十文字に二日かけて祭壇に置いてあったツボを温泉まで運んでもらった。その間、本当にヒミコ様に会うこともなく、なんだか嫌な気配が徐々に強まっていくのを感じるだけだった。
そして、いよいよヒミコ様との面会前日の夜にその気配は途轍もなく強まり、肌がひりつくような感覚に唸らずにはいられなかった。
「ゼンよ、その時が近づいたようである!」
「うん、警戒はしてる。準備もしてもらったし」
「それにしても凄まじく邪悪な気配であるな。これほどの魔物がこの国に訪れるとは……!」
「不思議だよね。別にあっちにとっての脅威がこの国にあるわけでもないだろうに。ひょっとして火の精霊様狙いなのかなあ」
なんて会話しつつも夜は普通に寝た。
だって僕子供だし、あんまり夜更かしできないんだ。体動かしてるのもあって、眠気の限界来てすぐ寝ちゃうからね。
「ゼンの危機感はどこかおかしいのである……」
翌日の朝方早めに起きて、ふああとあくびをかく僕を、大王はジト目で見てきてそんな風に言うけども、これは信頼の裏返しでもあるんだ。大王は爬虫類のせいか睡眠時間短いからね。夜中に何してるか知らないけど、何かヤバいことがあったら大王が起こしてくれるはずだ。それに十文字が温泉で見張ってくれてるし。
そんな気持ちが分からないなんて大王はまだまだだね、やっぱり魔物だからかな。フウ、ヤレヤレ。
あからさまなため息ついたら飛び跳ねた大王にびんたされた。ぺちって。
「爬虫類に叩かれるなんて……」
「なんぞゼンは勘違いしておる!吾輩は由緒正しき両生類である!」
「えっ?」
「むっ?」
どうしよう。素で間違えた。ちょっと恥ずかしい。なんだろう、気を抜いてたつもりで、実は僕もいつの間にやら気負ってたのかしら。
もう一度ふぅ、と息をついてぽりぽりと頭を掻く。
「ほら、緊張しっぱなしだと、今みたいにヤバいミスやらかしちゃうかもしれないじゃない?肩のチカラは抜いておいた方がいいと思うんだ」
「限度というものがあるのである!ヤバいのはゼンの頭の方である!」
「まあまあ、一応真面目に対応する気はあるから見逃してよー」
「とてもそうは思えんのである……まったく、この人の子は……!」
朝っぱらからそんな感じで、微妙な脱力感を振りまきながらルーラでばーちゃんちまで飛んだ。バルナスさんを迎えに行くためだ。
「あれ?まだ来てないのかな?」
ばーちゃんちの目の前で瞑想していたらしいシロガネさんに尋ねてみるも、肝心の吸血鬼さんはまだいらっしゃっていなかった。うーん、早速後手に回った感があるから対応早くしておきたかったんだけどなあ。
迷ったけど、バルナスさんのことはばーちゃんに頼んだ。ばーちゃんもルーラ使えるから。遅すぎるようならもう一回来るよと言づけて、一足先に温泉へ。
「ヒミコ様もいないなー」
「約束したわけでもなし、想定の範囲内である。待つしかないのである」
「そだね、焦ってもどうにもならないし、ゆっくりしよーか」
暇を持て余すくらいなら、と大王を伴って温泉に浸かることにした。
相変わらずいい雰囲気のたたずまいを感じさせる温泉宿にうんうん、と頷いて板張りの床をぺちぺちと足音を立てて進んでいく。やがて暖簾をくぐれば、そこはまさしく憩いの温泉だ。
うお、なんか今日は湯気が凄い。服を脱ぎ捨てながら、視界が悪いその先を眉根を寄せてじっと見据えてみれば、大柄な影があった。
「ぐおお」
「あら、十文字先に入ってたんだ。お湯加減はどうです?」
「ぐおお」
大きな熊さんの満足げな声を聞いて、僕もうんうんと頷く。
「そっかー、本当ここはいいお湯が湧いてくれるよねー」
「二人とも、危険が近づいているのを理解しているのであるか?」
はっはっは、大王は心配性だなあ。今気を張って疲れてしまったら、いざという時にうごけなくなっちゃうじゃないか。僕はそういうことも考えてるのだよフフン。なんて余裕ぶってみても、ちょっと心配なのは事実だ。ジト目で大王に見られていると、なんだか僕の微妙な気持ちを見透かされているようで、ちょっとイラッってなった。
「そぉい!」
なので、大王つかんで温泉に放り投げた。赤いカエルは空中で数回回転ののち、ぽちゃんと音を立ててお湯に沈んだ。
てっきり怒鳴ってくるかと思ったけど、大王はお湯に浮かんでそのままだらしなく両手両足を伸ばしている。源泉からの流れにのってゆらりゆらり。ちょっとはリラックスできたのかな。僕も大王と並んで全身お湯につけて仰向けに浮かんでみた。局部丸出しだけど気にしない。
「はあー生き返るなー」
「ほう、ぬしはゼンクロウか?」
「……あれ?ヒミコ様いたの?」
そこには白い肌を惜しげもなくさらした黒髪の美女がいた。うんうん、ヒミコ様は相変わらずスタイルがいいね。良いもの食べてるんだろうね。
「もちろんいるとも。それがわらわの役目ゆえ」
ヒミコ様はじとりと湿り気を帯びたような視線を僕によこした。流し目ってやつ?妙に色っぽい。子供の僕にはちょっと刺激が強すぎると思うけど、うーん。
「ねえ、ヒミコ様。お酒飲む?」
「ほぉ、酒があるのか?よいよい、景気づけに一杯いただこう」
僕は温泉の隅っこまで歩いていき、そこに置いてあった大きなツボの密封を解いて、陶器のコップで中身をすくった。酒気が舞って、特有のにおいが鼻に刺さる。これもまた子供の僕には刺激が強い。
「十文字ー、このツボ、お湯のそばまで持ってきてー」
「あまり湯に近いと酒精が飛ぶと言っておったろうに、良いのであるか?」
「いいよー。間を空けずに全部飲んじゃえばいいんだし」
大王の疑問に答えつつ、僕がヒミコ様にお酒を渡すと、彼女は躊躇することなくごくごくと飲み干していく。
「良い飲みっぷりですねー」
「酒は好きじゃ。どれ、ぬしも飲まぬか」
「えー?僕子供だからお酒はちょっとなあ」
「いいから飲め。わらわの酒が飲めぬと言うか」
ヒミコ様は酔っぱらう前からアルハラ全開だった。肩に腕を回され、ぐいと体を寄せられて、肌まで押し付けられた。この上、セクハラまでもされるとは。なんかぷよんぷよんしたものがめっちゃ当たってくる。僕としてはそっちの方が困るので、不承不承ながらも了承して、体を放してもらったあと、仕方なくちょっとだけ口をつけた。
「オウフ」
のどが、焼ける……ッ!
無理ッ!これ無理ッ!きっついわー!
えほげほと咽る僕を見て、ヒミコ様が豪快に笑った。僕を酒の肴にでもしているのか、ゲラゲラと笑いながらもツボから酒をすくってはグイグイと飲み進めていく。なんつー酒豪だ。
「ヒミコ様、そのお酒、祭壇に捧げてあったものなんです」
「わらわへのか?ならば全部飲み干してやらねばなあ!」
湯船の縁に座り込んで、足湯状態のヒミコ様は顔を赤くして、はふぅ、と酒臭い息をついた。十文字がツボをそばにおいてくれると、器を空にするたびにすくってはグイと呑んだ。やってることはアレだけど、その所作はやっぱりやたらと色っぽい。僕でなければ勘違いしちゃうね。
やがてヒミコ様は恐るべきことにツボ一杯分、それこそ僕と同じ体積分くらいのお酒を飲み干してしまった。
「もうないのか?」
「ううん、あるよ」
僕がぱちんと指を鳴らすと、十文字がさらにツボを抱えてヒミコ様のそばに並べ置き始めた。残り九つ。僕が頼んでおいたものはこれで全部だ。
「おお!わらわはまだまだ飲めるぞ!」
顔を赤くしながら、それでもまだ酔いつぶれることなく、ヒミコ様は次のお酒に向かっていく。僕は若干あきれながら、もう好きなだけ飲めばいいよとだけ呟いて、温泉から上がった。
「大王ー、十文字ー、もう上がるよー」
体を拭いて、服を着て、弱めたバギで十文字の体毛を乾かしている間も、ヒミコ様はひたらすらに飲み続けた。僕は白い肌が赤く染まっていくのをじっと見つめ続けて、そして───
ついにヒミコ様はすべての酒を飲みつくしてしまった。彼女もようやく満足したのか、ゲフウ、とおおよそ妙齢の女性が立ててはいけない音を口から出して、地べたに仰向けで寝っ転がってしまった。
「もう満足です?酔っぱらっちゃいました?」
「うむ、良い酒じゃったわ……」
「そりゃ何よりです。もう思い残すこともないですよねー」
「んん?なにやら物騒な物言いを……」
「ヒャダイン!」
ヒミコ様に向けて僕は全魔力を使い切るつもりで大出力の氷の嵐を放った。
突然の凶行にヒミコ様の顔が歪み、僕はほくそ笑んだ。
お酒は二十歳になってから。良い子はゼンの真似しちゃだめだよ!!