終末の物語   作:Wiseman

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――そう……なら、いずれ貴方は、私の敵になるかもね――
――でも構わない。それでも私は、貴方が幸せになれる世界を望むから――




第一話 幸せって、何だと思う?

 その子供は、両親のこの上ない祝福を受けて生まれてきた。

 夏の熱気が過ぎ去り過ごしやすくなった十月上旬のある日、つい数時間前に母親となったばかりの若い女と、同じく父親となったばかりの男は、生まれたばかりの小さな我が子を見つめながら、これまでに味わったことのない幸福を感じていた。

「お父さんにそっくり」

 母が言った。

「だから、将来はきっと優しい子になるね」

「そうかな?」

 父が言った。

「逆に、性格はお母さん似だったりして」

「だーめ。だって女の子だよ?あたしに似た女なんて、人生苦労するよ」

 母が返すと、父は笑った。

「はじめまして、まどか。これからよろしくね」

 まどかと名付けられた赤ん坊は、母親の腕の中、彼女に全幅の信頼を置くような穏やかな表情で眠っていた。

 

 

 

 

   ――――

 

 不慣れな海外での三年間の生活を終えて再び故郷の見滝原に帰ったとき、鹿目まどかは中学二年生になっていた。

 アメリカでの三年間の暮らしを振り返って思い出されるのは、楽しい出来事から、思い出すだけで身の毛のよだつ用な出来事まで様々であったが、いざ見滝原に帰ってみると、久し振りの故郷に安堵すると同時に、まるで夢から醒めたような、言葉では表現しがたい寂しい感覚に囚われることもあった。

 帰郷から二週間が過ぎたある日の朝、まどかはいつものように洗面台の前に立ち、学校に行く支度を整えていた。

「学校にはもう慣れた?」

 隣で歯を磨いていた母の詢子が、まどかに尋ねた。

「うん。さやかちゃんも仁美ちゃんもいるし。新しい友達もできたし」

 帰郷したまどかを最も喜ばせたのは、旧友の美樹さやかや志筑仁美と再び同じ教室で学校生活を送れることだった。

「へえ、どんな子よ」

 詢子は、まどかの言う新しい友達に関心を抱いた様子である。

「杏子ちゃんっていうの。……休み時間にね、いつもお菓子食べてるんだよ。あれで太らないのが不思議だよ……」

「そりゃああれだな。腸内環境が違うんだよ」

 佐倉杏子は、さやかを通じて知り合った新しい友人である。彼女も、見滝原中学に比較的最近に転入してきたらしく、さやかとはそれ以前からの知り合いだったらしいが、どのような経緯で知り合ったのか、まどかは詳しい事情を知らない。杏子は、これまでまどかが付き合ってきたどの友人とも違うタイプの子であった。一見すると粗野で、近寄りがたい印象を受ける。授業中にふと彼女を見ると居眠りしており、それ以外の時間にふと彼女を見るとお菓子を食べている。あまり真面目に勉学に励んでいるようには見えない。だが、付き合ってみてすぐ、悪い子ではないと知った。

 顔を洗い終えると、まどかは用意しておいた髪結いのリボンに手を伸ばした。その赤色のリボンは、転校初日にある一人のクラスメートから貰った物だった。

(あの子とも、友達になれるかな……)

 手に取った赤いリボンを見つめながら、まどかはそのクラスメートのことを考えていた。

 

 

 見滝原中学校へと至る遊歩道を飾っていたのは、決して花を絶やすことのないという、世にも不思議な桜並木であった。世界の何処を探しても、このような桜は他にないという。

 その桜並木の下を歩く二人の女子生徒に、まどかは後ろから「おはよう」と声を掛けた。声に応じるように振り返ったのは、さやかと杏子の二人だった。二人の友人と一緒に中学校への道を歩くのが、まどかにとっての日常となっていた。

「まどかが転校してきてもう二週間か……」

 さやかが感慨に浸るように呟いた。

「なんか、不思議だよね」

 まどかが言った。

「転校して来てまだちょっとしか経ってないのに、ずっと前からこうしていたような気がするの」

「あったり前でしょ」

 さやかはそう言うと、まどかの肩に腕を回し、顔を近づけた。

「あたし達、小学校以来のながーい付き合いなんだから」

「ああ、そうやってすぐあたしを除け者扱いするー」

 不機嫌そうに目を細めながら、杏子が口を挟んだ。

「まどか、気を付けな。こいつに関わるとろくな事にならないから」

 さやかは半ばからかうような口調で、杏子を指差しながら言った。

「それが先輩に対する態度かよ」

「え?」

「先輩」という言葉が心に引っかかり、まどかは思わず首を傾げた。

「え?あ、いやあ……」

 杏子は一瞬焦ったような表情を浮かべると、意地悪な笑みを浮かべながら、さやかを指差して言った。

「つまり、こいつがガキみたいってことだよ」

「なに!」

 さやかが声を荒げるが、杏子は無視するように、

「そんなことよりさ」

 と素っ気なく言った。話題を変えたい様子である。

「まどかの歓迎会の日取り、まだ決まらないのかよ」

 担任教師の和子の計らいで、まどかの歓迎会が開かれる予定であったが、転校から二週間経った今も、その日程が決まらずにいた。

「うん、ごめんね。うちのママがどうしても出たいって言ってるんだけど、予定がなかなか合わなくて」

 まどかが答えた。

「あたし、焼き肉希望ー」

 杏子が手を挙げながら言った。

「あんたは食べ物のことしか頭にないのか」

 呆れ顔を浮かべながら、さやかが言った。

「いいじゃねえか。タダで美味いものが食えるせっかくのチャンスなんだから」

「あんたはいつもタダ飯食ってるようなもんでしょうが」

 何気ない日常会話が子供じみた口論に発展するのは、この二人にとってはいつものことであった。

 まどかは偶然、杏子と言い合うさやかの手に目が止まった。ずっと気付かなかったが、さやかの左手に指輪がはめられていることに、まどかはそのとき初めて気付いた。それだけであれば特に驚くことはなかったが、まどかを困惑させたのは、杏子の左手にも同じように指輪がはめられていることであった。どちらの指輪も宝石のようなものを冠し、似たような形状をしていた。唯一異なっていたのは、冠せられた宝石の色であった。

 その指輪を眺めていたまどかの心中に、言葉に言い表せないざわめきが起こった。

「二人はさ……」

 言い争う二人に口を挟む形で、まどかが恐る恐る言った。

「本当に仲がいいんだね」

「は?どこがよ?」

 さやかは不思議そうな顔をまどかに向けた。

「だって……お揃いの指輪なんかしちゃって……」

 まどかがそう指摘すると、さやかは思わず「はっ」と声を上げ、つけていた指輪を右手で覆い隠すような仕草を見せた。

「でもそういうのって、普通……恋人同士とかでするものじゃない?」

 心のざわめきの理由は、真っ先にそのような考えが頭に浮かんだからである。

「学校でそういうの付けてると……誤解されちゃうよ?」

「え、いやあ、これは……」

 さやかは明らかに説明に苦慮するような、焦りと困惑の表情を浮かべた。その態度が、まどかをより一層不安にさせた。

「はっ……!もしかして、クラスのみんな知って………?知らないのはわたしだけ?」

 不安がエスカレートして、まどかはついに顔を紅潮させた。

「本当は、わたしがこうして一緒にいるのも迷惑だったりして……」

「いや、だからそれ、違……」

「なんか……空気読めなくて、ごめん!」

 まどかは居ても立ってもいられなくなり、さやかと杏子の二人を置いて、学校へ向かってひとり駆け出した。

 

 

 道中、肩を並べて歩く仁美と恭介に挨拶を交わし、学校の通用口へと辿り着くと、まどかは足を止めた。

(何やってるんだろう、わたし……)

 まどかは冷静になって、もう一度、二人の指輪について考えてみることにした。考えてみれば、仲の良い友達同士がお揃いの指輪をつけていたとしても、不思議ではない。だが、その指輪をつけて堂々と学校に通うというのは、まどかにとっては前代未聞のことである。

 まどかは急に、寂しい気持ちになった。自分が遠くに行っている間に、仁美は恭介と恋仲になり、さやかは――。そう思った直後、まどかは考えるのをやめた。

 ふと、まどかの目に、通用口から校内へと歩みを進める一人の少女の後ろ姿が映った。クラスメートでもある彼女は、転校初日からまどかに対し色々と親切にしてくれてはいるが、何を考えているのかよくわからないところがあり、そのミステリアスな雰囲気から、まどかは彼女とどう関係を築いて良いか思いあぐねていた。

「あの……」

 まどかが恐る恐る声を掛けると、少女は立ち止まって振り返った。

「おはよう、ほむらちゃん」

 笑顔を見せながら、まどかはクラスメートの暁美ほむらに声を掛けた。

「……おはよう、まどか」

 暁美ほむらは素っ気なく返事をすると、再び振り返ってその場を立ち去ろうとした。しかし、しばらくすると何かを思い出したように再び足を止め、まどかを見た。

「まどか、今日の放課後、空いてるかしら?」

「え?……うん、空いてるけど」

「ちょっと話したいことがあるの。付き合って貰えるかしら」

 まどかは、このミステリアスなクラスメートに対し漠然とした恐れを抱いていた。いつも妙に落ち着いていて、感情の起伏がほとんどなく、何を考えているのかよくわからない。しかし、この誘いは彼女との関係を築く良い機会かもしれないと思い、まどかは彼女の誘いを承諾した。

 

 

 その日は、体育の授業があった。

 体育の授業は、まどかにとって憂鬱な時間のひとつであった。走れば遅いし、すぐに息が切れる。球技はまどかにとっては、自分に襲いかかるボールという名の凶器から逃げ回る行為に等しかった。そんなまどかにとって、女子の中でもずば抜けて高い身体能力を誇る、暁美ほむら、美樹さやか、佐倉杏子の三人は羨望の的であった。

 暁美ほむらが走り幅跳びで男子のベスト記録をも上回る華麗な跳躍を見せると、さやかは苛立ちを内に秘めたような表情を浮かべながら、彼女へと近づいて行った。

「悪魔ほむらさん?次の八百メートル走であたしと勝負しましょ?負けた方がイチゴ牛乳をおごる……」

 挑発するような態度で、さやかは暁美ほむらに勝負を持ちかけた。

「し、失礼だよ!そんな呼び方……」

「何考えてんだあいつ……」

 その様子を見ていたまどかと杏子が続けざまに言った。杏子は、呆れた様子である。

 何故ほむらのことを悪魔呼ばわりするのか、何故彼女に対してそこまで対抗意識を燃やすのか、何故賭け品がイチゴ牛乳なのか、まどかの疑問は尽きなかったが、何より強く思ったのは、ほむらがそんな子供じみた勝負に応じる訳がないということであった。

 しかし、暁美ほむらは意外な反応を見せた。立ち上がって体操服に付いた砂埃を払うと、その勝負受けて立つ、と言わんばかりに、さやかに向けて射るような乾いた視線を浴びせた。

 八百メートル走の勝負は結局、首位争いをしていたさやかとほむらの後ろを張っていた杏子が、ゴール寸前で二人を追い抜くという結果に終わった。

「二人とも、あたしにおごってくれよな」

 満足そうにピースサインを見せながら、杏子が言った。ほむらは杏子の姿を見て一瞬笑みを浮かべた後、無視するようにその場を立ち去った。

 まどかにとって意外だったのは、ほむらが本気でさやかと張り合おうとしていたことだった。これまで彼女が何かに本気を出すところを見たことがなかったので、彼女の振る舞いはまどかに新鮮な驚きを与えた。

 息を切らしながら遅れてゴールしたまどかは、三人の様子を見守りながら、不思議な充足感を得ていた。

 

 

「まーどかっ」

 放課後、暁美ほむらとの約束を思い出しながら帰り支度を整えていた折、まどかはさやかに声を掛けられた。

「一緒に帰ろ」

 満面の笑みを浮かべながら誘ってきたために、まどかは申し訳ない気持ちになり、小声で「ごめん」と謝った。

「今日はちょっと用事が……」

「そうおっしゃらずに」

 さやかはまどかの言葉を遮ると、

「鞄、お持ちしますから」

 と言って、まどかの持っていた鞄を強引に抱え上げようとした。

 さやかが明らかに今朝の指輪の一件を気にしてまどかに気を遣っているように見えて、まどかは逆にいたたまれない気分になった。それに、さやかがいくら気を遣ったとしても、ほむらとの約束を反故にするわけにはいかない。

「ごめんね。今日は本当に用事があるの。……また明日ね」

 そう言ってまどかは、鞄をさやかの手から離してその場を後にした。

「さやかー。ゲーセン寄ってこうぜー」

 背後から杏子の誘いの声が聞こえると、さやかは振り返って彼女を睨みつけた後、「フンッ」とそっぽを向いてその場を立ち去った。

 

 

 暁美ほむらとの約束通り、彼女と合流したまどかは、彼女に連れられて学校近くのカフェを訪れた。

 四人掛けのテーブルに向かい合う形で腰掛け、適当に飲み物を注文した後、二人のテーブルに短い沈黙が流れた。

 まどかは改めて、真正面に座るほむらの顔を眺めた。

 腰に届くほどの長髪、整った顔、病的なまでに白い肌。彼女の外見的特徴を挙げるなら、そんなところだろう。肌の白さのせいでそう感じるのかもしれないが、どこか人間離れした雰囲気がある。例えるなら、雪女だ。彼女に白装束を着せたら、それだけで雪女が完成しそうである。

「話したいことって、何?」

 沈黙に耐えかねたまどかが、彼女に尋ねた。

「貴方に、どうしても質問しておきたいことがあって」

「何?」

 ほむらは両肘をテーブルに置いて軽く身を前に傾けると、

「……幸せって、何だと思う?」

 と、まどかに尋ねた。

 まどかにとっては、あまりに突飛な質問であった。

「え……」と軽く声を上げた後、まどかは問いかけにどう答えたものかと思い悩み、席には再び沈黙が流れた。

「難しい……質問だね……。そういうことって、普段あまり考えたことないし……」

 言葉を詰まらせながらそう答えた後、まどかはほむらの顔に視線を向けた。彼女の瞳は、微動だにせずにまっすぐまどかの目を捉えてる。まるで、答えを得るまではここを一歩も動かないと主張しているように感じられ、まどかはその視線から受けるプレッシャーに肝を冷やした。

 まどかは少し落ち着いて、店内に目を配らせた。二人の小さな子供に世話を焼く母がいるかと思えば、その隣の席にはひとりテーブル上のノートPCに向かうビジネスマン風の男がいた。

 彼らにとっての幸せは何だろうかと、まどかは軽く思いを馳せてみた。だが結局のところ、まどかの頭に浮かんだ答えは、月並みなものであった。

「それって、人それぞれじゃないかな」

 再びほむらの顔を見据えると、まどかは答えた。

「誰かの為に頑張るのが幸せだっていう人もいれば、自分の為だけに生きるのが幸せだっていう人もいるし……、お金がたくさんあるのが幸せだっていう人もいれば、たくさんの家族に囲まれて生きるのが幸せだっていう人もいるし……。ひとつの大きな幸せを掴むために生きる人もいれば、たくさんの小さな幸せを積み重ねて生きている人もいる……。だから結局……よく分かんないや」

 まどかはそう言って、照れ笑いを浮かべた。

「そうね……。確かに、貴方の言う通りかもね」

 うっすらと笑みを浮かべながら、ほむらが言った。

「じゃあ、質問を変えるわ。貴方にとっての幸せって何?」

「え……」

 彼女の新しい質問は、まどかをさらに困惑させた。

「余計に難しい質問だね……」

 答えに苦慮するまどかは、苦笑いを浮かべた。

「もし難しかったら、貴方が一番幸せを感じた瞬間の話でもいい。……知りたいのよ、貴方がどんなことを考えているのか……」

 彼女にそう問われて、まどかの脳裏に過去のある光景が浮かんだ。それは、まどかにとっては出来る限り思い出したくない出来事ではあったが、ほむらの問いかけの答えを得る上で重要な出来事のように思えて、まどかはその時見た光景を思い出しながら口を開いた。

「わたしね、アメリカの学校に居たとき、すごく怖い体験をしたの……」

 まどかはその日の出来事を今でも鮮明に覚えている。

 小さな黒い塊を手に持った男子生徒が二人、始業時間より遅れて校内に進入した。教員が彼らを呼び止めて事情を聞こうとすると、その中の一人が黒い塊を教員の膝に向けた。その直後、「パンッ」という大きな音が学校中に鳴り響いた。周囲にいた生徒達がそれを拳銃であると認識したとき、彼等の間から悲鳴が湧き上がり、学校内は瞬く間にパニックに陥った。

 男子生徒達は銃を武器に教室を占拠し、生徒達を恐怖に陥れた。まどかはその時、突然起こった出来事に恐怖し、物陰に隠れてただ震えることしか出来なかった。

「すごく怖かった。自分はもしかしたら、ここで死んじゃうのかも……、って思ったの」

 まどかはその時感じたことを率直に打ち明けた。

「でもね、学校にすごく勇気のある子がいてね、その子が皆のことを助けてくれたの」

 それは、男子生徒達が教室を占拠してから暫く経った後の出来事だった。一人の少女が、銃を持った生徒達の前に立ちはだかり、無言で何かを訴えるように、しかしどこか恐れを抱いたような顔立ちで、生徒達を見据え続けた。その後に起きたのは、まどかにとっても、その場に居た他の生徒達にとっても、信じられないような出来事であった。

「その子のおかげで、その事件は怪我人が少し出ただけで済んだの。……そのときだった。『自分は助かったんだ』って気付いたとき、心の底から思ったの。わたしは、すごく幸せだったんだって……」

 ほむらはまどかのその言葉を聞くと、軽く首を横に傾げながら、

「それが、あなたにとっての幸せ?」

 と、まどかに尋ねた。

「その……うまく言葉に出来ないけど……、わたしには、優しい家族がいて、友達がいて……、そういう人達に囲まれて暮らせるのが、ずっと当たり前だって思ってて……、けど、そうじゃなかったんだって、その時思ったの」

「そう……」

 まどかが語り終えると、ほむらはそう一言呟いて、何かを考え込むように目線を下に向けた。

「ほむらちゃん?」

 彼女のその様子が気にかかって、まどかは彼女に声を掛けた。

「よく分かったわ。変な質問してごめんなさい」

 ほむらは顔を上げると、笑みを浮かべながら言った。

「もうひとつ。あなたに伝えておきたいことがあるの」

「何?」

「あなたはこの先、多くの悲しみを経験することになると思う。けど、だからといって、どうか自分を不幸だなんて思わないで欲しい。幸せっていうのは、多くの悲しみの先に手に入るものだから」

「え……」

「今日はありがとう。話ができて嬉しかった」

 ほむらはそう言って席を立ち上がった。

「え?もういいの?」

「ええ」

 ほむらは素っ気なく答えてテーブルから立ち去ろうとするが、何かを思い出したように立ち止まり、振り返ってまどかに視線を向けた。

「あとひとつ。あなたがいつも仲良くしているあの子達のことだけど……」

「え……、さやかちゃんと、杏子ちゃんのこと?」

「……あまり、あの子達と親密になり過ぎない方がいいと思う」

 彼女はそう言い残し、まどかの前を去って行った。

 まどかは、彼女の最後の忠告の意味が理解できず、困惑するばかりであった。彼女との関係を深める良い機会になると思い誘いを受けたものの、終わってみると、自分の中の彼女の印象が前とあまり変わっていないことに、まどかは気付いた。

(やっぱり、変わった子……)

 彼女が残していったドリンクのカップを見据えながら、まどかは心の中で思った。

 

 

 週末、まどかはさやかから、ショッピングに行かないかと誘われた。杏子も一緒だというので、最初は断ろうかとも思ったが、さやかの強い頼みによって、結局三人で買い物を楽しむこととなった。

 夕方近くになって歩き疲れた三人は飲食店に立ち寄った。そこでまどかは、以前から気になっていたことを二人に尋ねることにした。無論、さやかと杏子の関係についても気にしていたし、二人の関係について、まだ明確な答えを聞き出せた訳ではなかったが、まどかはその事は一旦忘れて、暁美ほむらについて知っていることを聞き出そうとした。まどかが転入する以前から、彼女達はクラスメートだったのだから、暁美ほむらについては目の前にいる二人のほうが詳しい筈だと、まどかは思っていた。

 しかし、二人の口から出た答えは、まどかを落胆させるものだった。二人とも、彼女については殆ど何も知らないというのだ。

「じゃあ、友達いないの?」

 まどかは二人からの回答を聞き終えると、そう訊き返した。

「あいつが誰かとつるんでる所を見たことがねえ……。なあ?」

 杏子はそう言って、さやかに同意を求めた。さやかもそれを否定しなかった。

 まどかは少し考え込んだ後、

「確かにほむらちゃん、ちょっと変わったところあるけど、けどわたし、転校して来てから色々親切にしてもらってるし、悪い子じゃないと思うんだけど……」

 とほむらの印象を語った。

「気をつけたほうがいいよ、まどか」

 さやかが言った。

「そうやって心の隙をつくって、取り入って、誘惑して、油断させて……相手を破滅させるのよ、悪魔は」

 まどかと杏子はさやかの言葉を聞き終えた後、しばらく呆然とした表情でさやかの顔を見続けた。

「んんっ……?」

 杏子が訝しげな顔でさやかを見ながら言った。

 さやかが以前からほむらのことを悪魔呼ばわりしていることが、まどかと杏子にとっては不可解だった。

「さやかちゃん、何でほむらちゃんのことそんな風に呼ぶの?本人、傷ついてるかもしれないのに……」

 さやかをたしなめるように、まどかが言った。

「なんでって、そりゃあ……」

 さやかは天井を見上げながら、何かを思い出そうとするような仕草を見せた。さやかの目には、白い天井から吊り下げられた、木製のお洒落な天井扇がぐるぐると回っている光景だけが映っていた。

「……なんでだっけ?」

 さやかは、思い出すことを諦めたのか、思考を放り出すように呟いた。

「ほら、なんとなく悪魔っぽいじゃん?見た目が……」

 まどかは、さやかが暁美ほむらを悪魔と呼ぶようになった経緯について、何か深遠な物語が隠されていることを密かに期待していたが、さやかの口から出た答えが思いのほか平凡であったために落胆した。

「それ、小悪魔ってことかよ……」

 杏子が呆れ顔を浮かべながら言った。

「だいたいなあさやか、悪魔ってのが何なのか、分かって言ってるのか?」

「ん?何よ?」

「神様に背いて悪事を働いたり、人間を誘惑して堕落させたりするのが悪魔だろ」

「ああ、それってつまり、あんたみたいな奴ってことだ」

 さやかは杏子を指さして笑いながら、からかうように言った。杏子は不機嫌そうな表情を浮かべた。

「違えよ。……つまり、あたしが言いたいのはな……」

 杏子はそう言って少し間をおいた後、

「そもそも神様がいなけりゃ、悪魔も存在しないってことだよ」

 と言った。

 まどかとさやかは、きょとんとした顔で、しばらく杏子の顔を見続けた。杏子の言っていることが正しいのかどうか、まどかには分からなかったが、何となく的を射ているようにも思えた。

「杏子ちゃんって…………たまに真面目な話をするよね」

 まどかは、率直にその時思ったことを口にした。

「まどか……あたしに喧嘩売ってるのか?」

「いやっ、そういうつもりじゃ……」

 両手を横に振りながら、まどかは杏子に釈明した。

「わたしね……」

 まどかは俯いて考え込む仕草を見せた後に言った。

「ほむらちゃんとも友達になれたらいいなって思ってるんだけど、何かいい方法はないかな?」

「えぇー。やめときなって」

 とさやかが言った。

「あんな奴と関わったって、いい事ないって」

「なんだよまどか。あたしらが友達なだけじゃ不満だっていうのかよ?」

 杏子が不平を漏らすような口調でまどかに言った。

「いや、そういう訳じゃ……」

 せっかく同じクラスなのだから、四人で仲良くお喋りしたり、遊んだりできれば良いのにと、まどかは思っていたが、どうやら二人にはその気は無いらしいということが分かり、少しばかり寂しい気持ちとなった。

 

 

 店を出る頃には、陽は落ちて外はすっかり暗くなっていた。

 三人は家に帰ることを決め、最寄り駅へと歩みを進めていた。

 その道中、まどかはさやかと杏子に落ち着きがなく、二人がしきりに目配せをしていることに気づく。その様子が気にかかり、まどかは足を止めて、

「二人とも、どうかしたの?」

 と尋ねた。

 さやかと杏子は足を止めた後、しばらく黙ったまま、周囲をきょろきょろと見回し続けた。その様子も気になったが、もうひとつまどかを不思議にさせたのは、二人が二人とも、何かを隠すように、両手を背後に回していたことだった。

「ごめん、まどか。あたし達、ちょっと用事を思い出しちゃって、先に帰っててくれない?」

 さやかに懇願されて、まどかの脳裏に再び、二人に対して抱いていた疑念がくっきりと浮かび上がってきた。あの日の朝の出来事以来、お揃いの指輪の件についてはうやむやにされたままであったし、まどかは二人の関係について、はっきりとした答えを聞き出す機会を得ることが出来ないまま、今日までの日々を過ごしてきた。

「二人とも、やっぱりわたしに何か……隠し事してない?」

 まどかは恐る恐る二人に尋ねた。

「いや、だからそれ違っ……」

 そう答えるさやかの顔には、焦りの表情が浮かんでいた。

「杏子ちゃんは、うちの学校に転入してくる前から、さやかちゃんと知り合いだったんだよね?」

「ああ、そうだけど……」

「……どういう経緯で知り合ったのかな……?」

「どういうって……そりゃあ…………いろいろあったんだよ」

 杏子が答えると、まどかの不安は更に大きいものとなった。

「そっか……やっぱり……人に言えない事情があるんだね……」

 まどかはがっくりと肩を落としながら、呟くように言った。

「いいよ……わたし、先に帰ってるから、……あとは二人で楽しんで……」

 さやかと杏子は、釈明することを諦めた様子で、互いに目を合わせると、まどかに向かって、

「ごめんね、まどか」

「悪いな……」

 と声を掛けて、駅とは反対方向に向かって駆けて行った。

 ひとり残されたまどかは、やり切れない気持ちを抱えたまま駅へと向かって歩き出した。だが、歩みを進めるにしたがって、二人が何かを隠しているという疑念が確信へと変わってしまい、再び足を止めた。

 このまま二人について何も知らないまま、ただ何となく友達という関係を続けるだけで良いのか――。まどかの心中に、そんな考えが浮かんだ。そう表現すれば聞こえはいいが、実際には、心の中に潜む悪魔が、二人の秘密を暴けと誘惑しているような、そんな心理状況の中にまどかは居た。

 まどかは思い悩んだ末、その誘惑に屈することとなった。自分が馬鹿なことをしていると思いつつも、二人が走り去っていった方向に足を向けることにした。

 しばらく歩き続けると、ショッピングモールの拡張工事中の現場に辿り着いた。時間は既に夜になっていたので、作業をする人の姿もなく真っ暗であった。まどかは、その奥に何かの気配を感じ取り、思わず息を呑んだ。その気配に引き込まれるように、まどかは暗闇の奥に視線を向けた。暗闇の中に、わずかに外部からの光が地面を照らす箇所があり、そこに、二つの影が動いているのを、まどかは見つけた。

 それがさやかと杏子のものかどうかは分からないが、まどかは好奇心を抑えられず、恐る恐る暗闇の中に足を踏み入れた。

 暗闇の中の光の指す場所を目指して歩き続けていたが、しばらくしてまどかはその目標を見失い、思わず足を止めた。まどかは後ろを振り返った。確信は出来なかったが、自分がこれまで歩いてきた道とは何かが違うような、そんな違和感を覚えるような景色が広がっていた。まどかはもう一度振り返って、自分が目指していた方向を見た。

 その時、まどかの感じていた違和感は決定的なものとなった。先ほどまで自分が見ていた景色とは明らかに異なる光景が、まどかの目に飛び込んできた。自分が先ほどまで見ていたのは、真っ暗な無人のショッピングモールの筈であった。しかし、今まどかが居るのは、そのような無機質な建物群とは程遠い、絶えず変化し続ける、不気味な有機物の塊の中であった。

 好奇心は後悔に変わり、やがて恐怖へと変わっていった。

 自分の周囲に、複数のうごめく異形の『何か』がおり、こちらを見ている。正確に表現すれば、彼等には目のような物は見当たらないため、まどかを見ているのかどうかも判らない。しかし、その挙動からは、明らかにまどかに注意を向けているように見えた。

「なに……?」

 まどかはその光景に恐怖を覚えた。異形の存在は次第にまどかの周囲を取り囲むように円陣を組み、周囲をぐるぐると回り始めた。

「まどか!」

 遠くからそう叫ぶ声が聞こえて、まどかは声のする方を向いた。まどかの目に飛び込んできた光景は、彼女の中の恐怖心をいくらか和らげた。それは、さやかと杏子の二人が、こちらに向かって駆け寄って来る姿だった。

「もう大丈夫。あとはあたし達がなんとかするから」

 さやかの言葉は、まどかを大いに安堵させた。その姿は、困っている友達を助けようとする、正義感あふれる昔ながらのさやかそのものであった。しかし、そうは言っても、いま彼女達が置かれている状況は、これまでまどかが体験してきたどんな窮地とも似ても似つかぬ状況であった。果たして、この状況を脱する方法があるのだろうかという疑念が生じ、まどかの心を再び不安が覆い始めた。

「いくわよ。杏子」

「しょうがないなぁ。ったく」

 二人は各々の掌に宝石のような物を握り、背筋をぴんと伸ばした。宝石は青と赤の眩しい光を放ち、二人の身体を包んだ。まどかは呆然としたまま、その様子を見守り続けた。二人を包んでいた光が解けた時、まどかは唖然とした。二人とも、それまで来ていた衣服とはまるで異なる、奇妙なコスチュームに身を包んでいた。

「ずっと秘密にしてて、ごめん」

 笑みを浮かべながら、さやかが言った。

「これがあたし達の、本当の姿なの」

 さやかはそう言いながら刀剣を、杏子は長槍を出現させ、まどかを囲んでいた異形にその矛先を向けた。

「けど……クラスのみんなには……」

「……内緒だぞ!」

 二人がその武器を異形に向けると、それに応じるように、異形達は注意の対象をまどかから二人に切り替えた。

「……で?」

 両者の睨み合いがしばらく続いた後、さやかがぼそっと呟いた。

「一体なんなのこいつら?こいつらも魔獣?」

「はあ?そんな訳ねぇだろ」

 杏子が答えた。

「じゃあ一体……」

「考えるのは後だ。今はまどかを守ることだけに集中しろ」

 言葉を交わした後、さやかと杏子は武器を振るい、まどかを取り囲んでいた異形を瞬く間に排除した。

 しかしその直後、更に巨大な異形の生命体が、三人の前に現れた。

「やっぱりこいつ……」

「魔獣じゃない……!」

 まどかは、目の前に現れた巨大な異形に対する恐怖心を抱いていた。そして、先程まで威勢を振るっていたはずのさやかと杏子が、目の前の敵に対して明らかに困惑している様子を見て、まどかの心は追い打ちをかけられるように不安と恐怖に襲われていった。二人が『魔獣』と呼ぶ存在が何なのか、まどかには分からなかったが、どうやら目の前に居る存在が彼女達の知る『魔獣』とは異なる存在らしいということだけは、彼女にも何となく分かった。

 巨大な異形は、さやかと杏子の二人に対して、執拗な攻撃を続けた。その攻撃が二人に到達するのを感じ、まどかは思わず、

「さやかちゃん!杏子ちゃん!」

 と叫び声を上げた。

 万事休すかと思ったその直後、二人の足首を何かが捉え、二人はその何かに吊り上げられるように、真っ逆さまとなって宙に浮かび上がった。そして、左右から縦横無尽に飛び交う紐のような光る筋が、巨大な異形を覆い尽くし、異形の動きを封じた。

 まどかは唖然としながら、高所に吊り上げられた二人を見つめた。どうやら、二人の足首に黄色いリボンのようなものが絡みついており、二人はそのリボンに吊るされる格好となっている様であった。

「もーお、せっかく友達にかっこいいとこ見せようと思ったのに!おいしいとこ持ってくなんてずるーい」

 情けない格好となったさやかが、不満を漏らすように言った。

 まどかはさやかが誰に向かって不満を漏らしているのか判らず、周囲をきょろきょろと見回した。

 まどかの背後の数歩先に、見知らぬ一人の女性が立っているのが見えた。

「二人とも、無茶しすぎ」

 女性が言った。

「未知の相手と戦うときは、まず相手の行動を見極めてからでないと」

 女性はそう言うと、装飾の施された無数の長銃を自身の周囲に出現させ、異形にその銃口を向けた。直後、異形は姿をくらまし、変容していた周囲の景色も消え、まどかが以前居たショッピングモールの建物群が再び姿を現した。

「……逃げたみたいね」

 女性が言った。

 女性はまどかに歩み寄りながら、「危ないところだったわね」と優しく声をかけた。つい先程までの、異形との緊迫した駆け引きが嘘のような落ち着きようだった。

「けど、もう大丈夫よ」

「あ……はい。ありがとうございます」

 まどかは困惑しながらも、窮地を救ってくれた女性に対して礼を言った。

「あなた、美樹さんと佐倉さんのお友達?」

「……はい」

「じゃあ、あなたが噂の転校生ね。……英語がペラペラなんですって?」

 噂とは怖いものだと、まどかは一瞬思ったが、それ以上のことを考える余裕が無いほどに混乱していた。

「あの……あなたは……?」

「私は巴マミ。美樹さんや佐倉さんと同じ、魔法少女よ」

 女性はそう答えると、右手をそっとまどかに差し出した。

 その背後には、笑みを浮かべながら立つ、さやかと杏子の姿があった。

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