さつばつぐらし!   作:備品猫

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 流石めぐねえ!
 そう簡単にはやられないぜ!
 あと足立君も頑張ります。


第14話

 それは、一種の亀裂だった。

 日常という絵の具で幾重にも塗り重ねられ、学園生活という枠に嵌め込まれた、三階の情景に生じた綻びである。

 そこにあるはずのないものがある。

 そこにいないはずのものがいる。

 それによって、まるで洗脳のごとく何度も何度も唱えられてきた日常は、一気に崩壊しつつあった。

 

「……ん?」

 

 鈍重な足音。

 低く洩れる呻き声。

 すえた匂いと、鉄錆の臭気。

 そんな三階では聞くことも無い音と、嗅ぐことの無い臭い。

 昼寝をしていた足立は冷や汗をかきながら飛び起き、努めて冷静に、ゆっくりと部屋の扉を開けた。

 

「なっ……!?」

 

 足立は息を呑んだ。

 

 廊下を異形達が進んでいる。

 それは人間ではない。かつては人間だったのだろうが、その姿形は人間という生物の常識を逸脱していた。

 四肢の何処かしらは欠損しており、骨が見える程肉が削れている部分も多い。

 抉れた胸からは肋骨が見え、これまた抉れた腹からは臓器が溢れている。

 頭皮もなくなり、頭蓋骨さえ無くし、その中身の脳味噌を露出しているものさえいる。

 下半身を失い、脊椎と長く伸びる腸を断面から出して、そのまま引きずって這うものもいる。

 統一感の無い集団は、まるで幼児がこね回して作り上げて泥人形のようであり、それらが歩く様はまるで悪い夢のようだ。

 一階で何度も見てきた、“あの日”からずっと足元にいた彼等だ。

 

(何でこいつら……)

 

 どうして彼等が三階にいるのだろうか。

 三階へと登る階段は全てバリケードで塞いでいた。

 今までの生活で、彼等がバリケードを乗り越えた事は一度もない。そして壁をよじ登り、三階へ侵入してくる事も有り得なかった。

 彼等がバリケードを破ったのか、それとも彼等は自分達が知らない抜け道を使ったのか。

 原因は分からないが、とにかく彼等は何の障害もなく三階まで上ってきているようだ。

 

(まじかよ……)

 

 しかし足立は、扉の隙間から覗いて見える光景に、焦りと同時に不思議な懐かしさを覚えた。

 “あの日”から由紀達と会うまで一階で過ごしていた時。夜は一階を徘徊する彼等を倒すために、扉の隙間からいつも機会を伺っていた。

 ひたすら耐え続け、彼等に気付かれないように、確実に倒せる時をじっと待っていた。

 ただ惰性に生き続け、死ぬ機会もみつけられないまま、彼等を処理し続けていた一階での生活。

 

(こいつら……放送室に向かってるのか……?)

 

 ただし、今はやるべき事がある。

 今は足立一人だけではない。必死に生き延びようとしている者達がいる。

 そして見たところ、彼等はまるで何かに引き寄せられるように足立の前を通り過ぎていく。

 由紀達を見つけた彼等が、彼女達が篭る放送室に入ろうと扉に群がる。そしてさらに、その騒ぎを聞きつけた彼等も寄って来ているのだろう。

 

(早くどうにかしないと……)

 

 放送室の扉も強固ではない。数で押されれば破られる事も十分あり得るだろう。

 足立は枕元に置いてある荷物をズボンのポケットに突っ込み、得物であるシャベルを両手にもつ。

 

「……」

 

 額から吹き出た汗を拭う。

 突然の事態への対処は事前にある程度考えていたが、これ程までの数が現われるとは思わなかった。

 とにかく今は、放送室に群がる彼等を誘き寄せなくてはならない。

 

「ふぅ……」

 

 折りたたんだ寝具の上に手紙を置き、深呼吸をしながら扉に手をかける。

 覚悟は、既に出来ている。

 

「っ!」

 

 部屋から飛び出した足立に気付き、目の前に迫る一体を、足立はシャベルで力任せに殴った。

 鋭い先端が頭部に当たり、頭皮が削れ、黒く汚れた血が飛び散る。

 しかし、どんな体勢を崩しても彼等は起き上がる。その頭を潰さない限り――

 

「おらあ!」

 

 頭を殴られよろめいた一体を蹴り倒すと、足立は放送室の方へと廊下を走る。

 勿論廊下は彼等で溢れかえっているために、足立は彼等の間を縫うように、そして薙ぎ倒しながら進むしかない。

 いくら鈍重な彼等でも、数が増えれば増えるほど、その隙をつくことは難しくなる。彼等が律儀に一対一で向かってくることはないのだ。

 

「はっ……はっ……」

 

 放送室の扉が見えないほど群がる彼等を壁際で避けつつ、さらに廊下を走る。

 そうして放送室からは一番遠くにある階段の踊り場についた足立は、壁に設置されている消火栓の非常ベルを鳴らし、叫んだ。

 

「おらあああああ!!こっちだお前らあああああ!!」

 

 叫びと共に、けたたましく鳴り響く非常ベル。

 走って通り過ぎた足立には注意が向かなかった彼等も、これには流石に興味をつられたらしい。

 彼等の顔がゆっくりと振り向き、白く濁った虚ろな眼が一斉に足立を捉える。

 

「っ……」

 

 彼等の眼窩に埋め込まれた瞳は、もはや何も残していなかった。そこにあった筈のものが――人間だった頃にその瞳を満たしていた意志や理性の光が――全て無くなってしまっている。

 そこにあるのは、空っぽになった死人の眼だ。

 元から無い物を嘆くことはない。

 しかし、ある筈の物を喪うのは恐怖そのものだ。

 

 それが彼等になるという事。

 人間だった頃の多くを失い、空虚を内包したまま動き続ける人間の肉体。

 足立は肝を冷やしながらも、シャベルを壁に打ち付け、腹の底から声を出す。

 

「こっちだ!!こっちに来いっ!!」

 

 彼等は飢えを満たす存在を足立へと移し換える。

 ようやく放送室の扉から身体をはがすと、ゆっくりと足立に向かって進みだした。

 

「そうだ……こっちだ」

 

 だが、これで終わりではない。

 放送室に群がる彼等を引き離すだけでなく、三階まで上がってきている彼等を、下まで降ろさなければならない。

 廊下を埋め尽くさんとする彼等を一人で対処する事は不可能だ。体勢を立て直すためにも、一旦彼等を三階から離さなければならない。

 

(さて……どのくらい凌げるか……)

 

 不快な汗が伝う。

 対峙する彼等を見据えながら、足立はシャベルを強く握った。

 

 

 もういい。

 よくやった。

 

 深い深い意識の底で佐倉慈は、諦念にも似た感情に身を委ねながら、言い訳のように言葉を並べたてていた。

 

 自分は十分頑張った。

 こんな状況で、自分の事でさえ精一杯な状況で、四人を守れたのだ。

 これで駄目なら、最初から無理だったのだ。誰がやっても無理だったのだ。

 精一杯やった。もう自分に出来る事は何もない。

 こんな結末も、あるのだろう。

 慈を批判する者はいない。

 他の人間は、もうこの世界にはいないのだ。

 だから……もう――

 

「めぐねえ!!」

 

(――!)

 

 扉から聞こえた由紀の声が、それまで朧げだった慈の意識を明瞭にした。

 

 悲痛な声だった。

 三階での生活では聞くことは無かった、切羽詰まった、追い込まれた、とても苦しそうな声だった。

 そして、慈が一番聞きたくなかった声でもあった。

 

(ああ――)

 

 意識が戻ると同時に身体の感覚が少しずつ戻ってくる。

 噛まれた腕の痛み。剥がれた指先の爪。

 どちらも身体は痛いと理解しているのに、頭は何処か他人事のようにすら感じている。

 そして、身体を突き動かす感覚を実感すると共に、慈は恐怖した。

 

(――ちがう)

 

 強烈な飢餓感。

 自分は今――彼女達を食べたいと思っている。

 

(ちがうちがう)

 

 自分は頑張った?

 自分は精一杯やった?

 何を言っているのだろうか。今まさに、由紀達を苦しめているではないか。

 自分だけが頑張っていた訳ではない。彼女達が一緒だったからこそ頑張れたのだ。彼女達が頑張ってくれたからこそ、慈は精一杯生きていられたのだ。

 “あの日”から――いや、今までずっとそうだった。

 マニュアルを確認しなかった時も、屋上で生徒達を見捨てた時も、学校生活という幻想を作り上げた時も。

 自分の身が可愛くて、傷付くのが怖くて、死ぬのが嫌で、目の前の事から目を逸らしてばかりだった。

 今もこうして、緩やかな死に身を委ね、何もかも諦めたふりをしている。

 まだやれる事はある筈なのに。

 

(ここじゃだめだ)

 

 扉から身体を剥がす。

 群がる彼等を避けながら、押し退けながら、まるで棒の様になった足を必死に動かす。

 

(おなかすいた……けど)

 

 今は一刻も早く、放送室から離れなければならない。

 でなければ自分は、この動物じみた飢えによって彼女達を襲ってしまう。

 

 願っているだけでは駄目だった。

 どれだけ願おうとも彼等は消えず、悪夢のような世界は変わらなかった。

 このまま自分が彼女達を襲わない保証は――どこにもない。

 

(おなかすいた……から)

 

 言葉だけが、言語だけが人間を人間たらしめる定義ではない。

 理性によって本能や欲求を抑え、自分が優先する大切な事のために行動する。

 それもまた、彼等とは違う、人間としての意識を持った今の慈に出来る事だ。

 

「……」

 

 慈はゆっくりと歩き出す。

 ふらつき、倒れそうになっても、彼等と違う方向へ歩いていく。

 慈を止めるものは何一つ、誰一人としてなかった。

 

 

 一人の英雄的行動によって状況が覆る事は、まず有り得ない。

 多勢に無勢。

 廊下を埋め尽くさんとする数の彼等に対して、全てを倒すつもりはなくても、足立一人で立ち向かう事はどれだけ無謀な事だろう。

 そして何より、足立はただの人間で、彼等は人間の常識が通用しない化物なのだ。

 

「――があああああああああああああ!!」

 

 非常ベルが鳴り止んだ二階の廊下で足立は吠える。

 シャベルを振り回し、彼等の頭を殴り飛ばす。力任せの一撃は彼等を倒すことは出来なくとも、その体勢を崩す事は出来るのだ。

 

「――っらあああああ!!」

 

 蹌踉めく一体の服を掴み、そのままひきずり倒す。

 足立は倒した一体の頭へとシャベルの打ちつける。脆くなった頭蓋骨は割れ、打たれた箇所からは血が吹き出る。

 足立は崩れた部分にシャベルの切っ先を刺すと、引っ掛けた足に体重をかけてさらに深く刺し込んだ。

 彼等の頭が両断され、シャベルの先が廊下の床を叩く。

 それと同時に、脳髄まじりの血飛沫が上がり、足立の顔を血曼荼羅に染め上げた。

 そうして、足元の一体は沈黙した。

 シャベルを引き抜くと、床に広がる血の海へと断面から脳が溢れ落ちる。

 

「はぁ…………はあぁ」

 

 口の中に血の味がする。激しい動きの連続に体は酸素が足りなくなり、筋肉は疲労の色を見せ始めている。

 しかし、息を整える暇は無い。

 足立の周りは、三階から降りてきた彼等で埋め尽くされている。

 一対一なら足立は彼等を圧倒できる。機敏に動けば鈍重な彼等を一方的に殴り付ける事は簡単だ。

 だが、彼等の数はあまりに多い。

 もう止めを刺す暇さえ無いだろう。

 

「――くっ!」

 

 横から襲いかかる一体にシャベルを振るう。

 鋭い先端が彼等の胸を裂く。悲鳴とも聞こえる呻き声が彼等の喉をふるわす。

 しかし――

 

「なっ!?」

 

 シャベルは胸の真ん中で止まってしまった。

 とっさに振ってしまった為に、その胸を両断する程の力はなく、骨などに引っかかってしまったのだろう。

 シャベルを胸に刺したままの一体は、止まらず足立に襲いかかる。

 

「この――うおっ!?」

 

 踏ん張ろうとした足立は足を滑らした。

 床に広がっていた血に、足を取られてしまったのだ。

 頭を潰された彼等が流した血の海に倒れ込む。

 

(やばい――)

 

 後ろから来た一体が、尻餅をつく足立の右腕を掴んだ。がっちりと掴んでいる手は万力の様で、倒れた状態では振り解けるものではない。

 そして、唇が無くなり、歯茎が剥き出しになったその口でかぶり付いた。

 

「があああああああああああああああっ!?」

 

 彼等の強靭な顎は二の腕にしっかりと食い込み、服の袖ごと肉を断っていく。

 ぶちり。ぶちり。

 彼等の歯が、筋肉繊維と神経繊維を破り、断ち切る。千切られた神経から信号が遡上し、痛みが足立の脳を駆ける。

 彼等は腕を食い潰さんとさらに顎に力を込め、腕をへし折りそうな程掴む力を強める。

 そして、肉を食い千切った。

 

「――ああああああああああぁぁぁっ!!」

 

 経験した事もない激痛が身体中を駆け巡り、足立は堪らず叫び声を上げる。

 食われた肉は二の腕のほんの一部分だが、腕全体に痛みが広がり、焼ける様な熱さを覚える。

 齧り取った肉を粗食し終えた一体は、まだ足りないとばかりに、再度喰らおうと紅くなったその口を大きく開ける。

 

「ああうぐぅ――こんのっ!」

 

 激痛に歯を食い縛った足立はシャベルを手放し、噛み付こうとするその顔を殴る。

 ぐしゃりと鼻が潰れ、一体は思わず腕の力を緩めた。足立はその隙に、のしかかるもう一体を足で蹴り飛ばし、一階への階段目掛けて走り出す。

 塞ぐ彼等には肩から全身でぶつかり、そのまま階段を転がり落ちる。

 

「――ぐっ!」

 

 踊り場の壁に背がぶつかり、止まる。

 肺から空気は叩き出され、呼吸をするのも辛い。

 さらに、全身を打ち付けた事で、鈍い痛みと共に脱力感が身体中を襲っている。

 視界は赤黒く染まり、周りが歪んで見える。

 噛まれた右腕から大量の血が流れる感触を覚える。

 

「うっ――ぐうぅ……!」

 

 咄嗟に左手で怪我を押さえつけるが、激痛が走るだけで、出血は止まらない。

 痛い。苦しい。熱い。

 幾つもの感覚に苛まれながら足立は立ち上がり、今度はゆっくりと階段を下る。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 どうにも上手く進めない。気が遠くなりそうだ。

 自分は一体何をしているのだろうか。集中していないと意識が即座が散ってしまう気がする。

 そうだ、非常ベルを。

 彼女達を――

 

 足立のあとを彼等が追う。どちらもゆっくりな歩みである為に、その距離は縮まりもしなければ拡がりもしない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ようやく一階に辿り着いた足立は、そばにある消火栓へと近付く。半ば朦朧ととしつつも、非常ベルのボタンをカバーガラスごと押し込んだ。

 

「はぁ…………はぁ…………」

 

 再び校舎内に異常を知らせる音が鳴り響く。

 足立は非常ベルが作動しているのか確認する事もなく、すぐ近くの部屋へと転がり込んだ。

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