遠い星、小さな一歩 ~ Story of Hanayo 作:Kohya S.
次の週末、土曜日の午後。
花陽はμ'sの練習を終えていったん帰宅し、シャワーを浴びて着替えた。花陽はブルーのノースリーブのワンピースに、クリーム色の半袖のパーカーを選んだ。
そして彼との待ち合わせ場所のUTX高校前へ急いだ。
時間のすこし前に待ち合わせ場所に着くと、ペデストリアンデッキの柵にもたれかかっている彼の姿がみえた。近付いていく花陽に彼も気付いたようだった。
「こんにちは」と花陽。
「おう、小泉」と彼。花陽のことを眺めている。
花陽、おかしな格好、してないよね……。
「眼鏡、やめたんだな」と彼。
「うん、やっぱり動きやすいかなって。……へんかな?」
「いや……いいと思うよ」
心なしか彼の言葉に力がこもっているようだ。
「あの、それでお話って……」と花陽。
「ああ……ここじゃなんだから、喫茶店でも行くか」
「うん」
彼が先に立って歩き出した。
末広町方面にしばらく歩くと雑居ビルの一階に喫茶店があった。チェーン店ではなく昔ながらの喫茶店という外見だ。
「ここでいいかな」と彼。うなずく花陽。
彼が扉を開けて花陽を先に通す。
店内は静かだった。禁煙席を希望すると奥の席に案内された。
すごく、大人っぽいお店だな……。花陽、こういうのは初めてかも……。
「こういうお店、よくくるの?」と花陽は尋ねた。
「うん、まあ、たまに」と彼。
彼はブレンドコーヒーを、花陽はお店のお勧めらしいチーズケーキとアメリカンコーヒーのセットを頼んだ。
注文を終え彼が話し出した。
「この前のライブ、すごくよかった」
「えへへ、ありがとう」
「相当、練習しただろ」
「うん、みんなで頑張ったんだ。園田先輩……海未さんが鍛えてくれて」
「海未さん……ああ、投げキッスしてた、あの」と彼が思い出すようにいった。
「……っ!」思わず吹き出す花陽。
「?」
彼は一瞬、怪訝な顔をするがそのまま続けた。
「曲も衣装もオリジナルだろ」
「うん、得意な子がいるんだ」
「そんなメンバー、よく集まったな」
「穂乃果さんのおかげだよ」
「ここまでやってるスクールアイドルは、ないと思う」と彼。
「そうかな……」花陽は嬉しくなる。
注文が届いた。
花陽はチーズケーキを口に運ぶ。昔ながらのちょっと素朴な感じでおいしいです……。
彼はそんな花陽を黙って見ていた。
花陽がケーキを食べ終えると彼がふたたびいった。
「あとは欲をいえばダンスに切れが、欲しいかな」
「うん、そうかも」
花陽もそれはうすうす感じていた。A-RISEに比べてしまうと、やはり落ちることは否めない思う。
彼はしばらくして続けた。
「でも……すごく、可愛かった」
「うん、μ'sのメンバー、可愛い子ばっかりだよ」と花陽。
「そうじゃねえよ……」彼が目を逸らしていう。
「小泉が、可愛かったんだよ」彼の声がすこし小さくなった。
「えっ、花陽が……」
花陽は下を向き、真っ赤になった。
彼がコーヒーをごくりと飲み込んだ。カップを置いて意味もなくスプーンでかき混ぜる。そして下を向いたままの花陽にいった。
「あー……よかったら俺と、付き合ってくれないか、小泉」
「あの、花陽……」
さらに赤くなる花陽。
えっと、お付き合いって……お友達として、ってことじゃないですよね。男の人とお付き合いなんて……花陽にはまだ早いの。あ、でもお母さんとお父さんが出会ったのって、いまの花陽と同じくらいのころだっけ……。それなら、そんなに早くないのかな……。たしかに彼とは話もあうし。でもでも、花陽、お付き合いなんて考えたこともないの。
頭の中をいろいろな考えがぐるぐると駆け巡る。
えーん、ダレカタスケテー!
そのまま流れる沈黙。数十秒後、彼はもう一度コーヒーを飲み、いった。
「へ、返事は、今じゃなくていいから……」
彼の顔も赤くなっていた。
「う、うん……」
花陽は下を向いたまま小さい声でつぶやいた。
花陽の心の中に先日のライブのことが浮かんだ。初めてのライブ、みんなの励まし、あの感動。
……花陽、不器用だから、μ'sの活動とお付き合い、両方を一緒にするなんて、絶対に無理だと思うの。お付き合いのお話しは、とっても嬉しいけど……。それに、みそっかすの花陽に、そんなお話が来るのは、一生で最初で最後かもしれないけど……。ここで返事をしなかったら、ずっと後悔すると思うんです。
さらに沈黙が続く。彼は困ったように窓の外を眺めていた。
「あ、あの、ごめんなさい!」
花陽は思い切り頭を下げていった。
「花陽は、花陽は……お付き合い、できません……」
不意に涙がこぼれてきた。
「ごめんなさい……」
彼がうろたえたようにいった。
「急に悪かった、小泉。泣くなよ……」
「うっ、ぅぅ、花陽は、μ'sを、アイドルを、もうすこし頑張りたい、んです……」
花陽は涙をぬぐって顔を上げた。
「花陽、嬉しいです。ありがとうございます。でも、花陽はすごくどんくさいから、お付き合いしながらアイドルを続けるなんて、できそうにないの……」
また下を向く花陽。
彼がいった。
「そっか……。そうだよな……。俺こそごめん」
「ううん、花陽が悪いの。ごめんなさい」
「謝るなよ……」
彼の顔に困惑が浮かんだ。花陽にどう接したらいいのかわからないようだ。
下を向いたままの花陽。
ふたりはそのまましばらく黙っていた。
「いらっしゃいませー」店員の声が響いた。
「出るか」と彼。「うん」と花陽。
お金を払うという花陽を断り、彼が精算した。
・
外は暗くなってきていた。
「小泉、ひとつだけ、いいかな……」と彼。
ようやく涙の収まった花陽はうなずく。
「その、俺のために……一度でいいから、歌ってくれないか」
「えっ、いま……?」と花陽。
「だめかな……」悲しげな顔の彼。
「……ううん、いいよ」
彼と花陽は近くの公園に向かって歩き出した。
すっかり日の落ちた公園には人気がなかった。これなら多少声を出しても大丈夫だろう。それでもなるべく迷惑にならないようにすこし奥まで歩いた。
スマートフォンをベンチの上に置いた。彼がその横に座る。
花陽はベンチから離れ、ぺこりと彼に向かっておじぎをした。スマートフォンから「これからのSomeday」が流れ始める。
いつもひとりで練習しているときのようにメンバーのパートも歌っていく。
最後まで歌い終えて、もう一度、深く頭を下げた。彼が拍手する。
「こんなのでよかったのかな……」と花陽。
「うん、なんか……すっきりした」
そういって彼は立ち上がった。
「俺が……小泉のファン第一号かな」
顔に笑みが浮かんでいる。そして花陽のほうに右手を差し出した。
「小泉、頑張れよな」
「ありがとう」
花陽は彼の手を握った。大きな温かい手。
ふたりはしばらく見つめあった。しばらくして彼は手を放した。
「μ'sのこと、応援してる」
「うん」
「じゃあ、これで」
彼は花陽に背を向けると、公園の出口に向かって歩き出した。
花陽は彼が見えなくなるまで、そのまま見送っていた。右手には、いつまでも温かさが残っていた。
・
その後、花陽のところに彼からの連絡はなかった。
凛は「またサキちゃんたちと遊びたいね」といっていたのだが、高校生活、そしてμ'sの活動が忙しく会う機会は作れなかった。
練習は厳しかったが、花陽はなんとかμ'sの一員として活動を続けていた。
ある日の部室。
μ'sの活動報告ブログをチェックしていた花陽は、記事にしばしばコメントしているユーザーがいることに気付いた。
「にこちゃん、この『コーヒー大好き』って人、よく見ます」と花陽。
「そう、よくコメントしてるの」とにこ。
「えっと、No Brand Girlsの記事は……ことりさんが精彩に欠けますね、穂乃果さんはちょっと浮いてます、だって」
「ったく、余計なお世話よ。あのときはいろいろあったから、仕方ないのよ」
「Wonder Zoneは、歌詞が雰囲気が変わりました、ダンスもいい感じです。ふむふむ」
「まあ、よく見てるわね」
「最初にコメントがあったのは、これからのSomedayですね……えーと、新メンバー皆さん可愛いですね、A-RISEを超えるグループになると期待しています」
「ふふん、にこの魅力ね」
「こういうファンの人がいると、花陽、嬉しいな」
「ま、どこの誰か知らないけど、次の曲ではぎゃふんといわせてやるわ」
相変わらずどんくさくて、みんなについていくのがやっとな花陽だけど……。でも、花陽のことを応援してくれる人もいるんだなって思うと、頑張れそうな気がするの。
うまくいかなくて少し落ち込んだりすると、花陽はときどき、ファン第一号といってくれた彼のことを思い出すのだった。
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