ガンナーは神と踊る   作:ユング

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もしこの世界にヒーローがいるのなら、タロ兄さんがそうだと俺は信じている。
                        草薙護堂が妹へ語った言葉より抜粋



第二話裏

初めて会う者同士が友人になるにはまずお互いのことを知らなければならない。

一体どれだけの人がこの当たり前のことを理解し、実行に移せているか。

普通は意識しないことを、俺草薙護堂がこうして疑問として持つのは一重に尊敬している兄の存在に他ならない。

兄と言っても血が繋がっているわけではなく、俺が勝手にそう思っているだけだ。

 

この人との出会いは俺が三歳になった時だ。

三歳だったのに、今でも鮮明に思い出せる。

兄、タロ兄さんとの出会いはどうしようもないほど衝撃的だった。

いや、出会い自体は親同士が知り合いだったから、みんなで集まったという至極ありふれたものだった。

おれ自身も、二つ離れているとはいえ、新しくできるであろう友達を楽しみに待っていたのを覚えている。

では何が衝撃的だったのかといえば、彼の目だ。

 

子供ながらに理解できた。

あれは、子供が、いや人間がしていい目ではないと。

子供の感性の赴くままに、ただ漠然と捉えた第一印象は決してよいもモノではなく、むしろ吐き気がするほどのおぞましさを捉えていた。

 

嫉妬、憎悪、憤怒、絶望、悲哀、嫌悪・・・・・・

挙げればきりがない負の感情を密集させ、ドロドロに煮詰め、凝縮させたようなそれは、混沌などと可愛い言葉では収まりきらない。

混沌というにはあまりにも整いすぎていてからだ。

 

(マイナス)

一言でいえば、それだけであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

そして、この言葉をおいて他に、形容できる言葉など世界の何処を捜しても見つからないと確信を持って言える。

 

当時まだ子供だった俺は、名状し難いそれに身を震わせることしかできなかった。

薄らと浮かんでいた笑みは、まるでこの世の全てに嘲笑しているようであり、そんな自分に自嘲しているようにも見えた。

 

トラウマだった。

わけが分からず、怖くて気持悪くて仕方がなかった。その負の圧力は否応なくこちらを押し潰さんとしていて、恐怖で身体は固まってしまっていた。

そんな状態で遊ぶという選択肢などあるはずもなく、一刻でもはやく彼を視界から追い出したい、むしろ彼の視界から消えたいとまで考えていた。

当然、その日はすぐにお開きとなる。

それから何回か遊びにきたことがあったが、それでも同じ流れになった。

 

そんな俺が、彼を兄とまで慕うようになったのはある事件からだ。

それもまた今でも鮮明に思い出せる。

不思議なもので、その日を境にタロ兄さんへの認識が変ったんだ。

恐怖が和らいだとでも言うのか。

その事件のおかげで、タロ兄さんと仲良くなれた。

逆にその事件が無かったら、一生彼に脅え続ける日々を生きていたかもしれない。

つい最近、酒の席でおじさん(タロ兄さんの父親)に聞いた話だと、事件の起こった日を最後に遊びに来るのをやめるって決めていたらしい。

今思うと、兄さんも兄さんで、会う度に恐怖で錯乱されることに参っていたのかもしれないな。

良くも悪くもあの事件が分かれ目だったのだろう。

 

そんな風に昔のことを思い返しながら、学校へ続く道を歩いていた。今日は珍しく朝早く起き、気分も爽快だったので学生の本分たる学業を修めようと家を早く出たのだ。

いつもは喧騒に包まれている商店街も、この時間滞では閑散としており、静けさの中を一人悠々と歩くのは、まるで世界に一人しかいないような、なんともいえない寂寥感があった。それでいて、趣深い。

じいちゃんと違って雅さとかそういった風流な感性とは無縁だけど、普段とは異なる状況には誰だって心躍るものだ。

そうなれば、道に霞が掛かっているのはポイントが高いのではないだろうか。などと調子にも乗ってみたくもなる。

 

似非風流、あるいは風流モドキの余韻に浸っていると、背後からザッザッと足早に駆ける音が聞こえてくる。どうやら、結構な速度で歩いているようで、すぐにでも追い抜かれる勢いだ。

こんな朝早くに慌しい人もいるんだなと思って、横目でちらりと追い抜いてきた人物を見る。

 

一言でいえば、男子高校生だ。

同じ制服を着ていることから、同じ学校の生徒だろう。

特異な点は真っ黒なサングラスをかけていることだろうか。

 

って、あれは、タロ兄さんじゃないか。

間違いない。あんな風に、朝からサングラスをして歩く男はタロ兄さんくらいしかいない。

折角久しぶりにあったので、声をかけるべく、俺も歩く速度を速める。

すると、タロ兄さんも逃げるようにスピードを上げる。

きっと、俺だと気付いていないのだろう。

なので、さらにスピードを上げた。

しかし、タロ兄さんもさるもの、ギリギリ徒歩で通じるスピードまでギアを上げた。

これにはたまらんと、俺もまたギリギリ徒歩で通せる速度まで上げる。

いっそ走ればいいのにと思っても、ここまで着たらそれを通すしかない。むしろ走ったら負けだ。

そうして爽やかな朝なのにデッドヒートを繰り広げる俺達。

こうして爽やかな朝なのに無駄な体力を消費していく俺達。

傍から見たらなんて滑稽なのだろう。

 

ようやく追いついた時には、若干息が乱れていた。

空気を吸って吐いてで息を整えて、声をかける。

 

「タロ兄さん、おはよう!」

 

そこでようやく俺だと気が付いたのか、タロ兄さんが顔をこちらへ向けた。

結構な距離を競歩していたのに、息切れどころか汗一つかいていないのは流石であった。

昔から、この人の体力には目を見張るものがある。

 

「おはよう」

 

タロ兄さんの挨拶が返ってくる。

こちらを押し潰すかのような重量感ある声だと以前友人の一人が言っていたが、それは間違いだ。

何故なら、彼の声は何の特徴もない平凡な声なのだから。

彼の目がそう錯覚させるのだ。

彼の一挙手一投足の威圧感は全てその目につられているに過ぎない。

現にサングラスの後ろに隠れている今、言うほど威圧感を感じない。

恐るべきは彼の目のインパクトだ。

 

「朝練か?」

「いや、部活には入ってないよ」

「・・・・・・ああ、そうだったな」

 

タロ兄さんの顔にはやっちまったという念が浮かび上がる。

あまり感情を表情に出すことのないタロ兄さんだが、長い付き合いだから分かる。

 

九年。

俺が野球をやっていた年月のことだ。

少し前まで、俺は野球をしていた。わりと努力していた甲斐あって、そこそこ強いチームのレギュラーもはっていたし、東京選抜などの代表にも選ばれたこともあった。

だけど、肩を壊してやめてしまった。

俺としては、九年も続けたのだからもういいかなと特に未練もないのだけど、タロ兄さんは気にしているようだ。

 

・・・・・・思えばタロ兄さんはいつも応援してくれていた。

いくら誘っても試合に直接見に来ることはついぞ無かったけど、前日に鼓舞してくれたし、テレビで俺が出た試合は録画していたと彼の両親から聞かされた。怪我で引退すると話した時、タロ兄さんは心底残念がっていた。そういう意味では、彼の期待に応えられなくなった事が心残りといえば心残りだ。

 

この様子を見るにタロ兄さんは野球の件は触れてはいけない問題のように考えているようだが、それは全くの誤解だ。さっきもいったがこっちとしては特に未練もなく、納得しているからだ。

 

それに、実は野球は続けようと思えば続けられる。

とある理由でもう肩は完治しているのだ。そして、同様の理由で二度と野球はやらないと決めている。その事実を伝えるわけにはいかないが、野球をやめることは納得した上だということを理解してもらい、この誤解は解く必要がある。

 

「気にしてないから、タロ兄さんも気にしないでくれ」

「・・・・・・そうか」

 

明るく朗らかに言ったつもりだが、どういうわけか空気が重くなった。

何故だ、タロ兄さん。どうして、そんなどんよりとしているんだ?

会話が途切れ、時間が経つたびに重くなっていく場の空気。

ある意味で野球の話は触れていはいけない話題だったかもしれない。

 

「そ、そういえば、タロ兄さんも早いけど、部活とかやってるのか?」

 

言ってから気付く。

場の空気を変えるべく発した言葉はより強力な重力場へと転じた一言だったと。

今度は俺がやっちまったの番だった。

 

「特には」

「じゃあ、俺みたいにたまたま朝早く起きた・・・・・・とか?」

「いや、そういうわけでも・・・・」

「用事とか・・・」

「いや、まぁ、な?」

 

ああ、会話が重い。というか寒い。

春先だからとかそんなのじゃ説明付かない。

なんだ、いつから日本は極寒の地になったのか?

 

俺の馬鹿野郎。

タロ兄さんの『三歩職質』の悲劇を忘れたか。

あれ以来すっかり人通りが苦手になったのを間近で見ただろうに。

 

再び、重くのしかかる空気。誰でもいいから助けてくれ!などという嘆願は当然誰にも届くことはない。

この状況をどうにかしようと、脳をフル回転させるも、浮かぶのはどれもネガティブなもの。そうして、どんどん思考が負の方向へと向っていく中、

 

「ふはっ」

 

堪えきれないといった様子で噴出すタロ兄さんの姿があった。

一体何が面白かったのか。いきなりの事態に唖然とする。

失礼な話、正気を疑った。

 

「ごめん。護堂君の顔が面白くてね、くふふ」

 

向こうも失礼だった。

自分の困った顔がタロ兄さんのつぼに入ったようで腹を抱えて笑う。

そして、状況に置いてきぼりになって唖然としている俺を見てまた笑う。

普通だったら憤慨ものであるが、笑い転げるタロ兄さんを見たら馬鹿馬鹿しくなって、俺も笑う。

滅多に笑うことのないタロ兄さんの笑顔を見て、気が抜けたというのもある。

それがまた嬉しくて、つられるように笑う。いや、実際につられていた部分もあった。

 

感慨深く思う。

ああ、これがタロ兄さんだと。

どうしようもなく怖い外見のくせに、バカみたいに優しく強い人。

心無い人の悪意を一身に浴びているのに、人を嫌いにならない。

彼の目を見た人は皆こう言う。

この世のどんな光も映すことはないと。だけど・・・

 

―――――俺のことを怖がってもいい。けど、今だけは俺に助けられてくれ。

 

あの時、あの事件で、そう叫んだ兄さんは、まるで画面の中のヒーローのように輝いていた。

 

その後は他愛もない話で盛り上がる。

今流行りの音楽の話もすれば、高校生活の話もした。

爺ちゃんは相変わらずモテモテだよと言えば、護堂君も人のこといえないよと返ってくる。

失礼な。俺は爺ちゃんと違うっての。

 

「ところで、護堂君。イタリアの話を聞かせてくれないか?向こうで金髪の綺麗な女の子と知り合ったんだろ?」

「!?」

 

冷や水を浴びせかけられた気分だった。

それまでの和気藹々とした雰囲気が一気に引いていく。

 

「どうしてそれを!やっぱりタロ兄さんももしかして知っていたのか!?」

 

イタリアで金髪の少女といえば、アイツ(・・・)しかいない!脳裏に傲岸不遜でありながら、可憐な笑みを浮かべる少女が浮かぶ。

どういうことだ、彼女のことは誰にも話したことはない。彼女について話すには、イタリアでの出来事に触れなければならないからだ。

なのに、タロ兄さんが知っていた。

それが意味することはすなわち――――。

 

タロ兄さんと目が合う。

サングラス越しからでもわかる、悪戯が成功した悪ガキのような得意げな表情。

 

「護堂君もほどほどにな。じゃないと・・・・・・死ぬぞ」

 

肯定、一転して本気の表情。

心臓が握りつぶされるような錯覚に陥る。

間違いない。タロ兄さんは知っている!

 

「・・・・・・分かった。肝に銘じておくよ」

 

サングラス越しでこれだ。外したら一体どれほどの圧力になるのか。

……これはきっと警告で、忠告だ。

 

「タロ兄さんは」

「話はまた今度だ」

 

タロ兄さんは一体何者なのか。

俺の言葉にかぶせるように遮って、彼は教室へと去っていった。

雑談している間に、昇降口にまで到着していたらしい。

うまく逃げられてしまった。

止める間もない早業であった。

 

タロ兄さんは何者なのか?

俺のことも気が付いていたみたいだし、裏についても詳しいみたいだ。

いつから知っているのか、なぜ知っているのか。

いろんな疑問がわいてくるが何よりも気になるのは。

 

―――――なぜ、その目にあそこまで底知れない闇を映しているのか。

 

「って、今更か」

 

考えてみれば、昔から色々と謎の多い人だったな。

それに、タロ兄さんが何者でも。

 

「俺にとってはヒーローだ」

 

変な風に考える必要はどこにもなかった。

 

 


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