長沢勇治 3 Close 3人の殺害
矢幡麗佳 8 Death 近距離でPDAを5つ破壊
色条優希 4 Close 首輪を3つ取得
漆山権造 A Death QのPDA所有者の殺害
手塚義光 5 Close 24箇所のチェックポイント通過
陸島文香 9 Close 自分以外の全参加者の死亡
郷田真弓 Q Death 71時間の経過
御剣総一 2 Close JOKERのPDAの破壊
姫萩咲実 6 Close JOKERの偽装機能を5回以上使用
北条かりん K Death PDAを5つ収集
葉月克巳 7 Close 全員との遭遇
綺堂渚 J Death 24時間一緒にいた人間の生存
高山浩太 10 Close 首輪が5つ作動
「おじちゃん……? どうしたの……?」
感激に満ちた優希の表情が、疑問の色に変わっていく。高山の背後にはまだ白煙が上がっており、その様子を完全に窺い知ることはできない。他の面々も優希に続いて高山の雰囲気が影を帯びている事に気づき始めた。
「高山さん……? きゃああ!?」
「うわっ!?」
高山の身体が長沢たちを押しのけると同時に、三人は無機質な床に倒れ込んだ。驚く間もなくその後ろで何かが激しく爆発したような音が続き、壁に弾け飛ぶそれは大口径の銃撃に他ならなかった。最悪の状況を脱出できたことに安堵する間もなく、死の足音はそこまで近づいてきているのだ。
「はぁ、はぁ……。長沢君、優希ちゃん、大丈夫ですか!? 高山さん……! あ、ありがとう……ございます」
「……咲実さん! 大丈夫か?」
「は、はい……」
覆い被さっていた高山が立ち上がると、すぐに三人も身を起こす。総一や葉月も手を貸して咲実を立ち上がらせる傍ら、優希は長沢にしがみつくようにして立ち上がろうとする。
その刹那、何かが転がるような音が聞こえてきた。咲実が振り返ってみると……。そこには何度かこのゲームで見た物があった……。つられて振り返った高山の表情が変わる。
「しまった!! 伏せろっ!!」
「……えっ!? きゃっあぁ!!」
立ち上がろうとした長沢たちに再び重力がかかり、咲実、優希諸共三人はその場に薙ぎ倒された。彼らに覆い被さるようになった高山は、両手で三人の頭を抱えるようにして、じっと息を潜めた。
「く、苦しいっ、重……い……よ!」
「痛て!! 痛ててててっ!!」
「……耐えろ!! 三人とも動くな! ……御剣!! 葉月!! 来るな、反対側へ走れっ!!」
手榴弾――!
総一が声を上げる間もなく、背後で爆発が起こる――
「みんな……!」
一番距離を取っていた葉月は、近い位置で伏せている総一を始め、長沢たちに駆け寄る。だが、一番手に身を起こしたのは高山だった。
「大したことは……ない。……すぐにこの場から離れろ!」
やがて高山の下で丸まっていた優希たちもゆっくりと起き上がる。
「痛ててて……。す、すげえ音だぜ……」
「み、耳が……。すみません、二度も助けて頂いて……」
「ありがとう、お兄ちゃん、おじちゃん……」
状況を把握し、三人が下から抜けるように立ち上がると、高山は体勢を保ったまま声を掛ける。
「葉月、後を頼む……お前たちも早く行け」
「ねえ、おじちゃん……。どうしてそんなに怖い顔してるの?」
優希の顔が不安に曇ると同時に、高山は急に崩れ落ち、片膝をついた。惨状を悟られまいと表情は平静を装っているが、無理しているのは傍目にも理解できた。絞り出すような呼吸を繰り返すその様子に、そっと背後を覗き込むと、咲実は絶句する。
「高山、さん……? ひっ……!! いやああっ!! 血が、血が……背中が……。み、御剣さん……」
白いワイシャツの背面が真っ赤に染まり、その赤がじわじわと大きくなってきていた。もしかしたら、煙に巻かれた時点で撃たれていたのかもしれない。それに拍車をかけるように襲い掛かってきた銃撃と手榴弾……。
――うふふふふふ。あははははっ!! あーっははははははは!!
……そして。呪いがかったような恐ろしい笑い声。勝利を確信した、或いは全ては計画通りと言わんばかりの、悪霊にでも憑りつかれたかのような不気味な哄笑が、部屋の中から廊下側へと流れ込んでくる……。
「うふふふふ。ねえ、そこにいるんでしょ……? 首輪を外さなくちゃいけないんだから、あたしから逃げるわけには行かないのよねぇ……うふふふ」
まだ白煙が上がっている部屋の向こうから悍ましい声が聞こえてくる……。瞬間、咲実と優希の表情に怯えの色が浮かび、葉月は顔を顰める。
「総一……。こっちへいらっしゃい。君の対応次第によっては、お姉さん、考えてあげなくもないけど? うふふふ」
黙って様子を伺っていると、再び恐怖の声が流れ込んでくる……。僅かながらにパンプスの音が近づいて来ているようだった。すぐに追って来ないのは、高山を警戒しての事だろうか。
「み、御剣さん……」
「けっ……あのババア……!!」
文香と距離を取れたとは言え、近くにいることには変わりなく負傷者も増えている……。各々の精神状態を考えれば一目散に逃げだすのは厳しく、一行の緊張は頂点に達していた。優希に至っては葉月の背中に隠れて、完全に怯えきっている……。
「ねえ……!! 総一っ! お姉さんの言う事が聞こえてないのかしら? 足だってケガしてるんでしょ? あたしが手当てしてあげるから。早く出てらっしゃい? 総一……良い薬があるの。おじ様の麻薬よりもよっぽど効くんだから……」
手にした手榴弾を弄びながら、僅かに呼吸を乱して薄ら笑いを浮かべる。咲実の騒ぎ様からして、一番厄介な高山の動きを封じることには成功したのだろう。その達成感からいつもの余裕を含んだ声色であったが、表情は歪み、目は笑っていない。
そして、右腕に抱えられているのはあのバルカン砲――左手には手榴弾。
化粧を施して薄ら笑いを浮かべるその出で立ちは、日常で一般人が見たら恐怖で卒倒してしまいそうな雰囲気である。
「…………」
文香の声に呼応するように、総一は足元に目を落とすと、膝の下から血が滴り落ちて制服のズボンを赤黒く染めていた……。ふと緊張が途切れると、ズキズキと痛みが沸き上がってくるような気さえしてくる。
確かに、歩くにも痛みがある。
果たしてこの状況で全員逃げ果せるのだろうか? それに首輪の事もある。たとえ逃げ切ったところで、ほとんどのプレイヤーは……。手負い、否、重傷の我が身に加え、同じく重傷の高山、恐怖で疲れ切っている優希……。葉月とていつ傷が痛みだして動けなくなるのかわからない。
こんな状況で、文香を敵に回したまま正規の手段以外に首輪を外す方法が見つかるのか――
「総一……。どうしてあたしを無視するの? お姉さんの声が聞こえてないの? ねえっ!! しゃべれないの!? 誰……? 総一を匿ってるバカは……!」
文香の声色が一段と強くなり、恐怖を増幅させる。
「い、嫌だよ……! 誰か、助け……て!」
総一がふと背後に目をやると、優希は葉月に縋るようにしてか細い声を絞り出していた。文香の怖さを至近距離で味わった少女にとっては無理のないことだった。
――優希……咲実さん……。
――やっぱり、どう考えてもこの方法しか思い浮かばない。
「みんな……やっぱり俺、戻るよ。文香さんと話してみます」
最高幹部会のメンバーを乗せたヘリコプターが夜空を舞う。数時間前まで重苦しい雰囲気に包まれていたのも遠い過去となり、ひたすら風を切るプロペラの回転音が心地良く響く。この後の展開を考えれば気分が高揚することを抑えられず、自身の鼓動とリンクして煽っているかのようである。
「……各地の拠点はどうなっている?」
「少し前までは拮抗していたようですが……。徐々にエースの奴らが後退し始めているようです」
先の言葉を発した男の表情は余裕で満たされていた。今後の展開を想像すればするほど笑いを零さずにはいられない。一部は畏まった表情を保ちながらも、一仕事を終えたような充足感が機内を支配していた。
そう感じるのは、懸念がなくなってリラックスしているからかもしれない。
「派閥による仲間割れの影響により、奴らも意思と行動が統一できておらず、思った以上の苦戦を強いられた……と言ったところでしょうか」
「ふふ、そうか……。ふ、ふははははっ……!!」
――もしもこのまま現地入りして、色条良輔が船上で捕らえられていれば、エースも派閥など気にせず一丸となって拠点の攻撃に移っていたのかもしれない。そうなれば自分達も終わりだった……。
そう考えるとあまりにも上手く行った現状に笑いが込み上げてくる。諸々の不満が燻っていたボスが消え、自身は全く傷つくことなくその権限を手に入れることができたのだ。他の面々も同じなのか、笑顔を浮かべる者さえいる。
「ところで……金田様は上手くやれたのでしょうかね?」
ボスとその娘の身を案じて単身カジノ会場に乗り込んだ結果、これ以上ない災難に巻き込まれてしまった穏健派幹部――突き放してしまったとは言え、その柔らかな物腰の男に少しばかり情が移る。
「ククク……やれると思うか? あの状況で。奴ら老人と腰抜けの時代は終わった。これからは我々の時代だ。今後もアクティブにゲームを展開していく。さらに条件を進化させてな」
「それは面白そうですねえ……。そう言えば最近のゲームにおける、首輪解除の条件を緩くしたのはボスの指示でしたね。今度はいつぞやのセカンドステージでも復活させましょうか」
「ふふふ。そんなことは考え済みだ。如何にしてプレイヤーどもに絶望を与えて戦闘に駆り立て、そこに生まれるドラマに観客を靡かせるか……。我々の腕の見せ所となるだろう……」
既に彼らの興味は今後の方向性へと移っていた。だが……実際は全てが終わるには程遠い状況であった。カジノ船ではいまだ血飛沫が飛び交い、ゲーム会場では銃撃と爆発、そして渦巻く悪意と涙が犇めいている。各地においてのエースと組織の激しい攻防とて、完全に終わったわけではない。
「今回のゲームは明らかに失敗だった。観客どもの質も落ちているのかもしれん。下らん情けに心を掻き乱されるようでは……な」
「誰か観客を扇動した者でもいるのでしょうかね……?」
「エースの連中か……。イレギュラーもあろうが……どうだろうな。それよりも次回からはプレイヤーの素性を念入りに調査する必要がある。色条優希の件もそうだが……」
「ええ。やられ役のザコかと思えば、とんでもないJOKERがいたものです。……これは予測が困難でしたが」
邪魔者を始末し、その後の展開に安心し切っていたのか妙に会話が弾み出す。安全なところから高みの見物をしている内に気の緩みは油断となることを知りつつも、つい寛いでしまう事を抑えられない。この場に酒でもあろうものなら、夜空を背景に贅沢な打ち上げが始まりそうな雰囲気である。
しかし――戦場ではそんな油断が命取りとなることもあるのだ。
「ふむ、課題は山積みと言ったところか。これからも大いにゲームを盛り上げていくぞ。良いな?」
「はっ! 畏まりました」
「御意に」
「お任せください」
側近を含む最高幹部会のメンバーが威勢よく声を上げると、組織のボスへと就任するであろう幹部の男は満面の笑みを浮かべ、この状況を噛みしめる。
「良い返事だ。さて、祝賀会といきたいところだが、騒ぎが収まるまで少し身を隠すとしよう。例の諸島へ………。………?」
会話に盛り上がり、ふと我に返ると自らの鼓動を煽り立てるプロペラの旋律が急に乱れ始める。一律だったはずの音が似たような音と重なり、けたたましく感じられる。暗い夜空に目を凝らすと、知らぬ間に周囲を数機のヘリコプターが取り囲んでいた。
「なんだ……? このヘリコプターの群れは!? 何故……」
「わ、わかりません……」
自身らを保護する名目ならわからないでもないが、そんな指示は出しておらず、よく見ると組織内でも見たことの無い型であった。
「何なんだ、こいつらは? ……おい、囲まれているぞ。大丈夫なのか? よくわからんが……早く離脱しろ」
「だ、ダメです……! 抜けられません……」
焦り始めた幹部の一人がパイロットに促すも、正体不明のヘリは微妙な距離を保ったまま、組織のヘリにつかず離れずついて来る……。間を縫って離脱しようにもこちらの動きに反応するかのように追随し、それを許さない。
「……鬱陶しいヘリどもめ……」
つきまとう4機のヘリコプターに苛立ちを覚えた幹部の男は、護身用の拳銃を取り出して小窓を開けると、隙間から威嚇射撃を試みる。本来ならば、間違いなくボスを守護するための銃だったが……。今やこれ以上の皮肉はないほどの業を背負ってしまった凶器である。
感情にまかせて射撃したものの、夜間に、それも互いに宙を舞いながらではまともに当たるはずもなく、命中したところで装甲を貫ける道理もない。
「……こちらから仕掛けて大丈夫なのですか?」
「フン……良い余興だ。これだけ接近するという事は十分、威圧しているという事だからな。……ライフルを貸せ」
男は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべると、銃身を東側のヘリコプターに向ける――
「ククク……。生贄は貴様だ……。……死ね」
そして、狙いやすい位置にいたヘリに向かって下品な笑みを浮かべると、意気揚々と引鉄を引こうとする。
――しかし。その結果を知ることはなかった。
「……はっ!? ぐはああぁっ!!!」
発砲音を覚えるよりも早く知ったのは、正面のガラスが吹き飛び、その破片が頭から身体にかけて自身を引き裂いたことによる激痛、そして鼓膜が破れる程の爆発音と共に全身が炎に包まれたことによる、炎の熱さだった。
「うわぎゃわあぁぁっ!! ぎゃあっは!? ぐはえぉ!? 」
「いでっ!!? ぎゅがっ、ぐわぁぁぁ!!?」
余裕たっぷりで他人を嘲っていた幹部たちの声は、一瞬にして絶望の断末魔へと変わり夜空を駆け抜ける。二発のサイドワインダーを撃ち込まれた組織のヘリはプロペラが破損し、胴体からほぼ真っ二つとなり、哀れ夜の大洋へと堕ちて行くのであった――
「……あじゃああああああ!!!!」
ガラスで切り裂かれた身体に深紅の炎まで纏わされ、苦痛、激痛の呻き声をあげつつ、自身の業を思い知らされる。それでも、往生際悪くまだ踏み止まろうと足を踏ん張った。
「はひゃっ!? あちゃぁぁっぎゃああおぉぉぉぉっ!!!」
しかし既にそこに床はなく、足は暗い蒼の空を切る。組織における次期幹部会の筆頭――もしかして組織のトップになっていたかもしれない男は、地獄の業火によって火だるまとなり、その苦悶に耐えられず絶叫を続ける。その様は先ほどまでの品性を保った存在とは別人のようであった……。やがて、燃え尽きた隕石の如く無様に真っ逆さまに暗い海へと堕ちていく。
全身が燃え盛る。焼ける……! 熱い……! それなら海に落ちれば……。海面までの距離がとてつもなく長いものに感じられる。傍目に見れば僅か数秒……ここまで激痛と苦痛を伴う間がこれまでにあったであろうか。
「ぎゃあああぁぁぁぁっ!!!! ああああぁぁぁがぁぁっ!!!」
声にならない雄叫びと共に勢いよく海へと叩きつけられ、全身の骨が砕け散る。水の元素が漸く炎の勢いを沈めた頃には、男は既に黒焦げの消し炭となっていた……。続いて同じように燃え滓となった黒い塊が次々と海面に叩きつけられる――その都度、海は水しぶきを上げて美しい紋様を描くのであった。それはさながら業を背負った十字架の如く。
「任務完了。次のステージに移行する」
「了解。3番機、各部正常です。はは……。ついにやりましたね。少し前まであれに色条良輔が搭乗していたと思うと、未練が残りますが」
「無駄口を叩くな。喜ぶのは全てが終わってからだ。……目的地までの距離は?」
「約500キロメートル、到着予想時刻は
「了解。各機、元の位置に展開せよ。いよいよ最後の仕上げだ。警戒を怠るな」
黒き思惑を運ぶ組織のヘリを難なく撃墜した戦闘ヘリコプター群は、フォーメーションを取り直すと、無機質に飛んで行く。彼らの行く先は――
「海上はどうなっている?」
「予定通りです。我々よりも早くカジノ船に到達予定です」
「最高幹部会の奴らも終わりだな……。これで組織もしばらくは機能しなくなるだろう……。さて、秘密裏に受け取った、彼の国の最新式対地ミサイルがどれ程の破壊力を見せてくれるのか……」
操縦桿を握る彼の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
文香の襲撃から逃れた後、手塚は中央制御室に辿りついていた。大体の話は高山から聞いており、自分が考察した事とほぼ一致していたのだ。そして、このゲームが見世物とするならば、現場からでも何か操作できるようになっている場所がある……正にその通りであった。
最上階の入り組んだ先、長い階段を下りると大きな扉に出くわす。それは頑丈にロックされており、鉄よりも硬い素材で作られているかのようだった。本来ならばゲームマスター、つまり組織の運営側のプレイヤーしか入れないようになっている部屋である。
「クックック。ここまで重てぇモンを担いできた甲斐があったぜ。……目標、前方10メートル、発射5秒前、ってか」
少し階段を駆け上がって下方へバズーカを咆哮させると、轟音と共に背後に熱風を吹き出しながら、正面下に爆発が起こる。やがて扉は無残にも崩れ落ち、白煙が前後から立ち込めてきた。
「……ひゅー。おマヌケなのか、甘く見てんだか知らねえが……。こういう物を置いちまっちゃ、固てぇ扉も鍵も意味なんざねえだろうっての」
制御室に侵入した手塚を出迎えたのは、多くのモニターや通信機材だった。そして、通路や部屋の扉を開閉する装置もあれば、罠を設定するスイッチもあった。さらに、カジノの会場である船の様子まで見られるようになっていたのだった。
その光景に彼は笑いを堪えられなくなる。ゲームと言う体裁を保つのであれば、むやみに操作するわけにもいかないのだろうが、一参加者である身からすれば気を遣う理由もない。自分の首輪も外れ、新たな楽しみを見つけたと確信したのだ。
――参加者側はたまったもんじゃねえが、運営側はやりたい放題じゃねえか。これぞ、勝者に与えられた最高のご褒美ってやつだな、おい。……とくれば、散々追い回してくれたテロリストさんと、運営の連中に嫌がらせでもしてやるか……クックック。
湧き上がる期待と喜びに身体を弾ませながら、機材を弄っていくと、罠の種類は実に多彩だった。一撃で命を奪うものもあれば、重傷、軽傷を与えるもの。何より中途半端に生き残らせて、死ぬより厄介な思いをさせるものまである。そして、お遊びで終わるようなものまであった。
しかし、それも束の間、制御室に侵入者がいると察知した運営から執拗に連絡が来るようになったのだ。
――別にお姫さんを助けたつもりはねえぜ? あの場であの女に追いつかれて、全員ハチの巣にされちまっちゃ、つまんねえだろ? 大体、あの時ルールを引っ繰り返して原因を作ったのはお前らだろうが。……って言うかよ……ハッハッハッハ!! てめえも見ただろ、あの女の面!! あのお姫さん、確かに大物になる風格があるぜぇ……アーッハッハッハ!!
ゲームがショーだとするなら、誰かが倒れれば盛り上がるのだろう。そう判断した彼は文香は元より、客への嫌がらせ、妨害のつもりでわざと命の危機が迫ったプレイヤーの懐に間の抜けた罠を発動させていたのである……。
身体を重ねんと言わんばかりの男女に冷や水を掛ける、鍋やたらいを落とす……。シリアスな展開を破壊してやろうと言う彼なりのささやかな抵抗だったのだ。……残念ながら、観客にはあまり効果はない反面、その一部は逆に総一を助けることになったのだが……。
そして、今しがたカジノ船に乗り込んできたエースの増援……。
――ハッハッハ! いい音がしたな、おい。なんだ……随分楽しそうなことになってるみてぇじゃねえか。……おっとっと、そんな無理にしゃべりなさんな。おっさんもいい年だろ。で、賞金はどうなるんだ? 入場無料の殺人アトラクションにお招きされてやったんだ。これで残念賞と来ちまっちゃあな? 空の上のお城じゃねえが、観客もお前らの部下も粗方くたばっちまって、てめえらだけ生き残ってるってのも滑稽だな。ま、頑張って何とかしろよ。 クックック……じゃあな!
ゲームを良く思わない文香の仲間だと言うのなら、船を制圧した後に被害者である自分――つまり参加者達も何とかしてくれるかもしれない、そうタカをくくっていたこともあった。
しかし……。
流石の手塚も彼らエースの間に複雑な派閥の事情や個人間の感情が渦巻いているところまでは想像できなかった――
「おい……いい加減にしろよ? バカだろ、御剣の兄ちゃん!!」
命からがら文香から逃れたにも関わらず、再び戻ろうなどと言う馬鹿げた提案をする総一に、長沢の顔色が変わる。続いて咲実と高山の怒りを込めたような視線が集中する。
「楽な方には流させないと言ったはずです。許しませんよ、御剣さん」
覚悟を決めて足を引き摺ろうとしたその時、背後から肩を抑えられると同時に強い声で制させる。二人の顔を見れば怒っているのは明白である。
「じゃあ、他にどうすればいいんだよ!? もう時間がない。みんな一緒に助かる為には、文香さんにわかってもらうしかないだろ!」
「やるべきこともやりきらずに諦めないでください! あの人には、もう……私たちの声が届いていないんです……。戻れないところまで、壊れてしまって……」
「そうだよ。あの女は葉月のおっさんの言葉だってまともに聞かなかったじゃないか!!」
出会って三日と言えど、元の性格を思えば文香の精神が崩壊しつつあるのは否めなかった。本来ならば、こちらの話に耳を傾けてくれるかもしれなかったのだ。
葉月の命懸けの説得にも耳を貸さず、感情を暴走させる文香に話し合いの余地などない。
もはや総一以外の言葉は聞く意思もないのだろう。だが……。何より、ここで総一を送り出したら、二度と会えなくなる――そんな気がしてならなかった。
「それがこの事だろ! 話してみなければわからないじゃないか。文香さんだって本当はあんな人じゃない。俺だってもう、死ぬ気はない……。それに……これ以上、誰も傷つけたくはないんだ。文香さんを元に戻せるのは……」
俺しかいない――! そう思った矢先、鋭い声に制される。
「思い上がるな、御剣。テロリストと交渉など……馬鹿げている。この恐怖と向き合って、最善策を考えろ」
見かねた高山が制止に入るが、総一の感情は止まらなかった。常人ならば苦痛にのたうち回っていても不思議ではない、背中の傷から血が滴り落ちる……。
「高山さん……。貴方にとっては、文香さんはそう見えるかもしれません……でも、俺は……。もう沢山なんです……。みんなケガをして、傷ついて……。力を合わせれば、どうにかなるはずなのに……。なんでこんな無意味な争いを……」
総一の情は完全に文香に移っていた……。それは先ほどの情事から来るものではなく、彼女の心の中を見せられたからに他ならない。
だが……。もしも、総一がこの部屋へ戻れば……。
咲実の脳裏に恐ろしい光景が次々と生み出される……。
大切な存在を奪われ、破壊される恐怖――文香の言葉が脳内に反芻する。
――本当はまだ優希ちゃんのところへ行きたがっているのね……? もう……咲実ちゃんに気を遣わなくてもいいのよ、総一……。うふふふ……うふふ……。あはははははっ!
総一と文香が唇を合わせながら血に塗れ、狂気の笑みを浮かべる……。
不安が妄想を呼び、悪循環となって咲実の心を掻き乱していく……。
総一だけが文香と共に倒れ、他の参加者は救われる……。咲実にとってはそれも自身の死と同等、否……自分だけが死ぬよりも恐ろしいことだった。
「御剣の兄ちゃん! 咲実の姉ちゃんに言われたことをもう忘れたのかよ!! 兄ちゃんが死んだら残った僕たちはどうすんだよ!? そんなもの抱えて、毎日つまらない学校なんか行けるかよっ!!」
長沢の声が悲痛な沈黙を打ち破る。自身の言葉を代弁してくれた少年に僅かな救いを求めるも、総一の勢いを止めるには事足りなかった……。
「だから……俺は死ぬつもりはもうない。お前の怒りはわかるけど、俺には文香さんだって生きて欲しいんだ!」
「あいつが生きるってことは僕たちが死ぬってことなんだぞ!! 御剣の兄ちゃんだって死ぬんだぞ……!!」
長沢が送った視線の先には、涙を浮かべ恐ろしい妄想に身動きが取れない咲実の姿があった。無意識に彼女を案じていたのであろう、だが……その言葉さえも届かなかったのか、総一は答えようとしない。
「御剣、お前ひとりの身勝手な行動で、仲間全員が危機に落ちる……! 理解しろ」
「文香さんは俺に助けを求めているんです。それなら……見捨てることはできません」
「…………!」
こうなると男は言う事を聞かなくなる……。増してや思春期の少年となれば……長い経験でそれは何度も見てきた光景だった。しかし、今回は相手が相手である。人生の経験、狂気のレベル……いずれも文香の方が総一のそれを優に超えている。
――この少年はそれほど強くはない……。例の……桜姫の存在がなければ、簡単に洗脳されて精神を改造されてしまうだろう。だが、彼女はもういない……。
方向性は違えど、高山の思う事も咲実とほぼ同じであった。
目の前で、高山と総一、長沢が言い争っていたものの、誰が何を言ってるのかわからなくなるほどの黒い不安が咲実を覆い、負の感情が脳内を支配する。身体が震え、動悸が収まらない……。
「咲実さん、必ず戻ってくるよ……。じゃあ……」
「待ってっ!!! ……お願い、やめて!! 行かないで!!」
総一が部屋の中へ飛び込もうとしたその時、咲実は身を挺して総一にしがみついた。これが最後の別れになるのかもしれないと思えば、無事を祈って送り出すことなどできなかった……。傍にいて欲しかったのだ。
「もう……もう嫌なの……!! 喜んで死にに行くようなことは、しないで……!」
「……俺はそんなことは考えていない!! ここにいるみんなの為に、俺は……」
想像だにしないことを指摘された総一は、燃え上がる使命感を滾らせて振り払おうとする。しかし、咲実には間違いなく嬉々として命を捨てに行くように、さながら咲実よりも文香を選ぶかのように見えていたのである。
「俺は、みんな、を……っ!?」
「総一、さん……っ!」
咲実に言い聞かせるべく、自身の感情を伝えようと動かした唇……だが、その先の言葉が紡がれることはなかった――
気がつけば目の前に長い睫毛が迫り、首の後ろには温かくも華奢な腕の感覚を覚える……。そして、咲実の唇が総一の唇をふさいでいた。
――――!?
想像もしなかった突然のキスに総一は目を見開くと、瞳を閉じた可憐な表情が視界に広がる。
徐に唇が離れ、そっと開かれる瞳から大粒の涙が零れ落ちる……。
「さ、咲実、さん……な、何を……」
驚きの余りその場に立ち尽くしていると、悲しみを湛えた咲実の瞳が自身の瞳に吸い込まれていく。涙で濡れている咲実の顔は弱々しくも美しく、瞳に宿る決意の力が真っ直ぐに突き刺さる。
「総一、さん…………。まだ…………」
「まだ……あの人のことが……忘れられませんか……? 貴方が見ているのは……」
「咲実、さん……?」
「私と生きるのが……そんなに嫌なんですかっ!!!!」
――――!!
咲実の頬が激しく鳴った。
華奢な身体がゆっくりと崩れ落ち、蹲った姿勢のまま咲実は肩を震わせていた。瞳からは涙が流れ落ち、グレーの床を濡らす――
咲実の不安は事の善悪よりも文香に総一を奪われること、そして都合の良いように思考を改造されてしまうことだった。
そして、咲実の声により正気を取り戻した総一の本心に偽りはなかった。総一は咲実たちを守るために行動するつもりでいた。そして、文香さえも自分なら助けられるつもりでいた。増してや以前のように体よく命を捨てようなどと……。
だから、耐えられなかった。一番大切な人へ変わりつつある人に、否定されることを。
「総一お兄ちゃん、何してるの!? ……大丈夫? 咲実お姉ちゃん……!」
「総一君、みんな助けたいと思う気持ちはわからないでもないが……僕たちは完全な存在じゃないんだ……!」
突然の事に葉月や優希が驚いて駆け寄る。その傍らで、長沢は言い争いながらも寄り添う二人の間に入れるはずもなく、ただ状況を眺めていた。このゲームを通して少しだけ変われたような気がした自分にとって、二人の言う事がどちらも間違っていないこともよくわかっていた。
――僕は……。
そんな時、空気を読まない来客の横槍が無造作に突っ込まれる。
「ああ……そっか。うふふふ……。咲実ちゃん、貴女が邪魔してるのね……? 待ってて、総一……。うふふふ……今助けに行くわ……」
刻一刻と迫るタイムリミット――
恐ろしくも妖艶な囁きが、怒りの炎を燃え上がらせていく……。
――そうだ。お前だ……。お前はいつもそうだった。僕の大切な物を全て奪おうとする……。
――渚の姉ちゃん……。
涙を流しながら、悲しい笑顔で優しく微笑んでくれたあの人……。その笑顔に何度救われたのだろう……。それなのに……。
――高山のおっさん……。
ゲームで飽きるほどに見てきた、無敵のヒーロー……。仲間の危機にどこからか現れ、必ず助けてくれる、正義の味方……。それでも、こんな大ケガを……。
――優希……。
何の取り柄もない自分を無条件に慕ってくれた少女……。あの時、自分の方へ来てくれなかったら……。一緒にいることでどれほど力をもらえたのかわからない。
――葉月のおっさん……。
普通のおじさんかと思えば、深手を負いながらも狂気に支配されたテロリストを毅然と諭して見せる。学校の教師やテレビに出てくる、弱くて厭らしいだけの大人の男からは想像もつかない、こんなすごい大人もいる……。
最初は胸躍らせていたんだよな……。
人を殺せるって。でも、今は違う……。
――御剣の兄ちゃん……咲実の姉ちゃん……。
色々あって本当に大変だったけど……一緒にいる時は嫌なことなんて忘れられてさ……。
ドラゴン・ハンターを遊んでいる時と同じくらい楽しかったんだぜ……。本当に冒険してるような……それも、遠足の百倍くらい楽しくてさ……。
これが、この感覚が「トモダチ」なのか……? 渚の姉ちゃん……。
いまだ蹲って、泣き止まない咲実と必死に説得する総一を唖然と眺める。他の仲間も追い詰められた状況に足踏みしているのか、何もできずにいた……。
――今度は御剣の兄ちゃんと咲実の姉ちゃんも奪い取ろうってのか……!
湧き上がってくる勇気と怒り、そして破壊衝動。静かに落とした視線の先に銃火器が見える……。ばら撒くように出口付近に置かれていたそれは、高山が事前に準備していたものだろうか。
だが、今はそんな事はどうでもいい。
こうしている間にもパンプスの不気味な音色が大きくなり、暗い囁きが聞こえてくる……。
「うふふふ……。言ったはずよ? 総一……。あたしと一緒に死んでくれるって……。あたしは君さえいればそれでいいの……。ほら、出てらっしゃいな? 照れてるのかしら……もう。しょうがない子ねえ……。うふふふ。じゃあ、仕方ないわね……。本当は総一に迎えに来て欲しかったんだけど……あたしから行くわよ……? 力ずくでね……ふふふふ」
瞬間、その場にいる全員の顔色が変わる……。
唯一聞こえるのは、息を潜めて文香の様子を伺っている高山の背中から滴る血と、咲実の涙が床に零れ落ちる音――そして、咽び泣く声。
「……ちょっと激しくし過ぎて血塗れになっちゃうかもしれないけど、そんなあたしも愛してくれるのよね、総一……。うふふふ……あっははははは……!」
――これ以上、お前なんかに僕の友達をやらせるかよ!! 御剣の兄ちゃんと咲実の姉ちゃんは僕が守る――!!! いつまでも僕が黙っていると思ったら、大間違いだぞ!
「ふふふふ……。行くわよ……!」
本来ならば、ロケットランチャーを選んでいるところだが、もう時間がない。扱いやすそうな小型のマシンガンを手に取ると、一目散に全員の前に躍り出た。
「……待て!! 長沢っ!! 危険だ!!」
高山が伸ばした手が空を切る――
自分が無力だという事は嫌と言うほどわかっていた。そして、悪を倒す力もないことを。それでも、黙ってみんながやられるくらいなら……。
――咲実の姉ちゃん。僕も御剣の兄ちゃんと変わらないかもしれない。でも、大事な友達が、みんなが死ぬよりは……。そうだ。学校に戻ってひどい目に遭い続けるくらいなら……! 行くぞ、特攻――!!!
「そ、う、い、ち……。これが最後よ……。ふふ、ふふふふ…………」
「くたばれっ!! このババアッ!!!」
「……ふふふふ……!? ぼ、ボウヤ……!? ぐっ……きゃあっ! ……この、く、あ、あぁ……!?」
――おいおい。後出しで宿題を追加する教師ってのは一番嫌われるぜ……。こっちは首輪を外したんだ。もうちょっと丁重に扱いやがれっての。選択肢のねえゲームってのはつまらねえもんだぜ……。結果が読めるようじゃ尚更、な……。
――ご、ごほっ……。す、すべてお見通しと言う、わけか……。そう、だ。貴様の、思った通りだ。だが……それも今回、で……最後に、なるだろう……。……終わりだ。何も、かも……。
――てめえがやった事ってのは、いずれてめえに跳ね返ってくるもんだぜ。調子に乗り過ぎたな、運営さんよ。まあ、俺たちを見て楽しんでやがった連中にも天誅が下って、こっちとしちゃ笑いが止まらねえがなぁ。クックック。
――ごほっ、ごっ……。心、苦しいが、もはや……貴様にしか、頼めん、の、だ……。……組織など、もう、滅んでも……構わん……。……だが、姫様は……姫様に、だけは……ご無事で、あって、欲しい……。どうか、どうか、あの子には、普通の、人、生を……。奴に、代わ……って……どうか、頼、む……!
――さて、どうしたものかな……? 当然、賞金は弾んでくれるんだろうなぁ? クックック……。
――こ……これで、貴様、は……自由の、身、だ……。あ、後を……。
高山が制止した時、既に長沢は扉のなくなった部屋の前に飛び出していた。大分視界が良くなったとはいえ、白煙が晴れたわけではない。その霧の向こう側に向かって、長沢はサブマシンガンを舐めるように乱射しながら憎しみの声を放つ。
相手からの反撃など頭になかった。どこからか呻き声が聞こえたような気がしたが、気にせず怒りにまかせて全弾ぶち込んでやろうと、発射の衝撃に引っくり返りそうになりながら部屋中に向かってトリガーを引き続けた。その時……足元に何かが投げ込まれてくるのと、弾切れを起こしたのはほぼ同時だった。
「うわっ!! な、なんだよ、これっ!?」
気付いた時には背後から物凄い重力に引っ張られ、再び白煙が立ち込める。今度は自分達が潜んでいた通路側に投げ込まれたのか、本当に誰がどこにいるのかわからなくなる。
……瞬間、我に返った。文香は煙の中でも視界を確保できるゴーグルを付けていたのではないか。だとしたら……!
その不安も束の間、重力から解放されて地面に立たされると、すぐ近くから高山の声がした。
「すぐに奴が来る!! 長沢、姫萩、右の壁に手をつきながら向こう側へ走れ! 途切れたら左だっ、急げっ!!」
二人は背中を押されながら方向を仄めかされると、おずおずと振り返る。
「え……!? あ、は……はいっ……!」
「御剣の兄ちゃん達は!?」
「他の者は行った。早く行け……! 俺もすぐに行く」
声からして傍にいるのは咲実と高山なのだろう。周囲は完全に煙に巻かれており、その表情すら見られなかったが、この場は脱出した方がいいことはわかりきっていた。
「咲実の姉ちゃん、こっちだ!」
長沢は咲実の手を引くようにして徐に煙の奥へと駆けて行った。
――はぁ、はぁ……はっ……。ぜぇ、ぜっ……。
必死の思いで煙の中を駆け抜けてきたプレイヤーの呼吸が不規則な音色を奏でる。死への恐怖に次ぐ不安、極度の緊張。それだけでも呼吸は収まらないと言うのに、あの煙は毒ガスだったのではないかと要らぬ想像が広がり、精神まで消耗していく。
「ふぅ……。総一君、優希ちゃん……。み、みんな……無事か?」
一目散に駆け出した葉月はすぐ後ろに続いた優希と、少し遅れて足を引き摺ってきた総一の姿を確認する。
「う、うん……。お兄ちゃんと咲実お姉ちゃんは……!?」
多少の呼吸の乱れはあるが、脅威から脱出できた安堵の方が大きいのか、優希は比較的落ち着いた様子で周囲を見回す。やがて、まだ晴れ切らない霧の中から長沢と咲実が姿を現した。
「はぁ、はぁ……はぁ……。長沢君、ありがとう、ございました……」
「ぜぇ、ぜっ……。い、いやあ、高山のおっさんのおかげだぜ。僕はあの女が許せなかっただけでさ……」
呼吸音だけが聞こえる空間で、気まずそうな咲実と足の痛みに呻く総一の視線が交錯した。互いに何かを言わなければならない状況で、先に口を開いたのは咲実の方だった。
「あ、あの……ごめんなさい……。そう…い…。いえ、御剣、さん……。わ、私……あの……つい感情的になってしまって……心にもないことが、口から飛び出して……。私……」
「そんな……。謝るのは俺の方だ。ごめん、咲実さん……俺の方こそ、手を上げたりなんかして……」
「いいんです……御剣さんが、私の方へ来て下さるのなら……それだけで……」
経緯はどうあれ、やっと総一が自分の元へ戻ってきてくれた……。その急な変化の感情に堪えきれなくなった咲実は、つい総一の胸に飛び込んだ。
「もう、どこへも……行かないでください……!」
咲実は瞳に溢れんばかりの涙を拭いながら、嬉しそうな笑顔を浮かべる。彼女にとっては総一が傍にいてくれればそれでよかったのだ。
だが、総一は……。
咲実が大切な存在であると同時に、できる限りの人間を助けたかった。この期に及んでまだ、心のどこかで文香の身を案じていることも否定できなかったのである――
やがて視界が晴れて呼吸が収まり、冷静に周囲を見渡せる余裕ができると、何かが足りないことに気づく。
「あ……れ……? 高山のおじちゃんは……? どこ……? どうしたの?」
疑問に声を上げたのは優希だった。他の参加者も気づいてなかったわけではない。遅れて戻ってきてくれる……。そう信じて疑わなかった。だが、彼が現れることはなかった。
嫌な予感がした――
「ちょ、ちょっと僕、見て来るよ……」
「わたしも行くっ!」
一抹の不安を抱えつつ、誰の返事も待たずに元来た道を引き返す。
――大丈夫だ。おっさんが死ぬわけないだろ。ゲームに出て来るカッコいい大人は最後まで僕たちを助けて、影で見守ってくれるんだからな……。
しかし……その理想を嘲笑うかの如く、一心不乱に駆け抜けた通路に鉄のシャッターが立ち塞がった。ドアノブはなく、押しても引いてもビクともしない。それ以前にこんな仕切りがあっただろうか。
「おいっ!! 高山のおっさん!! 聞こえてるか!! 何やってんだよ!?」
疑問に思いながらも、今自分が通ってきた道はここしかない以上、この向こうに高山がまだいるのではないか? だが、ドアを叩いても叫んでも返事はない……。一体どこへ行ってしまったのだろうか……。
「さっき逃げてきたときには、これ、なかったよね……? もしかして、文香さんが……」
長沢は優希と顔を見合わせる。逃げ遅れてしまったのか――
「た、助けなくちゃ……」
優希の声に反応するまでもなく、長沢は考える。この階にある武器ならば鉄製のシャッターくらい壊せるのではないか……? とにかく、みんなに伝えなければならない……。焦りと不安を胸に振り返ると、いつの間にか背後に葉月が現れていた。
「葉月のおっさん、高山のおっさんが逃げ遅れたみたいなんだ! 早くこいつを壊さないと……」
興奮冷めやらぬ勢いでまくし立てたものの、葉月は至って落ち着いていた。まるでこうなることを予測していたかのように……。
「ああ……。少し、みんなに言わなければならない事があるんだ。戻ってきてくれないか?」
豪華な食事とアルコールが用意された、高級なカジノ会場……。少し前までは多くの観客が犇めき合う世界有数の娯楽施設も、今や別世界となっていた。
砕け散ったシャンデリア、割れた酒瓶。そしてぶちまけられた料理と投げ出されたテーブルクロス。さらには血まみれになって倒れている観客と兵士。血と硝煙の香りがアルコールに混じり、下手な空気のカクテルとなって漂う。
そんな状況などお構いなしにゲームの現場を映し出している主役――観客たちを歓喜、興奮させ、或いは感動を分け与え、剰え人生を振り返らせるまでに至らせたモニターは、多少の流れ弾によりヒビが入っていたものの、変わらずその役目を果たし続けていた。
今この場に二本の足で立っているのは、先ほど突入したエースハト派の兵士のみだった。何かを待つかのようにモニターを眺め、時には笑みすら浮かべて佇んでいた彼らは、漸く現れた存在の足音に気づくと、モニターから目を逸らす。
――やがてカジノ会場の扉が開き、数名の護衛と共に入ってきた男を出迎える。
「鴻上大佐、お待ちしておりました」
「ふむ。ご苦労だったな」
長身で紳士的な雰囲気を湛えた中年男性――鴻上と呼ばれた男は、カジノに散乱した死体や割れた皿など意にも介さず、まるで邪魔な障害物を扱うかのように、伸びている存在を足蹴にし、時には踏みつけるかのように、兵士たちの元へ歩み寄っていく。一見は細身の優男であるものの、その身体、肩幅はがっしりとしており、ある種の威圧感を放っていた。
「……こうも簡単に壊れるとはな。私は部下を少し買い被り過ぎていたようだ」
その傷付いたモニターからそっと流れる、掠れた嗄れ声……。それを聴いた鴻上は眉一つ動かさず、冷たく言い放った。
「ええ。既に行動は常軌を逸し、半狂乱に陥っている模様です。大佐に対する不信感や暴言も確認できました。それだけでは収まらず、任務を忘れてゲームに積極的に参加するばかりか、他のプレイヤーと情事に及ばんとする始末です。……彼女が不穏分子とならねばよいのですが」
「それならば手を打ってある。感情に支配され、指令を遂行できぬ部下など必要ないからな……。例の幹部はどうなった?」
「はっ。我々の攻撃によって負傷しており、メインコントロールルームに立て籠もっているようです。もはや逃げ場もなく、罠の可能性もないことが確認できました。すぐにでも拘束可能です」
「ふむ。では、連れて来い。油断するなよ」
「……了解。突入します!」
鴻上が言うよりも早く、エースの兵士数名がライフルを携えたまま会場の奥へと駆け抜けて行った。その場に残った隊長らしき存在は彼の隣に並ぶと、共にモニターを見上げる。
「それにしても、まだまだ反乱分子は多いようですね……」
「ああ。だが……このような男が今回のゲームに参加していたのは幸運だったかもしれんな」
「そうですね……。強襲まであと数時間……。おそらくプレイヤー達もそれまでの命でしょう。フッ……」
白い霧が晴れていくと共に何かが滴り落ちる音が耳に響く。それは自身の背中から流れ落ちる血が奏でる旋律……。そして、目の前で鬼のような形相でこちらを睨みつける存在の蟀谷から滴る紅……。
「余計な感情に惑わされ過ぎたようだな。それとも煙幕による常套手段に頼り過ぎて甘く見ていたか。……当たるような攻撃ではないと思ったが」
その冷めた物言いに感情が膨れ上がり、激昂していくのがわかる。だが……。ついに打つ手がなくなったのか、悔しそうに荒い呼吸を繰り返すしかなかった。
「はぁ、はぁ……はっ……。うふふふ……ふふふ……。ねえ……。どこに雇われたのよ……? 組織の回し者として参加したのかしら……?」
「関係者は二人までと言うのは知っているだろう」
ゆっくりと上げた視界に映るのは、弾け飛んだゴーグルと憎たらしい傭兵の澄ました表情だった。そして、無残にも床に投げ出された銀色のペンダント――千切れ飛んだそれは部屋の照明を反射させ、弱々しい光を放っている。
出てくるのならば、この男――それがないという事は、高山は既に戦闘不能。
それならば、あとは楽勝――
じっくり追い詰めて、総一を取り戻してからもてなせば良い。そう甘く見積もっていた。浮足立った邪魔者を混乱させるべく、放り投げたスモークグレネード。パニックに陥ったところを見計らって、一部を死傷させる。誰を見逃し、誰を亡き者にするのか……。勝利を確信し、立場が逆転することに興奮を覚え、剰えキスの味を思い出して身体にある種の快楽が走る――
だから、投げ込んだスモークグレネードが床に落ちる寸前、長沢が急に飛び出して銃撃してくるなどと、想像すらしていなかった。余計にバルカン砲を抱えていたことも仇となり、身が重くなっていた。そこへ思いも寄らぬ銃撃――反射的に身をかわしたおかげで致命傷は免れたものの、顔面や肩越しを掠めた銃弾により、チャンスを失ったのだ。
「お前たちが組織を良く思わないように、お前たちを良く思わない存在もまたある。そういうことだ」
「うふふ……ふふふふ。教えてくれてもいいんじゃない……? あたしはもう、全てを失ったわ。エースの仲間も……総一も……」
「失ったのではない。お前が拒んだんだ。差し伸べられた手をな」
……高山にとっては一つの賭けだった。自分達に行かせてほしいと懇願する長沢、咲実、優希を先行させ思いの丈をぶつけさせる。それでもダメならば、葉月に説得させる……。陸島にまだ本来の自我が残っているのなら……。
それすら聞く耳を持たないのであれば、最終手段。自ら乗り込んで全員脱出させる……。
しかし、総一がどのような行動に出るか……。それが不確定事項だった。タイミングと突入方法、いずれも見誤れば全滅しかねない。そして彼の出方次第では文香が逆上し、無差別に危害を加え始めるかもしれない。
さらに長沢と優希を救出しようと突入した時点で、文香がどの武器を装備していたのかという事も運命の分かれ目となった。もしもバルカン砲を携えていたのなら、盾代わりにしていた鉄製のドア諸共、自身も撃ち抜かれていただろう。
「あたしは……あたし達は……!」
文香は涙を流しながら身体を震わせる。悔しさと悲しさで感情が支配され、言葉が上手く出てこない――それでも必死に感情を紡ごうと掠れた声を暴発させる。
「どうして……どうして邪魔をするのよっ!!! あたし達は、このゲームを……! 数え切れない人たちを犠牲にしてきた、このふざけたゲームを終わらせるために……。この組織を滅ぼすために……10年以上命を賭けてきたわ……! 何人もの仲間を失いながら……。それなのに……あたしのことを簡単に切り捨てて……!! 最後くらい、あたしの願いを叶えてくれたっていいじゃないっ!!!」
そこにはテロリストである陸島文香はいなかった。思い通りにならない現状と、正しいと思い込んでいる自身の、凝り固まった思考に逆らう男に激昂するだけの存在。
――言わば今、嗚咽しているのは辛い気持ちが溢れて耐えられなくなった年相応の女性、上野まり子なのかもしれない……。
「願いは叶っている……。当分の間、組織にゲームを開催する体力は残っていないだろう。もしかしたら、不可能かもしれん……。貴様らの活動によって、だ」
文香はその場に身を崩し、止めどなく溢れてくる涙を拭う。側頭部からは血が滴り落ち、もはや完全に戦意を喪失しているように見えた。
本来ならばエースの総攻撃が遂行される予定だった。しかし、色条良輔を見失ったことにより、作戦は頓挫し、攻撃力は半減されることになる。それでも、半ば命令違反とは言えエースタカ派の暴走による要所強襲により、組織の受けた被害も計り知れないものとなった。元通りに活動できるようになるには相当の年数が必要になるだろう。ゲームの開催が当面の間滞ることは想像に難くない。
……もしかしたら、文香にとっては組織が滅ぶことの達成感よりも、辛い時に総一に逃げられたことや、仲間に見捨てられたショックの方が大きいのかもしれない。それ故、物事を論理的に処理する余裕は失われていたのだ。
「ふ、ふふふ……。うふふふふ……。そう、そうよね……。組織はもうお終いだわ……。少し大事なことを忘れていたみたい。あたし……」
文香はゆっくりと立ち上がると、繕ったような笑顔を向けて微笑んだ。流れる涙、赤い血、そして、リップを施した赤い唇……。全てが全体の青と真逆に映える。
「……ありがとう。あたし、どうかしてたわ……。あたし達は勝ったのよね……? うふふ。そう。このゲームはあたし達の勝ちよ? でもね……?」
瞬間、文香の表情が美しくも恐ろしい笑みを浮かべた形相へと変貌する――涙を流しながら笑い、狂気を含んだ瞳で高山を睨みつける。
「貴方だけは生かして帰さないわ。貴方はあたしと死ぬのよ。脱出することもできずに、このゲームと、ね? うふふふふ……!!」
「逃げるのか? 自分たちが犯してきた罪と向き合うこともせずに。あの世に行ってすべてを終わらせようなどと、御剣の思考と変わらん」
「あら……情けないわね……? 今さら命乞いかしら……。あたしは嬉しいわ。総一と一緒だなんて……。総一とあたし……同じ気持ちになれたのね……うふふふふ」
自爆、心中はテロリストのお家芸……何度もそれを見てきた高山に恐れる要素はなかった。恐れていたのは彼女の行動が読めないことである。
「それに、ね……貴方と脱出する方法を探すなんて、死んでも御免だわ。貴方が邪魔さえしなければ……いいえ、ボウヤと優希ちゃんもだけど……。邪魔さえなければ全て上手く行ったかもしれないのに……!!」
「言いたいことはそれだけか」
「口は災いの元って言ったはずよ……!!」
静かに高山を睨みつけていた文香は、憎しみと挑発を交えた恨み節を軽く流されると急に目を見開き、よろめきながら震える手でスカートの下から拳銃を取り出した。だが、高山は臆することなく毅然と言葉を放つ。
「……馬鹿な事を。戦場にもしもは存在しない。その感情が自分自身を窮地に追い詰めていることがわからないのか」
「あはははっ。笑わせてくれるわね。バカは貴方じゃなくて? あのまま逃げてればよかったのに……武器も持たずにわざわざあたしを口説きに戻って来るんですもの。生憎だけど、あたし、貴方のようなカッコつけ男に興味はないの……」
「…………」
文香が放った言葉を冷静に分析していた。確かにその通りである。そして、感情が自身を追い詰めているのは自分にも言えることだった。ただゲームをクリアするだけで良かったのならば、長沢たちと共に離脱していただろう。
「いいえ……違うわ。ごめんなさい……。うふふふふ」
瞬間的に大人しくなりかけた文香の声に怒気が含まれ、再び恐ろしい形相へと生まれ変わる。
「むしろ逆よ……。貴方の声やその済ました仕草……! 真島君を思い出させられて……。憎たらしくなってくるわ……!!!」
精神が混濁し、行動を制御できなくなりつつある存在を前にして一抹の後悔が過る。それでも……。持って生まれた本能、そして信念には抗えなかった。
「不思議だわ……。なんで、こんな男に……」
空気までが怯えているような錯覚を覚える中、やがて静寂に支配された冷たい間を震わせたのは、勝ち誇ったような文香の声だった。
「あら、観念したのかしら……? 別にあたしはゲームが終わるのを待っていてもいいんだけどね……。あたし達、エースの情報をどこまで、どうやって知ったのかはわからないけど……貴方のような危険分子は生かしておけないわ……! 正義はあたし達にあるの。うふふふ……」
「なに……!」
瞬間、何を言われても冷静だった高山の表情が揺れ動いた。
――正義。
全ての人間において行動する上での判断基準であり、信念とも言える。全ての争いも悲劇も、そして幸せな物語も不幸な結末もこの理念によって起こると言っても過言ではない。
「……ふざけるな!! 貴様らが目的を果たすまでの身勝手な粛清によって、何十、何百もの無関係な人々が傷つき、苦しみ抜いたと思っている……!! 貴様らが武装化してからの10年間……同じように涙を流した者たちが数え切れないほどにいる!!」
予想だにしない反応、耳を劈くような声に一瞬、文香は狼狽える。このゲームでも、戦場で関わった存在ですら見せたことの無い、怒りの感情を露わにした高山がそこにいた。
「…………。言うわね……!! まあ、言い訳はしないわ。大佐が勝手にやったこと、なんて言うつもりもないけど……貴方が組織に尻尾を振っているのは明白よ。貴方には死んでもらうわ……!!」
「死を恐れる理由はない。だが……。お前らテロリストどもの蛮行によって涙を流し続けてきた少年少女の為にも、賞金は持って帰らねばならん」
「ふーん……。それが、貴方の戦う理由かしら? 思い上がるのもいい加減にしたらどう? ゲームを始めたのは組織だわ。連中さえいなくなってゲームが消えれば、最初から誰も傷つかなかったわ。あたし達だって、奴らに苦しめられてきた人々の為にずっと活動してきたのよ? 理不尽に晒されて死んでいった人たちの無念を晴らすために。血反吐を吐くような戦闘訓練を重ねて……ね。貴方のように金さえもらえば誰でも傷つけるような傭兵と一緒にしないで欲しいわね……!」
遠い昔に自身も参加させられた、悪魔のゲーム。
そのふざけたゲームから生き残り、それによって犠牲になった多くの人々の為に自分達「エース」も活動してきた。同期のプレイヤーだった家族同然の友と共に組織打倒の目標を掲げ、十数年にかけて戦闘集団として駆け抜けてきたのだ。ここで引き下がるわけにはいかない。
「……貴様らエースの大義、目的の為に生まれる犠牲者にも人生が、家族がある……! その下らん思想によって傷ついた無関係の人間も数え切れないほどにいる……!! 今、俺たちの足元にもだ……。それに気づかない貴様らテロリストどもに、断じて正義はない!!!」
「だったらどうだって言うのよ!!! あたし達はこのふざけたゲームを終わらせなければならないのよ!! 理不尽に晒された者を救う最後の戦い……。それが仲間との、あの日一緒に脱出したみんなとの誓いなの……!! 組織の資金源を断つためには手段を選んでなんかいられなかったわ!!」
「その無差別テロとも言うべき愚かな理念が新たな遺恨を生み出し、新たな復讐を生み出すことをなぜ理解しない!! 何も知らない民間人を巻き込むことが正義なのか……! 貴様らのような身勝手な連中のせいで、北条や俺のような存在が生まれて来る……! どれほど立派な大義を掲げようと、テロリストに正義などない!」
「じゃあ、貴方は正義だって言うの!? あたし達の邪魔をして組織のゲームを繁栄させることが正しいことだとでも思ってるの……!! 人の命を無差別に弄んで、娯楽にしている連中なんか、この世から消え去るべきなのよ!!」
「……金で動くゴロツキが偉そうに言うものです。彼女もここまで感情を剥き出しにするとは……。フッ、まるで子供の罵り合いですね」
モニターの向こう、そう遠くはない場所で起きている現実に嘲るような視線を送ると、傍らに佇んでいた鴻上が僅かながら渋い顔を覗かせた。
ゲームを見学、若しくは組織のクライアントソフトによるオンラインの賭けに加え、ゲームを架空の存在として眺めることのできるコンシューマーソフトを購入した者……。それら全てを組織と同等と見做し、粛清の対象としてきた大元の存在である……。
「そのようだな。どうやら、彼女には荷が重かったと見える。……世の中には物好きがいるものだ。このような逆恨みによって組織の一員擬きが間接的に増えることになろうとは、嘆かわしいことだ」
「まあ、我々の理念を理解せず、感情にとらわれるようでは……。意外とこの男も彼女も似たようなものかもしれませんね。組織の資金源となった時点で、その存在は既に組織の一員ですからね」
「その通りだ。尤も、今回の作戦が成功した暁には、本格的に我が国に巣食う組織の一員を炙り出し、潰していく予定ではあったがな……」
「政治、警察、マスコミはもちろん、民間人に巣食うすべての組織の柵を完全に排除し、新しく我が国を生まれ変わらせる……期待していますよ」
「うむ。そして我々の理想国家に生まれ変わらせる。だが……それはまだ先の事になりそうだ。このような考え方をする輩がいる限りは、な」
「ええ。それまでに我が国の人口数が多少、動くことになるでしょうね」
鴻上に自身の行動を振り返るつもりもなければ、諫める存在もいない。そのまま行きつくところまで行った結果、回り回って恨みを買い組織への戦力となってしまう……これ以上の皮肉がどこにあろうか。
だが、一大派閥のトップを務める身としては、わざわざ部下の事情にはもちろん、諸悪の根源である組織を叩くために余計な事実に感情を込めてはいられないのだ。それがタカ派を失脚させるために、生贄となった存在の成れの果ての姿であったとしても。
そして……。彼らの障害となる存在はやはり組織の一員として認定されることになる――
「さて、そろそろ時間だな。最後に感情を吐き出せたこと……それが、せめてもの手向けとなるだろう」
「ねえ……。どうなの……? どうして、黙ってるの……。あたしが、エースが……正義じゃなかったら……。貴方は……どう、なのよ……」
途切れた言い争いに差し込まれた、涙混じりの声……。それは問い詰めているものではなく、承認を求めて縋っているかのようだった。
常識を弁えていた二人の奥深く隠された、本心と闇……それが解放された時、大人として堪えていた互いの感情は膨れ上がり、ついに炸裂した。テロリストと傭兵。決してわかり合うことのできない存在――何百万言を費やしたところで終わりは見えてこないだろう。
文香は緊張から来る胸の苦しさにただ吐息を激しく乱す――相手の反論に身構え、そして恐れる……。下手な衝撃を受ければ今にも泣き出してしまいそうだった。
しかし……。急に言葉の刃は収まり、時が止まったような錯覚に陥る。
激しい敵対心を持って言い争いながらも、脳裏に浮かぶ求めていた景色は、二人とも同じだったのかもしれない。そう……。
――組織によって理不尽に晒されることの無い世界。
――他者の争い事によって日常が奪われることの無い世界。
いずれも無関係の人々を守るための戦いだった。そして、自身が思う悪と戦った末に出た結論が今ならば――
――頭が固い、って……よく言われるの。
――そうか。行くのか。だが……思うことはお前と同じだ。院の皆の為に。形は違えど、俺もすぐにお前の後を追う。約束だ。
――ルールと言うのは人それぞれ違うものなんだ。人の数だけ、ルールがある。大事なのは他人にも違うルールがあることを知ることじゃないのか。
――お元気ですか? いつもお世話になっています。早いものであれから一年が過ぎました。貴方のおかげで妹の治療も続けられていますし、学校へも通えてます。私、こういうのはあまり書かないから苦手で……。
――今回の作戦では彼のお姉さんの名前をカバーネームに使わせてもらうわ。あたしは名前を変えてゲームに潜り込む。こう見えてもあたしって優しいお姉さん風じゃない? 若い子の信頼だって得やすいと思うの。
――この前の爆発で友達も学校も、送ってもらったサッカーボールも全部吹き飛んじゃったんだ。それに、僕も兵隊として戦わなきゃいけなくなるんだって……。だから……。
脳内に蘇ってくる優しい声と記憶……使命と決意。
そして、二人が様々な悲しみや怒りを知り、守りたい存在があるのなら……。まともな思考の持ち主ならば、相手の言い分も少しは理解できるのではないだろうか……。
ほんの少しだけ落ち着きを取り戻し、互いに察したのか広い部屋から怒号は消え去り、静かな声が空に流れる。
「正義など、ない……。無論、俺にも、な……」
「だったら……だったら、もう……邪魔、しないで……。もう、最後なの……最後だから……」
消え入るような声と流れ落ちる涙――
論破したと勝ち誇り、挑発してくるという予想は良くも悪くも裏切られ、言葉を失う。
「…………」
「最後くらい……あたしの好きなように、させて……。お願い……」
文香の双眸から止めどなく流れ落ちるそれは彼女の視界を歪め、邪悪な思念を洗い流していく。その様は今までの狂気と妖艶な雰囲気とは打って変わって、ただの女性が必死に懇願するかのようだった――
「お願い……だか……ら……」
――前方に巨大な高層ビルを確認。目標地点に到達しました。
現時刻