Fate all of the world   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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 以前、私は愛から離れると書いて、愛離《おり》という名前だった。

 いつ頃だろうか。私の妻はこの名を嫌うようになったのだ。

 私の元から、いなくなってしまいそうだから。

 私に囁く彼女が、この体を抱く力は壊れてしまうのではないかと思うほど強かった。

 煩わしいのに、その痛みが心地よく。そして、それ以上に、胸の奥が刺すように痛んだのを覚えている。

 そして、彼女は私の新しい名前を考えた。

 “私の耳元で愛の詩を囁いて。貴方の詩は素敵だから。そうやってずっと生きて。私がおばあちゃんになっても”

 そうやって出来た私の今の名は……

 

 

 †

 

 比叡山延暦寺。

 其処は台密の寺であるとも同時に親鸞、栄西、日蓮など歴史に名を刻んだ僧達が、若き日に修行した其処は、現代においては日本仏教の総本山とも言われる。

 勿論、名だたる観光地の一つであるのは言うまでもない。

 故、溢れるというほどでもないが多くの人が行き交っている。だが、そんな中でも目立ってしまう人間というのはどうしてもいる。

 寺の修行僧、寺社仏閣好きの老年の男女、詰まらなそうな怠そうな顔でしおりを片手に歩く修学旅行生。

 時折メジロが囀りながら、ゆったりとした時が流れ、その下にいるのはそんな人々。

 ――併し、尋常な人々の“ゆったり”は在る人物とすれ違うことで脆くも崩れ去る。

 誰もが自分の視界に流れ込んできた彼の存在を疑う。

 何しろ、寺という空間が作り出す、落ち着いた空気を一撃で台無しに出来る程であったから。

 例えるならばそれは、恐ろしい面容のピエロであった。瞼も閉じられなくなってしまいそうな程、大きな眼球の周りは青いシャドウが塗りたくられている。風化した血液のような色彩の紅を差し、本来よりも唇を大きく見せている。それでいて顔は舞妓のような純白であった。右の目の隣に垂れた、前髪一房は虹色であり、より一層にその男を奇怪に映している。

 ギターケースを背負っている為にデスメタルの歌い手とも取れないことは無いが、彼の服装は、メッシュを着てこそすれ、袈裟姿である。詰り、僧侶とも――相当な破戒僧であるが――受け取れない訳ではないのである。

 そんな混沌そのものの僧侶と殺人ピエロのキメラめいた男の周りではざわつきが起こっていた。

 一体、これは何だと――。

 一方、その男自身はそんな評価をどこ吹く風と捉えていた。

 だが、同時に幾許か厄介だとも。

 

 ――こうも目立っては、集会所に入れないではないですか。

 

 やれやれと、頭をぽりぽりと掻き、

 

「タニヤタ――」

 

 と、呟く。

 顔立ちにはあまりに似つかわしくない、沼でさえも清涼な泉に変えてしまいそうな、はっきりとしていてよく通る美しい声であった。

 

「イチミチ・チリミチ・チリミリミチ・チレイヒ・ミリ・ミリチミ・チリミリ・ソトンパトパ・ソバシャ・シツリキシャ・ビンダメイニ・ノウマクボダナン・シッキャシ・ハランダボレイ・ダボレイ・イチカロ・ロキタホレイ・タンバ・アンバ・クチ・クノウチ・チラクンシャノウチ・アダバタヤ・バラシャトデイオ・ノウバマサ・ダシャマセイチ・イチミリ・キリミリ・ケイラミリ・ケイトボレイ・ヌヌメイ・ソヌメイデイ・ダリメイ・サントバタイ・ボサバタイ・ボサレイ・ボサレイ・エイダバソッタ・ラケイ」

 

 此れは、咒であった。

 『仏母大孔雀明王経』に収められた、陀羅尼である。

 ――こう、こう、こう。

 木々を風が揺らしている。突然唱えられた術を困惑しながら見つめる大衆であった。けれど、鼓や笛の雅な音色すら幻聴させる、その声色に魅入られていさえしていた。

 

「ノウキャラ・ノウキャリメイ・キャラマラ・キレイイチ・サシャレト・トンペイ・トトンベイ・アナウタイ・パラパラノウタイ・アタノウタイ・バラシャトデイブ・ノウボダケイノウ・サンタダト・サンマンテイノウ・ノウラヤニ・ハラヤニ・カリタリ・クンダリ・イリミソッチ・キチリミソッチイリメイ・シッデント・タラミダ――」

 

 そして、最後に一相に明瞭に、真言《マントラ》を紡ぎ出す。

 

「――マンタラハダ・ソワカ!」

 

 その瞬間、その男に興味を失せたかのように男の周りから人がさっと引いた。

 否、それどころか、始めからそんな男の存在はなかったことにされたかのように、一人としてその男のことを話題に上げる者すらいなかった。

 そして、それに違和感を持つ者も一人としていない。

 ――孔雀明王法。男が唱えた呪いに付けられた名である。

 密教の僧や山伏が用いる術の一つであり、あらゆる危機に際して霊験を発揮すると言われる万能なる降魔の法である。

 この場合、道化のような男が不都合に思った“注目される”という事象を“キャンセルする”という形でその霊験が示された。

 ――尤も、元来神秘を操る術を持つ僧であっても、ここまで目に見えた効果を発揮できるものでもないのだが。

 故に、だ。そんな力を持つが故に、今宵、この時、男は延暦寺に招かれたのだ。

 男は歩く。真っ直ぐと。極一般的な人間であれば、そこには何もないと認識してしまう場所に向かって。

 何もない場所――けれど其処には階段があった。比叡山の遥か、地下。奈落にも通じてしまいそうな程、深く暗い闇が顔を覗く。

 男には見えている。他の者には見えていない。

 “結界”というものがある。内と外の定められた境界。此処にはそれがあった。そしてその区切りとは、“この日開かれる会合を主催した大僧正が認めた一騎当千の武僧”である。

 

ふぅ。

 

 男は思い切り息を吐いて、心持、背筋を伸ばし、階段を下る。

 かつん、かつん、かつん――。

百、千、万と階段を下る。

 そして、徐々に光が遣って来る。

 幾百の蝋燭の橙の灯が、六法を黄色の土で囲んだ開けた空間を薄暗く照らす。

其処には三十二人の僧がいた。尤も、僧らしき恰好をしている者は少数派であったが――。現代人らしいラフな服装の者もいる。鎧や鎖帷子を纏っている者もいる。黒いローブを着た一般的な意味での魔術師のような者もいる。何故か体を拘束具で封じられ、目を布で覆った、一見にして変態のような者までいる。誰かとひそひそと話す者、一人きりで無言でいる者、経を唱えている者等、様々であったが皆に一つだけ共通しているものがあった。

 それは見つめる方向。

皆が部屋の奥にある結跏趺坐する全長5メートルほどの黄金の像を見ていた。肉付きが良く全体的に丸みを帯びた体つき。人々を見下ろす表情は少しばかり唇が上がり、穏やかな微笑のようにも見える。指を揃え、右手は上げ左手は下げ、そして両方手の平の方を見る者に向けている。是、施無畏印、与願印という。人々に力を与え、そして願いを叶えることを顕す。

 凡そ以て、800年の歴史を持つ絶大な神秘を帯びた釈迦如来像――それは道化の男始め、その像の下に今宵集められた者達の象徴でもあった。

 

「おぉ……」

 

 道化の男はその光輝に、驚嘆の声を上げる。

 

「なぁに、今更驚いてんだよ」

 

 と、後ろから声を掛けられた。男が振り返ると、其処には一人の男が厚い胸板の前で腕を組んで立っていた。

 潰れた鼻に、そり落とされた薄い眉に、生えそろった綺麗な顎髭が特徴的な、無頼漢染みた男であった。ドレッドロックスの髪を後ろに撫でつけ紫のタオルを巻いた姿は、筋骨隆々な肉体にフィットした黒一色の野球のアンダーシャツめいた長袖の服、迷彩柄のカーゴパンツに、地下足袋といった服装と相まって、とび職か庭師、はたまた土方といった雰囲気を醸し出している。

 

「テメェにとっちゃ、見慣れたモンだろうが。なぁ、梅安よぉ!」

 

 歯を剥きだし、笑みを浮かべる男の声は、耳が痛くなってしまいそうな程大きなモノであった。

 ――御沢陵旬《みさわりょうじゅん》。曹洞宗の寺で修行を積み、生身で死徒とも渡り合う百戦錬磨の武僧。

 真言宗の僧である道化の男――時田梅安《ときたばいあん》にとっては受けた教えは違えども、幾度と無く修羅場をくぐり抜けた朋輩でもある。

 そんな盟友の言葉に梅安はフッと笑声を漏らした。

 

「たとえ見慣れていたとしても、美しいものは幾度見てもその色を変えることなく美しい。ならばこそ、その度に打ちのめされるのも仕方ないではありませんか」

 

 その言葉に呆れ顔で、

 

「はぁあ、テメェの言ってるこたぁ、相変わらずよう分かんね」

 

 とワザとらしく手振りを交えてそう言った。

 そして、彼の隣に立つと、

 

「けど、とりま、その調子ならテメェは元気でやってるってことかね」

 

 と自分の中で結論を下した。

 梅安にはその理論展開はよく分からなかったが、

 

「そういうことです」

 

 と返す。

 

「しかし」

 

 そして、閑話休題と、梅安は周囲を見渡した。

 目に止まるのは、三人の人物。黒いローブを着た短信痩躯の男、体を拷問具で縛り付けた男、そしてボディガードといった風情の黒いスーツの男である。

 

「“台密の結界師”京白蓮《けいびゃくれん》に、“磔の雲水”逆木原庵弩玲《さかきばらあんどれ》、“無音の法華経”の柊日碍《ひいらぎにちがい》……。滅多に集会にも来ない彼らが顔を見せるとは。陵旬さん、一体何が起こったというのでしょうか?」

 

 その言葉に陵旬は怪訝そうな顔をした。

 

「はぁ!? おま、ニュースとか新聞とか見てねぇのかよ!?」

「冷静に考えて下さい。私の寺にテレビの電波が届きますか? それにあの場所に新聞配達が来られますか?」

 

 そう指摘され、陵旬は成程確かにと納得した。

 ――思い出されるのは梅安の寺。魔獣、雪男が跋扈する霊山の頂上にある其処は最早日本ではなかった。

 

「そら下界で連日報道されてることも知らんわな」

「一体何があったのですか?」

 

 どっと、不自然に胸が鳴るのを感じて梅安は陵旬に訊ねた。

 

「それは……」

 

 陵旬が口を開きかけた其の時――。

 ズシ、ズシ、ズシ。

 巨大な岩が地面に落ちるような、重たい音が一定の周期で響く。

 そして、それはだんだんと、三十二人の僧の元へと遣って来る。

 まるで、象が一頭やってきているかのようなその音に、

 

「っと、大僧正殿がお出でなすった。俺が話すまでもねぇや」

 

 併し、陵旬始め、そこにいる誰もが当然のように受け止めていた。

 どす、どす、どす。

 暗黒の帳の向こう側――。大僧正が現れた。

 

「十尺大僧正!」

「お久しぶりです、十尺大僧正!」

 

 それは、その法名が示す通り、十尺もの体躯を持つ、巌のような男であった。

 年齢は五十代程に見える。眉毛の端が長く男の頬の位置まで垂れ下がっている。細められた瞳は笑っているようにも、怒っているようにも見え、果たしてその本心は分からない。白い法衣、柿色の袈裟、三角形の背が高い僧帽と、服装だけでも徳の高い僧だということが分かる。

 名を八馬十尺《やまじっしゃく》。一騎当千の武僧を束ねる日本仏教の最終兵器である。

 十尺大僧正がただ歩く。それだけで、僧たちは畏れ敬い、左右に掃けて跪く。まるでモーセの海割のように。

 そして、黄金の釈迦如来像の前に立つと、三十二人の僧たちは彼の前に背筋を異様なまでに張りつめて、対峙した。

 

「――まず、我が倚信に答え、此処までのご足労誠に感謝致す。ありがたや、浄玻璃三十二衆、その輩諸君よ」

 

 梵声とも称するべき、溌剌としてよく通る声と共に手を合わせ、頭を下げた。

 

「お主達を呼んだのは他でもない。先日の薬師寺爆破についてである」

 

 瞬間、梅安は耳を疑い、ただでさえぎょろついた目を見開いた。

 

「な……そんな……。バカな……」

 

 薬師寺。成立は天武9年。南都七大寺の一つであり、法相宗の大本山として知られる由緒正しき寺である。

 ――それを爆破とは。なんと不届き……。否、だがそれ以上に……。

 

「だ、大僧正! 人々は、僧や参拝者は無事だったのですか!?」

 

 突如声を上げる梅安に、周囲の目が集まる。

 

「主は“大舌相”“餓鬼道”の……。そうか、主の寺では世間の動きが見えぬな」

 

 うぅむと、唸り声を上げて後、大僧正は話始める。

 事件の顛末について。

 

「寺は総て燃えてしまったが、死人や重傷者は僧の中にも参拝者の中にもおらぬ。休意致せ」

 

 ホッ胸を撫で下ろす梅安を尻目に、今度は別の者から問いが入る。

 穏やかな面差しをした貞淑を絵に書いたような妙齢の秀麗な尼僧――梅安と同じ真言系の寺の武僧であった。

 

「……何か盗まれた物は無かったのでしょうか?」

 

 瞬間、梅安の隣にいた陵旬から、

 

「クックック」

 

 と笑声が漏れた。

 

「……何がおかしいのでしょうか?」

「ハン。何か盗まれ物はないかだと? わざわざ聞くまでもねぇだろうが。俺ら全員が呼ばれてんだぜ? 最強無敵、一会必滅の浄玻璃三十二衆全員が!」

 

 吐き捨てるように、陵旬は尼僧に言葉を投げつけた。

 

 ――そう、ただテロリストにでも爆破された程度では我々全員が動くはずなど無いのだ。

 

 梅安は浄玻璃三十二衆という存在を根拠にそう心の中で断じた。

 閻魔が死者の生前の行いを覗くために使う道具の名を冠するこの集団の起源は、比叡山焼き討ちにまで遡る。当時日本の仏教の滅びを危惧し、また仏を拝する者達の平穏をなにより願った八馬十尺によって、宗派や年齢、人格すらも問わずに集められたただ強いだけの武僧。仏の身体的特徴である三十二相の名と、忌み名を宛がわれ、十尺の命によって動いたその集団は、一人一人が千人を一瞬で殺す人の形をした兵器。構成員を変えながら今なお存続し続けるこの集団が集まれば、代行者の総戦力にも拮抗し得る。

 それを総動員しなければならないほどの何かが起こった。梅安は何となしにそれを理解出来る。

 だが、具体的にそれが何なのかまでは図りかねる。

 

 ――陵旬さんはアタリが付いているようですが……。

 

 隣に立つ、“上身如獅子相”の男の顔を横目に見た。如何にも彼はごろつきめいた笑みを浮かべていた。

 

「大僧正さんよ、若しかして、そらぁ聖杯戦争ってのに関係あることなんじゃあねぇのかい?」

 

 陵旬の言葉に、ぴくりと、十尺大僧正の凸の筋が軋んだ。

 

 ――如何やらQ・E・Dでしょうか? ですが……

 

聖杯戦争。

 梅安の聞き及ぶところでは、それはChristの最後の晩餐に纏わる聖杯と名を同じくする礼装を巡って争うことを指す。基督教や西洋魔術生活の領分なのだ。如何してそれが故に仏閣が焼き討ちに遭う?

 単に、自分は生活の殆どを外界から隔離された霊山で送る故に知らないのかと疑ってはみたが、陵旬に噛み付かれた尼僧の顔は困惑に彩られており、また他の僧達からも騒めきが起こっている。

 

「こらぁ、昔馴染から聞いた話なんだが、鬼松ってとこでな。どうも聖杯使って英霊呼び出そうって無茶苦茶な儀式やらかそうとしてるヤツがいるんだと」

 

 そんな彼らの疑問を打ち消すように、陵旬は説明を始めた。

 七人の魔術師、七騎のサーヴァント。冬木式の聖杯戦争について――。

 矢張りその説明を受けても――いや、説明を受けてより一層に騒めきが強まる。

 

「ですが、そのような儀式が存在するとして、一体何が薬師寺から盗まれたとお考えで?」

 

 尼僧が口にした疑問を梅安も、他の僧達も同じく抱く。

 聖杯戦争と薬師寺の因果がまるで分からない。

 

「……英霊を呼び出すにはそいつの使ってた武器だの着てた服だの、その英霊と縁のある品――聖遺物ってのを用意する必要がある。とすれば、あとは分かるだろ?」

 

 その手掛かりは僧達にとってあまりに分かり易いものであった。

豪と――悲鳴で部屋そのものが揺れる。

 僧ならば誰もが知っている。薬師寺には、法相宗のその開祖たる者に纏わる品が――おそらく最も濃い縁を持つ物品が奉安されているのだ。

 そして、その英霊は恐らく僧という括りに於いては高い知名度を持つに違いなかった。

 三柱の神を従え、救済を齎す釈迦の教えを授かる為に、果てない旅を成した彼の物語はあまりに有名であるから。

 その法名に、聖典に通ずる者という意味を持つ聖人。

 

「――玄奘御弟大闡三蔵。その聖遺骨。火事場泥棒されちまったんだろ。なぁ、ジジイ?」

 

 煽るような物言いで陵旬は大僧正に訊ねる。

 ――誰もが、大僧正からの否定を願う。

 

「痛恨なるが。如何にも」

 

 併し、悲しいことにそれは如何しようもなく、真実であった。

 なんと罰当たりな。なんと嘆かわしい。恥を知れ。

 僧達から、怒りに満ち満ちた呪詛が漏れ出す。

 第二次世界大戦下、日本軍が南京上陸の最中、見つけられたとされ、慈恩寺と薬師寺に収められた玄奘三蔵法師の聖遺骨。

 ただ、信仰に因ってのみ偉業を成した聖人の遺体はただ其処にあるだけで、ただ崇め奉るだけで人々を救う霊験を持つ。

 絶望に打ちひしがれ、闇に閉ざされた人の目にも、希望の光を灯すのである。

 それを奪うなど、殺しを生業にする破戒僧達にとってしてみても許し難いことだ。

 

 ――殺すことでしか救いになれない我等とは違う。殺さなくても人を救える者を、涅槃から引きづり下ろし剰え戦に駆り立てるなどあってはいけないこと。

 

 梅安は握った拳から流血し、腕がわなわなと大きく震える程、怒り心頭した。

 

「大僧正! こんな惨いことを! こんなことが出来る犬畜生とは、何処の誰なのですか⁉」

 

 大僧正は梅安の怒声にかっと目を見開き、

 

「それが分かった。故に、主等を呼んだのだ」

 

 明瞭でありながらも、強い怒気を含んだ言葉を返す。

 そして、大僧正は懐から何かを取り出し、それをそのまま梅安に投げつけた。

 ライフルの初速と同程度で飛んできたそれを、梅安は両の腕で見事に捕まえる。

 見れば、それは人の頭――を模した人形であった。西洋魔術風にいってしまえば一流の人形師でもある十尺大僧正。恐らく、犯人と思しき人物を目撃した僧達の証言を元に作成したのであろう。

 夜の仕事、有体に言えば所謂ホストをしていそうな見目というのが、梅安が抱いた第一印象であった。

 軽薄そう頭が悪そうといった悪印象は抱きこそすれ、屹度、平素であれば日の当たる世界を懸命に生きる人々の迷惑になりさえしなければ捨て置いたであろうと思った。

 

――まぁ、現実、踏み越えてはならない人の領分も弁えぬ射干。私のエペタムの餌になって戴くのは運命ですが……。

 

 そんなことを思いながら、梅安は人形の首を尼僧に放った。

 尼僧はそれを受け取り、まじまじと見つめる。何故か、うっとりと頬を赤らめ、嬌声を漏らした。

 尼僧もまた別の僧へと頭を投げ渡す。その僧もまた別の僧へ。また別の僧もまたまた別の僧へ……。

 浄玻璃三十二衆全員が怨敵の顔をその眼に刻み、更に怨嗟を募らせる。

 最後に頭を受け取った陵旬は、それをその場に捨て、文字通りに踏みにじり、

 

「……で、このブサメン、何処の何方様だァ⁉」

 

 その残骸を指差して訊ねる。

 

「相良豹馬。羅馬尼亜《ルーマニア》は、ユグドミレニア一族の魔術師だ」

 

 それは、没落した時計塔の一族の名前。

 魔術回路の劣化を理由に貴族との交わりを禁じられ、結果自分達と同じような負け犬を吸収し現在まで存在した集団。

 故に、様々な魔術系統を持つ代わりに、二流ばかりという、烏合の衆である。

 

「魔術協会に放った隠密に由れば、ユグドミレニア一族が魔術協会からの離別、聖杯戦争に纏わる情報の収集を行っているとのこと。故に、下手人がこの男であるのは九分九厘違う事無しであろう」 

 

 大僧正の答えにどっと爆笑が起きた。

 

「ヒャハッハッ! ユグドミレニア! あのザコ助どもの寄せ集めか! とっくの昔に滅んだと思ってたぜ!」

「黴臭い魔術師風情が! 仏教徒《拙ら》に立てつくか! 笑止だな!」

「甘噛みも過ぎれば膿となりますが。これはこれは。困ったものです」

 

 嘲りに湧く浄玻璃三十二衆。

 その姿はとても僧侶とは言い難かった。

 

「とりま、根絶やしだ! 第八親等まで! ぶち殺して! ぶち殺して! ぶち殺すぞォォ!」

「ああ一切の血の臭いすら残さん! ただ祈っていただけの僧と偉大なる玄奘の残り香を穢した罪、きっちりかっちり払って貰おう!」

「なんと甘い罪の味。吐き気すらしてきます」

 

 昂り、狂喜し、僧達は殺意と怒りを剥き出しにする。

 そんな中、梅安は顎に手を当て思考する。

 

 ――ユグドミレニア? 魔術師?

 

 何故か引っ掛かった二つの言葉。その正体を考えようと熟考に入ろうとするが――。

 

「ぺいっ!」

 

 大僧正の一喝が、滞留する笑声の渦を、一撃で掻き消す。

 

「主ら、破戒なれども僧であろう? 瞋恚に呑まれて如何する?」

 

 其の声によって、忘我に陥りかけた僧達が悟性に帰る。

 

「主らの心は分からぬでもない。だが併し、怒るな。ユグドミレニア、主ら程の傑物が三途に陥る所以には不足ぞ」

 

 雷が落ちるような力強さと、清流のような優しさとを持ち合わせる声色に、僧達の表情が引き締まる。

口は開けず、傾けた耳は逸らせない。

 

「盛者必衰。此の世の理であるが、ユグドミレニアはそれを解さぬ。故に万能の願望器なぞ求め、己らの滅びを回避せんとす。玄奘御弟大闡三蔵の魂魄を凌辱してまで――」

 

 だが、と大僧正は力強く拳を見せつける。

 

「彼奴等は塵ぞ。猛き人も滅びぬことをも解せぬ。だが、主らは入道。諸行無常を善く知る者ども。然らば、主ら塵を前に何が出来る?」

 

 そもなん。

 

「風」

 

 瞬息、一人が説破する。

 それに続く様に、僧達が叫ぶ。

「風!」

「風!」

「風!」

 

 その様に、大僧正は口の端を僅かに持ち上げる。

 

「然り、風ぞ! 我等は塵を通り過ぎる風にならん! 三毒は無く、三宝も無くただ通り過ぎる。それで塵は無し。此度聊頼とはこれぞ!」

 

 そう気をそぞろにせず、自然体に、ありのままに、無情に殺せ。蹂躙するだけの簡単な仕事。

 手元が狂わなければ、その理由さえなければ浄玻璃に負けは無し。

 大僧正の意とはそういうことで、それを受け取り、

 

「オオオオォォォ‼」

 

 狂奔に湧いた。

 

「だが、風が流るるにも熱がいる。故に熱をば蓄える。羅馬尼亜に渡るは明日。今宵は宴ぞ!」

 

 その言葉にも、集団が湧き立つ。

 いつものこと。

 浄玻璃三十二衆にとってはこれが尋常。

 怒りの儘に殺しそうになるところを、大僧正の言葉という手綱でもって、信心による殺戮に切り替える。

 だが、一人。そんな熱狂の中からは外れた者が一人。

 

「どうしたよ、梅安?」

 

 一人、黙して沈思する梅安に陵旬は声を掛ける。

 

「いえ、何かが。何かがおかしい気がするのです」

「何かって何だよ?」

「それが一体何のか、私にはどうにも分からない……」

 

 ただ違和感があるのだ。まるで麒麟の首が短いような、鶏が天を翔けるような、不自然さが。

 

「一体、何が……?」

 




 ところで、此処に公式の方のラスボスが混ざっている。
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