いつものように十文字が迎えに来ていた。頭の上には大王がいつものごとく居座っていて、何か俳句のようなものを繰り返しさえずっている。カエルが俳句とか。
古池や蛙飛びこむ水の音。ふと思い至ったのでその句を告げると、大王は非常に喜び、そして感じ入っていた。風情があるとのこと。その気持ちは分からんでもないけど、あいにくと飛び込まないカエルもここにいる。大王って水場嫌がるんだよね。十文字と同じだ。カエルのくせに風情もクソもない。
「飛び込んで見せてよ、大王。僕はそのたびに風情を感じると思う」
「飛び込まないがゆえに、吾輩は既存の同種と一線を画す貴種であると謳うのである!」
「つまり、ただのカエルじゃねえ馬鹿にすんなってことだね」
「そう言われると身も蓋もないのである!」
舌をべろんべろんと伸ばしながらぷりぷり怒る大王に恐れなど皆無。何しろ何百倍という大きさの十文字を付き従えているのだから。十文字的にはめんどくせえから相手にしてないだけだろうけど。
今もあくびを掻きつつ、どっかりと座り込んで僕らの会話に入ろうともせず、すんすんと鼻を鳴らしている様子は自由気ままな性分を如実に示していた。
「十文字は目ざとい、もとい鼻が利くね。食べる?」
そう言って僕が差し出したのは手のひらの上で句を練り、瞑想する大王だった。話している間に十文字によじ登ってさらったのだ。十文字はめっちゃ嫌そうな顔をした。
「吾輩を食料と呼ぶかこの人の子めが!身の程を知れ!」
「大王こそ身の程を知って池に飛び込むべきだと思うよ」
「そんなことをして何になるというのだ!」
「新しい世界が見えるよ。井の中の蛙、大海を知らずって言葉もあるしね」
ほほう、とカエルが唸る。いやゲコゲコと唸る。
「意味はなんとなくわかるのであるが、面白い句であるな。もっとも、吾輩には適用されんものであるな!」
今度はゲコゲコと笑った。
されど、空の青さを知る、のだろう、大王は。吾輩吾輩といつも偉そうだが、事実、人語を解する己の特異性を知っている。ちゃんと自分を知っている。もちろん、己を超える者への敬意も。だからこそ、十文字は気ままな性分を少しばかり押し殺して、大王の言うことを聞いているのかもしれない。
「十文字、これあげるよ」
今度こそ差し出したのは焼き魚だった。塩焼きだ。
そう、塩をまぶしてあるのだ。
塩は山一つ越えたところにある岩塩の産地までおもむき、自分の手で削り落として入手した。割と魔物が出る場所なのでそれなりに危険な場所だが、最近魔法を覚えた僕はちょっと調子に乗って出掛けて、そして死にかけた。昨日のことだ。
別の個体の『ごうけつぐま』にもぐもぐされかけていたところを、心配して探しに来た十文字に助けてもらったので、今回はそのお礼なのだ。
十文字が戦うところを実際に見るのは初めてだったが、凄まじきは十文字式熊殺し格闘術よ。熊の体で関節技を極め、打突は人中など熊にとっての急所をこれでもかと抉る。なるほど、確かに熊殺し。僕には習得できても真似できないなあ、と呆れを覚えるほどだった。
脅威を排してのち、村の近くまで来たところで、僕は疲れ切った体を叱咤し、数匹の魚を捕まえた。川の一部をヒャドらせて捕まえたのだ。中には結構な大物もいた。子供の体だと両手で支えても違和感ない大きさだ。
「ぐおお」
あんまり無茶すんじゃない、とたしなめつつも十文字は選りすぐった大物を素直に受け取って丸ごとかぶりついた。大物なのに十文字が持つとひどく小さい。結果、ほとんど一飲みで平らげていた。すげえな熊。
「吾輩には何もないのであるか?」
「カエルの餌はないね。蚊とか蠅とか虫系食べるんでしょ?」
「失敬な!吾輩は好き嫌いしないのである!」
「雑食?」
「そうである!」
憤慨しながら舌をベロンと伸ばして飛んできた蚊を飲み込んだ。虫好きだなあ。古池に飛び込まなくてもやっぱただのカエルじゃん、と感じ入る僕の袖を小さな影が引っ張った。
「どしたの、ヨミ」
「かえるしゃん、ほしい」
「ごめんね、これは買ってあげられないんだ」
「吾輩は売り物ではないのである!ゼンはもうちょっとこう、吾輩に手心というか……」
手のひらの上でちょっとばかり消沈している大王をそっと十文字の頭に乗せると、ヨミはうぅ、と少しばかりぐずってふかふか毛玉こと十文字に抱き着いた。悲しそうな顔が一転して安穏な顔つきになり、やがて眉根が寄る。
「ふわふわー。でもくしゃい……」
「だよね。でもふわふわの魔力に勝てないんだ。どうしても」
ふんす、と鼻を鳴らして十文字は水浴びは絶対しねえと断言した。この野郎、命の恩人とはいえ、容赦しねえかんな。いつか絶対に水ん中に叩き込んでやる。そのときは大王と共々、茹でガエルと茹で熊だ。湯という快楽に沈む恐怖を味合わせてやる。
そんな感じで話に収集がつかないまま、僕は十文字の背に乗ってばーちゃんのところへ向かう。もちろん、小さなヨミはお留守番だ。
切り開かれた森の奥の一軒家にたどり着くなり、例のごとくばーちゃんのクソ不味い謎液体を飲み干し、謎固形物を噛み砕く。舌が馬鹿になりそうだ。うへえと呻くたびニタニタと笑うばーちゃんが憎い。
不甲斐ない僕に比べて、隣で一緒に味わうベヒモン君はけろりとしたものだった。もう慣れきってしまったらしい。不憫さのあまり涙する僕を、彼は兄貴と呼び慕い、魔法について尋ねてくる。
「兄貴!ヒャドがどうしてもできないっス!コツを!是非ともコツを!」
「そうだねえ。例えばシロガネさんが今ここで抜刀したとする」
「はい?」
「そして突然ベヒモン君に切りかかるんだ。白い閃光のような一撃が容赦なく体を割り、血の雨が降る」
ぞっとしない妄想だ。なんだかんだ言って彼らは魔物。そのような光景を実現するのに躊躇はないだろう。理性があるからそれをやらないだけだ。
同じく想像したのだろうベヒモン君は青い顔をして、微妙にシロガネさんから距離を取ろうと後ずさった。ちょっと悲しそうな雰囲気を醸し出すシロガネさんが笑える。
「今背筋に冷たいものが走ったでしょ?それがヒャドだ。その凍えるような冷たさを手のひらに集めて吐き出すんだ」
「兄貴、全然わかんねえ」
だよね。僕もだよ。
それは口には出さずにすっげえ曖昧な説明をしつつ、お茶を濁す。そこで見かねたばーちゃんがちゃんとした説明をするのがいつもの流れだ。
どうも僕は感覚的に過ぎるらしい。天才肌ってやつなのかもしれない。ばーちゃんは理論を放り出しただけの面倒くさがりと断じるが、うん、まったくもってその通りだ。否定できない。ほとんど勘で使ってるし、魔力とかわかんねーよ。考えるな、感じろ、しか言えねーよ。
ともあれ、そんな感じで魔法の勉強をしつつ、時に剣の稽古をつけてもらい、十文字に抱き着いて、いつもの日常を過ごした。
そして、暗くなる前に今ではすっかり馴染みとなった元廃屋の我が家に帰る。
そこにはヨミが一人で待っていた。変なものを抱きしめて。