温泉に入れるのが嬉しいらしいご機嫌な様子のヨミに手を引かれて、これまた超ご機嫌なヒミコ様だったが、突然一番後ろを歩く僕に胡乱な目を差し向けた。それは子供に向ける目じゃないでしょう。
「ところでゼンクロウ。まさか混浴などとは言うまいな?」
「残念ながら。潔癖な白銀の騎士さんに猛反対されちゃったので」
「ふむ、それなら良いのだ」
ちなみにそのシロガネさんは、鎧が錆びちゃうかもしれないという理由でお湯につかるのは自粛している。そもそも、あんまり温度とか感じられないらしい。全く無感というわけでもないのが相当に悔しいようで、珍しく見るからに気落ちしていた。
ヨミたちと連れ立って脱衣所まで行ってみれば、いまだにベンチで真っ白に燃え尽きたぜ状態の彼の姿を見ることができた。
「しろがねさん、げんきだしてー?」
「また魔物か……ゼンクロウ、そなた本当に……」
「ほら!すごいでしょう、温泉ですよ!温泉!」
脱衣所の入口にかかっている女湯側の暖簾をめくって中へと視線を呼び込もうと試みるが、冷めた視線は変わらぬままだった。
「躊躇なく女湯を覗くとは……」
「いやいやいや、今誰も入ってないですから」
「それはちょいと間違いだよ小僧。今の今までアタシが入っとったんじゃからの」
暖簾を握った手をぺしんとはたいたのは、ほかほかと湯気をたたせたばーちゃんだった。いつものピンクローブじゃなくて浴衣だ。でもピンクいのは変わらない。ばーちゃんがピンクにこだわるので仕方なく作ったのだ。
「小僧が作ったにしては良いできだったわ。もっとも、今は見る影もないがね」
「どういう意味?」
「見ればわかるさね。そこのお嬢ちゃんたちも一緒にきてみるといい」
促され、僕らはばーちゃんの後に続いてそのまま女湯の中に入っていく。唯一シロガネさんだけが動かなかった。
重い鎧はともかくとして、脱衣所に異常は無かった。一通り見てみても、服を入れておく棚と空っぽの籠があるだけだ。
問題があったのは温泉の方だった。
僕が作ったのは元々の泉を生かす形で、女湯と男湯の間に岩を積み、板を立てて敷居として少しばかり景観を考慮した配置にした、源泉かけ流しの岩風呂といったものだった。それがどういうことだろう。今は敷居の岩が崩れ、板は倒れて女湯の方に浮いている。それだけじゃない。泉の周りを囲むように積んであった岩も崩れてしまって、その辺に無造作に転がっている。
「どうすればこうなるの?」
「十文字がやったのであるー……」
疑問に答えたのはお湯に浮いた赤いカエルだった。隣で湯につかっている十文字に目を向けると、かの巨大熊は一声「ぐおお」と鳴いた。
「ゼンクロウ。あやつ、なんと言っておるのかえ?」
「景色見えないし、圧迫感があって嫌だったらしいです。だからとりあえずぶっ壊した的な?」
「なんとまあ。やることが豪快じゃのう……」
息を吐いたヒミコ様もあきらめがついているのだろう。
「仕方ないですね。それじゃヒミコ様、このまま入ってください。ただいまから当温泉は混浴となりました」
「いや、わらわは入らぬぞ?」
「え?でもアレですよね、
「それはそうなんじゃが……」
頬を朱に染めてもじもじし始めたヒミコ様だったが、その脇を駆け抜けていく素っ裸のヨミを見て固まってしまった。どうやら僕らが話している間に体を洗ってしまったらしい。準備の速さからして、たぶん適当に洗ったんだろうなあ。
「おんせーん!」
「ぴぇー!」
どぼんと音を立てて飛び込んだヨミとキョロちゃんはきゃっきゃっと声を上げながらお湯の中を犬かきで泳ぎ始めた。ヨミはともかくキョロちゃんはどうやって泳いでるんだろう。足の力だけなのだろうか。もしかしたら水鳥と同じ原理で何もしなくても浮くのかもしれない。
「よ、ヨミはためらいがないのう……」
「そりゃまあ、幼い子供ですし」
「しかしじゃな、ここには、その、えー、あー、そう。そう、魔物だっておるのじゃぞ?防具の一つも持たずにいるのはちと危険とは思わぬかえ?」
「あはは、ヒミコ様は心配性だなあ。魔物ぐらいなんだって言うんですか。別に襲ったりしないですよ。温泉の前に闘争本能は無力です。ほら、普段凶暴なごうけつぐまもあんなにくつろいでる」
「十文字ではないか。あやつほど凶暴とかけ離れたクマなど見たことがないぞ」
ですよねー。
十文字はあんなに水浴び嫌がってたのに、今では事あるごとに温泉に浸かりに来てる。不意を突いて大王共々湯船に落としたら滅茶苦茶気に入ってしまったらしい。頭の上に置いたタオルといい、常連臭が半端ない。
ちなみに大王は隣でうつ伏せになってぼんやりと物思いに耽りつつ浮いている。以前宣言した通り茹でガエルと茹で熊にすることはできたものの、なんか微妙に納得いかないのはなんでだろう。
「それよりもあのご老体、まほうおばばじゃな?」
ヒミコ様の視線を追うと、いつの間にやら編み込みのリラックスチェアを持ち込んで、シロガネさんに団扇を仰がせているばーちゃんがいた。
「あれ?ご存知でしたか」
「知らいでか。とある村で魔物のくせに人と慣れあう者がいると報告は受けていた。実害なくば放っておけと命じた記憶もある。もっとも、実際に目にするまでは半信半疑じゃったがのう」
「きひひ、百聞は一見に如かずとも言うしねえ。まさか巫女と邂逅できるとは、あたしだって驚いているよ。小僧、また珍しい人間を連れてきたね」
「言うておくが、珍しいのはそちらの方じゃからな?そもそもこの泉は我らが精霊から賜り代々引き継いできたもので、本来ならば民どころか国の重鎮ですらも立ち入りが禁じられて───」
「けど火の精霊様が許してくれたんだし別にいーでしょ?そんなことよりさ、ばーちゃん。土とか岩の魔法とかってないのかな?十文字が散らかしてる奴を片付けておきたいんだけど」
面倒くさいしきたりを語り始めたヒミコ様に被せてそんなことを問うと、頭頂にチョップを叩き込まれた。
「なにするの、ヒミコ様。痛いよ」
「わらわは怒っておるのじゃぞ!」
「でも精霊様が───」
「分かっておるわ!こうなればゼンクロウ、そなたが災いを払う、あるいは見つけ出すまでこき使ってやるからの!」
「はいはい、分かってますよー」
軽い口調で答えたが、それは僕も強く望むところだ。実際ヒミコ様が死ぬ可能性があるんだ。見過ごせるわけがない。
「災いの方はとりあえず溶岩洞窟の中に行くときに僕を必ず連れてってらえればいいと思います。僕の心当たりはあそこにしかないですし、時期が分かっているわけでもないので、今はそうやって気を付けるのが第一でしょう」
「うむ、分かっておれば良いのじゃ」
今更そんな尊大さを発揮して胸を張られても困る。色々と残念な巫女様だなあ。
「それはそれとして、話を戻すけど。ばーちゃん、さっきの土魔法って実際どうなの?」
ばーちゃんはシロガネさんの団扇が生み出す緩い風を浴びながら、目を開くこともなく気だるげにつぶやく。
「土魔法なんてものはないさね。正確には見つかっていない、と言った方が正しいか。かつて神が創り給うた万物の中で、もっともその加護が強いのが大地。地面がなければ人も魔物も、海ですらも存在しえないのさ。それゆえ、土魔法は最も神の力に近い属性のものと言えるだろうね。果たして人がどれだけ力を注ぎこめば実現できるのやら、あたしゃとんと分からないよ」
「そうなの?でも土を動かすくらいだったらできるよ?」
「寝言は寝てから言いな、小僧」
「んー、それはばーちゃんの方かも。目を覚ましてもらおっかな。よく見ててね」
魔力を放ち、湯に沈んでいるかつて敷居だった岩の一つに打ち付ける。するとあら不思議、岩は湯の中からざぶんと音を立てて浮かび上がった。さらに細かく操作すると、ぱきんと音を立てて岩が四分割される。立方体にカットしたそれをばーちゃんの目の前まで飛ばして綺麗に積み上げると、またも頭上にチョップをくらった。
「んもう、ヒミコ様痛いってば。なんでぶつのさー」
「理不尽だからであるな。さすがの吾輩も最初見たときは言葉が出なかったわ……」
大王の気抜けた声を聞きつつ 手を振り上げたヒミコ様を不満げに見上げれば、あんぐりと口を開けたまま呆けている。ばーちゃんの方もさっきまで閉じていた目を大きくしていた。
「……アンタ本当に滅茶苦茶だね。いや、土に介入したようにも見えたが、実際は動かしただけだ。もしやすればこれは土魔法と言うより念動の類かもしれないね。小僧、もう一度やってみな」
「はーい」
今度はもう少し見えやすいように、温泉の周りに散らばった岩を対象とした。実際に近くまで歩み寄って、岩に触れる。そして魔力を注ぎ込み、そのまま移動しろと念じる。流し込む魔力はさっきよりもかなり多めだ。岩が光を放つほどに強力な力を込めていく。やがて輝く岩はその魔力を受けて僕の手に吸い付いたままゆっくりと浮き上がり───砕け散った。
「あれ?」
つぶやいた声は皆に届いていただろうか。僕には皆の反応を見ることができなかった。だって岩が砕けたそこは眩しいほどに光り輝いたままで明らかに異空間につながる穴が開いていて───僕は吸い込まれるようにして、そこに落ちてしまったのだ。
浮遊感が身を包む。支えを失った体が強張る。視界が真っ白に染まっていく。悲鳴が聞こえたような気がした。
ちょっとばかり、やばいかも。