シークレットゲーム 勇者長沢   作:火金星人

53 / 60
Player   Card  Odds   首輪解除の条件
長沢勇治  3  5.6     3人の殺害
矢幡麗佳  8  Death  近距離でPDAを5つ破壊
色条優希  4  9.7   首輪を3つ取得
漆山権造  A  Death  QのPDA所有者の殺害
手塚義光  5  4.1  24箇所のチェックポイント通過
陸島文香  9  6.0  自分以外の全参加者の死亡
郷田真弓  Q  Death   71時間の経過
御剣総一  2  5.2  JOKERのPDAの破壊
姫萩咲実  6  7.5  JOKERの偽装機能を5回以上使用
北条かりん K  Death   PDAを5つ収集
葉月克巳  7  5.3    全員との遭遇
綺堂渚   J  Death  24時間一緒にいた人間の生存
高山浩太  10  5.8   首輪が5つ作動


第50話 デスペラード・レイジ

「緊急事態です!! エースの一派が本船を強襲……う、うわぁ!?」

 

電話越しに連絡を受けていたオペレーターが振り向きざまに報告すると、船が激しく揺れ動いてコントロールルームにも激震が走る。

 

「バカなっ! 今となってはこの船を襲撃する意味など……奴らの規模は!?」

 

「特別攻撃隊からの無線によりますと約50名前後です! 過激な発言が目立つ状況からエースのタカ派かと……」

 

ディーラーの問いに答える間にも、激しい地震に襲われたかのように部屋が揺れる。机の上の機器が船の傾きに合わせて暴れ出し、音を立てて落下する。

 

「エースの連中め……! 血迷ったと言うのか!?」

 

「金田様、このままでは我々も……! 脱出の準備を!!」

 

「待ってください! 甲板上では特別攻撃隊がエースと激しい銃撃戦を繰り広げています。下手に動けば、巻き込まれかねません!!」

 

「カジノ会場はどうなっている!?」

 

「客たちも混乱に陥っています!! ケガ人も出ている模様で……ゲームの見学どころではありません!!」

 

ディーラーとオペレーターが状況をまくし立てる中、カジノ会場のモニターに目をやると、身を寄せ合って震える者、警備員に大声で詰め寄る者、そしてただ腰を抜かしている者もいれば、大ケガを負って倒れているものも見える。さらに引っくり返ったテーブルの周りには割れたグラスとディシュが散乱し、ワインが赤い絨毯をよりドス黒く染めている。

 

「……数では不利か……! 会場に奴らを侵入させようものなら終わりだ。二線級の者で構わん、大至急応援を要請しろ!!」

 

「それが……金田様、最高幹部会の皆様との連絡がつきません!! すべての回線が使用不可能に……!」

 

「な、何だと!?」

 

衝撃と共に左右に揺れる部屋の中、ディーラーは非常回線を開いて必死に関係者と連絡を試みたものの、返事が来ることはなかった。

 

「何故だ!! 何故答えん!?」

 

「知りませんよ、そんな事!!」 

 

ゲームの会場、カジノ船の位置を特定されるという緊急事態、加えて襲撃という前代未聞の危機に対応しようと奮起するもライフラインは正常に機能せず、追い詰められた場の圧力によってディーラーも語気を荒める。

 

「先ほどから何度試しても……!! こんなことはあり得ないはずなのですが……!」

 

「ええい……船の損害状況はどうなっているのだ!?」

 

殺気立つディーラーを他所に、金田は呆然としているオペレーターに職務を促すと、彼らは我に返りディスプレイと向き合い始める。部下が怯えることに続き、指揮を執っている者が熱くなってしまっては、場が機能しなくなってしまう。

 

「……チェ、チェック完了しました! 報告します! 現在の揺れは右舷下部に正体不明の物体が激突したことによるもの……今のところ、浸水、破損の心配はなく、排水も問題ありません!」

 

「航行に支障なし……ならば移乗攻撃か!?」

 

オペレーターの報告にいったんは胸をなでおろしたが、襲撃者がエースのタカ派となればそう安穏としていられない。彼らの極端な思想に基づけば、自分たち幹部や主催者側は当然のこと、ゲームの客も不穏分子と見做され、船諸共乗客皆殺しとあっても不思議ではないのだ。最悪、いつ船を沈められるのかわからない、ということになる。

 

「組織の皆様と連絡がつかないなんて……。金田様……私たちはどうすれば……!?」

 

「い、いやあっ! 死にたくない!!」

 

自分たちのやってきたことも忘れて一部のオペレーターは震えあがり、完全に思考停止に陥りつつあった。中にはしゃがみこんで泣き出す者まで出始める。

 

「私たち、テロリストに殺されるのよっ!! 助けてっ!!」

 

「に、逃げないと……で、でもどこへどうやって……う、うわああ……」

 

メインコントロールルームが激しく揺れ動く。嫋やかな風を受け、碧く美しい海を行く大富豪たちの非日常を司る豪華客船は、エースによってその色を失い、今や大自然の大海原に囲まれた牢獄と化しつつあった。

 

何度もゲームを繰り返すうちに人命を弄んでいた事実などとうに忘れ、自分たちの評価やゲームの結果と行方、そればかりを気にしていた組織の人間が、予想だにしない自身の危機に対応できるはずがなかった。彼らは今、正に前代未聞の危機に陥ったのだ。

 

――もはやどこにも逃げ場はない。

 

そんな彼らを尻目に震える手を必死に動かそうとしているディーラーだったが、やはり幹部会の人間と連絡がつくことはない。

 

「くっ、金田様……やはり……」

 

 

ディーラーが振り返ると、歯軋りをしつつ視線を落とす金田の姿があった。

 

 

――そう、か……これが……。この感覚が……ゲームに参加している者たちの……恐怖、混乱……。そして……絶望感……。

 

「金田様……?」

 

 

 

――色条……。お前はいつ気付いたのだ……。姫様が参加させられてから……いや、姫様が産声を上げたあの日から、だというのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず、お前の要求は通ったが……急進派の奴らは渋い顔をしていたぞ。文章の説明がわかりにくい方が、知能の低い参加者の混乱を招き、面白くなる、などとな」

 

「…………」

 

「まあ……確かに素数のPDAを持つ人物を殺害、よりは3人殺害の方がわかりやすいとは言うが……」

 

「か、金田っ!」

 

机の脇から無邪気な笑顔を浮かべて飛び出してくる幼子……いつものおじさんだ、と言わんばかりに何も知らずに駆け寄ってくる。

 

「おお、姫様……いらっしゃったのですか……はははっ」

 

彼が幼子を抱き上げると、机の向こう側の人物はどこか困ったような、幸せな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――金田様っ!!!

 

「駄目です、通じません……! ……我々は見放されたのでしょうか!?」

 

ディーラーの唐突な呼び声に我に返るのも束の間、言葉を失い俯いていたかのように見えた金田が急に声を張り上げた。

 

「……狼狽えるな! ゲームは客の為に……我々の不手際によって彼らに被害が及ぶことがあってはならん!!」

 

先ほどまでの行く末を案ずる振る舞い、そしていつも温厚な佇まいとは打って変わって、急に真剣な雰囲気を醸し出した金田に、オペレーター達が一斉に静まり返る。

 

「至急、警備員を動員して客たちを落ち着かせるように指示を入れろ! 大した事故ではない、と。戦闘経験のある者には特別攻撃隊への支援を要請するんだ」

 

突飛な発言に静まり返ったメインコントロールルームの面々が言葉も出せずに押し黙る。。

 

「お前たちは万一に備えて救命艇の準備を! 他のオペレーター、現場の担当者達と連携して甲板上の状況を把握しておけ!! くれぐれも客にエースの襲撃があったことを知られてはならん! 恐怖を悟られないよう、落ち着いて行動しろ! そして脱出する際の手引きまで準備を怠るな。急げ!!」

 

「し、しかし……金田様っ! それではゲームは……私たちがコントロールしなければ……」

 

ただならぬ金田の雰囲気に圧倒されていたオペレーターが何とか言葉を絞り出す。今にも逃げ出したい衝動に駆られる中、義務と本能の間で揺れているのは皆同じだった。

 

「もはやゲームのプレイヤー達は我々の手を離れて巣立つ時だ。ゲームマスターもサブマスターも倒れた今、こちらから手を加えなくとも、独自の判断でそれぞれの答えを見つけるだろう。万一に備え、誰か一人が残っていれば最悪、進行に問題はない」

 

「金田様……」

 

「お前たちにも、生活が、家族があるだろう。早く行け!!」

 

「は、はい……!」

 

自身の責任から解放された面々は、躊躇いと喜び、罪悪感と言った相反する感情を抱えながらも部屋から流れ出ていく。一通り内部の人間がいなくなると、放置されたパソコンや通信機がやたらと多く感じる。

 

「か、金田様……よろしいのですか……?」

 

「言ったはずだ。全員いなくなっては誰が姫様を守るのだ? ……私とて最高幹部会の端くれだ。たとえ捨て石にされようとも、色条の為にもここで退くわけにはいかん。……奴らの規模を思えば、じきに今回のゲームは機能しなくなるだろう……。さあ、貴様も早く脱出しろ」

 

 

 

ディーラーの頭に様々な光景が蘇る……。プレイヤー達の反乱、血祭りに上がる組織の兵隊……。力をつけ、肥大化していくエース……。

 

 

なぜ……こんなガキどもに、簡単に兵隊がやられる……? 当然、イレギュラーや精神の差もあるのだろう。だが、こんな無様な結果、認められるわけがない。自分ならば決してこんなことには……。

 

 

 

「…………。過去のゲーム、まだセカンドステージなるものがあったと言う頃の話ですが……ディーラーの裏切りによって、組織に甚大な被害を与えられたという話を聞いたことがあります。ここで逃げては私も彼と同等、それ以下です。私は逃げません」

 

歯を食いしばりながら語るディーラーの瞳には、いつしかゲームを弄び、参加者を愚弄しようとする邪な光は消えていた――

 

「ゲームを管理するディーラーの名に懸けて、これ以上エースの連中の好きにさせるわけには行きません。私も残ります」

 

「そう、か。すまんな……礼を言うぞ……」

 

「恐れ入ります。もはや、モニターは一つで十分ですね。我々が追うべきプレイヤーは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凍りつく空気、淀む視界……今立っている場が、現実からかけ離れた異次元のようにさえ感じられる。それぞれの思惑の相違が重苦しい空間を作り出し、ただならぬ雰囲気が支配する。

 

――戸惑いの表情を浮かべながらも微笑し、僅かに後ずさろうと身構える者、彼の腕をつかみ、怯えの色を瞳に映し出す少女……しかし、それに罪悪感と誤解への淡い期待が重なって態度を決定的にできず、華奢な身体が震え出す。

 

そして二人の間から覗く、激しい怒りの視線で現れた存在を刺す少年……慌てふためく彼らと違い、既に臨戦態勢――号令でもかかれば凄まじい勢いで突撃しかねない雰囲気である。

 

ある者は困惑し、ある者は怯え、またある者は怒り――

しかし、対峙する存在は、この場とは無縁とも取れるような不思議な笑みを湛えていた。

 

 

咲実の視線は救いを求めるように総一へと泳ぐものの、当の本人は紡ぐ言葉に迷い、唖然と文香を見つめたまま声を出せずにいる。そして、二人の影に隠れるようにして立っている長沢も、突如現れた憎き仇敵に怒りの表情を向けたまま身動きが取れない。

 

――いったい、何を話せばいいのか。どう切り出せばいいのか。

 

長沢によって齎された、文香への疑惑……文香にしてみれば、長沢の存在による総一達への疑念。それは、その場にいる誰もが言葉を発することを許さない状況に作り替えていた。

 

だが、思春期の少年少女による一連の仕草や空気は、経験豊富な大人の女性に答えを与えてしまうには十分だったのかもしれない。

 

やがて何かを悟ったのか、文香は微笑みながらゆっくりと口を開く。

 

 

 

「ふふ、やっと会えたわね。総一君、咲実ちゃん?」

 

「は……は、い……」

 

いつもの声がやけに明るく響き渡ると静かな笑顔を浮かべたまま、文香はパンプスの音を響かせて徐々に距離を詰めて来る。このまま接近を許すと何か恐ろしいことが起こるのではないか。そんな気がしてならない。少し前までは自分たちに安心感と心地よさを与えてくれた文香の笑顔――今はそれが例えようのない不安と恐怖を放っているのだ。

 

得体の知れない恐怖に怯えた咲実が総一の制服の裾を痛いくらいに強く掴むのと、長沢が二人の前に躍り出たのはほぼ同時だった。

 

 

 

「……おい。優希と一緒じゃなかったのかよ?」

 

 

「な、長沢君っ……!」

 

 

 

敵対心剥き出しの態度で飛び出した長沢を、咲実は驚き止めようとする。さながら触れてはならない悪に、恐れを知らぬ幼さで戦いを挑む子供を止める母親の如く。まだ不確定要素があるとはいえ、文香の本心が自分たちには好意的ではないのかもしれない――そうとわかった以上、下手に刺激すれば自身の寿命を縮める結果となるからだ。

 

文香は質問には答えず、小憎たらしい存在の唐突な質問と無礼な態度に不快の表情を浮かべる。だが、すぐにその色を掻き消すと口角を釣り上げて意味深な微笑みを長沢に向けた。

 

「ふふふふ……生きていたのね? ボウヤ」

 

「…………」

 

長沢が睨めば睨むほど、文香は微笑みを浮かべてゆっくりと近づいてくる。その瞳はドス黒く僅かな笑みも感じられないというのに、正反対である不気味な笑顔に嫌悪感すら湧き上がる。

 

――渚の姉ちゃんを殺しておいて……てめえ!!

 

その本能から来る感情と、若さ……否、幼さ故の愚かさと正直さ、そして敵の前で虚勢を張ろうとする思春期の見栄……何よりも自分のトモダチを守ろうとする意志、そして大切な女性を亡き者にした対象へ向かう、少年の激昂の果てに発せられたもの、それは……。

 

 

二度目の禁句、言ってはならない言葉……。

 

 

 

 

 

「笑ってんじゃねえ! このババア!! なに企んでやがる!!」

 

 

 

 

 

最大限の嫌悪と意思を込めた暴言……本人にとってはただの言葉による攻撃、そして渚への弔いとも言える愛情表現だったのかもしれない。

 

しかし……思春期の男子……幼い長沢が思うほど、その言葉は軽くはない。

 

 

 

 

――言ったわね……!!

 

 

 

 

一瞬、驚いた文香の表情――それが見る見る鬼の形相へと変化していくのと、長沢の後頭部に重い衝撃が走ったのはほぼ同時だった。

 

 

「ぐあっ!! ……な、なんだ!?」

 

「バカッ!! なんてことを言うんだ!!! 長沢っ!! 運よく出会えたってのに!!」

 

「だ、だって……この女は……!」

 

「す、すみません、文香さん……長沢がちょっと誤解しているみたいで……」

 

長沢の言葉を無視して拳骨の拳を握りしめたまま、総一は表情を崩して、文香に謝罪の言葉を紡ぎ出す。だが、文香にとって長沢への不快感は尤もだったが、何より少し前までとは違う総一のよそよそしい態度、どことなく警戒している仕草の方が余程ショックだったのだ。

 

「どうしたの? 総一君……そんなに怖がらなくていいわ。そんなボウヤの挑発で怒るほど、あたしは子供じゃないわよ? あたしはお姉さん。そうよね?」

 

「は、はい……もちろんです。すみません……」

 

本来ならば、長沢に謝罪を促して場が明るくなるように立ち回るはずの総一も、静かな迫力に押されて何もできずにいる。

 

「ねえ? バスガイドのお姉さんにババア、なんて。長沢君くらいの男の子なら普通に言うでしょ? 分別のつかない子供だもの。ねぇ?」

 

「ぐ、くっ……!」

 

尚も怒ってるのか笑ってるのか判断しかねるような、不気味な雰囲気を放ちつつ文香は微笑みかける。その一方で、見下すかのような言葉と視線に長沢の怒りのボルテージは上がっていく。

 

「でも、ま……あたしがバスガイドだったら……長沢君にシートベルトを締めて、その可愛いくて憎らしい顔が腫れ上がるくらい、往復ビンタしちゃうけど? 総一君だったら……股間のものを踏み潰しちゃうかもしれないわね……ふふふふふ」

 

「あはは……は……俺は、そんな失礼なこと、思いません……」

 

「ふふ、わかってるわ。ちょっとしたジョークよ、総一君。そんな顔しないの」

 

 

――気色悪い奴……!!

 

 

満面の笑みを浮かべて文香は語るものの、長沢は怒りの表情を崩すことはなかった。一方、総一は文香の冗談にさえ顔を引きつらせ、その表情は青ざめていた。

 

 

――怒っている。確実に……!

 

 

「ねえ、総一君? それで……長沢君があたしの何を誤解しているのかしら?」

 

「えっ……。いえ……それは……」

 

長沢の暴言を取り消そうと反射的に口にした言葉……瞬時に誤魔化すための一時凌ぎを突っ込まれては成す術がない。浮気の言い訳、都合の悪い話の挿げ替え等、このような時に男女の力差、脳のデキの違いを思い知らされることになる――このまま執拗に追及されれば、破滅は目に見えている……。

 

「その……文香さんが言ってた、エースの話ですっ! 長沢君が見つけた、男の人の死体があって……! それで文香さんのことを……」

 

透かさず口ごもった総一と文香の間に咲実が割って入る。

 

「そう。でもその様子だと、長沢君はあたしのことを疑ってるみたいだけど?」

 

――優希を確認するまで、ダメだっ!!

 

今にも飛び出さんという勢いの長沢の肩を、総一は強く掴む。嘘は卑怯と信じている年代の少年がこのやり取りを黙って見ていられるわけがない。

 

「それに……ふふふふ。どうして長沢君と一緒にいるのかしら? その子の首輪解除の条件、総一君も咲実ちゃんも知ってるわよね? いつ殺されるかわからないわよ?」

 

「けっ、よく言うぜ。お前のPDAの方がよっぽど危険だろうが!!」

 

「はぁ。……本当に誤解してるのね、ボウヤ。あたしのPDAはQよ? 何なら、総一君の初期化機能で試して見せてあげてもいいけど? それと……お前って何なの? ボウヤ。子供のクセに……撤回して欲しいわね」

 

真実が見えていてもそれを白日の下へ晒す手段がない……文香が複数のPDA、それも本物のQを持っている以上、JOKER初期化機能は意味をなさないのだ。

 

「そういう言葉遣いはいけないって言ったわよねぇ? ほんっと、お仕置きが必要みたいね……この子。ねえ? 咲実ちゃん?」

 

「え、ええ……」

 

自身への疑惑の矛先を変えて話を逸らし、少年たちを意のままに操る。正に世間を渡り歩いた時間と対人関係の場数の差が成せる技であった。

 

「ほら、長沢、文香さんに謝れ」

 

「な、なんでだよ!? こいつは渚の姉ちゃんを殺したんだぞ!!」

 

「言葉遣いに気をつけなさいって言ったはずよ? 頭の悪い子ねぇ……!!」

 

瞬間、穏やかな語り口だった文香が急に語気を強める。

 

「ふざけてんじゃないわよっ!! ねえ……! ボウヤの方こそ、スキをついて総一君と咲実ちゃんを殺そうとか考えてるんじゃなくて?」

 

「何だとっ!? この……!! それができるならとっくにやってらぁ!!」

 

退こうとしない長沢に、つい文香も一人の女性としての感情を爆発させる。普段なら何という事もない態度にも、此処に至るまでの災難に余裕を失っている彼女には少年の言葉が矢となって胸に突き刺さるのだ。

 

「いい加減にしろ!! 長沢!! ……ふ、文香さん、すみません。でも、こいつはもう大丈夫です、人を殺したりなんか……」

 

総一は何とか長沢を窘めようと怒って見せる。現に窮地に追い詰められたのは総一と咲実の方なのだ。文香の本音がわからない以上、一旦この場を凌ぐためには長沢に我慢してもらうしかない。だが、彼にはそこまでできるほどの分別もなければ、恐れもなかった。

 

「……それは、どうかしら」

 

「文香さん、あの……長沢君とは、ここに来るまでに色々お話ししました。その、上手くは言えないんですけど、私にはわかるんです。長沢君の言う通り、私たちに何かしようとすればいくらでもできたはずなのに……」

 

俯き加減に異論を挟む咲実に文香は顔を顰める。ゲームが始まったばかりの頃は、まともに発言することすらできなかった咲実を、そこまで言わせている長沢にも心外と言った表情だった。

 

「……はぁ、咲実ちゃんもボウヤの肩を持っちゃうわけ。……あたしとしては微妙だけど。それで、どんなお話しを聞いたのかしら?」

 

文香の詰問に咲実は口ごもる。下手な発言は相手の意識を変え、自分たちを窮地に陥らせることになるのだ。

 

「ふう……。もしかして渚さんのこと? 総一君も咲実ちゃんも知らないでしょ? ふふふふ。あの人はねえ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……手榴弾だっ! 海へ投げ捨てて、伏せ……うわぁぁ……!!」

 

「……!!」

 

「船首側は制圧した!! 入口の突破にかかれ!!」

 

「了解……ぐわっ!!」

 

「おのれぇぇ……!! 死なば諸共よっ!!」

 

夜空に響き渡る銃声、爆音……。想定外の奇襲とは言え、準備を怠っていなかったのは幸いだったのかもしれない。だが、数で不利などころか、生きて帰るつもりもない彼らにしてみれば、身を守りながら戦わなければならない組織側が押されていた……。

 

「敵テロリストがこちらへ向かってきます!!!」

 

「一斉射撃……! うわああああ!!」

 

「クソッ! 退けっ!!」

 

激しい爆発と共にテロリストの身体が砕け散ると、迎撃していた数名の特別兵が爆発に巻き込まれて吹き飛んだ。

 

「状況は!?」

 

「8名が戦死、3名が戦闘不能、4名が負傷!!」

 

「動けるのが10前後、敵は約30……!?」

 

その刹那、特隊長はアサルトライフルを上方へ向けて乱射した。忍び寄る影が船橋から転げ落ちて甲板に叩きつけられると、報告に現れた部下の兵隊がトドメの掃射を浴びせる。

 

「船内への侵入者は?」

 

「今のところ許してはいません。正門担当兵に負傷者はいますが……」

 

部下の報告を聞き終えると、特隊長はすぐさま無線機を取り出した。

 

「聞こえるか? テロリストどもが船内に侵入するのも時間の問題だ!! 至急警備の者を動員し、正門付近に待機させ……」

 

「隊長っ!!」

 

「がっ……!!!」

 

凄まじい勢いでタックルをもらって甲板を転がると、近距離で爆発音が耳を劈いた。船が大きく揺れたような感覚の中、身体に痛感がないことと五体満足でいることに驚く。だが、その代償は……。

 

「おい、貴様……!!」

 

「…………」

 

悲しむ間もなく、船橋の陰から銃撃が来る。

 

「野郎っ!!!」

 

感情に任せて正面に飛び出し、蜂の巣にしてやりたい衝動に駆られるが、他に隠れているテロリストがいれば自身がそうなりかねない。必死に感情を抑えつつ、銃火が見える方向へアサルトライフルを撃ちまくると、微かな血飛沫と共に、銃撃が止んだ。背後、周辺に敵がいないことを確認すると、特隊長は落ちている無線を引っ手繰る。

 

しかし、通話を試みようとした瞬間、またもや爆音爆風にさえぎられる……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だから、違うだろ!! 渚の姉ちゃんは金が必要だったんだ!! 好きでゲームに参加してたわけじゃないんだっ!!!

 

――いい加減に目を覚ましなさい? ボウヤのこと弄んで殺そうとした事実はどう説明するのかしら? 見てないから何とも言えないけど、渚さんの話が嘘だ、とは考えなくていいの? ねえ?

 

――死ぬ間際の人間が、そんな嘘を言うかよ!!!

 

――ゲームのやり過ぎよ? ボウヤ。君を体よく利用して、自分の代わりにゲームを盛り上げさせようとした、とは思わないの? 女って怖いんだから……。ふふふふふ。

 

――ふざけんな!! 僕のことだって笑いながら撃とうとしたじゃないかっ!! 

 

――ボウヤが先にライフルを向けてきたんじゃなくて? あたしだって自分の身を守ろうとするのは当然よ? ふふふ……。

 

 

長沢は何度も大声で言葉を挟んで主張した。渚は自分にとっては大切な女性であり、本当は悪人ではないのだと力説した。しかし、総一達が会っていない以上渚への感情には限界があり、文香を信頼していた身としては事実よりも願望から彼女を味方だと信じて疑わなかった。そこへ正当な理由を持ちかけられては、総一や咲実が懐柔されるのは当然の流れだったのである……。

 

「じゃあ、長沢を助けようとしたんですか……?」

 

「そうよ。あたしは二人の深い事情まで知らなかったし……結果として、長沢君の恨みを買っちゃったけど」

 

 

(このババア……僕のこと、殺そうとしたくせに……!!)

 

 

――残念ね、仲良くあの世にいってらっしゃい、ボウヤ。

 

 

 

不愉快な記憶、台詞と共に悪意を含んだ文香の表情と、守れなかった渚の悲しい瞳が蘇る……。どうすることもできない現状に涙が溢れて来る……。

 

 

加えて渚がゲームを運営する組織の一員であり、エースの話を聞かされていては文香を正義だと推すことに何の疑いもない。そうなれば、本来の懸念であったJOKERの正否からも目を逸らすことになり、彼女がそれを隠していたことさえ有耶無耶になってゆく。

 

「これでわかったろ、長沢。文香さんだって……お前を悲しませるために渚さんを撃ったわけじゃないんだ」

 

(……ち、ちくしょう……。渚の……姉、ちゃん……!)

 

もはや反論する気力さえなくしてしまった。学校にいる時の無力な自分を彷彿とさせる空気そのものである。この後、執拗な罵声や蹴りが飛んでこない分、マシなのかもしれないが――

 

 

静まり返った空間が無情に時を刻み沈黙が続く……。

 

 

やがて長沢を黙らせた文香は勝利を確信したのか、口を開く。

 

「ディベートの時間はお終いみたいね? さ、行きましょ。総一君、咲実ちゃん。残りの時間でJOKERを探さなくちゃね」

 

「は、はい……」

 

「ボウヤはどうするのかしら? あたし達と一緒に来るのが嫌なら、それでいいけど……。どちらにしても、これだけは言っておくわよ? この先、君がおかしな真似をしたら、あたし達も相応の措置を取らせてもらうわ。よく考えて行動することね」

 

淡々と促す文香に総一は戸惑いながらも追従しようとする。咲実は俯きながら震えている長沢を案じてはいたが、動こうとしない少年に振り返りながらも仕方なく歩を進める。

 

(てめえが……持ってんだろうが……! JOKERは……!!)

 

もはや何を言っても、文香はもちろん、総一や咲実の耳には届かないのだろう。この場でJOKERを隠し持っていることを晒しても、文香のPDAがQだとするならば、いくらだって体の良い言い訳、後付けの理由はつけられる。何より、それが明るみになることを総一も咲実も望んでいない以上、JOKER探索機能で証明することもしないのだろう。

 

そして、9のPDAを持っているのなら何もしてこない理由、そして自分たちに好意的だという事実、エースの理念を覆せるような……渚や自分に、優希に対して見せてきた文香の正体を二人に理解してもらうのは不可能だろう。

 

エースの活動、優希の保護に、総一達を怖がらせないために偽装する必要があった、そう答えられれば、あの二人は疑うこともしないことは想像がつく。たとえ最悪のシナリオが待っていようとも、それを証明する、二人を納得させる方法がない……。

 

(僕は……また、渚の姉ちゃんを……傷つけてしまった……)

 

自分の無力さに嫌気が刺す。本気で総一と咲実を背後から狙撃してもいいのではないかと思うほどに……。しかし、自分が文香に勝てるとは思えない。そして……

 

友達を裏切るなんて、悪党がやることだ――

 

長沢はこの時、気付いていなかった。いつからか、誰でも彼でも殺してみたいと豪語する三下悪役の少年は、漫画に出てくるようなそれなりの少年になっていたことを。

 

過去の自分が消えていくかの如く、三人の背中が徐々に小さくなっていく。やがて彼らが角を曲がると、そこは一人の空間となった……。

 

 

「…………」

 

 

――結局、僕は一人なんだ……。ちくしょう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これは……恐れ入ったな……」

 

気配を消し、対戦車ライフルの後ろに身を隠す。前回の失敗を考慮して後方の注意も怠らず、複数のPDAを見比べながら、光点の接近を待っていた男は、思わぬ来客に頬を緩めた。

 

「本当に約束を守ってもらえるとは……ゴホッ、ゴホッ!! あの子がお前に迷惑をかけたようだが……どうか、許してやって欲しい」

 

「はははっ。これでも一家庭を背負ってる身でもありますしね。娘を説得した時の事に比べたら、可愛いものですよ」

 

「ゴホッ……。そ、そうか……。気遣い、感謝する。まあ、互いに満身創痍のようだが、な」

 

「そうですね……。救急車でも呼びましょうか」

 

「ふっ……それができればな……」

 

血染めのワイシャツに巻かれた包帯……そんないで立ちでありながら、通路に背を凭れて苦笑いを浮かべる紳士と、青白い顔のまま座り込んで語る男の他愛もない笑い声が冷たい通路に響き渡る。どう見てもそんな余裕がある状況ではないのだが……二人が共有しているものは満足感の他になかった。

 

「冗談はほどほどにしておきまして……これでも、体力にはそこそこ自信があるんですよ。学生時代はラグビーで慣らしていましたので。高山さんこそ、よくぞご無事で」

 

「備えあれば、憂いなし、だ。最新型機動兵器の攻撃だったが、幸い小口径の銃撃だったのでな……」

 

高山はごほごほと咳き込みながら半袖のシャツを脱ぐと、繊維の傷ついた防弾チョッキを外そうとする。そしてその不思議そうな視線は、包帯が巻かれて赤みがかっている葉月の腹部に移った。

 

「若い子たちが頑張っているのに、僕だけ眠っているわけにはいきませんからね……元気の素はこれですよ」

 

「なるほど、痛み止めか……。特殊な劇薬、麻薬に近いものだな」

 

「ええ。部屋の救急箱に入っていました。もしかしたら、これで行けるかと思いましてね。案の定、今のところは痛みもなく最低限の行動は可能です」

 

葉月がポケットから取り出した瓶を見て高山は納得する。武器を始めこのゲームで使われている素材は、どれもが一般的には手に入らないような特殊なものばかりである。それこそ、町医者で処方されるものの比ではない。

 

「そうか……だが、緊急時以外の使用は控えた方がいい。どんな副作用があるかわからない以上、言わば両刃の剣なのだからな。ゴホ、ゴホッ……。さて、再会したばかりで悪いが、時間がないので先に言っておきたい。お前は、役所に勤めていると聞いていたが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれからどれくらいの時間が流れたのだろうか……

数時間、あるいは一瞬だったのかもしれない……。

 

 

こぼれ落ちそうになる涙を必死で堪えつつ、天井を見上げる。だが、いつまでもこうしてはいられない。こうなってはあと一人、参加者を殺害するか、他のプレイヤーに文香を何とかするための協力を頼まなくてはいけない。誰か他にいないのだろうかと、長沢は徐に渚のPDAを取り出した――

 

 

「な、なんだ……誰か、他にいるのかよ……?」

 

少し離れた部屋に集まっていた光点が4つに増えていた。おそらく総一達が別の参加者と接触したのだろう。部屋名は戦闘禁止エリア……。食事、あるいは休息だろうか。

 

黙って見つめていると、それらの内の一つがそわそわと動き出し、微妙に揺れていた。いったい何が起きているのかと思うより先に、その光点が全力で集団の中から走り出すと、自分の方へと向かってくる――!

 

 

 

「お、おい……どうしたんだよ!? あのババア、まさか兄ちゃん達に何かしやがったのか!?」

 

長沢は勢いよく立ち上がると、リュックサックからはみ出していたアサルトライフルの銃身を掴んで引っ張り出し、三人が消えていった角に狙いをつける。

 

「覚悟は決めたぜ……! 渚の姉ちゃん……僕は、兄ちゃん達に怒られても殺されても、やっぱりあのババアは許せねぇ!!! 姉ちゃんの元へ送り込んで土下座させてやるぜっ!!」

 

青いものが見えたら即、銃撃。白か黒なら少し待つ……。

 

――どうせ、生きて帰ったって……学校にいるより、ここにいる方が楽しかったもんな……。それなら……ここが僕の墓場だっ!

 

震える手でライフルを構えながらPDAに視線を落とすと、光点が近づいてくる……そしてそれを追従する3つの光点。逃げ出した誰かを残りの参加者たちが追いかけてきているのだろうか。光点同士の距離は徐々に縮まりつつある……。いよいよ先頭の参加者と思しき人物が現れる。

 

何かの罠かもしれない……そう考えないこともなかった。6階にあるツールボックスを考えれば、光点の人物もこの場所に長沢がいることを知ってても不思議ではないのだ。だが、今の長沢にそこまで考えることはできなかった。

 

 

――3、2、1、来るっ……!! 

 

 

引き金に手を掛け、通路の曲がり角に全神経を集中する。

 

 

 

 

 

 

 

だが、そこに現れたのは……思いも寄らぬ参加者だった。

 

――小さな影と華奢な身体、そしていつか見た桃色の髪……。

 

 

 

 

 

 

「あ……。……お……お兄、ちゃ……ん……」

 

「……!?」

 

突然の衝撃にアサルトライフルを落としそうになる。少女の髪は乱れ、服は黒ずみ、顔にはひどく疲れの色が浮かび、泣きだしそうな瞳でこちらを眺めていた。足元はふらつき、今にも倒れそうである――

 

 

あれからどれくらいの時が過ぎたのだろう。どれ程の出会いと別れを繰り返してきたのだろうか……。実際には2日も過ぎてはいない。だが……

 

不慮の事態によって引き離され、望まない圧力や恐怖にかられ続けていた優希にとっては永遠とも言える長さだったのだ。安心感から溢れ出た涙を拭うこともせず、優希は霞む視界の中にいる長沢に向けて両手を伸ばし、駆け出してきた。

 

「お兄ちゃん……。お兄ちゃんっ!!!」

 

「ゆ、優希っ!!!! ……うわっ!」

 

だが、二人の手と手が触れあうよりも先に、聞き慣れた銃撃音が頭上を通り抜けていく……。長沢は通路の奥に現れた青い影に驚き、声を上げると優希も動きを止める。

 

「優希っ!! 後ろだっ!」

 

「あっ!!」

 

既に二人にはわかっていた。この状況でそのような真似をするのは……。ライフルを手放した途端にターゲットが現れるとは、何たる皮肉だろうか。

 

 

「……止まりなさい? 優希ちゃん……」

 

そこにはいつか見たあの恐ろしい目つきで、自分たちを睨みつけている女性が佇んでいた。右手で拳銃を構え、左手は何かを取り出そうかの如くスカートの脇に添えられている。

 

「ふ、文香さんっ! 何やってるんですか!?」

 

そして後を追うかのようにバタバタと追ってきた総一と咲実……。二人もまさか文香が優希を銃撃するなどとは思ってもいなかったのか、悲鳴のような声を上げる。やがて文香に追いつくと、長沢は優希を挟んで3人と対峙する形となった。

 

「早くこっちへ来るのよ、優希ちゃん? 10秒だけ待ってあげる」

 

しかし、熱くなる長沢とは対照的に、優希は振り返りざま怯えて身体を硬直させている……。その隙をついてもう一発、銃声が上がった。

 

「文香さんっ!!」

 

「……脅しじゃないわよ。あたしを本気にさせないでね……?」

 

総一は優希を銃撃するという文香の行為に驚き、異を唱えようとしたが彼女の静かな迫力に押され、それ以上何もできずにいた。

 

 

「それと……動かないでね? ボウヤ。下手な真似したら容赦しないわ。ふふふ、こっちへいらっしゃい、優希ちゃん。勝手な行動は許さないって言ったはずよね……? ねえっ!! 早くっ!」

 

 

――本性を現しやがったな、このババア!!

 

 

いつになく焦っている文香に、長沢は悪態をつく。だが……義務と希望、恐怖と安堵、そして……生と死……。望むように動けば命はない。生を優先させれば闇の中へ――子供にはあまりにも残酷な選択肢だった……。

 

「優希っ! あんな奴のところへ行く必要ないぜ!! こっちだ!!」

 

長沢は叫ぶや否や、隙をついて優希の元へ駆け出そうとするが、そんな素振りを見せただけで文香の視線と銃弾が飛んでくる。

 

「うわっ!? こ、こいつっ……!」

 

「これが最後よ? ボウヤ。次、動いたら君の額に穴をあけることになるわ。いいのかしら……? 優希ちゃんの前で、顔が血まみれになって無様に伸びることになるわよ……ふふふふふ」

 

「…………!」

 

長沢に助けを求める優希、動けない長沢……主導権は完全に文香に握られていた。しかし、総一達が追いついたことで、文香も警戒しているのか膠着状態が続く。そんな中、状況を見守っていた……否、何もできずにいた総一が言葉を発する。

 

「ふ、文香さん……そんなにまでしなくたって……。優希はまだ子供なんですよ? と、とにかく銃を下ろさないと。長沢だって……きちんと話し合えばわかり合えるはずです!」

 

「そうもいかないわ。さっき話したばかりでしょ? 優希ちゃんのこと。それに……ボウヤはあたしとやる気満々って感じだけど?」

 

「で、でも……優希は何も知らないじゃないですか!」

 

埒の開かないやりとりだとわかっていても、文香は拳銃を下ろすこともなければ、こちらから視線を外すこともない。とにかく穏便に、平和にやり過ごそうとした総一は説得を試みる。

 

「ほら、大丈夫だよ、優希。お前にはわからないだろうけど、文香さんにもちょっとした事情があってさ。本当は優希を傷つけるつもりなんてないんだ……そうですよね、文香さん?」

 

長沢を窘めるのと同じような声色……悪意はなかったのだろう。だが、優希の顔色はますます絶望の色が濃くなり、嫌悪感を持って震え出していた……。傷つけるつもりがあろうとなかろうと、現に今までの行為を思えば信じられるものではない。

 

「文香さんっ!! もうっ……もう、やめてください!!! こんなやり方されたら……私だって、何を信じればいいのか……」

 

「言ったはずよ、咲実ちゃん。あたしたちは真っ直ぐには生きられないって……。綺麗事ばかりで生きてはいけないの。優希ちゃんには一緒に来てもらうわ」

 

「それに、長沢君だって……聞いていて羨ましく思えるくらい渚さんのことを……。もう少し、考えてあげても……」

 

「あら、そんな風に総一君に思ってもらいたいのかしら? うふふふふ……」

 

精神が臨界に達した咲実が涙ながらに大声を上げる……。そんな咲実の説得にも文香が耳を貸すことはなく、いつもの調子で受け流すだけだった。本来ならば顔を赤く染めて俯くはずの咲実も、今は涙を流してへたり込んでいた。

 

 

(ちくしょう……! どいつもこいつも……。なんでこの女のことを……! 兄ちゃんも姉ちゃんも今なら、この女を倒せるだろうが……!)

 

 

ここが学校ならば、優希を除く全員が敵なのだ。しかし、総一も咲実もそんな人間ではないことは既に知っている。そしてこのままでは優希が連れ去られるのは時間の問題だろう。それだけは避けなければならない。ここで総一達と離れたら、二度と再会できなくなりそうな……そんな予感がした。

 

 

どうすればいい……?

 

 

 

 

そうか……。

 

 

 

 

御剣の兄ちゃんも、咲実の姉ちゃんも言えないんなら……僕が……!!!

 

 

 

 

 

 

その空気を打ち破ったのは、意を決した自らの怒号だった――

 

 

 

 

 

「御剣の兄ちゃん、こいつは敵だ!! この目を見ても何とも思わないのかよ! この女は9のPDAを持ってるんだ! それをずっとJOKERで騙して……。おい! お前が兄ちゃん達の味方なら……殺す気がこれっぽっちもないってんなら、今すぐ御剣の兄ちゃんと咲実の姉ちゃんにJOKERを渡しやがれ!!」

 

 

「な、長沢、君っ……!!」

 

 

――瞬間、空気が凍り付く。総一と咲実が言えなかった事……そして、一番言いたかった事……。確かめるのが怖かったのだ。信頼していた人物が嘘をついていた、自分たちをどうにかするつもりだった等とは、考えたくもなかった。答えはいつかわかる。最後にはきっと笑って種明かしをしてくれる。

 

そうだ……文香さんが俺たちを騙すなんて……あるわけないだろう?

 

「長、沢……」

 

呆気に取られている総一とその後ろで怯えている咲実……振り返る優希……。突如振り下ろされたジャッジメント――だが、驚いていたのは3人だけではなく、文香も含まれていた……。

 

 

――そして、時が止まったかのように、誰もが動けずにいる空気を再び長沢が震わせる。

 

 

「おい、どうしたんだ!! お前にとって御剣の兄ちゃんと咲実の姉ちゃんまで敵ってわけじゃないんだろうが!! 兄ちゃん達が助かれば、優希だって助かるかもしれないだろ。エースが何だとかそんなことは知ったこっちゃない。今すぐ優希だけでも解放しやがれ!! 渚の姉ちゃんの組織と戦争がしたけりゃ、お前ひとりで勝手にやれってんだ!!」

 

「…………」

 

「…………」

 

「お……お兄……ちゃん……」

 

無音の空間に優希の涙が床を染める音だけが響き渡る――

 

誰もが動けずにいた。驚嘆、恐怖、安堵、焦燥……様々な感情が全員の胸中を掻き毟り、行動を封じ込めていた――

 

 

 

 

 

 

「ふ、ふふふふふ……あははははっ! あっはははははははは!!!」

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

「ははは、はぁ、はぁ……。ふふふ……。面白いことを言うのね、ボウヤ……君にそんな根性があるなんて思わなかったわ」

 

「ふ、文香……さん?」

 

やがて沈黙を晴らすかのように上がった哄笑にゆっくりと時が動き出す……。驚いたのは総一と咲実だった。文香がこのような……人を嘲るような高笑いをすることなどあり得なかったからだ。

 

「……そうよ。君の言う通りよ……あたしがJOKERを持っているわ。うふふふっ……あっはははは!!」

 

文香がJOKERを持っていた事実に驚くことはなかった。総一も咲実も、当然長沢も知っていたことなのだから。しかし、それは言ってはならない、天地崩壊の呪文……。現状を打破するにはそれしかなかったのかもしれない。だが……何の覚悟も前置きも無しにそれを放った長沢に対する代償は、すぐに後悔となって襲い掛かることになる……。

 

「さあ……こっちへいらっしゃい、優希ちゃんっ!」

 

歪んだ笑みを浮かべる文香に恐怖を感じた時には、既に優希がその腕の中へ捕らわれていた。

 

「し、しまった! ゆ、優希……!」

 

「お、お兄ちゃん……!!」

 

「総一君たちにJOKERを渡せって言ったわよね……ボウヤ? いいわ。いつかは言わなきゃいけないって思ってたし。でも……あたしに散々生意気な口をきいたお仕置きをしてあげないとねえ……」

 

 

――へっ、やっと暴いてやったぜ。殺すのなら勝手にしろ。

 

 

少なくとも、この時の長沢は達成感に満たされていた。総一と咲実に証明できなかったことを今、白日のもとへ晒すことができた。

 

 

 

 

 

だから、誰の声でもない無機質な音声が上がった時、自分の行動を死ぬよりも後悔することになったのだ……。

 

 

 

 

 

――ピロリン、ピロリン、ピロリン。

 

 

 

 

 

 

――えっ……?

 

 

 

 

 

 

各々が一斉に自分の首元に目をやり、自分のものではないと確認すると、即座に音のする方へ視線を集中させる。その視線の先には――

 

 

 

 

貴方は首輪の解除条件を満たすことができませんでした。15秒後にペナルティが実行されます。

 

 

 

 

「文、香、さん……!?」

 

「あ……ああっ……!」

 

何が起きたのかわからなかった。呆気にとられるのも束の間、幼い少女の首輪が赤く点滅していることに気づき、我に返る……。

 

「優、希……?」

 

何が起こったのか理解した時には、すでに手遅れだった――

 

 

 

 

「うふふふ。長沢君。お望み通り、優希ちゃんを解放してあげる。ほら」

 

信じ難い惨劇の狼煙が上がり、今、悪夢が現実となって襲い掛かろうとしていた……。

 

 

 

 

 

「15秒間の再会か……ロマンチックよねぇ……? 儚いわ……」

 

 

腕を組んだまま不敵な笑みを浮かべ、事の発端となった張本人が幼い少年少女を嘲るように呟く。

 

 

「そんなっ……文香さん……!? あなたって人は……!! どうして……!」

 

想定外の事態に我に返った咲実は悲鳴にも似た涙声を上げる。いくら文香の様子に疑問があったとは言え、直接的な攻撃に出たのは今回が初めてだった。

 

「優希っ!! ……ふ、文香さん!! 何て事を……!! あなたは……何をやってるのかわかってるんですか!? 優希は……もう……!!」

 

「よしなさい。貴方も巻き込まれるわよ? 今はおとなしくしてて。……総一君には後で教えてあげる。優希ちゃんはもう……エースの任務に必要なくなったのよ……うふふふふ」

 

渦中へ駆け出そうとする総一を文香は制すると、二人の言葉も気にすることなく狂気を含んだ表情で静かに囁いた。

 

「だからって……! たとえ任務じゃなくても、優希を犠牲にするなんてっ!!」

 

 

 

 

――そして、文香の腕から放された優希が一直線に長沢の方へ駆け寄る。

 

 

「お兄ちゃん、会いたかった……お兄ちゃんっ!!」

 

「優希っ!!」

 

 

長沢は倒れ込むように駆けてきた優希を受け止めると、力強く抱きしめた。

 

「お兄ちゃん……わたし、わたし……怖かった……!」

 

「優希……もう、大丈夫だ……な! だから、泣くな……」

 

長沢の胸に顔を埋めて優希は泣き叫んだ。漸く手にすることのできた安らぎの時間――だが、それはあまりにも短すぎた。数秒後には何らかの仕掛けが発動して、二人は……。

 

 

それでも長沢に、優希に後悔はなかった。

 

 

――やれたんだ……僕は……。この悪党の本性を暴いて、優希を助けられたんだ……!! 僕は勝てなかったけど、負けもしなかったんだ!! 

 

 

総一も咲実も動けなかった……罠に巻き込まれるからと、長沢を優希から引きはがすことなどできるはずもなく、唖然と見守るしかなかった。

 

やがて咲実の双眸から静かに涙がこぼれ落ちる……。霞む視界に悲しく微笑んだ長沢と、泣きじゃくる優希が映り、自分の無力さに暗い視界がまた曇ってゆく……。

 

「お兄ちゃん……離さないって、約束して……。わたしと一緒に……」

 

「ああ! 当たり前だ。もう何も怖くなんかないぜ!!」

 

 

 

どんな理不尽な攻撃が来ようとも、長沢は受け止める気でいた。ここで優希を離して逃げるなど、命と引き換えにしても考えられないことだった。

 

 

 

「はぁ……。全く……子供のクセに見せつけてくれるわね……うふふふふ……」

 

 

 

 

 

――御剣の兄ちゃん、咲実の姉ちゃん……今までありがとう。

 

 

 

 

 

――高山のおっさん……もしも生きてたら……。後は……よろしく頼むぜ……。

 

 

 

 

 

――渚の姉ちゃん、今、そっちへ行くよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで……ゲームオーバーか……。まあ、楽しかった、ぜ…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隊長!! 限界です!! これ以上は持ちま……ぐわああっ!!!」

 

「し、しまった……突破されたか!!」

 

孤軍奮闘……ブリッジ近辺で各個撃破していた特隊長の無線機から、部下の断末魔が響き渡る。自身は幸い戦闘可能な身ではあったが、押されているのは明らかであった。そして……ついに恐れていたことが現実となったのだ……。

 

「くっ! 申し訳ありません!! 敵、船内に侵入……がっ……!?」

 

現実はどこまでも非常である。幹部に連絡を試みた途端、背後から銃撃が襲い掛かる。反射的に振り返って、ライフル掃射を浴びせたものの、急に重力がかかったように身体が重くなる。ボディーアーマーを装備していたとはいえ、体内への衝撃、ダメージは計り知れない。

 

「クソッ、テロリスト、どもめ……!!」

 

激痛の走る身体を奮い立たせて物陰に滑り込むと呼吸を整える。

 

「敵テロリスト、現時刻を持って船内に侵入!! 残りの敵もなだれ込んでいきます!」

 

「追撃急げっ!! 少しでも、奴らの足を止めろ!! 俺もすぐに……向かう……!」

 

仲間からの連絡にやっとの思いで答えると、自身もライフル片手に体を引き摺りながら入口の方へ歩を進める。船上にはところどころ煙が上がり、いまだ炎が収まっていないところもあるが、銃撃音は次第になくなっていく。自身の命にとっては都合が良いが、船にとっては危機以外の何物でもない。

 

駆け出すと身体が痛む。焦りと不安で何度も転びそうになりながら、人の気配がなくなった甲板を進み入口まであと僅かとなったその時――

 

「死ねぇっ!! くたばり損ないの卑劣な兵隊が!!!」

 

「うおっ!! き……貴様っ!!」

 

先ほどのテロリストが突進してきたと気付いた時には、コンバットナイフが特隊長の身体に突き刺さっていた……。崩れ落ちる視界の先に映っていたのは、利き腕をやられ、血まみれになったテロリストが自身を見下して笑う姿だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………。

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なん……だ……?」

 

 

 

銃器による掃射か……火炎放射か。

 

それとも無数のナイフか電流針か自走地雷か……。

 

 

「あれ……? 優、希……?」

 

 

間違いなく既定の時間は過ぎていた。15秒どころか、ゆうに45秒は経過している……。それにも関わらず、ペナルティが起きる気配はない。

 

「お、お兄ちゃん……? わ、わたし……どう、したのかな……。首輪、壊れちゃった?」

 

ふと優希の首輪に視線を移すと、赤く点滅していたはずのランプがすっかり消えている――

 

一度発動した首輪を止める方法は存在しないとルールには書かれていた。ならば、これは一体……? しかし、待てど暮らせど一向に何かが起こる気配はない。

 

「な、長沢君……。優希、ちゃん……?」

 

来るべき惨劇に身構え、涙目になって顔を伏せていた咲実が二人の声にゆっくりと顔を上げると、そこに無事でいられるはずのない二人の姿があることに驚く。

 

 

 

――ここがあの世……じゃないよな? さっきと風景が変わらない。優希もいるし、御剣の兄ちゃん達もいる……。

 

 

「文香さん……? これは……何かの冗談ですか……? ま、まあ……そうです、よ、ね……? 文香さんがこんなひどいこと……するはずが……。あ、あははは……」

 

 

「くっ!! 何なのよ……!? どうして……!? 何が、どうなっているのよ!?」

 

完全に混乱しきった総一の突拍子もない発言と、予想だにしない展開に唖然としていた文香は怒りを露わにし、素早く優希の元へと忍び寄りつつ首輪をチェックしながら再びその身柄を抑えようとする。

 

――僕たちは生きている……! 首輪の発動はなかったのか!?

 

 

そう判断した長沢が近寄ってくる文香に気づくと、反射的に優希をかばい、ライフルを拾おうとする。それと同時に、文香が拳銃を手に優希の身体に手を掛けようとしていた。

 

「そうは行くかよっ……! うわっ!?」

 

「邪魔しないで、ボウヤ!!」

 

文香の素早い蹴りで長沢のライフルが吹き飛ぶ。だがその時、優希は既に長沢から離れてスカートのポケットから何かを取り出そうとしていた。

 

「さあ、優希ちゃん、こっちへいらっしゃ……」

 

「えいっ!!!!」

 

「……うわっ!!?」

 

「きゃあ!?」

 

ライフルを拾おうと身を屈めていた長沢の頭上で何かが炸裂した。白煙がもうもうと上がり、すぐに視界が遮断される。薄れゆく視界に優希が何かを手にして顔を伏せながら、文香の顔めがけてそれを噴射している様子がわかった。

 

「お兄ちゃん! みんなっ! 逃げてっ!!!」

 

優希の悲鳴にも似た叫び声が白煙の充満する通路に木霊すると、言うが早いか長沢は踵を返し、身を屈めたまま全力で駆けだそうとする。

 

 

――ゴホッ、ゴホッ……何だか知らないけど、やたら咽るな……これ!? まさか、毒ガスだってのか……!?

 

 

一瞬不安になったが、これは千載一遇のチャンスである。長沢は優希がガス缶を噴出し終えたところを見計らって、優希の手を握り、通路の奥にいる総一と咲実に大声を上げる。

 

「御剣の兄ちゃん、咲実の姉ちゃん……! こっちだ!! 走るぞ!! ……わあっ!」

 

だが、勢いよく駆け出そうとした瞬間……ガスの残骸なのだろうか、床に付着した白い粉に滑って転んでしまう。

 

「お兄ちゃん!!」

 

「痛てて、やべえっ!! ……優希、先に行け!! 早く!!」

 

既に視界は晴れており、煙はなくなっている……文香が動き出すのも時間の問題だろう。このままではやられる……!

 

「長沢っ!」

 

総一が、長沢を助け起こそうとしたその時だった――

 

「ぶはあっ……はっ、はっ……げほ、げほっ……ぱぁぁ……」

 

荒い女性の吐息がやたら大げさに響き渡る――本当に毒ガスだったのか……? そう思いつつ息を止め、振り返りながら顔を上げて様子を伺うと、信じられない光景が目に飛び込んできた――!

 

 

 

 

 

「うわっ!! ひ、ひっ! ひえぇー!!! お、お……お化け!!!」

 

 

総一に手を引かれ立ち上がった長沢は再び、腰を抜かす。

 

 

そこには上半身を白く染めた受付嬢が立っていた。卑しくも美しかった青い髪と艶のある顔は真っ白に染まり、まるで老婆のようだった……。まさか、こんなところで長沢の暴言が本当のことになるとは、誰が予測しただろう。

 

「けほっ、こほっ……ばはぁっ……! 何なのよ、これ!? げほっ。目が、見え、ないわっ!!」

 

諸にガスを浴びたのだろうか、鼻息荒く恥じらいも品もなく咳き込み、全身から白い粉を振るいながら身体をよろめかせている。けほけほと呼吸をする度に、鼻から口から白い粉が飛び出してくる。

 

やがて顔を白く汚された文香はゆっくりと目を開けると、白く霞む視界に怯えた少年の表情が飛び込んでくる。ガスと思われるものの直撃を受けた本人は気づかなかったが、つけ睫毛のせいもあるのか、白い顔とは対象的に文香の目の部分がやたらと黒く映り、不気味なコントラストを増幅させる。それは少年を狼狽させるには十分過ぎた。

 

「に、に、逃げっ、逃げっ、逃げろーー!!! 白いお化けだっ!! 本物のババアだ!!」

 

「ぷ……。ふ、文香、さん……? 大丈夫、ですか……?」

 

呆気にとられた総一が口を開けたまま何気なく言葉を発すると、この顔を白く染められた存在が文香だと漸く認識した長沢は、急に我に返り全速力で駆け出した……。

 

「こ、この白い顔の人が……ふ、文香さん……!? 優希ちゃん、これは……?」

 

慌てふためく長沢と、呆気にとられ立ち竦む咲実だったが、この機を逃すわけにはいかない。これが夢なのか現実なのか、はたまた現世なのかあの世なのか……。とにかくJOKERの口火を切った以上、仕切り直すことが得策なのは共通の認識だった。

 

「こほっ、こほっ……! ぱはっ……! 口の中に、粉が……ばはっ!」

 

「お兄ちゃん! 咲実お姉ちゃん!! 早く、早くっ!! ……えへへっ。文香さん、変な顔っ。おばあちゃんみたい」

 

「御剣の兄ちゃん! 咲実の姉ちゃん! 早く逃げるぜ!!」

 

白い粉を撒き散らしながらよろめき、咳込む文香を尻目に他の面々は全力で走り出した。だが、優希の嬉しそうな声と驚愕する長沢の声は、散々妨害された文香にとって屈辱としか言えないものへと変化することになった。幼さと純粋さは時に残酷である。

 

何より、屈辱を受けた一人を置いて逃げるという行為は、その人間に対する侮辱行為と取られても仕方がないのだ。

 

「……笑ったわね……。優希ちゃんっ!!!!! 誰が……誰が……お化けですってぇ!!! あたしにこんな真似して……けほっ、こほっ……許さないわよっ!!!!!!!!」

 

「まずいっ!!」

 

白い顔を歪ませて怒り狂う文香に全員が背を向けていた。文香は目元を拭うと霞む視界に向けて拳銃を構えようと一歩を踏み出す。しかし、今度は床がへこみ、文香がよろめく結果となった。

 

「きゃっ!?」

 

文香の短い悲鳴を聞いた長沢は走りながら少し後ろを振り返ると、バランスを崩してつまずく文香の姿があった。

 

「へへ、ラッキー!! みんな! 走れっ!!!」

 

それぞれの思惑を持った4人は片や全速力で、片や迷いや戸惑いを覚えながらも通路の角へ向けて駆け出した。それと同時に金具が落下したような音が聞こえる。何らかの罠が発動したのだろうか。これで事が上手く運ぶとは思えないが……。僅かな期待を胸に、長沢たちは走り去ると、ついに角を曲がりきったのだった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信じられません……。こんなことが、何度もこの国で行われていたとは……」

 

思わぬところで真実に遭遇した葉月は、深いため息をつくと驚きの表情を崩せずにいた。このような非日常の世界に連れてこられただけでも十分に脅威だったが、50年そこそこ生きてきた中、今日までこのゲームを知らないことが奇跡のような錯覚を覚える。

 

「ただ……地方公共団体とは言っても、そんな告発を行ったところで動いてくれるかどうか、正直疑わしいものです」

 

「……それは理解しているつもりだ。しかし、少なくとも今回の騒動で運営側もテロリスト側も状況が動くことは間違いない。これは少しでも多くの人間に意識を広め、問題を提起させる絶好の機会だ」

 

突然の衝撃で思考が追いつかないのか、沈黙が流れる。しかし、高山の話によって自身の使命感にも火がついたのか、葉月は職場で部下に真剣な指示でもするかのような表情に変わる。

 

「正直、話を聞く限りでは……そのエースと言うテロリストと、このゲームを運営している組織……果たして、どちらが糾弾されるべきなのか……僕には判断しかねます」

 

「どちらにも正義などない。このような仕事をしていれば、嫌でも双方の噂は耳にすることになる。……どちらにつくかも金と俺の感情次第だ」

 

葉月は迷っていた。このようなゲームを繰り返すような組織が正しいはずがない。しかし、組織を滅ぼそうとしているエースがやっていることは……。目の前の人物が信用できるとまでは言えなくとも、行動の目的を見る限り、嘘を言ってるようには思えなかった。

 

彼が戦う理由……そして、自分に話を持ち掛けた理由は……。

 

 

 

 

 

「そして……。今までの話から推測すれば……僕を撃ったのは、やはり……」

 

「陸島、だろうな」

 

文香は一度行動を共にしたことがある女性であり、自分の娘より少し年上でそう年齢も変わらない。あれほどの心の強さを秘めた人物が……。こうも堕ちてしまうものだろうか。

 

何を考えているのか、葉月は俯いて思いを馳せる……

やがてその表情に落胆とも使命感とも言える色が浮かび上がる。

 

「行きましょう、高山さん。こうしてはいられません。子供の無意味な争いを止めるのは我々大人の役目です。違いますか?」

 

「フッ、頼もしいものだ。さぞかし職場では良い上司なのだろうな?」

 

照れ笑いを浮かべながら歩こうとする葉月に、高山も立ち上がり後に続く。彼としてもこのままゲームエンドになるつもりは毛頭なかった。

 

 

 

 

――さて、俺の身もいつまで持つか……時間との戦いか……。

 

 

ふと気を抜くと、大きく咳き込みそうになる。だが、ここで止まるわけには行かない。ゲーム終了までの時間が刻一刻と迫る中、高山は手中にある多数のPDAを見比べながら静かに呟いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。