Fate all of the world   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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百鬼夜行――矛担

 魔法陣は完成し、空が朝焼けに染まり、燈色に燃える頃となった。

 

「そろそろか」

 

 その瞬間、陣の前に立つ詩生の右の掌が差し出され、唇が詠唱を紡ぐ。

 

「素に銀と鉄、礎に石と契約の大公、祖には陰陽武人法眼」

 

 凛とした透き通るような声と共に、まず陣の外周を風が渦巻く。

 詩生を見守るように、その隣に立つ我道は、わぁと子供のような興奮の声を漏らした。

 

「降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 陣の中央に捧げられた、玄奘三蔵の骨が光出す。

 天狼のように青白く、目が眩むほど、強く。

 

「――オンアロリキャソワカ。オンカカカビサンマエイソワカ。オンコロコロセンダリマトウギソワカ」

 

 その光が陣総てに広がり、そしていよいよ風は嵐となる。

 座へと繋がる梯子は完成した。

 あとは三柱の、魑魅であり、聖仏であり、そして神仙である英霊のどれかを手繰るだけ。

 ――この聖骨は決して三蔵法師を呼ぶことは出来ない。聖杯戦争が“戦争”である以上、殺生を何より忌む、聖僧が来る筈はない。

 詩生はそれをある方法によって証明した。その方法とは魔術師でも上位の者が行う、英霊の力の極一部を再現する儀式。端的に言えば、サーヴァント召喚よりも何枚も落ちる、簡易英霊召喚である。

 詩生はまず自分がその術式を行えるか、試しにドイツに於いて知らぬ者無しと言われる弓の英雄、ウィリアム・テルと縁のある林檎を触媒として用い召喚式を行った。結果だけ言えばそれは成功。魔力で練られた矢が詩生の指先から放たれ、見事我道の鼻先に乗せた蟻のみを打ち抜くと言う奇跡を起こした。

 そして、次に三蔵と仏僧という共通項を持つ、最澄で式を行ってみた。聖杯戦争のメタファーとして実験鼠を使用した殺傷目的で。結果は失敗。何も起こらず、徒に魔力を消費するだけだった。

単に聖遺物の縁が薄い所為かと思い、またも実験。

 今度は、ジャック・ザ・リッパーのことについて書かれた古い新聞記事を触媒とし、同じく実験鼠に式を行った所、結果は成功。鼠の子宮のみがとりだされるという結果が起こった。

 此処で詩生は考える。聖杯戦争に於いては召喚されるサーヴァントに意思がある。意思がある以上、英霊は自身に縁のある触媒による召喚だとしても、その意思によって参戦を拒むことが出来るのではないかと。

 例えば、聖杯の願いを叶えるという機能を必要としない英霊、戦を極端なまでに忌避する英霊などである。

 そして、聖遺物を使っている以上、それの次に縁のある英霊が選択されるのではないか、と。

 例えば、アンドロメダの触媒を使ったとしよう。そして仮にアンドロメダが血をも嫌う、心優しく、か弱い乙女だったと仮定する。故にアンドロメダが候補から外れ、召喚されるサーヴァントはその夫であるペルセウスとなるのではないか。勿論、この仮説も実際に試したが矢張り、詩生の想像通りの結果を齎した。

 何故、詩生はこんな回りくどい実験をしたのか。

 その答えは聖杯戦争の記録を集め、サーヴァントとその精神性が相容れぬマスターが悉く無惨な結果を残したということを知った故にである。

 仕事をする上で、パートナーとの相性とは、そのパートナーの能力以上に大事だ。特に目的が大きければ大きいほど、相棒との諍いによる余計なリソースがリスクを産む原因となる。

 だが、幾ら馬が合うからといって、能力の無い人間とでは事を成し得ない。山を登る人間が細腕では、上り切る前に転げ落ちるのが必至だ。

 とすれば、調和と性能、両方が必要条件。

 ならば、簡単、複数の英霊に該当する聖遺物を使い、自分と相性の良いサーヴァントを引き当てれば良い。

 ブリテンの騎士が使った円卓の欠片……というのも考えたが、それでは不足だ。詩生にとって、今回は賭かっているモノが大きすぎる。神霊に匹敵する、大英霊が必要だ。

 聖杯戦争開始の時期――と、大切な命が風前に曝されていることとをも踏まえた上、詩生は三蔵法師の聖遺骨という選択肢を思いついた。

 

「唵《オーム》――」

 

 ずばり、それに関わる英霊で有名な存在といえば、西遊記に描かれる従者の三大妖怪。

 まず一柱――神界に於いて軍を率い、下界に身を落としてからも、その力を邪仙に認められ夫となった実りの豚、貪食の化生。天蓬元帥、浄檀使者、猪八戒。

 次に一柱――九度に掛けて僧の聖肉を食らい、その断罪を受け癒えぬことのない飢えに苦しみ続け、けれど三蔵を待ち続けた砂漠の鰐、忍びの大妖。牽連大将、金身羅漢、沙悟浄。

 最後の一柱――四千年などとも言われる中国の歴史に於いても、屈指の大英霊。ゴーダマの肉体から生まれた仙石が化した心猿。数々の神を下し、天界全土を騒がせ霊山に封じられた妖魔。三蔵第一の弟子として数々の難敵を打ち砕いた無双の武勇。幾度と罠を超え謀略を踏破した深淵な叡智。美しい金の瞳を持つ美猴王、死なずの大神仙。斉天大聖、闘戦勝仏、孫悟空。

 

「――唵《オーム》。此処に汝の肉を、そしてその神通を。外道の霊験を欲すのならば、この我欲《アスミタ》とこの狂愛《ラーガ》と末那即《アビニヴェーシャ》を聞き従い給え」

 

 ――故に、である。

 この口寄せに紡がれる言葉は、本来の冬木の聖杯戦争によって編み出された詠唱とは違う。

 この文言は、玄奘三蔵に関わりのあったであろう集合無意識の英霊を更に選別する為のもの。念には念を入れる。若しかしたら、彼と関わりのある英霊の内、三弟子ではないモノが選ばれてしまう可能性も踏まえて。不測の事態は想定済みだ。最悪でも、妖仙の類を引き当てられるように、純正の人間の英霊は除外する。

 瞬間、青白い光が、苔色に変じる。

 地が揺れる、立っているのも困難な程に。

 桶をひっくり返したような、車軸の雨が降り出し、雷が怒号を上げる。風が吹き、木々が根元から千切れ飛ぶ。

 ――魔力回路が、骨を砕く程締め付け、凄まじい激痛が詩生の体中に走る。

 凶相をより顰め、だがそれでも詠唱を続ける。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 最早、二人の瞳の中には青白い光のみが存在する。

 豪と、魔力の奔流そのものが音を立てる。

 術の完遂は近い。

 

 ――俺の勝利も近い。

 

 詩生は確信し、立っているのも苦行だというのに、頬を緩ませていた。

 

「汝三大の言霊を纏う七天。抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 最後の小節を一層強く、雷鳴の如く駆ける魔力に従って強く叫ぶ。

 ――ぞん、と爆風が吹き荒れ、光の中に一つの影が降りた。

 巻き上がる砂塵。詩生にも、彼の隣に立つ我道にもまだその全貌は見えない。

 瞬間――さぁと降りしきる雨音に紛れて、別の音が二人の耳に届いた。

しゃらん、しゃらん――。

それは鈴の音のようであった。

 眇の後であった。

 

「――問おう」

 

 雨の嘶きと、鈴さながらの音色の間を、滑らかでいて、けれど不可思議なまでに耳に残る声が通り抜ける。

 

「我、今宵この時、騎兵の器を得、この忍土に降りし者」

 

 その声色は名状しがたいものであった。

 男であり、女である、幼子であり、老人である、またそのどれにも当てはまらない、そんな声であった。

 霊妙――と、そんな表現をするしかない。

 伽藍に坐した釈迦如来像がいきなり喋り出すとしたら、或いはこんな声になるかもしれないと、詩生は考えた。

 しゃらんと、また音が鳴った。

 そしてまず、その声の持ち主が手に持っている黄金の錫杖が顕になる。

――鈴のような音は錫杖の円環が擦れたものであった。

 そして、漸く砂塵が消え、現れい出た騎兵の全貌が明らかとなった。

 

「なっ⁉」

「コ、コイツは⁉」

 

 二人は絶句した。

 現れたのは、豚でも鰐でも猿でもなかった。

 錫杖と同じ輝きを持った鉢金が付けられた白い僧帽、輝くように純白の直綴の上に、柳色の袈裟を纏ったその姿はライダーのサーヴァントが僧侶であることを伝える。

 そして、その顔を見た時、不覚にも詩生は斯く思った。

 

 ――嗚呼、美しい。この世のどんなものよりも。

 

 と。

 傾城の姫君にも、風雅な貴公子にも見える、神であっても作り出せないような、整い過ぎた燦爛と形容する他ない顔立ち。

 総てを許容する余裕と優しさに満ち乍ら、あらゆる総てを見通すかのようにその眼差しは冷たく研ぎ澄まされ。

 剃髪された額の中央には、仏の白毫にも似た赤黒い黒子が有り、彼の生まれ持つ徳の高さを暗に示す。

 何故、彼が呼ばれてしまったのか、召喚者である詩生にはまるで分からない。けれど其処にいる者こそ、聖遺骨の持ち主。仏教発展に大きな貢献をした人物の一人――

 

「名を陳玄奘」

 

 ライダーは謙遜してか、そう短く告げる。併し乍ら、その真名が玄奘御弟大闡三蔵であることは紛れもない事実であろう。

 そして、彼は自分との繋がりを感じる黒衣の男に目を向け、訊ねる。

 

「卿が拙僧を呼んだ。それに相違はないな?」

 

 併し、沈黙が流れた。

 

「えっと、あの、旦那? これって失敗なんですよ、ね?」

 

 我道は目の前の現実を見て、けれどはっきり失敗と言い切れずに隣の詩生に答えを委ねる。

 併し、返答はなかった。違う、詩生も窮していたのだ。

 彼の目に映るライダーのサーヴァントは背が低く、そして痩せていて、如何にも脆弱なのが見て取れる。それを反映してか、マスターである詩生の目に映る彼のステータスは筋力耐久敏捷の三つが軒並み最低値である。

 何より期待していた三弟子でない以上落胆して然るべきなのだが、それにはまだ早いようにも思われる。

 これは、魔力の高さと規格外という値が出ている幸運と宝具の所為もある。

 だが、それ以上に、後光が違った。

纏っている気とでも言おうか、堂々たる風格をしていた。

 佳麗な容姿と相まって、白い肌が光り輝き、また巨大な天体と対峙しているような圧迫感を覚える。

 測りかねる。ライダー、玄奘御弟大闡三蔵という存在を。

 

「……如何した? 是か否か、はっきり仰せよ」

 

 呆けたような詩生にライダーは訊ねた。

 悠然とした柔らかな声と、古拙の笑みで。

 その言葉で漸く我に返り、言葉を返そうとするが――

 

「誰だ!?」

 

 其処に我道の声と何者かの殺気が割り込んだことで、断絶される。

 我道は懐から武器である刃の仕込まれたトランプを構え、木陰の向こう側を睨む。右手に五枚、扇のように広げいつでも投げられるような体勢で。サングラスのレンズ越しだというのに、はっきりと分かる鬼の形相で。

 詩生は一気に振り返った。気配の出所を、我道の視線の先を、鬱蒼とした木陰の向こうを。

 

「……おやおや、気が付かれてしまわれましたか」

 

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。

 柔く滑った土を踏み鳴らす音が響く。

それと共に、くつくつと笑いを上げ乍ら、一人の男が大狗を伴って現れた。

 死の道化師と、そんな形容を与えられるかもしれない男の風貌を見て、

 

「げぇ!」

 

 と、我道は顔を蒼白にして、悲鳴を上げる。

 

「やべぇよ、やべぇよ……。なんでテメェっちがココに来るんだよォ……」

 

 詩生は目を細め、奇異な見目のその男を測る。

 

「……その面容。伴った幻想種の狗。貴様、浄玻璃三十二衆、“餓鬼道”の梅安だな?」

 

 如何にもと、梅安は答えた。

 

「此れは……聊か拙いかもしれんな、我道」

「拙いなんてもんじゃねぇっす!」

 

 涼しい顔をしている詩生に対して、我道は声を荒げた。

 

「“餓鬼道”梅安っつたら、手練れ揃いの僧侶軍団の中でも屈指の実力者! アンタも知ってるだろうがよ、“日南村事件”をよぉ!」

 

 自身の主に向けられるその声の震えは筆舌に尽くし難かった。

 そもそも時田梅安とはいかなる者かを知っているから。

 日南という山奥にひっそりと存在する小さな集落があった。徳の高い老僧が隠居暮らしを送っているということ意外に、別段取り立てて良い上げる事も無い、穏やかな日々が流れるだけのごく普通の村だ。

 ごく普通でなくなったのは1983年の、油蝉がよく鳴く、茹だる様な夏の日の事だった。其処に住むとある魔術師が死徒化実験に失敗し、結果その村は食死鬼が跋扈する死都となり果てた。

 当然、聖堂教会はその鎮圧の為に多くの代行者を投入した。併し結果はその全員が全員、死亡ないしは再起不能の重傷を負うという散々たる結果であった。

 それほど強い死徒がいたのか? そう問われた生き残りの代行者たちは口を揃えて否と答え――

 

『ワケの分からない刀を持った、ワケの分からない僧が、ワケの分からないことを言いながら、死徒を攻撃しようとした我々に攻撃を仕掛けてきた』

 

 もっと恐ろしい事実を話したのだ。

 曰く、それは一人でに肉を食らう生きた刀だったと。

 曰く、まるでロックスターのようなイカれた格好をしていたと。

 曰く、魑魅になり果てようとも高徳を積んだ入道を殺す道理が何処にあると。

 最終的に当時の埋葬機関員、その序列の六番目アインスを投入したことで死都は治まった。併し、奇怪僧と対城クラスの戦力を持つ代行者との戦闘の余波で村は山ごと崩壊、その埋葬機関員は大きすぎる手傷を負いそれが原因で後に同じく機関員で五位の“メレム・ソロモン”に殺害されてしまう。

 その僧が誰か? 目の前の時田梅安であるからこそ、我道は慄き震えているのだ。

 

「如何してアンタが此処にいる⁉」

「無論、聖骨泥棒の真犯人が貴方達であると気が付いたからですよ」

 

 語るまでも無いが梅安はその理由について話始めた。

 

「まず疑問に思ったのが一つ。玄奘三蔵という英霊のセレクト。確かに玄奘三蔵は僧としてその徳行は素晴らしいものでありますが、戦場に出す存在としては聊か力不足というもの。では、狙いは別にある。そもそも玄奘三蔵に纏わる聖遺物を使用したとしても本人が呼ばれる可能性は低いのではないかと思い、ならば真の目的は三弟子なのではないかと考えて疑問がもう一つ」

 

 大袈裟な手振りの後に、梅安は指を突き立て相対する不届き者に見せつける。

 

「――余りに回りくどくないか? ということです。ユグドミレニア程の財力とコネクションを持つのであれば孫悟空に纏わる聖遺物など簡単に入手できた筈。なのに如何して態々玄奘三蔵の聖遺物を介する必要があるのでしょうか? サーヴァントの相性? 如何して純粋な魔術師がそれを気にする必要があるというのでしょうか? そう考えた時、自ずから貴方がたの存在が導き出せました」

 

 やり口の悪辣さ、ユグドミレニアに目を向けさせるという発想、そしてあれだけの爆発で一人も犠牲者を出さなかった腕前と総てを加味して導き出した結論。

 

「で、でも。なんでココが分かったんだよ!? 仮にオレ等が犯人だと分かったとしても何処にいるかまでは……」

 

 そう言い掛けて、ハッと息を呑む。

 目線の先には梅安の使い魔たる山狗。

 

「あの時は顔を変えていたので気が付かなかったでしょうね。以前、貴方に仕事を依頼したことがあるのですよ」

 

 蒼白な顔をさらに蒼褪めさせ、ふわりと我道の足が縺れる。

 なんとか踏みとどまると、頭痛を覚え、頭を抱えた。

 

「……わりぃ旦那。こうなっちまったのは、オレの所為みてぇだ」

 

 梅安は、山狗の鼻を頼りに此処まで来たのだ。以前あったの事のある、然も実行犯である可能性が高い我道の臭いを辿って。

 

「気にするな、貴様の落ち度ではない」

 

 声色も変わらず、表情も崩れず、詩生は淡々と告げた。

 そのやり取りを見て、後ろのライダーは、ほうと、短く声を上げた。

 そして、詩生は陣に置いた聖遺骨を拾い、

 

「貴様の目的はこれだろう?」

 

 それを見せる。

 

「是を渡せば、大人しく帰るというワケにはいかないか?」

 

 返答には、沈黙。

 

「……寺院を爆破し、堅気の僧を危険に晒すというその事実だけで、貴方達が死ぬ理由に足るのです。それに最早、私に――いや、総ての仏教徒にとってその骨は如何でも良い」

 

 胡乱気に、詩生は片方の眉毛を吊り上げる。

 

「何故ならば、その骨は玄奘三蔵のものではないのですから」

 

 ただ冷然と、梅安は告げた。

 そして悠然と佇むライダーに反り返る程張りつめて、人差し指を真っ直ぐ向ける。

 

「此処にいるのは三蔵その人ではないのですからね!」

 

 ライダーは嘆息を吐いた。

 

「何を仰す? 拙僧は陳玄奘だ」

「否、違う! 断じて!」

 

 間髪も入れはしなかった。

 

「玄奘三蔵法師とは、いと高き聖僧! ならばこそ、その信仰とは我等凡な存在とは隔絶していなければならない! 真なる僧とは決して殺生をしない! それがいかに霊であろうとも! 仮令、奇跡を前にしようと! その祈りこそが奇跡であるから!」

 

 叫び声を上げた。

 慄き、近くの木々にいた烏が飛んだ。燃え盛る竈の中のような泣き声を上げて、怒り狂う雨の中でもはっきりとその羽音だけが耳に残る。

 

 そして、梅安は断言する。

 

「貴方は、三蔵法師などではない! それを語る不届きなる紛い物だ! 故に私は貴方を……」

 

 心の向くままの叫びは、けれど断絶した。

 りんという優雅な音の後に、骨が砕ける鈍い音がした。

 背負っていたギターケースが宙を舞う。

 飛散する血液、泥飛沫を立て乍ら地面に打ち付けられる梅安。

 

「嗚呼――すまない、つい手が出てしまった。許されよ」

 

 やったのは、ライダーであった。

 刹那の合間、ライダーは一気に梅安に詰め寄り、手にした錫杖で、米神を思い切り殴りつけたのだ。

 茫然自失。いつの間にか、泥水を舐めていた梅安は頭が白くなった。

 

「はぁぁぁああ⁉」

 

 聖人の、仏僧のイメージからはほど遠い物騒な行動に我道は驚愕の声を上げる。

 詩生も、目を見開いていた。

 

「だが、貴兄、拙僧に幻想を塗りつけたことは、赦されない。此処にいる、この拙僧を、否定することもだ」

 

 ライダーは涼やかな表情で、梅安を見下ろす。

 一方で主が傷つけられたことにより、山狗の楓が牙を剥きだし、唸り声を上げていた。此の儘、今にも襲い掛かりそうなけたたましさを見せていた楓であったが、

 

「キョン!」

 

 と短く鳴き声を上げて、突然銃で撃たれたかのように倒れた。

 

「なっ⁉」

 

 詩生は我が目を疑った。

 倒れた狗が口から泡を吹き、体から血の汗を流し、目は白目を向いていたからだ。

 魔術など、異能の力によるものではない。魔力の流れを詩生は感じていない。

 

 ――今、玄奘三蔵は一体何をした?

 

 だが、その疑問に答える者はいない。

 

「拙僧は――取るに足らない存在なのだ。祈祷だけで救済など在り得はしない。とどのつまり卿がそこまで躍起になるような、仏道から堕してまで戦うべき者では在りはしないのだ――行者や、八戒や、和尚にとって、そうはなれなかったように」

 

 どこまでも寂しく、悲し気に、ライダーは告げた。

 その言葉を愕然としたまま聞いていた梅安は我へと返る。

そして、徐々に、徐々に、その形相を怒りへと染めて、

 

「黙れぇ!」

 

 一気に立ち上がり、ライダーの鼻柱目掛けて拳をねじ込んだ。

 血を滴らせながら、その威力で後方に飛び、ライダーは木へと叩き付けられた。

 

「ああ……!」

 

 我道はその光景に目を覆った。

 矢張り、自分の思った通り。ライダーのサーヴァント、玄奘三蔵は弱い。たかが人の白打も躱せない英霊、戦場で、神話で、様々な武勇を打ち立てた存在に拮抗し得るわけがない。

 外れだ。聖杯戦争、敗北は決した。

 否、そもそも、この戦を戦い抜けるか如何か――。

 

「確信した! 矢張り貴方は、三蔵で在りはしない! 実在の三蔵は、穢らわしい妖などを伴ったりはしていない! 不届き者め! 聖人を語るな、芥塵風情がァァア‼」

 

 その咆哮に呼応するかのごとく、地面に転がっていたギターケースが蠢いた。

 音を立てる、ばきり、ばきりと砕けるような、内側から貪り食われるような。

 そしてそこから光の筋が走り、梅安の手元に収まった。

 

「なっ⁉ おい、旦那ァ! あれ、アレ!」

 

 その手に握られた物を、我道は仕切りに指差した。

 

「あれは――」

 

 詩生が培った鑑定眼が梅安の手に握られた、彼の得物を見極めた。

 それは刀のような形をしていた。だが、そう名状するのが正しいのか、甚だ疑問が残る代物であった。

 何しろその刃には涎を垂れ流す、無数の口が存在し、柄や鍔には無数の血管めいたものが浮き出ていたからだ。

 その口は、冷雨の中に白い息を吐き続け、張り巡らされた血管は蠕動し、また、刃そのものが波打つように揺らめいていた。

 武器でありながら、“それ”は生き物であった。

 

「明治に起きた天変地異により、消失したとされた魔剣。世界に幾つか存在する“担い手無き幻想《ストレイ・ファンタズム》”の一つ」

 

 その伝承は北海道の先住民族、アイヌの伝承に登場する刀。

 血肉を求め、一人でに彷徨う意思を持った宝具。

 

「現存した神秘の一つ――」

「“貪る骨肉《エペタム》”‼」

 

 果たして、詩生の一人口と、梅安の真名解放は重なった。

 梅安が刀を振るったその瞬間、

 

「ぴぎゃぁぁあああ‼」

 

 “貪る骨肉”が悲鳴を上げ乍ら、刃から雷光を放った。

 凄まじい光がライダーを、杜を、辺り一帯総てを呑み込んでいく。

 爆風が巻き上げた砂塵に堪らず我道は、腕で目を覆う。

 

「ッ⁉ アンのヤロウ! 伝承保菌者だったのか!?」

「否、違う。アレの伝承と成り立ちを考えるに、あの怪僧、伝承感染者だ」

「なこた、如何だって良いんす! それより、サーヴァントは……」

 

 如何に弱小とあっても、サーヴァントはサーヴァント。

 それなくしては、聖杯を手にする可能性すら潰える。

 

 ――あれが無かったら、姐御が……。旦那の大切な想いが……!

 

 我道は焦燥して、白の向こう側を見つめた。

 屹度、サーヴァントは跡形も無く消えている。

 見たくない。そう思いながらも、だが一抹の希望を持って祈る。

 

「我道絶望するには疾い。黙して、希望しろ」

 

 其の声に我道は、詩生の顔を見つめた。

 分かるのだ。詩生には。サーヴァントと、経路《パス》を持つ、マスターである詩生には。

 

「卿は」

 

 ハッとし、我道は再び砂塵の奥を見つめた。

あの神秘其の物の声は確かに、我道の耳に届いた。

 埃が晴れる。幻聴ではない。

 玄奘御弟大闡三蔵は確かに其処にいた。

 だが、一つ不可思議なことが。

 ライダーは、砂で出来た壁のようなもので守られていたのだ。

 何かの魔術か、或いは宝具か。併し、玄奘三蔵は魔術師ではないし、砂を操る逸話も持ちはしない。

 

 ――この坊さん、何をしたんだ?

 

 だが、それに答える者はいない。

 

「私の弟子を愚弄したな。私の真実を嘲たな」

 

 静かに、玲瓏に、三蔵は怒りを告げるばかり。

 それを唖然と、梅安は見つめるばかり。

 黙して、詩生は佇むばかり。

 

「――私達の救済の旅を、堰くつもりだな?」

 

 豪と、空気が灼けた。

 漠と、ただ佇むだけの三蔵から放たれる、身が裂けそうな程の後光。

 立っているのもやっとの威圧感。

 ――言ってしまえば、超越の器《カリスマ》。

 玄奘三蔵には、それがあった。

 相対する梅安も、横合いで見つめるだけの我道も、彼を呼んだ詩生でさえも、一歩たりとも動けない。

 

 ――弱い癖に……。なんつー覇気してやがる……。

 

 我道は心の中で、一驚した。

 玄奘三蔵の気迫に呼応するかのように――次元が揺らめいている。荒れた空が更に猛り狂う。地が鳴り、割れ裂ける。

 

『許せないですのー』

 

 何処からともなく、少女のような声がして、我道は辺りを見渡した。

 併し、声の主は何処にもいない。

 

「嗚呼、赦せんよな? あの男はお前の兄弟を嘲笑った。私に貴き殻を被せ、この情けの無い私が在ることを否定した。……私が、お前が、そして彼等が、何より望んだ救済の旅に立ち塞がった」

『思い知らせるですのー』

「……嗚呼、思い知らせよう。我等が聖杯戦争《此処》にいる意味を。我等が仏の道を捨て今此処にいる、その大義を!」

 

 高らかに宣言し、三蔵は右腕を振り上げた。

 突然の超越自然現象《スーパーナチュラル》、謎の天声。

 我道は悟る。此れは宝具だ。

 騎の英霊が持つ、騎たらしめん宝具。それは戦車であったり、船であったり、凶暴な野獣であったり、千差万別。だが、我道はこれから放たれようとするそれがそんな程度のものでないことを本能で理解する。

 弩級だ。一帯焼野原と化す、弩級の一撃が来る。

 

「我が親愛なる龍よ! その咆哮で燃やしつくせ!」

 

 もう片手で合唱を作り、

「南無――」

 

 散り逝く者に祈りを捧ぐ。

 そして、腕を振り下ろし、彼の持つ奇跡のその名を告げる。

 

「第八天部《マハー》……」

 

 だが、解放されんとしたその瞬間――

 

「猊下、矛をお納め下さい」

 

 彼の前に背中を向けて詩生が躍り出た。

 もっと言えば、梅安との間を隔たる形で。

 

「下がりたまえ。卿も巻き込まれてしまう」

「僭越ながら、その申しつけ、拝聞出来ませぬ」

 

 詩生はそう告げると、右腕の袖をまくり上げ、前膊を見せつける。

 

「尤も、それを解さぬと仰るのであれば、是を以て、承諾して戴くまで……ですが」

 

 それは三つの螺旋が重なる様な意匠の刺青。

 ――令呪であった。

 

「……成程、矢張り私を呼んだのは卿であったか。だが、解せぬ。そこまでして、何故我が宝具の解放を止めようとする?」

「まだ、聖杯戦争は始まってすらいない。だのに、対城、対国規模の宝具など使ってしまえば、他の目を引き過ぎてしまう。故に」

「愚昧。我等、六騎悉く、容易く屠り申すが?」

 

 誇張も、傲りも無い。

 そこに在るのは、強い自負と、自分の宝具に対する絶対的な信頼のみだった。

 其処に、一体何を感じたのか。

 詩生はクスリと短く笑声を零す。

 

「成程、確かにそうでしょう。ですが、矢張り此処は引き下がって戴きたい」

 

 何をと言い掛ける三蔵を尻目に詩生は眼鏡を外し、懐から黒革の指先が切り落とされた手袋を取り出して、両手に嵌める。

 

「でなければ、猊下に、この私の腕を見せる機会を失ってしまう」

 

 その言葉に、梅安はぴくりと顔面の肉を震わせ、

 

「旦那ァ、馬鹿なこと止して下さい!」

 

 我道は詩生を言い咎める。

 それもその筈だ。先ほどは凌がれたが、宝具の真名解放とは凄まじい威力がある。それこそ、幾度か振るい続ければ小さな山程度のならば崩れてしまいかねない。

 詩生が持つ手札の中には、それに比する威力は存在しない。

 圧倒的に分が悪い戦いだ。

 だが、詩生は我道を、蒼に輝く瞳で一瞥し、そして空気が澄むようなはっきりとした声で道破する。

 

「私が事を仕損じたことがあったか」

 

 と。

 

「旦那……」

「そうそぞろにしているなよ、我道。山は今、此処だけなんだ」

 

 へと、間抜けにも聞こえる声を我道が上げると詩生は、前傾し、弓を引くような独特な構えを取りながら告げる。

 

「此処さえ、超えてしまえば……」

 

 後ろに引いた拳を強く握りしめ、

 

「この戦争、我々の勝利だ」

 

 聖杯戦争の終了を――。

 




 ライダーを玄奘御弟大闡三蔵にしてしまったが為に、候補から焙れてしまったサーヴァントを紹介します。


【CLASS】ライダー
【マスター】星居実葉
【真名】チンギス・ハン
【性別】女
【身長・体重】177cm・77kg
【属性】混沌・悪
【ステータス】筋力B+ 耐久C 敏捷C 魔力D 幸運A 宝具EX
【クラス別スキル】対魔力C 騎乗A+
【固有スキル】カリスマA:人の上に立つ才能。人間として持ち得る最高域である。
無辜の怪物A++:英雄の実像を歪めるスキル。蒼き狼と呼ばれ、蹂躙の限りを尽くしたが故に実像を歪められ、半ば人狼と化している。詰り、狼耳と尻尾の持ち主である。併し、本人の預かり知らぬ所で、本当に幻想種の狼の血を引いたライカンスロープである。
軍略B:軍を指揮する才覚を表す。対軍宝具の攻略に有利な補正を得る。
怪力C:一時的な筋力の狂化。このスキルが高い程、本質的に魔獣ということになる。
【宝具】『焼野原を翔けよ、蒼銀煌めく天狗星《ドルベンノガス・セイリオス》』ランク:A+ 種別:対軍 嘗て彼女に仕え四狗と呼ばれた、モンゴル帝国が誇る優秀な四人の将。彼等は彼女の風評の為に無辜の怪物と化し、混成を起こした末、四つの首を持つ巨大な狼の魑魅として現界する。自由自在に天を翔け、その暴威は神獣にすら匹敵し、その咢は、あらゆる盾を、鎧を、剣を、槍を、城であろうと噛み砕く。
『緑海原を廻れ、薫風纏う花王鹿《ドルベンクルウド・アクタイオン》』ランク:A+ 種別:対軍 嘗て彼女に仕え四駿と呼ばれた、モンゴル帝国が誇る優秀な四人の将。彼女の威光に導かれ、限界の末、無辜の怪物の影響により合成、四つの首を持つ鹿の妖魔として顕現する。風よりも速く大地を駆け抜け、踏みした大地を華に変え乍ら、その蹄は立ち塞がる敵の血で、美しい華を育てる。
『蒼狼咆哮・狂乱帝国《ボルテチノ・ザナドゥ》』ランク:EX 種別:対軍
 其処は、中国であり、インドであり、ロシアであり、アラブであり、またヨーロッパでもあった。様々な国の側面を持つ、燃え盛る街並み。子供の泣き声が絶えず響き、女の嬌声に埋め尽くされ、益荒男達の下卑た笑い声は留まることを知らない。此処は、彼女が何より望んだ理想の世界。蹂躙の果て、支配の末に何もかもが許された場所。固有結界――。そこに在る声は、呑み込んだ総ての英霊の精神を犯し、其処には彼女を慕う5000人の部下が集う。彼女の影響により、召喚される疑似サーヴァントその全員が獣化、Cランク相当の狂化を付与され、本能のままに暴れまわる。
 因みに、ザナドゥとは彼女の後のモンゴル帝国の首魁、フビライ・ハンの頃のモンゴル帝国の呼び名。その意味は“理想郷”である。
【Weapon】『狼牙棒のようなもの』:彼女がいつも肩に担いでいる鈍器。総てが金属で出来た、釘バットのように見える。
『合成弓』:遊牧民御用達の弓。彼女の腕前は、風を裂きながら走る馬上の上で置いても、数里先まで正確に射貫く。
【解説】自身曰く、蒼狼星帝《カイザー・オブ・セイリオス》。世界征服に最も近づいたモンゴル帝国、その始まり。遊牧民であり、彼女の精神性を反映するようにあちらこちら擦り切れていながらも、某乙嫁めいている。アレは十九世紀? モンゴル帝国のずっと後? 気にするな! 一人称はオレ。ジャイアニズムの塊であり、奪ったモノは絶対に返さない主義。聖杯にかける願いは、“オレの世界返せ”。好き放題奪い、殺し、犯し、仲間と共に盛大に酒をかっこむのが何より好きな方。史実では男性で在り、勿論女と結婚した。曰く、『女も好きだし別に良いか』。現世では何かの影響か『カモシカに乗ってる系の、弓上手い系イケメン彼氏が欲しい』と駄々を捏ねる。実葉はこれと組ませる予定であったが、ハーメルンにもっと屑カッコいいチンギス・ハンがいた為没に。
 と、思い至り作成されたスペアプランも既にハーメルンに存在していたという悲劇は後に話したい。
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