長沢勇治 3 8.4 3人の殺害
矢幡麗佳 8 Death 近距離でPDAを5つ破壊
色条優希 4 9.1 首輪を3つ取得
漆山権造 A Death QのPDA所有者の殺害
手塚義光 5 1.3 24箇所のチェックポイント通過
陸島文香 9 8.7 自分以外の全参加者の死亡
郷田真弓 Q Death 71時間の経過
御剣総一 2 9.9 JOKERのPDAの破壊
姫萩咲実 6 8.6 JOKERの偽装機能を5回以上使用
北条かりん K Death PDAを5つ収集
葉月克巳 7 5.8 全員との遭遇
綺堂渚 J Death 24時間一緒にいた人間の生存
高山浩太 10 4.5 首輪が5つ作動
「ついに見つけたぞ!! 全員手を上げろ!! 抵抗しなければ危害は加えない!! 大人しくしろ!!」
怒号と共に勢いよく開かれた扉が壁に叩きつけられると同時に、武装した兵士が一斉にカジノ会場へなだれ込んでくる。その数は十名にも満たないが、全てが血に飢えた野獣のような形相でその場にいる人間を睨みつけていた。ある者は呼吸を乱し、ある者は血を流しながら、今にも手にしたライフルを乱射せんばかりである。
――――?
しかし、予想だにしない来客に驚く者は誰一人いなかった。その場にいる観客達は数名の兵士を一瞥するとすぐに興味を失い、正面のスクリーンに向き直す。武器を手に脅しているにも関わらず、驚くばかりか怯えもしない彼らに気圧されながらも、先頭の兵士は更なる怒りの声を上げた。
「貴様ら……!! 聞こえないのか!! 全員手を上げ……」
「静かにせんか」
繰り返す脅しに返ってきたのは落ち着き払った老翁の低い声だった。杖を付きながら、ゆっくりと歩み寄ってくる存在に、兵士は銃を向けて威嚇する。
「貴様!!! それ以上動くなっ!!! 死にたいのか!!」
「殺したくば、好きにせい。だが……今は、素晴らしいところだ。正に歴史が動こうとしている瞬間……。撃つのはこの場面が終わってからにしてもらおうかのう」
「ふざけるな!! 人の生死に金を賭けてるような奴らが……! 貴様ら皆殺……」
唾棄すべき存在に反論を試みようとしたところで、ふと思い立った。
――雰囲気が聞いた話とは違い過ぎる。
今この場にいるカジノの観客、その誰もが静かに、そして真剣な表情でゲームのスクリーンを眺めている。酒に酔い暴れ、興奮し、参加者を嘲笑う……。そんな客は一人もいない。その現実に冷静さを取り戻した兵士は、後ろに続いている仲間たちも同じ疑問を持っていることに気づき始めた。
「立場の違いがあれど、お主らの仲間もいよう。見ておけ」
「な、何を……」
この場にいる観客たちを全員射殺し、モニターを粉々にすることは容易い。しかし、突入したテロリストたちの疑問は瞬く間に膨れ上がり、不本意ながらゲームの成り行きの方へ視線が移ってしまっていた。
「ああ……総一……!」
交錯する橄欖色と青色の瞳が共鳴するかのように、負の感情を抱いた男女が引き寄せられていく。それは互いの存在を淀ませ合い、狂気の宴へと導いていくのだった。
「あたしと一緒に、死んで……!」
冷たくか細い指先を後頭部に感じると、縋るような表情で凶器を手に自身へと迫るテロリストを呆然と眺める。高鳴る鼓動、未知の世界への期待。裁きの審判が下されるのをただ待ち受ける……。
眼前には理性を失い、愛憎の果てに自我を崩壊させた存在がいた。光を失ったかのような瞳は青黒く歪み、深紅の唇は邪な笑顔を作りながら、自身の唇を求めて吸い寄せられるかのようにゆっくりと近づく。
恐怖など微塵も感じなかった。彼にとって愛しき存在に会えることは至上の喜びであり、究極の望みでもあった。その為とあれば多少の苦痛など造作もないことだった。
「愛してるわ、総一……」
快楽と愛情、そして狂気と裏切り。許容しきれないほどの事実を齎された文香の精神は混乱の果て、既に崩壊を迎えていた。もはや彼女の中で味方など誰もいなかった。ゲームにも、エースにも……。
だから、目の前の総一だけが心の拠り所だった。
彼ならばあたしを受け入れて一緒に来てくれる……。壊れかけた感情の赴くまま、誓いのキスと共に銀色のナイフを、今……愛しき存在の温かな身体に――
――総一の鮮血が自身を汚し、清め、深紅の美しいパーティーが始まる。
――ああ……嬉しいわ……。君にもあたしと同じ赤い血が流れているのね……。もっと、あたしを汚して! 君の生きている証をあたしに頂戴……。あはははっ! 苦しい? 総一……? あたしはもっと苦しかったのよ……?
そんな顔しないで……。もう少しで、君の大事なあの子に会えるのよ? 苦痛に歪んだ顔も素敵だけど……それじゃ、あの子が悲しむわ? ほら、あたしも君と一緒に逝ってあげる。笑って? 総一……。
――やがて自身の身体からも噴き出した鮮血が、総一の赤黒い液体と混じり合う。
あはははっ! どうしたのかしら……。気持ちよくて、不思議な感じね……痛みなんて全く感じないわ……。頭が……身体が……蕩けそうよ……。気持ち良くて、あたし、死んじゃう……。
うふふふっ、あははは! あっはははははは――
――っと、そうは問屋が卸さねえ、ってか。クックック……。夢見る少女って年齢じゃねえだろ? ったく……。現実に戻ってもらうぜ、テロリストさんよ?
「……きゃっ!?」
目眩がしたかのように視界が揺れて足場が沈むと、重力が背中から襲い掛かる。旅立ちの楔となるナイフからも手を離し、総一と共に床に転がり込んだ。
「痛てっ……!」
自身に向かって倒れてきた文香を抱きかかえるように受け止めた総一は、バランスを崩すと背中を強かに打ち付けた。それと同時に何かが落下したような金属音が文香の背後で鳴り響き、呼応するかのように音を上げたPDAの警告音が静寂を打ち破る。
――ピロリン、ピロリン。
先ほどまで自分が作り上げた想像の世界が一瞬にして破壊され、我が身に迫ったかも知れぬ危機の知らせが、僅かながら二人を我に返させる。
「ふ、文香……さん? あれは……?」
倒れた総一に伸し掛かったまま、言われて後ろを振り返ると、先ほどまではなかった鍋のようなものが転がっている。
「……罠、かしらね……。うふふふ……」
「あははは……。変な罠、ですね……」
本来の罠ならば、命に関わるかのような危険な攻撃が二人に迫るはずである。それが何故……? PDAを見ればすぐにわかるであろう、発動した罠の内容。それを確かめようと考えた総一だったが、自身に覆い被さりつつ向き合った文香の表情が思考を停止させる。一方、今の文香には現状を分析する余裕さえ残されていなかった……。
「うふふ……変よね……? 総一……?」
「変……ですね……」
濁った青い瞳が目の前の橄欖色に毒されて蕩けていく。目前に迫る虚ろな表情を、何をするでもなくただ見つめ合う――
その間は互いの理性を崩壊させ、本能赴くままの行為へと駆り立てていく……。
「総一ッ……!!」
「文、香さ……っ!」
やがて互いの唇が触れ合うと、貪るかのように舌を絡め合う。無意識のうちに両腕が文香の頭に回され、強く唇を押し付けて引き寄せる。ナイフで刺されるよりも苦しく、甘い蜜の味。柔らかく撓る感触が口の中を弄り合い、何も考えられなくなる。
苦しい――! でも……抑えきれない……!
呼吸ができずに苦しみ悶えるほど、逆に快楽へと変わり、互いの身体を、頭を強く抱きしめて離れられなくなる。このまま二人で死んでもいいのかと思うくらいに――
「はぁ、んはっ……あぁ……。総、一……」
「はぁ……はぁっ……」
やがて酸素を求めて振った頭が互いの束縛を振りほどき、ブルーの髪が乱れ靡く。荒い呼吸とは裏腹に、愛おしくたまらない存在に感情赴くまま、本音をぶつける。
「総一……はぁ、はっ……あたしの、名前を……呼んで?」
「……ふ、みか……さっ……!」
ひと時の安らぎが美しい世界を創り上げ、甘く乱れた互いの表情が理性と現実を消し去り、脳を桃色に染め上げていく。そして瞳と瞳が交錯すると、安らぎと愛情、ある種の苦痛ともとれる甘い快楽を求めて、再び唇を重ね合う――
美しい女性と愛しき少年が口内を犯しあいつつ、身体をすり合わせて快楽を貪ろうと蠢く中、文香の左手が総一のワイシャツのボタンに掛かる。
――――!
一瞬、驚いた総一だが、この流れに逆らえないまま文香の胸元を弄ろうとすると、文香はキスを保ったまま身体をよじらせ、何かの金属音を発した。
――かちゃ。
導かれるままでいた総一だったが、生存本能から何かを察して首をずらすと、互いの唇が解放され、淫らな糸を引いた。
「はぁ、はぁ……。総一……! 逃がさないわよ……!」
うっすらと開ける視線の先には、自身の身体に伸し掛かりながら見下ろしてくる乱れた文香の姿があった。虚ろな瞳で笑みを湛えた彼女の右手にはいつの間にか落としたはずのナイフが握られている――
「君が……欲しいわ……総一……」
俎板の上の鯉。
死がこんなにも甘く美しいものだったとは……。総一は見当違いな満足感を抱きながら、旅立ちの時を待った。視界の端に映る銀色のナイフに焦点を当てると、自身の表情が蕩け、恍惚としていくのがわかる。
「はぁ、はぁ……。行くわよ……総一……!」
過酷な訓練を耐え抜いてきたテロリストと言えど、快楽から来る呼吸の乱れは抑えられずに、欲望赴くまま総一に迫る。
「総一……! 君はあたしのものよ……誰にも、渡さないわ……!」
欲望と興奮の色に染まった瞳をぎらつかせ、文香はナイフを振り上げようとする――やがて鈍い光沢が総一を襲い動きを止めると、その切っ先と狂気を含んだ笑顔を浮かべる文香の表情が視界に飛び込んでくる。
――これでやっと、優希に……。あはははっ……。
優希、に―――?
あはははっ……。それだけじゃない。俺が死んで、もっと多くの命が助かるんだよな……。
俺は間違ってなんかいない……。文香さんだってそう言ってるんだ……。
そうだ、間違ってなんか……。俺はみんなを守る為に……。
――その為だったら、俺の命なんて、どうだっていい。
俺の命なんて、どうだっていい。
おれのいのちなんてどうだっていい。
「本当の貴方はそんなことを少しも思ってやしない! 違いますか?」
「そんなことはない! 俺はみんなを守りたいんだ!! もう、誰も失いたくない!! だから、俺は……」
「嘘ですッ!!!」
咲実は涙を流しながら、怒号を上げて総一に詰め寄る。総一への想い、総一の行動……そして総一の心の中の存在……。
咲実を、皆を守りたい。
あいつとの約束――俺はみんなを守るためにっ!!
そう信じて疑わなかった。
誰であろうと否定できない汚れなき精神の聖域。誰が聞いても非難などできるはずもない絶対的な正義、善行。それ故、どんな存在であろうと自身の目的も行動も阻むことは許されない。
当然だ。俺はみんなが無事でいてくれればいいのだから。そのために俺がどうなろうと……。
その考えが間違っているはずがない。
しかし――何故だろう。間違ったことなどしていないのに……どうして、こんなにも心が揺れ動くのだろう……?
やっとの思いで捻りだした反論を一喝の元、全否定されて唖然としていると、凄まじい勢いで咲実の言葉が襲い掛かってくる。
「貴方の恋人がどれだけ苦労したのか、よくわかります……。貴方はすぐに楽な方へ流される……!」
「ら、楽な方って……俺は、そんな、文香さんの元へ行く方が楽だから、なんて思ってるわけじゃないのはわかるだろ!? みんなを守るためにはそれが一番いいと思ったから、だから俺は……!」
「……楽ですよね? そういう理由をつけて全てから逃れられることが……!!」
一瞬、心臓を抉り取られたような衝撃が総一に襲い掛かる。闇に葬り去ったはずの自身の黒き欲望……。やがてゲームによって自分でも気づかないくらいに深く、暗く眠っていた強欲な望み……今まさにその封印が解かれようとしていた――
「……お、俺は……! でも、俺は嘘なんか言ってない! みんなを守りたい気持ちに嘘なんて……」
「私たちを守るですって……? いい加減なことを言わないでください!! 自分が何を守っているのかもわからないくせにっ!!! 貴方は守るだけですか? 守って終わりですか!! 守る、だけで……どうして……!」
途切れることなく放たれる咲実の怒号が掠れ、涙声へと変わる……。
「咲実、さん……」
「どうして、貴方は……。どうして、私たちと一緒に生きようとしてくれないんですか……! どうしてっ!!!!」
……総一に感謝していた。どんな時も自分を守ってくれた総一に。
ゲームが始まって右も左もわからないままに出会い、今日まで導いてくれた。一人ではここまで来れなかったであろうことは想像に難くない。命の危機が迫っても盾となり、時には剣となり果敢に立ち向かってくれた。
咲実は嬉しかった。本当に嬉しかったのだ……。
しかし……。
同じ時間を生きている内に拭いきれない疑問が生まれていた。何をもって、どうして、自身を守ろうとしてくれるのか。何故、自分から死にに行くような、それこそ命を省みないような選択肢ばかり採り続けるのか……。
私を愛してくれているから?
その期待は脆くも崩れ去ることになる。総一の幼馴染みであり、恋人である桜姫優希の存在……。彼の心にはいつも彼女がいた。総一の行動はいつも「優希」との約束で始まるものだった。
自分達の為ではなかったのだ。総一が守っているのは亡き恋人である桜姫優希との約束。総一が見ているのは彼女だけだった。総一は咲実を見ているようで、見てはいなかったのだ。それなのに、なぜ……?
何故、命の危険を冒してまで、守ってくれるのか――
それでも、自分を守ってくれることには変わりはない……。だが……。
約束だけで、姿形が似ているだけで、命まで賭けて自分以外の人間を守れるものなのだろうか?
そして――
忘れもしない。
自分のせいで長沢が殺されかけた時。文香に急かされるまま、踵を返したこと……。
悩み、苦しみ、考えた末……やがて一つの結論に辿りつこうとしていた……。
――長沢君を助けに行くよりも、文香さんの言う事を聞いた方が楽だからっ……!!
想像すらできなかった咲実の涙の訴えに静まり返る中、普段の様子からは考えもつかない少年の声が静かに響いた。
「御剣の兄ちゃんさ……」
声の主は静かに佇んでいた。一瞬、誰だかわからない程に落ち着いた声色――今までに聞いたこともないであろう彼の声と雰囲気に恐怖すら覚える。
「な、長沢……! そうだろ? 俺は嘘なんか……」
必死の思いで取り繕い、闇の彼方へ追いやった本心が呼び覚まされた総一は、焦るがまま縋るように長沢に同意を求める。それは自身の深淵を暴かれる恐怖に他ならなかった。
「こういう話、得意じゃないけど、僕にもだんだんわかってきたよ」
嘘だ……。俺は、俺は……みんなを守りたいだけなんだ!!
それがあいつとの約束だから……!!
自分より身体も小さく幼い少年に脅威を覚えたのは初めてだった。何とかして逃れたい、だが……そう思うより早く、長沢は語り出した。
「あのさ……。御剣の兄ちゃんが死んじゃったら、咲実の姉ちゃんはどう思うか、考えたことがあるかよ?」
「な、長沢、君……」
伏し目がちに語る長沢に、涙を流して言葉にならない咲実を始め、その場の視線が集中する。
――今なら、わかる。僕には……。痛いほど……。
脳裏に浮かぶ優しい微笑みを想うと、自然と言葉が流れ出す。
「少しは……考えてやりなよ。兄ちゃんは死んで終わるのかもしれないけどさ……。僕たちはその後も生きていかなくちゃいけないんだぜ? 兄ちゃんが僕たちの為に殺されてさ。その思いを抱えたまま、さ。そんなの、嫌だろ? なあ、そうだろ? みんな?」
さっと振り返ると、怯えてるかのような仕草の少女と、目を伏せて腕を組み佇んでいる男、そして普段は見られないであろう強面な表情の壮年男性がいた。
「当たり前だよ! 総一お兄ちゃんが死んじゃったら、わたし、悲しいよ……」
「そうだ……素人なら素人らしく、自分の命にも気を配れ。誰もお前を責めたりはしない」
「自分より若い人間が死ぬなんて、なかなか耐えられるものじゃないしね。それが……ここにいるみんなを助けるためならば、尚更だ」
咲実、そして長沢の揺るぎない一言は、周囲の人間をも目覚めさせ、塗り固められた総一の本心を容赦なく裸にしていく。視界が揺るぎ、立っていることすら困難になる。心の鎧を破壊された総一にはただ、ここにいる人間に真意を暴かれることに耐えられなくなっていた。
もはやここにいるわけにはいかない。
「ごめん……咲実さん……。それに、みんな……。でも、俺は優希との約束だけじゃない、みんなを守りたいという気持ちに嘘はないんだ! 文香さんのことだって!」
「けっ……。僕たちを守るのはついでで、本当はあの女に殺してもらいたいのが本音じゃないのかよ? それで、恋人の姉ちゃんのところへ行って一人だけハッピーエンド、か」
「な、長沢……! お前……!!」
突然の指摘に総一は動揺を隠せなかった。
長沢自身、渚を失った直後は自暴自棄になり、自分の命を省みずに突撃するようなこともあった。渚を守れない自分など、生きていても仕方がない。それなら自分も同じ場所へ――
だが、幸か不幸か……ゲームに参加してからの長沢には守りたい友達が出来ていた。そして、渚に託されたPDA。これらが再び長沢に生きる気力を与えていたのだった。
「何が約束だよ……! ふざけんなよ!! 御剣の兄ちゃん!!! それじゃ、僕が、みんながバカみたいじゃないかよ!!! お前は卑怯者だ!!! お前以外、みんな誰も死にたくなんかないんだ!! 麗佳の姉ちゃんも、北条も、渚の姉ちゃんも……!! みんな生きて帰りたかったんだ!!! それを、お前は……バカにしようってのか!!!!」
――アンタはこの子達を利用しようとしているだけ。助けてなんていないのよ。
「御剣さんッ!!!!」
「おい!! 御剣の兄ちゃん!!! まだ終わってないぞ!!!!」
長沢が本音を込めた激情をぶつけた時には、既に総一は逃げるように走り出していた……。
一目散に駆け出したその背中に、怒号が上がる。しかし、総一はその叫びを振り払うかのように全力でドアの方へ向かい、考える間もなく部屋から飛び出していった――
総一が逃れようとしていたもの……。それは長沢や咲実の追及や叱責ではなく、脳内に反芻した懐かしい声だったのかもしれない。
「総一お兄ちゃん、文香さんに殺されちゃうよ……!」
「死なせるかよ……絶対に。なあ? 咲実の姉ちゃん? あの世に逃げるなんて許さないからな。そう言う事だろ?」
「はい。当然です。行きましょう、みなさん」
優希が心配するよりも早く、全員が動き出す。もはやここに集う参加者たちに迷いはなかった。
「追うぞ。各自、警戒は怠るな」
――戦場にも死にたがりはいたが……。ここまで難儀な奴は珍しいものだ。
「葉月、無理する必要はないが……ついて来られるか」
高山は振り返り、他の面々に比べて動きが鈍くなっている男に声をかける。
「ええ。ここまで見せてもらっておいて、置いてけぼりは無しですよ。それに……同じ死ぬのでしたら、年の順です」
「葉月さん……?」
「おっさんも死んじゃダメだぜ?」
余力が残っているつもりで放った台詞に咲実と長沢が振り返る。その視線に込められた意味を理解すると、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ははは。急に怖くなったね。頼もしいな」
「ねえ、早く行こうよ!」
僅かに緩んだ空気を噛みしめていると、既に出口に近づいている優希の声が木霊した。
――まあ、てめえの命なんざどうだっていいのは俺も同感だぜ。それよりも、だ……。
「……おおっと、危ねえ! カット、カット! ってか……。まだ死んでもらっちゃ困るんだな、これがよ」
予想外の事態が起きたのか、男は慌てて機材のスイッチを落とし込んだ。隙ができたとばかりにもう一服しようと思った矢先のこと、流石の本人も焦りを隠せない様子である。
「あん? ……間違えちまったか? ハハハッ……! ……ま、急に動いたてめえらにも責任はあるからな。許せよ……! ってか、こっちの方が痛くねえからいいだろ。クックック……!」
モニター越しの映像が想像と違うことに気づいた男は一瞬驚いたものの、結果的に大差ないことを確認するとすぐに余裕を取り戻した。
「……全く、発狂した女の行動ってのは読めねえもんだぜ……。殺っちまうのか、愛し合いたいのか、はっきりしろよな、お前ら」
自身の振る舞いにより事態の進行が変わったことを見届けると、男は手にした煙草を咥え、火を付ける。
「うおっ! ととと……だから急に動くんじゃねえっての。大根役者を仕切る監督の気苦労がよくわかるってもんだ。気が休まりゃしねえ……」
――別にてめえらのヒメゴトなんざ、興味はないんだがな……。
決してその続きが見たいわけじゃないんだと、男は似合わない言い訳を自身にしながら大きく煙を吐き出した。
「男と女って奴は、二人きりにしてちょいとスイッチを入れてやりゃ、こんなもんさ。所詮人間も動物だってわかるもんだろ? あれだけカッコつけてたあんちゃんも、お高い理想に燃えてたテロリストもこのザマだ……なあ?」
男はゆっくりと凭れた椅子から身を起こすと、罠にかかった獲物を弄ぶかの如く、器用に機材を操作していく。
――さあ、観客どもがお待ちかねだ……最高のショーを見せてやらねえとな。……クックック。
「うふふ……ふふふふふ。何なのよ……さっきから? おかしいわね? 総一……?」
「は……はい……。どうしたんでしょう……ね? 急に雨でも降ってきたような……?」
したたかに濡れて乱れた表情の文香を見上げながら、総一は呆気にとられる。もう少しで旅立てると思った矢先、大量の水が二人の上半身を襲ったのだ。PDAの音が鳴っているような気がしたが、求めるのは快楽と死――今の二人にそれを確かめる余裕はなくなっていた。
旅立ちの楔を打ち込もうとした文香は、自身の真下で濡れたまま身を投げ出している総一を見下ろしながら、濡れて透けた制服越しに見える筋肉に、胸の高鳴りを感じていた。そして、同じく文香を見上げる総一も、濡れて憂いの表情を浮かべる文香に全身の血が逆流するような感覚を覚える。
「はぁ……はぁ……。あたしがいるから大丈夫よ、総一……。誰にもあたし達の邪魔はさせないわ……!」
文香は激しい雨に打たれたかのように濡れて乱れた髪を振りながら、ナイフから手を離して総一の髪をかき上げると、再びその唇を貪る。互いの濡れた髪が触れ合いつつ、しなやかな赤い鞭が二人の歯をなぞり合い、卑猥なメロディを奏でる。
「はぁ、はぁ……。そう、い……ち……!」
繰り返されるキスに加え、濡れた身体は二人から理性を奪い、本能から訪れる生存欲求に忠実な行動へとエスカレートしていく。
「ふ、みか……、さん……!」
キスによる封印が解けた総一は、吐息を乱しながら文香を見上げると、蕩けるような表情で自身を見下ろしてくる女性が視界に溢れんばかりに迫る。
「違うわ……。総一……。ま、りこ……って、呼んで……?」
「え…………? っ!!」
突然の懇願に疑問が頭を擡げるも、すぐにキスが繰り返され、思考を停止させる……。やがて文香の細長い指が総一の制服、ワイシャツのボタンにゆっくりと伸びると、その封印を外していく。文香の瞳には情欲と愛憎に満ちた邪悪な光が宿り、総一をも呑み込んでいく。その目に本気を感じた総一もまた、文香の胸元、深紅のリボンへと手を伸ばす。はだこうとすると、生気を失ったかのように銀色のペンダントがだらりとぶら下がる。
「うふふ……どこを……見ているのかしら……?」
「素敵な……ペンダント、です、ね……」
「そう? ありがと……総一。でもね……もう、こんなもの……どうでもいいのよ……? はむっ」
「んっ……!」
再び唇を合わせ、卑猥な演奏を始めたその時だった――
「御剣の兄ちゃん!!!!」
凄まじい声と共に入り口のドアが轟音を立てて開かれる。まさかの来客に身体を重ねていた二人はその体勢のまま飛び上がりそうになる。次の瞬間には、総一が振り切ったはずの仲間が現れていた。
「み、御剣さん……!」
雨に打たれたかの如く水滴をまとった姿、着衣の乱れ、そして一瞬だけ見えた二人の姿……。何が起きていたのか……。
咲実でも想像がつくであろう男女の時間……。考えただけでも脳に衝撃が起こり、卒倒しそうになる。唖然と眺めているのが精いっぱいだった。
一方、総一は尻もちを付くような姿勢で半ば放心状態であることに反し、文香は既に片膝をつきながら、総一の肩に手を回しつつ臨戦態勢を取っていた。先ほどの乱れ蕩けた表情が嘘であるかのように。
「総一、お兄ちゃん……」
幼い優希でもわかるであろうその空気は、少女を混乱させるのには十分過ぎた。文香を助けに行くと勇んで行ったはずの総一はこの体たらくである。何かが原因で篭絡されてしまったのだろうか……。
いつか自身で言い放った言葉。
――総一お兄ちゃん、根性ないね。
会話を盛り上げてとりなそうとした台詞は、核心をついていたのかもしれない。そんな凍った状況を無知な少年の声が打ち砕く。
「てめえ……何してやがんだ! いい年して水遊びかよ!」
怒りを込めた叫びと共に、長沢は咲実たちの前に躍り出る。長沢が言った「てめえ」の対象は一体どちらだったのか……。ばつが悪そうに固まっている総一を慮った文香は、大切な存在を守らんと、青く暗い瞳を光らせる。
「うふふ……。何をしてるのか、ですって? 咲実ちゃんに聞いてみたらどうかしら? ボウヤ」
感情的な罵声に返ってきたのは思わせぶりな、それでいて氷のように冷たい挑発的な声だった。ボタンの外れたブラウスと傾いた胸元のリボン……。乱れた髪からは水滴が滴り落ち、恐ろしくも美しい雰囲気を醸し出す。文香はゆっくりと立ち上がり、先ほどのキスの味を確かめるかのように舌舐めずりをすると、怒りを込めた視線で長沢たちを一瞥した。
「男女の逢瀬を邪魔するなんて、いくら貴方達でも許さないわよ……? でも、ま……総一の唇はあたしが奪っちゃったけど。ねえ?」
文香が余裕の表情で総一に視線を向けると、総一は気まずそうに目を泳がせる。文香の言葉が本当だと理解させるには十分すぎる仕草だった。
「……ストロベリーの味だったかしら。ごめんね? 咲実ちゃん。うふふ」
総一を助けに来たのだと判断した文香は、愛しき存在を渡すまいと悪意に満ちた表情を浮かべ、三人を見渡す。所詮無力な子供たちである。どんな武器を持っていようと、素人の少年少女に自身が後れを取るはずがない――
だが、文香の予想に反して、この状況に動揺するであろう彼らはその誰もが取り乱すこともなく、文香たちを見つめている。その目に宿る力は自身らを倒そうとする威光ではなく、もっと別の……そして総一へ向けられているような気さえしていた。
「あら……どうしたのかしら? あたしを無視するなんて。少し傷ついちゃうわね? ねえ、総一?」
自身が放った挑発に全く動じない咲実たちに対し、文香は一抹の違和感を覚えながらもさらに続けようとする。
その時だった。ショックで項垂れているはずの存在が真っ先に口を開いたのは――
「長沢君、私の言った通りでしたね。それと、優希ちゃんの言ったことも」
「ああ。ホントだな……。流石咲実の姉ちゃんだぜ」
「総一お兄ちゃん、本当に根性なしだったんだね。カッコ悪い」
死と隣り合わせの状況で、穏やかな笑顔さえ見せながらゆっくりと歩み寄ってくる三人を、総一は呆然と眺めていた。言葉の意味が呑み込めず、一体何の話をしているのかそれすらもわからずに。
「あたしの総一を侮辱するなんて、いい度胸してるわね……」
そして、無視されてるような感覚に陥った文香は怒りの声を上げ、懐の拳銃を取り出す構えを見せる。だが、誰もそちらに見向きもせず、やがて咲実は足を止めて言葉を放った。
「貴方はすぐに楽な方へ流される。……長沢君の言う通り、貴方は卑怯者です」
非難されるべきは誰なのか? 仮初の解答ならば明白だっただろう。しかしこの短い時間の中、一番近くで、一番長く見ていた身にしてみれば、真に断罪されるべきは容易く、わかりきったことだった。
「随分な言い草ねえ、咲実ちゃん? 総一を取られたのがそんなに悔しいのかしら? 彼はとても優しい子よ? あたしと一緒に来てくれるって……約束してくれたんだから。ねえ? 総一?」
「え……? あ、は……はは……」
胸に秘めていた欲望を全て見抜かれ、今また成そうとしていたこと、そしてされるがまま、欲望の赴くままの行為に及ぼうとしていたことを完全に予測された総一は、その場にへたり込んで言葉を失う。羞恥心と焦燥感が脳内を駆け巡り、本来の性格を露わにしていった。
「ダメだね? 総一お兄ちゃん。咲実お姉ちゃんか、この人かもはっきり決められないなんて……やっぱり、根性なしなんだ」
今の総一には幼い説教さえも、心を抉り取る鋭利なナイフとなっていた。反論どころか言い訳する余裕もないほどに唖然としていると、文香が割って入る。
「何も知らない子供に、総一の事を言われたくはないわね……? あなたにそんな事を言う資格があるのかしら? それに……あんな大それた事をやっておいて、よくもあたしの前に出て来れたものね……? あなたの顔もぐしゃぐしゃにしてあげたいくらいだわ……!」
威圧的な物の言い方に、優希の表情が曇る。いつかのように脅しているにしては強い怒気が含まれているような声色だった。
消火器を文香の顔に噴射して笑ったことを忘れるはずがない。だが……本人はスモークグレネードだと思っていただけでなく、そうでもしなければ状況は打破できなかったのだ。幼子を責める要素はなにもない。さらに顔にナイフを近づけて脅したり、激情にまかせて頬を張ったり……と文香自身の行動を振り返れば、因果応報とも言えるのだ。
「…………」
急な静寂が場を支配する――
皆が押し黙ったのは反応に困ったからに他ならない。あの時の文香の様子を思い出せば正直、笑いが込み上げてくる面子がいるのも事実である。事実、咲実と長沢は……そして、総一でさえも頬を緩ませているような錯覚を覚える。
やがてその屈辱的な状況と記憶は文香自身の箍を外すこととなる――
どうせ最後の時になるのなら――
「そうだわ。いいこと教えてあげる。優希ちゃん……? あなたのパパはねぇ……もう……」
文香は得意気に言ってはならないことの封印を解こうとする。既に限界だった。もはや隠す必要もない。だが、事実を知ってか知らぬか、その抜かれた刃は少年の声にかき消された。
「黙れよ。誰もお前なんかに用はないんだよ。僕たちはヘタレの御剣の兄ちゃんをぶっ飛ばしに来たんだ」
「ふふふ……うふふふ……。言うわね、ボウヤ。それなら好都合だわ。これで名実ともに貴方達はあたし達の敵ってわけね?」
遅れて現れた少年少女を思うように翻弄できず、逆に侮蔑された文香は恐ろしいほどの不気味な笑みを浮かべ、立ち尽くす総一に手を回すと長沢を見下すような視線を送る。
「じゃあ、総一はあたしが守って見せるわ……。うふふふ。貴方達は彼を傷つけることしかできないみたいだし……ねえ?」
大切な存在を守らんとする女性の本能が、今にも撃ち殺してやると言わんばかりの仕草、顔つきに変わっていく……。
しかし、長沢に怯む様子はなく、優希もきょとんとしている。何より、総一の本性を薄々理解しかけていた咲実に至っては、逆に文香に哀れみさえ覚えかけていた。
「うふふ……。総一はあたしと一緒に死んでくれるって約束したのよ? もう、あたし達の世界に総一以外は必要ないの……。貴方達は敵よ……。生かして帰さないわ!!!」
「ふ、文香さん……!」
長沢達に対する害意を剥き出しにし始めた文香に総一は慄き、止めようとするももはや遅かった……。
「冥途の土産にいい事教えてあげる……。いーい? 優希ちゃん……?」
唐突に名指しされた優希は一瞬、身を震わせる。
「あなたのパパがねえ……このゲームをやらせてるのよ? ……ずっと前から。そして、今、あたし達に。わかる?」
「え……?」
「聞こえなかったかしら? 優希ちゃん。あなたのパパがこのゲームをやらせてる組織の、一番偉い人なの」
「…………」
優希の顔が徐々に蒼ざめていく。幼い脳でも言葉の意味は何となく、そして確実に理解せざるを得なかった。
――優希ちゃんのパパが、とても悪い人で……こういうゲームをね? やらせてるような人だとしたら……ふふふふふふ……優希ちゃん、あなたはどう思う?
以前、文香によって放たれた恐怖の言葉が鮮明に蘇る……。
「このゲームはね? 優希ちゃんが生まれる前から何度も何度も繰り返されてきたの。その度に何も悪くない人が参加させられて、死んでいったのよ? あなたのパパのせいで」
「ちょ、ちょっと待ってください、文香さん!! 優希は関係ないでしょう!?」
総一が慌てて割り込むも文香の言葉は止まることなく、いとも簡単に禁忌の領域に突入し、幼い少女の心を凍てつかせていく。
「パパが……? このゲームを……? こんな、怖いこと、を……?」
「ゆ、優希ちゃん……。大丈夫だから……」
「……あんな奴の言葉、聞くことはないぜ!!」
長沢と咲実が慌ててフォローするも、文香の低い声と総一の動揺ぶりが事の真実味を増していく。
「そ、そんな……パパが……。パパがそんなこと……。ね、ねえ……嘘だよね? お兄ちゃん? 咲実お姉ちゃん?」
「ねえ……? どうかしら、優希ちゃん? 全部、あなたのパパのせいよ? あなたのパパがこのゲームをやらせようとするから、数え切れない人達が死んでいったの」
「う、ウソだよっ! パパがそんなことするはずが……! パパはすごく優しいもん!!」
「そうかしら? でもそれは優希ちゃんに対してだけなの。あなたのパパはお仕事で、家に帰ってこなかったことが多かったでしょう? 全部、このゲームの準備の為よ? あなたのパパ達は、現にこうして残酷なゲームを何度も何度もさせているわ……今この瞬間も、ね? いろんな人たちを誘拐して。あたし達だって、そうやって参加させられているのよ?」
「……じゃ、じゃあ……どうして、わたしが……!?」
残酷な事実を突きつけられ、優希の身体が震え出す。
「あなたも例外じゃないのよ。優希ちゃん? ねえ? そんな男の一人娘である優希ちゃんだもの……。あたしが厳しくしないわけがないでしょ? うふふ……。貴方のパパのせいでどれだけ多くの人が殺されていったか、わかる?」
さらに文香は自身の追い込まれた状況から、負の感情を優希にぶつけていたことを都合よく正当化していく。
「あなたのパパの……色条良輔のせいでどれだけ多くの人が苦しんで、嘲笑われて死んでいったのかを思えば……ね? そうやってあなたが平然と生きてるだけで不愉快になって傷つく人もいるのよ? いいえ……許せない人だっているはずよ」
「わ、わたし……は……! パパは……」
「ねえ……どうなの? ……優希ちゃん!!!」
脅すかのように冷たく強い声色で優希を見下ろす。一方的とも言える詰問に、懐柔されかけていた総一はもちろん、咲実も何も言えなかった。文香の感情を考えれば、優希はエースの仲間の仇の娘である。憎く映って辛く当たっても何の不思議もない。
「おい!! やめろ、このババア!!! 優希はまだ子供じゃないかよ!! 追い詰められてついに頭がおかしくなったのかよ!!」
「……あら、怖いのね? 本当のことを言ってるだけでしょ。……君だって子供じゃない? それに、人を殺してみたい、とか。頭のおかしいことを言ってたのはどこのボウヤだったかしら? うふふ……ねえ?」
「…………!」
ほんの少し前まで嵐のように渦巻いていた我が身の黒い衝動……。どいつもこいつも舐めやがって……。学校における無力な自分が許せず、鬱屈した精神によって歪められていた自身の破壊への欲望……。
――僕は、そうだ……。そんな風に本気で思ってたんだ……。ちくしょう……バカげてるぜ……。
あれから3日もたっていないというのに、遠い昔のように思えてくる。なんて悲しいことを平然と豪語していたのかと思うと、情けなくなり、涙が溢れてきそうになる――
「そ、れ、と……」
少し考え事をしていた瞬間、銀色の何かが急に眼前に迫ってきた。
「うわぁっ!?」
「長沢君!!」
瞬間、長沢の身体が揺れると後ろに倒れ込む。紫色の線が数本宙に舞い、濡れた感触がする頬に手を当てると掌が真っ赤に染まる。驚きながら目の前の存在を見上げると、いつの間にか文香の手にはナイフが握られている。居合にも似たテロリストによる本気の殺人術である……。
「言ってはいけない言葉があることは教えたはずよね? ボウヤ。二度と口にできないように、次は喉笛を掻っ切ってあげようかしら? うふふふふ……」
「…………」
鈍く光るナイフを不気味に反射させながら、文香は長沢に詰め寄る。反射的に身をかわさなかったら、血の海に沈んでいたかもしれない。
「覚えておきなさい、ボウヤ。口は災いの元、よ?」
「けっ……! それはこっちの台詞だぜ。お前こそ、それ以上下らねえ話を続けるなら、ただじゃ済まないぞ!!」
「面白い事を言うのね? 君に何ができるのかしら?」
冷たい目で長沢を見下すと、文香は拳銃を取り出して銃口を向ける……。しかし、長沢は怯えるどころか、ますます瞳に力を込めて文香を刺そうとする。どこまでも反抗的な態度を取る少年に、文香も感情的になるのを抑えられなくなっていく……。
――本気で踏みつけてやろうかしら……!
「ふ、文香さん! 落ち着いてください!!」
「あたしは落ち着いているわよ? 総一。そうじゃなきゃ、こんな事実を冷静に教えてあげられないでしょ?」
事の状況が一変したことに遅れて気付いた総一は、文香を諫めようと慌てて声を掛けるが、もはや腑抜けとなりつつある少年の声が届くはずがなかった。
「ふふふ。大丈夫よ、総一。悪いようにはしないわ。貴方はあたしの言う通りにしてればいいのよ? 見て、この子。随分と反抗的な目よね? お仕置きが足りなかったかしら。さっきも言ったけど……ボウヤ、貴方達は敵よ……!!」
「上等だぜ! 僕たちがお前の敵なら、御剣の兄ちゃんだってお前の敵だ! おい、御剣の兄ちゃん!! そうだろ!? 兄ちゃんは僕たちの味方だろ!!」
「そ、そんな……俺はみんなを敵だなんて思ったりしない。文香さんも咲実さんも優希も、長沢、お前だって……」
「うふふ……優しいのね、総一。そういうところ、お姉さん、好きよ? でもね、もうこの子達に気を遣う必要はないの。……あたしだけを見て? 総一……」
必死の駆け引きが交錯する中、文香は余裕の表情で総一の肩をつかんで身体を寄せるとキスを交わそうとする。
――――!
抵抗すらしない総一に、悲壮とも嫌悪ともとれる表情を浮かべて佇んでいた咲実は、反射的に目を閉じて顔を逸らすしかなかった。
「何やってんだよ、御剣の兄ちゃん!! ……おい! やめろ、馬鹿!! 気色悪い真似してんじゃねえよ! 水遊びの次はペンギンゲームかよ!」
そして目の前の現実に嫌気が刺した長沢も、たまらず声を荒げる。迷路に迷い込んだ雄と雌をゴールまで送り届けた末の演出――ゲームでしか見たことがないとは言え、本来ならば愛し合う者同士が行う儀式であることは何となくわかっていた。しかし……。
御剣の兄ちゃんの相手はそいつじゃないだろ……!!
「……あたしの言ったことがわからなかったようね? ボウヤ……」
互いの唇が触れようとした瞬間、突拍子もない言葉で二人の世界を壊された文香は、わざとらしくため息をつき、長沢を睨みつける。
「……このボウヤの口を塞ぐ方が先かしら。それまでキスはお預けね。総一」
「おい! 御剣の兄ちゃん、どうしたんだよ!! 操られてるのか!? いい加減、目を覚ませよ!! おい!!! 御剣の兄ちゃん!!!」
長沢は理解できなかった。自分達に危機が迫れば真っ先に先頭に立ち、自分が戦闘を望めば厳しく諫めてくる……。それが総一のはずだった。そんな彼が操り人形の如く文香の言うがままになっている……。疑問や怒りではない。ただ、悲しさだけが沸き上がり、その怒声は涙声へと変わる。
「……ああ……本っ当にうるさいボウヤね……! 総一はあたしのものなの。見てわかるでしょ? もう貴方たちの事はどうでもいいのよ……うふふ」
「総一、お兄ちゃん……。お兄ちゃんが、死んじゃう……!」
消え入るような声で涙を流し小刻みに震える優希、そして怒りと悲しみで動きを止めた長沢。大黒柱を失った絶望が空間を支配する……。
――ちくしょう……御剣の兄ちゃん……! あんなにカッコよかったのに……なんでこんな……!!
「さよなら、ボウヤ。二度目はないわ……。渚さんに会えるといいわねえ。うふふふ……」
「うるせえ! てめえが渚の姉ちゃんの名前を呼ぶな!! このババア!!」
瞬間、文香の表情が引きつり、鬼の形相へと生まれ変わる。幾度となく繰り返された暴言、命と引き換えに脅せば聞かずに済むと思った傍のことだった……。
「言ったわね……!! もう許さないわ!!!」
白い毒蛇と化した文香の指がゆっくりと安全装置を外し、今まさに引鉄を引こうとしたその時だった……。
「御剣さん。どうして長沢君を助けてあげないんですか?」
毅然と放たれた声の元を辿ると、そこには表情を強張らせた咲実が立っていた。今まで不自然なほど静かであった存在……。怯え、泣き、何もできずに縋っていた。そのはずだった。
「文香さんなら人を殺してもいいんですか、御剣さん。それとも、長沢君が殺されても、優希ちゃんが泣いても構わないんですか……? 私のことはあんなに守ろうとしたくせに……!」
普段からは想像もつかない咲実の冷静さに、全員が驚き静まり返る。その問に答えることすらできない総一に咲実はさらに言葉を投げかける。
「……長沢君を守るより、文香さんの言う通りにしている方が楽ですか?」
真っ直ぐに見つめてくる咲実に総一は我に返る。
思い当たる節はたった今だけではない……。
「な……。お、俺は……そんな……」
「そうですよね……。長沢君が殺されたって……。貴方は文香さんと一緒に死ぬのですから。どちらにしても同じなんですよね……?」
「…………?」
死を覚悟した長沢の視線が咲実に移り、銃に絡められた文香の指が緩む……。
「結局、貴方は誰のことも守ってなんかいないんです。貴方が大切にしているのは恋人との約束。それすらも利用して……」
ショックに打ちひしがれた優希が落ち着きを取り戻し、呆然と立ち尽くしていた総一の足元が竦む……。
静まり返った空間……先ほどまでのやり取りが嘘であるかのように……。
中心にいた少女の瞳から静かに涙が零れ落ちる……。
怒っていたのではなかったのか……。総一が混乱していたその時だった……。
「認めてください!! 御剣総一ッ!!! 貴方は誰も守ってなんかいない!! 貴方は私たちを……自殺の理由に、都合の良い道具にしているだけです!!! 私だけじゃない!! 長沢君を!! 優希ちゃんも!! かりんさんも!! 文香さんをこんなにしたのも……貴方はただズルいだけの臆病者です!!!」
それは生死を共にした長旅の果て、辿りついた真実だった……。
総一の目的は咲実たちを守ることではなかった。
咲実たちを守ることで体よく自らの命を絶ち、死んだ恋人の元へ逝くことだったのだ……。
なぜ、そのような回りくどいことをしていたのか……。
総一の恋人、桜姫優希との約束――
ズルはしない。
そのために自殺と言う選択肢が封じられていただけだったのだ。
それならば、誰かを守って死ぬのなら……。自殺ではなく、恋人への言い訳もできる。仲間の為と言う大義名分も立つ……。加えて文香の心中に巻き込まれるのなら、仲間に裏切られた存在の願いを叶え、最後まで添い遂げたという事になる。そして……。
「貴方は……私たちの事なんてどうでもよかったんです!! 長沢君が殺されたって……優希ちゃんが悲しんだって……。貴方自身が恋人の元へ逝くことができさえすればっ!!」
それは本当に悲しかったのか……否、悔し涙なのか……止めどなく流れ続ける涙で咲実の顔は美しくも歪んでいた。掠れた声が声にならず、呼吸さえままならなかった。髪を振り乱し、零れ落ちる涙がコンクリートを濡らし続ける。
長沢はそんな咲実をただ静かに見つめていた。自分の為に怒り、泣いてくれた咲実に気恥ずかしさを覚えながらも、認めがたい嬉しさに胸が熱くなる思いがしていた。自身の頬から血が滴り落ちるのも忘れ、思いを馳せる。
――そうか。あの時の……。
『二人も殺せるはずがない……よな。やっぱり、他の手を探すしか……』
――御剣の兄ちゃん、もしかして、僕の首輪を外すために……?
そう、仮に裏切られて殺されたとしてもそれは自殺ではない。それが結果として友達を助けるための結末であれば、恋人に誇れる最期と言えるものだった。
――そんなこと、できるわけないじゃないか……!
「そ、それじゃ……本当に死にたかっただけなのかよ、御剣の兄ちゃん……。だったら、さ……。兄ちゃんに死んで欲しくなかった僕も、ほんとにバカみたいじゃないか……」
怒りと悲しみが入り混じった咲実の涙声と、長沢の冷めた言葉が容赦なく総一の気力を奪ってゆく。総一が望んでいたことは咲実たちが尤も恐れ、望まぬことだったのだ。総一自身が自分の願いを叶えようとすればするほど、助けられていた存在はその願いが実現されることを恐れるようになる……。
「長沢君の言う通りです……。あんなに立派なことばかり言って……!! 私は、私たちはこんなにも貴方を信じているのに……。そのおかげで私は今日まで生きていられたのかもしれません……。でも、それも全て、貴方が守ってくれたわけじゃない!! 貴方は私たちが生きていようと死んでいようと、どうでもよかった!! 自分の目的を果たす時を伺っていただけ!! 貴方は……! 貴方って人は……!!」
咲実は総一に歩み寄ると、その胸に顔を埋めて華奢な身体を震わせる。そのまま濡れて肌蹴た制服の襟をつかむと激しくその胸板を殴打した。
やがて溢れ出る涙を拭おうともせず、顔を上げると真っ直ぐに総一を見つめる。
「私たちは、貴方にとって、そんなにどうでもいい存在だったんですか!!」
咲実の力など高が知れている。いくら自身の身を打とうと痛みも感じない。しかし……。完全に自分の真意を暴かれ、無意識の領域に追いやっていた欲望さえも引きずり出された総一は、言葉と共に胸に矢を刺されたような激痛を覚える。
――私を言い訳にして、あの子達を利用しないであげて。
――ゆ、優希……。そ、そうか……俺、は……。
その衝撃は一瞬と言えど、懐かしい声を蘇らせ、総一の精神を呼び戻した……。
「私の為だなんて言っておいて、浮気だなんて……いい度胸してるわね、総一」
「……!? ゆ、優、希……! あ、あははは……。お前まで……来てくれたのか……」
「もう……。私が姫萩さんだったら……こんなものじゃ済まないわよ?」
引きずり出された自身の本性に耐え切れなくなった総一の精神に差し込むかのように、
懐かしい面影が舞い降りる。目の前の黒髪が桜色へと変わっていく錯覚――
「楽な方に流されるのにも限度があるわよ、総一。正直……許せないけど」
数えるほどしか見たことの無い、厳しい表情だった。何に対して怒っているのか、総一にはわかっていた。しかし、それすらも縋りたくなるほど、懐かしくも嬉しい再会だった……。謝罪も感謝もできず、混乱したままただ言葉を失っていると、優希の表情がいつもの凛としたものに戻っていく。
「まあ、それを言うのは野暮かしらね? 私はもういないんだし……」
「そ、そんな……! 違うだろ、優希。お前はいつも俺の傍に……。今だってこうして……」
「うふふっ。そうね。できることなら、私だってこうしてずっとアンタの傍にいたかったわ。でも……」
「でも……?」
口ごもった優希の言葉を待ちながら、幸せな時間をただ噛みしめていると、いつの間にか優希の瞳から涙が零れ落ちていた。
「どうした? 優希……!?」
「ううん。もう大丈夫。アンタは私がいなくても大丈夫よ。勇治君と姫萩さん、もう一人の優希ちゃんが、アンタをしっかり導いてくれてるから……。今まではアンタが心配でつい何度も出てきちゃったけど……うふふ」
「お、おい、待て! ちょっと待ってくれ、優希……! 俺にはまだ、お前が……。いや、これからもずっとお前が必要なんだ!!」
「そうやって、楽な方に逃げないの」
「うっ……!」
耳が痛いほど、繰り返して指摘された言葉……。だが、こうして「優希」にはっきりと言われるのは初めてだった。彼女に言われてはぐうの音も出ない……。
気がつけば目の前の少女の姿がだんだんと薄くなっていくのがわかる。
「ごめんね……総一……。最後にまた怒っちゃったわね。でも……。短い間だったけど、アンタとまた会えて楽しかったわ」
「待て、優希っ! 行かないでくれ!!」
もう二度と離しはしない。そう言わんばかりに総一は「優希」を強く抱きしめる。だが、意思に反して彼女の影は薄くなっていく――
「私……そろそろ行かなきゃ。死んだ人間がいつまでもこうしていたらおかしいじゃない? アンタはもう、私がいなくても大丈夫だから……。ね?」
「待て……待ってくれ!! 優希! 優希――」
「おいっ!!!!」
――ほら、勇治君が呼んでるわよ?
――!?
「おい! ……御剣の兄ちゃん!!」
気がつくと、総一は咲実を強く抱きしめ、その場に佇んでいた――
「…………」
「おい、御剣の兄ちゃん。何ボーっとしてんだよ!? 何とか言ってやれよ。咲実の姉ちゃん……泣いてるけど、本気でキレてるぞ」
総一の胸に縋って涙を流し続ける咲実を見かねた長沢が、冷たい声を浴びせる。
「死んだら恋人に会えるって……死んだ後の事なんかわかりっこないだろ? もしも、さ。死んでも今と変わらない感じでいられて、渚の姉ちゃんに会えるって保証があるんだったら、僕だって少しは考えるかもしれないよ。でも……そんな都合の良い話……あるわけないんだ……。今の御剣の兄ちゃんは、その女の甘い言葉に釣られて、逃げようとしてるだけだぜ……?」
――そうだ。渚の姉ちゃんはもう、いないんだ……。
「長沢……。咲実さん……。でも、信じて欲しいんだ。俺は決して咲実さんを、みんなをどうでもいいと思ってたわけじゃない。死んでもいいだなんて……」
必死に捻りだした言葉に咲実たちは微動だにしない。自分の力で命を賭けて守っていたつもりの少女は総一をつかんで離さず、正しく導き見守っていたつもりの少年の視線は自身に突き刺さる。それはどんな強力な武器を持った敵よりも恐ろしく映り、痛みさえ覚える。
「と、とにかく、今は一人でも多くの首輪を外して、ここから脱出する方法をみんなで考えないと……」
総一は繊細なガラス細工に触れるかのように咲実を支えると、恐々と咲実に話しかける。やがて涙を流しながら俯いていた咲実が顔を上げると、そこには泣き顔とはアンバランスな咲実の笑顔があった――
「本当に……ズルい人ですね、貴方は……」
この期に及んで言い訳をしながら話を逸らそうとする総一に、咲実は毅然と語り掛ける。溢れ出る涙はいまだ止まることはない。しかし、咲実の顔には温かな、そして何かを決意したかのような強さがあった――
「……じゃあ、こうしましょう」
えっ――
次の瞬間、何かが弾け飛ぶような金属音が響き渡り、固い床に細かい破片が散らばっていった。咲実の強さに気圧されていた総一は、予想だにしない彼女の行動を諫める余裕さえなかった。
不吉な音と共に金属片と化したもの――
それはゲームの参加者ならば皆が持っているものだった。
「あ……」
目の前に広がるは画面が割れ、内部の金属片が飛び出したPDA。
一瞬の事だった。咲実は流れるような動作で自分のPDAを床に叩きつけて破壊したのだ。
「さ、咲実さん……!? なんてことを……!!」
総一は慌てて壊れたPDAを拾い起動スイッチを押してみたものの、何の反応もなかった。咲実のPDAは完全に壊れてしまった。驚いて咲実を見上げると、清々しいほどの笑みを湛えた彼女がいた。
「ふふ……。これで私を理由に自殺することができなくなりましたね、御剣さん。私を守りたいのであれば、首輪の解除以外の方法を探すしかありません」
落ち着き払った咲実の姿に誰も声を出せないでいた。驚いて見つめる長沢と優希、怪訝そうな表情を浮かべる文香、そして完全に状況に呑まれた総一。
「さあ、どうしますか……? 私を見捨てますか? それとも、私と一緒に生きる道を探しますか?」
咲実は溢れ出る涙を拭うこともせず、静かに笑っていた。知らない者からすれば気が触れたかのようにすら見える。だが、それは違っていた。
咲実は嬉しかったのだ。長い旅の果て、漸く総一が自身の事を見てくれるようになったのだから。
「……私は貴方に従います。死にたければどうぞ、文香さんと仲良く勝手に自殺でもなんでもしてください。先ほどの続きがしたいのならそれもいいでしょう。……でも」
総一は理解した。慌てふためく自身とは対照的に、微笑みを浮かべ落ち着き払っている咲実の意図を。
咲実は脅しているのだ。
「そんな事、私がさせませんから。……こう見えて、嫉妬深いんですよ、私。ふふふっ」
「こりゃ、なんて面倒な奴らだ……」
開いた口が塞がらないとは正にこのことである。先ほどまではモニター越しに見下すかのように楽しんでいた男は、ここへ来て呆れると同時に恐れすら抱いていた。
「流石の俺もここまでは読めなかったぜ……。そんなに死にたきゃさっさとくたばりゃいいだろって言ったところで、今度は死んだ女との約束でできねえもんだから、誰かやってくれ、ときたか……それも正当な理由付きで、ってか? イカれてやがる……。共感なんざするつもりはこれっぽっちもねえが、こんな奴と付き合ったらそりゃ誰でも苦労するってもんだぜ……」
目の前に映る存在を弄んでいるつもりが、いつの間にか見入ってしまうほどの事実にただ驚く。
「オマケにこいつも惚れた男に振り向いてもらおうと、命を賭けるたぁ……。大将……確かに女って奴は侮れねぇ生き物だ……」
根性論や精神論ではどうにもならない圧倒的な力が渦巻く世界、下らぬ感傷は死につながるような環境で生きてきた。だから、損得勘定だけでここまで来た男にとって彼らの行動は想定外の連続だった。
「それよりも、だ……なんだ、故障か? 今、桃色の髪の女が二人いたように見えたんだが……。いや、お姫様だけか……。柄にもなく、ビビっちまうとは……臆病者は自覚しちゃいるが、いよいよ俺もヤキが回ったか……クックック」
「ははは……うふふふふ……あはははっ! 」
「あっ? 俺はこんな笑い方しねえだろ!? って、俺の声じゃねえ……!?」
「ふ、ふふふ……うふふふ……。うふふふふふ……あっははははははっ!」
沈黙の中突然上がった哄笑の主に、全員の視線が集中した――
「……そうなの。君もあたしを裏切るのね……。総一……!!」
幾度となく長沢に向けていた恐ろしい表情……それが、今、総一へと向けられることとなる。
「あたしと一緒に死んでくれるって、約束したはずよ? 総一……? あたしに嘘をつくのね……?」
「いや……そ、その……文香さん……。俺は……」
漸く皆の心を一つにできるのかもしれない……。そう都合よく考えていたものの、甘かったのだ。誰かに優しくすれば誰かが傷つく……。
「それよりも許せないのは……咲実ちゃん……。あなたの方よ……!!!」
予想だにできなかった文香のドス黒い敵意に咲実は慄き、後ずさる。水に濡れて崩れたメイクがより恐怖を増幅させる……。
「はぁ……。まさか咲実ちゃんがこんな大胆な手段に出るなんて、想像できなかったわ……。でも、ま……あなたがいなくなれば、総一もあたしの元へ戻ってきてくれる、ってことよね? うふふふふ……」
その言葉は咲実に危害を加えようとするものに他ならなかった。これ以上、文香に大切な存在をやらせるわけにはいかない……。黙っていれば寿命が延びたのかもしれないがそんな計算ができるほど、利口ではなかった。
「いい加減にしろよ、お前の敵は僕だろ!! 僕の友達に手を出すんじゃねえ!!!!」
咲実たちの前に躍り出た長沢に、腸が煮えくり返る感覚を覚える――
――邪魔なのよ……ボウヤ!!
「す、すみません、文香さん……。俺が不甲斐ないせいで……文香さんを巻き込んで……」
「うふふ……ふふふふ……。総一が謝ることはないわ……。君は優しいから……もう……。今度は咲実ちゃんから離れられないでしょ……? ふふふふふ。だから……ねえ? あたしが解放してあげる。総一……。君だけじゃないわ。ついでに咲実ちゃんも優希ちゃんも、憎らしいボウヤも……!」
恐ろしい企みを平然と口にする文香の目から既に光は失われていた。瞬間、恐ろしい想像が各々の頭を過る。
――皆殺し。
曲がりなりにも文香はゲームを運営する組織と敵対しているエースの諜報員である。言わばこのゲームに進んで参加し、人を傷つけることなどあり得ないと誰もが思っていた。増してや首輪の解除条件を実行しようなどと――
それが、皮肉にも首輪を解除するためではなく、個人的な感情の上で今、正に遂行されようとしている……。
「そんなに怖がることはないわ……。あたしだって、あなたたちに思い入れがないわけじゃないし……少し心が痛むのも否定しないわ。だから……うふふふ。せめて、苦しませないで、一思いに殺してあげる……。優希ちゃんとボウヤ以外はね……」
文香は踵を返し、パンプスの音を響かせながら部屋の隅に置いてある武器を漁り出す……振り返った時には、ライフルにいつかのバルカン砲、果てにはサブマシンガンまで抱えていた……。
「ああ、ごめんね……それじゃ、苦しまないのは咲実ちゃんだけだったかしら……」
「ひっ……!」
嫌と言うほど至近距離で見たバルカン砲……そして、確証がなかった頃とは言え文香のPDAをこの目で見た優希は、真っ先に彼女の狂気に気がついたのか、一目散に入口のドアへと駆け出した。
「……優希っ!」
――ガチャ、ガチャ。
冷たく迸る感触に優希は絶望する……。
「あ、開かない……!」
文香を覆うただならぬ邪気から、恐怖に駆られるままに走り出した優希を待っていたのはさらなる恐怖に他ならなかった……。
「……うふふふふ。どこへ行くのかしら? 優希ちゃん」
文香はPDAを片手に恐ろしい笑みを浮かべる。ツールボックスの機能だろうか、こうなることを予測していたのかもしれない……。
「一人だけ逃げようとするなんて、悪い子ねえ……。うふふふ。先にボウヤを血祭りにあげようと思ってたけど……気が変わったわ。組織の家系は根絶やしにしなくちゃね」
やがて、ドアに凭れかかるようにして怯えている優希に、文香はゆっくりとサブマシンガンを向ける。
「た……助け……て……!」
「ふ、文香さん……! 待ってください!! みんなで脱出する方法を……!」
「そうね、一緒に脱出しましょ、総一……この世界から。うふふふ……。バカげているのよ、何もかも……ねえ? 総一……。うふふふふ、あっははは……!」
「文香、さん……?」
光を失い青黒く見える文香の双眸から、涙が流れていた……。何故、泣いているのか……? 疑問に思うも、それを考える時間は残されていなかった。
もはやどんな言葉も届きはしない……。絶望した優希は壁に寄りかかるようにして座り込む。
「待て、やめろ!! 撃つな!!」
「優希ちゃんっ!!!」
長沢と咲実が駆け出そうとしたその時だった。
優希のすぐ横にあるドアが勢いよく開き誰かが飛び込んで来たのは……。
「……馬鹿な真似はやめるんだ」
「……お、じ……様……?」