年が明けて、昭和17年
私、北条はバリックパパン飛行場に来ていた。フィリピン作戦も一段落し、次の作戦目標であるジャワ攻略に参加することとなった。
私は、次こそ戦果を上げたいと考えていた。開戦日は搭乗員から漏れて参加できず、開戦初日に戦死した小隊の穴埋めとして、2日目には参加する事が出来た。
しかし、この日は爆撃機がやってきたものの、私の腕が未熟であるがゆえに、爆撃機に追いつくこともできず、結局、小隊長である平賀1飛曹が爆撃機を1機撃墜できた事に留まった。
あ、紹介が遅れました。私の小隊長は平賀才人1飛曹長で、坂井1飛曹と同じく下士官だけの小隊で組んでいます。
平賀1飛曹は、小隊に組むまで同じ隊にいながら、あまり会話をした事がありませんでした。平賀1飛曹は、どっちかというと寡黙な人で、いざ、戦闘になったら闘魂魂があふれている人だと思います。訓練や実戦でも、彼は神腕のごとく発揮し、敵をひねりこんでいます。
けど、私たち下士官にとって、近づきにくい人物でした。坂井1飛曹などの親友たち以外と会話したり、笑ったりするところは見た事がありません。なぜか分からないけど、一歩引いたところに居る感じで、孤狼な雰囲気がします。
そして、2番機は、中田昭二2飛曹です。中田2飛曹は、私たち下士官にとっては頼れる兄貴です。中田2飛曹は、私をかわいがってくれます。そして、宴会では、いの一番に大騒ぎをして場を盛り上げてくれます。実戦では、平賀1飛曹には及ばないものの、鋭い勘で敵の隙を突いて敵を落とします。
これが、私の小隊です。
初陣は、落とす事が出来なかったものの、まだ先があると思い、次こそはと誓ったがフィリピンでは、粗方敵を潰してしまったのか、敵機の姿が無く、私たちの任務は、輸船団の上空直掩か地上銃撃などの地味な作戦しかありませんでした。
開戦から幾分経ったある日、上空直掩任務を終えて、基地に帰還した私は、ラジオの前に人だかりができている事に気付いた。
「あのぅ、何かあったのですか?」
気になった、私は、人だかりに近づいて、戦友に声を掛けた。
「おう、北条か。朗報だ!マレー沖で、わが海軍航空隊がイギリスの誇る戦艦2隻を撃沈させたぞ!」
そう、私も後になって詳細を知ったのだが、マレー沖で、輸送船団を撃滅させようとした、最新鋭艦プリンス・オブ・ウェールズを旗艦とする東洋艦隊が出撃し、輸送船団の捕捉に失敗し、帰投する途中で、潜水艦が東洋艦隊を発見し、雷撃を加えたものの、失敗した。
しかし、東洋艦隊を発見したという情報は回った。
この当時、マレー沖周辺の海域では、金剛級戦艦2隻が中心としていたものの、彼女たちは、プリンス・オブ・ウェールズと同じく、36cm砲を搭載していましたが、1915年竣工の老嬢です。
逆にキングジョージ5世の2番艦として、就役したプリンス・オブ・ウェールズは1941年1月に就役したばかりの最新鋭戦艦です。同じ36cm砲ながらも、4連装砲を積むという奇抜な方法で、4連装2基・連装1基で10門で打撃力を稼ぎ、防御力も排水量の40パーセント近くを割いた。
イギリス首長チャーチルいわく、不沈艦であると豪語した。
アジアの情景がきな臭くなった事により、東洋艦隊にプリンス・オブ・ウェールズが配属されることとなった。
輸送船団攻撃に出撃したと前に書いたが、空振りに終わり、潜水艦に発見されたことにより、プリンス・オブ・ウェールズの命は尽きたと言ってもよい。
この当時の東洋艦隊はプリンス・オブ・ウェールズとレパルスの2隻の戦艦を擁し他に駆逐艦4隻が属していた。
潜水艦に発見されてから翌日、サイゴン基地から、偵察機が発進し、その偵察機の一つである、帆足正音予備少尉を機長とする96式陸攻が東洋艦隊を発見し、位置を打電した。
ここに戦史に残る戦いが始まった。
雷撃と爆撃で編成された、96式陸攻と1式陸攻の混成部隊は12時から攻撃を始め、プリンス・オブ・ウェールズに魚雷7本・爆弾2発命中させ、レパルスには魚雷13本・爆弾1発命中させた。前者は14時50分に後者は14時3分に沈没した。
沈没後、救援のバッファロー戦闘機が到着したが、全ては後の祭りであった。
この海戦は「作戦行動中の戦艦は航空攻撃で沈める事はできない」という常識を覆した出来事であった。これは、真珠湾攻撃の戦果と合わせて、今までの大艦巨砲主義を古いものとなり、航空主義という新しい戦略が世界で常識となるのだ。
だが、世界最強である大和が竣工したのは、皮肉にもこの海戦から一週間後の12月16日である。世界最強の戦艦として生み出された彼女は、時代が彼女の運命を変えたのだ。
私は、ジャワ作戦の一角として、先制空襲を仕掛けて、ジャワ空軍を撃滅し制空権を握るという作戦に参加することとなりました。
開戦以来あちこちに転戦するのでバリックパパンにあった零戦は24機しかありませんでした。それでも、私は負けるという気はしませんでした。
司令部より訓示が終わり、私たちもいよいよ出撃の時間となりました。平賀1飛曹は何も気負った感じが無く、黙々と零戦に座乗しました。逆に中田2飛曹は、注意の声を掛けてくれました。
「今日の出撃は、いつもとは違うぞ。気い付けて頑張れよ。」
ありがとうございます。中田2飛曹のためにも頑張って敵を撃墜させます。
私たちは離陸し、一路、スラバヤに向かいました。24機の編隊は1機の故障機もなくジャワ海の上を飛行していました。
やがて、ジャワ島の上に差し掛かり、私は今か今かと周りを見回していました。チラッと平賀1飛曹機を見れば、彼は黙々と飛行しているようでした。
――私は急過ぎたのでしょうか?
私は恥ずかしさから、身が縮まる思いでした。
いよいよスラバヤの上空に差し掛かりました。と、見るや先頭の指揮官機がいきなりバンクを振り、増槽を落として行きました。
私は、その事に一瞬、事態が飲み込めませんでした。やがて、事態が分かりました。敵機を発見したのです。
私は、まだ敵機の姿が見えません。どうしたら良いのか一人パニックっていました。それでも、他の列機は敵機の姿を確認する事が出来たのか次々と増槽を落としていきます。私も慌てて、増槽を落としました。ゴッと振動があり、増槽が落ちた事が分かりました。慌てて、列機に付いていくと、前方に黒い芥子粒が見えました。私は一瞬、頭が真っ白になったように感じました。敵機の数は私たちよりも多く感じたのです。
――こ・・・こんなに・・・。勝てるのですか?
私の気持ちの裏腹に、機体は前進を続け、列機は臆した様子もなく、敵機へと突っ込んでいく。
――えい、くそ!おじけづいてもどうにもならん、男ならしっかりせんかい!
私は、覚悟を決めると敵機の中へと突っ込んでいった。やがて、どちらかが被弾したのかぽぅぽっと黒煙が上がってきた。
私は、必死に逃げ回っていた。平賀1飛曹や中田2飛曹は空戦開始早々はぐれてしまった。私は、たまたま目の前に躍り出た、敵機1機に射撃する事が出来たが、撃墜できたかどうかは分からなかった。むしろ、今は後ろに敵機が2機付かれていた。
敵は代わる代わる射撃している。それでも、撃墜されていないのは私の必死の回避が功し、致命的な一撃を避けているのだった。
それでも、いつまでも避け続ける事が出来ると思わず、だんだんと射撃が近づくのが感じ取れた。
――ああ、私もここで撃墜されるのか。お母さんごめんなさい。
私はもう、すっかり諦めていました。運命の射撃を待っていたのです。
運命の射撃が来ました。
撃墜されたのは、私ではなく、後ろの1機でした。その機は右主翼に機銃が集中されたのか右主翼の半ばから折れ曲がっていました。もう1機も逃げようと機首をひるがえしていましたが、コクピット上部からの射撃を受けて、風防が潰れ、敵機が墜落して行った。
私が、茫然としていると、1機の零戦が近づいてきました。どうやらその機が後ろにいた敵を落としてくれた模様です。やがて、顔が見えるまで近づいた時、私は大変驚きました。
なぜなら、彼は平賀1飛曹だったのです。私は知らず知らずの内に胸から込み上げそうになりました。
――平賀1飛曹は私を見捨ててくれなかった。
私がそう思っていると、手信号がありました。私は慌てて、大丈夫ですと返信した。私はその時になってようやく、空戦が終わったことに気付きました。周りに敵機の姿が見えず、ただ、味方の零戦だけが舞っていました。
平賀1飛曹が帰るぞとバンクを振り、私もそれに従いました。今日の空戦は一生の記憶に残るものとなるでしょう。
空戦結果 撃墜確実26機不確実8機 被撃墜2機
私の射撃した戦闘機の撃墜を確認した戦友があった事もあり、私は撃墜1を記録しました。それでも、すごいのは平賀1飛曹です。私を救うために2機を落としたほかに2機も落としたため撃墜4を記録しました。
私は、初めて、平賀1飛曹を小隊長にして良かったと感じました。平賀1飛曹に負けないように立派な撃墜王になりたいと思いました。