終末の物語   作:Wiseman

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エピローグ ~満月~

 澄みきった空に、満月が浮かんでいた。

 残酷な月だ、と杏子は思った。つい数分前まで、この辺り一帯は濃い瘴気に覆われていて、星ひとつ見ることもできなかったというのに。

 いつもならば、瘴気の消滅は魔法少女の勝利を意味するのだから、ほっと一息つくところだろう。だが今夜は違う。あれを手に入れるまで、瘴気に晴れてもらっては困るのだ。

 乱れる息を整えながら、杏子は今日までのことを思い起こしていた。四人一組の奇妙な魔法少女チームが結成されてから、すでに二年が過ぎていた。思えば、性格も価値観もバラバラなこの四人チームが、よく今日まで欠けることなく続いたものだと思う。だが……。

 その四人チームの営みが、今夜で終わろうとしている。

 四人の中で最年少の――しかし魔法少女としてはさやかより少しばかり先輩にあたる――百江なぎさの魂の灯が、尽きようとしていた。

 杏子はさやかと共に、グリーフシードを手に入れるべく魔獣に挑んだ。結果は空振りだった。あと一歩というところで魔獣に逃げられ、周囲を包んでいた瘴気は無情にも消え去った。悔しそうな表情をしたさやかが、遠くで首を振るのが見えた。

 向こうから、力尽きたなぎさを両腕に抱えたマミが歩いてきた。建設中の高層ビルの鉄骨が、冷たい無機質な足音を発する。

 マミは月明かりの照らす開けた場所まで進むと、足を止めてなぎさを床に下ろした。

 出会ったばかりの頃はマミより頭ひとつ分以上も小さい子供だった彼女も、この二年で見違えるように成長していた。身長はマミと大差ない位まで伸びていたし、子供っぽい衣装が途中で気に入らなくなったのか、何度も衣装替えをしていた。自分自身に何か特殊な魔法でもかけたのではないかと勘繰ってしまうような成長ぶりだった。胸のサイズは、相変わらずマミの方が上だけれど。

「マミ、ごめんなさい」

 消え入るような声で、なぎさが言った。

「先、行くね」

 マミは泣いていた。杏子の隣に立っていたさやかのすすり泣く声が聞こえる。

 杏子は顔をそらした。もう、誰の顔も見たくない。大切な人との別れほど、見ていて辛いものはない。

「なぎさ……最後に何か、お願いはある?」

 嗚咽をこらえながら、マミが尋ねる。

「うーん……マミの家にチーズ、いつも置いておいてください……今度食べに行くから……あと、お母さんの絵本、大切にしてください、なぎさの、宝物」

「わかったわ」

「さやか……さやか、聞こえてますか?」

「……うん?」

「マミを、守ってください。さやかは、みんなのナイトですから。あと、杏子」

「……なんだよ」

「マミの家のチーズ、食べちゃダメですよ」

「最後の言葉がそれかよ」

 ひどいな、と思ったが、口には出さなかった。

「最後じゃないのです。またすぐ会えますよ。……あ、ほら」

 なぎさが手を頭上に掲げた。「その時」が近いことを感じ取ったのだろうか。

 思えば、こんな風に魔法少女の最期を見届けるのは、これが初めてだった。だから、「伝承」が本物であるかどうか、この目で確かめたことはない。

 せめて最期くらいは見届けてあげようと思い、杏子はなぎさの顔を見た。

 

 

 魔法少女になった日から今日に至るまで、ずっと考えていたことがある。

 なぜ魔法少女は、消えなければならないのか。

 奇跡を望んだ人間の払うべき代償とは、それほどまでに大きなものなのか。

 どれほどマミが「それが奇跡を望んだ対価よ」と説いても、納得のいく形で杏子の心に染み落ちることはなかった。

 けれどあの夜、なぎさの最期を見届けたあの日から、杏子の心の中で、何かが確実に変わりつつあった。

 あれから数日が過ぎた。

 マミはあの日以来、随分と口数が少なくなった。今日も学校帰り、河川敷の歩道を無言で歩くマミの後ろを、さやかと一緒について行く。

 あれほど日常的に魔法少女の運命について説き、それを前向きに捉えていたはずのマミが、誰よりも落ち込んでいるように見えた。だがそれも無理はないと思った。彼女が誰よりも一番、なぎさのことを可愛がっていたから。

「なあ、マミ」

 そんな彼女を見かねて、杏子は声をかける。

「下ばっかり見て歩いてると危ないぞ。……あんたがそんなんじゃあさ、あたし達みんな締まらないじゃんか」

「ごめんね。心配ばかりかけて」

 何か少しでも、マミの気を和らげる方法はないだろうか。杏子はあの日以来感じていたことを打ち明けることにした。

「怒らないで聞いてほしいんだけどさ、あたしは、少し安心したっていうか、心が救われたっていうか……正直に言うと、ずっと半信半疑だったんだよね……あたし達を救ってくれる神様みたいな存在が本当にいるのかって。けどあの日、なぎさの顔を見てから……少し変わったんだ。そういう気持ちが」

「それ、わかる気がするな」

 さやかが同調するように言う。

 あのときのなぎさの、すべてに満たされたような笑顔が、今でも忘れられない。彼女の表情からは、魔法少女になったことへの後悔など、微塵も感じなかった。

「これは、言い伝えの話なんだけどね」

 マミが口を開いた。声のトーンが、以前より和らいだように感じる。

「〈円環の理〉というのは、力尽きた魔法少女の前にのみ姿を見せるといわれているのだけど、その姿は女神の様、といわれているの」

「それほんとかよ」

 茶化すように杏子は言う。どうにも話が出来過ぎていて現実味がないように感じるからだ。マミは続ける。

「それと、その容姿は、見るものによって違うとか」

「あんたは、それを信じてるのかよ」

「そうね……言い伝えにもいろいろなバリエーションがあるから……でも、その中で一番好きなのが今の話なの。だって、その方が素敵じゃない?」

「ケッ」

「あたし達も……いつか逢えるのかな?」

 彼方に想いを馳せるように、さやかが言った。

「言っとくけど、抜け駆けは許さないからな」

「はいはい。あんたの世話をマミさん一人に押し付けるようなことはしませんよーだ」

「あたしは子供じゃないぞ」

 杏子自身も信じられないことだが、杏子はいま高校生だ。孤児の進学を支援する奨学金プログラムとやらにマミと一緒に加入し……正確にはマミに無理矢理加入させられ、いまはマミと同じ高校に通っている。

 マミは進学後にアルバイトを始めた。少しでも自立したいから、という事を以前話していたが、本当に始めるとは思っていなかった。朝昼学校で学び、夕方働き、夜は魔獣と戦う。たぶんマミは魔獣より恐ろしい存在だと杏子は思っている。杏子も一時期、「食べ物があるから」という理由だけでファミリーレストランのアルバイトをしていたが、そのうち重大な問題――遊ぶ時間がなくなるという問題に気づき、すぐに辞めてしまった。

 さやかはと言うと、入試が終わり、合格通知が届いた後も迷い続けていた。何に迷っていたかというと、自分の進路――マミと同じ高校に進むか、恭介や仁美と同じ高校に進むか、である。

 結局、さやかはマミと同じ高校を選んだ。彼女はその理由を話さなかったが、それが彼女なりのけじめのつけ方だったのだろう。

 だが、それで恭介達との縁が切れたわけではない。さやかは今でも時折二人と会い、ミニ発表会と称して二人の演奏を聴いているらしい。恭介の、ではなく二人の、という点が小憎たらしい話だが、仁美が最近ピアノの腕を上げ、バイオリンの伴奏を弾けるようになったということだそうだ。さやかは二人の演奏を聴くのをずっと楽しみにしていたらしい。

 杏子がさやかの立場なら聴くのを断るところだが、さやかが幸せそうなので何も言わないことにしている。

 

 

 河川敷の歩道の向かいから、五歳くらいの子供を連れた夫婦が歩いて来るのが見えた。父親が、子供を肩車している。

「なあ……父さん、そろそろタツヤをおんぶするの、しんどくなってきたなあ」

「だめ、かたぐるまするのっ」

「コラ、あんまりパパを困らせちゃダメだぞ」

 母親らしき女性が言った。

「じゃあママがかたぐるまして」

「ママも無理」

「そっか。げんきな赤ちゃんうまないとあけないもんね」

「お、えらいなタツヤ」

「タツヤももうすぐお兄ちゃんだからね」

 ……何故だろう。

 昔の杏子なら、幸せそうな家族を見るたびに嫉妬や苛立ちを感じていたのに、今はそういった感情が一切起こらない。

 それは多分、自分も新しい家族を得たからなのだろう。

 そのうちの一人は、遠くの世界に旅立ってしまったけれど。

 彼女の残した「いつかまた会える」という言葉を、信じてみることにしよう。

 

 

 そういえば……。

 去り際に彼女が小さな声で「お姉ちゃん」と呟いたように聞こえたのを、杏子は思い出した。

 

 

 

 

    ――――

 

 

 西海岸有数の大都市を一望可能な高層ビルの屋上で、夏海詩花は夜が明けるのを待っていた。

 疲れた、というのが今の率直な気持ちだった。思い返してみると、この数日は毎日のように魔獣と戦っている気がする。

 指を折って数えてみる。十日連続、記録更新だ。

 突然我が身を襲った事件をきっかけに魔法少女となったあの日から、どれほどの月日が過ぎただろうか。この国が銃社会だ、というのは言葉の上では理解していたが、実際に本物の銃を目にするまで、それを実感したことはなかった。あの日を境に、世の中の見え方は随分と変わってしまった。

 だが、後悔はしていない。魔法少女になる以前は、世の中のために身を削る行為なんて、自分とは無縁の世界の話だと思っていた。しかし、今は清々しい充足感に満ちている。自分には闇を消し去る力がある。その力がこの街の人々の役に立つのなら、喜んでそうしよう。

 あの事件を契機に詩花が手に入れた能力は、奇妙なものだった。詩花を相手に、およそ想像しうるかぎりの武器は通用しない。その気になれば、拳銃をポップコーン発射装置に変えることもできるし、コンバットナイフをマシュマロ並の硬度に変えることも可能だ。「地味な能力ね」と仲間の魔法少女によく言われるが、そのたびに詩花は「地味だけど、強力よ」と言い返すことにしている。

「それにしても、この街を縄張りにする羽目になるとは、君はついてないね」

 突然現れたキュゥべえが言った。相変わらずの神出鬼没だ。

「なんでよ」

「この街が、魔法少女達の間で何と呼ばれているか、知っているかい」

「知ってるわよ。……『呪われた街』」

「この街の魔獣の多さは群を抜いている。この街の犯罪率の高さがその裏付けだ。はっきり言って、君にまともに休める日は来ないんじゃないかな」

「そうね……でも私、この街が好きよ。だってそれってある意味、人が人らしく暮らしていると言えるんじゃない?」

「君のそのポジティブ思考なら、当分はこの街でもやっていけそうな気がするよ」

「どうかしら……もし私一人だったら、とっくに挫けてたと思うな」

 後ろから、今夜の戦いを一緒に乗り切った仲間の魔法少女がやって来た。詩花の能力を「地味ね」と笑った張本人だ。口は少し悪いが――この国では彼女くらいが普通なのかも知れないが――詩花にとってはかけがえのない仲間だ。

 東の空が徐々に明るくなり、山の輪郭がくっきりと見えてきた。今日も学校に行かなくてはならないというのに、寝ずに夜を明かすことになるとは、本当についてないな、せめて明日くらいは平和な一日を過ごしたいな、と詩花は思った。

 

 

 

 

    ――――

 

 

 名前を呼ぶ声が聞こえて、少年は目を覚ました。

 最初に見えたのは、父の姿だった。いつもより少し疲れているように見えるが、笑っている。

 周囲に目をやると、見慣れない白い廊下を、窓から差す朝日が照らしていた。

 少年は、あまり座り心地の良くない廊下の長椅子の上で眠っていた。確か、ここに来たときはまだ夜だったから、この場所で一夜を明かしたということだろうか。少年にとって、病院で一夜を過ごすというのは、記憶にある限り初めてのことだった。

 母が急に苦しみだして父が母を病院につれていったのが昨日の夜だった。同行した少年は苦しむ母を見てどうしようもない不安に駆られたが、父は優しく「大丈夫だ」と言った。

 幼い少年もやがて理解した。今日が、この家族にとってのとても大事な日になるであろうことを。

 少年は期待を膨らませたが、「その時」はなかなかやって来なかった。やがて期待よりも眠気が上回り、少年は眠ってしまった。

 父は目を覚ました少年の手を握ると、病室へと連れて行った。

 病室に入ると、真っ白なベッドの上に、母の姿があった。気のせいかもしれないが、以前よりも痩せて、肌が白くなったように見える。

「おいで、お兄ちゃん」

 優しい声で、母が少年を呼んだ。父に背中を押され、母のもとへ歩み寄る。

 ベッドの脇に、透明な仕切りに囲われた小さなベッドがあった。少年は中を覗こうとするが、位置が高くて中の様子がわからない。

 父が少年を抱え上げた。白いシーツの上に、小さな赤ん坊が横たわっているのが見えた。赤ん坊は目を閉じていた。眠っているようだ。

 今日、家族がひとり増えた。

 少年は不思議な気持ちでいっぱいだった。この子はいったい、どこから来たのだろう。自分自身も、こんな風にして生まれてきたのだろうか。けれど自分はそんなことは覚えていないから、この子もいずれ今日のことは忘れてしまうのだろうか。

 恐る恐る、赤ん坊に手を伸ばしてみる。指先を頬に当てると、まるで大福のように柔らかかった。

 ふと、少年の脳裏に、ある言葉が浮かんだ。

 その言葉は、少年が今より幼い頃からずっと心の中に存在していて、しかしそれが何を意味するのか少年自身にもわからない、不思議な言葉だった。久しく記憶から薄れていたその言葉を、少年は今はっきりと思い出していた。

 少年は振り返り、父に向って笑いかけた。

「まどか!」

 時が経ち、幼少の記憶が薄れゆくとしても、少年にとってこの朝の出来事は、生涯忘れ得ぬ記憶となるだろう。

 

 

 

 

 

Fin.

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