トンパチのおっちゃん……みんなはパっつぁんと呼ぶので僕もパっつぁんと呼んでいるが、パっつぁんの好意で空になってたすっげえボロい小屋に住まわせてもらうことになった。
農作業を手伝いつつ、それに見合った食料を分けてもらってその日を過ごす。子供でしかない僕でもなんとか生きていくだけのものを得られるようになった。
どこの馬の骨ともわからない僕に、パっつぁんの寛大な処置は助かるなんてものじゃなかった。パっつぁんがいなければ野垂れ死んでいた可能性だってある。
なにしろ、ここには。
「『大王ガマ』、か」
人ほどの大きさもある赤いカエルが、ゲコゲコと鳴きながら茂みから突然現れた。と、同時に僕は逆に反対側の茂みへと飛び込んで身を隠す。
ギリギリのタイミングだったが、幸いにも気づかれなかったようだ。
大王ガマはよく伸びる舌をべろんべろんと無意味に伸ばしたり縮めたりしながらひょこひょこと歩いていく。いや、カエルなんだから跳ねていけよ。
なんてどうでもいいことも考えつつ、油断はしない。僕は子供で戦う力なんてない。それ以前に、相手は魔物だ。それも、初心者向きの相手じゃない。大王ガマは確か『ラリホー』を使ってくるはず。初期であれば眠らされて何も出来ぬままゲームオーバーになりかねない。
赤いカエルはそのままひょこひょこと歩きながら茂みの奥へと消えていった。
「はあ、確かに森の中は危険だな……戻ろう」
つぶやいて、ゆっくりと体を起こす。
もともと、この森に来たのは森の恵みを頂こうと考えたためだ。ミカンとか
村からたった十分ほど奥に進んでこれだもの。パっつぁんの言う通り魔よけの鈴が吊り下げられた柵の外には出るもんじゃないな。今の感じだと、あらかじめ浴びていた聖水の効果もなくなったんだろう。
背負っていた麻袋の中から、残りの聖水を取り出して体に振りかけようとしたところで、急に当たりが暗くなった。
いや、暗くなったというか、これは大きな影が───
「やばッ!?」
反射的に飛びのいた瞬間、獣の唸り声とともに恐ろしい勢いで地面がへこむ。
そこにいたのは、どうみても熊だった。パっつぁんの進化形だ。
『ごうけつぐま』
僕の脳内でその名がリフレインするが、そんなことに意味はない。名前なんぞどうでもいい。
どうするどうする?僕はおそらくレベル1。スライムにだって勝てるかどうか怪しいほどに弱いはずだ。それなのに、レベル20は必要そうな『ごうけつぐま』相手に戦うだなんて無謀以前に無意味だ。
「マジで終わったかも───」
と言いつつ、僕は持っていた麻袋から『まだらくも糸』を取り出し、放り投げていた。同時に全力で走り出す。終わったと一度は思っても諦めてはならない。そうだ、諦めるのは間違いだ。
勇者の一番の敵は己に屈する心──弱気とか恐怖とかそういったもの。
たぶん僕は勇者じゃないけど、その心を倣うことならできる。そして、明らかに自分より強い者を相手取るなら、その心は不可欠必至。
「グゥガァアァアアアッ!!」
しゃらくせえと叫ぶごうけつぐまの唸りが耳に届く。きっと『まだらくも糸』の粘性にいらだちを覚えているのだろう。時折響く、木を叩き折るような音が八つ当たりの結果だと思えば、ちょっとだけ胸がすく思いだ。
けど、まだピンチなのは変わりない。この状態で他の魔物とかち合えばアウトだ。どうにかそれを避けて村まで戻らないと。
「無理くせえ……」
どすんどすんと背後から何かが追ってくるような音がし始めた。そういえば聖水って自分よりレベルが低い相手じゃないと無意味なんだっけ。
あ、じゃあ、はじめっから無謀だったってこと?
くっそう、どうしてこんな大事なこと忘れてたんだ!
己の不明に頭が痛くなるが、それでもあきらめず、茂みをかき分けて走る。
背後で『ごうけつぐま』が「人間のクソガキめ、どこいきゃあがったあああああ!姿見せんかあああい!」とか叫んでいるが、完全に無視する。呼ばれて素直に出ていくなんてアホな真似、絶対にしないもんね。
必死で走っていくと、急に開けた場所に出た。
そこにはレンガ造りの家が一軒建っていた。煙突までついていて、ぽわぽわと煙だか蒸気だか分からない白い靄が上がっている。周囲にはそれなりに手入れがされた小さな畑。ざっと見たところ、トマトっぽい何かが生っていた。
森の中、クマさんに出会ってスタコラサッサと逃げてみれば、着いた先には怪しげな一軒家。まるで童話のような……作品違わねえ?お菓子の家だったりしないよね?
あからさまに怪しいとはいえ、それ以上に直接的な命の危機が迫っているんだ。背に腹は代えられぬ、と思い切って家人を呼び出そうとドアを勢い良く叩く。
「ごめんください!ごめんください!助けてください!」
「うるさいねえ、なんだい騒々しい」
しわがれた声がして、扉が開く。そこにいたのは───
「なんだい人間の小僧。あんたここがどこか知ってて来たのかい?」
「うわあ!魔法ババァだあああ!!」
「ババァとは失敬な!あたしゃ『まほうおばば』だよ!」
そうでした。『まほうおばば』でした。うわ、すげえ。なんか思ってたよりも横に太いけど、マジで魔女っぽい。とがった鼻と、ピンク色のとんがり帽子とピンク色のローブが……ピンク?
「うげえ、まほうおばばにピンクとかないわー」
「小僧、死にたいのかい?」
「すみませんでした」
死がチラつけば、即座に土下座。幸いにもこのババア、応対を見る限り話が通じそうだ。下手に出るしかない。
「ふむ、まあ良いわ。それで小僧、アタシになんぞ用でもあるのかい?」
「用っていうか、ごうけつぐまに追われてるんで匿ってください」
「どうせ粋がって喧嘩でも売ったんだろう?そりゃあ、自業自得さね」
「とんでもない!あの熊、急に襲い掛かってきたんですよ!意味わかんねえ!」
「そうかい。ま、それが真実としてもアタシにゃかんけーないね」
「そこをなんとか!雑用とかなんでもしますから!」
「ほう、小僧のくせに対価を見せるか。交渉のなんたるかが分かってるようだねえ?」
ケヒヒヒ、と気味の悪い声で笑いながら、ピンク色のババアは土下座する僕の前で膝を折った。
「アンタ、名前は?」
「ぜ、ゼンクロウです」
「ではゼンクロウ。アンタ、アタシの雑用係兼、実験台になりな」
「じっ、実験台だとぉ……!?」
「なぁに、死ぬような実験はしないさ。ちいとばかり痛みはあるかもしれんがねえ……」
またもケヒヒ、と笑うババアに怖気が走る。が、いよいよ近くなってきた背後から迫る音がそれ以上の恐怖を感じさせる。
もはや、うなずく以外にない。
「わっ、わかりました!不肖、ゼンクロウ!ピンク色のババアにこの命預けます!!」
「おばばだっつってんだろ!!」
スパコーンと後頭部を叩かれ、僕はその場に突っ伏した。