矢幡麗佳 8 Death 近距離でPDAを5つ破壊
色条優希 4 8.0 首輪を3つ取得
漆山権造 A Death QのPDA所有者の殺害
手塚義光 5 2.5 24箇所のチェックポイント通過
陸島文香 Q 3.6 71時間の経過
郷田真弓 ? 4.0
御剣総一 2 3.1 JOKERのPDAの破壊
姫萩咲実 6 6.5 JOKERの偽装機能を5回以上使用
北条かりん K 4.7 PDAを5つ収集
葉月克巳 7 10.2 全員との遭遇
綺堂渚 J 3.9 24時間一緒にいた人間の生存
高山浩太 10 2.3 首輪が5つ作動
「うわー、すげえじゃん。本物のホテルって感じだぜ!?」
戦闘禁止エリアの内装を見回した長沢はその風景に感嘆の声を上げた。事実、今まで見てきた無機質な部屋とは一線を画すものであり、別世界とも言える雰囲気を醸していた。
「ああ、あっちのベッドもふかふかだったぞ……んしょっと」
リビングを思わせる部屋を一通り眺めると、総一は真ん中に置いてあるテーブルセットの椅子に腰かけて背伸びをする。そのまま目の前に置かれているポットに手を伸ばして水が入っていることを確認すると喉が渇いていることに気づく。
「そうだ、長沢。隣の部屋に飲み物とかないか? コップでもいいんだけど」
「……しょうがないなあ。見て来てやるよ」
急に空気が変わって旅行気分になった長沢は、探索も兼ねて足取り軽く隣の部屋へ向かおうとしたが、そこで急にドアが開くと顔を綻ばせた咲実が飛び出してきた。
「っとと、なんだ、咲実の姉ちゃん。そっちにいたのか。ええと……水とかコップとかそっちにない?」
「はい、冷蔵庫にいろいろ入ってます。それと、あの……」
「ん? 何だよ?」
「い、いえ……御剣さんは?」
「そこで休んでるよ」
何かを言いだそうとした咲実だったが、照れたような仕草を見せるだけで語ろうとはせず、そそくさと長沢の脇を抜けていく。そんな咲実を目で追いながら隣の部屋に入ると、そこはキッチンになっていた。水道にガスも付いており、戸棚には食糧も入っている。左側にはシャワー室とトイレもあった。
「へえ、何でもそろってるんだなぁ……。あ、そうだ! 水、水っと……おっ!」
冷蔵庫を開けると水だけではなくジュースやお茶も入っていた。少し数が減っているような隙間があるのは、前にここへ来た参加者が飲んだからかもしれない。水道の傍らに放置されている、開けられた缶詰やペットボトルがそれを物語る。
「こんなにあるのか。へへっ、飲み放題、食い放題っと」
ついでにアイスクリームでもないものかと冷凍庫を開けたものの、氷があるだけだった。期待が外れて気分が沈んだが、すぐにジュースとコップをつかんで隣の部屋へ向かおうとすると、今度は逆に総一と咲実がキッチンに入ってくる。
「あれ? 二人そろってどうしたんだ? ……っと、御剣の兄ちゃん、コップあったぜ。あとジュースも。咲実の姉ちゃんも飲む?」
浮かれ気味な長沢に反して、二人はなんとも言えない妙な空気を作り出していた。咲実はもとより、総一まで顔を赤らめている――
「なあんだ、そんなことか」
理由を聞けば簡単な事だった。咲実はシャワーを浴びたいらしいのだが、シャワー室にも何かあるのではないかと考えると不安だと言うのだ。完全に無防備になる場所で一人では心細い。とは言えここまで緊張と苦労の連続で疲労は蓄積し、相当に汗をかいていたことを思えば、リフレッシュせずにはいられないのだろう。
「大丈夫だよ。お化けなんか出やしないって」
「いや、だからな。そう言う問題じゃなくて、だ……」
「そんなに怖いって言うんなら、御剣の兄ちゃんが一緒に入ればいいじゃん。俺が外で見張ってるからさ」
「……っ!」
「な……!?」
――なんで、どいつもこいつもこんなことで騒ぎ立てるんだろう?
キッチンからつまみ出されるようにして出てきた長沢は、リビングでジュースを飲みながら考えていた。インターネットと言えばゲームや掲示板の書き込みが当然の自分に反して、クラスメートの男子はその大半がどこぞの18禁サイトを見たのなんのと盛り上がり、はしゃぎ出すのが常だった。異性の身体を見て一体何が楽しいのかわからない。それなのに、そう主張する自分をクラスの男子はバカにしてかかる。お前はガキだ、と。尤も、年齢を考えれば長沢の成長が遅いのは間違いないのだが――。
椅子に深く腰掛けて背中を反らし、肩凝りを解していると先ほどの出来事が否応なく頭に浮かんでくる。二人の黒い男と漆山の死体……。あいつらは何をしていたのか。漆山を殺したのは、男たちを殺したのは誰なのか。相討ちなのか、それとも――そして、片方の男が言い残した「エース」とはなんなのか。長沢は次から次へと沸き上がってくる疑問を整理しようとしたが、納得できる答えは見つからなかった。
「でもなぁ……相討ちって言ったってあのエロジジイにそんな根性あるわけないよなぁ。それに、黒い奴は結構重装備って感じだったし……片方は銃かなんかで撃ち殺されたっていうより、爆発にでも巻き込まれたって感じだったよな……」
輪をかけて問題をややこしくしているのは黒い男の遺言である。死に行く者が最期に残す言葉の中に犯人の手掛かりや生きている者に対する重要なヒントが含まれているということは、ゲームでなくとも人間の自然な行動と言える。
――エース。
「どういう意味なんだ? A――ってことは、漆山のエロジジイにやられちまったってことなのかな……でも、やっぱり無理があるよなぁ。あんな奴に、さ」
漆山のPDAは破壊されていたため確証はないが、以前の発言から彼のPDAがAである確率は高い。しかし、漆山に武器を持っていた様子は見当たらなかった。そう思えば少なくとも黒い男たちは第三者に殺されたと考えるのが妥当である。そうだと仮定したとして彼らに漆山のPDAなど探る余裕があっただろうか。
「エース、エース……か。ん……?」
――そう言えばこんな話があったっけな。
ひとつの単語を呟いている内に何の脈絡もないことが頭を過る。それはいつものようにネットに没頭していたある日、偶然見つけたサイトにあったつまらない話だ。
その内容は、戦争を放棄し平和主義を掲げる日本に潜むテロリストの噂についてのもの。彼らは各国のテロ活動に力を貸す一方で、自国に巣食う法では裁けない悪と戦うと言った、善でも悪でもない組織。その戦闘力は自衛隊と対等にやり合えるほどだと言う――。
「今にして思えばくだらない話だよなぁ……そこに載ってたテロリスト集団も確か、エースって名前だったっけ」
しかし、そのページは見つけてからすぐに閉鎖されてしまっていた。壮大な釣りだったのか、新手の宗教だったのか。それとも誰にも相手にされないうちに飽きてしまったのか。ネットが唯一の娯楽であり自己主張の場であった長沢は、そのことについて様々な掲示板で書き込んでみたものの、大した反応は得られなかった。
――しかし、ひとつだけ気がかりなことがあった。そのエースと呼ばれるテロリストについての書き込みが軒並み削除されていくことだ。どうしてわざわざ消すのだろうと疑問に思ったものだが、それはそれから先もずっと続いた。エースについて語ればすぐに消されてしまう。
『本当にやめろ。夜更けに寝首を掻かれても知らねえぞ? いや、マジで』
『だったら、どうだってんだよ? 俺に命令すんじゃねえよ、バーカ!』
『お前のためを思って言ってるんだ! それ以上書くな!』
長沢がエースについて掲示板に書き込んだ時、何度も忠告を受けた。それが面白くないから悪態をついて煽るのだが、その時の相手の反応はいつもと違っていた。単に煽り返してくることもなく切羽詰まったような言い方に長沢の方が驚き、言うことを聞くようになっていった。いつしか掲示板上ではエースがタブーになっていたのだ。
「……ま、関係ないし、どうでもいっか」
一通り考察を終えて再びジュースを口にすると、シャワー室の外で見張っていたはずの総一がリビングに入ってきた。手には氷を入れたコップと缶詰が握られている。
「あれ? 御剣の兄ちゃん、見張りは終わったのかよ」
「やっと咲実さんを説得し終えたところだ。お前が変なこと言うから、いろいろてこずってたんだよ。今、一人でシャワー浴びてる」
総一は長沢の向かいに座ると、お茶をコップに注いで缶詰を開ける。
「咲実さんには悪いけど、先にいただくか……あ! こら!」
「へへっ! いっただき~……ん、うまい」
総一が言うよりも早く、長沢は缶詰の焼き鳥を素早くつまんで頬張った。結構な間まともに食事をしていなかったせいか、美味しさも一入だ。そんな長沢に呆れながらも総一は、先ほど見た謎の黒い人物の死体と漆山に関して自らの見解を述べる。
「黒い男が死に際にAって言ったのか……。でも、とても相討ちっていう感じには見えなかったな。それに武器らしい武器は落ちてなかった。あったのは銀色の缶のようなものだけだったし……おそらく発煙筒の類だと思う」
「なるほど。ガス缶ってことかぁ……そんなもの落ちてたんだ。二人目の死体に気を取られて気づかなかったぜ。あの……身体が真っ二つになりかかってた方の、さ」
死体の様子を平然と口にする長沢に総一は内心驚いていた。自分でさえ、ここまで来るのに死体から目を逸らしながら歩いてきたのだ。増してや咲実に至っては怖がって目を開けてられない有り様である。その時の様子を思い返すだけで、今食べている鳥肉がまずくなると言うのに。とは言え、そのおかげで互いに見えていないものが見えるのだから皮肉なものである。
「……どうやって死んだのかも気になるけど、その黒い人物がいること自体不思議だと思わないか? 参加者は間違いなく13人だろ? やっぱり、あいつらが前に長沢が見たっていう黒い何かなのか?」
「そう考えるしかないんじゃない? 今のところ何とも言えないけどさ」
長沢の返事がぎこちないのも無理はなかった。唯一それらしき存在に気付いたとはいえ、僅かながらに視界に入った程度なのだから。そして再び現れた時には死体になっていたことを考えれば、これ以上追及しようがなかった。
「あ、そうそう。その『A』についてだけど……まあ、関係ないと思うけどさ、一応」
「…………」
「……どうしたんだよ、もしかして、御剣の兄ちゃんもなにか知ってるのか!?」
長沢はネットで知った「エース」について知っている限りのことを語ると、総一は押し黙ったまま視線をテーブルに落としていた。その仕草はある種の期待をもたらし、長沢は胸を弾ませる。
「あのな、長沢」
「な、なんだよ!?」
「さっきも言ったけど……お前、やっぱりマンガの読み過ぎって言うか、テレビの見過ぎって言うか、ゲームのやり過ぎって言うか……そのなぁ……」
一瞬の間をおいた総一に何某かの答えを期待していた長沢は、思わずこけそうになる。
「いや、でも、本当の話なんだって!」
「……そういうのを都市伝説って言うんだよ。ネットじゃ人は何にでもなれる。何でも言える。どんなズルでもインチキでもできるんだ。便利なものも用途を間違えると碌な事にならないぞ、長沢」
「けっ、何だよ。知ってるかと思って期待してたのに。もういいや、咲実の姉ちゃんに聞いてもらうからさ」
自慢の知識を呆気なく流されてしまった長沢は乱暴にコップのジュースを飲み干すと、ガツガツと鳥肉を頬張って見せる。本人としては怒りを行動で表しているつもりなのだが、総一には子供っぽく映り、微笑ましくさえあった。
「相手が見えないからって、汚い言葉で罵るのは卑怯な行為だよ、総一。この際だからアンタのパソコン、私が管理してあげようか」
「ちょ、待てって! そこまでしなくていいさ」
「ふふ、冗談よ。でも、その慌て方……何だか気になるわね。やましいことでもあるのかしら?」
「ないない」
――そんなこともあったっけな。ネットでの言い争いの話なんか、あいつの前じゃできなかったっけ……。
総一はふと懐かしい記憶に駆られていた。
「おのれ……! あの女め……姫様に何ということを!! おい、本当にこれでいいのか!? このままでは姫様に危害が加わるのも時間の問題だぞ!!」
先ほどのやり取りをモニター越しに見ていた金田は声を荒げ、どうすることもできないことへの怒りを噛みしめるかのように歯ぎしりを繰り返す。赤ん坊の頃から知っている少女が危機にさらされていると言うのに。
「くっ……」
ディーラーとてどうにかできるのであれば既にしていたのだろう。だが、彼の仕事はプレイヤーの動きに合わせて武器を供給し、パワーバランスを調整することであり、客が退屈しないような場を創り上げることである。そして現場の主なコントロールはゲームマスターとサブマスターに一任されている。そのため、出来ることと言えばこの場で言う危険人物に武器が渡らないように手配することくらいだった。しかし、当人は初めから隠しておいたかのように次々に武器を見つけ出している。間違いなく操作は上手くいっているはずなのだが……。
「おい、何とかならないのか!? ゲームマスターは何をやっているんだ!!」
「……こちらからはどうすることもできません。この状況では回収部隊を向けるわけにもいきませんし、ゲームマスターが放置と決めた以上は……」
「バカなっ! 姫様の命がかかっているんだぞ!!」
「それが……ゲームの運行上、ゲームマスターが最良だと判断した結果かと……」
確かに状況を考えれば、下手につつくよりもその方が良いのかもしれない。だが「姫様」の身を案じる立場からすれば、凶器を持った誘拐犯に人質を取られているようなものである。それ故気が休まることはないだろう。
「そうだ、サブマスターがいるだろう!? 彼女を何とか姫様と合流させろ! 時間稼ぎにはなるはずだ!」
「申し訳ありませんが……彼女は次のシナリオに向けて待機中です。下手にターゲットから離れることができないとのことでして……客の反応を考えれば外すことができない、と」
「ぐく……何ということだ……!」
金田は顔を紅潮させて怒りに震えている。周囲の人間が止めに入らなければ現地へ行ってしまうかのような勢いだった。しかし、それとは対象的にディーラーは妙に冷静だった。
――やはり、あの女は……!
サブマスターによる非常用回線の連絡にあった、エースの介入……間違いないだろう。そして郷田の手腕は本物だ。彼女がそう言ったのだから「姫様」は安全なのだろう。それはエースの内部抗争などのイレギュラーを含めて計算されているはずだ。
しかし……万が一を考えれば、この賭けはいくら何でも危険すぎる。あの女が「姫様」を脅していた時の雰囲気、あれは演技などではなかった。憎しみと怒り、嫉妬が入り混じった狂気。でも、何故だ――?
「姫様」を人質に何かをしようと言うのなら、何らかの行動を我々に向けて起こしているはず……?
――嫌な予感がした。
「うぐぐ……我々の方が……ゲームに振り回されているとは……!」
瞬間、ディーラーは受話器を乱暴に取ると、非常回線のナンバーを押す。後ろで金田が何か言っていたが、それも耳に入らない。
「おい、聞いているのか……!」
「金田様、これは緊急事態です!! 最高幹部会の皆様に連絡を! 時間がありません!!」
「な、何を言っている……?」
金田の声を無視して、ディーラーはまくし立てる。その勢いに押され、金田は受話器を受け取るのだった。
「……それで、漆山の首を落とそうとしたのか」
「そうだよ。優希の首輪を外すためには首輪を3つ集める必要があってさ。そうすれば、あとはJOKERさえ見つければ御剣の兄ちゃんのと咲実の姉ちゃんのも外れるだろ? これで3つ集まるじゃん」
全く悪びれる様子のない長沢とは対象的に総一は難色を示したものの、少しの間を置くとあながち否定とは言い切れないような言葉を発する。
「そうか……でも、俺にはそれについてどうこう言うことはできない……」
「へっ、それじゃ、あとであのエロジジイの首輪、もらってもいいってことだよな? 俺の刀に断てぬものはないぜっ!」
「…………」
「あ、いやあ……その……」
長沢の悪態にも総一は答えずに黙ったままだ。人を傷つけることに対して過剰なまでに止めようとする総一が――死体だから問題はないと判断したのだろうか。
「…………。俺もシャワー浴びてくる。咲実さんがキッチンにいるから手伝ってあげてくれ」
総一は俯いたまま立ち上がると、そのまま隣の部屋に歩いていった。長沢はその後ろ姿が消えるのを見届けると一人呟く。
「ど、どうしたんだよ、御剣の兄ちゃん。今の絶対怒られると思ってたんだけどなあ……」
――ま、いっか。
総一の態度を不思議に思ってしばらく考えていたが、それよりも――長沢はキッチンに向けて歩き出した。首輪を手に入れるのは食事を終えてからの方が良いと判断したためである。ドアを開けると咲実が背を向けて缶詰を開けていた。シャワーを浴びた後のせいか髪を頭に纏めてタオルを巻いている。
「咲実の姉ちゃん、俺にもやらせてくれよ」
「あ、長沢君……いいんですか?」
「俺も料理は出来るようになりたいからさ、へへ」
「あら……それじゃ、この缶詰のお味噌をお鍋に入れてください」
咲実は長沢の思わぬ申し出に驚いたが、一人でいるのもなんとなく不安だったので手伝ってもらうことにした。話し相手がいる方が気が楽なのかもしれない。
「あの……御剣さんになにかあったんですか?」
咲実は煮魚の缶詰を開けると、鍋で温めながら訝しげに問う。
「え? なんで!?」
「何だか思い詰めていたような顔をしてて、呼びかけても曖昧な返事をしていましたから……」
先ほどの漆山の首輪についての話か、それともエースのことについてか……おそらく前者なのだろうが、流石に咲実にその話をするのは気が引ける。彼女を下手に刺激して何かあれば、総一が怒るだろう。せっかく説教を逃れたのだから――長沢は誤魔化した方が得策だと判断し、言葉をつなぐ。
「ああ、俺がネットで見た日本に巣食う正義だか悪だかわからないようなテロリストの話をしたら、急にビビっちゃって」
「そう、ですか……」
――私には言えないことなんですね。
咲実もこんな少年の言葉を真に受けるほど単純ではない。内容が内容だけに尚更である。互いにしばらく黙っていたが、やがて徐にガスの火を止めて煮魚を皿に移した。耳を澄ますとカーテンを隔てた向こうのドアからシャワーの音が聞こえてくる。
――いくら死体だと言ったって、人の首を斬るなんてお前なら絶対に許さない……そうだろ、優希?
温かい雨に身を濡らしながら、総一は思いを馳せる。
――それでも。
もしも、それでお前が助かったのなら……俺は……。
総一の問いかけに応える者はなく、シャワーの音だけが狭い部屋に響き続けていた。
「ご飯、出来ましたよ」
キッチンから出てきた咲実が手に持ったトレーには、様々な料理が乗せられていた。元は缶詰ものだったとは言え、多少なりとも手を加えられたそれらは本当に美味しそうに見える。
「ありがとう咲実さん。料理、上手なんだね」
「いえ、そんな……」
シャワーを浴び終えてリビングに戻った総一は、運ばれてきた料理を見て感嘆の声を上げた。
「咲実の姉ちゃーん! 味噌汁温まったよ!」
「あ、はーい!」
咲実はすぐにキッチンへ引き返そうとしたが、意外にも長沢が味噌汁を持ってきていた。
「よっと、へへ。いい匂い。なあ、御剣の兄ちゃんも少し手伝ってくれよ。料理のできない男はモテないんだぜ?」
長沢は一人椅子に腰かけてPDAをチェックしていた総一に得意気に語りかける。
「ふふ、いいんですよ、長沢君。今まで御剣さんは頑張り通しで疲れているんですから。私たちだけで用意しましょう」
テーブルの上に次々と料理が並べられていく。混ぜご飯に漬物、煮魚にハンバーグ……改めて眺めてみると、どれも缶詰ものだとは思えなかった。
「いっただきまーすっ!」
長沢の声を皮切りに、総一と咲実はそれぞれの料理に箸を、長沢はスプーンをつける。
「うん、うまいうまいっ! 最高だぜっ」
「長沢、もう少し静かに食べろ。別に料理は逃げたりしないぞ。と言うか箸を使え、箸を」
烈火の勢いで食物を口に運ぶ長沢を咎める総一だが、別に責めるつもりはなかった。美味しいのは本当だからだ。そんな様子を見て咲実は静かな微笑みを浮かべている。
「だってさ、本当に美味いんだ。給食や家で食べるのよりもさ」
「まあ、長沢君ったら。お母さんに失礼ですよ?」
長沢の素直とも言える失言を注意して見せる咲実だったが、言葉とは逆にその表情は嬉しそうだった。何を食べるかを選べない時代、家庭の味に飽きるのはよくあることである。そんな時、レストランなどにおける外食はもちろん、レトルト食品でさえも美味しく感じることは多々ある。とは言え、大人になるとそれが逆になっていくのだが――。
「このお味噌汁……どうですか、御剣さん。長沢君が作ったんですよ?」
「……へえ、意外だな……どれどれ」
お椀に口をつけると、すぐに長沢が声を発する。
「どうだっ! 美味いだろ!?」
「うーん……まあまあだな……」
料理番組に出てくる審査員よろしく涼しい目で味を確かめながら、総一は二口目を啜る。その様子から本気で答えてると思った長沢は失意の声を上げる。
「いぃっ!? 何だよ、ちゃんと咲実の姉ちゃんの言う通りにやったのにさぁ」
「ふふふ。初めから上手くいくほど、簡単なものじゃありません。何度も失敗や実験を重ねて、やっとのことで自分の味が作り出せるんですよ?」
反対側に目をやると、咲実も味噌汁を啜りながら微笑んでいる。流石に教わった本人から言われてしまっては、反論しようがない。
『料理の道はそんなに甘いものじゃありませんよ~』
――なるほどね、そういうことか……。
続いて渚の言葉を思い出した長沢は、不本意ながらも納得せざるを得なかった。次からは料理についてのサイトもチェックしてみようかな、と柄にもなく思った矢先に咲実が口を開く。
「そう言えば御剣さん、さっき長沢君から聞いたのですけど……」
咲実は長沢からキッチンで聞いた立ち話、つまりエースについて語り出した。二度同じような事を、しかもネットから生まれた噂遊びであるかのような内容もあってか、聞いている総一の顔には呆れの色が見える。だが、咲実は楽しそうだった。間を持たせるための会話としては悪くないのだろう。そして、何よりこのゲームと言う恐怖を少しの間だけとはいえ忘れることができるのなら……。
「長沢……お前、本当に咲実さんに話したのか。それもこんな事細やかに」
「うん! 兄ちゃんと違ってちゃんと最後まで聞いてくれたんだぜ」
咲実の表情を見ている限り、きっと彼女も内容を信じているわけではないのだろう。退屈な日常に不思議な噂は尽きないものである。
「ただ……本当に、まだ私が幼かった頃の話なんですけど、その日まで元気だった友達が急に学校に来なくなったことがあって。どうしたのかなって思っていたら……」
咲実の急な様子の変化に長沢はスプーンを置いて身を乗り出す。
「え、えっ!? もしかして何かつながりがあるのか!?」
「あ、そういうわけではないんですけど……その子のお父さんが、その、真夜中に亡くなられてたって……。後で聞いた話によれば、お父さんは小さな会社を経営していたらしくて。大分、行き詰ってたみたいだったんです」
「……自殺、だったのか……?」
興味深い内容に、半ば流し気味に聞いていた総一も耳を傾け出す。
「それが……どうもそうとは言い切れないらしくて……結局わからないままだったんです。長沢君が言ってた、真夜中に寝首を……って聞いて、急に思い出してしまって」
「なあんだ、別に関係ないじゃん。咲実の姉ちゃんさ、そういう話ならネットに飽きるくらい転がってるぜ?」
「そう……でしょうか……?」
「まあ、そんな未解決事件は聞いたことがなかったけどな……あ、そうだ!」
長沢は急に立ち上がると、部屋の隅々まで見回し始めた。やがてべッドルームやキッチンに向かって歩き出す。二人はそれを不思議そうに眺めていたが、すぐに食事を再開する。
「長沢、もう一杯くれるか?」
総一は歩き回っている長沢を呼び止めると、おかわりを頼む。
「あっ、御剣さん。私がよそって――」
「ダメだ。この部屋、パソコンないよ。さっきの咲実の姉ちゃんの話、調べようかと思ったんだけど……。くそっ、あるかと思ったんだけどなぁ」
代わりに咲実が立ち上がろうとした途端、テーブルまで戻ってきた長沢は落胆したかのように項垂れた。
「……こんなところでネットにつなげるわけがないだろ! 携帯だって圏外なのに……まったく何をしようとしたのかと思えば、お前は」
「そうですよ、長沢君。お食事中に歩き回るなんて、行儀の悪いことです」
二人の怒ってるような笑っているような表情に、長沢はつい苦笑いを浮かべる。
「いやぁ……でも、すぐに調べないと忘れちまうだろ? こういうのってさ。思い出すのも面倒だし。あ、おかわりだったっけ、持って来てやるよ。咲実の姉ちゃんも味噌汁飲むだろ?」
長沢は返事を待たずに二人のお椀を取るとキッチンの方へ走っていく。総一と咲実は顔を見合わせると僅かながら沈黙し、やがて互いに笑みを零した。
「本当、面白い子ですよね」
「……そうだな。初めて見た時は何か危なそうな奴だって思ったけど」
食事が終わり次第、どのくらい休めるのか、そして今いる4階が侵入禁止エリアになるまでどのくらいの余裕があるのか――そんなことを考えていた総一がどこからか響いてくる物音に気付いたのは、それからしばらくたってからのことだった。
「ん? 何か音がしないか……?」
長沢が音を立てているのかと思ったが、耳を澄ませてみるとそれは、入口のドアの方から聞こえてきていた。誰かがドアをノックしているのだろうか、目をやるとドアノブがガチャガチャと回っているのが見える。その様子に気づいた咲実は顔色を変え、不安げな表情で御剣に視線を送る。
楽しかった食事の空気が一変した。
「み、御剣さん……」
「大丈夫だ、咲実さん。ここは戦闘禁止エリアだし。とりあえず、長沢のことを頼む」
総一は徐に立ち上がると、そっとドアに近づいていく。戦闘禁止エリアに近づけばPDAの警告音が鳴る……つまり音の主はここが戦闘禁止エリアだと知っているはずだ。そう考えれば心配ないのだが――いずれにしろゲームと言う状況で、誰なのかわからない相手を確かめなければならないこと自体、相当なプレッシャーである。もしも入り口で銃でも構えていて突然撃ってきたら……? 悪い方向に考えればキリがない。
食事をするのも忘れた咲実がじっと見守る中、総一は大きく深呼吸すると、意を決してドアノブに手をかける――4階ともなれば危険な武器が手に入るのだ。相手が何を持っていても不思議ではない。総一は疑惑の念を持って身構えていた。
だから、鍵を外して思いっきりドアを引いた瞬間、まだ見ぬ初めて会った人物が転がり込んできたことに、二重の意味で驚いたのだ。重傷を負った初老の男性――
「あ、あなたは……!? す、すみません、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……す、すまない……ね……」
うつ伏せに倒れかけた男性を支えようとして、総一は驚く。男性の傷は想像以上に深かったのだ。血に染まったワイシャツからは血が滴り落ち続け、それは瞬く間に赤い絨毯をさらに赤く染める。一方、椅子に座ったまま恐る恐る様子を窺っていた咲実も男性の容態に気付き、驚きの声を上げる。
「きゃあっ! 血……血が……!」
「さ、咲実さん! 救急箱を!」
「は……はいっ」
自らの手も血に染まった総一は我に返り、声を上げる。咲実もそんな総一の声に奮い立たされるままに、おぼつかない足取りで部屋のタンスを漁り始めていた。
「……なんか、騒がしいな。どうしたんだ?」
長沢にとって自分のいないところで騒がしくなると言うのは、大抵悪口を言われて盛り上がっている時である。だが、ここは学校ではない。そんな捻くれた感情も今は必要なかった。
「ほら、温めといてやったぜ!」
長沢は温めなおした味噌汁を再びトレーに載せてリビングに戻った。視界に入ったのは二人が座っているはずだったテーブル。だが、そこにいるはずだった二人がいない。
その奥で床に手をついて表情を歪ませていたのは――
「長沢君っ! 大変なんです、男の人が……あの、救急箱は……!?」
「食事は後だ。タオルでも何でもいい、持ってきてくれ!」
――えっ。
瞬間、トレーが長沢の手を離れ、味噌汁が音を立ててぶちまけられる。
急な衝撃音に驚いて振り向く二人だったが、それに続いて聞き慣れた電子音が彼らを嘲笑うかのように鳴り響く。
――ピロリン、ピロリン、ピロリン。
『おめでとうございます! 貴方は全てのプレイヤーと遭遇し、首輪を外すための条件を満たしました!』