ガンナーは神と踊る   作:ユング

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―――口は災いの元
そのことを身をもって体験したというにはあまりにも大きな失敗であった。
                              とある教師の述懐より抜粋


第二話

不思議な感覚だった。

とにかく、ぼーっと呆けていたような気がするのに、意識ははっきりしている。

自分でも意味が分からないけど、それが一番近い状態だ。

そうして、どれくらい経ったのか知らない。一瞬だったような、結構たったような。

けど、気がつけば俺の耳はある音を捉えていた。

 

・・・ん

・・・ーん

ちょーん

 

それは何かを強く打ち合わせたとき生じる、高い音。

しばらくして、それが拍子木の音だってことに、思い至る。

その音が、力強く響いては、段々こちらに近づいてくるが分かった。

 

自然と耳を傾ける俺。

すると、拍子木の音だけじゃないことに気がついた。

声だ。どこからともなく、女性の声が聞こえるんだ。落ち着いて、深みのある美しい声。少なくとも声だけは、俺の好みにはドンピシャだった。

気がつけば、俺は音楽とも言うべき、その二つの音色に意識を集中させていた。

 

ちょーん。

『ひふみよ いむなや こともちろらね』

 

拍子木の音にあわせて、清んだ歌が響く。

 

ちょーん

『しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか』 

二つは決してお互いを邪魔することなく。

 

ちょーん

『うおゑにさりへて のます あせえおれけ』

 

むしろお互いを高めあうかの如く、綺麗なハーモニーを奏でていた。

 

ああ、心地良いなぁ。

貧相な語彙で悪いが、イメージは昔の日本の音楽って感じだ。

聞けば心が清められる、心が安心できる音楽。

ああ、いつまでも聞いていたい。

しかし、幸福な時間はいつまでも続かない。

拍子木の音が徐々に遠くなっていき、じきに終わりが来るのを悟った。

 

ちょんちょんちょーん!

『ひふみよいむなやここのたり ふるべ ゆらゆらとふるべ』

 

そして、静寂が訪れる。

胸に去来するのは、心からの賞賛だった。

心に直接訴えかけるような、清涼感溢れる余韻に浸る。

言葉にはならない気持ちが、全身を緩やかに満たしていった。

ああ、目を覚ませばとても素敵な一日になるだろうな。

ん?また遠くから何かが聞こえてきた。

もう一度あの歌が聴けるのだろ―――・・・・・・

 

『牛が笑うとうっしっしっだと?牛ディスってんのかこのヤロー、あぁん!?なんか言えやゴルァッ!』

 

 

 

「・・・・・」

 

吹き飛ばされた。何をかは分からないが、何故か真っ先にそう思った。

・・・・・・いい夢を見ていた気がするが、モーモーうるさいその声のせいで忘れてしまった。

これはフラグか?なんてことを寝ぼけ眼で思いつつも、どこからか沸々と湧き上がるこの感情の腹いせに、不快な感じに甲高い男の声を響かせる目覚まし時計を叩いて強制的に黙らせる。

直後『我々の業界ではご褒美です』と叫んだので、個人的に男がやったら罰だと思うと心の中で開発者さんに心のツイートをしておく。

やはり、同じやられるなら女の人がいい。付け加えるなら蔑んだ眼をオプションにするとよかろう。いや俺にはそんな嗜好はないが。うん、マジで。

毎度のことながら、何で殴るたびに変なことを叫ぶ機能をつけたのか、不思議でたまらない。むしろ、どんな仕組みになっているんだ。

そうは言っても、『爽やかな朝をあなたに』をテーマに作られたこの目覚まし時計、意味不明なネタや方向性はともかくとして、その役割は十全に発揮され、俺は無遅刻無欠席の皆勤賞を絶賛更新しているのは事実。目覚ましの声にイラッとして思わず力一杯時計を叩いてしまったが、おかげですっきりした。なるほど、確かに『爽やかな朝』を約束している。

『牛』の他にもまだいくつかネタは入っているが、とまれ常人であれば、全力でぶん殴りたくなる衝動に駆られること間違い無しのこの時計、そこを俺は鋼の精神力を以って全力の一歩手前の力にまで抑えているのだから、我ながら流石と自画自賛したくなる。おかげで、幼少の頃に買ってもらって以来一度も壊れることもなく、今日を迎えることが出来ているのだから。それともこいつは俺の思っているよりも高い耐久力を持っているのだろうか。

 

それはさておき、目が覚めたのだから、学校へ行く準備をしなければならない。眠気で重たい頭を無理矢理起こして、立ち上がる。冬は過ぎ、春が来たとは言っても布団の外の空気はまだまだ冷える時期だ。自分の口からうひっという声が漏れた。シャツの隙間から忍び込んでくる冷たい空気が肌を舐めたからだ。ああ、寒いったらありゃしない。

それでも何とか着替えていく。そして、身だしなみに気を使う俺は姿見に自分の姿を映して、服装の細かいところをチェックしていき・・・・またうひっという声を漏らす。

 

姿見の中には、悪魔のような眼をした人間がこちらを睨みつけていた。

勿論、俺である。毎朝見るが、何度見てもビクッってなる。この眼は生まれた頃からの付き合いであるのに、一向に慣れない。俺でさえこうなんだから、他の人からみればやっぱり怖いんだろうな、などと一考。

 

未だ、エンジンをふかしているかのようにバクバク音を鳴らしている心臓を無理矢理落ち着かせながら、いつものことと切り捨て身だしなみを整える。

そして、最後にサングラスをかけ、部屋を出た時には通常運転にまで持ち込むことが出来たのだった。

朝シャンならぬ朝サンである。

・・・・・・まだ寝ぼけてるのかな俺。

 

 

 

 

 

自分の容姿にコンプレックスを抱えている人は、この世知辛い世の中にはたくさんいる。誰も彼もが同じような悩み不安を抱え、日夜誤魔化すための術に頭を悩ませていることだろう。俺の場合サングラスがそれに当たる。

しかし、これを俺が付け始めたのはここ2・3年の話だ。

 

三歩職質という言葉を知っているだろうか?

一歩進んでは俯かれ、二歩進んでは通報され、三歩歩けば職質されるという事例を挙げることで、存在が既に犯罪そのものであると意味している言葉だ。

何が言いたいのかというと、サングラスを身につける前までの俺は、こんな冗談のようなことが俺の身に往々にして起こったいた。

驚嘆すべきは、こんなことを往々に起こす俺の目つきの異常性である。

どんなブサイク顔でも、変な動きをしていない限りは、避けられることはあっても通報されるまではいかないはずだ。だが、この眼についてはその限りではないのだという。

なんだそりゃあとは思うも、それが現実なのだ。

当人に意味不明なことでも、実際に起こったことなのだ。

 

だからこそのサングラス。

いっそのこと隠してしまえばいいじゃないかという発想で買ったのだ。

しかし最初の方は、そううまくことは運ばなかった。ていうか出だしで躓いた。

当然だろう。義務教育では必要のないものの持ち込みは禁止されている。

つけていったら、当時の担任に怒られた。

子どもが格好つけるんじゃない。外して、もう二度と持ってくるなよ。とまで言われたのだから、従うしかない。

おかげで、随分と苦労したもんだ。

一応、前髪で隠すなどの工夫はしていたのだが、目に入る髪が痛いし、うっとうしいしで中途半端な感じになっていた。

そんなわけで、サングラスをつけ始めたのは高校に入学してからである。

 

このサングラスをつけてからは、劇的に変わった。

三歩職質されることもなく、平穏無事に登下校を行えるようになったのだ。

一切騒動のない穏やか朝を感受できるようにまでなったのだ。

 

サングラスをつけていなかった時代の名残か、始まる一時間前にはもう学校に着くよう、毎朝早く家を出ることにしている。少しでも、人に出会う確率を下げようとしていたのだ。

この時間帯の道は、閑散としていて寂しく思えるが、まだ夕焼けのように黄色い空には雲ひとつ無いことが分かっているので、非常に爽やかな朝だ。

 

だが一つ問題がある。

確かに爽やかな朝だが僅かに、道に霞掛かっているのは減点だ。経験上、こんな日は碌なことが起きないことが分かっている。

 

ほぅら、早速現れた。

道の前方に浮かぶ黒い影に まさか噂をすればというやつかと戦々恐々。しかし、ここ数年何度も交わされたやり取りだ。サングラスをかけていなかった時代ならともかく、今なら問題はあまりないはず。なので慌てることなく、落ち着いて道を歩く。

 

こちらのほうが歩くのが早いのか、徐々に詰められていく距離。

近づくに連れ、明瞭になっていく人影。同じ学生服を着ているので、同じ学校に通っていることが分かる。

と思ったら、人影がこちらに近づいてきた。

 

「タロ兄さん、おはよう!」

 

そして、口から飛び出たのは、俺にとっては珍しい爽やかな挨拶。一瞬本当に俺に向けられているのかと疑った。悲しいことにあまり声をかけられることってないのだ。主に外見のせいで。

 

「おはよう」

 

とりあえず、俺も爽やかに応じる。

視線の先には満面の笑みを浮かべる好青年。

彼の名前は草薙護堂。

この春高校一年生になった幼馴染にして、後輩だ。

非常に男気に溢れ、義理人情にも厚い人柄なので、男女問わず色んな人にもてるのだが、何故か俺をタロ兄さんと呼び慕ってくれ、これまた何故かキラキラとした視線を向けてくるのだ。ああ、眩しい。

 

しかし、その理由が分からないため少々戸惑いが先んじる。

全く心当たりがないのに、このような視線を向けられるのは誰だって居心地が悪いものがあるだろう。

そんな俺の気を知ってか知らずか、俺の横を歩く護堂君。

どうやら、彼の中でこのまま一緒にいくことになったらしい。こっちとしても、相手が護堂君であるなら、特に断る理由も無い。

 

「朝練か?」

「いや、部活には入ってないよ」

「・・・・・・ああ、そうだったな」

 

護堂君は小学校になってから九年、野球をやっていた。東京選抜や代表にまで選ばれるくらいの名選手だった。俺も諸事情で直接は無理だったが、それでも応援はしていた。

だけど、それは去年までの話だ。

護堂君は肩を壊してしまったのだ。野球をする者にとって、肩は選手の要だ。それを壊すということは、選手生命を絶つに等しいこと。必然的に、彼は野球をやめてしまった。

そのことに思い至り、その時の感覚で切り出した俺は反省した。

 

「気にしてないから、タロ兄さんも気にしないでくれ」

「そうか」

 

だが、なんということだろうか。

まるでなんでもないことのように言う護堂君。

そんなことあるわけ無い。長年続けてきたことを、やめさせられるのがどんなに辛いのか、決して俺にも分かるといえるはずないが、それでも想像するだけでも辛い。

なんでもないわけない。

それでも前に進もうという護堂君の姿勢、心の強さに驚嘆し、感動した。

そして、自分を恥じる。何逆に慰められているのかと。本当に辛いのは彼であって俺が落ち込むなどあってはならない。そんな暇があるのなら、彼のためにできることをしろと。

否、そもそも俺如きが彼のためにできることなど皆無に等しい。

己の無力さなど嫌と言うほど知っている。

俺に出来ることなどたかがしれている。何もしない方がよほど彼のためになる。

身の程など知り尽くしている以上に、知り過ぎているのだから。

 

会話が途切れ、空気が重くなる。

そんな空気を打ち消すように護堂君が快活に口火を切った。

 

「きょ、今日はいつもより早く目が覚めてさ。それで、暇だしたまには図書室で勉強でもしようかなって」

「そうか」

 

会話終了。

やったね、タロちゃん!空気が重くなったよ!!

いや、俺にどう答えろと?

だが、そこでめげる護堂君ではなかった!

 

「そ、そういえば、タロ兄さんも早いけど、部活とかやってるのか?」

「特には」

「じゃあ、俺みたいにたまたま朝早く起きた・・・・・・とか?」

「いや、そういうわけでも・・・・」

「用事とか・・・」

「いや、まぁ、な?」

 

視線を逸らす。言葉も濁す。

そんな俺を不思議そうに見るが、すぐに気まずい表情になった。長い付き合いだから色々と察しが付いたのだろう。悟られてしまったのは悲しいが、もう慣れたことなのでその辺にポイしておいた。

 

だが、護堂君は気まずい表情のまま固まったままだった。その様子が少々つぼに入ったので、おもわずクスリとしてしまった。そんな俺を護堂君は目を丸くして見ていたが、ちょっとしたら、彼も笑う。

先ほどの重苦しい空気も完全に吹き飛び、俺達二人は軽い足取りで学校へ歩き出す。

 

それからは、二人で他愛も無い会話を楽しんでいた。

久しぶりに会ったので、話は弾むこと弾むこと。最後に会ったのはイタリア旅行に誘われたときだったか。残念ながら、他に予定が入っていたから泣く泣く断念したが、もったいないことをしたと少し後悔している。イタリア行きたかったなぁ・・・・・・ちくせう。

 

そして、今更ながら旅先の話を聞いていないことに気付く。

土産話はもっと落ち着いたところでゆっくりと聞くべきだろうが、次に話せる機会などいつになるかもわからんし。昔は頻繁に遊んだ仲とはいえ、今はそれほどでもない。そういった存在は大人に近づくにつれて、疎遠になっていくものだ。

 

「ところで、護堂君。イタリアの話を聞かせてくれないか?向こうで金髪の綺麗な女の子と知り合ったんだろ?」

 

結局聞くことにした。好奇心に勝てなかった。

 

「!?どうしてそれを!いや、やっぱりタロ兄さんももしかして知ってたのか!?」

これはどうしたことか。

予想外にも護堂君が驚愕の様態を示したので、こっちもビックリした。

 

そして、すぐに納得する。ああ、やっぱり向こうでも女の子のハートを鷲掴みしたんだと。金髪云々は外国人に多いから適当に言ったんだけど、どうやら当たっていたらしい。

兄さんもっていうのは恐らく一朗さんあたりにもばれたのだろう。もともと、あの旅行は一朗さんが立案者らしいし、洞察力も優れているから不思議ではない。ということは、静花ちゃんにもばれていると見てもいいだろう。

 

先にも言ったが、護堂君は色んな人にもてる。

男にも変人にももてるが、特に女の子にもてる。

常人であれば、『もてすぎて困るぜミ☆』と贅沢な悩みを持ちそうなくらいモテモテだ。

俺が知っているだけでも両手では収まらないくらいにはいて、どの娘も皆可愛かったり、綺麗だったりする。しかし、残念なことに、本人は単なる友達とか知り合い程度にしか見ておらず、自分に向ってくる恋慕の視線には気が付いていないのが現状である。

さらに日本人が好んで使う建前を、文字通りの意味にとってしまう。要するに、ツンデレフラグを真正面から叩き折る猛者だ。

傍から見れば明らかなのに、これはもう鈍感というよりもはや病気ではないのかと心配してしまう。

 

命短し恋せよ乙女な彼女たちをやきもきさせる男、草薙護堂。

要するに彼はフラグ乱立男という、それなんてエロゲ?を地で行く人類半分の敵であり憧憬そのものなのだ。その求心力、某そげぶの人に匹敵すると俺は見ている。

なので、イタリアでもフラグを立てていてもなんらおかしくはない。むしろ、納得してしまうのが彼の彼たる所以だろう。

 

そんな彼は、同姓から乙女の敵や裏切り者など様々なレッテルを張られている。

要するに嫉妬の嵐に巻き込まれている。噂では、嫉妬しすぎて人間をやめてしまった人もいるそうな。

しかし俺は、彼の祖父一朗さんと同じように、彼の理解者を自負していたりする。

異性に興味は無いわけではないが、俺からしたら容姿がどうこうより、自分を受け入れてくれる人であれば、その人が俺の|運命〈ディスティニー〉なのだ。だから、護堂君を微笑ましく思えど、嫉妬に駆られたりすることはない。

そんなわけで、理解者である俺は生暖かい目で見守るだけ・・・。

 

「護堂君もほどほどにな。じゃないと・・・死ぬぞ」

 

背中を刺されて。月の無い夜には気をつけたほうがいい。否、月のない夜だけと思うなよ?

 

「・・・・・・分かった。肝に銘じておくよ」

 

俺が七割方本気で言ったからか、護堂君も真剣な顔で頷いてくれた。だが、あの護堂君なのでこういったことには余り期待できないだろう。でも安心してくれ。もし刺されても、『いつか刺されると思っていました』なんて薄情な証言はしないから。『彼は器の大きい人間だっただけで、何も悪いことはしていません』ってフォロー入れるから。

 

「・・・・・・タロ兄さんは」

「話はまた今度だ」

 

護堂君が何か言いかけたが、残念ながらタイムアップだ。

おしゃべり効果で、あっという間に昇降口に到着していた。イタリアの話は次の機会の楽しみにしよう。ヨーロッパのことは漫画とかから得た知識が多いから、実際の体験談とか聞きたかったんだけどなぁ。しかし、収穫もあったのでトントンといったところだろう。この焦らし上手め!

 

一緒に図書室まで着いていってもいいのだが、俺はこの学校では悪い意味で有名だ。

俺と一緒にいる所を目撃されると彼に迷惑がかかる。というか、以前かけた。

 

俺は、自分の下駄箱へと足早に向った。

護堂君は何かを言いたそうにしていたが、渋々と下駄箱で靴を履き替える。

そして、彼が図書室へ向かうのを見送った後、俺も教室へと足を運ぶ。

久しぶりに会えてよかった。

早起きは三文の得というが、まさにその通りであることを実感した。

今日は素敵な一日になりそうだ。

 


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