Fate all of the world   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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 彼の事は、漆《くろ》ザコと呼んで上げて下さい。


淫蕩或いは深愛(1/3)

 時計塔。魔術などという実在する神秘とは無縁の生活を送る人々の認識に因れば、『英国国会議事堂に存在する、ビックベンと呼ばれる巨大な鐘が有名な観光名所』といったところであろう。

 併し、魔道に生きる者の認識は、また違ってくる。

 それは、ロンドン郊外に居を置く魔術協会の一つであり、また若き魔術師達の為の学び舎。

 今迄数多く優秀な魔術師達を輩出してきた、重い伝統と高い格式を持つ場所である。

 そう、その筈なのだが……。

「イヤッホーイ‼ 流石、絶対領域マジシャン先生‼ 神ィィィ‼ 最高ッ‼」

 その風聞には似つかわしくない奇声が荘厳な構内に響いていた。

 金髪を靡かせ乍ら、元気という概念を擬人化させたような、それでいて育ちの良さを窺わせる小奇麗な服装をした少年が重い伝統を軽々銀河の彼方へ、高い格式を遥か高くに飛翔しながら、凄まじい勢いで疾駆する。

 頭上に高々と、小包を掲げながら。

 この少年――年齢で言えば十九歳になるので実際の所青年の名は、フラット・エスカルドス。高い魔術の技量を持ちながら、魔術師としての価値観、誇り、気性を一切持ち合わせない時計塔きっての問題児である。

 兎にも角にも、フラットは浮かれに浮かれ、色究竟天を超え、前後不覚に陥っていた。

 故に、階段を飛び降りた先に人がいることに気が付けなかった。

「うわっ!?」

 短い悲鳴が聞こえ、フラットはやっと我に返る。

 が、時既に遅し。フラットと、階下にいた人物は激突し、倒れ伏せる。

 フラットは身を起こし、打った頭を押さええ乍ら、

「あいたたた……。やっちゃったぁ……」

 自分の犯した所業について一応の非を認識した後、被害者の安全を確認する。

「ってぇな、クソ」

 フラットと同じく頭を押さえているのは細身のダークスーツと、ファーがあしらわれた光沢のある灰色のロングコートに身を包んだ、あまりに派手な、背の高い男だった。後ろに撫でつけられた波打つ長髪は白く、きめ細やかな肌はまた白く、そして肩が触れ合っただけの相手をも殺してしまいそうな面魂に輝く双眸は血を思わせる赤。床にスモークブラックのレンズのサングラスが転がっていること、ロングコートがフード付きのものであることが、彼が日に弱い体質であることを物語っている。

 ――昔会った死徒より、ヴァンパイアっぽい人だな。

 フラットはそんな無礼な感想を抱いていると、

「おいコラ、フラット・エスカルドス。何か、俺に言う事があるんじゃねぇのかぁ?」

 いつの間にか、サングラスを掛け立ち上がっていたアルビノの男がフラットを見下ろし、背筋がぞっと凍り付くような恐ろしい声色と、今にも青年を殺害しそうな表情で問い詰める。

 それを見てフラットはハッとして立ち上がり、

「すんませんッしたァッ‼」

 腰を九十度に曲げて、気合と共に詫びを入れる。

 毎度のこと問題を起こし、師であるロード・エルメロイⅡ世始め多くの人々に大目玉を食らい続けたフラットにとって謝罪は最早十八番であった。

 そして、誠心誠意謝罪をしたからといってそれだけで許されないことをフラットは経験則で知っている。だからフラットは、長々としたねちっこい説教が次の瞬間に飛んでくることを覚悟した。

「……おう。そっちも怪我ァ、無ェかよ」

 併し、フラットの覚悟は意外にも無駄になる。

「あれ?」

 拍子抜けして、フラットは顔を少しばかり上げる。

 ヴァンパイアのような男は、仏頂面乍ら、決して怒り心頭という訳ではなかった。

「答えろよ。この俺が怪我はねぇかと聞いてんだ」

「えっと、大丈夫です」

「そうかよ、そりゃ何よりだ」

 男は顔の筋肉を気恥ずかしそうに緩め乍ら髪を掻いた。

 フラットは目を丸くした。

 目の前の男は、加害者である筈の自分の身を本気で案じていたのだ。

 ――凄い……! 体に良いと思って、お湯の代わりにレッドブルを入れたカップ麺を出したら、何故か急に怒り出したグレートビックベン☆ロンドンスターとは違うっ! この人は本物の紳士だ……!

 フラットは目を輝かせ、男ににじり寄った。

「顔が近ぇよ、ボケ」

「あっ、すいません」

 そう指摘されてフラットはそそくさと遠ざかる。

 そして、ふとある疑問が浮かんだ。

「あれ? というか、貴方はどちら様でしょうか? 如何して俺の名前を知っているんですか?」

 文字通り、フラットは首を傾げた。

「……時計塔にあって俺を知らねぇとはな。噂に違わぬ瘋癲っぷりじゃねぇか」

 男は額に手を当てながら、楽しそうに頭《かぶり》を振った。

「フラット・エスカルドス。時計塔きっての問題児の名を、この俺が知らねぇ筈ぁねぇよ。なんたって、お前について、学部長会議に呼び出されたことも一度や二度じゃなかったからな」

「学部長会議……ってことは、貴方は“君主《ロード》”なんですか?」

「そ、正解。ナイトハルト・フォン・フッテン・ツォ・ユミナ。漆《くろ》のロード・ユミナとは俺のことだ」

「そ、そうなんですかぁ――」

 目の前の死徒染みた男の意外な正体にフラットの声は上擦った。

 漆《くろ》とは黒のこと。魔術師に送られる階位の内、実質的な最高位である色位《プライド》の色名の一つだ。

 そしてロード――君主《ロード》とは……。時計塔における“降霊”や“呪詛”などの十二の学部、それぞれの自治区画の支配者のことである。

 フラットの師であるロード・エルメロイⅡ世も“現代魔術”の学部長と、ナイトハルトとは同じ地位にあるのだ。

 君主《ロード》の治める学部はロード・エルメロイⅡ世という例外がいるが、名前によって表される。

「ユミナってことは、植物科の君主《ロード》ですね」

 植物学とは、神代と呼ばれる、人に歴史が移る前に生育していた植物及び伝説や逸話によって神秘を帯びた植物の研究や、絶滅した幻想種としての性質を持つ植物の復活の試み、また品種改良などによって起源を目指そうとする分野の魔術である。また、花や木々そのものを魔術の礼装として使用するものもこの分野に含まれる。

 ――そうかそうか。ユミナの人か。いっつもフード被って会議出てたし、無言だったからどうりで知らないわけだ。

 普段から気になる会議の度、誰にもばれないように、盗聴及び監視をしていたのに、如何してナイトハルトの貌と声に覚えが無かったのか。

 目の前のマフィアか殺人鬼かといった容貌をしたナイトハルトの顔をまじまじと見ながらフラットはそう思った。

 そして見ている内にこんな考えが生まれる。

「なんかフッテン先生は見た目、植物学っぽくないですね! どっちかっていうと、黒魔術《ウィッチクラフト》って感じだと思います!」

「手前……中々人の心を抉るのが上手いじゃねぇの。俺がエンゼルトランペットに水でも遣ってたら可笑しいってか?」

 一点の曇りも無い満面の笑みから、容赦のない刃が繰り出され、ナイトハルトは凶相を更に凶暴に歪めた。

 余談ではあるが、黒魔術は特に“一歩の所を踏み越えない理性を伴いつつも残虐であること”を要求される分野であり、対して植物学は“自らの身さえも削る愛情”を草花に掛けることを重要視されている。またその特性に関しても、あらゆる系統の中でも戦闘向きな黒魔術に対し、元々研究としての側面が強い魔術に於いても錬金術と並んで植物学はその色が強い分野である。

 尤も、魔術師としての精神性を一切持ち合わせないフラットはこれを意識して言ったわけではないのだが。

 総てはフラットの第六感めいた洞察による。

「いやぁ、それほどでも」

「いつ褒めた? 一ユカワ程でも、この俺がいつ褒めた?」

 照れくさそうに頭を掻くフラットを、ナイトハルトは右側の眉を持ち上げて睨み付ける。

「あぁッ!」

 と、フラットが唐突に声を上げる。

「ッ――! ……いきなりデカい声出すなよな。心臓に悪ィだろうが」

 耳の穴に指で栓をしながら、ナイトハルトは呆れたような声色でフラットを窘めた。

 併し、それを無視してフラットは所在なさげに辺りをきょろきょろと見渡す。

 ナイトハルトは面倒臭そうに舌を打つと、

「如何した? ついさっき書いたラブレターでも落としたかよ?」

 と床の何もないところをぺたぺたと触れるフラットに訊ねる。

 本当に恋文だったならば、如何しようか。自分の所為で失くしてしまったのなら、非常に悪いことをしてしまったと思い乍ら。

「いえ、教授から貰った聖遺物を落としてしまって」

「聖遺物だぁ? そりゃ、キリスト教的な意味でのか? それとも、英霊のか?」

「英霊のです」

「それもそうだ。もしこの時計塔に本物のロンギヌスの槍でもあった日にゃ、そりゃもう大事件だわ」

 恐らく、聖堂騎士や代行者、或いは埋葬機関まで時計塔に殺到する全面戦争になりかねない。

「つーかよ、そっちの聖遺物たって、色々あるだろうが」

「ナイフなんですけど、小さな箱に入れたまんま持ち歩いていて……」

「……絵だの旗の切れ端だのなら、まぁ、分からんでもないが、普通箱が無くなるかよ」

 そう言いつつも、ナイトハルトは単一工程の魔術で探索を掛け乍ら、辺りを見渡した。

 そして、暫くして――

「おい、エスカルドス」

「何ですか?」

「あれじゃあねぇのか?」

 と、ナイトハルトは自分の真上を指差した。

 フラットはナイトハルトが有り得ない方向を指差していることに、首を傾げ乍ら、その場所を見上げる。

「あ」

 図らずも、フラットは声を上げた。

 天井部分に施された複雑怪奇にして荘厳な装飾。其処に作られた空間に、フラットが探していた箱が嵌っていたのだ。

 如何やら、二人がぶつかった時に、フラットの手から離れた箱が飛び上り、その勢いで箱のサイズに近い天井の装飾に出来た溝に嵌ったらしい。

「……あぁあ、凄いね、こりゃ。奇跡だわ、奇跡。第六魔法って実はこれなんじゃね?」

 余りに有り得ない出来事をナイトハルトは魔法――詰り、人間の現在の技術では不可能なことと称した。

 勿論、冗談であるが。

 併し、もう一度、意図的に再現してみろと言われれば、その成功率は極めて低いであろう。

「まぁ、見つかって良かったじゃねぇか。今、取ってやっからちょっと待ってろ」

 ナイトハルトは天井に右手を翳した。が、

「あ、それには及ばないです」

 フラットはナイトハルトが魔術を行使しようとするのを、大気に流れる魔力から感じ取り、止めさせた。

 胡乱に思いながらも、ナイトハルトは魔術の使用を止める。

 すると、溝に嵌っていた箱が外れ、羽毛のようにふわりと舞いながら、フラットの手元に美しく降り立った。

「ね?」

 フラットは悪戯っぽい笑みをナイトハルトに投げた。

 滮《ひゅう》――。

 ナイトハルトは口笛を吹き、フラット・エスカルドスの噂に違わぬ腕前に舌を巻いた。

 息を吐くような容易さだが、天井の装飾部分の熱を奪い体積を小さくする、箱に掛る重力を弱める、精密に気流を操作すると、三つの魔術を同時に行使している。

 これを並みの魔術師が行えば、十数から数十分は掛る、ないしは分野ではない魔術を行使出来ない為にそもそも同じことが出来ないであろう。

 君主《ロード》の一人であるナイトハルトでさえ、同じことをやろうと思えば一分ほど時間をかけることになる。

 フラットと同じことが出来る魔術師を時計塔で探そうとすることなど、砂漠の中でたった一つの砂粒を探すに等しいだろう。

「……こ………………奴を如…………て」

「何か言いました?」

「いや、別に何も」

 フラットはナイトハルトが何かを呟いた気がして訊ねたが、当の本人は何もないと言うだけだった。

「それよか、手前、聖遺物ってこたぁ、聖杯戦争に出る気か?」

 フラットははぐらかされたような気がしたが素直に質問に答える。

「はい、勿論!」

 力強く、握り拳まで見せつけて。

「何処で聞いた? 君主《ロード》と一部の連中にしか知らされてねぇ筈の情報だぞ。餓鬼に、それも問題児の手前に話さすような間抜けがいるとも思えねぇんだが」

 ナイトハルトの言葉は、“咎める”といった風な声色ではなかった。

 あったのは単純な疑問。また興味。

 併し、それを知らずフラットは申し訳なさそうに目を逸らした。

 ――今日はそればっかり聞かれるなぁ。

 先ほど、自分の師に同じようなことを聞かれたこと、説教を食らったことがリフレーンする。

「すいません……。会議室の結界にハッキングを……」

「……要は盗聴したのな」

「本当に御免なさい」

 首を垂れ此方が居た堪れなく程の反省ぶりに、ナイトハルトは戸惑いつつ、フラットの技量に舌を巻いた。

 君主《ロード》やその他の幹部が出席する会議には、情報漏洩防止の為に厳重な結界が貼ってあるのが常だ。

 特に、件の聖杯戦争について臨時の会議が行われた時の結界は、君主《ロード》や手練れの魔術師数人がかりで作った要塞と言っても差し支えないものが敷かれていた。

 フラットはそれに対し、その場にいた誰にも気付かれず個人の魔術で干渉してきたのだ。

 否、ナイトハルト初め、会議に出席した内の数人は漠然とした違和感を覚えたかもしれない。

 だが、それが堰の山だ。結界を介して盗聴が行われていると思うことにすら至れなかった。

 嘆息。自分の情けなさに。そして、神秘に愛されているとしか言えない才能に。

「顔ォ、上げろや」

 ナイトハルトは、右手の中指で頭を下げるフラットの凸をぴんと弾き、無理矢理頭を上げさせる。

「痛ッ!」

 痛みにフラットは両手で凸を覆った。

「いきなり何するんですか!?」

「怒ってもねぇことで頭を下げんなつー話だ。ぶっちゃけ、その、なんだ……へこむ」

「怒ってないんですか?」

 フラットは驚き目を見張る。

 何故なら、普段のパターンならば――また先ほども――怒号が飛んでくる所場面なのだから。

 併し、怒る所か、ナイトハルトは仏頂面で固まった表情を、笑顔に変えていた。

「寧ろ、俺が院長なら冠位《グランド》を、ダンブルドアなら200点をくれてやるとこだ」

 フラットは呆然とした。

 悪いことをしたのに褒められるなんてことは、少なくとも、時計塔に遣って来て初めてのことである。

 故にフラットは反応に窮した。

 その間にもナイトハルトは、顎に手を当て考え事を始める。

 ナイトハルトにはある懸念があった。正確には今しがた生まれてしまったと言うべきか。

 ――懸念は払拭しておきたい。

「つか、エスカルドスよぉ。称賛ついでにちょっと良いか?」

「はひっ!? 何ですか?」

 思考停止に陥っていたフラットは不意の問いに、びくりと身を震わせて大声を返す。

「その会議なんだが、いつやったっけか?」

 フラットは不思議そうに首を捻った。

「何言ってるんですか、もう。今日ですよ、今日」

 その言葉にナイトハルトは左の掌に右拳をぽんと打ち付け、

「あぁ、そうだった、そうだった」

 と笑みを浮かべる。

「いけねぇなぁ。最近、物忘れが酷ぇんだわ。精密検査とか受けた方が良いんかね?」

 困ったように額に指を中てるナイトハルト。

 フラットは瞬間、顔を顰めた。魔術師が、それも君主《ロード》が現代医学に頼るような発言に――ではない。

 ――あれ、この人、さっきと笑顔が違う。

 些細な違いだが、僅かに、例えるならば温度が低いように感じる。

 ――気のせいだよね?

 疑問が湧きかけた、が。

「と、すまん、すまん。急いでたよな、オマエ」

 その指摘によってフラットは、一瞬でそれを忘れ、自分の最大の興味へと引き戻される。

「そうでしたァッ‼ 俺はアメリカに行かなければァ! 数多の英雄達が俺を待っているッ!」

「……六騎な、六騎」

 グッと握り拳を構え、決意を叫ぶフラットから溢れ出る、膨大な活力の奔流に中てられ、ナイトハルトは脱力した。

 アメリカ、スノーフィールドという地で行われる聖杯戦争に召喚される英霊が“数多”ではなく、セイバーを除いた六騎ということを指摘すること位しか出来なかった。

 ――つーか、今、巌を抉る荒波をコイツの後ろに幻視したような……。

「というわけで! 聖遺物探すの、手伝ってくれて有難うございました! 良かったらまた今度ゆっくりテレビゲームでもしましょう!」

 最早魔術師もへったくれも無い約束を取り付け乍ら元気よく手を振って駆け出していくフラット。

 その背中が少しばかり離れた後、ナイトハルトは

「エスカルドス」

 死地に赴かんとする青年を呼び止める。

「何ですか?」

 逸る思いを抑えきれず、その場で足踏みをし乍ら、答える。

 ロードに対してこの態度、時計塔の良識ある魔術師達がこれをみれば、泡を吹いて気絶している所だろう。

 だのに、ロード・ユミナは、笑った。

 とても、とても、愉快で堪らないと言った様で。

「生きて帰ってきたら、俺の教室に来いよ。卒業資格とそれなりの地位をくれてやらぁ」

 そして、彼は驚くような提案をする。

 フラットは魔術師として最も大切な精神性を欠いている為に、卒業資格を貰えないでいた。神秘の秘匿にとって不利益になるような人材を野に放つわけにはいかないからだ。

 フラットにとって卒業資格は如何しても欲しいものというわけでもないが、教室を移れば、或いはお説教の日々から解放されるかもしれない。

 また、ロードに地位を約束されるということはこの時計塔では大きな意味を持つ。まず魔術にとって重要になる研究の資金を確保しやすいし、より優秀な子を残せる女性との結婚も望めるだろう。

 尤もフラットにとっては『一級講師になれば、お金も一杯。お金が一杯あれば、戦闘機とか買えるよね。持ってたらかっこいいよね、戦闘機』という認識だったが。

 魅力的な提案。フラットは唸り声を上げ乍ら、少しばかり考える。

「やっぱり良いです。俺の師匠は教授ただ一人ですし、エルメロイ教室の仲間も好きなんで」

 申し訳なさそうに微笑みながら、フラットは断った。

 ――――皆に怒られながら、時計塔での生活を送るのも悪くない。それに、戦闘機もそこまで欲しいわけじゃない。

 そう思って。

 まともな魔術師であったならば、屹度彼を愚かだと罵ったに違いない。

「そーかい」

 併し、ナイトハルトは笑いこそすれ、嘲笑はしなかった。

 寧ろ、清々しい馬鹿さを快く思い、それ故に笑ったのだ。

「じゃあ、俺、行きますね!」

 フラットはナイトハルトに大手を振って、そして走り出す。

 聖杯戦争へと向かって――。

「頑張れよ、エスカルドス」

 ナイトハルトは、小さくなっていくフラットの背に、拳を突き立てて、健闘を祈った。

 ――嗚呼、本当に良い奴だ。魔術の腕も良いが、それ以上に何処までも真っ直ぐで、太陽みてぇな気質。あれが良い。

 魔術師はその育ちによって、冷酷で残忍で偏狭な誇りに凝り固まった、自己中心的な人物が多い。

 勿論それが総てではないが、傾向としてそういう人物が典型的なのだ。

 魔術の腕があってそれならまだ良いが、凡才であってもそのように振る舞う者がいるから始末に置けない。

 それで言えば、フラットはナイトハルトにとって“理想の魔術師”であった。

 故に――

「手前みてぇなのが尊ばれねぇのは……駄目だわ」

 ナイトハルトは決意する。顔が崩壊したかのような狂気的な笑みを浮かべて。

 ロードやその助手、下による講師には派閥が存在する。

 血統や家柄を尊ぶ貴族主義。

 派閥に興味の無い中立主義。

 そして、歴史の浅い家系にあっても実力の高い者を礼賛する民主主義。

 ロード・ユミナはこの内の民主主義であったが、同じく民主主義である創造科《バリュエレ―ター》などからも徹底して距離を置かれていた。

 それは偏に彼や、彼を慕う教師達や生徒達の過激思想に因る。

――魔術師の総ては、魔術によってのみ決定されるべきだ。

 不出来にも関わらずフッテンの当主になった兄から家督を奪い取り、数々の研究成果と、執行者上がりの武功に因って半ば強引にロードにまで上り詰めたナイトハルトと、それに感化された植物科の主張。貴族の生まれ乍ら、その高貴さも誇りも矜持も持ち合わせず、魔術師の思想を持たぬままに高い地位を得てしまった故の歪み。言ってしまえば超魔術主義。

 そして彼は今、その危険な思想をまかり通そうとしている。

 ナイトハルトは窓の前に立つと、舌を出した。

「残念だなァ……」

 そう言いながら、声は歓喜を歌う。

「手前が認められる世界には、“ロード・エルメロイⅡ世”はいねぇんだよなァ」

 また、唱えるその名に、敵意を奏でる。

 ――プルメリアの華を思わせる痣が描かれた舌が。

 然う――ナイトハルトは時計塔という小さな世界を聖杯の力によって自分の色に変えてしまおうとしているのだ。

 ナイトハルトが聖杯戦争――アメリカのスノーフィールドではなく日本の鬼松における――の開催を知ったのは遡ること一ヵ月前。ロードが集う今日のような極秘の会議が開かれた時だった。

 冬木の聖杯戦争のことは事前の知識として心得ていたし、そんなものがもしまた開かれ、願望器が手に入るとするならば是非とも参加したいと思っていた。

 まさか、その会議が聖杯戦争についてのものだとは思っていなかった。そして、不意に開催が齎されたその会議で、ナイトハルトの感情は爆発し、そして舌には流血と共に令呪が舞い降りた。

 だから、ナイトハルトは、先ほど確かめたのだ。フラットがどちらの聖杯戦争に出るのかを。

 ――エスカルドスがあっちの方の聖杯戦争で良かった。

 ――あれを相手にすんのは骨が折れるし、第一、殺したくなんかねぇもんなぁ。

「キヒヒヒヒヒヒヒッ……!」

 図らずも漏れる笑声。

 フラットがいない。ならば、勝負は決したと。

 ――アァ。確かにこの時計塔には、本物のロンギヌス、神眼の百人隊長の槍、それそのものは無ェ。だが、それと同等の神秘を宿した同じ名を持つ正真正銘の宝具ならあるんだよなァ、これが。

 呼び出す英霊はロンギヌスという最高の知名度を持つ槍の担い手。そして自分の魔術、そして自分の人格と相性が良い、歌い狂う花園の主。

 アーサー王伝説に名を連ねる彼ならば、否、彼の力を借りれば、ナイトハルトはあらゆる敵に負けはしない。

「ウイヒッヒッヒッィ……‼」

 図らずも漏れる絶笑。

 鎌首を擡げ、ピクリピクリと身を震わせ、口を両手で覆い隠しても、尚笑い声が漏れる。

 あのロード・エルメロイⅡ世はこれで終わりなんだと。然う思うと笑わずにいることなど出来なかった。

 民主主義過激派の彼は、腐った貴族主義の象徴と見做し、若手魔術師の出世頭として持て囃されるロード・エルメロイⅡ世を、狂気的なまでに嫌っていた。

 エルメロイとは本来鉱物科のロードの名乗る名前であり、現代魔術科の長が名乗るものではない。だのに、ロード・エルメロイⅡ世と名乗っているのは、本来のロードの家系であるエルメロイの没落を救い、名を貰ったからだ。

 卑怯に過ぎると、ナイトハルトは思った。ロードの名を得るのに、自分がどれだけの辛苦を重ねたか。狂気の山脈の発見、封印指定の魔術師との幾度と無い命の遣り取り、新種の発見、既存種の改良、数多の成果の上に君主は成り立っているのだ。自分だけが特別だとは言わない。同じように、それ以上の努力の果てにロードになった者もいよう。

 兎にも角にも、棚から牡丹餅で、権威の傘を借りて名乗って良い名ではない。通り過ぎた成果の後に残った結果としてあるべき称号だと、ユナハはそう考えていた。

 講師として、多くの若者を色位や典位の魔術師に育て上げた指導の力があるともいうが、ナイトハルトにすれば、胡乱でしかなかった。

 例えば――エジソンはまともな教育もなしに偉大な発明家になったではないか。貧困で初等教育すらまともに行えない国からだって、メジャーリーガーが生まれるではないか。極東に目を向ければ、苦学して家を建て直した二宮尊徳という人物だっている。

 教育者の指導で変わるのは、俯瞰で見れば屹度些細なことに過ぎない。そう、ナイトハルトは確信している。

 だから――だからこそ、ロード・エルメロイⅡ世を見る度にナイトハルトの中に湧いていたのはほの暗い殺意であった。他にも、権力でロードに登り詰めた者は現在の時計塔に何人かいるが、それでさえ“優秀”程度の腕はある。

 だが、彼は、彼だけが凡庸そのもののままにロードに収まっている。

 ――嗚呼、殺してやりたい。でも、それだけじゃあ足りない。

 ――ならば、惨めに生かそう。俺が望み、俺が願い、俺の形創る時計塔はそれが叶う世界だ。

 ――もうすぐ叶う。

ナイトハルトは、当初の目的を果たす為に、エルメロイ教室へと向かう。

 鬼松の聖杯戦争に出る為に三日後、イギリスを立つことになる。 

其の為の準備もある為、屹度、“ロード・エルメロイⅡ世”と会うのは最後になるから。

 今度会う時には、根無し草の童貞糞餓鬼《チェリーボーイ》の“ウェイバー・ベルベット”であろうから。

 言ってやりたかった。

 ――あばよ、糞野郎《Tschues,das Schwein》ってよ。

 そして、エルメロイ教室の前に遣って来ると、

「御機嫌麗しゅう、ムッシュ」

 扉の前に、ナイトハルトにとって見知った女が立っていた。

 艶やかで淫らなまでにグラマラスな体に、ノースリーブのロングドレスを纏っている。さながら、式典に立つ姫君と言った所か。これが、フクシャ色でなく白であるならば、ウエディングドレスと言っても通用するだろう。

 肌は透き通る程の白だが、顔には雀斑がある。

 長く太く三つ編みに結ばれた赤い髪を肩から垂らした髪。

 前時代的な大き目の丸眼鏡の奥の瞳は優しく穏やかに笑っている。

 赤毛のアン――などと彼女を評することは、屹度、モンゴメリーに対する最大の冒涜に中るだろう。

 真っ直ぐで純朴な可憐を、彼女のような女には許されない。

 美しい。余りにも、狂気的で、暴力的なまでに美しいのだ。それこそ、見ているだけで眩暈がしてしまう程に。

 けれど、美しすぎるから。毒婦、淫売、遊女――。見よ、決して良い名状の仕方は有り得ない。

「よぉ、久しぶりだな、ヘルバ」

 忌々しさと、懐かしさに、ナイトハルトは彼女に言葉を返した。

「まぁ、まぁ、覚えていらしてくださったのですね、ナイトハルト様。私《わたくし》、恐悦至極で御座いますわ」

 頬を紅潮させて、うっとりと顔を綻ばせるが、如何にもナイトハルトにはワザとらしく映る。

 ――ヘルバ・セレスティア・ゴーント。通称、“自涜のヘルバ”。当代最強の執行者は誰かと議論になれば、その候補に必ず名を連ねる凄腕にして、執行者時代のナイトハルトの後輩に当たる人物だ。

「珍しいじゃねぇか。何だよ、エルメロイに粉でも掛けに来たかァ?」

「フフフ。確かに教授は魅力的な男性。嗚呼、一度で良い……! 三千世界の鴉を殺し尽くすほど愛されてみたいものでは御座います……ですが、残念ながらそうではありませんの」

 微笑と、共に返された言葉にナイトハルトは顔を引き攣らせる。

「マジに返すな。反応に困る」

「あらあら。勿論、ナイトハルト様ともそうなりたいと思っていましてよ?」

「……願い下げだ。俺ァ、もうちっと素朴な、そうさな、陽だまりみてぇな田舎娘なんか好みだな」

 昔からこの女は遣り難い。ナイトハルトは心の奥底で嘆息した。

 普通、この手の女性の淫猥な言葉は、相手を困らせる、言わば茶目っ気のような意味合いが殆どだが、厄介なことにヘルバの場合では冗談では済まされない。

 事に及びたいと言ったのならば、本気でそう思っているのだ。

「……つか、あの野郎に用事ってだけだろうが、糞が」

「いいえ、そうでは御座いません。正確にはこの部屋そのものに用事と申しましょうか」

「アァ?」

 意味が分からず、ナイトハルトは睨むように顔を歪める。

「でも、運が悪い。今は用事を済ませる事は不可能ですわね」

 ――ならさっさと、扉の前からどいてくれんかね。言うこと言ったら、木人《エント》に液肥撒かなきゃならねぇんだよ。

 ナイトハルトは鬱陶しさに今度は、本当に溜息を吐いた。

「けれど、或る意味では――」

 その刹那だった。

「僥倖ですわ」

 ヘルバの姿が消えた。

 そして、また刹那――。

「貴方にも用がありましたので」

 彼女は、ナイトハルトの後ろに立っていた。

「ねぇ、ナイトハルト様」

 彼を抱きしめて――。

「その舌の令呪。譲って下さらない?」

 首に冷たい刃を当てて――。

 




 漆ザコ(笑)

 一応、断っておきますが作者はエルメロイⅡ世が好きです。
 つーか、Fate/zeroのライダー陣営が作者をFateの世界に導きました。
 今回、全国3億人のロード・エルメロイⅡ世ファンの方々は大変な不快感を被ったかもしれませんが、私はエルメロイⅡ世が好きです。
 愛しています。
 掘られても良いです。
 本文のアレは、漆ザコがおかしいんです。
 私は一切、天地神明に、アラヤとガイヤに誓ってあんなことは思っていないと、赤で宣言致します。
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