モモンガ様ひとり旅《完結》   作:日々あとむ

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ボス戦。
 


もっとも夜の長い日 後編

 

 

 王都に背を向けて、馬車を走らせる一団があった。

 鍛え抜かれた毛並みの良い馬達と、それらが引く豪奢な馬車。それが幾つも混沌と化した王都から出ようと道を走っている。

 彼らの目的地は――当然、自らの領土である。

 この馬車群の持ち主である者達は主に貴族派閥の貴族だが、その中には王派閥の者達も少し混じっていた。

 彼らの目的は、一刻も早く王都から脱出する事。あの炎の壁からひたすら離れる事だ。

 

 当然、それは即ち王都を見捨てて逃げる事と同意だが、彼らがそれを気にする事は無い。

 

 何故なら、恐ろしいから。

 王国は魔法詠唱者(マジック・キャスター)の地位が低い事からも分かるだろうが、基本的に自らの命をチップに魔物を退治する事が無い。王が国を纏められず貴族達に対する求心力を失っており、軍を自らの一存で動かせないためだ。貴族達はいかに自分が甘い蜜を吸うかが重要であり、命を懸けて国を守ろうという気概が無いのだ。そんな事をしなくとも平和である、平和であったという大前提があるのだから。

 勿論、それは彼らの単なる勘違いであり――実際の王国は既に沈みいく泥船でしかない。毎年ある帝国との小競り合いで税の回収率は下がり、明確な職業軍人という存在がほぼ無く徴兵で場当たり的な行動をしていたために戦争で民衆も減る。

 だが、貴族達にはその現実が見えない。それを対岸の火事程度にしか思っていない。それが決して対岸の火事などでは無い事を知る貴族は、数えるほどしか存在しない。

 そして、今ここに馬車を走らせ自らの領地へと帰り、その領地を守るべく行動しようとする貴族達もまた現実が見えていないのだ。

 この王都が滅びた時点で、もはや国として終わるという事に全く気づいていない。

 

 王都が――首都が滅びれば国力は異常に下がる。王族も共に滅びれば次の国王を巡って王族に連なる貴族達が争い合うだろう。そうして内紛が起こり、最後には民衆が耐えきれなくなって暴徒と化して暴れ出す。

 冒険者達もまた、暴徒と化すか他国に逃げるか――様々な未来が予測されるが、王国のために働く事だけは絶対に無い。

 

 だが、それでも彼らは王都に背を向けるのだ。この恐ろしい、地獄のような場所から一刻も早く逃げるために。

 

 勿論、彼らにも大義名分はある。この騒ぎが王都だけで起きているわけではないかもしれない。自分達の領土にも、魔物が襲ってきているかもしれない。ならば自らの領地を守ることこそ、その領地を任された者として行うべき義務なのだ、と。

 間違ってはいないだろう。あの騒ぎが王都だけで収まるとは誰も確定出来ないのだ。ならば彼らの言い分もまた正しい事を認めなければならない。

 

 だが、そこにどんな理由があろうと王都が沈めば――王族が滅べば、この国は遠からず亡ぶのだ。誰も彼も道連れに、滅亡へと転がり落ちていく。

 

 しかし、彼らはそんな事に気づきもしないで……一心不乱に王都に背を向けて走り出した。背後に、現実を置き去りにして。

 

 ――だが、彼らの言い分が正しい事もまた事実であるように、彼らが無事に生きて王都から出立する事もまた、不確定の未来である。

 

「まったく……さっさと騒ぎを鎮圧して欲しいものだ」

 

 とある馬車に乗る老人――アルチェル・ニズン・エイク・フォンドールは悪態をつきながら深く溜息をついた。

 アルチェルは貴族派閥に所属するある貴族の血縁であり、彼もまた貴族である。権力は貴族の中でも特に高いわけではないが、しかし大元の貴族の地位は高く、彼に対して高圧的に出るような貴族はあまりいない。

 彼は馬車に揺られながら、忌々しげに王都の方角を振り返る。おそらく、外にでも出ればあの炎の壁がここからでもはっきりと見えるだろう。

 

「冒険者どもも衛士どもも、しっかりと働けというのに」

 

 アルチェルは再び悪態をつく。あんな馬鹿げた事を仕出かすような者達の侵入を許すとは、まったく自分達貴族に対して敬意が足りない。そう憎しみを募らせ、王都を守る者達に罵声を内心で浴びせた。

 おそらく全ては王都だけで片付くだろうと勝手に楽観視しているアルチェルは、苛々しながらも心の底に恐怖を抱えて、早くこの王都から馬車が出ていくように祈った。

 

 だが、彼の怒りは最高値に達する事となる。外から馬の嘶きが聞こえ、馬車が立ち止まる気配がしたのだ。まだ王都は見えているというのに、あの炎の壁はまだこんなにも近い位置にあるというのに、そのような事を仕出かした御者に怒り狂い、アルチェルは馬車から怒鳴りつけた。その怒鳴り声に、同じ馬車に乗っていたアルチェルの使用人達が身を強張らせる。

 

「おい! 何をしている!? さっさと行かんか!!」

 

 だが返事は――しん、とした静寂だった。それに疑問を覚え、アルチェルは自分の世話をするのが役目である、使用人の一人に顎でしゃくって指示を出した。

 

「見てこい」

 

「かしこまりました」

 

 当然、使用人の返事は決まっていた。アルチェルの館にいる使用人は高位の貴族達と違って貴族の三男や女性では無い。単なる平民だ。故に、逆らうという選択肢はあり得ない。

 アルチェルはその従順な返事に満足して、しかし苛立たしい気持ちは忘れられず使用人を馬車から追い払うように外へ出した。

 

「――――」

 

 静寂。話し声も聞こえない。外では何が起こっているのか、アルチェルはさっぱり分からない。ただ、自分の思い通りにうまくいかない現実にイラつき、周囲に当たり散らす寸前だ。

 

「おい!? さっさとしろ!」

 

 もう一度、馬車の外にも聞こえるほどの大声を張り上げる。しかしアルチェルに返るのは静寂のみで、御者の声も先程送り出した使用人の声も聞こえない。

 

「…………」

 

 そのあまりの異様さに、さしものアルチェルも押し黙り、他の使用人達の顔を見た。使用人達も主人であるアルチェルの顔を真っ青な顔色で見ている。

 何か、外で異様な事が起こっている。この場の全員がそう理解したためだ。

 

「…………」

 

 はあー。はあー。

 全員の息遣いが馬車内に響く。誰も何も言わないために、ただ呼吸する音だけが響いているのだ。

 しかし、アルチェル達は気づいた。自分達の他にも、何か奇妙な息遣いが聞こえている音を。

 

 シュー……シュー……ッ。

 

「…………」

 

 何かの呼吸音。明らかに自分達では無い。それに気づいたと同時に、砂利を踏みしめるような音も聞こえる。まるで小さな地震が起きたかのごとく、その踏みしめる音とともに馬車が揺れた。

 

「…………」

 

 何か巨大な生き物が、馬車の周りをうろついている。アルチェルはそう確信し、恐怖で身を凍りつかせた。

 

(兵士達は……何をしているのだ!!)

 

 アルチェルは恐怖に身を震わせながらも、罵倒する事を忘れない。ここにいるのはアルチェルの馬車だけではないのだ。他に馬車は幾つもあり、そのほとんどに貴族が乗っている。そして当然、彼らの私兵もまた周囲を警戒しながら馬を走らせていたはずだ。

 だというのに、何か魔物としか言いようのない巨大な生き物が、アルチェルの馬車の周囲をうろついている。これは職務怠慢である。高い金を払って雇っているのだから、命を懸けてアルチェル達貴族を守るべきなのだ。

 

(はやく……助けにこんか!!)

 

 そう身を震わせながら、内心で罵倒を浴びせ続ける。決して馬車から出る事は無い。そのような恐ろしい事は出来ない。

 だからアルチェルは助けが来る事を信じ――いや、盲信し、ひたすらに馬車の周囲を歩き回る魔物が去る事を祈った。

 

 もっとも、彼の祈りが天に届く事は無かったが。

 

「――――!!」

 

 アルチェルの馬車だけではない。その場にある数多の馬車から、人間達の絶叫が響き渡った。

 

 

 

「――終わったか? クアイエッセ」

 

「ええ。終わりました隊長」

 

 彼の言葉に、優しげな風貌の男が頷く。

 

「では、マンティコア達を回収し、周囲を再びクリムゾンオウルなどで警戒しろ。討ち漏らしが無いようにな」

 

 その言葉と共に男――クアイエッセと呼ばれた隊員が頷き、貴族達の馬車を強襲した複数のマンティコア達がこの場から消えていく。召喚の逆――送還術である。マンティコアの巨体は目立つため、わざわざ送還しないとならないが、クアイエッセの能力ならばまだ幾体も召喚出来るし、奥の手のギガントバジリスクもいるため問題は無い。

 それに、そのクアイエッセでもはっきり言えば今回にかぎり人間狩り以外に使用する方法が無かったためだ。

 

 漆黒聖典は現在、王都から逃げ出す貴族達を殲滅するために王都を出ている。どういうわけか悪魔達は周囲に警戒網を敷いていなかったが、少し考えればそれは分かった。

 きっと、舐めているのだ。理由は分かる。誰だって王国を少しでも探ればわざわざそのような手間暇をかけようとは思わないだろう。正直に言えば、むしろ貴族達には逃げて欲しかったのかもしれなかった。貴族達の腐敗ぶりを見ればむしろ嘲笑して利用しようとさえ思えたかもしれない。

 王都の外に悪魔達はいない。彼らは安全に逃げられただろう。それが王国を更に腐敗させるとは気づかずに。

 

 だが、人類の存続的な意味でそれをさせるわけにはいかない。どのような形にせよ、王国は滅んでもらう。それが法国の決定だ。

 

「しかし、隊長。本当に我々はここで貴族達を殺すだけでよいのですか? 王都の方であの御方の御手伝いをしなくとも――」

 

 クアイエッセは不安そうな表情で彼に訊ねる。クアイエッセは信心深い男で、六大神の一柱である死の神スルシャーナを信仰している。まあ、漆黒聖典の中にスルシャーナ信仰で無い者は一応いないのだが、クアイエッセの信仰心はその中でも群を抜いていた。漆黒聖典の中で、クアイエッセほどスルシャーナを信仰している者はいないだろう。

 そんなクアイエッセだからこそ、スルシャーナとそっくりであり、かつ人々を確かに救い歩いていたアインズに対して、不義理な真似をしたくないのだろう。スルシャーナへの信仰が、そのままアインズに対する信仰に結びつきかけているのだ。

 何故なら、法国にとってプレイヤーとは、神と同義語なのだから。それも漆黒聖典が束になっても勝てないであろう難度三〇〇などと馬鹿げた数字がアインズの強さだと思えば、神と結びつけるなとは無茶である。

 

「……ふん」

 

 そんなクアイエッセの――自らの兄の様子にクレマンティーヌはそっぽを向いている。この兄妹の関係は複雑であり、あまり深く入り込みたくはない。少なくともクアイエッセは悪くないし、クレマンティーヌも悪くは無い。誰が悪いかと言えば、それはこの二人の両親であろうから。よくもまあ、あの両親からこのような優秀な兄妹が生まれたと、六色聖典の者や上位の神官達はそれが共通認識であるほどに。

 

「難度一五〇を超える魔物が蔓延っているんだぞ? 俺はともかく、お前達では無理だ」

 

 彼の言葉に、クアイエッセは顔を伏せる。実際、王都から次第に強力な魔物の影がぽつぽつと増え始め、彼らとて急いで王都から脱出した口だ。隊長である彼や、今はここにいない番外位ならばともかく、他の隊員達では相手にならない。生まれながらの異能(タレント)を使えば相性がいい相手になら勝てるかもしれないが、それでも一体二体が相手ならばともかく、十も二十もいれば勝てるはずが無い。

 

(番外席次を連れてきていれば――いや、それだとあの竜王(ドラゴンロード)と鉢合わせる。むしろ来ていないで助かったか)

 

 番外席次とツアーは会わせてはならない。そう神官長達に口を酸っぱくして言われるほどに、彼女は極秘の存在である。彼女は留守を任されて残念がっていたが、アインズがツアーと顔を知り合わせておりしかもこの場にいた事を考えると、紙一重と言わざるを得ない。

 

「……まあ、王都に現れる平均難度の魔物達を見るかぎり、十中八九王都は計画通りの事態になるだろう。ここにいれば巻き込まれる。クリムゾンオウル達はそのまま貴族達の生き残りがいないか捜索させ、我々はもう少し王都から離れるぞ。あの竜王(ドラゴンロード)の魔法に巻き込まれては敵わん」

 

「はっ!」

 

 隊員達とクレマンティーヌが頷き、粗方の貴族を処理し終えたために撤収準備を始める。彼はそんな隊員達に続きながら、ふと王都の方を見つめた。相変わらず、炎の壁が揺らめいており、まるでオーロラのように幻想的に見える。

 しかし、そんな幻想的な気分になれるのは遠くから見ているからであろう。王都の中にいる者達にとっては、あれはまさに地獄の炎だ。

 

「…………」

 

 彼は少しだけ、王都の住民達に……いや、王国の民衆達に同情を覚える。しかし、これもまた彼ら全員で築き上げてきた結果なのだ。

 王国の者達は誰も彼もが無関係ではいられない。民衆を食い物にする貴族達は悪いし、そんな貴族達を御しきれない王族もまた悪い。だが、民衆達もまた悪いのだ。どうしようもない高貴なる者達を目を逸らして受け入れ続けてきた。そんなに苦痛ならば、革命でも起こせばいい。当然、その後に待っているのは血の惨劇だが、それでも人間としての尊厳だけは守れただろうに。

 

 ……たとえ、こうして悪魔達に襲われなくても、王国はじきに崩壊した。滅び方は多種多様だろうが、結末だけは決まっている。法国は、それをもう少しまともな結末に――マシな滅び方にしようとしたにすぎない。

 アインズが勝てる相手であり、王都が無事であったとしても意味など無い。ツアーの魔法に消し飛ばされなくとも、彼らの末路は決まっている。

 だから、ここで理不尽に悪魔諸共消し飛ばされようと受け入れろ。少なくとも、悪魔達に拉致されるよりはまともな、意義ある死に方が出来るから。

 

 王国は、王族も貴族も民衆も一丸となって、この絶望にこぎ着けた。

 これは、それだけの話にすぎないのだ。

 

 彼は王国から目を逸らす。法国に帰還した後、やる事などを考える。問題は山積みだ。

 しかしプレイヤーの協力もあるし、少しは人類の状況も好転するだろう。ピンチの後にはチャンスがあるものだ。この悪魔達とて、ここまで乱暴に補給しようとするならば、つまりは“ここで補給しなければまずい”という意味と同義である。ここで補給を絶たれれば、悪魔達とてまずい事態に発展するのだろう。

 そう――悪魔達は今弱っている。ここで補給を絶たれれば、彼らは更に弱るだろう。本来ならば――たとえ漆黒聖典が相手であろうと勝ち目があった勝負だが、悪魔達は運が悪かった。アインズとツアーが揃っている時に、物資の補給目的で市街戦を仕掛けるとは、都市ごと吹き飛ばしてくれと言っているようなものだ。

 

 漆黒聖典は王都からある程度距離を取り、ツアーが間違いなく範囲外であると言っていた距離からも更に距離を取って、アインズからの〈伝言(メッセージ)〉を待った。

 

 

 

 

 

 

 冒険者達が出来るかぎり声をかけ、王城内へと王都の民衆が集まり、その時点で作戦は開始された。

 アインズとツアーはハムスケを連れて、既に炎の壁へ突入している。残った兵士とミスリル級から下位の冒険者達は兵士達と共に王族と民衆のいる王城の守りに入っていた。

 そして四つのオリハルコン級冒険者チームと、『蒼の薔薇』は炎の壁の外の王都内を巡回している。おそらくいるであろう別動隊――あるいは本隊か――それを排除するためだ。

 

「……ごめんなさいね、ラナー」

 

 ラキュースはぽつりと親友に向けて謝罪する。ラキュースは何度も、ラナーにこの城に残るように頼まれた。しかし、ラキュースはそれに首を縦に振る事が出来なかった。

 主犯は難度一八〇を超えるとアインズは言っていたのを思い出す。おそらく、この炎の壁の外にいる別動隊の指揮者もその程度の難度はあるだろう、とも。

 オリハルコン級冒険者チームにはその真実は伝えていない。何故なら、彼らの本当の役目は魔物の退治ではないからだ。

 ……そう、こうして王城から出るという事はそれを意味する。彼らの役目とは――その別動隊を少しでも消費させ、アインズが合流した際に有利に進めるためなのだ。

 

「…………」

 

 暗い顔で、ラキュースはアインズから渡されたアイテムを思い出す。何の変哲も無さそうな小さな木の像。いや、あれは真実何の能力も無い単なる木の像だ。アインズは位置を交換出来るアイテムだと言っていたが、それが嘘である事は『蒼の薔薇』もおそらくあの仮面の男も分かっている。――何せ、代わる意味が無い。

 イビルアイが言っていたが、確かにあの仮面の男は強いらしい。イビルアイ曰く、気配で自分より強いと分かるほどに濃厚だと。ラキュースは分からなかったが、あるいは強さに差があり過ぎてラキュースには分からなかったのかも知れない。何故なら強さというのは、互いにある程度拮抗しなければ分からないものなのだ。強い者ほど相手の強さに敏感だと言われるのはそのためである。

 そんな仮面の男と位置を入れ替える。もしそれが本当なら確かに安心出来るだろう。しかし追い詰められたこの状況で、それは悪手でしかない。

 敵陣営の強さが正確に分からない以上、いきなり最強戦力を当てるのは間違ってはいないが危険過ぎる。向こうが消耗する事を嫌っているというのなら、尚更悪魔達を消耗させなくてはならない。

 

 そう――――自分達の役目とは、悪魔達を少しでも消耗させるための、単なる生贄に過ぎないのだ。その後の展開を有利に進めるためだけに用意された、ただの消費アイテム。それが彼女達の役割に他ならない。

 

「――ごめんなさい、ラナー。これは、理屈じゃないの」

 

 アインズに「死ね」と言外に告げられて送り出されたが、しかしたとえアインズがそう言わずともラキュースは仲間達とともに王都を走り回っただろう。

 ラキュースは王都が好きだ。確かに、この国は腐っているし、貴族も腐っている。

 それでもラキュースは、王都を愛している。見捨てたくないと強く思う。王都を守りたいとそう思うのだ。

 

 ……本当は、今にも逃げ出したいとそう思っている。きっと、他の皆もそんなラキュースを肯定してくれるだろう。たとえここで王都を見捨てたところで、きっと誰も文句なんて言わない。

 それでもラキュースはその本心に蓋をして、ここに残りたいと思った。王都を、王国を守りたいと強く思ったのだ。嫌っているはずなのに、こんな狭苦しいところが嫌だから、輝かしい英雄達の冒険に心躍らされて貴族を捨てて冒険者になったはずなのに。

 

 それでもラキュースは、この国を守りたいと強く思う。

 

(私に……愛国心なんてあったなんて、ね)

 

 心の中でそんな自分に苦笑して、ラキュースは『蒼の薔薇』を連れて慎重に王都内を歩き回る。まず最初に向かうべきは魔術師組合だ。あそこには王都内のマジックアイテムのほとんどがあるので、物資の補給をしたいという悪魔達にとっても宝の山だろう。魔術師組合にはゴーレムも幾つか存在するため、残されたゴーレム達が奮闘してまだ陥落していない可能性もあった。

 

 しかし、そんなラキュース達の希望は打ち砕かれる。魔術師組合に辿り着いた時、そこは既に火が燃え上がっており、破壊され尽くされたゴーレム達の残骸があった。

 

「……やっぱ、そううまくはいかねぇか」

 

 ガガーランがポツリと呟く。少しだけ期待していただけに、落胆を隠せない。他の皆も同様だろう。

 

「仕方あるまい。しかし、これでゴウン様の言う難度に信憑性が出てきたな。幾ら徒党を組んでいたとしても、悪魔達が精神支配の効かず強固なゴーレム達を相手にここまで蹂躙出来るとは……」

 

「……そうね」

 

 それが意味する事はつまり、自分達の任務の致死率が明確に跳ね上がったという事だ。今まで心の奥底でどこか対岸の火事めいた感情を持っていたが、ここで一気に現実に引き戻された。

 もしかしたら、本当に――相手は、難度一五〇を超えるイビルアイと同格かそれ以上の怪物かもしれない。

 

「……行こう。もうここにいても意味無い」

 

「……同感」

 

 ティアとティナの言葉に、全員で頷いて魔術師組合から歩き去ろうとする。しかし、そうして踵を返した瞬間、背後の魔術師組合から聞こえてきた声に思わず全員振り返った。

 

「――――」

 

 何か、ぼそぼそとした声が聞こえる。燃え上がっている炎のおかげで、よく音が聞き取れない。

 だが、そんな心配もすぐに必要無くなった。魔術師組合の中から、二つの人影がゆらりと出てきたからだ。

 

「――エントマ、そっちもちゃんと全部回収出来たの?」

 

「ん。大丈夫だよぉソリュシャン。ちゃんと全部のアイテムは回収したよぉ」

 

「――――え?」

 

 出てきた人影は、場違いなメイド服を着ていた。デザインは全く違うが、単なる使用人の服であるはずのその質は、両者とも異常なほどに高い。

 だが、それ以上に目を引くのがその美貌だ。二人が二人とも、異常なほどの美貌を持ち合わせている。おそらく、その美貌のほどはあのラナーにさえ匹敵――いや、もしかすると負けてしまうかもしれない。

 しかし、それでもラキュース達は彼女達を決して美しい存在だとは思わなかった。片方はどこか薄気味悪い笑みを浮かべているし、もう片方は異常なほど表情が変わらない。

 そして何よりも――この女達は、平然と燃え盛る魔術師組合の中から現れた。

 

「……悪魔どもの仲間か」

 

 イビルアイがポツリと呟く。そして、〈伝言(メッセージ)〉でこっそりとラキュース達に彼女はこのメイド達の肌で感じ取った強さを伝えた。そして、伝えられた内容にラキュースは思わず笑いそうになる。

 

 何故なら、このメイドの二人が二人とも、イビルアイと同格だと思われると言うのだから。

 

「――ったく、厳しい戦いになりそうだぜ」

 

「……そうね」

 

 ガガーランの言葉に、ラキュースも頷いた。当たり前だ。イビルアイと同格だと言うならば難度一五〇はあるだろう。それが二人。しかもメイド服――使用人の服を着ているというのだから、悪夢としか言いようがない。

 これがたった一人がメイド服を着て現れたと言うのなら、単なる趣味かと疑う事も出来た。しかし二人で雑務を終えたような会話をして現れたのだから、つまりこの二人は文字通りメイドという役柄なのだろう。

 

 難度一五〇の化け物がメイド。その悪夢みたいな現実に、心の底から笑い声を上げたかった。

 

「……んー? 何だか人間がいるねぇ。あれも回収しなきゃだめだよねぇソリュシャン?」

 

 表情の変わらない方――確かエントマと呼ばれていたメイドが、薄気味悪い笑みを浮かべるメイド――ソリュシャンにラキュース達を見ながら訊ねている。ソリュシャンはエントマに、柔らかい声色で答えていた。

 

「当然でしょう? 王都の全ては、残らず持ち帰らなくてはならないと命令されたでしょう?」

 

「そうだねぇ。じゃあ……捕獲しよっかぁ」

 

 ソリュシャンの言葉に、エントマが相変わらず表情を変えずに……けれど声色は笑い声のような高い声で頷くと、エントマの体から何か異様なものが溢れ出した。それの正体を見て、ラキュースは血の気が引く。いや、ラキュースだけではなく他の者達もそれを見て思わず後退りしそうになった。

 

 エントマの服の隙間から、蟲達が蟻の群れのように溢れ出してきたのである。形状的には蜘蛛や百足、ダンゴ虫にも見えた。

 しかしそのサイズが違う。形状のおぞましさが違う。明らかに、その蟲達は魔物の類だ。人の血肉を貪って生きるおぞましい魔物達だ。

 そんなものを何十匹も自分の体から召喚してきたエントマに、ラキュース達はあまりの気色悪さに言葉を失った。

 

「エントマ、あの仮面の女は私達と同じレベルだわ。協力して倒しましょう」

 

 ソリュシャンがイビルアイを見据えて、薄気味悪い笑みを変わらず浮かべながら告げる。レベルという単語の意味はよく分からなかったが、おそらく自分達でいうところの難度と似たようなものだというニュアンスは受け取った。そしてラキュースは舌打ちをしたくなる。

 

(こちらの強さを正確に測ってくるということは……盗賊系かしら? あちらは蟲を召喚するからたぶん魔法詠唱者(マジック・キャスター)よね?)

 

 先程の会話からそう判断する。勿論、間違っている可能性もあるため断定は出来ない。

 しかし問題なのは、先程のメイド達の会話だ。人間でない事は明白なのに、あの二人は個々で戦って自分達を潰そうとするのではなく、チームで戦おうとしている。ラキュースが舌打ちしたいのはそこだった。

 

 魔物が徒党を組んで人間を殺そうとする事はある。しかし、それでも各々チーム戦と言うほどではなく力任せに押し潰そうとしているだけだ。

 だが、あのメイド達にその気配は無い。あのメイド達の間にあるのは同じ仲間としての意識――個ではなく群としての気配だ。

 『蒼の薔薇』結成以来の――リグリットと協力してイビルアイと戦った時以上の激戦の気配を察し、全員が息を呑む。

 そしてイビルアイが二人のメイドを見ながら、吐き捨てるように呟いた。

 

「ふん。化け物どもにメイド服を着せているとは……何かの冗談か? こんな化け物どもにそんなものを着せても誰も喜ぶ奴なんぞおらんだろうに」

 

「――――あ?」

 

 その瞬間、空気が凍った。イビルアイの言葉と同時に、メイド達のどこか遊びが漂っていた気配が霧散して、極寒のような寒気と業火のような憤怒の気配がイビルアイへと叩き込まれるのがラキュースにも分かった。

 

「ナンダト、キサマァ……!!」

 

 エントマから、硬質で酷く聴き取り辛い声が響く。しかし、相変わらず表情は変わらない。だが表情は変わらずとも、発せられる気配がエントマの感情をこちらに教えていた。

 

「私達を見ても、喜ぶ者がいないですって?」

 

 ソリュシャンもまた、薄気味悪い笑みを引っ込めて激怒に顔を歪めている。まるで――そう、まるで何かのトラウマを抉ってしまったかのように、メイド達はイビルアイの言葉に激怒していた。

 

(……これで、何とかなるかしら?)

 

 イビルアイに殺意が集中している状況は、今ははっきり言って嬉しい。イビルアイだけがこの二人のメイドと同格の強さを持つのだから、イビルアイならばこの二人の猛攻に耐えられる。イビルアイが脱落すればそれはつまり即座にこちらが叩き潰されるという事を意味しているが、それでも別の――特に蘇生魔法や支援系魔法を使用出来るラキュースが狙われて即座に落とされれば目も当てられないほど戦線が崩壊してしまうだろう。それを思えば、イビルアイに負担をかけてしまう事になるが好ましい状況だった。イビルアイもわざと怒らせるような事を言ったのだろう。

 

「コロシテヤルゥ!!」

 

「不快な女……全身を溶かして、原型が分からなくしてあげる」

 

 そして、激戦が始まった。ラキュース達にとっては命懸けの、けれど戦場全体で見ればちっぽけな戦いが。

 

 

 

 ――これはラキュース達は知らない事であるが、イビルアイの言葉はおそらくエントマやソリュシャン以外の者に言っても、彼女らと同じように激怒されただろう。楽には殺してもらえないほどに。下手をすれば蘇生させられて、何度も何度も繰り返し殺されるほどに。

 それはセバスやユリ、ペストーニャなどの属性が善に傾いている者達であろうと同様だ。それほどまでに、イビルアイの言葉は彼女達の心を抉った。

 

 ――お前達を見ても、喜ぶような奴はいない。

 

 至高の四十一人を失ってしまったナザリック地下大墳墓の者達にとって、この言葉は禁句であったのだから――――。

 

 ……ラキュース達は奮闘するだろう。互いに未だ気づいていないが、イビルアイはエントマに対して特効魔法を持っている。その魔法を使えばエントマを消耗少なく倒す事が可能であろうし、そもそもエントマもソリュシャンも戦闘メイド(プレアデス)という役割を持つが本当に戦闘に特化しているわけではない。彼女達の創造主達は、本当の意味で戦闘特化の者を制作したわけでは無いのだ。

 だから勝ち目だって十分存在する。激闘ではあるが、勝利を収められる確率は決してゼロではない。

 

 ……もっとも、ソリュシャンもエントマもお互い〈伝言(メッセージ)〉の魔法を使用する方法を持っているし、この王都内にはそんな二人のメイドを息を吹きかけて倒す紙人形のように扱える化け物が幾体もいたのだが。

 

 ラキュース達はきっと奮闘する。エントマもソリュシャンも苦戦するだろう。死の危険を感知するほどに。

 それでも、ラキュース達が生きてこの場から去る事が出来る未来だけは絶対に存在しない。

 

 『蒼の薔薇』の前には、いつか鮮血の戦乙女が姿を現すだろう。憤怒と憎悪の感情を宿しながら。

 

 

 

 

 

 

 アインズはツアーと二人、不可視化の魔法を使いながら炎の壁を突破して倉庫街を歩いていた。

 ……ハムスケは既にこの場にいない。足手纏いにしかならないハムスケは既に王都の外に退避させてある。

 だからアインズは、ツアーと二人で倉庫街を歩いていた。

 

「……訊いておきたかったのだが」

 

「うん?」

 

 アインズは口を開く。とは言っても、当然通常の会話方法では無い。二人は互いに姿を隠しているのだから、倉庫街を闊歩している悪魔達に気取られるような真似は極力避けていた。

 しかし不可視化の魔法を使用してもアインズの視覚にそれは通用しないのでツアーが見えているし、ツアーもまた超知覚能力で姿の見えないアインズの気配を察している。

 不可視化と会話以外のための他の魔法は使用していない。今頼るのはツアーの超感覚だけだ。

 そんな中で、アインズはツアーに訊ねた。

 

「俺と遭遇したあの時、随分とピリピリしていたようだが何かあったのか?」

 

 アインズとしてはそこが疑問だった。今のツアーはアインズが遭遇した時と同じだが、王都で偶然遭遇した時は随分とのんびりとした様子だった。おそらく、そちらがツアーの常態のはずだ。……という事は、ツアーはアインズと遭遇した時何か殺意さえ伴うほどの緊張感を持っていた事になる。

 アインズの質問にツアーは気まずげに答えた。

 

「ああ……あの時かい? あの時はその……漆黒聖典を追っていたんだよ」

 

「漆黒聖典を?」

 

「そうさ。彼らは私達評議国の者からすれば敵だからね。――法国が人類以外の存在を排除しているのは知っているかい?」

 

「いや……俺は法国については正直、プレイヤーが六〇〇年前に作った国だという事と、六色聖典の名前くらいしか知らん。一番詳しいのが陽光聖典のことじゃないか?」

 

 ニグンという男と、その部下達をアインズは思い出す。あの時のアインズはこの世界の知識と常識を求めていたので、法国の詳細についてはそれほど質問していなかった。……質問内容が一人三つしか訊けなかったし、最初により多くの事を知っているだろうと思って隊長のニグンに訊いたのもまずかった。そして復活魔法を使用した時どうなるのか予測出来なかった事もあったので、彼らから情報を集める事については早々に諦めてしまったのだ。

 ……今となっては、漆黒聖典の事について詳細を訊ねるべきだったと思うが。

 

「そう。なら法国については注意しておいた方がいい。人類を守るためでもあるのだろうけど、あの国は人類存続のためならそれこそ何でもするような国になってしまったからね」

 

 昔は――そうじゃなかったんだけど。ツアーはそう少しだけ寂しそうに呟き、アインズに注意する。仮面の下の素顔をアインズは思い出し、ツアーの言葉を胸に刻む。アンデッドであるアインズにはその警報が、他人事では無かったために。

 

「そうか。……それで、あの時は漆黒聖典を追っていたのは分かったが、何のために追っていたんだ?」

 

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が復活するからそれを退治するため、だったらしいけど。なんて言ったかな? えぇっと……わーる? わーど? 六大神の遺した特殊なアイテムまで持ち出していたから、気になって尾行していたんだ。向こうは気づいていなかったけどね」

 

「わーる。わーど……」

 

 ツアーの首を捻って思い出そうとする言葉に、アインズはふと察して無いはずの血の気が引いていく。

 

「おい……世界級(ワールド)アイテムじゃないのか?」

 

「あぁ、それだ! うん、そんな名前のアイテムだったと思うよ。彼らがそれを持ち出して出陣したものだから、私は気になって尾行したんだ」

 

「――――」

 

 アインズは法国に対する警戒心を最大限まで引き上げた。当然だ。まさか世界級(ワールド)アイテムを保有しているとは、アインズも思わなかったのである。

 

(漆黒聖典の連中に漂っていた余裕の正体は、それか……!)

 

 世界級(ワールド)を持っていれば、それは余裕も見せるだろう。何故なら、世界級(ワールド)アイテムは世界級(ワールド)でしか無効化出来ない。幸い、アインズは既に二つも身に着けているため世界級(ワールド)アイテムの効果を無効化出来るが、それでもなお恐ろしさを感じる。

 

「……それで、連中は世界級(ワールド)アイテムまで持ち出したんだろう? どうなったんだ?」

 

「うーん。私は途中で君と遭遇してしまったから、あの後の彼らがどうなったのか詳細は分からないね。ただ、国に普通に帰ってきたみたいだけど」

 

「? それは、つまりその竜王(ドラゴンロード)には遭遇しなかったということか?」

 

「たぶんそうなんじゃないかな?」

 

 ツアーもよく分かっていないらしく、自信が無さそうだ。アインズはこれ以上の漆黒聖典の追及は無意味とした。

 

 ……ちなみに破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の正体はトブの大森林にいたとあるトレントが、似た伝承を持っていたのだが幸か不幸かお互いそれについては気づかなかった。

 

「――っと、強いのが引っかかったよアインズ」

 

「……そうか」

 

 それで、互いに足を止める。今まで見たのはレベル四〇以下の下位悪魔達だ。その程度のレベルではアインズの不可視化の魔法は見破れないため、二人とも安心していた。ただ、アインズはツアーに漆黒聖典の隊長以外の隊員達より強い気配の者を察知した時はアインズに教えるように言い含めておいたのだ。その場合は、アインズの不可視化を見破る可能性が高い。

 

「どこだ?」

 

「ここから大体一キロ近く前方だね。その辺りに……漆黒聖典の隊長より強い気配がある。しかも二つ」

 

「…………」

 

 つまり、ほぼ相手の強さがレベル一〇〇で確定した。同時に、プレイヤーの数が二人だという以上王都を丸ごと消し飛ばす未来も確定したと言っていい。アインズは脳裏にガゼフやブレインの姿を思い起こし――それを頭を振って掻き消した。

 そして、ふと気づく。ツアーもまた、アインズと似たような気配を発していたのを。

 

「……したくないんならやめたらどうだ? 俺はもはや人間じゃないからな。やりたくない、と言うのならやめればいいだろう」

 

 俺は気にしない、アインズはそう告げるが、ツアーは首を横に振った。

 

「いや……これだけのことを向こうがした以上、人類がどうたらとか言っているわけにいかないだろう。ここで彼らの目的を邪魔しなくては、私の国も危うい可能性が高い。それを考えれば、ここで何もしないなんてのはあり得ないよ」

 

 たとえ、その結果友人であるリグリットとイビルアイが死んだとしても。

 アーグランド評議国の永久評議員の一匹であるツアーは、決してその判断を見誤るわけにはいかないのだ。

 

 ツアーのその覚悟を感じ取り、アインズもまた無言になった。

 

「……さて、では最後の希望を託して俺が知っている奴か確認でもするかな」

 

 アインズはそう言うと、アイテムボックスから幾つもの巻物(スクロール)や課金アイテムなどを取り出す。ツアーが見守る中、アインズはマジックアイテムを駆使して幾つもの魔法を唱えていく。そしてツアーが察知したという二つの気配を、アインズはついに視界に入れたのだ。

 

 

 

 ――――最初に思ったのは、何故、という疑問だった。

 

 

 

「――――」

 

 あまりのあり得なさに、アインズは視界に入ったその二体の魔物の姿に絶句した。

 

 おかしい。

 あり得ないだろ。

 何故だ。

 あり得ない。

 あり得ない。

 あり得ない。

 

 アインズの頭の中で、錯乱したように同じような疑問の言葉が浮かんでは消える。精神を抑制させる特殊技術(スキル)は働いているが、それでもなおアインズの精神を落ち着ける事は出来なかった。

 

 だって、どう考えてもおかしい。

 どうしてこの二人が、自分の視界に入るのか分からない。

 

 ……様子がおかしいアインズを見て、ツアーは首を傾げながら訊ねる。

 

「どうしたんだい? ……知り合いだったのかい?」

 

「……なあ、一つ訊きたいんだが」

 

 ツアーの言葉に数瞬沈黙し、アインズは声を震わせながら意を決して訊ねる。

 

「ギルド拠点ごとユグドラシルから来たプレイヤーがいる、と言っていたな? ――――NPCはギルドから出られるのか?」

 

「――――」

 

 アインズの言葉にツアーは少し考え……

 

「――どういう意味か私には分からないけれど、知っている事を言おう。えぬぴーしーはギルドから出られるよ」

 

 少なくとも六大神や八欲王達はそうだったと、ツアーはそう語った。

 

「十三英雄の物語を知っているかな? 彼らの英雄譚は魔神と戦うものだけれど、あの魔神の正体は六大神達のえぬぴーしーさ。色々あって、ぷれいやーを失った彼らは人類と敵対するようになってしまったんだよ」

 

「――――」

 

 ツアーの言葉にアインズはふらりとよろめく。頭の中では相変わらずひたすら“わからない”という感情が渦巻き走っているが、必死になって精神を落ち着かせて考える。

 ツアーの言葉から導き出される答えは、一つしかなかった。

 

「――ねえ、その様子だと君の知っているギルドだったんだろう? ぷれいやーとの交渉は可能そうかい?」

 

「馬鹿な! プレイヤーなどいるはずが無い!!」

 

 ツアーの言葉に、アインズは思わず叫ぶ。

 

 だって、あの『ユグドラシル』のサービス終了時――――ログインしていたのは自分だけだった。

 最後に来てくれたのはほんの数人のみで、その数人でさえサービス終了時間までログインしたままでは無かった。

 間違いなく、あのギルド最後のプレイヤーは自分だった。そして少なくとも、あのサービス終了時ナザリック地下大墳墓にいたのはアインズ――モモンガ一人だったはずだ。

 

 だからあり得ない。『アインズ・ウール・ゴウン』がナザリック地下大墳墓にいるはずがない。

 なのに――何故だ。

 彼らは――NPC達は意思を目覚めさせ、自分から行動し始めたというのか。

 

 考えられる可能性は、もうその一つしかなかった。

 

「――――」

 

 アインズのただならぬ様子に、ツアーは何かを察したようだった。あるいは、アインズの姿がかつての誰かと重なったのか。

 

「……アインズ。行こう」

 

「…………」

 

「詳しい話は私には分からない。けれど、このまま流していいはずがない。君は、彼らと対話するべきだ。そうだろう?」

 

 ツアーの言葉に、アインズは幾分か理性を取り戻す。そして気づいた。ツアーは、敵ギルドとアインズの関係性を察している。

 それも当然だろう。ツアーほど長く、そして深くプレイヤーと接した者はこの異世界にはいない。おそらくこの異世界でもっともユグドラシルプレイヤーに詳しいのが、このツアーだ。

 だからツアーは……アインズに語りかけるのだ。

 

「君は知らなくてはならない。彼らが、魔神と化した経緯を」

 

「ああ――そうだな」

 

 ツアーの言葉に、アインズは力なく頷く。そう、このままツアーの魔法で消し飛ばしていいはずがない。

 聞かなくては。彼らの言い分を。ギルドには誰かいるのか。あるいは、本当に彼ら自身で動き始めたのか。どうしてこのような事をするのか。

 

 アインズは――モモンガは、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長として、彼らを問い質さなくてはならない。

 

「じゃあ、行こうモモンガ」

 

「――――ツアー」

 

 モモンガを促したツアーは、モモンガに名前を呼ばれて首を傾げる。そんな彼にモモンガは頭を下げた。

 

「すまない。恩に着る」

 

「……別にいいさ。それでどうやって接触するかい?」

 

 モモンガの感謝の言葉にツアーは感情を隠すように話を変える。モモンガはツアーの言葉に思考を巡らせた。

 

 まず、普通に接触するわけにはいかない。

 

 何故なら今から相手取るのはナザリック地下大墳墓一の知恵者だ。彼と会話した時、『モモンガ』では言いくるめられる可能性が高い。相手に気づかれず、本心を探る方法がいる。モモンガは自分なりに考え付く可能性を考慮して――結論を下した。

 

「そうだな。ツアー、頼みがあるのだが……」

 

 

 

 

 

 

 その二人は、倉庫街にある広場の中央に待ち構えるように立っていた。

 

 一人はスーツ姿の、眼鏡をかけた男。一見すると単なる人間にしか思えないが、それが全く別の生き物である事を銀色の一本の尾が表している。

 もう一人は四つの腕にライトブルーの巨大な体躯。二足歩行の昆虫としか言えない姿をしている。

 

 彼らはたった二人で、侵入者達を待っていた。

 

「――――ようこそおいでくださいました」

 

 悪魔が訪れた二人を見て口を開く。口元は皮肉げに歪んでおり、表情は嘲笑っていた。その姿はまさに悪魔。

 

「こちらに来られたのはお二人だけのようですね。私の読みが当たって実に結構」

 

「――読み?」

 

 ツアーが首を傾げて訊ねる。その言葉に悪魔は出来の悪い教え子に物を教えるように優しく語った。

 

「ええ。ラナー王女、でしたか。あの女ならば私の案を読み切るだろう、と思っていましたから。こちらは囮で、本隊は外側。しかし分かっていても放っておくわけにはいかないのが道理。故に精鋭だけをこちらに送り込み、他の冒険者の皆さんは炎の壁の外側の王都内――といったところでしょう」

 

「――否定はしない。君達を片付けたなら、私達もすぐにあちらに向かう予定だ」

 

「なるほど」

 

 ツアーとの会話中に、悪魔の前に壁になるように昆虫――インセクトが移動する。

 ……あのインセクトは気づいている。ツアーが強い、という事を。そして探知阻害のマジックアイテムでそういった探知を一切封じるモモンガに対しても、あのインセクトは既にツアーのレベルからモモンガの強さを測っている。

 

 そしてそんなインセクトの様子に、悪魔もまた二人の強さを察していた。

 

「……しかし、まさか王国がお二人のような強者を囲っているとは思いませんでしたよ。やはり念には念を入れて、二人で待ち構えて正解でしたね」

 

 悪魔はそう言うと、インセクトが守り易いように立ち位置を微調整する。

 

「――では、やるか」

 

「――そうだね」

 

 モモンガはツアーに合図を送る。ツアーは頷くと、剣を抜いた。モモンガも剣を抜く(・・・・)

 そんな二人を悪魔とインセクトは警戒し――ツアーとモモンガは前へ突進した。インセクトが手に持つ幾つもの武器を構え、待ち構える。おそらくは何らかの特殊技術(スキル)を使う気だろう。その背後で悪魔が何か魔法を唱えようとしていた。

 

 それを確認しながらモモンガはわざとツアーより速度を落とす。今の状態ではツアーよりモモンガの方が身体能力が高い。そのため、モモンガはわざと速度を鈍らせなくてはならない。

 しかし速度を緩めたとして、そこに響く音は強烈な破裂音だ。ここに第三者がいれば、まるで音の壁を突破したような爆音が聞こえただろう。

 

「――――」

 

 モモンガより前に出たツアーが剣をインセクトに向かって振り被る。インセクトはモモンガの方を気にしながらもそれを迎撃しようとし、インセクトの補佐をしようと悪魔が魔法を唱えた。

 そして、その全ての隙間を縫うように、モモンガはナザリック地下大墳墓の宝物殿にあったある世界級(ワールド)アイテムを取り出す。対象は当然、悪魔。

 

「――なッ!?」

 

 手に持っていた剣を放り捨てて取り出したマジックアイテムの、その途方もない魔力量に悪魔もインセクトも絶句する。彼らがそれが何なのか気づいて、何か対処をしようとする前に――あまりに理不尽な手順を以て、問答無用で世界級(ワールド)アイテム、山河社稷図がその効果を発揮した。

 

 

 

 ――そうしてモモンガは悪魔を結界内へと閉じ込めた。インセクトの姿も、ツアーの姿も無い。ツアーはモモンガからの頼み通り、モモンガから連絡が来るまであのインセクトの足止めをするだろう。おそらく、王都が滅びようとも。

 

「――さて、これでゆっくり話が出来るわけだが」

 

 モモンガはそう言い、驚愕に身を震わせている悪魔を見やる。前衛が消えた悪魔は漆黒の鎧を纏うモモンガを警戒し、すぐにでも魔法や特殊技術(スキル)を発動させる準備を行っている。

 しかし、悪魔がそれを実際に発動させる事は無い。悪魔はこちらを警戒しているが、同時に疑問を抱いているからだ。

 

「……ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』、ナザリック地下大墳墓の階層守護者だな? そうだろう?」

 

「――貴方、何者です?」

 

 悪魔は正体を見破ったモモンガを最大限の警戒を込めて見つめている。モモンガも当然、悪魔を警戒していた。

 しかし、おそらく本来の姿を隠した状態でもこの悪魔には勝てるだろう。何故ならこの悪魔は階層守護者の中でもそれほど強くない。〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉と超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使った魔法職からの完全な戦士職への変更。むしろ魔法職のロールプレイビルドではなく、〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用する事で戦士職のガチビルド編成へと自身のステータスを変更した今のモモンガの方が確実に強い。

 

 かつての『ユグドラシル』では〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉の特性上不可能だった戦術。しかし、“あらゆる願いを叶える”事が可能な今の〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉の能力ならば可能だ。

 ――ただ、この編成変更の唯一の弱点は時間制限がある事。この無理矢理な編成はそれほど長くない。それまでに、モモンガはこの悪魔に真意を問い、この悪魔の処遇を決めなければならなかった。

 

「あのギルドを知る者だとも。『ユグドラシル』の悪の華――『アインズ・ウール・ゴウン』をな。そして訊ねたい。ギルドメンバーはどこにいる?」

 

「――――」

 

 モモンガに訊ねられた悪魔は数秒唇を震わせると――怒気さえ含めた声色で静かに語った。

 

「――いませんとも。今は、留守にされていますから」

 

「そうか」

 

 やはりナザリック地下大墳墓にプレイヤーはいない。少なくともこの悪魔が嘘をついた、という事だけは絶対に無い。二回目の〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉の効果でそれがモモンガには分かる。

 

「つまりお前達は自らの意思で、死にたくないからギルドを維持するために躍起になっているということだな」

 

 モモンガはそう結論を下す。プレイヤーはそうでもないが、NPC達にとってはギルドの維持は重要だ。ナザリック地下大墳墓に存在するNPC達の設定を何人か思い起こし、彼らのほとんどが悪として作成された事を思い出す。そんな彼らの設定が生きているのだとしたら、彼らは生きるためにこうして人間の街から略奪くらいするだろう、とそう思ったからだ。

 

 しかしそんなモモンガの言葉を――――悪魔は、何を言われたのか心底理解出来ない、という表情で否定した。

 

「心外な――――死にたくない、などと思ったことは一度としてありませんが」

 

「え――――」

 

 その言葉にモモンガは虚を衝かれ――悪魔が両腕にある腕を巨大化させ、その隙を縫うように襲いかかる。反射的にモモンガは装備していた剣でそれを防ぐ。

 

「ぐ――死にたくないと思ったことが無い、だと!? ならば今の状況はどう説明する気だ!?」

 

 鍔迫り合いのようにモモンガの剣と悪魔の爪が火花を散らす。振り抜き、払い、悪魔は魔法を唱えモモンガを地獄の業火のような炎が襲う。

 

「ギルドメンバーがいないならばお前達に拠点維持のためのコストは出せまい! だというのにわざわざナザリックから出てきた理由が、“死にたくない”以外の何だと言う――!」

 

 アンデッドの弱点属性でもある炎をマジックアイテムで得ていた完全耐性で無効化し、モモンガは悪魔へ斬りかかる。悪魔はその剣を両手の爪を交差させる事で何とか防ぎ、再び周囲に火花が散る。

 

「そのような浅ましい私情でないと命を賭けられないとは――やはり人間ですね!」

 

 悪魔はそう叫び、自らの形態を変化させていく。段階変化。一部の魔物が持つ――最初に弱くペナルティのある形態を取る事でステータスを強化していく特殊能力だ。

 形態変化をさせまいと、モモンガは一時的に取得した特殊技術(スキル)を駆使して阻止しようとする。

 

「ああ、そうとも――俺達は人間だ! 結局のところ、人間なんだ……!! 死ぬのが怖い! 生きているのだから、死はひたすらに遠ざけたいものだろう……!」

 

「なるほど――! 俗的な理由です――! やはり、俗世は愚劣に過ぎる……! 忠義の何たるかも、理解出来ないのだから――――!!」

 

 吹き荒ぶ剣戟と魔法、特殊技術(スキル)の暴風。世界級(ワールド)アイテム、山河社稷図により生み出された隔離世界が、凄まじい暴力の激突により崩壊し始める。

 

「忠義、だと――!?」

 

「その通りです! この見知らぬ地が何処かは知りませんが、至高の御方々が作り上げたナザリック地下大墳墓を維持する――それに忠義以外の理由が必要ですか……!!」

 

 美しい山河の地形を削り、吹き荒ぶ暴力の大海嘯。その中で、二人は互いに互いの言葉をぶつけ合う。

 

「分からんな……! 確かに彼らはお前達を作り上げたかもしれない……だが、その後彼らが何をしてくれた!?」

 

 モモンガは悪魔に疑問をぶつける。悪魔の心を抉るように、自分の心を抉るように――。

 

「彼らがお前達に何かしてくれたか!? いいや――そんなはずはない! 自己満足のままに作り上げ――満足し、飽きたら見向きもしなくなったろう!?」

 

 『アインズ・ウール・ゴウン』のメンバー達が去った日を思い出す。あの時の別れの言葉を。もう『ユグドラシル』にログイン出来ないからと渡されたアイテム――そして、置いていかれた自分達。

 最後のあの日、誰も『ユグドラシル』の最期を共にする事なく去っていった現実を。

 

「お前の言葉は道理が合っていない! 忠義だと? お前達がそこまでする理由が無い! お前達がそこまでする価値などあるものか!!」

 

 ――勿論、モモンガは知っている。彼らには現実があって、その現実で成さなくてはいけない事があったのだ。だから彼らは名残惜しいと思いながらも去っていった。

 しかし、その理由が彼らに関係あるのか。モモンガは納得しよう。置いていかれた事も、『現実』という世界を知っているモモンガは、確かに納得せざるを得なかったから。

 だが、そんな事はナザリック地下大墳墓の者達にとっては関係無いはずだ。思うままに作られて、そのように設定されて、そして最後は見向きもされなくなる。

 

 そんな彼らの現実に納得していいはずが無い。いや、彼らは納得してはいけなかった。

 だからこそ、モモンガは悪魔に否定の言葉を投げかける。

 

「だ、ま、れぇぇぇえええええッ!!」

 

 しかし悪魔はモモンガの言葉に絶叫を上げ、憤怒の表情でモモンガの言葉を全力で肯定(・・)した。

 

「私達が彼らに見捨てられたなど――――そんなことは、誰に言われるまでもなく解っているのです!!」

 

「――――え?」

 

 だから、その反応こそモモンガには想定外だった。

 

 否定するのだと思っていた。何故なら、モモンガは否定したい。彼らは見捨てたわけじゃないと。自分を置いていったわけじゃない。そう思う心を止められない。

 

 なのに――――何故、この悪魔は捨てられた事を肯定しながらも、『アインズ・ウール・ゴウン』を受け入れるのだろうか。モモンガでさえ、受け入れがたい事実であるのに。

 

「そんなことは解っている! そんなことにはとっくに気づいていた!! ――けれど、だからどうしろと言うのです!?」

 

 悪魔は悲鳴のような絶叫を上げ、モモンガの言葉を止めようと躍起になる。

 

「私達はそのように設計された! そうであれと創造された――それ以上、何を望めばいいのですか!?」

 

 そう、頭のいい悪魔はとっくに気づいている。

 自分達は見捨てられた。そこにどんな理由があるにせよ、彼らは決して『アインズ・ウール・ゴウン』の一番にはなれなかった。

 その事実は変わらないし、どれだけ嘆いても彼らの現実は覆らない。

 

「ですが――他にやることが無いのです! 他にどうすればいいのか――――私は解らない!!」

 

「――――」

 

 それが、悪魔の忠義の理由だった。

 

 それしか知らないから、それしか出来ない。これはただ、それだけの事。

 

 かくあれかし。そのように創造されたから、それ以外の事なぞ知らない。いや、他には何も見えない。聞こえない。

 

 たとえ忠義を捧げる相手がもうどこにもいなくても。

 たとえ自分達がどんなに望んでも彼らの一番になれなくても。

 

「他に何をすればいいのかなんて―――そんなこと私が知るものかァ!!」

 

「至高の御方々が帰還して下さるならば、何でもしましょう! 世界だって捧げましょう! ずっとナザリックに縛っておけるなら、どんなことだってしてみせましょう……! それがたとえ――薄汚い人間どもの靴の裏を舐めるような行為でも!!」

 

 だが、『アインズ・ウール・ゴウン』の一番はナザリックじゃなく――ナザリックでは決して手に入らないものなのだと、頭がいい悪魔は薄々気づいていた。

 だから、『アインズ・ウール・ゴウン』はナザリック地下大墳墓に帰ってこない。

 

「どうすればいいかなんて私は知らない……! でも、そんな投げ捨てられるものではないのです……だって、だって私までがそうして捨ててしまったら――取り残された同胞達は、捨てられたことにさえ気づけていない彼らは、一体どうすればいいのですか……!」

 

 それが、悪魔が言葉を操る理由。未だ息をし、言葉を喋り、ナザリック地下大墳墓を動かす理由だった。

 

「だから……私は同胞達を騙してでも戦う! 文句があるなら言ってみるがいいニンゲン――!!」

 

「――――ああ」

 

 悪魔の言葉が、モモンガの胸を打つ。何故なら、この悪魔の姿が自分のもう一つの可能性として重なった。

 

 今のモモンガは納得している。『アインズ・ウール・ゴウン』はモモンガにとって過去の栄光。遠い日の輝きである、と。

 辺境の村で過ごした、決して『現実』では体験出来なかった他人との心温まる交流。『現実』ではなく正真正銘の現実で出会った誰かのために命を懸けられる勇者と、そんな勇者に憧れる心を共有した鏡像。仲間のために魂を懸ける冒険者達。

 その経験が、モモンガ――鈴木悟の人間性を育て上げ、育んだ。だからある意味、『アインズ・ウール・ゴウン』については割り切っている。少なくとも、この異世界に転移したばかりの頃よりかは、モモンガは『アインズ・ウール・ゴウン』に執着が無い。

 

 しかし――仮に。ナザリック地下大墳墓と共にこの異世界に転移したならばどうだっただろうか。

 モモンガにはこの悪魔を否定する事など出来ない。出来るはずも無かった。

 

 だって、この悪魔はもしかしたら――――残されたNPC達に同情し、彼らの望む支配者を演じるモモンガの、一つの可能性だったのかも知れないのだから。

 

「そうだな――俺はお前を尊敬する」

 

 だから、モモンガは悪魔にそう告げた。それは静かな言葉で、小さな声量で、悪魔に届いたのかは分からない。届かなくてもいいとモモンガは思っている。

 

「――――」

 

 モモンガはバックステップを踏み、悪魔から大きく距離を取った。前衛のくせに後衛から距離を取ったその動作に、悪魔の動きが驚愕と警戒で止まる。モモンガは剣を降ろし、静かに――悪魔に、とっくの昔に彼らが詰んでいる事実を語った。

 

「――知っているか? 『ユグドラシル』とは違うこの異世界には“始原の魔法(ワイルドマジック)”というものがある」

 

「――――それが?」

 

 悪魔はモモンガの言葉に嫌な予感を覚えたのか、静かに問うてくる。

 

「それは王都を吹き飛ばせるし、炎耐性なども貫通するらしい。当然、使えるのは『ユグドラシル』出身の俺ではない」

 

「――――」

 

 悪魔は、モモンガの言葉に全てを察したようだった。顔色が悪くなる。

 

「物資の補給に来たんだろう? 〈ゲヘナの炎〉の外にもいるんだったよな? 別動隊が」

 

「お、脅す気ですか……! 我々を……!!」

 

 屈辱に悪魔が身を震わせる。仲間の命の大切さを語った悪魔に、その仲間の命を人質にとる。決して褒められた戦法では無い。

 

「ちなみにその術者だが――――本体は全く別の国にいるそうだ。どうやっても発動を中止させるのは不可能だな」

 

「――――それが、真実だと言う証拠がどこにあるんです?」

 

「知らんよ。どうでもいい。信じるか信じないかはお前次第だ」

 

 悪魔がわなわなと身を震わせる。モモンガは――自分ではまったく自覚出来ていなかったが――第三者がいれば驚くほど優しい声色でもって、悪魔に告げた。

 

「さあ、どうするんだデミウルゴス――――」

 

「――――」

 

 

 

 ――――この時、モモンガは油断した。教えてもらってもいない、知るはずの無い悪魔の名前を口に出した。

 

「――――」

 

 当然、悪魔――デミウルゴスは名前を呼ばれた事に驚愕する。しかし何よりも驚愕したのが、目の前の漆黒の戦士がデミウルゴスの名前を知っていた事ではなく、忌々しいほど優しげな声色を“心地が良い”と思った事だった。

 

「――――まさか、そんな」

 

 小さな声で呟く。相手には聞こえない。そんな声量だ。

 ……そう、ヒントは幾つも転がっていた。『アインズ・ウール・ゴウン』を知っていた事。そしてそのギルドの現状を知っていた事。デミウルゴスとの戦闘を初見であるはずなのに見破っていた戦法。何よりも、どこかで聞いた事のあるような声色。

 

 ああ、そうだ。どうして今まで気づかなかったのか。こんなにもペラペラと知りもしない相手に心を吐露してしまった理由。甘えるように言ってしまった泣き言。

 

「――――は、はは」

 

 何だか無性に笑いそうになって――同じくらい泣きそうになった。

 

 そう、デミウルゴスは間違えない。たとえ至高の四十一人の気配がしなくとも、それでも名前まで呼ばれては間違いようが無い。少なくとも――デミウルゴスとシャルティアは決して間違えないだろう。

 

 何故なら、デミウルゴスの創造主とシャルティアの創造主はその御方と仲が良かった。故にデミウルゴスとシャルティアは、その御方に名前を呼んでもらった回数は片手では足りない。

 だから名前を呼ばれるトーンで、デミウルゴスには相手の正体が分かる。

 

「なんだ――――私の心配は、単なる杞憂だったのですね」

 

 目の前の相手が誰なのか気づいた時、ようやくデミウルゴスは自分が空回っていた事に気がついた。

 

 勝手に、全員に見捨てられたと思って。

 勝手に、皆を助けなくてはと思って。

 勝手に、ナザリックを動かした。

 

 なんという事だ。これでは先程の問答も納得出来る。忠義を疑われても仕方がない。

 しかしそんなデミウルゴスに彼は優しく語りかけるのだ――――危ないから逃げろ、と。

 

「――――」

 

 デミウルゴスは深く頭を下げた。ゆっくりと――高貴な相手に従僕が頭を下げるように深い敬意に溢れた礼を。そうする事に違和感など欠片も持たなかった。

 

「この礼は――いつか必ずします」

 

 正体を隠しておかなければならない、何らかの理由があるのだろう。だからデミウルゴスは多くは語らない。世界級(ワールド)アイテムで作られたこの結界内ならば安全だと思うが、目の前の主人(・・)は“始原の魔法(ワイルドマジック)”なる未知の魔法の存在を示唆された。ならば念には念を入れるべきである。

 この世に、絶対はないのだから。

 

「――そうか。ならばさっさと去るんだな。王都から出て行くならば追いはしない」

 

「そうさせてもらいましょう」

 

 結界が解けていく。周囲の景色が戻ってくる。気がついた時、そこは王都だった。デミウルゴスが一時的にいなくなったせいで、〈ゲヘナの炎〉が解除されている。近くに、完全武装したコキュートスとそれと対峙する傷だらけの鎧を着た、中身の無い空っぽの白金の騎士が立っていた。

 

「――――」

 

 先程の主人との会話と、中身の無い白金の騎士という現状に件の魔法の使い手が誰なのか悟り、忌々しげにデミウルゴスは舌打ちする。そしてコキュートスと、おそらく異常を察知しているだろうシャルティア達へ〈伝言(メッセージ)〉を使って話しかけた。

 

「――総員、即時撤退します。問答無用です」

 

「――ソレハ……ワカッタ。従オウ」

 

 コキュートスが驚きデミウルゴスを見るが、デミウルゴスの真剣な瞳に沈黙し、作戦の指揮官に従う。シャルティアが頭の中でデミウルゴスに対して憎悪と殺意を募らせた拒絶を示すが、デミウルゴスは却下した。――少しの沈黙の後、シャルティアからも肯定の返事が届く。

 

「――――」

 

 無言のまま、コキュートスの転移魔法と共にデミウルゴスも消えた。王都から、幾つもの人外の形を持った異形が飛び立っていく。

 

 その姿を、その場に残された漆黒の戦士と白金の騎士は見守る。

 そして――――

 

 

 

「彼らは、帰ったんだね」

 

 大人しく帰っていく悪魔達に、ツアーは安堵の言葉を漏らす。先程まで戦っていたインセクトの使ってくる魔法や特殊技術(スキル)、武器の効果などをモモンガから聞いていたので善戦はしたが、やはりエ・ランテル近郊の森でモモンガと遭遇した時と同様、手強く、この騎士の姿では勝ち目はほとんど無かった。“始原の魔法(ワイルドマジック)”を使う以外でツアーにはやはり勝ち目は無いに等しい。

 

「――――」

 

 使っていた超位魔法の効果が解けたのだろう。モモンガは鎧を脱ぎ、いつもの漆黒のローブを身に纏いだした。ガントレットで隠されていた指には幾つもの指輪が嵌っていて、その内の一つからは魔力が少し失われているのがツアーには見て取れる。

 

 その指輪の名前を、流れ星の指輪(シューティング・スター)。あらゆる願いを叶える超位魔法の経験値消費を、三度までゼロにする事が出来る超希少アイテムだ。モモンガはこれを二回分使用するという大盤振る舞いをした。

 

 しかし、その甲斐はあったのだろうとツアーは思う。悪魔達――いや、今となっては悪魔だけではなかったが――は、大人しく王都を去っていく。

 

「――――」

 

 モモンガはガントレットを嵌めて骨の手を隠した。漆黒と純白の、ツアーから見ても恐ろしいほどの魔力が内包されている――世界級(ワールド)アイテムと同じ気配のするマジックアイテム。

 

「……モモンガ?」

 

 無言のままいつもの奇妙な仮面を装着するモモンガを、ツアーはじっと見つめて――――

 

「……泣いているのかい?」

 

 アンデッドの彼に奇妙な事を聞いているな、とツアーは思いながら、じっとモモンガを見つめる。

 モモンガはツアーの言葉に、返答しなかった。

 

 

 

 

 

 

「――どういうつもり、デミウルゴス!」

 

 ナザリック地下大墳墓まで帰還したデミウルゴスは、背後で憎悪に顔を歪めるシャルティアの言葉を聞きながら歩いていた。シャルティアの後ろには、困惑したコキュートスと、傷だらけのエントマ、そんなエントマを支えるソリュシャンとナーベラル。いつものように無表情で歩くシズ、そして魔力が空になったルプスレギナが歩いている。他のNPCではないシモベ達は既に持ち場に戻していた。

 

「エントマをボロボロにしたあのクソッたれの吸血鬼をぶち殺せるところだったのに……おかげで、全滅させられなかったでありんす!! 問答無用で撤退とはどういうことでありんすか!」

 

「……デミウルゴス、補給ハマダ完了シテイナカッタハズダ。何故撤退シタノダ?」

 

「それは後で説明します。シャルティア、コキュートス。とりあえず今はアウラとマーレに会いに行き、遣いを出さなくては……」

 

 既に王都で暴れ回った自分達では無理だ。正体を隠していたのは何か理由があるからに違いないし、そんなところに一度王都で暴れた自分達がいったら主人を困らせる事になる。本当は自分が迎えに行きたいところだが、それは我慢してアウラとマーレを主人の迎えに出そうとデミウルゴスは考え――すると、デミウルゴス達が帰還した事に気がついた、留守番のアウラとマーレが、何故か大慌てで走ってこちらに向かって来ている事に気がついた。その慌てようにデミウルゴスだけではなく、背後について歩いていた全員が驚愕する。

 

 二人は息を切らしながら必死にデミウルゴス達のもとまで来ると――涙目で訴えた。

 

「デ、デミウルゴス大変なの!!」

 

「た、大変なんです、よぉ……!」

 

「どうしたんです?」

 

 あまりの慌てように、落ち着かせるように優しい声色で語りかける。デミウルゴスとしては一刻も早く自分の知った情報を皆に伝えたかったが、しかしその二人の慌てように先を譲った。

 

「あ、あのね! ペストーニャが気づいたんだけど……玉座の間にアルベドの様子を見に行ったら扉が開いてて……!!」

 

「ア、アルベドさんが……いなくなってたんです……!!」

 

「――なんですって?」

 

 その言葉に全員が驚愕し、急いで第十階層の玉座の間まで走る。息を切らしたその先に見た光景は確かにデミウルゴス達が王都に行く前は固く閉ざされていた扉が開いている光景で――――

 玉座の間にいたはずの、主人の旗にくるまって泣いていた白いドレスの女悪魔は、どこにもいなくなっていた――――

 

 

 

 

 




 
デミウルゴスは中ボス。

次回、薄々気づかれていたでしょうラスボスの登場です(白目)。
 

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