくが、貴様のその言葉一つ一つは失礼に値するからな?」
「知っているわ。その上で言っているもの。だってこうした方があの人に取り入りやすいでしょ?」
「……桂木を利用するつもりか?」
「永久就職先を見つける、と言ってほしいわね。あなたとは違って私にはその可能性があるもの」
勝ち誇るようにクロエが言うと、千冬のこめかみに筋が浮かび上がった。
このままでは怒りに身を任せそうになると察した千冬は話題を逸らす。
「……どうやら、本気で束を裏切ったようだな」
「じゃああなたは、其処にいても死ぬだけの未来に抗おうとしないの?」
クロエの言葉に千冬は言葉を詰まらせる。クロエはカフェラテを飲み干し、席を立ちあがった。
「じゃあ、これから私はパーティーに出席するから。……あなたもそろそろ身の振り方を考えておいた方が良いわよ。今の世界がISを妄信する以上、いずれどこかの国は消える」
そう言い残し、クロエは外に出る。そして、千冬とは違う別の誰かが近付いてくるの察した彼女は思わず笑みを浮かべた。