――身構えるのが精一杯、だった。
次に来るだろう攻撃へ対応する為に脱力している筈の身体は妙に重く、集中力を高めているはずの精神には戸惑いの影が生まれている。
紅魔館の門番"紅美鈴"がその日対峙した相手は、それだけの気迫を持ち合わせていた。
「――来ないのか」
低く、年季を感じさせる声を放つ対峙者は、それに見合うだけの老いた姿の老人だった。
武器の一つも持ち合わせておらず、妖気や魔力も感ない。
時たま"力試し"としてやってくる人間と同じ類かと最初は考えた。
だが、それは直ぐ様認識が甘かった事を知らしめられた。
脈絡無く唐突に現れたその老人はただ一言――
『一つ、手合わせを』
そう告げたのだ。
途端、美鈴が感じたのは強大なプレッシャー。
まるで紅魔の主であるレミリア・スカーレットの本気を前にした時のような、圧倒的な強者の風格。
――迂闊に動けばやられる。
故に、美鈴は自ら行動を起こすことが出来なかったのだ。
時間だけが、過ぎていく。
「――成る程、これでは筋と義務が通りませぬな」
その止まった時間に石を投じたのは老人の方だった。
何かに気がついたかのように、ゆっくりと門へと歩み始める。
「手合わせを願ったのは、此方。……そして貴女が背負う任は門番とお見受け致す」
縮まって行く距離。その時、美鈴はその老人の傍らに奇妙な物が浮いている事にようやく気がついた。
付き従うように傍を離れない半透明の人魂のような"それ"。そして美鈴だからこそ纏う気から感じ取れた感覚。
それらは、知り合いと良く似ている特徴。
「ならば」
老人の歩みが止まる。
その手が、人魂のような半透明のそれの中へと差し込まれる。
「――魂魄二刀流が魂魄妖忌。戯れなれど、その背にそびえる紅き門。今よりそれを取らせて頂く!」
おもむろに老人が人魂から引き抜いたのは、鞘に包まれた一振りの日本刀。
眼で認識出来たのはそれだけだった。
「――ッ!?」
反射的に動いた身体。無意識に取った太極拳の防御の型が、不可視の攻撃を逸らし弾いた。
だが、それに一喜一憂するような暇は無い。
"現世斬"――
瞬きをする程の一瞬にて、老人は美鈴の間合いへと既に侵入していたのだ。
武器の特徴と、老人の重心から瞬時に悟った攻撃の流れ。美鈴は再び培ってきた戦闘経験に従うまま上体を思い切り逸らした。
次の瞬間、空気を切り裂く音が剣閃に遅れて続いた。
間合いを奪われる事は戦闘に置いて相当なリスクである。美鈴は回避の勢いを利用し、再び間合いを取り直す。
地に再び足を付け直した時、美鈴の髪の一部も地に舞い落ちたのを見て、確信した。
(この人――やはり強い!)
妖忌の振るう刀は未だ鞘に包まれているまま。その上でこの切れ味。間違いなく剣士として達人の域だ。
……戦いにおいての勝利者とは、敵を倒す事ではない。最後まで生き残っている事だ。
あまりにも実力差のある敵とは戦わないという事も大事な選択肢となる。
だが、そんな事は勿論出来る訳がない。何故なら――
「そこを……退きなさいッ!!」
"光符「華光玉」"
大きく踏み込むと同時に、右手を中心に集めた気。
それを老人の立つ足元めがけて放つ。
無論、妖忌は軽々と避けてみせたが、それでいい。
その場所を取り戻す事が重要だったからだ。
美鈴は一足で取り返したその場に立つと、まだ立ち上る砂埃に構わず、老人へと高らかに告げた。
「この場は気高き紅魔の門前! この紅美鈴が居る限りは安々と通れると思うなぁ!」
何故なら、紅美鈴は門番故。
如何なる実力差のある相手と言えど通すべきでない者ならば、不退転の決意にて撃退する。
「――背水の陣。一気に決めさせてもらいます!」
"彩華「虹色太極拳」"
美鈴が大きく足を大地に打ち付けた瞬間、その地を起点として気が集まり流れ出し始めた。
それはまるで虹色に輝く水面の波紋のように周囲へと徐々に広がりを見せていく。
(……ほう)
妖忌は素直に感心していた。
美鈴のしている気の操作に付いては、経験による多少の認識程度しか出来なかったが、これが相当に努力を要する高度な技術である事は簡単に想像出来たからだ。
高密度の気の波は、遠ざかるほどに壁の如く高まっていく。それは防御としても、攻撃としても場を支配するに充分だろう。
故に、敢えて妖忌は美鈴の張る陣へと飛び込んでいった。
"冥想斬"
最も厚く高まる円の端へと衝突する際、妖忌は手にした刀の鞘に自らの霊力をまとわせると、強引に割り割いて見せる。
物理だけで切れぬ物は、物の理ではない物で斬れば良い。単純故に強力な一閃。
先ほどの経験から想定した門番の技量ならば、この一太刀は防げまい――。
妖忌は顕現させた冥想斬を維持したまま、無防備に気を操作し続ける美鈴へと斬りかかった。
「――見切った!」
次の瞬間。美鈴はまるで見計らっていたかのように、再び大きく地面を蹴り震わせた。
気を合わせた震脚は、既に大地に貼られた気のフィールドと共振し、衝撃となって妖忌の剣閃を一瞬だけ遅らせた。そして、それは美鈴に取って充分なチャンスとなった。
"気符「地龍天龍脚」"
虹色の気をまとった大振りの、しかし強力な飛び蹴り。普段ならば難なく受け流せた妖忌だが、震脚が生んだ僅かな隙がそれをさせない。
「破ッ!!」
「むぅ……!」
霊力をまとわせた刀で防御はしたものの、そのまま吹き飛ばされた妖忌。そしてその先にあるのは波打つ気の壁。
接触すれば大ダメージは免れない――。
美鈴は勝算であると確信した次の瞬間だった。
"幽明の苦輪"
何処からとも無く現れた、もう一人の"魂魄妖忌"。
それが、横向きに吹き飛ぶ妖忌を下から掴み、押し上げたのだった。
結果、高くそびえる気の壁を飛び越えた妖忌は、その外側に静かに着地してみせる。
「今のは……一体?」
答えはすぐに分かった。もう一人の妖忌の形が突然不安定になり、まるで煙が風に解けるように崩れ始めたのだ。やがて現れたのは最初から連れていたあの人魂。
いや、知り合いと同じ種族ならば、"半霊"と呼ぶべきか。
「やはり貴方はあの白玉楼の――」
「――無粋」
紡ぎかけた言葉を遮るように、妖忌が呟いた言葉。たった一言だったが、その意志は美鈴にも強く理解出来た。
今、この戦いにおいて、それはどうでも良い些細な事なのだと。
そして、その意思は妖忌の構えにも現れた。
「これにて、終いとさせて頂く」
とうとう刀の鞘に妖忌の手がかかったのだ。
深く、妖忌が吐き出す息。
それとともに重々しく外光に晒されていく白銀の刀身。
――なんて綺麗な――。
斬る、という意思に従った日本刀という鋼の塊と、真っ向から斬り伏せる事に特化した最上段の構え。
それらを目にした美鈴が思ったのはそんな感想だった。
そして、それに答えねばならないと、覚悟した。
"気符「猛虎内勁」"
「――ええ、お終いにしましょう」
周囲に貼られた気の流れが、その向きを美鈴の中枢へと還ってゆく。
放出した分の気が、大地を流れる龍脈の流れを引き込みながら戻るのだ。
やがて、美鈴の身体に集まった普段と桁違いの気は、虹色の儚い輝きから、紅く輝く覇気となっていた。
「"紅魔の門、本日も不埒な侵入者無し!" それが今日の報告です!」
「――よくぞ吠えた!」
互いに高めた力を、示し合わせたかのように同時に大技へと変換していく。
方や、刀身を魂の緑色に。
方や、気弾を覚悟の紅色に。
やがて、それらの雌雄を決する時はやってきた。
「――"迷津慈航斬"!」
「"極光「華厳明星」"ッ!!」
巨大な魂で形作られた刃と、巨大な覇気で形作られた砲弾が、宙で大きな音を立てぶつかった。
その余波は衝撃や光、轟音となって周囲へ撒き散らされていく。
――短く、そして長い鍔迫り合い。
両者の気迫は限界まで高まりきっている。
これを決着とする、という意思も、共に引く事はありえない。
故に、打ち勝ったのは――
「――まだ青い!」
「なっ――」
――より戦いを経てきた魂魄妖忌の刃だった。
斬り潰された気の砲弾が遅れて爆発した事で、刃が美鈴へと迫った瞬間は妖忌でも視認しきれなかった。
視界に舞う塵芥。宙に漂ったままの濃度の高い霊力と気が起こす、視認性の劣化。
風と時間を持ってそれらは徐々に散っていく。
だが、それらが晴れる前に、既に妖忌は確信していた。
「……なれど、見事」
――門を背に、未だ立ちふさがる紅美鈴。
その体に刻まれた数々の傷はダメージの深さを物語っている。
だが、それでも門には一切の傷が無かったのだ。
"門番は門を、引いてはその中を守る。"
美鈴はそれを身をもって成し遂げたのだ。
それを目にした時、妖忌自身も気が付かない内に口元が緩んでいた。
「今の技……全身全霊の一撃故、もはや闘う力なぞ残っておらぬ。――此方の負けだ」
あくまで、吐き捨てるように妖忌はそれだけ告げると、刀を半霊へと戻しながらあっさりと踵を返したのだった。
だが、去っていくその背を見つめたまま、美鈴は荒い息を整えるだけで、何か言葉を返す事など出来そうに無かった。
「……はぁぁぁー……」
そして、その姿が見えなくなった所で全身に張っていた気を抜き、地面にどさりと大の字を描いて寝転がった。
「……何が全身全霊ですか……こっちはもう立ってられないくらいだってのに……」
結局、物陰で様子を探っていた十六夜咲夜が駆けつけるまで、美鈴は妙な悔しさと共に空の色を睨みつけるのだった。