「降ってきたな」
バイトを初めてからどれだけ経ってもこの雨というやつは苦手だ。服は濡れるし視界が悪くなるから怪我もしやすくなる。とは言っても工事現場での作業だから大抵作業中止になることが多いのだが。
バイトの先輩はやたらと喜んでいるが、大学生ならそんなものなのだろう。フリーターの俺にとっては明日のバイトがなくなるかもしれないからちっとも嬉しくはない。
何も知らない、何も分からない俺にとってこのバイトは貴重なものだ。力仕事だけでお金をもらえるしそこそこ支払いも良い。病院で今も届かぬ外の風景を見続けている妹に比べて俺は夢も希望もないなんてつまらない人間なのだと思うことも多々あるがそれもまた俺がバイトに没頭する一因となっている。
「そういえば今日だったか」
唐突に俺は思い出した。今日は妹の誕生日ではないかと。だとすれば今日の雨はラッキーだ。普段ツイてない俺にもささやかながら幸運は訪れるらしい。妹のことだ、俺が誕生日を忘れていても怒りはしないだろう。しかし、アイツの喜ぶ顔を見るのが好きな俺にとってこのイベントは見逃せない。現場の監督に掛け合ってみるとしよう。
監督は簡易テントで他の作業員と話している最中だった。はやる気持ちを抑えて手を後ろで組んで待った。おそらく5分ほど待ったところで監督はこちらに気が付いたようで苦笑いしながら俺に言った。
「作業は続行だ。まだ小雨だから大丈夫だろうって先方から連絡があってな。完成をやたらと急がせてくるからすまんが作業を続けてくれ」
「・・・わかりました」
そうさ、結局はこうなる。ぬか喜びで終わったのはむしろ当然だ。努力もせずにただ生きているだけの俺に幸運なんてやってくるはずがない。妹には申し訳ないが誕生日は明日祝ってやろう。
雨で濡れた麻袋を肩に担いで持っていく。肩に泥がべったりとついてしまったが気にしない。どうせ洗うのだから汚れの大小など変わりはしない。それよりも妹の誕生日プレゼントだ。アクセサリの類をあげてもつけることができないからおもちゃかゲームが良いかもしれない。
「うーん」
「ん?どうした音無。女のことでも考えてんのか?」
「いや、妹が誕生日なんでプレゼントは何にしようかなと」
「お前妹がいたのか。妹に誕生日プレゼントをあげたって喜ぶのか?俺の妹はキモっとか言って捨てやがったからな」
「ははは・・・。俺の妹は嬉しそうに受け取ってくれますよ」
「羨ましいねぇ。交換してほしいくらいだ」
こちらの事情を知らない先輩はとめどなく言葉を連ねる。俺はそれに愛想笑いで答えた。幸せな家庭に育った人間の話は文句ばかりで聞いていて疲れてしまう。だから聞き流して忘れる。そうしなければ俺は俺を保っていられない。
「んでさ、アイツが嫉妬で俺を殴るわけよ」
「そりゃ怖いですね」
「だろ?」
いつの間にか先輩の彼女の話にシフトしていた。案外時間がたっていたようだ。防水の腕時計の針は作業終了の30分前をさしている。今日もまた無駄な時間が終わろうとしている。ぼうっと残りの30分を過ごそうと思っていたのだが視界に一人の男が写った。道路整備の作業であるため歩行者が珍しげにみているのだろうがいかんせん立ち位置が悪い。水溜りの前しかも路側帯に傘をさして立っているため車が走ろうものなら水をまき散らし、たちまち趣味の悪い毛皮のコートが泥まみれとなるだろう。いくらするか想像もつかないコートが汚れるのだ。金持ちでも容認はできまい。仕方ない、注意してやるとしよう。
「おい、アンターー」
男は俺を一切視界に入れていないから声をかけてやろうとしたその時、車が通り過ぎた。予想通り水溜りを通過して泥水をまき散らして。注意するつもりが自分がかけられては今更言えない。羞恥心などないと思っていたがかけら程度は残されていたようだ、そして、今まで俺を視界にすら入れなかった男が俺を見た。
ーー今日もついてないな。
男は泥まみれの俺に反して一切濡れていない。それもそうか。俺が庇うように立っていたのだ。この男が濡れるはずがない。男は俺を下から上まで眺めて、口元を歪ませた。どうやら嗤っているらしい。恩を着せるつもりはないが嗤うのはどうなのだ。もうどうでも良い。さっさと作業に戻るか。踵を返そうとした俺に意外にも男は話しかけてきた。
「雑種にしては殊勝な心がけだな。王のために身を挺して泥を被るとは。雑種よ、お前に名を名乗る栄誉を与えよう」
「いえ、俺は仕事がありますので」
関わると面倒くさそうだ。早々に立ち去るのが吉だろう。だが、そうはさせてくれないらしい。男は瞬間移動でもしたのか俺の前に立ちはだかってニヤニヤとしている。
ーーコイツ、頭がおかしいのか?
「我が許すといったのだ。答えるのが世の道理であろう」
「・・・音無です」
答えなければ付き纏われそうだったので名字だけ答えた。偽名を使わなかったのは自分でも意外だったがまあいい。どうせこの場限りの出会いだ。
「音、無しか。これはまた数奇な運命のもとに生まれたものだな」
人に名乗らせておいて自分は名乗らないらしい。久々に感じる喜怒哀楽に戸惑いながら俺は男の横を通りすぎる。今度は邪魔をせずに男も俺とは逆方向に歩き出した。俺はそれに安堵して残り少ない労働時間に勤しんだ。
「あ、お兄ちゃん」
「よう、今日も元気そうだな」
「最近は調子が良いから」
「そっか・・・あ、これいつもの漫画な。それと誕生日おめでとう。人気のあるおもちゃらしいから買ってきたんだけどどうかな?」
「わぁ、ありがとう!!大切にするね!!」
「・・・」
薬品の匂いが鼻につく部屋。白で統一された室内は清潔さを印象付けるが俺には汚れを許さないという病院側の態度がみてとれるようだった。そんな息苦しい病室に閉じ込められている妹。名前は初音。音が無い状態からの初めの音は震えるほど感動を受ける。それと同じくらい初音が生まれたとき両親は嬉しかったらしい。
「もうすぐクリスマスだね」
「クリスマス?・・・24日だっけ?」
「25日だよ。24日はクリスマス・イヴ。でもキリスト教の人たちは24日からお祈りをしたりするんだって」
無知な俺を笑うわけでもなく初音は苦笑した。初音の笑顔に影が出始めたのは最近になってからのはずだからきっとクリスマスに出かけたいに違いない。
「クリスマスか・・・そうだ、クリスマスにどこかへ出かけるか?」
「えっ!!いいの!?」
「最近、初音の体調が良いから病院の先生も許してくれると思うぜ。明日にでも掛け合ってみるよ」
「うんっ!!ありがとうお兄ちゃん!!」
俺が欲していた笑顔がそこにはあった。責任重大だ。絶対に外出許可をもらわないとな。
現実とは厳しいものだ。翌日、医師に相談したらokを貰った。というのにクリスマスが近づくにつれ初音の容体は悪化するばかりで医師も前とは一転して外出は許可できないの一点張りになってしまった。こんなのありかよ。初音が何をしたっていうんだ。初音は外に出たがっている。それすら叶えてやれないのか俺は。
俺の中で囁く声がする。そうだ、医者のいうことなんて無視して初音を連れ出せばいいんだ。一日くらいなら大丈夫だろうし初音も喜ぶ。歩けないなら俺が背負ってやればいいだけの話。簡単じゃないか。
こうして24日は訪れた。俺は初音の希望通り冬の街に連れて行った。ライトアップされた街路樹が並ぶ煌びやかな夜の街は普段歩きなれた俺でも息を漏らすくらい綺麗だった。背中に感じる初音の暖かな温もりが寒さを吹き飛ばしてくれているようで、なんだかくすぐったい。街を歩く人たちも俺たちを見ている。きっと俺たち兄妹が羨ましくで見ているのだろうな。
「なぁ、そう思うだろーー初音?」
「--」
ゆっくりゆっくり街を眺めながらクリスマスソングをBGMに歩き続ける。そして、街の端に到達したころに初音は今にも消えてしまうそうなか細い声で言った。
「お、にいちゃ、ん。--ありがとう」
背中に軽い衝撃を受けて俺は立ち止った。俺の日常が終わってしまう。妹の、初音の笑顔が消えてしまう。俺は認めまいと再び歩き始めた。街を出て、橋を越えて、やがて教会にたどり着いた。
「教会か」
クリスマスの教会はもっとたくさんの人がお祈りをしていると聞いていたがそうでもないらしい。少なくとも物音ひとつ聞こえず静寂に包まれている。俺は導かれるまま教会の扉を開けた。
「誰も、いない」
ここは廃棄された教会なのだろうか。人影が全くない。
「あれ、おかしいな。寒くないはずなのに今更体が震えてきやがった」
震えが止まらない。視界も歪んできた。顎から何かが落ちて、鼻水も出てきた。
「くそっ」
初音を椅子に寝かせて顔を見る。穏やかな顔だ。これなら明日も・・・明日も。
「ざけんなよ・・・ふざけんなよ!!」
なにが明日だ。初音に明日などこない。かろうじて息はしているが直にそれもとまってしまう。
「クリスマスはお祝いの日じゃねーのかよ!!皆幸せになれる日じゃねーのかよ!!ふざけんな!!神様がいるなら出てこい!!俺がぶん殴ってやる!!」
これは唯の八つ当たり。この世界には神も仏もいない。一人で生きて独りで死んでいく。これがこの世界のルール。変えようもない真実。だけど認めたくはない。なら、何のために生まれてきたんだ。誰にも求められずに生きていくことに意味などあるのだろうか。
「神を祀る場で神を罵り、挙句ぶん殴るだと?ずいぶんと興じさせてくれるではないか、雑種」
「あんたは」
あの日偶然会った外国人の男だった。教会にお祈りでもしに来たのか。めでたい奴だ。
「そこな雑種よ。俺はな、神が嫌いだ。やつらは我が物顔で我の庭をに荒らしに来る賊にも等しい。神はお前に何も与えぬだろう。なにせお前は音無なのだから。名は起源を表すことが多いがお前はその最たるものだ。そこの幼童はお前の妹だとすれば同じ音無。名が音に関連していればお前たちの姓は呪いにも等しい」
「・・・初音は神様に恨まれるような妹じゃない。こんな俺を笑って迎えてくれる優しい妹なんだ。死ぬなんて間違ってる。絶対に間違ってる!!」
「そうか。だがお前に何ができる?病院へ連れていくか?そこの幼童はもって後30分。間に合わぬし間に合ってももはや手の施しようはない。さて、どうする?」
男は嗤う。俺が苦しむのをひたすらに楽しんでいる。クソッタレが。
「どうにもできないだろうが!!それともお前が治してくれんのかよ!!できねーくせに偉そうに言うな!!」
「たわけ、我にできぬことなどそうありはせん。ふむ、些か対価が足りんが我が魔術師共のルールを守る必要もない。--言峰、治療してやれ」
教会の奥からゆらりと神父姿の男が出てきた。がっちりとした体系の男は不気味なオーラを纏っている。
「お前が人助けだと?今更改心でもしたのか?」
「ふん、この雑種は神をも恐れぬ愚か者のようでな。以前の功績も踏まえて決定したにすぎん。お前も愉しんだのだから対価も必要なかろう。そら、時間がないぞ。我が助けると言ったのだ。失敗はゆるさん」
「厄介事ばかり持ってくるなお前は。・・・仕方あるまい。そこの少年、話は影から聞かせてもらった。私ならば全快とはいかずとも生かすことはできる。私に任せてみるかね?」
胡散臭いが迷ってなどいられない。
「お願いします、助けてください」
生まれて初めてする土下座。額を床に擦り付け真摯に頼む。神父らしき男は頷いて初音を奥へと連れて行った。残された俺と外国人の男は会話もなく待ち続けた。
あれから何回クリスマスを過ごしただろうか。初音は一命を取り留め5年という長い年月を経て退院した。俺は人を治せるようになりたいという一心で医者への道を志し、今年卒業した。
5年前立ち寄った教会は翌日には綺麗さっぱり無くなっていた。今でも幻だったのではないかとおもうことがある。だが初音の笑顔を見るたびに思うのだ。あれはきっとクリスマスの奇跡だったのだと。神にも仏にも祈らない。けれど、彼ら二人には祈りを捧げている。どうか幸せでありますようにと。
おまけ
「岩沢さん、そのネックレスどこで手に入れたの?」
「ん?ああ、これは恩人から貰ったもので買ったんじゃないんだ」
「ふぅん、貰った、ね。その人の名前ってわかるかしら?」
「・・・悪いけど言えない。世界大統領だとしてもあの人の前では霞んじゃうからね」
「言ってくれるわね。・・・でもま、知ってるから確認でしか無いんだけど」
「なるほど、貴女もあの人に影響されたクチか」
「世界的ロックミュージシャンに世界大統領。まったく、敵わないわね」
「私ははなから越えられるとは思っちゃいないよ。別次元の人なんだと諦めてる」
「じゃあギルの正妻の座は頂くとするわ」
「ギル?・・・あれ、アーチャーさんじゃなかったっけ?」
「・・・アーチャー?」
「私にはそう名乗ってた」
「・・・貴女、名前を教えてもらってないのね、ごめんなさい」
「謝られてもなぁ」
「でも羨ましいわ。ギルからそんなネックレスを貰えるなんて。私の髪飾りは無くなっちゃったしね」
「このネックレスって何で出来てるのか分からないんだ。この世界には存在しない未知の物質で出来てるって。あの人本当に何者だったんだか」
「岩沢さんは神話とか読まないの?」
「あー、音楽キチだからそっち系は読まないな」
「そう、ならメソポタミア神話を読んで御覧なさい。そこに答えがあるわ」
「・・・神話に出てくるような人だったのか。よし、それを題材に新曲を作ってみようかな」
「楽しみにしてる。私の就任一周年記念の式典に出てもらうのだから中途半端な歌だけは勘弁してね」
「もちろん、最高のステージにするよ」
「「「手を挙げろ!!我々は世界大統領廃絶を目指す組織のメンバーだ。大人しくついてきてもらおうか」」」
「・・・警備は?」
「全員死んでもらった。残っているのはお前たちだけだ」
「ったく、警備を少し緩めた途端これだものね。会話を聞かれなくないから防音の部屋を選んだんだけど失敗だったわ」
「世界大統領も大変だね」
「何をのんびり話してやがる!!さっさと手を挙げろ!!」
「お断りよ。屈するなんて死ぬのと同じだもの」
「そうか、なら先にこの女に死んでもらうとしよう」
「なっ、やめなさい!!彼女は関係ないでしょう!?」
「駄目だ、お前には我々の怖さを思い知らせる必要がある。じゃ、死んでくれ」
「・・・はぁ?」
「「「・・・」」」
「玉の無駄だからやめといたら?私の体は普通じゃないから銃じゃ殺せないよ」
「ば、化け物め!!」
「ひどいなぁ、これでも人間のつもりなんだけど」
「・・・ギルの仕業ね。ここまで読んでいたなら預言者もビックリね」
「考えるだけ無駄だよ。あの人は理解しようとしてできるもんじゃない」
「まだまだ正妻への道は遠いわね」
「頑張れ。さてと、こいつらもうっとうしいから倒すか」
「「「ぐふぅううう!!」」」
「人間が水平に吹っ飛ぶのなんて初めてみたわ」
「私も驚いてる。本気じゃなくても結構力が出るもんだね」
「ミュージシャンやめて私のボディガードにならない?」
「お断り。私から音楽をとったら私は私じゃなくなる」
「・・・ギルが気に入るわけがわかるわ。さっきのは忘れて」
「了解」
「うーん、この国の警察は何番かしら」
ある一人の王によって運命を打ち破った二人は意気投合しながら今日もまた世界を動かしていく。きっと、ずっと、いつまでも永遠に。