さつばつぐらし!   作:備品猫

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第15話

 三階と屋上だけが、学園生活部の全てだった。

 “あの日”から数日して、何とか制圧した三階の空間。ここが彼女達の生存圏であり、唯一あの頃と同じ空気の中で居られる場所だった。

 現実を見ているだけでは、不安に押し潰されていただろう。

 学園生活部は、少しでもそんな不安を紛らわせる為の空間だった。

 勿論、彼女達にはそれが“あの日”までの真似事でしかない事は知っていた。何をしようとも現実は変わらず、足元には彼等がいる。

 だが、それで十分だった。

 それ以上は何も望まなかった。

 

 しかし、今の彼女達の世界は、この狭い放送室の中だけだった。

 

「……」

 

 放送室の中は、とても静かだった。

 時折聞こえるのは、嗚咽と鼻をすする音だけ。

 元々由紀達がいる部屋の奥は、録音用の防音設備があるために外の音も入りにくい。部屋の外が多少騒がしくても、ここまで届く事は難しいだろう。

 それに、中にいる三人は一言も話さないのだ。

 

「……」

 

 三人が慈に押し込まれたと気付いた時には、もうどうしようもなかった。

 後ろから部屋に押し込まれ、何があったのか分からず呆然としていた三人。慈がいない事にいち早く気付いた由紀が、急いで扉を開けようともした。

 だが慈が扉を押さえていたのだろう。非力な由紀ではすぐに扉は開かなかった。

 そして、呻き声とともに叩かれる扉。

 彼等が扉のすぐ向こう側にいる。

 胡桃と悠里は、それでも扉を開けようとする由紀を――慈の名前を必死に叫ぶ由紀を押さえつけた。もう遅い。もう助からない。そう叫びながら。

 そのまま三人は、胡桃と悠里が由紀を間に挟み、抱き合うようにして固まっていた。

 扉から聴こえてくる音から、必死に耳を塞いで。

 

「――あ」

 

 静寂の中で、何かが聞こえた気がして、由紀は顔を上げた。

 まるで叫び声の様な何かが、迸るように。

 

「あれ? もう……いない?」

 

 次に気付いたのは胡桃だった。

 ひたすら塞ぎ込み、何も聞かず、何も考えずを徹底していた為に、周りの状況が今になってようやく分かった。

 扉を叩く音が、いつのまにか無くなっている。

 

「ほ、ほんとに……?」

「だって……音が――あっ!」

 

 胡桃の言葉に、悠里も反応を示した。疲れ切った顔に、僅かに希望の色を浮かべて出口へ向ける。

 だがその時、由紀は気が抜けて緩くなった二人の腕から抜け出した。

 突然の事に胡桃も悠里も咄嗟に反応できず、由紀は素早く廊下への扉を掴んだ。

 

「ゆきっ!」

「ゆきちゃん!」

 

 確かに扉を叩く音は無くなっている。

 しかし、だからと言って彼等がいなくなったわけではないだろう。

 扉を開けた瞬間に、待ち構えていたように彼等が部屋の中に入ってくるのかもしれない。

 悲鳴の様な二人の叫びが聞こえても、それでも由紀は扉を開いた。

 

「めぐねえっ!」

 

 扉を開け放つと同時に叫ぶ由紀。

 辺りを見回し、自分が開けた扉の見つめ、また廊下を見渡す。

 

「めぐねえ! 何処にいるのめぐねえ!?」

 

 胡桃達が危惧した彼等は一向に現れる気配を見せず、由紀の呼び声だけが空しく廊下に響く。

 

「ゆきっ! 下がれ!」

 

 駆け付けた胡桃は由紀の前に出ると、素早く周りを確認する。

 廊下に残っているのは、彼等が自らの身体を引きずって作った血の汚れだけだ。

 三階に登ってきていた夥しい数の彼等は、見る影もない。

 そして――慈の姿も。

 

「何で……」

 

 夢、だったのだろうか。

 胡桃の頭の中に一瞬だけ、そんな考えがよぎる。

 しかし――

 

「これ……めぐねえの……」

 

 由紀の視線が、足元の血だまりに移る。

 赤黒い血溜まりの中に沈んでいる、十字架の首飾りと長い紐。

 どちらも、ずっと慈が着けていた物だ。

 だが、残っているのはそれだけだ。

 由紀が探しているのは、これではない。

 

「あ……」

 

 由紀は腰を抜かした様に座り込むと、血が染み込んだその紐を恐る恐る掬い上げた。

 所々に水玉模様に飛び散った血の跡が、凄惨な様子を物語っている。

 一体、これを身に付けていた慈はどんな状態だったのだろうか。

 由紀達を押し込んだ後、廊下に取り残された慈は一体どうなってしまったのだろうか。

 彼等によって血肉の一片も残さず食い尽くされたのだろうか。

 それとも……

 

「き、きっとどっかに隠れてるんだよ!」

「まだ間に合うかもしれないわ!」

「……」

 

 まるで由紀の考えがわかっている様に、胡桃と悠里が励まそうとする。彼女達も、由紀と同じ様な結末を想像をして、それを否定したくて自分に言い聞かせているのだ。

 しかし由紀は何も言わない。

 

「足立もいない……」

「ちょっと待って。何か音が――」

 

 周りを探す胡桃と悠里の会話が、由紀の頭の中には入ってこない。

 ただ由紀は、震える手に持った紐を眺めるばかりだった。

 

 

 少しだけ、意識が飛んでいたらしい。

 意味もなく身体中の神経が刺激を頭に伝え、噛まれた腕の激痛と出血が、大きな疲労として足立に襲っていたのだ。

 

(……あれ?)

 

 身体に違和感を覚えながらも、足立はポケットを探りライターを取り出す。

 薄暗い事務室の中に小さく頼りない火が灯る。屋上での火葬に使い、もしもの時の為に部屋から持ってきていた物だ。

 階段から落ちたり、廊下で転んだりしたせいで壊れているとも思っていたが、問題無く火は点くようだ。

 

「……けじめは、自分でつけないとな」

 

 一階の事務室の隅で、誰にともなく足立は呟く。

 

 足立の目的は達成した。

 一階に鳴り響く非常ベルに、夥しい数の彼等が群がっている。

 これで三階まで登ってきた彼等を一階まで誘き寄せる事が出来た筈だ。後は三階にいる慈達がもう一度バリケードを組み直すなりして、再び生活圏を確保すればいい。

 今回の様な事が無いように対策を考えなければならないが――そんな先の事は、足立にはもう関係が無かった。

 

(ごめんな恵飛須沢。後始末は頼んだよ)

 

 足立はライターの火を消すと、事務室の窓から外に身を乗り出す。

 どちゃり。

 雨水の染み込んだ地面に無様にも身体を落とす。

 

 どうにも片手と両足が上手く動かせない。

 激しい運動の所為だろうか。

 それとも、怪我からの出血の所為だろうか。

 もしくは、階段を転げ落ちた所為だろうか。

 多分、どれも違う。

 

「あ……」

 

 顔を上げると、眩しさに目が眩む。

 どうやら、雨はいつのまにか止んでいたらしい。雲の切れ間からは陽が差し、幾つもの光の筋を作っている。

 

(良かった。雨で消えたら意味がないもんな)

 

 ふと音がして、横に目をやる。

 日の光に誘われた彼等が、校舎の一階から校庭へ溢れ出ている。

 

 なんとか腕で起き上がり、彼等の近くまで歩いて行く。

 ふらつき、倒れそうで、不安定な程ゆっくりと、緩慢な動作で足を動かす。

 

 頭が足に、神経を通して命令しているとは分かっているのだが、その足の感覚や感触がまるで無い。今でさえ、じわりじわりと身体の感覚が蝕まれ、喪ってきている。

 まるでぽっかりと、今まで自分の物だったものが無くなっていく感覚。

 足立はそれに恐怖よりも先に、別の感情を覚えた。

 まるで、望まずとも進んでいく時間に対しての儚さの様なもの。

 諦念の混じった悲しさに似たもの。

 

(ああ……そうか)

 

 足立はふと、一人で納得してしまった。

 もしかしたら、彼等はそれを埋める為に人を襲っていたのかもしれない。

 己の空虚を埋めるために、それを持っている人間を食らう。自分に無い事が寂しくて、それを他者から得ようとする。

 自分以外を必要とする、なんとも人間らしい行為だ。

 彼等も結局は、何処までも人間だったらしい。

 そこまで考えて、途端に彼等が憐れな存在に思えた。

 どれだけ人を襲おうとも、どれだけ人を食べようとも、その飢えは満たされないのだ。

 

(だけど……)

 

 だがそれは、足立の勝手な妄想に過ぎない。

 慈達にとっても、やはり脅威以外の何物でもない。

 今の足立がすべき事は、慈達の今後の為にも、脅威を――彼等になろうとする存在を一体でも多く消しておく事だ。

 それは、自分とて例外ではない。

 

(ちゃんと死ねるかな……)

 

 不思議と恐怖はなかった。

 むしろ、今の足立は奇妙な達成感すら覚えていた。

 惰性で生きてきた自分が、慈達を守る事が出来た。それは、一階では何も守れずに――守るものすら無く生き延びてきた自分にとって、とても意義のある最期に思えた。

 

「……なに、素通りしてんだよ」

 

 校庭を横切る彼等は、足立には目もくれず歩いていく。

 まるで足立など、路傍の石だとでもいうように。

 

「おまえらも、いっしょだ」

 

 後ろから彼等の襟を掴む。

 掴まれた彼等は、苦しそうに呻き声を上げながら手足をジタバタと動かす。

 まるで何かに引っかかっているとでも言うのだろうか。足立には注意も向けない。

 

(ああ……俺ももう……)

 

 一抹の寂しさを感じながらも、足立は火を付けたライターを掴んだ服の裾へ近付ける。

 炎は上手く服に燃え移り、さらに広がり上へと昇っていく。

 襟を掴んでいた足立の腕まで到達するが、足立は手を離さない。

 微かに残っていた神経が、熱さと痛みを足立へ伝えている。それを最後にその反応も無くなったが、『痛い』という意識だけが頭の中に焼き付いている。

 火の回りは、思ったよりも速かった。

 

(よく燃えるな……)

 

 何気なく空気を吸うと、炎まみれになった空気が喉から肺を焼き焦がした。

 襟から火は燃え移り、手は見るも無惨に焼け爛れていく。

 火は身体を、内と外から迅速に炭化していく。

 いくら彼等と言えど、灰になれば何も出来る事はないだろう。

 

(……お腹空いたな)

 

 ぼんやりとそんな事を考えながら、足立の意識は沈んでいった。

 

 

「ねえちょっと! あれ!」

「煙……火事かっ!?」

 

 愕然とする胡桃と悠里。

 立ち昇る黒い煙。

 駆け寄った廊下の窓から外を眺めると、校舎から少し離れた場所で、何かが燃えていた。

 大きさは丁度人間くらいの、黒い影が三つ程。

 悶えているのだろうか。黒い影は地面を転がったり、あっちこっちに歩き回っている。

 

「あいつらが……燃えてるのか?」

 

 遠目からでは、二人には何なのか判断がつかなかった。

 何者かがやったのか、他の原因か。それとも……

 とにかく調べる必要はあった。

 

「りーさん、ゆきと三階に戻っててくれ!二人を見つけてくる!」

「ちょっと胡桃!危険だって」

 

 悠里の言葉など聞く気もなく、胡桃は一階への階段を駆け下りた。

 

 

 人間は万能ではない。

 か弱く、貧弱で、一人個人では何一つ満足に出来ない。

 状況に流され、自分の意見を、意地を、意志を表に出せない事が多い。そもそも自分自身の事でさえ満足に理解出来ていない者が多数だ。

 しかし――

 

「……」

 

 階段を下りていく影がある。

 ロングワンピースの、女性。

 片腕を怪我をしているのだろうか。血が半身にべっとりと付いていて、彼女が通った跡を残す様に点々と落ちている。

 常人からしたら、彼女は尋常な状態ではなく見えるだろう。重症か瀕死か、とにかく普通の人間なら動けない状態だ。

 

 ぐちゃり。

 黒くなった死体を踏んづけた。

 ふらつく足は不安定な足場に踏ん張れず、女性はそのまま前のめりに倒れた。

 受け身もとれず、そのまま階段の角に身体を打ち付けながら転がり落ちていく。

 胸をぶつけて、肋が折れた。

 切れた頭からは血が吹き出た。

 唇は裂け、額は割れ、身体中には紫色の痣が至る所に出来た。

 閉じかけだった腕の傷が再び開き、紅い血が溢れる。

 べちゃりと生々しい音を立てて、女性はうつ伏せに床に落ちた。

 

「……」

 

 女性はしばらくすると身体を持ち上げ、ふらつきながらも再び歩き出した。

 今の彼女は痛みを感じない。その身体が本当に自分の意思で動いているのかも分かっていない。

 考えているのは、ただそこを目指す事だけ。

 彼女の目指す場所。

 非常避難区間。

 巡ヶ丘学院高等学校の地下一、二階に作られた、非常時の拠点。

 

(開いてる…………よかった…………ここなら…………)

 

 机をかまされ、閉じ切っていないシャッターを潜り抜け、また歩き出す。

 水浸しになった床に足を取られながらも進み、夥しい数の箱が納められた地下二階へと踏み込んだ。

 

(ごめんね…………みんな……)

 

 進んでいた足が止まり、一つの棚から箱を取り出した。

 それには『医薬品』と名札が付けられていた。きっとそれには、マニュアルに書いてあった彼女の内側を蝕んでいるモノに対しての抗生物質などが入っているのだろう。

 女性は、箱をゆっくりと床へ下ろす。

 今すぐその箱を開け、中に入っているものを使えば、助かる事が出来るかもしれない。

 

(せんせい…………ここまでだから…………)

 

 だが、女性は血に濡れた手で、腫れ物を扱うように、そっと箱を触った。

 愛おしそうに。心底、大切そうに。

 

(また――あえるかな)

 

 女性は思う。

 彼女達が此処へ来た時。

 自分は彼女達に、どのように映るだろう。

 彼女達の教師か。

 飢えに喘ぐ獣だろうか。

 彼女達と再び会えた時。

 自分は、彼女達をどうするだろうか……

 

「……」

 

 箱を触れていた手が止まった。

 瞳から、何かを求めていた光が無くなる。

 彼女の中の何かが、沈んでいった。

 

 人間の執念が、時に常識や理を超えた結果を生み出す事がある。

 慈も彼等と同じく食欲に駆られ、放送室の扉を引っ掻き続けていた筈だった。

 そして、扉をこじ開け、もしくは壊して、今まで大事に思ってきた三人を彼等とともに喰らっていた筈だ。

 

 彼等になるというのはそういう事なのだ。

 理性も、意志も、意識も、そこにあった筈の何もかもを失い、土台を無くして、人は彼等へ堕ちる。

 ただ欲求に従い、何かを求める渇望者に。

 

 しかし、どうして女性の――佐倉慈の理性が残っていたのだろうか。

 本当に、運良くその部分だけが長い間欲求に呑まれずに残ったのか。

 もしくは欲求を抑える程の強い思いで、それが彼女の行動原理として意識の根本にあったのか。

 

「……」

 

 少しの後。

 避難区画には、呻き声を漏らしながら彷徨い歩く佐倉慈の姿があった。

 階段前で立ち止まり、また来た道を戻っていく。校舎へ足繁く通っている生徒達と同じく、慈も同じ道を行ったり来たりしていた。

 そこに居るのは、ただ人を襲う様になった佐倉慈という人間だ。

 佐倉慈を佐倉慈たらしめていた要素――両親や友人、同僚や生徒、それら他者との関係は変わらず慈の記憶の中に残っている。どれだけ分解され、付箋のようにあった感情の記録が無くなろうとも、それは残り続けている。

 故に、佐倉慈は知っている。

 自分が何者で、何をして、何をしたかったのか。誰と関わり、誰と話し、何が好きで何が嫌いなのか。

 

 だが、今となってはそれらは何の意味もない。

 そうあるように、そうあるだけ。

 意識を無くした彼等には、未来を考える時など有りはしないのだから。

 慈は彷徨い続けるだろう。

 誰かが、その頭を潰す時まで。

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