長沢勇治 3 5.4 3人の殺害
矢幡麗佳 8 Death 近距離でPDAを5つ破壊
色条優希 4 7.1 首輪を3つ取得
漆山権造 A Death QのPDA所有者の殺害
手塚義光 5 4.2 24箇所のチェックポイント通過
陸島文香 9 5.8 自分以外の全参加者の死亡
郷田真弓 Q Death 71時間の経過
御剣総一 2 4.0 JOKERのPDAの破壊
姫萩咲実 6 6.5 JOKERの偽装機能を5回以上使用
北条かりん K Death PDAを5つ収集
葉月克巳 7 3.6 全員との遭遇
綺堂渚 J Death 24時間一緒にいた人間の生存
高山浩太 10 2.7 首輪が5つ作動
残りの生存者数、8人――
総一はPDAに表れたツールの機能を眺めながら想いを馳せる。残り人数はわかってもそれが誰なのかまではわからない。確実に脱落しているのは長沢から聞いた矢幡麗佳、そして自らの目で見た漆山権造の二人である。では、あと3人は――?
自分たちに関係ない参加者であるに越したことはない。しかし、どうしても嫌な想像が廻り廻って来る。
「あたしが言えたことじゃないけど……総一君が言ってたかりんちゃんのこと、聞けば聞くほど悔しくなってくるわね」
文香がかりんの名前を口にした途端、総一達の間は重い空気に支配された。それぞれの表情に差があるのは彼女に対する印象が違うからに他ならない。
「あたしも余計なことをしちゃったのかもしれないわね……」
「それは違いますよ! 文香さんが助けに来てくれなかったら、俺たちは……」
総一は文香の言い分を必死に打ち消した。実際、文香が来なかったら二人とも命の保証はなかったのだから。
「優希ちゃん……」
その一方で、咲実は嫌なことを思い出したかのように俯きながら震える優希を気遣う。聞けば漆山にさらわれたところでかりんと遭遇し、彼女に銃で脅された挙句PDAを奪われた。その後、何とか逃げ果せたものの、いまだPDAの所在は明らかになっていない。つまりは首輪が外せない――このまま時間が過ぎれば死あるのみである。幼い少女には残酷すぎる仕打ちであった。
「くそっ! 北条さん……どうしてなんだ……!」
争う必要のないかりんと大立ち回りを演じたこと、長沢が撃たれたこと、そして……優希から聞いた話。まだ生きているとしたら、いまだ獲物を求めて彷徨ってるのかもしれない。
「諸費経費含めて3億8千万……よね? 総一君。かりんちゃんの妹さんの治療費って」
「はい、そう聞きました……」
総一が答えると、文香は大きくため息をつきながら言った。
「それくらいの金額なら、何とか出来たのに……」
「……え? それって、どういう……」
「妹さんの治療費の事よ。それくらいの金額だったらあたし達エースの方で用意できたわ。伊達に何年もテロ活動してるわけじゃないしね。あたしにはその権限があるの」
文香の唐突な呟きに総一は目を丸くした。
「本当ですか……!? それなら……次こそ北条さんに会った時は……!」
「そうね。あの様子だと説得できるかどうかわからないけど、試してみる価値はあるわ」
――北条さん、必ず止めて見せる。俺の命と引き換えにしても……。
一方、床に視線を落として何かを誓うように呟いた総一に、文香は冷めた視線を送る。
――はあ、総一君……貴方は何か勘違いしてるわ。あの小憎たらしいボウヤが生きているっていうことは……おそらくかりんちゃんは……ね? まあ、そう思ってくれていた方が色々とやりやすいんだけど……ふふふふ。
「はぁ、はぁ……おっと、姉ちゃんのPDA、情報の更新が早いぜ」
長沢は走り疲れた足を止め、PDAを取り出す。渚から譲り受けたそれにはサブマスター用の情報が次々に送られてくる。本来の持ち主――渚にとっては普通の事なのだが、長沢にとっては通常あり得ないことだっただけに、やけに新鮮に映る。
「……なになに、えーと。エースのタカ派とハト派との争いが深刻になった結果……? うーん、意味わかんないけど……これ、渚の姉ちゃんでもわかんないんじゃないかな……。こういうことは葉月のおっさんや高山のおっさんに……」
我が国で言う右と左。つまりは右翼と左翼。普通の生活を送っていれば耳に入ってくる単語ではあるものの、政治に無縁の中学生にはその意味すら理解できず、そもそも興味も無い為に聞いたところで覚えられないものである。
「で……? 一部PDAが予定通りに配布されなかったのは、エースタカ派のハッキングによる情報操作が原因であるが、彼らの本当の狙いは今回のゲームに潜入する予定であった、ハト派の工作員を陥れるため。つまり内輪揉めの果ての陰謀である……。しかし、そこにイレギュラーが重なり……って、何だこれ? やっぱり意味がわからないし。僕にこんな情報送ったってしょうがないのにさ」
長沢は頻繁に更新される最新情報を、渚でなければわからない大人の話だと思い込んでいた。
「でも……エースって言うのが気になるけど。あいつら、何を企んでいるんだろうな? まあ、どうせ碌でもない事なんだろうけど」
豚に真珠とはまさにこの事だろう。
ただ、諺にしては笑えない状況であることに本人は気づく由もなかった。
「っと、罠には気を付けてね。こんなところで大ケガでもしたら笑えないわよ?」
冷たい通路を歩きながら文香は後ろを振り返る。彼女によって齎されたゲームの裏側は総一達の気を引き締めるのに十分だった。得体の知れない恐怖も、原因がわかることによって相手の手の内が見えてくれば、感情的には対処できるからである。
「でも、文香さん、俺達にそんな大事な話をして……大丈夫なんですか?」
工作員にとって敵側に正体がバレることは死を意味する。自分達は文香を信じているつもりではいるものの、心のどこかで訝しんでいるのもまた事実である。だから、文香が自身の正体や目的を明かしたことが逆に不安を煽っていたのだ。
「平気よ。あたしが話をしたのも総一君と咲実ちゃんだから。貴方達なら信じられると思ったし。それに……ここまで話がこじれた以上、あたし一人だとなかなか大変だし、ね。もしかして、怖くなっちゃったかしら?」
「いえ、別にそういうわけでは……」
「ごめんなさい。無暗に巻き込むつもりはなかったんだけど」
「…………」
同じ歩幅を進める文香と総一の後ろで、咲実はその背中に複雑な視線を送っていた。すると優希がその表情を心配して声をかける。
「咲実お姉ちゃん、だいじょうぶ……?」
涙色の瞳は乾いていたが、表情は沈痛な面持ちを保っていた。
「え、ええ……ありがとうございます、優希ちゃん」
もしかしたら優希本人も相当な恐怖に苛まれているかもしれない。そんな少女が心配するほど自身の顔色が悪かったのかと思うと少し恥ずかしくなる。
「この先のだだっ広い部屋を抜ければ6階か……」
PDAの地図を見ながら総一は呟く。数百メートル先には大きな部屋があり、そこから二方向に通路が伸びている。ここから左へ出た場合は6階までかなり歩くことになりそうだが、右に抜ければ6階の階段へは至極簡単に辿り着く。
会場へ通じる廊下を延々と歩いていると、片方の窓から微かに眩しい光が差し込んでくる。水平線の向こうに夕日が沈もうとしているのだ。だが、今は感傷に浸って眺めている暇はない。
目を逸らすと反対側には夜の帳が降りかかった大海原が広がる。途中、下の階層へ下る階段を何度か見かけたが、おそらく海中を観光するためのものだろう。やがて大きな両開きの扉にぶつかると、その重い取っ手に手を掛けて中の様子を窺う。
――こうして会場内に入るのは初めてだが……噂ほど騒がしくはないものだな。
カジノの目玉であるこのゲーム、聞くところによれば、やれ誰が大ケガを負った、脱落した、はたまた愛し合った、そして賭けに勝った負けたと昼夜問わずに盛り上がり、客たちの狂気にも似た歓声と怒号、泣き喚きの声が飛び交うと聞いていた。だが、不思議なことに今は重要人物の演説に耳を傾けるがごとく、観客達は静かだった。3日目の宵の口、これからが最高潮への序曲だというのに。中には不貞腐れて声を荒げているのも見受けられたが、相手にされていないように見える。
「お前……あれくらいの頃さ、どんな大人になりたかった?」
「ど……どうしたんだよ……急に?」
「いや、なんか、いろいろ考えさせられて……な。こんなところで必死に生きようとしている奴らを眺めて楽しんでるって、やっぱり、卑怯者の発想だよ……なぁ……?」
「……いいじゃないか……僕だってあんな庶民の為に大損したわけだし……って、ちょっと! いくら賭けてるんだよ!? そんなに負けたらお前……家も会社もなくなるんだぞ!?」
「へへ。どうも、あのガキに感化されちまったらしい。ま、地獄への案内人が一人くらいいてもいいだろうと思ってな……俺らしくもねえ……へへ……」
「……辛かったら、戻ってもいいんだぞ? 他にも娯楽はある。私も付き合おう」
「いえ……大丈夫です。でも、何だか……この現実から目を逸らしたらいけないような気がして。あの子たちはゲームの駒なんかじゃない。命ある人間なんだって……。だから、それを気付かせてくれたあの子を最期まで見守る義務がありますわ」
「そう、か…………」
「あーっ! 興ざめだ!! どいつもこいつも……! 情けない! 全く情けない!! こんな貧民どもに感情を入れること自体が間違いなのだ!!!」
「お主……あの条件を引いて生き残った者はおらんと言ったのう?」
「だからなんだと言うのだ!! 私はまだあきらめ……」
「勉強不足なのはお主の方じゃ……」
「な……何を!! さっきから貴様、言わせておけば……!」
「……太平洋戦争の頃は、こんな複雑な遊戯ではなかった。無作為に集められた数人の内、生きて帰れるのは常に一人じゃった……」
「…………?」
「そして……もらえる報奨もそれほど多くはなかったのう。何せ、戦時中じゃ。勝者に論文を課し、お偉方に提出するよう求められたものじゃ。こちらにしてみれば、はた迷惑な話じゃがな……」
雑踏に紛れて飛んでくる声に見向きもせず、到着の報告をするべく絨毯地の脇を抜けると、扉の前に佇む紳士服姿の警備員に証明書を提示する。さらに奥へつながる通路の先のエレベーターで上昇し目的地の前でも再び警備員に身分を証明する。
待つこと数分、漸く扉が開き、メインコントロールルームへ足を踏み入れたのだった。
「特別攻撃隊、ただ今到着いたしました」
「……あ、ああ。そうか……そう言えばこちらに来る予定だったな……」
特隊長の姿を認めた金田は歯切れの悪い挨拶をすると、気まずそうに顔を背ける。それもそのはず、本来ならばこちらにやってくるであろう組織のボス、色条良輔を護衛するために特別隊が派遣されてきたのだ。しかし、今やそのボスは――
「到着早々申し訳ないが……おそらく貴様らに出番はないだろう。甲板で待機していてもらいたい」
「……? どういうことですか?」
「状況が変わったのだ。貴様らには当船の護衛任務に就いてもらう予定だったが……エースによる一斉襲撃の確率は低くなった、と言うことだ」
「それでは……問題の少女は……? 一体、どうなっているのですか? 我々の本来の任務は少女の救出と他の参加者全員の排除と聞きましたが」
特別攻撃隊隊長とは言え、現場の者が最高幹部会の人間に意見するなど通常、ありえないことである。されど、ある意味既に死を覚悟してここまで来た身にしてみれば拍子抜けであり、納得のいくものではない。一方、金田もたかが現場の兵隊に真実を語ってよいものかどうか、考えあぐねていた。
「エースの奴らだけでなく、我々の方でもイレギュラーが発生しおってな。詳しいことは機密上話すことは出来んが……とりあえず、今は必要ない。折を見て帰還してくれ。別にゲームが終わるまで居ても構わんがな」
「……了解しました。失礼します」
如何にも不服と言った雰囲気で特隊長は部屋を後にした。
「金田様も、お帰りにならなくてよいのですか? 姫様の件は……もう……。先ほど、幹部会の皆様から呼び出しがかかっていたと思いましたが……?」
一連のやり取りを聞いていたディーラーが振り返りながら金田に声をかけたが、例の如く金田は思い詰めた表情で黙っているだけだった。その目線の先にはちょうど、岐路にたどり着いた4人組が映るモニターがあった。
「はぁ、こりゃまた開けた部屋に出たものね……」
次の分かれ道へと続く扉を開くと、今までの狭い通路や部屋が一転、広い空間が総一達を出迎えた。地図である程度は予測していたものの、ここまで広がった場所だとは認識していなかった。それこそ見渡す限り何もない部屋だったのだが――むしろ飾りのない大広間と言えるのかもしれない。そして右端と左端には、扉のようなものが辛うじて見える。ここから外へ抜けられるのだろうか。
「俺、調べてきます」
「ありがと、総一君。じゃあ、あたし達は反対側を調べてみるわ」
総一が右側の扉に向かって駆け出すと、文香達は左側に向かって歩き出した。扉は金属製であり、破壊するのは容易ではないだろう。しかし、よく見ると扉の横にはボタンが付いていた。これが開閉装置なのか? そんなうまい話があるものなのかと、総一はボタンに指を伸ばした。
「…………」
案の定、扉はうんともすんとも言わない。少しイラついて連打してみたが、やはり変わらない。ただのダミーか冷やかしか? そう思った瞬間……
「な、なんだ?」
電子音と共に扉がすっと横に開く。肩透かしを食らったような感覚に驚いて、後ろを振り返ると、文香達もこちらを眺めていることに気づく。暫くすると、再び扉が閉まった。
「みーつーるーぎーさーーん!!」
再び扉と対峙した総一は、珍しくも響き渡る咲実の声に振り返る。声の主はちょうど反対側の扉とこの扉の中間地点まで走って来ていた。
「はぁ、はぁ……こちらの扉のそばにボタンがあって、押しても開かなかったんですけど……それが急に開いたんです。御剣さんの方はどうでしたか?」
「咲実さんも!? ……俺の方も同じような感じだよ。……ん?」
咲実に駆け寄り状況を説明する総一の後ろで、またもや扉の開く電子音が聞こえた。振り向けば予想通り自分側の扉が開いている。
「咲実さん、このドア……もしかして」
こちらをぼーっと見つめている優希と腕を組んでいる文香を見て総一はあることに感付いた。再び右側の扉に近づき、ボタンを押してみると……。
「あっ、御剣さん! 向こうのドアが……!」
「お疲れさま、総一君。それにしても……面倒な仕掛けを用意してくれるわね……」
ぜぇぜぇと息を切らせながら呼吸を繰り返す総一をねぎらうと、文香はドアを軽く蹴とばした。どうやら扉脇にあるボタンはそれぞれ反対側の扉を開くための装置らしく、ボタンから手を離すと数秒後には閉じてしまう仕掛けらしい。部屋の端から端までの距離は50メートル以上あり、総一が全力疾走しても半分の距離を過ぎたところで扉は閉じてしまう。
「ボタンを、押して、いる、間……はぁ、はっ……ドアが開くっていう事は……つま、り……ぜぇっ、ぜっ……」
「御剣さん……あまり無理しない方が……」
息を切らして考察を述べようとする総一より先に文香が答えを口にする。
「二手に分かれるしかないのかしら……」
「やっぱり、そうなります……よね?」
「ええ。二人一組に分かれて端のボタンを同時に押すのよ。開いたところで扉の外側に出るの」
瞬間、咲実の顔が曇る。この5階にある武器を見れば恐怖にかられるのも無理はないだろう。出来る限り大人数で行動していた方が安全なのは言うまでもない。だが、この時、咲実よりも俯き、怯えていた優希の表情に気づく者はいなかった。
「いつまでもここで油売ってるわけにもいかないわ。さっさと行動しましょ? 問題はどうやって分けるか、どっちへ行くか、だけど……」
文香が提案すると、総一はすぐにPDAの地図をチェックした。
「そうですね……右から出れば階段はすぐですけど、左から出るとかなりの距離を歩くことになりそうです」
ふとPDAの時計に目をやると時刻は18:36――5階が侵入禁止になるまでおよそ4時間半。そしてエースの一斉攻撃まで3時間弱。歩くスピードや距離を考えても、まず間に合いそうではあった。
それなら、俺が――
総一は自分だけが左から出ると訴えようとして、思い止まった。……優希の話もあってか、文香とあとの二人だけを一緒にすることに妙な危機感を抱いていたのだ。ならば自分が文香と一緒にいればいいと思うも、咲実と優希だけで行動させるには危険すぎる。それに、ツールによって離れていても会話できるようになっているのなら、尚更自分が文香と一緒に行くという選択肢はなくなる。何が最良なのかと判断しかねていると文香が先に提案してくる。
「ねえ、総一君、咲実ちゃん……悪いんだけど……あたしと優希ちゃんで左から行かせてもらえないかしら?」
瞬間、優希の表情が蒼くなる。その顔色に咲実は元より総一でさえ気づかざるを得ない理由があった。とは言え、文香にその事実を知られるのは避けなければならない。加えて、怯える優希を文香から安全に引き離すとなると、総一と優希で行動する以外にありえないのだ。しかし、その選択は事と次第によっては咲実を危険にさらすことになりかねない。さらに移動距離の点も考えれば――完全にお手上げである。
一体どうすれば……?
「文香さん、それなら俺が優希を連れていきます」
姑息だとわかっていながら総一は名乗り出た。しかし、そんな付け焼刃は脆くも空を切る。
「あら、咲実ちゃん。総一君ったらあんなこと言ってるわよ? 浮気する男なんてサイテーよね?」
「え、ええ……」
文香は普段と変わらない様子でにこっと笑顔を浮かべている。一方、咲実は総一の意図を汲んではいるものの返答に詰まり、苦笑いするしかなかった。
「なんて、ね? 優希ちゃんの疲労を考えれば長く歩かせるのは酷だわ。それに……さっきのツールで離れていても会話ができるし。あとは……ね? 咲実ちゃんには悪いけど……」
笑顔の隙間に見せた真剣な表情に、総一達は文香の話を思い出す。大凡21:30まで優希を守らなければならない。それならばただの学生である自分達より、文香と一緒にいる方が安全なのだろう。
「そう、ですね。……わかり、ました……。それじゃ、優希をお願いします……」
顔を強張らせまいと必死に返事をする総一だが、もはやどうしようもなかった。咲実も打つ手が見つからず伏し目がちに目線を送る。そして、助けを求めるかのように瞳を泳がせる優希は今にも泣き出しそうである。
だが――どうすることもできない。出来ることと言えば文香が妙な考えを起こさないでいることを祈ることだけだった。
「さ、行くわよ。優希ちゃん?」
そんな3人の思惑を知ってか知らずか、文香は優希の手を引いて歩き出すと僅かに振り返る。
「……元気でね、総一君。咲実ちゃんのことをしっかり守ってあげるのよ? 咲実ちゃんもしっかり気を持って。ね?」
「は、はい……文香さんも……」
「優希を……よろしくお願いします」
事を理解している人間からすれば、文香の幸運を祈るどころか、まるで優希に危害を加えないように懇願しているようにさえ見える光景だった。
「大丈夫。優希ちゃんのことはまかせて。あたし達はさっさと6階に上がってホールで待ってるわ。さっきのツールで総一君とは連絡できるはずよ。近くまで来たら教えてちょうだい。もちろん、何かあった時もね?」
様々な想いが交錯する中、ペアとなった二組の距離は次第に離れていく。いつかのように総一達の方へ飛んでいけたらどれだけ幸せだっただろうか……。だが、今の優希はそんな真似ができる精神状態ではなかった。
「それじゃ……二人とも、また会いましょ? 約束よ?」
扉の前まで辿り着くと再び振り返る。すると、文香が笑顔を浮かべて手を大きく振っているのがわかる。それに呼応するかのように、苦笑いを浮かべながら手を振る総一と一礼する咲実。
そして次第に小さくなっていく、俯いたままの優希。その肩に手を掛けて挨拶を促す文香の姿が見える。
やがてボタンに手を掛け、開かれた扉――この先に続くは天国か地獄か……。
飛び込むように扉の外側へ出ると瞬時に振り返る。無事、文香達も扉の外に出たようだった。そして数秒後……扉は音を立てて互いの姿を遮断した。
扉が閉まる音と共に広がる静寂。恐れていたことが今、現実となったのだ。
凶悪な大人も客の前では怒ることができずに、笑顔を取り繕うのは世の常である。しかし、その客がいなくなったとなれば――
……静まり返った空間を突き破る恐ろしい旋律が奏でられる。
「……やっと二人きりになれたわねぇ……? ねえ、優希ちゃん……?」
数歩歩いた文香はゆっくりと振り返って膝を落とすと、優希の顔を覗き込むようにして語りかける。総一達に話しかけている時とは明らかに違う、低い声色だった。このトーンを知っているのは他に長沢と渚くらいだろう。その音色に優希はただ、怯えていた。
「総一君たちにおかしなこと、言ってないわよね……?」
「し、知らない……。わたし、何も言ってない……!」
「本当かしら……? ねえ……どうして目を逸らすの?」
文香はじっと優希の目を見つめて冷たい声で威圧する。恐怖にさらされた子供が感情を好意的な人物に吐露せずにいられるわけがない。優希の表情を見れば答えは明白だった。
「ねえ? 怒らないから、本当のことを言ってごらんなさい? 今なら許してあげなくもないけど……?」
「…………」
「…………」
「…………」
「ふうん。黙っちゃうんだ……?」
「…………」
この状況で下手に言葉を発するのは命取りである。話の内容を論われて都合のいいように誘導されるのは目に見えている。だから、優希は貝の如く口を閉ざすのだった。
「まあ、いいわ。さっさと6階に上がるわよ?」
やがて根負けした文香は、怯える優希を尻目にパンプスを鳴らして歩き出した。いつ、何をされても不思議ではない。気がつけば涙が溢れてくる。それでも――優希には文香についていく以外の選択肢はなかった……。
「やれ右に左に振り回されるものだ」
削がれてしまった戦意を整理しながら元来た通路を引き返す。金田の話によれば戦闘が起こる確率は低いのだろう。また、自身の安全が約束されているのならそれに越したことはないと言える。しかし、ボスを警護するためだった数十名に及ぶエリート親衛隊員をこうも片手間に動かされては不満の一つも漏らしたくなる。いっそのこと、任務を放棄してカジノパーティーに切り替えてしまおうか……。
――それではプロ失格だな……。俺としたことが、まるでソードワン的思考だ。
特隊長は自身の空想を戒めながら先ほどのゲーム会場まで戻ると、何の気なしに倍率が表示されている電光掲示板を見上げる。
「…………!?」
本来関わるつもりはなかったものの、その内のひとつに引き寄せられるように中心部へと足を進めていった。遠くからでも見えないことはなかったが、一瞬とは言え表記に目を疑ったのだ。確認しておく必要があった。
……近づくにつれて、やがてそれは確信へと変わる。
「ふ、そう……か……。あいつが参加しているとはな……。だが、関係者は2名まで……となると、偶然か、何者かの手によるものか……いずれにせよ、災難だったな……。いや、それは他のプレイヤーの方か。これ以上の皮肉はそうないものだが……」
覆面の上からでは窺い知ることのできないその表情に微かな笑みが宿る。
「お互い、こういう生き方しかできないということか……。理由はどうあれ、任務変更に感謝せねばな」
――グッドラック。
特隊長は小さく呟くと騒めくカジノフロアに背を向け、素早く歩き出した。
「さ、行こう……咲実さん」
二人行動となった総一は咲実に促しながら歩き出す。遠回りのルートを選んだ以上、善は急げである。侵入禁止までの時間に余裕はあれど、優希の安全を考えれば早く合流するに越したことはない。
だが、咲実の足取りは重い。今の彼女の精神は大半が不安要素に支配されており、目的地へ向かってまっしぐらという気にはとてもなれなかった。
「御剣さん……あのままだと優希ちゃんが……」
「…………」
どうすることもできないとわかっていたものの、言わずにはいられなかった。結局、優希と文香……どちらが信じられるのか……否、散々思考を張りめぐらせて迷った挙句、優希があんなに怯えているのに何もできずにいる。自身の無力さを感じずにはいられなかった。
しかし、咲実の動きが鈍くなったのは優希の事だけが原因ではなかった。文香の話を聞いた彼女にとっては自分の価値すら考えざるを得ない精神状態に陥っていた。
「ごめん、咲実さん。……今は、優希が無事でいることを祈ろう。……せめて、早く文香さんに追いつくだけでも……」
「は、はい……」
顔を歪めながら総一は足を速める。これでも最善を尽くしたつもりだった。それにしても、自分がこれほど無力だったとは……。
――結局、俺はまた……優希を守ることができない、のか……。
背後の咲実の存在に気づかなくなるほど、総一は思い詰めていた。かつて犯してしまった過ちをここでもまた再び――
――はははっ、優希……お前の言う通りだな。俺は優希を守ってなんかいない……。
「そうやっていつまでも、自分の都合のいいように解釈していなさい。そろそろアンタも気づいていい頃だと思ってたけど……ほんっとに鈍感なんだから」
「…………!?」
遠くから聞こえてくる足音……それは錯覚だったのかもしれない。目の前に現れたのは懐かしい人影。揺れる桜色の髪、場違いな紺色の制服――
「そう簡単にアンタの思っている通りに事は運んでくれないの。どうして後ろの彼女のことを考えてあげないの? 今できることは……何?」
――優、希……?
いつも自分を励まし、導いてくれた存在……温かさの中に強さを秘めたあの笑顔。だが、今回は違う……心なし怒っているようにも見える。当たり前だ。守れなかったのだから……。そうは言っても今回はどうしようもない。それは目の前の彼女もわかってくれるのではないか。
「じゃあ……どうすれば……よかったんだよ……?」
過ぎ去りし日常のありきたりな会話……行動を咎められるとつい、答えを求めてしまう。しかし、返ってきたのは彼女らしかぬ乱暴な言葉だった。
「そうね……アンタがあの子と姫萩さんの為に、あの女性と争ったら……? どう? 完璧な内容だよね。私は絶対に許さないけど」
「お、おい!? そういう言い方はないだろ……! 完璧って……何なんだよ……!?」
総一は怯んだ。彼女の怒りを込めた鋭い視線に……彼女に限って、こんな状況でふざけたことを言うはずがない。しかし、総一が驚いたときには、次の言葉を発する間もなく既に目の前の少女――桜姫優希は姿を消していた。
「あ、あぁ……」
ショックな出来事が重なり、総一は呆然と歩を進めていた。まさに心ここにあらずと言った感じである。咲実もまた総一の異様な雰囲気には気づかず、飽和した感情と共に俯きながら追随する。
しかし――
その時、後ろから聞こえてきたのは信じられない声だった。それこそ二度と聞くことはないものだと思っていた。だから、総一はこの光景が少し前の続きなんだと動きを止め、咲実はわけもなく溢れる涙に立っていられなくなるのだった。
「御剣の兄ちゃーーん!! 咲実の姉ちゃんっ!!!! ……へへっ、やっと追いついたぜっ!!」