いやまぁ買うかもしれないけど(どっちだよ)
あと、自分は巡ヶ丘学院の見取り図知らないので、作中の教室の場所とかは深く考えないほうがいいと思います。
そっと覗いた廊下には黒い影が蠢いていた。
「あっ……」
「ちっ……こんなに居るのかよ」
あの事件が起こった時、一階で増える彼等から逃げる様に多くの生徒が上へ上へと三階へ集まった。後から来た彼等に襲われたのか、もしくは逃げていた中にすでに彼等に噛まれた生徒が居たのか。
三階は慈や胡桃の考えていた以上に彼等の数は多かった。
「恵飛須沢さん。一旦引きましょう」
一体ならまだ胡桃の運動神経の良さを生かして倒すことも出来ただろうが、複数を相手にするのは明らかに不利だという慈の判断だった。
それは胡桃も自覚していた。慣れない内に無理をすれば、どう考えてもやられてしまうのは自分だからだ。
一体ずつ誘き出して倒すことも出来るだろうが、三階の現状がある程度分かっただけでも慈にとっては収穫だった。
「ここから先は諦めるけど、……食料は持ち帰らないと」
屋上の菜園だけでは何時か身体を壊してしまう為、食料を調達するのは死活問題であり、その為に購買部へ食料を調達しに行くというのは最優先事項であった。
三階の現状さえ把握しきれていないのに、一階まで行くのは危険な行為だ。だが、危険だからと何もしないでいるのでは状況は悪化するだけだ。そう慈も理解してはいるが、胡桃を危険に晒すというのは乗り気になれるものでもなかった。
「じゃあ、様子を見ながら進んで行きましょう。なるべく彼等と会うのも……恵飛須沢さん?」
「何か聞こえる……」
「え?」
言われてから慈も気付いた。鈍い音が微かに聞こえる。
物を叩く音。
「……下からだ。あいつらが何かをしてるのかな」
「分からないけど、一応確認しましょう」
音がしているのは階段からだった。足音を立てずに慈達は来た道を戻っていく。
どこか規則正しく聞こえるそれを、胡桃は何かの機械の音かと思い始めていた。だが近付くにつれて、鈍い音とともに水が跳ねる様な音も聞こえてきた。
胡桃には聞き憶えがあった。彼等を殺した時の、シャベルが突き刺さった瞬間の血が跳ねる音。
悪寒と恐怖が一気に胡桃を襲った。見てはいけない物がすぐそこにある、そう直感が警笛を鳴らす。
「……めぐねえはここで待ってて」
「ちょっと……恵飛須沢さん!」
慈を置いてすばやく階段を見に行く。
それは居た。二階と三階を繋ぐ階段の踊り場。
巡ヶ丘学院の男子の制服を着て、足で押さえつけた彼等の頭を棒で殴っている少年。
ひたすら、機械の様に棒を彼等の頭に打ち付けている。
生存者。彼等になっていない人間。動きが滑らかで、ぎこちない彼等とは明らかに違うと分かる。
そして、その少年のしている行為も胡桃は分かっている。
彼等を葬っているのだ。人間の急所を潰せば彼等は倒せる。だから顔を殴っている。
だが足で押さえつけているそれは既に呻き声をあげず、動きさえしていない。
それはもう、ただの死体だ。彼等とて、死ねば動かなくなる。
それでも少年は執拗に、ただひたすらに頭に棒を振るっている。機械のように、命令された事を実行し続けるロボットのように。
狂気だ。狂ったように規則正しく棒を振り下ろしている。
殴打の痕でさらに醜くなった顔が潰れていく。目も鼻も口も、骨は折れ形が歪み、血がその顔を濡らしている。
胡桃は息が出来なかった。
これが人間のすることなのか?
これが理性ある人間のする事なのか?
ひたすらに食物を求めて徘徊し人間を食らう彼等と、ひたすらに頭を潰す為に棒を振るうその少年が。
胡桃にはその少年が、化け物に見えた。
*
何回か棒を振っているうちに棒は頭の中に刺さった。
脆くなった頭蓋を粉砕して、その内側の柔らかな肉塊を潰したのだ。
「……ふぅ」
肩の力が抜ける。
棒を引き抜いて死体から足をどける。
三階への階段を登っている所を転かせて、いつも通り頭を潰して殺した。疲労で力が無くなって、頭を潰すのも時間が掛かってしまった。
「……おい」
「ぁ」
不意に後ろから、懐かしい音が聞こえた。あまりの懐かしさに返事の仕方が思い出せない。
ずっと聞けなかった、聞けないだろうと諦めかけていた音。
人の声。彼等が漏らす呻き声ではない。言葉というには少々乱暴だがそれでも意味を持った音が。
振り向くと踊り場の足立を三階から見下ろす人影。巡ヶ丘学院の女子制服を着ていることからここの女子生徒であること、リボンの色から三年生であることが分かった。顔は見たことがあるが、名前までは知らない。
生存者だ。彼等じゃない、理性ある人間。
嬉しい。自分一人だけじゃなかった。こんな時はどう返事すればよかっただろう。久しく忘れていた感情に足立の頭はくらくらする。
だが、女生徒の表情は足立と同じ感情を持っているとは思えないものだった。その雰囲気でさえも同じ生存者に会ったというよりは、恐ろしい何かに警戒しているようなものだった。
何かがおかしい。足立は自分とその女生徒の間で認識の違いがあるのを感じる。
「お前……本当に人間なのか?」
女生徒は三階から足立を見下ろしたまま、恐る恐る問い掛けた。
「……は?」
一瞬その女生徒の質問の意味がわからなかった。
相手も足立が生存者である事は気付いている。だが、何かが足立を人間だと思わせていない。
意味がわからない。俺は人間だ。あの事件から生き延びて理性をもった人間の生存者だ。
叫びたい衝動を抑える。
だが足立は少し冷めた頭で理解する。
きっと女生徒は何かを誤解している。何処かが少し可笑しいから、ちょっと混乱しているだけだ。
手元を見る。
ずっと使っている得物は血が染み込んでいる。汚い見た目だが、彼等を倒すなら汚れを気にしている余裕はない。
手のひらや腕も多少汚れてはいるが気にする程度ではない。
足元を見る。
彼等は死んでいる。もう頭を潰したから動かないし、脅威もない。何の問題もない。
あの日からずっと履いている上靴も、返り血で黒く汚れている。何度か彼らの顔を踏みつけたので、ズボンの裾も血で汚れてしまっているが、気になるものじゃない。
改めて上にいる女生徒を見る。
手に持っているのはシャベルで、その先は黒く汚れている。その制服も返り血が少し付いている。彼女が彼等を殺して付いたのかは分からないが、血を気にしている風には見えない。
何が違うというのだ。程度差はあるが、足立も女生徒も何も変わらない。
彼女は、何に怯えているのだ。足立には全く分からない。
分からないことは答えようがない。
胡桃の質問から二人は睨みあったまま……
「恵飛須沢さん!誰かいるの!?」
しかし静寂は断ち切られた。
女生徒の後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
足立の記憶が蘇る。この学校で授業を受けていた時の記憶。
彼女をどう呼んでいただろう。
「……佐倉先生?」
「……足立さん?」
女生徒の隣へやってきた人物は足立にとって面識がある人物だった。
足立のクラスの現代文を担当していた若い教師。
足立の姿を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきた。その姿があまり大人には見えなかった。
そうだ。何処か子供っぽい先生で、その親しみやすさが生徒にも人気であったと思い出す。
「良かった……生きてたのね。大丈夫? 怪我はない?」
足立は少しくすぐったい気持ちを感じた。身長も慈のほうが小さい為に側からは情けなく見える気がしたからだ。
だが嬉しかった。佐倉慈が昔と変わらず生徒を心配している姿が懐かしい。
少し目頭が熱くなる。
「はい、これ」
「……ありがとうございます」
足立が泣いている事に気がつくと、慈は純白のハンカチを足立へ差し出す。
目元をハンカチで軽く拭う。白い生地に赤黒い汚れが付いている。
返り血が顔まで付いている。ずっと鏡を見ていなかったから酷い顔をしているんだろうな、そう思うと少し笑えた。
「これは……足立さんが?」
足立の足元を目で示しながら聞いてくる慈。流石に顔はしかめている。
「はい。……頭を潰しましたから、大丈夫だと思います。……生きてるのは二人だけですか」
「いいえ、屋上にあと二人いるわ。恵飛須沢さん?」
女生徒は呼ばれてやっと険悪な雰囲気を引っ込めて、踊り場へ降りてきた。
「……さっきは悪かった。私は恵飛須沢胡桃。よろしく」
「足立陸です。よろしく」
何だかよく分からなかったが、険悪な雰囲気を掘り返す様な事はしない。
これからは生存者同士で協力しなければならない。
「急に聞いて悪いが、足立は下の階から来たのか?」
「ああ、一階で立て篭ってた」
「購買部まで食料を調達しなくちゃいけないんだ。そこらへんの現状は分かるか?」
「二回行ったから大丈夫だ。急いでるなら早い方がいい。遠回りになるけど一階を使っていこう。二階よりも一階の方が数が少ない」
夜は彼等に有利に働ける。一階で生き残った足立の経験からそう考えた。
「なら行こう。めぐねえ」
「ええ」
三人は素早く階段を降りて行った。
*
一階に着いた時、胡桃と慈は目の前の惨状に目を背けたくなった。
屋上前の比ではない。彼らに食べ尽くされ、中身を晒した死体が至る所にあった。形が人のままである分、死者の壮絶な最期を思い起こさせる。
そしてその中を黙々と歩く足立を見て、胡桃は理解した。
足立は狂うしかなかったのだと。
立っているだけで吐き気を催し、気が狂いそうな場所で、生きていく為にはこの環境を当たり前に思わないといけなかった。
「……」
胡桃は自分たちの前を進む男子生徒を改めて見た。
全身くまなく血に汚れている。元は箒だっただろう武器である棒も真っ黒である。
奇妙な事に、この場所ではその姿が様になっていた。どれ程過酷な中を生き抜いたのか、慈にも胡桃にも想像はできない。
「……」
歩みの遅い二人を見て足立は気付いた。
二人はまわりの死体を気にしている。その青ざめた顔は吐き気さえ覚えているようだった。
足立も最初はそうだった。知り合いだった奴が内臓を晒し、腸を散らかし、皮膚を無くして黄色い脂肪と赤い筋肉を見せ、血を流す様をみて吐く事しか出来なかった。吐いて吐いて、胃液だけで何度も嘔吐いているうちににいつの間にか慣れていた。
慣れなのか頭が麻痺したのかは足立にも分からないが、一階の環境ではそれは正解であった。
いちいち吐いていたら既に彼等の仲間になっていたかもしれない。
そこまで考えて足立は胡桃の言葉を思い出した。
人間なのか。
なるほど仕方ない反応だ。きっと彼女は一階の惨状は知らず、多分無惨な死体もあまり見ていなかったのだ。だから頭を潰していた自分がおかしく見えた。
「……彼等は死体みたいだ。冷たくて、体も腐敗して、たとえ体の一部が無くても平気で動いてる」
言い訳がましいが足立は言っておきたかった。自分は彼等じゃない理性ある人間だと。
「死体の横を通った時、急に足を掴まれた。死体だと思っていたのは、既に彼等だったんだ」
慈は急に話し出す足立に驚いたが、胡桃は理解した。
彼が執拗に頭を潰そうとしていた理由。
「……動かないから大丈夫なんて事は無いんだよ」
勿論頭を潰したからと言って本当に死んでいるかは分からない。それこそ死体を燃やすくらいしないといけないのだろう。
「……ごめん」
「こっちこそごめん。それに、多分恵飛須沢達が普通なんだよ」
慣れているにしろ感覚が麻痺しているにしろ、あの事件が起こる前の当たり前の日常の中で考えると狂っているのは足立だった。
例え昔の日常が無くなっても、そうゆう感情は大切なものだと足立は思っている。壊れ始めている自分を思うと彼女達だけでも昔の感覚を残していて欲しかった。
「……もうこの先だ。必要な分だけ取ってさっさと帰ろう」
「ああ」
「ええ」
三人は手早く用事を済ませると暗闇の中を戻って行った。