――べん、べん――
濃紺の夜闇に霞月一つ。
――べべん――
朱色の橋柵に人影一つ。
――べんべべべん――
琵琶でも有り、奏者でも有り。
――べれれん――
琵琶の付喪神である九十九弁々は、聞き手の居ない曲目を奏で終えると、大きく一息付いた。
静寂を彩っていた琵琶の音色の余韻を味わうかのように、周囲の音は沈黙を保ち続けている。
……いや、それは少し間違いだ。
「いやぁ、聞いてるだけで涙が出そうだったよ」
水辺の傍らに生えた柳の木陰から、拍手の音が聞こえてきた。
決して心の篭もらない、不協和音のような拍手に、楽器の付喪神は嫌悪感を露わにした。
「……また口先ばかりの事を」
「本当本当。道具の癖に一丁前の生き物のように演者の真似事なんてさぁ……哀れで滑稽で涙が出てきちゃうさ」
誰だ、なんて聞くことも必要無い。
声の主は天邪鬼。――鬼人正邪。
先に起こした異変と、それに伴う逃走劇の末、一躍有名となった小物妖怪だ。
「――それで、何用なのさ」
次の音色を弦から弾き出しながらぶっきらぼうに急かす。
無論、何用だろうが構ってやるつもりは無いのだが。
すると、天邪鬼は下卑た笑みを浮かべながら静かに答えた。
「――お前の中の魔力を返してもらいに」
思わず弦を弾きそこねた。
生み出し残った音が、心の動揺を表しているかのようだ。
それを悟った天邪鬼は、たまらず笑いをこぼし始める。
「ク……ハハハ! やっぱりそうだよなぁ!? 一度手に入れたでかい力を、そうそう簡単に手放したくは無いよなぁ!?」
「――天邪鬼(あんた)なんかと一緒にしないでくれるかい?」
「……ああ?」
一人騒ぐ天邪鬼を鋭く睨みつける。あくまでも己の意思を示す為に。
「未だに魔力を持ってるのも、完全に自立するまでの間に合わせの為。この力を頼って盲信して、自惚れる気は無いよ」
ハッキリと、言い放ってやった。
使われ、利用されるだけの、文字通りの道具から脱し、一妖怪としての存在を確立する事。
それは姉妹である八橋とも話をして、既に決めていた事だ。
――だから此処から先は今、独りで決めた事。
「――でも、だからと言って下衆に渡してやる程馬鹿じゃない」
「それは、私に"反逆する"って事か? お前ら弱者に力を与えてやったこの私に?」
返答代わりに強く弦を弾いて意思を音に乗せて聞かせてやる。
それは、言葉よりも充分な意味を持って届いたようだ。
「オーケー分かった。使えない道具は要らない……。 今此処で元のオンボロ楽器に戻してやろう!」
「御託は良いからかかって来な。 ――私の音楽は八橋みたく手ぬるく無いよッ!」
"欺符「逆針撃」"
先に動いたのは正邪の方だった。
天へと向けられた片手から放たれる針弾幕。
(――上空からの時間差攻撃?)
正邪自身へ眼を向けつつ、少しでも落下地点を確認しようと弁々は回避と攻撃認識に集中する選択肢を選ぶ。
ランダム攻撃ならば、必ず存在する偏りを。自機狙いならば、パターンとリズムを見切ってしまえば良い。
回避と同時に反撃に出るべく、琵琶に自身の力を溜めておく。が――
(――いや、初っ端からこんな分かりやすい攻撃をする奴か?)
不意に出た違和感に従い、念の為正邪と距離を取ったその瞬間だった。
先ほどまで足を乗せていた橋板が、天に放たれた筈の弾幕によって"下から"音を立てて打ち砕けた。
「やっぱりか! このひねくれ者め!」
「クハハッ……良い褒め言葉だ!」
(――ひぃ、ふぅ、みぃ)
登っていく針弾幕の範囲からは逃れられた事を確認した弁々は、直ぐ様その攻撃の旋律を聞く。
幸いランダム弾ではなくパターンの存在する弾幕だった事が幸いだった。
スペルにはその人固有の曲調が出る。良く聞き、良く味わえばそれだけ攻撃のパターンは読めてくるのだ。
「いつ、むぅ、なぁ……ここだ!」
"平曲「祇園精舎の鐘の音」"
弦を弾く。音を奏で開放していく。
溜めておいた力を発現させた曲目は、すなわちスペルとして顕現する。
それは、音楽であり音の弾幕でもある楽器の付喪神らしいスペル。
波のように広がって行く音符は、弁々の目測通り正邪の弾幕の隙間を抜け、標的へと迫る。
そして、着弾。
「まだ一曲目だよ。もっと私の音楽を聞かせてあげる」
立ち上がる砂煙。
弁々は追撃となる次の曲目の為に、再び弦へと指をかけた。
「――もう遠慮したいね。そんなカスみたいな"音楽もどき"」
「え――?」
聞こえてきた声と言葉はまさしく正邪。だが、方向は弁々の攻撃が着弾したのとは逆の背後からだった。
続いて身体を襲う重たい一撃。とてつもなく大きな鈍器で殴られたかのような衝撃に、弁々の体躯は軽々と吹き飛ばされた。
地面を擦り、視界の中の天地を回転させ、その勢いはやっと止まる。
(……何なんだこのダメージ――)
声が出せない程の痛みが殴られた箇所を中心に渦巻いていた。
かろうじて正邪へと向けた、未だ戦意の消えぬ瞳がその理由を捉える。
「ほぅら……見えるか? 分かるか? 悔しいか? アマノジャク様専用の"チートアイテム"だよ」
禍々しい小さな陰陽を形どった玉。そして、豪華でありながらどこかチープな黄金色の小槌。
(――逃走劇の際の物か!)
"血に飢えた陰陽玉"は敢えて敵の目前へと空間転移する為の道具。
"打ち出の小槌(レプリカ)"は、溜めに時間がかかるものの、絶大な打撃を生む道具。
「……この……下衆め……!」
「その下衆にこれからぶっ倒されるんだ。なぁ、どんな気持ちだ?」
本来、主張と意義をスペルに込めてぶつけ合う弾幕戦において、使用されるべきではない"勝つ為だけの強力な道具"。
自己の力量や特製に関係無く強大な力を手にすると言う事は、個のアイデンティティの消失をも意味する。
故に、他の妖怪は使用できない。
故に、天邪鬼にとっては何の問題でも無い。
「――それに、お前らが使わない力を、私が使ってやってるんだ。これってエコだと思わないか?」
だから、何も悪びれること無く堂々と胸を張る。何故ならば天邪鬼だから。
生まれながらの"反逆者(ルールブレイカー)"なのだから。
「……まだ……終わりじゃないっ!」
"楽符「ダブルスコア」"
まだ回復しきらない重たい身体だが、それでも攻撃の手は止めない。
勢い良く弾かれた弦から次に放たれた弾幕は、歪曲した数本のレーザー。
弁々の両斜め後ろに一度引いた後、速度を増して正邪へと向かう。
「はいはい。無駄だっつーの」
正邪は向かってくるレーザーを前に、既に事態に飽きているようだった。
おもむろに、チェック柄のマントを取り出すと、直撃しそうな光線を簡単に払いのける。
"ひらりマント"
あっという間に、レーザーの隙間に出来た安全地帯。
正邪はその事を知らしめるように、肩をすくませてみせた。
しかし、スペルはこれで終わりではない。
「――ひぃふぅ……みぃ!」
ただのレーザーではない。
それは五線譜。そして五線譜には音符が着く物だ。
正邪の意表を着くように、レーザーに添って流れていく大量の音符。
「これでどうだ!」
チートアイテムは使用するのに一定の行動が必要となる。
すなわち、かざす、振る、置く、着火する……等。
たった今使用した直後の油断したその顔に、音楽を叩き込むには最善のタイミングだった。
――筈だった。
「――ばーか」
にぃ、と浮かべられた邪悪な笑み。
そして、それを切っ掛けにするかのように、放った五線譜に変化が起き始めた。
レーザーが、音符が、地に立つ天邪鬼にでは無く、限りなく広がる夜空へと矛先を変えたのだ。
「"逆符「天下転覆」"――。おいおいどうした? ぶっ壊れて"上と下も分からなく"なったか?」
「――ッ!」
"何でもひっくり返す程度の能力"。
それは、天邪鬼の能力だ。
直接味わった事は無かったが、恐らく正邪の発現から察するに上下感覚か、空間でも"ひっくり返された"のだ。
どうにか目標を定め直そうと試みるが、スペルの発動限界はそれを成す前に訪れてしまう。
忌々しさのあまり噛み締めた歯が音を立てた。
「あんた……人をおちょくってるの?」
「何を今更」
どこまでも巫山戯た態度を崩さない。
なのに、音楽が届かない。
それが、肉体面だけでなく精神的にも苦痛を感じさせる。
だが、それを取り払うにも正邪のひねくれた能力と、卑怯な道具がある限りどうしようもない。
「はぁーあ……。もういい、面白みがない。さっさと終わらせよう。……そうだな、次はあの――」
正邪の見開かれた両眼が、月よりも不気味に弁々を捉える。
「――地味な琴妖怪でも襲いに行くかな?」
「……貴様ぁ!」
その意味を理解した時、頭の片隅で冷静だった部分に急速に熱が生み出されていくのを理解した。
そして、その熱に委ねてしまう事に、既に何の躊躇も無くなっていた。
"楽譜「スコアウェブ」"
"楽符「ダブルスコア」"と同じように複数のレーザーが放たれる。が、その数はほぼ倍近い。音符弾幕を付随させず、正確な狙いも付けない。
何か考えがあって放った技では無かったが、それは"狙いを付ける"調整を"狙いを外す"調整へとひっくり返す事が出来る天邪鬼相手としては、間違っては居なかった。
一つ、間違いがあるとすれば――
「――クハッ! これでゲームオーバーだ九十九弁々!」
"血に飢えた陰陽玉"と"打ち出の小槌レプリカ"。
この二つがまだ使用出来た事だ。
敢えて、弁々の目の前に瞬間移動を行った正邪が、振りかぶる打ち出の小槌。
しかし、回避は今更できず、相殺する為の次のスペルの為に使える力は、まだ用意出来ない。
打撃面を見つめながら、弁々は一種の諦めに似た感情を抱いていた。
アレを喰らえばもう動けまい。そして、弾幕ごっこならばそれで終わる所を、正邪は容赦する事なくトドメの追撃をしてくるだろう。
体内に残った魔力を強引に奪い、正邪はきっと高笑いをする筈だ。
死ぬ、とは痛いのだろうか、それとも思ったよりあっさり壊れるだろうか。数秒後にはその答えも知る事が出来るだろう。……妹の、八橋と共に。
――なら、その答えは死ぬ時まで知らなくて良い。
突如、弁々の琴に流れ込む力。それは鬼の魔力。本物の打ち出の小槌がもたらした力の残滓。
生き残る為に使う。迷いも疑いも無かった。
力と思いのままに、弁々は琵琶をかき鳴らす。
"音符「大熱唱琵琶」"
音に乗って発現したのは全周囲を取り囲むように生み出した大量の音符弾。
「……あ?」
それが、一瞬正邪に攻撃と回避を迷わせる。
それは、弁々が攻撃開始に移るには充分過ぎた。
「――とっておきの曲だ。精々楽しんで行きなよ」
隙間なく視界を埋め尽くした音の弾幕。それらが一斉に正邪と弁々へと矛先を定め、――炸裂した。
「う、わ……あああああああッ!!」
それは音の嵐。
正邪の上げる悲鳴さえもかき消し飲み込む、強大な旋律。
――やがて、その嵐が止んだ時、正邪は既に膝を付いていた。
「――魂まで響いたかい? 私の琵琶の音は」
九十九弁々完全勝利。
意地で勝ち取った勝利だった。
……とは言え、自分ごとスペルを炸裂させた上での勝利だ。体に負ったダメージは少なくない。
鈍い痛みと遠い感覚でフラフラとしながら、弁々をその場を後にする。
――聞こえてきたのは笑い声だった。
「――"使った"な?」
弁々の振り返った先、やはり声の主は鬼人正邪だ。
膝を付いたままの体勢。既に攻撃の余力は残っていない筈だ。
なのに、引きつった表情で大人しく耳を傾ける事しか弁々は出来なかった。
「今の"使った"だろ? 小槌の魔力!」
「……!」
正邪の気迫は衰えていない。いや、むしろ生き生きとしている。
「……そうだ。お前は使わざるを得なかった。仕方が無かった。――あんな口上切ったとしても、な?」
『未だに魔力を持ってるのも、完全に自立するまでの間に合わせの為。この力を頼って盲信して、自惚れる気は無いよ』
突き刺さったのは正邪の言葉では無く、自分の言葉。
「そうだ。九十九弁々……お前は結局そういうヤツなんだ。自立した強者の振りをしようたって、最後は結局大きな力に頼らざるを得ない……。そう、私と同じ――」
眼。奥底まで捻くれた眼光が、弁々を射抜く。
「――ただの"弱者"だ」
弁々は思わず、小さな悲鳴を上げる。
やられた、のだ。
最後の最後で、ひっくり返された。何よりも通さねばならない、己の主張を。道を。決意を。
「……あ……ああ……」
今度膝を付いたのは、弁々の方だった。
「――おい、ボロ楽器。魔力は大体返してもらった。もうお前は同じ弱者なのだから見逃してやる」
――勝者とは、一体誰か。
朧月夜の下、正邪を見送る事しか出来なかった弁々の姿が、それを物語っていた。