京怜エレジー   作:Lounge

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rouge

 かつて純粋無垢な中学生だったころ、私はファンタジックな恋愛小説を読むのが好きだった。彼女達は私に本当にたくさんのことを教えてくれた。曰く、女の子は誰でも大人になれば、素敵な自分だけの王子様と恋に落ちて、甘いキャンディみたいな愛の交わりを経験するらしい。

 今なら私は自信を持って言える。愛の交わりは甘いキャンディなんかじゃない、逃れられない薬物だと。愛しさと歓びと切なさを大鍋にまるごと突っ込んで、ぐるぐるかき混ぜて出来上がる粗作りのカクテル。一口飲めば頭の吹っ飛ぶような快感が全身をゆさぶってまもなく去り、ひどく苦い後味が残る。

 

 交わりで火照った裸体に、吹き込む生暖かい風がじっとり絡みつく。私、大星淡はまだ、過ぎてしまった快感の残滓をぼんやりと追っている。

 彼は疲れてそのまま眠ってしまったらしい。私のとなりで静かに寝息を立てている。

「…キョータロー?」

 彼の名を呼んでみる。もちろん返事はない。私は彼を起こさないように、ゆっくりと上半身を起こして彼を見つめる。

 苦しそうな寝顔。ここのところ、彼が穏やかな顔をして眠っているところを見たことがない。ずっと何かに苦しみ、悩んでいる顔をしている。

「…キョータロー」

 もう一度彼の名を呼んで、彼の頭を撫でると、ぽろり、私の眼から涙が一粒こぼれおちる。理由はわかってる。でも、まだ認めたくない。

 彼の頭を撫で続ける。髪しっとりしてるよなあ、と思ったその時、

「…き」

 不意に彼が声を発する。寝言だろうかと私が耳を彼の口許に近づけると、

「怜…」

 すうっと、体のしんが冷たくなる。いま、一番聞きたくない名前。

「…あはっ」

 泣くな、笑え。大星淡__。先回りして言い聞かせても、もう遅い。私は口角を上げたまま、じわりじわりと溢れてくるものを流れるに任せる。ほおをつたって滴って、それは彼のほおを濡らす。

 

 

 気分を切りかえよう。私はそっとベッドを降りる。風呂場に入って鏡に顔を写してみれば、汗と涙でぐちゃぐちゃになった私の顔が、困ったような作り笑いで私を見つめている。

 空の湯船にぺたんと座り、蛇口をひねる。と、天井近くに取り付けられたシャワーから、湯が雨のように降ってくる。

 私は人肌のように温かい雨に打たれながら、回想の海に沈む。

 

 

 彼と初めて出会ったとき、私は高一だった。初めてのインハイ、いきなり任されたクローザーの役目、三連覇を逃した振り込み。白糸台のレギュラーとして為さねばならない仕事をすることができずにふさぎこんでいた私が、親善試合で向かった王者・清澄で雑用をしていたのが彼だった。それまで麻雀で劣る者をすべからく見下していた私にとって、彼の存在は革命的であった。彼は驚くほど麻雀がうまかった__しかし勝てなかった。彼のセンスは明らかにトップクラスで、何切る問題をやれば私も到底敵わなかった。けれどいざ実戦になると、私は相当手を抜いても彼に勝つことができた。そんな彼に、私はどうして麻雀を続けているのかと聞いた。勝てないと初めからわかっているのに続けられるほどの理由があるとでもいうのだろうか、と思ってた。彼はその質問は聞き飽きた、とでもいうようにうんざりしながら「麻雀が好きだからね」と答えた。嘘だと思った。いや、彼が麻雀好きなのは確かに事実だろう。卓についているときの目を見ればそれくらいはわかる。しかし、それ以上に大きな理由があると思った。彼を知りたいと思った。自分より腕が立つはずなのに弱い人間を見てはじめて、運とは理不尽だと思った。

 

 

 彼と関係ができてしばらくして、私は彼の家に遊びに行った。お邪魔しますと声をかけて家に上がったとき、「邪魔するんやったら帰って〜」と家の奥から声が飛んできた。私は驚いてその場に立ち尽くした。彼が「怜!東京の人にそれは通じねえよ」と声の主にツッコミを入れて、私は漸く我に返った。彼の家にはもう一人、女性がいた。それも見知った顔の。

「大星さん、こいつは園城寺怜。幼馴染で、麻雀を始めるきっかけになった人。怜、彼女は大星淡さん。名前くらい聞いたことあるだろ」

 彼が双方を紹介する。園城寺さんが笑って、

「大星さんか〜ようテレビとか雑誌では見とるで〜。こないだは竜華が世話になったなぁ。うちは園城寺怜。京太郎の彼女やで、なんてな」

「大星さん、これの言うこと信じるなよ。ただの幼馴染だから」

「え〜ん、つれないこと言わんといてーなー。一度セックスまでした仲やのにぃ」

「変な関係をでっちあげるな!」

 なぜ私は人の家で夫婦漫才を見せられているのだろう。私はだんだんイライラしてきた。

 だから、あのとき口走ってしまったのは二人のせいだ。

「で、大星さん何飲む?」

「淡」

「え?」

「淡って呼んで。園城寺さんが彼女じゃないなら、私がキョータローの彼女になる」

「ほう、面白いやん」

「キョータロー、付き合って!」

「…おう」

 かくして私は恋に落ちた。目標は、彼の中での私の優先順位を彼女より上にすること。

 

 

 けれど、彼の優先順位を変えることはついぞ叶わなかった。彼と付き合っているのは私なのに、彼の中ではいつも私より彼女の存在のほうが大きいのだ。私はこれ以上彼女に対する劣等感を抱きたくはない。

 

 

 私は回想の海から顔を上げた。既に、一つの決意ができていた。

 

 

 私の女の部分に指を挿し入れる。彼にだけ訪れることを許した『サンクチュアリィ』から、彼の残した苦い蜜をそっと搔き出す。

 蜜のまとわりついた指を口に入れる。苦い味。これからの悲しみを予想させるような。ねばつく苦さ。

 

 

「キョータロー」

 ぽつり、つぶやきは指先の蜜とともにシャワーに溶ける。

「…さよなら」

 好きだけど。さようなら。一旦、お別れ。私は、新しい一歩を、今、踏み出す。

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