Fate all of the world   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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麗しのポリーナⅢ

 一人――ジュリエットは、モスクワの外れの森をひたすら歩く。

 東西南北、分からない。

 何処に向かうか、考えない。

 どれほど歩くか、止まるまで。

 兎に角、ジュリエットは歩き続ける。

 隠遁できる場所を探す為に。彼らに――魔術協会に居場所を悟られるわけにはいかないから。

 故に――である。ジュリエットは、わざわざ、英霊の触媒などという貴重なアイテムを見ず知らずの少女に授けた。

 本来、ジュリエット自身は、聖杯戦争に――あくまで聖杯ではなく聖杯戦争に――用があった。否、用が“出来てしまった”と表現するが適切だが。

 ふと、ジュリエットは足を止め、鼻を鳴らした。

 ――そうか、客観的に見てしまえば。私はあの子を、自分の為に利用したということなのか。

 ジュリエットは、空を見上げる。灰色の雲が千切れ、其処から澄んだ蒼が覗いている。

 ――嗚呼、美しい、愛おしい。

 彼女にとって世界とはいつでもそう見えるものであるが、特に今日はそう見えた。

 何故だろうか、そう考えていると、ふと視界の端から端に小さな十字が走るのを捉えた。

 それは、雲よりも上を行く、飛行機であった。屹度、其処にはあの小さな魔術師と、大きな紳士がいるのだろうか。

 と、ジュリエットはふとこんなフレーズを思い出した。

 “どこかの星の一輪の花を愛していたら、夜空を見上げるのは心が和むこと”――。

 屹度、そういうことだと、ジュリエットはそう思った。

 この空の何処かに、あの二人がいるからこうも心が弾んで仕方がないのだと。

 

「――Bon voyage」

 

 そうでないかもしれない飛行機にジュリエットは言葉を贈る。

 善は急げと、日本に向かった狂戦士の陣営に。

 

 ――空を見上げるだけでこんな気持ちになれるなら、屹度私は最善だった。混じり気も無く、自分の思惑も、関係なく。

 

 ならば良かったと、ジュリエットは柔く、目を閉じた。

ひゅうと風が吹いた。靡く髪を撫でる。

 ひゆよう、ひゆようと木々が擦れ、その合間を縫って、鳥の囀りが届いた。

 ジュリエットはそれにそっと耳を傾ける。

 その時だった。

 ズボンの中でロック調の女性の歌声が響いた。

 携帯電話の着信音。メールも、電話の番号も、ごく限られた人物にしか教えていない為に、実質ゲーム機と化していたそれが久方ぶりに本来の機能を果たした瞬間。

 ジュリエットはポケットに手を伸ばすことすら躊躇った。

 彼女の経験則に因るならば、滅多に鳴らない携帯が鳴る時は、あまり良くないことが起こる時。

 ジュリエットは自らの右腿を見つめる。そこにある当代一の人形師、蒼崎橙子製作の義肢を。

 

 ――流石に、前みたいに、ダンレボが出来ないのはなぁ……。

 

 前回、執行者との戦いで受けた怪我を思い出してジュリエットは嘆息した。

今度は一体どんな厄介事が起こるのか。執行者か代行者か、或いは死徒か。戦うのか戦わないのか。

永遠に知りたくない――。

そう思いながらもジュリエットは溜息を吐きつつ携帯を取り出す。

 画面に表示された名前は、

 

「“tic-tac homme”?」

 

 ジュリエットにはまるで覚えのない名前であった。

 誰だろう?

 疑問に思った次の瞬間だった。

 虫食い。携帯の画面に、それ以外の名状が存在しないであろう穴が穿たれる。

 

「うわっ⁉」

 

 ジュリエットは目を剥いた。

 穴の奥底、その暗黒、瞳が一つ覗いていた。

 まるで底の分からぬ湖に、石を投げ入れた時に立つ、波紋のような変状な光彩。

 ジュリエットは知っている。その不安を抱かずにはいられなくなる眼差しを。

 

「呼ばれて飛び出て……」

 

 洞から響く、妙にお道化たこの声を!

 

「じゃじゃじゃーん!」

 

 狂うように宙を舞いながら、穴の中からその人物は現れ、ふわり、ゆらりと着地を決める。

 

「ヤッホー、カーネルちゃん! はろはろー」

 

 傘を片手にジュリエットに手を振るのは黒白のゴジックロリータに身を包んだ、毒花を思わせる、可憐ながらも悍ましい少女。

 無邪気に顔を綻ばせているが、その実、実際心もそうなのか。

 その名、フランソワ・プレラーティ。かの有名な怪人青髭が犯した悪徳の加担者である。

 

「Bonne jornée. 久しぶりだね、フラン……」

 

 と、ジュリエットの口が言葉を止めた。そして、彼女は二、三度と自分の頭を小突くと、

 

「ごめん、何だっけか? フランドール?」

 

 と訊ねた。すると、少女はぷくりと頬を膨らませ、

 

「ちぃーがーうー! フランチェスカ! フランチェスカだよぅ! 何で忘れんの! つい最近会ってさ! 教えたばっかだよね⁉」

 

 その言葉にジュリエットは寂し気な顔をしてこう返した。

 

「ごめん。実は記憶の保持に重い障害を持っていて」

「ハイ、嘘! それ絶対今考えたでしょ!」

 

 ジュリエットは舌を出して、ウインクをした。

 

「まぁ、それは如何でも良いの。ぜーんぜんッ! 重要じゃないから」

 

 その言葉の、刹那も経たぬ後だった。

 ――ちくり。

 ジュリエットの喉元に何かが刺さる。

 それは槍の穂先。その先端のほんの僅か。

 フランチェスカの手に、冒涜的なまでに螺旋狂った、名状も画図することも出来ない槍が握られていたのだ。

 

「月面獣の槍……。一体、何のつもり、かな?」

「貴様に聞きたいことがある。ラ・デュラン」

 

 声色に少女らしさが消失していた。

 数百もの壊れた管楽器が織りなした音が声となり、辛うじて言語としての体を成したと評する以外にない声色であった。

 

「中身が漏れてるよ、プレラーティ」

「今はフランチェスカだ」

「だったらそれらしく喋る努力をしてよ。それに、私も今はジュリエット、ね」

「ほざけ。貴様はラ・デュラン。サド大佐殿と放蕩の限りを尽くした魔女。変わらぬ事実だろうが」

  

 その言葉にジュリエットは――いや、ラ・デュランは柔らかな笑みを浮かべた。

 それに続いてフランチェスカは――いや、プレラーティはにたりと口角を吊り上げた。

 

「……それで、そのフランチェスカちゃんは一体何を聞きたいの?」

「聖杯戦争について」

「それは君たちの問題でしょう? 私が知る筈が……」

「貴様等の聖杯戦争についてだよ」

 

 その言葉にラ・デュランほうと、感嘆の声を上げた。

 

「鬼松の聖杯戦争について気が付いていたんだね。……って普通気が付くか」

「何処でやるかまでは分からなんだがな。併し、貴様解せんな」

「何が?」

「聖遺物をどこの誰とも分からん雌餓鬼に譲渡したことよ」

 

 ラ・デュランは首を傾げようとして、そうすると喉に槍が刺さることに気が付き表情で以て示すことにした。

 疑問は二点。まず一点、一体何処でそれを見ていたのか。携帯から出てきたが、まさか電子の世界に潜伏していたとでも言うつもりだろうか? そんな魔術など、

 そしてもう一点――詰り、彼は何が言いたいのか。

 

「分からんか。思惑策略裏切り絶望虐殺悲鳴、死、死、死。冬木に於いて、それは斯くも愉悦に溢れていた。最高のショーだとは思わんかね? ジルだったらば、歓喜に悶えて逝ってしまうところだ」

「君にとって楽しいことをミスミス逃す私が許せない?」

「いや、そこまでは言わんさ。腹立たしいがね、八つ当たりを起こす気にはなれん。そこまで私も暇ではないのでね」

 

 目を瞑り、首をゆったりと振り、プレラーティは顔面の筋肉が崩壊した笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、君は、一体何が目的?」

 

 ラ・デュランの問いにプレラーティは渺待たず答える。

 

「知れたこと。私にその鬼松の聖杯戦争とやらについて教えてくれよ。私は興味が湧いた。存分に愉悦したいのだ」

 

 その言葉にラ・デュランは溜息を吐いた。

 

「――あの聖杯戦争はそもそも、冬木の聖杯戦争に触発されたスペインのメンドーサ家の魔術師が始めた儀式でね。私は第一回の儀式に立ち会ったの。勿論、戦争にマスターとして参加もした。冬木と同じく、それに万能の願望器たる力があるか確かめるために」

 

 プレラーティは鼻を鳴らした。

 

「話す気になったか? それで、その聖杯には願望器としての機能とやらはあるのか、否か?」

 

 何方にせよ彼に、彼女にとっては美味しいことこの上ない。

 万能の願望器をこの手に収めてしまって、何か願いを叶えてしまっても構わない。青髭を蘇らせ、また悪辣の限りを尽くすの悪くはないだろう。

 もしそうでなければ、最期の勝者の、絶望というエンタテインメントの締めとして最高なモノが約束される訳だ。

 終わり良ければ全て良しともいうが、聖杯戦争という最高のショーには最高の終わりがいるとプレラーティは思っていた。

 果たしてその回答は――。

 

「分からない」

 

 この一言であった。

 

「……今更隠し立てするか」

 

 ウンザリと吐き捨てるように呟く。

 

「本当に分からないの。聖杯は結局起動しなかったし、恐らくあれはもう、本来あるべき性質を変容させてしまっているから」

 

 その言葉に胡乱気にプレラーティは片方の眉を持ち上げる。

 

「約一名ね、お馬鹿さんが釜の中に余計なモノを入れちゃったから。正直言って何が起こるか私じゃ分からないの」

 

 その言葉を聞きプレラーティは合点する。

 

「詰りそれで貴様は、聖杯に興味が失せたと?」

 

 ただでさえ真偽の分からない願望器。それがより分からないものと化すのだから遠ざかってもしょうがない。

 況して、ラ・デュラン、フランス革命期頃に封印指定を受けて後、世界各地で目的の成就の為に色々と事を起こしてきている。其の為に、問題さえ起こさなければ逃げても放っておかれる封印指定の魔術師には珍しくお尋ね者として目下逃亡中の身である。故に目立つ行動は避けたい。特に聖杯戦争のような大規模な儀式であれば確証が持てなければ斬り捨てるに限る。

 

「だが、尚解せん。先程も行ったが、貴様、あの天使語学者《エノキシアン》の餓鬼に聖遺物を渡している。不世出の記憶破壊の達人にして、こと逃亡に於いては徹底的なラ・デュランらしくもない。貴様はもっともっと狡からかった筈だぞ」

「買いかぶり過ぎ、かな。私の事を。私は取るに足らない――」

「恍けるなよ!」

 

 僅かに槍の切っ先を肉の内に潜行させる。

 ラ・デュランは歯を食いしばり、眉に皺を寄せる。

 

「私が気付かんとでも思ったか。貴様、あのサーヴァント召喚の魔法陣に細工をしたろう? あの原罪の男のステータス私も確認したが、日本の大聖杯で齎されるものでは到底在り得なかったぞ」

 

 確かにポリーナが呼び出したバーサーカーは相当な知名度を持っている。それこそ、ヨーロッパ圏どころか、中東圏やアメリカに於いてすらも知らない者はいないそれ程に絶大な知名度がある。

 併し、日本ではどうであろうか?

 明治以降、同志社大学を始め、基督教系の大学も増え、現在では日本の教徒の数も増えている。有名政治家にも基督教教徒はいる。

 だが、日本人はクリスマスをChristの誕生日だと思っている人間の方がマジョリティーなのだ。そんな有様の地で、彼の原初の殺人者が最高峰の性能など、狂化しても得られはしない。

 ならば、何をしたのか?

 知名度補正がヨーロッパ圏を参照するように、魔法陣を元の英霊召喚のものとは別のものにしたのだ。

 

「それは何の為だ? 貴様がそういう性質《タチ》というのは分かる。だが、いくらなんでも入れ込み過ぎだ」

「嫉妬?」

 

 その言葉と共に更に刃が少し奥へ。

 

「ッ⁉」

 

 瞬間、プレラーティは、少女のような、フランチェスカのような、輝かしい笑みを浮かべていた。

 

「それもあるかな? 私は君も好きだよ。ジルと同じくらい。その思いも、血肉も、引き毟って、ぐっちゃぐっちゃに犯して上げたい」

「……なら私達、両想いね。嬉しい」

 

 ラ・デュランもまた、我が子に抱きしめられた母のように、優しく嬉しそうに笑った。

 激痛さえも忘れて。心から。

 プレラーティもつられて笑う。

 

「そうだね……」

 

 どうしてだかこそばゆそうに。

 

「――だが、私はそうでなかったろう? 貴様の知る私の行動原理は違うだろう?」

「人間?」

「そうだ、人間! 私の行動原理は総てそれだ。ただ私は人間の味方。それだけだ。お前を知りたい意味すらそうでしかない」

 

 人間に興味がある。だから渡さない。化け物が人を冒《あい》するのは認めない。

 故に冒涜の限りを尽くした。

 怪人青髭を作り出して、彼の信仰たる聖処女ジャンヌ・ダルクも犯《あい》した。

 ――尤もこれはラ・デュランが長い付き合いの中で彼を分かり易い囲いに押し込んだだけ。本来彼が如何思っているかは、封印指定の魔女を以てしても解らない。

 

「……そうだね。言っちゃっても良いかな?」

 

 知らず知らずのうちにラ・デュランは口を開いていた。

 

「ぶっちゃけね、私は私の末弟子の為に、その子の邪魔をすることに決めたの」

「末弟子とは、確かあの封印指定の執行者の?」

 

 その言葉にラ・デュランはゆっくりと首肯した。

 

「聖杯のその力が嘘にせよ、誠にせよ――いえ、誠であって若しあの子の手に渡ってしまったら。屹度、誰も幸せになれない。仮に願いを叶えてしまったあの子ですらも」

「何故、そう思う?」

「だって、あの子の起源は――」

 

 そう言い掛けて、ラ・デュランは言葉を止める。

 

「やっぱり、言えないな。これでも私は、“大師”なんて呼ばれる魔術師だから」

 

 ラ・デュランは物悲し気に答えた。

 その言葉をプレラーティは笑い飛ばした。

 ――そうか、それが貴様の目的か。ならば、総て、たった今台無しにしてやる。

 其処まで必死に、執行者に観測されるリスクを増やしてまで仕立て上げた邪魔者を殺し、そして防ぎたかった結末を齎す。

 徹底的に聖杯戦争を引っ掻きまわしてやろう。アメリカと日本を行き来する、忙しい日々が訪れそうだが、それも良いだろう。退屈しないで済みそうだ。

 故にプレラーティは思い切り槍を突き立てようとする。

 一瞬、かからず殺せる。

 そう思ったその時。

 

「あ……がッ……!」

 

 

 突如、プレラーティは腹部に途轍もない圧迫感と、息苦しさを覚える。

 気が付けば、地に片膝を付いている。口からは血が滴っている。

 ――何をされた? 今、何をされた?

 そう疑問を抱きすぐに思い至る。プレラーティにとってはごく当たり前のこと。ラ・デュランは精神干渉が本分ではない。生物だけではなく、万物に愛される魅了こそが彼女を封印指定たらしめた力。

 故に今のは――。

 

「空気の精のッ! 腕かァ⁉」

 

 ラ・デュランは魅了した。自然が自分を愛してくれるように仕向けた。

 行き過ぎた愛は暴力だ。愛す対象が見えない愛は人を簡単に害する。

 今のは彼女を守ろうとした、此処に在る、空気の狂愛。

 兎に角この機を、ラ・デュランは見逃さない。

 

「許されることの話をしよう《Il n'y a qu'un bonheur dans la vie, c'est d'être aime.》――」

 

 高速詠唱。この一言、虚空の内に片づける。

 

「それは劣情のポエム《L'amour est poeticism du désir sexuel.》

 人の肩に置かれた神の指《L'amour est un doigt de Dieu engagé sur l'épaule humaine.》

 そが織りなす温もり無くして光無く《Quelle est la vie sans amour brilliance?》

また在処は寄り添い、そして共に見つめる方角の先である《L’expérience nous montre qu’aimer ce n’est point nous regarder l’un l’autre mais regarder ensemble dans la même direction.》

 それに於いての、悔恨は禁じられていて《L'amour signifie jamais en ne devant dire que vous êtes désolé》

 此の世にそれを差し置いて勝る物は何も無く《L'amour est plus fort que la mort et la peur de mort.》

 月光をも無上に輝かす《La lune est belle.》

 ――死すらも是となろう《Je crois que je peux mourir à ce moment.》」

 

 瞬間、冬の凍結の中に心地の良く、そして暖かな風が吹き抜ける。

 大地が、天が、世界の総てが、淫蕩の魔女を中心にして塗り替わる。

 

 白い雲、その切れ間から、黄昏の光が覗く、まるで神話の如くの風景。

 そこは見渡す限り一面の葡萄畑。遠くにはレバノン杉の山々が見える。鳩が羽ばたき、駒鳥が歌う。

――渺。

風が凪ぐ。ゴフェルの花房と、シャロンの薔薇、そして野の百合の香りを運びながら。

 そんな極めてもって穏やかな景色を前にして、けれどプレラーティは驚愕の声を上げる。

 

「固有結界――貴様、こんなものを使えたのか!?」

 

 それは最も魔法に近い大魔術。

 心象風景を具象化する大禁呪。

 魔術師としての極地の一つ。

 

「雅歌・総思然愛《Je ne peux pas vivre sans toi》――私が貴女に、いえ貴方に、それともアナタに、してあげられる最善の愛」

 

 その言葉にプレラーティは何故だか怖気を覚え、前傾した姿勢に槍を構え直した。

 先程からの、固有結界“雅歌・総思然愛《Je ne peux pas vivre sans toi》”を展開して後からの違和感から。

 何故だか、異様に臓物の底から熱が這いあがってくる。脳髄が溶けるように痛い。息が苦しい。■■が濡れて仕方がない。

 

「……君、言ったよね。私は狡からかったって。では、クイズです。そんな私がどうしてペラペラと、最も秘密を話すには値しない、君になんておしゃべりしたのでしょうか?」

 

 その問いに、プレラーティはハッとした。

 それは考えなかったこと。どちらかと言えば敗北主義で逃げ腰の傾向が強い。プレラーティが今までの交わりで感じた彼女の気質からは到底するとは思わないこと。

 

「言うまでも無いね。ここで愛《ころ》すから、だよ」

 

 小鳥が空で口づけを交わしている。

 遠くで羊が鳴いている。

 風は暖かい。

 そして、その内容とは裏腹に、彼女の言葉の響きですらも、暖かい。

 プレラーティは気が付いた。

 この結界《せかい》は愛に満ちていると。

 魅了の薬を何故、デュランは極めたのだろう?

 愛しているからだ。

 何故、サド伯爵をあのような思想に走らせたのか?

 愛しているからだ。

 嘗ての友の名前を、奪い自ら名乗っているのは?

 愛しているからだ。

 如何して、ポリーナを救った?

 愛しているからだ。

 兎を殺した時吐いたのは?

 愛しているからだ。

 何故、自分の息の掛る弟子の邪魔を敢えてしようとする?

 愛しているからだ。

 この世界になってから彼女が好きで好きで、殺したくて殺したくて殺したくて、堪らなくなっているのは如何してだろうか?

 愛しているからだ。

 総て、総て、総て――。

 愛しているからという結果に他ならない。過程が違うだけだ。用いる手段が時に於いて、場面に於いて、人に因って、物に因って、別になるだけ。

 固有結界に中てられているが故に、プレラーティには手に取るように、彼女が分かった。

 勿論、この世界の仕組みにも。

 

「クックックック――」

 

 故、プレラーティは哂う。

 この世界は、その主たるラ・デュランを全身全霊で愛するただそれだけの世界。愛している者だから守る。愛している者だから傷つけない。成程、一見鉄壁に近い。

 だが、此の世は広く、そしてその分に人とは雑多であるのだ。

 ならば如何して言える。

 愛をタナトスでこそ示す人種がいないなどと。

 

「何が最善の愛か? 私にとっては何も変わらん。するりと片付ける。それだけ……」

 

 言い掛けて、続きが出なかった。

 

「く……はっ……」

 

 プレラーティは不意に呼吸困難に陥る。

 酸素を求め、息を吸えども吸えども、空気が入って来ない。

 否、それどころか。脳の付け根が熱い。吐瀉物が喉に詰まる。体中が痺れる。まるでスピリタスを原液のまま飲んでしまったかのように、景色の上下がひっくり返り、おぉぉんと廻る。

 恐らく、空気の中に含まれる微量の有害物質――窒素化合物や硫黄化合物だけを吸わされているのだと、プレラーティは考えた。ならば、その方法は流体操作系の魔術か?

――断じて否だと、すぐに打ち消す。ラ・デュランは固有結界以外には魔術らしい魔術を行使していない。ならば、何だと考えている内に次々と異変は起こった。

踏んでいた土が、まるで大蛇のように足を縛る。

 飛んでいた鳩が、錐もみ回転しながら弩から放たれた矢の如く突っ込んでくる。

 葡萄畑の葡萄が、嗅いだだけで死にたくなるような、凄まじい腐臭を放つ。

 空が穏やかなまま落雷を放つ。山が崩れる。レバノン杉の葉が刃となって降り注ぐ。

 

「ッ……ふ、Ph’nglui mglw’nafh Cthulhu R’lyeh wgah’nagl fhtagn!」

 

 肉体に残ったなけなしの酸素を用い、プレラーティは詠唱を紡ぐ。

 その瞬間、プレラーティのすぐ足元の空間に穴が開き、蛸の足めいた触腕が現れ、降り注ぐ異常の全てを強引に払いのける。

 そして、プレラーティはその現れた触椀を食らう。

 ぐちゃり、ぐちゃりと咀嚼音を立て乍ら。

 

「うっぷ……」

 

 噯《おくび》と共に、プレラーティは深く息を吸い込んだ。

 ――召喚した海魔の肉を使い、無理矢理有害ガスに対応できる気管を作っていなければ如何なっていたか?

 そう剣呑を覚えながら。

 

「油断、したね」

 

 鳳梨のように結んだプラチナブロンドの髪を解き、首を振るう。

 此処に来てアンニュイに彩られていた表情は、鋼鉄のような冷たく硬い意志によって引き締められていた。

 笑顔が消え、眼光は研ぎ澄まされた刃のよう。

 

「ラ・デュラン?」

 

 プレラーティは目の前に相対する人物が誰なのか確信を失いそうになってしまった。

 それほどに、彼女が、“らしく”なかったから――。

 

「言ったでしょう? 君は絶対に止める。ポリーナちゃんやあの子、まだ見ぬ彼等の戦いを守ることが最適な愛だから」

 

 髪を掻き分け、ラ・デュランは右手を真横に振り抜く。

 

「此処で君を殺してしまうのが愛だから!」

 

 瞬間、地面がどうと湧き上がる。

 数は十数。それは人を象り、そしてやがて色を持った人となる。

 然もその人物達、ただの人ではない。

 無双と謳われた執行者がいた。失われた神代の魔術の担い手がいた。行方不明になった何代か前の埋葬機関の構成員がいた。

 其処で漸くプレラーティは気が付く。

 この固有結界の本質に。これはラ・デュランを愛する世界。そして、その抱いた愛を是としてしまったモノを永劫に捉える檻なのだ。

 そして、amantes amentes《愛せしことは狂せしこと》とも言うが、この世界に於いてラ・デュランに敵意を向けるということは、彼女と相思相愛の恋人総てに殺意を向けられること同義になってしまうのだ。

 またこれは生物のみならず、万物、現象にすら作用する。

 先ほどプレラーティに起こった窒息や、その他自然現象諸々の変化は詰りそういうことだ。

 きぃと筋肉が軋みを立てて、プレラーティの顔は歪む。

 

「嗚呼、プレラーティ。良い顔をしている。私を怨敵《マ・シェリ》と認めてくれたんだね。嬉しいな」

 

 ――なら、もう一度言ってあげないと。

ラ・デュランの体は浮いていた。まるで、恋人を抱きかかえるかのように、空気が彼女を抱えていた。

 槍を捨て、人の皮で出来た奇怪な本に持ち変えたプレラーティを見下ろし、今一度宣言する。

 

「Je t'aime《ぶち殺す》!」

 

 顎が砕け散る程、プレラーティは口角を吊り上げ、そして、

 

「moi non plus《やってみろ》!」

 

 そう返しながら、彼女と恋人たちに向かい走り出した。

 

 

 

 †

 

 屹度、聖杯戦争に関わった人々は誰も知らない、真実ジュリエットという一人の魔術師に感謝したポリーナ・アフェナーシェフでさえ気が付かない。

 そんな穢されまいとするものと、穢そうとするものとの戦いが幕を上げ、そして――。

 

 

 

 

 




 固有結界 雅歌・総思然愛《Je ne peux pas vivre sans toi(ジュヌプパヴィーヴルソントワ)》
 封印指定にして魔術犯罪者、ラ・デュランの大魔術。『アナタ無しでは生きていけない』という意味を持つ。結界に捉えたモノを、ラ・デュランを対象にした愛に狂わせ、それを受け入れてしまったモノを固有結界の一部とする。
 ゲーム的には、好感度300%になり、フォーエバーラブって思うと仲間になるよ、やったねたえちゃんって魔術。
 ヤンデレとか殺し愛の人にはKoka/zero。ブリュンヒルでとか相手だとマジで目も当てられない結果になる。
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