渋る十文字に、我慢するだけの価値はあるから、魚の塩焼きを実際に食わせつつもっとご馳走するから、と交渉してどうにか納得してもらったあと、僕らは鬱蒼と茂る森を抜け、岩肌の露出が多い場所へと到着した。
「ぐおお」
「臭いのである!」
「我慢して」
さっきから何度も同じ文句を言う二人に確かにそうだねと心の中で頷きつつ、僕はワクワクする気持ちを抑えられないでいた。間違いなく火山帯で、しかもこの硫黄臭。あとは可能性の高い川沿いを探せば一つくらい見つかるはずだ。あんまり見つからないようなら試しにそこらを掘ってみてもいい。
「しかし、どうにも信じられんのである。本当に地面の中に川なぞ流れているのか。しかもそれが湧き出す場所があるなどとは……」
「でも雨水とかしみ込むのは事実でしょ?十分ありうる話だってさっき納得したじゃん」
「確かに川があるということは必ずどこかで水が湧き出さねばならんのであるし、理に適ってはいる。それが火山の熱で温まり、湯として湧き出るというのも道理であるが……」
考えたこともなかったと、大王はしきりに感心している。そもそも魔物だからね。自然現象について考察する魔物がいるってことの方が異常だと思うよ。この文明レベルだと情報の行き来も少ないだろうし、下手すると一般的な人間よりも情報通なんじゃないかな。情報の真偽については実際に見てもらえれば分かるはずだ。
途中で休憩をはさみつつ、その辺をうろつく。探索というより、昼食後の散歩に近い感じだったが、それでも目的の場所には比較的簡単にたどり着いた。僕たちはめっちゃ運がいい。でも叫び声が出た。
「っ!」
一瞬動きが止まってしまった。温泉を見つけたのはちょうど森の切れ目だったわけで、そうなると繁茂する木々に隠れてあまり先が見通せない。なので、茂みをかき分けて進んでいた僕らには、例えそこに裸の女性がいても鉢合わせないよう回り込んだり、目をつぶったりすることなどできはしないのだ。以上、言い訳終わり。
「魔物どもめ、わらわの
姿を現した僕らを見て、そこで湯につかっていた先客、すなわち素っ裸の女性が前を隠そうともせず、ざばぁと音を立てて立ち上がる。
見た目年齢的にはミトさんよりも少し年齢が下くらいの女性だった。たぶんギリギリ十代かな。湯で濡れた長い黒髪を垂らし、つり上がった目が特徴的な女性。均整の取れたグラマラスな肢体の上で二つのふくらみがぷるんと揺れている。でかい。
「我が魂に猛る火よ!灼熱の刃と成りて敵を打ち滅ぼせ!出でませぃ!炎刃ガンマッ!!」
咆哮にも似た女性の叫びに応えて熱風が吹き荒れた。空間が捻じれて声にならない悲鳴を上げ、あるべき法則が覆る。地面の中からずぶずぶと、そいつの姿が徐々に現れだした。
最初は手だった。溶岩のように火を噴く岩で構成された、巨大な手。その熱に耐えきれず、そこら中にあった地面や岩が熔解を始める。近くにいるだけなのに、肌が焼けるように熱い。ただ姿を現しただけだっていうのに熱すぎる。十文字の毛が微妙に縮れ始めた。
縮れて短くなっていくふわふわな熊毛と反対に、地面から生えた手はどんどん伸びていき、やがて赤い光を放つ双眸を持った異形が完全に現出する。
それは紛れもなく『ようがんまじん』だった。
他の魔物と違い、その場に現れるだけで害を成すその威容は正に魔人に相応しい。見ているだけでくらくらする。陽炎にまぎれた赤光がぼんやり薄れて距離感がおかしくなりそうだ。
これはまさか『しょうかん』なのか?でも現れたのは明らかにタッツウやデアゴじゃない。こんなの、見たことも聞いたこともない。
凄まじい危機感に体も震えている。このままじゃ僕のつやつやな髪の毛が熱に負けてアフロになってしまう。
「あづい!大王、どうにかならないの!?」
「うむ!とりあえずゼンはヒャドを唱えよ!使い方は任せるぞ、フバーハ!」
大王の体が青白く光り、僕らの体も同じ色の光の膜に覆われた。途端に焼けるような熱風がサウナ程度の温度に軽減された。おお、凄い。たかが大王ガマのくせに使えるのか。これは僕も負けてられないな。
ヒャドヒャドヒャド、と何度も唱えて周囲に小さな氷塊をいくつも作る。けれども作った傍からどんどん溶けていく。キリがない。
「ええぃ、これでどうだ!ヒャダルコォ!!」
ヤケクソ気味に唱えると熊ほどの大きさもある氷塊が炎熱の溶岩を割り砕きそびえたった。これもまたすぐに溶かされていくが、魔力供給を断つことなく、その維持に苦心する。
「ほう、我が炎刃に対し氷で対抗するか。子供にしては中々の───って子供じゃとぉ!?やめ!やめぃガンマよ!」
慌てた様子で真っ裸の女性が手を振ると、途端に熱が弱まった。焚火のそばにいる程度の熱さまで加減されているっぽい。ようがんまじんが姿を消したわけではないけど、もしかしてある程度は温度操作が可能なのだろうか。
ようがんまじんが「ごめんね」って言ったので僕もヒャダルコの維持を止めて「いいよ」って返した。ふぅ、と居合わせた誰からともなく息が漏れた。
「やー、びっくりしたよ。大王ありがとね」
「うむ、吾輩も正直ちょっとビビったのである。まさか同族から問答無用で襲われるとは思わなんだ」
「それは僕も同感。十文字は平気?」
ふんす、と鼻息を一つならすと、十文字は何でもないようにその場に座り込んで、くぁぁ、と欠伸をした。大物過ぎるだろ。
とりあえず落ち着いた僕らは眼前の一人と一体に意識を向ける。女性は豊満な胸の前で腕を組み、ようがんまじんはちょっとばかり罰が悪そうな顔でじゅうじゅうと音を立てていた。
「お主ら何者じゃ。魔物と共に居る人間なぞ聞いたことがない。あるいは───わらわを謀るための仮初の姿かえ?であれば……」
明らかに胡乱で、値踏みするような視線を向けられている。睨みつけられているの方が正しいかも。まあ明らかに怪しいよね。好戦的な態度を取られるのも仕方ない。
「吾輩は大王である!頭が高いぞ、人間の女よ!」
「ぐおお」
「あ、この熊さんは十文字です。よろしくって言ってます。カエルは無視して下さい」
「何を言うか!吾輩の威厳ある姿を前にして、たかが人間の女が無視するなどできるはずもないのである!ゼンは本当に愚か者であるな!」
「はいはい。この偉そうなカエルさんは自称大王です」
「自称ではないのである!」
「もう、大王は空気が読めないなあ」
女性がはぁ、と疲れたような息をついた。大王の尊大さに呆れかえってるんだろう。凄く分かる。
「それで、
「初めましておっぱい。正真正銘人間の子供、ゼンクロウです」
突然走ってきたお姉さんにビンタされた。ひどい。
「……それで、
くすくすと笑いながら真っ赤になった柔らか子供頬をさすっていると、お姉さんがヒャダルコで出来た氷の一部を割り砕いて布に包んだ。頬に当てられた氷と冷たい視線が気持ちいです。
「僕らは温泉を探しに来ただけなんですけど、まさか巫女様に会えるとは思いませんでした。お名前をお伺いしても?」
「わらわは
「うえ、マジかー」
思わず変な声が出てしまった。この国で一番偉い人じゃん。
「うむ、人の王か!こうして出会うも何かの縁よ!さぁ、ひざまずけぃ!!」
「なんでそうなるのさ。ひざまずくのは僕らの方だよ。失礼しました、ヒミコ様」
ふんぞり返る大王にデコピンをかますと、ヒキガエルのような声を出して十文字の頭から転がり落ちた。つぶれたカエル状態の大王の横で、僕も頭を下げる。古き良きしきたり、土下座だ。
「良い。
ちらりと顔を上げてみれば、寛大な笑顔のお姉さんがいた。すげえい良い人だった。ただのおっぱいお姉さんじゃなかった。すごく良いおっぱいのお姉さんだった。
「あの、もしかしてお一人ですか?護衛の方とかいないんでしょうか?」
「護衛なら居るぞ。そなたの目の前じゃ。これほどの護衛はそういまい」
「ガンマ君のことですか?随分人懐っこいですね」
「が、ガンマ君?我が炎刃を人懐っこいじゃと!?」
「ええ。あと、その炎刃って言う呼び方。めっちゃ恥ずかしいから辞めて欲しいらしいです」
「何!?かっこいいじゃろう!?ガンマ!お主そんなこと考えておったのか!」
いいえ違うんです、と巨大な手を振り回しながら、ガンマ君は地面に引っ込んだ。手だけ出てるの見てるとマドハンドの亜種みたいだ。
「ルビス神はそんなこと言っておらんかったのに……」
「あの神様、案外テキトーですからねえ」
「ぬ?そなた、ルビス神の声が聞こえるのかえ?」
「僕じゃないですよ。知り合いの女の子に聞こえる子がいて、その子が言ってたんです。大体ろくでもないことですけどね」
「ほう、次代の巫女候補の一人か……お、おお?」
突然どうしたんだろう。ヒミコ様がなんだか怪訝な表情になった。
「ゼンクロウと言うたな?そなたは一体何者じゃ?今しがたルビス神から神託が下った。そなたに問え、と」
「はて、何をでしょう?」
「この国に災いが来るのかえ?」
災いとはまたえらく物騒な。でも僕が知っているこの国を襲う災いと言ったら一つしかない。ばーちゃんに聞くのすっかり忘れてたけど、丁度いいかもしれない。
「『やまたのおろち』というものをご存知でしょうか?」
「なんじゃそれは?」
「首が八本……じゃなくて、五本ある竜です」
「聞いたことがないのう。なにかの物語で出てくる竜なのかえ?いや、というか首が五本なのか?なにゆえ
「えーっと、出てくるのはとある神話なんですけど……首五本の理由は逆に教えてほしいくらいですね」
確かになんで五本なのに八岐大蛇なんだろう?気分の問題だろうか。
「ふむ……しかし、その名を言うたということは、実際にその竜が現れると?」
「分かりません。僕はてっきり討伐されたものだとばかり……」
そう、勇者が倒したはずだ。それがまた姿を現す……いや、違う。そもそもまだ倒されていないのか。考えてみればアレはヒミコ様を食い殺して成りすますはずなんだ。今のヒミコ様が無事であるということは、僕の認識が間違ってたってことだ。
まだ勇者はこの国に来ていない。それどころか旅立ってすらいないかもしれない。あるいはオルテガでさえも。ここは始まる前の世界なのか。始まる?始まるって何が?そんなの決まってる。それは勇者の物語だ。この世界を救う勇者の、誰もが知るロールプレ……
頭痛がする。眩暈がする。ぼやける。ぼやける。僕の存在がぼやけていく───
「む、どうしたゼンクロウ。熱にあてられたか?大王とやら、こやつ大丈夫なのかえ?」
「うむ?」
地面で肘を立てて横向き寝していた大王は頭を上げて舌をベロンと伸ばしてから、ピョンピョン跳ねて僕の顔を下から覗いてきた。完全にカエルだ。小さく笑い声が漏れる。
「ゼンよ、いつもの奴か?」
笑ってみせたのに、大王の声から心配げな色は取れなかった。自分でも顔色が優れないのが分かる。頭を少しばかり動かして頷くと、大王はもういいと言って僕を制した。
「たまにあるのだ。ヒミコ殿、こやつを寝かせて額に氷を当ててくれ。吾輩と十文字の体ではうまくやれぬ」
「あい分かった。神に見込まれたとはいえやはり童か。無理をさせたようだ、すまぬの」
暖かい手が僕の体を一度抱え、地面に横たえられると、頭の後ろに柔らかいものが触れる。膝枕をしてくれたみたいだ。すぐさま額に当てられたなんちゃって氷嚢と相まってなんだかすごく気持ちいい。けど、やっぱり申し訳ないし、情けない。これ知恵熱かなあ。この世界について考え込むとやっぱり良いことないわ。
「ゼンクロウよ、辛いだろうが今一度聞かせてくれ。『やまたのおろち』が来るとして、わらわはどう立ち向かうべきか」
「あー……そうですねえ、お酌して、酒でも飲ませればいいんじゃないですかね。ヒミコ様の美貌ならイチコロですよ」
「そなたは既に酔っぱらっておるようじゃの。目を覚ませ」
「そうですね。ヒミコ様の美しさに酔ったみたいです。綺麗だなあ……」
氷を口に突っ込まれた。
頬を若干染めたヒミコ様マジ純情。ああ、氷が美味い。