「待って」
一緒に戦ってきた仲間が、自分の元を去ろうとしている。
それが耐えられなくて、詩花は少女を呼び止めた。
ある夜の出来事である。
「ごめん。私はもう、この街にはいられない」
背を向けたまま、仲間は力なく返事をする。
「一緒に、戦ってくれないの?」
詩花は問いかけるが、彼女は答えない。
同じ魔法少女だから、彼女の気持ちは詩花もよく理解している。しかしそれでも、詩花は彼女に踏みとどまって欲しかった。
「お願い。私ひとりじゃ、何もできないの」
「じゃああなたも一緒に来てよ」
仲間は声を張り上げる。
「私は……一緒には行けない。この街を離れたくないの」
「……そんなにあの子が大事?」
少女が問いかけるが、詩花は答えない。「あの子」が誰を指すのかは、詩花はもちろん理解してる。
「あなた前に言ってたじゃない。あの子の――」
「それは違う!」
それ以上は聞きたくない、という想いに駆られ、詩花は彼女の言葉を遮った。
「あの子は悪くない。きっとただの偶然よ。私がそれを証明してみせる」
「……どうやって?」
「分からない。けど、このままあの子を見捨てるなんて出来ない。だから私はここに残る」
決意は見せたものの、実際のところ、詩花の心の内には不安しかない。どうすればそれを成し遂げられるのか、それが本当に可能なのか、詩花にはまったく見えていない。だからこそ、詩花は仲間を必要としていた。彼女に、この街に留まって欲しかった。
「短い間だったけど、一緒にいられて楽しかった」
仲間はそう言って、深夜の闇の中に消えていった。
誰かが詩花を呼ぶ声が聞こえる。
その声に導かれるように、詩花は夢から醒めた。
目を開くと、ニコニコと微笑むまどかの顔が飛び込んできた。
外はすっかり暗くなっている。
「晩御飯ができたから、一緒に食べよ。ママもちょうど帰ってきてるの」
どうやら、夕食の前に眠ってしまったらしい。きっと時差ボケのせいだろう。
まどかの言った通り、スーツ姿の詢子が、食卓に腰掛けている。
「急に詩花ちゃんが遊びに来たって言うから、仕事を放って帰って来ちゃったよ」
「突然お邪魔してしまってすみません。マダム」
「いいって、いいって」
何の連絡もせずに押しかけた詩花を、まどかの両親は歓迎してくれた。その暖かさが、詩花の拠り所のひとつでもある。
「それで?こっちにはいつまでいるつもり?」
「それが、実は……まだ何も決めてないんです。それで、勝手を言って申し訳ないのですが……しばらく、こちらでご厄介になってもよろしいでしょうか?」
心苦しそうに、詩花は問う。
「詩花ちゃん、もしかして……」
詢子が不安そうな表情を浮かべた。
「向こうで何か嫌なことでもあった?」
「いいえっ、違うんですっ」
詩花は思わず両手を横に振る。
「私、日本に来るの久しぶりだし、まどかの故郷のことも、いろいろ知りたくて……。できれば、ゆっくり堪能してから帰りたいんです」
「そっか」
詢子の表情が笑みに変わった。
「遠慮はいらないよ。詩花ちゃんは、あたし達の家族みたいなもんだから」
「ありがとうございます」
「部屋は、わたしと一緒でいい?」
まどかが尋ねる。
「まどかが迷惑でなければ」
「じゃあ、決まりだね」
詩花はこうして、鹿目家での長期滞在の許しを得た。
詩花が住み慣れた日本を離れてアメリカに渡ったのは、九歳のときである。
外資系の企業に勤めるアメリカ人の父は、かねてから日本とアメリカを頻繁に往来していたが、やがてアメリカでの長期勤務が決まり、家族揃って移住することとなった。
ハーフではあるが、父は家庭ではほとんど日本語しか話さなかったため、詩花は英語がまったくといっていいほど出来ない。だから、アメリカに渡って最初の数ヶ月間は、ずいぶんと苦労した。
そのような経験があったからかも知れない。日本からやって来たという転校生を見つけた時は、放っておくことができなかった。
その転校生は、名を鹿目まどかといった。
まどかのことを知るや、詩花はすぐに、彼女を好きになった。
小柄で、どこかおどおどしていて、保護欲をかきたてられる。が、その見た目に反して、誰かに甘えるようなところがまったく無い。いつも自分の足で立って、困難を乗り切ろうとするタイプである。
はじめのうちは慣れない環境に怯えていたまどかだったが、次第に、よく笑うようになった。
それから三年間、二人は絶えず友達同士だった。まどかが日本に帰ってからも、それは変わらないと、詩花は思っている。
長期滞在の許しを得た翌朝。
学校に行くまどかを眠い目を擦りながら見届けた後、詩花は再び眠りに落ちた。
再び目を開けた時には、部屋の中の時計は既に正午前を指していた。
詩花は起き上がり、まどかの机に目を向けた。
そこに、フレームに収められた二枚の写真が置かれている。一枚は、まどかと詩花の二人が写っている。東海岸に旅行に行った時のもので、背後に自由の女神像が写っている。
もう一枚は、まどかを含む三人の少女が写っている。きっと、まどかが小学生の頃の写真だろう。昨日知り合った、美樹さやかの姿もある。
「そろそろ行くか」
詩花は外出用の服に着替えた後、家事にいそしむ知久に帰りが遅くなることを告げ、鹿目家を後にした。
最初に足を運んだのは、市内にある書店だ。
その片隅にある地図コーナーで、詩花は「見滝原市」と書かれたポケット地図を物色し、手頃なものを探す。これからの活動に必要な道具である。勿論、携帯電話さえあれば紙の地図などは不要な代物だが、ときに紙の方が便利な場合もある。
そのとき――。
背後に何者かの気配を感じ、詩花は地図を漁る手を止めた。
「まさかこんな場所で君に会うとはね」
声を聞いて、ああやっぱりか、と詩花は思った。
振り返ると、大人の背丈程に積み上げられた本の上に、白い小動物が鎮座している。
詩花はすぐに視線を逸らした。顔も見たくない、というのが彼女の率直な気持ちである。
「わざわざ友達に会うためだけに、この街に来たわけじゃなんだろう?」
キュゥべえが問う。彼の目を誤魔化せないことは詩花もよく知っているし、彼に隠し事をするつもりもない。
「この街で、少し調べたいことがあるの。けど安心して。あなたの手を煩わせるつもりはないから」
詩花は淡々とした口調で答える。
「そもそも、私が困っている時に、あなたが手を差し伸べてくれたことが一度でもあった?」
詩花が彼を嫌う一番の理由はそこにあった。魔法少女になってから今日に至るまで、途方に暮れるような出来事の連続だった。しかし、そんな彼女に、彼が手を差し伸べてくれることは殆どなかった。
「君は僕のことを、万能の神か何かと勘違いしているのかい?僕にだって分からないことはあるし、君達の問題は、君達で解決してくれとしか言いようがないよ」
「……そう言うと思った。とにかく、今の私はひとりでも平気だから、構ってくれなくて結構よ」
「そうかい。なら、君の気の済むようにすればいい。君の期待するような成果は得られないと思うけどね」
そう言い残して、キュゥべえは姿をくらました。
彼が言った通り、詩花が見滝原に来た目的は、まどかに会うこと以外にもうひとつある。それは、簡単にいえば、自身が立てた仮説の真偽を確かめること、であった。
そして、その確認のためには、時間と脚力と根気が必要である。
幸い、この街の公共交通機関は充実していたので、アメリカにいた時ほどの苦労はせずに済みそうであった。
詩花は電車やバスを乗り継ぎ、ある時は北へ、またある時は南へと移動を繰り返す。
再び見滝原の中心街に戻った時には、すでに夕刻となっていた。
何の気なしに立ち寄ったCD屋で、詩花は偶然にも美樹さやかと遭遇した。とは言っても、ただの偶然ということはなく、彼女の気配を感じ取ったさやかの方から、近づいて来たのだろう。
彼女は首にヘッドホンをぶら下げている。音楽が好きなのだろうか。
そして、手のひらに青いソウルジェムを乗せたまま、詩花の顔をみて微笑んでいる。挨拶のつもりなのだろう。
詩花もその挨拶に応じるように、自身のソウルジェムを見せた。
ある意味、この時が初めての正式な自己紹介といえる。
「ねえ、あたし達と組まない?」
最初に口を開いたのはさやかだった。随分と単刀直入である。
思いがけない誘いに詩花は戸惑い、返す言葉に迷った。
「悪いけど、ここに長く居るつもりはないの。用が済んだら帰るつもりだし」
「けど、まどかが好きなんでしょ?わざわざ会いに来るくらいだし」
「好き……。それは、Likeの意味?」
「そう固くならないでさ。ここに居れば、いつでもまどかに会える。それに、仲間は多いほうがいいでしょ?」
詩花は黙っている。さやかの誘いを簡単には受け入れられない理由が、彼女にはあった。
「秘密……まどかに知られたくないんだね。分かるよ、その気持ち」
「ん……」
さやかに図星を突かれて、詩花は口を閉ざす。
「その点については安心して。秘密は守るって約束するから。あたしの仲間もきっと歓迎してくれるよ。杏子、覚えてるでしょ?ちょっと自分勝手な奴だけど、いいところもあるの。それにマミさんも。……あたし達の先輩でね、すごく頼りになるんだ」
随分と軽々しく自分達のことを喋るものだと、詩花は思った。
隠し立てしないのは好感が持てるが、同時に軽率だ、という印象も抱いてしまう。
アメリカ暮らしが長かったせいかもしれない。他人を簡単に信用することがいかに危険かということを、詩花は身を持って学んでいた。だからこそ、さやかに対してそのような印象を抱いてしまうが、同時に、そんな風に考えてしまう自分自身が嫌になる。
「きっと楽しいよ。四人で力を合わせれば、もう向かう所敵なしって感じ?」
「少し……考えさせて」
あいまいな返事をして、詩花はさやかと別れた。
詩花はさやかの言っていた、マミという魔法少女に関心を抱いた。彼女は、見滝原に来たらまず最初に、この街を縄張りとする魔法少女を探すつもりであった。だが、思わぬ形でその手間は省けた。まさか、まどかの友達二人が魔法少女だとは思わなかったし、さらにもう一人、魔法少女がいるというのも、予期せぬことである。
足を棒にしてまどかの家に戻った時には、すでに夜も更けていた。
分かっていたことだが、まどかとその両親は随分と詩花を心配していた。心苦しいが、それでも詩花は自身の活動をやめるわけにはいかない。
その日以来、同じような一日が一週間ほど続いた。
日が経つにつれて、詩花が求めていた答えが次第に明瞭になっていった。
否、求めていなかった答えが、という方が正しいのかも知れない。
詩花は心の中で、自身の仮説が否定されることを望んでいた。それなのに、この街に来て彼女が目にした事実は、その仮説を裏付けるものばかりである。
まどかが外出している時間、詩花は彼女の部屋で、この一週間持ち歩き続けていた地図を広げた。
「嘘でしょ」
地図を見おろしながら、思わず声を漏らした。声が、震える。手も、震えている。
「こんなことって……」
知り得た真実を胸に秘めたまま、ここから逃げてしまおうか、とも思った。
しかし、それはできない。
買って間もない地図はいつの間にか所々が破れ、しわだらけになっていた。
――――
詩花の帰りが遅い。
帰りが遅くなるので夕食は先に済ませて欲しい、というメールを受け取ったが、どこに出かけているのか、いつ帰ってくるのか、そのメールには書かれていなかった。
まどかは心配した。だからという訳でもないが、二階のベランダに出て、外の様子を見ている。
空を見上げると、無数の星と、半円の月が輝いている。雲ひとつない星空だった。
「まどかは星を見るのが好きだね」
声が聞こえて、まどかは視線を下に落とした。
庭先に、詩花が立っている。
詩花は前進してまどかの視界から消えたかと思うと、しばらくしてベランダの手すりに手をかけ、よじ登るようにしてベランダに入って来た。
まどかは閉口した。
「ちょ、ちょっと……」
詩花は余裕の笑みを浮かべている。
彼女が身軽で時に驚くような行動をとることは以前から知っていたが、これではまるで泥棒ではないか。
「変な才能、開花させないでよ」
「ごめん、ちょっと、ふざけすぎちゃった?」
まどかは落ち着きを取り戻して、ベランダの手すりに手を置いた。
「遅かったね」
「うん……。日本に来るの久々だったから、羽目をはずしすぎちゃった」
「そっか。……何か面白いもの、見つけた?」
「うん。いろいろ」
まどかはもう一度星空を見上げる。つられるようにして、詩花も空を見上げた。
「何が見えるの?」
「え?」
「ほら、まどかって夜になると、いつも星を見てるでしょ?そういうときのまどかって、なんか不思議でさ……。何考えてるのか分からないっていうか……」
同じようなことを、家族からも言われたことがある。星を見るのは、確かに好きかもしれない。無数の星を見上げながら宇宙の広大さを感じていると、不思議と懐かしい気持ちになる。そんなことを母に話したら、「子供らしくない」と笑われたことがある。
だが、このときまどかが考えていたのは、それとは別のことであった。
「思い出してたの。あの事件のこと」
まどかが言うと、詩花は視線を落とした。
まどかは今でも、あの事件を思い出すと身の震える思いがする。が、詩花の来訪によって、あの日の記憶を鮮明に蘇らせていた。
男子生徒が拳銃を片手に教室を占拠したあの日、まどかを含めて、生徒達は皆、為す術もなく物陰に隠れて震えていることしかできなかった。教師の中には彼らを説得しようとする者もあったが、彼らは耳を貸そうとはせず、逆に警察を一人でも建物に入れたら生徒を殺すと脅してきた。
そんな状況下で、ただ一人、恐れを知らぬ立ち居振る舞いで、彼らに立ち向かおうとする者がいた。
それが、詩花に他ならなかった。
「あの時、わたし……本当に怖くて、隠れて震えてることしかできなかったのに……。あの日以来、しいちゃんは学校のヒーローだよ」
「先生にはえらく怒られちゃったけどね」
詩花はおどけるような口調で言った。
いくら生徒達が救われたと言っても、詩花の行動は誰の目に見ても無謀だった。そのために詩花は教師達のお叱りを受けたらしいが、最終的には教師達も詩花の勇気ある行動を称えたという。
「でも、わたしはそれより前から知ってたよ」
「何を?」
「しいちゃんがヒーローだってこと。わたしにとってのしいちゃんは、出会った時からずっとヒーローだよ」
まどかは本気でそう思っている。慣れない環境で戸惑っていたまどかに優しく声をかけてくれた詩花は、まどかにとって恩人であり、ヒーローであった。
詩花は、黙ったままそっぽを向いた。
「まどか。そういうこと、よく包み隠さず堂々と言えるよね」
どうやら、まどかの言葉が恥ずかしくて、顔をそむけている様子である。詩花のそんな態度を見ていると、まどかはつい、からかってみたくなる。
「わたし、向こうに転校したばかりのころ、弱音を吐いたことがあったでしょ?故郷に帰りたいって。あの時、しいちゃんが――」
『まどかが日本に帰ったらヤダ』と、そのとき詩花が言ったことを、まどかは思い出している。
「……私、そんなこと言ったぁ?」
詩花が目を細める。しらばっくれるつもりだろうか。
「言ったよぉ。もう忘れちゃったの?」
まどかが問うが、詩花は黙ったままだ。
「あのとき、しいちゃんがそう言ってくれたから、だからわたし、向こうで頑張ろうって思えたの」
「ふうん……」
しばらく、沈黙が流れた。
「ねえ、しいちゃん」
「ん?」
「これは、もしもの話なんだけど……。もしも、魔法でどんな願いでも一つ叶えられるとしたら、しいちゃんは、何を願う?」
「そうねえ……」
詩花は伸びをしながら星空を見上げる。
「ビバリーヒルズに豪邸が欲しい。そこでね、仕事にも学校にも行かないで、毎日映画を観て過ごすの。ねえ、そんな暮らしに憧れない?」
まどかはその願いが、まるで中年男性の老後の夢のように聞こえて、吹き出しそうになった。
だが、まどかが本当に訊きたかったのはそのような事ではなかった。それを聞き出すには、質問をもうひとつ付け加えなければならない。
「もしも……自分の命と引き換えだとしたら……?願いを叶えるのに自分の命が必要だとしたら、それでも叶えたい願いって、あると思う?」
まどかはそのことを、魔法少女ではない誰かに問いたかった。自分は魔法少女にはなれないので、こんな質問をするのは無意味かも知れない。しかしそれでもまどかは、魔法少女という存在を理解したかった。
詩花は視線を下に落として短く沈黙した後、
「……ないね、そんなの」
と、素っ気なく答えた。
「だって、願い事ってのは、自分のためにするものでしょう?その自分が死んじゃったら、願い事をする意味なんてないよ」
「そう、なのかな……」
詩花の口から出た答えは、まどかが考えていたことと同じだった。その事に安堵すると同時に、どこか落胆する部分もある。結局、魔法少女の価値観は、魔法少女にしか理解できないのだろうかと、思ったためであった。
「やっぱり、そうだよね……」
呟きながら、まどかは空を見上げた。
「それを聞いて、なんだかホッとした」
頭上の月が、輝いている。
それからの数日間、同じような毎日が続いた。
まどかが学校から帰っても、詩花が家に居ない。夜が更けてから、疲れた表情を浮かべて帰ってくる。どこに出かけているのか、詳しいことは教えてくれない。
その謎めいた行動が初めから気がかりだったが、それが毎日続くので、まどかはさすがに心配になった。
しかも、日が経つにつれて詩花の顔色が悪くなり、口数も少なくなっていくように感じられて、まどかの不安は更に増していった。
そのことをさやかや杏子に話しても、真剣に取り合ってくれない。さやかは、
「きっと街で遊び呆けてるんだよ」
と、笑いながら言うだけである。
ある夜――。
家族が寝静まった後、薄暗いリビングにひとり座っていると、疲れた様子の詩花が帰ってきた。
「おかえり」
まどかが笑みを浮かべながら声をかける。
詩花はまどかの顔を見て居たたまれなくなったのか、視線を下に落とした。
「疲れたでしょ?お風呂沸いてるから、入ってきたら?」
「……うん」
詩花は気のない返事をする。
「パパもママも心配してるよ。いつも帰りが遅いから。わたしだって……」
「ごめんね。心配ばかりかけて……」
「……話して、くれないかな?」
問われた詩花は、暗い顔をした。
「全部じゃなくていいの。けど、こっちに来てからしいちゃん、ぜんぜん自分の話してくれないし。それに、何か思いつめたような顔してる」
今も、そんな顔をしているように、まどかには見えた。
詩花はしばらく黙った後、顔を上げた。
「やっぱり……良くないよね、こういうの」
「え?」
「まどかはいつも素直で……嘘もつかないし、隠し事もしない。正直に自分の気持ちを話してくれる。なのに私……隠し事ばっかりで……。こんなんで、本当の友達って呼べるのかなって」
「しいちゃん……」
「……ああもう。まどかが正直に話してくれたから、私も正直に言う!私……私ね……」
声が震えている。
詩花は、両手を背後に隠して、もぞもぞと動かしている。その仕草が、まどかには気になった。背中の後ろに、彼女の隠し事があるのだろうか。
長い静寂が続いた後、詩花は肩を落とした。
「私……まどかが日本に帰るって聞いたとき、とても悲しかった」
「え……?」
思ってもいない告白に、まどかは驚く。
「私も、まどかと同じで、日本での生活の方が長かったから……。だから本当は、心細かったの。そんな時にね、まどかを見つけたの。まどかが――」
俯きながら語る詩花の言葉を遮るように、まどかが詩花の耳をつまんだ。
「耳が赤くなってるよー」
笑いながら、まどかがからかうように言った。
「ちょ、ちょっと」
詩花はまどかの手を振りほどこうとするが、まどかは手を離そうとしない。
「人が、真面目に、話してるのにー。からかうなし」
悪戯を続けるうちに、いつの間にか、詩花の顔が笑顔に変わった。
二人は声を上げて笑いあった。久しぶりに見た、詩花の笑顔である。
「いいんだよ、それで」
「え?」
「誰だって、隠し事のひとつやふたつ……。みんな、そういうのを抱えて生きてるんじゃないかな」
「……友達同士でも?」
「うん。だから、無理して話そうとしなくていいんだよ。……けど、もしどうしても辛い時があったら、その時は話してね」
詩花は俯いて黙った後、
「ねえ、まどか」
と、顔を上げた。
「今度の週末、二人で遊びに行こう。隣町のショッピングモール、前から行ってみたかったの。たくさん遊んで、気が済んだら……私、アメリカに帰る」
まどかは、寂しい気持ちになった。だが、いつまでも引き留めておくのも心苦しく思い、
「いいよ」
と、承諾した。
――――
シャープペンシルがカリカリと音を立てながらノートに文字を刻んでいく様子を、マミは黙って見ている。
ペンを操っているのは、百江なぎさだ。
いつの日からか、放課後にマミの家でなぎさの勉強の面倒を見るのが、日課のようになっていた。
「はい」
なぎさはそう言って、宿題を書き写したノートをマミに見せる。
マミはノートをじろじろと検分した後、
「全問正解」
と言って、ノートを返した。少なくとも、マミが答え合わせをした限りでは、である。
なぎさは、笑っている。
勉強を教えるようになって気付いたことだが、なぎさは年齢の割に賢い。こうしてわざわざ、マミの家で宿題の面倒を見る必要も無いのではないかと思えるほどにである。
だから、勉強を教えて貰う、というのはただの口実で、実際はお喋りをするためにマミの家に来ているのではないかと、マミは思っている。
なぎさは今でも、魔法少女の戦いについて、興味津々とマミに質問してくる。マミは何度も、魔法少女になるには大きな代償を払わなければならないことを教えているつもりだが、それを理解しているのかしていないのか、なぎさは魔法少女への関心を失おうとはしなかった。
そこでマミは、何か叶えたい願いがあるのかと、なぎさに尋ねたが、なぎさは
「ないのです」
ときっぱり答えた。母の病気が治った今、叶えたい願いなど自分には無い、という。
つまりなぎさは、魔法少女そのものに憧れのような気持ちを抱いているのではないかと、マミは思っている。
そんななぎさに対し、マミは複雑な想いを抱いている。ひとたび魔法少女になれば、命が尽きるまで戦い続けなければならない。その運命を背負わせるには、なぎさは幼すぎると思っている。
「ねえ、なぎさ。何か食べたいものはある?」
「チーズが欲しいのです」
「……いつもそればっかりじゃない」
「キャンディーチーズが食べたいのです」
「ごめんね。キャンディーチーズはもうないの」
「ええっ」
「昨日、佐倉さんが全部食べちゃったのよ」
「キョウコ……!何なのです、あのひと。なんでいつもあんなに食べてるのに、太らないのです?」
「さあ……魔法少女だからじゃない?」
「じ、じゃあ……なぎさも魔法少女になったらナイスバデーになれますか?」
「あのねえ……」
マミが呆れ顔になった直後――。
部屋の呼び鈴が鳴った。
「誰かしら」
マミは立ち上がって玄関口に向かうと、ドアスコープを覗きこんだ。
見えた光景に、思わず目を疑い、マミは反射的にドアを開けた。
見知らぬ少女が扉の前に立っている。俯きがちで、神妙な表情を浮かべている。
そして手のひらに、ソウルジェムが乗せられている。
知らない魔法少女が訪ねてきて、いきなり自身の正体を明かすという状況に、マミは困惑せざるを得ない。
「突然お邪魔してすみません」
少女は淡々とした口調で言った。
「夏海詩花といいます。鹿目まどかの友人です。あなたがこの街で一番頼りになると聞いて来ました。どうか、私の話を聞いていただけないでしょうか」
あまりに真剣な様子で懇願してくるので、マミは思わず息をのんだ。
魔法少女がわざわざ自分を頼って訪ねてきたのだから、追い返すわけにもいかない。
マミは部屋の中に顔を向けて、
「なぎさ、悪いけど、今日の勉強会はこれでおしまい」
となぎさに声をかける。
「えー」
なぎさは不満そうな表情を浮かべている。
「お願い」
「……はーい」
なぎさはノートと筆記用具をランドセルに仕舞い、力なく立ち上がって玄関口に歩いて来る。
「ごめんなさいね」
詩花が気遣うように、なぎさに声をかけた。
――――
ある夜――。
市内を見渡せる程の高層ビルの屋上に、杏子はさやかと共にいた。
杏子はあぐらをかきながら膝を上下に揺すり、見るからに苛立っている様子である。
一方のさやかは正座をしながら目をつむり、まるで瞑想にでもふけるように落ち着いていた。
強い風が、二人の髪を揺らめかせている。
二人は魔獣を待っていた。
魔獣は瘴気の中から現れる。その瘴気を見出すには、高い場所に上り、街を観察するのが手っ取り早い。
しかし、その魔獣が現れなくなってから、だいぶ日数が経つ。
杏子はその事に苛立っていた。
やがて諦めがついたのか、杏子はゆっくり立ち上がって、
「帰ろうぜ。これ以上待っても、何も出やしねえよ」
とさやかに声をかけた。
さやかが、目を開く。
地上に下りた二人は、スーパーで林檎を何個か買った後、車の通りの少ない道路の両脇を歩きながら、家を目指した。
「なあ、さやか。このままでいいと思うか?」
杏子が問いかけると、さやかは俯いてしばらく黙った後、
「いいわけないよ」
と答える。
「いろいろ気がかりなことがある。特に、魔獣の代わりに現れるようになったあの化物……。まだ正体も何も掴めてないし、もしあいつが魔獣と同じように人を苦しめる存在だとしたら、あたし達はそれが何なのか、知る必要がある」
いかにもさやからしい答えだと、杏子は思った。
「それもそうだけどさ。もっと重大な問題があるだろ」
杏子が林檎をかじった。
「魔獣がいなくなっちまったんだ。あたし達が生き続けるためには、魔獣と戦って、払ったグリーフシードでソウルジェムを浄化しなくちゃならない。つまりあたし達は今、生きる糧を失ってる状況なんだ。そっちの方が重大だろ」
「変わってないね、あんたのそういうとこ」
さやかがうっすらと笑みを浮かべた。
さやかは、杏子の言っていることが自分本位だと、言いたかったのだろう。杏子もそれを否定するつもりはなく、
「ったり前だろ。人は簡単には変われないモンなんだよ」
と返す。
「あたしは、長いこと魔法少女をやってきたけど、考えたこともなかった。魔獣がいなくなるなんて。……魔法少女の使命は魔獣と戦うことだ。それを果たす必要がなくなったとしたら、あたし達はもう……用済みってことなのか……」
「それは違うんじゃないかな」
と、さやかが言う。
「あたし達の使命は、みんなの幸せを守ることだよ。だから、もし魔獣以外にみんなを苦しめる存在がいるとしたら、あたし達は戦い続けなくちゃならない」
そんなのは綺麗事だ、と言い返しそうになって、杏子は口をつぐんだ。
「けどもし、それさえも必要なくなって、みんなが幸せになれる世界が来たとしたら、そのときは、あたし達の使命が終わったってことだよ。その時は潔く……消え去るしかない」
「さやか……あんた、本気でそう思ってるのか?」
杏子が問うが、さやかは答えない。
杏子は、さやかの言っていることに納得ができない。皆が幸せに暮らせる世の中になったとしても、そこに自分達の居場所はない――。魔法少女になった時から薄々気付いていたその事実を、魔獣が消えるという出来事によって、改めて再認識することとなった。だが、その現実を簡単に認めたくなかったし、さやかがそれを受け入れているというのも、杏子には信じられない。
「もうひとつ、気がかりなことがある」
話題を逸らすように、さやかが口を開いた。
「あの子のこと」
さやかが気になると言っているのは、まどかの友達の夏海詩花のことである。
「あの子、本当にまどかに会うためだけに見滝原に来たのかな」
「何で、そんな事を気にするんだ?」
「だって、あの子も魔法少女なんだよ?とっくに異変に気付いてもおかしくないのに、あたし達に何も言ってこない。なんかちょっと、不気味っていうか……」
「そういや、まどかが言ってたな。いつも外をぶらついてて帰りが遅いって……」
言われてみれば、確かに気になる。
ならば会って直接話を聞いてみたらどうか、という杏子の提案に、さやかも乗った。
二人は翌日、まどかの家を訪れたが、そこにまどかと詩花の姿はなかった。応対してくれた知久の話によると、二人で隣町に遊びに行っているという。加えて、詩花がじきにアメリカに帰るつもりだということも教えてくれた。
「どうする?」
杏子が尋ねると、さやかは渋い顔を見せた。
――――
まどかは詩花に連れられて、隣町のショッピングモールを訪れた。
詩花は、昨日までの疲れた顔が嘘のように、はしゃぎ回っている。
そんな詩花に引っ張り回されながら、まどかもまた、これまで心を覆い尽くしていた霧が晴れるような、心地良さを味わっていた。
夕方近くになって、詩花の様子が変わった。
口数が少なくなり、手洗いに行ったかと思うと、しばらく篭ったまま出てこない。
さすがに疲れのだろうかと、まどかは心配になった。
「大丈夫?」
手洗いから出てきた詩花に、まどかが声をかける。
詩花は俯きがちで、どこか暗い顔をしている。
「ごめん、まどか。ちょっといいかな」
まどかが詩花に導かれてやって来たのは、ショッピングモールに併設された巨大な立体駐車場だった。
休日で来客が多いとは言え、上階部は車も疎らで、人気も少ない。
夕刻になり、外から指す光が黄色く変化している。
詩花は無言で歩き続けている。
そんな詩花が不思議で、はじめは彼女の隣を歩いていたまどかは、次第に数歩後ろを追いかけながら歩くようになっていた。
「ねえ、まどか。魔法少女って知ってる?」
「えっ?」
あまりに突拍子のない詩花の一言に、まどかは身の硬直するような感覚に陥った。
むろん、まどかは知っている。だが、「魔法少女」という言葉が詩花の口から出たことが、意外で仕方なかった。
まどかは、返答に窮した。「知っている」と軽々しく答えれば、秘密が明るみになることを良しとしないさやか達に、迷惑をかけることになるかもしれない。
「知ってるよね?知らなかったら、私にあんなこと、訊く筈ないものね」
詩花に言われて、まどかははっとした。あの日の夜、詩花に願い事の話をしたことを、まどかは思い出したのだ。
「私、魔法少女なの」
詩花はそう言って、足を止めた。
まどかの足も、自然に止まった。
「いま、何て……」
詩花が、自分が魔法少女であることを明かしたように、まどかには聞こえた。だが、確証が持てない。頭が混乱する。心臓の鼓動が激しくなるのを感じる。
やがて、詩花が振り返った。
手のひらに、宝石のような物が載っている。
その宝石を、まどかは見たことがある。
さやかが、同じ物を持っている。杏子が、同じ物を持っている。マミが、同じ物を持っている。
あの三人の魔法少女と同じ物を、詩花が持っている。
まどかは、詩花が魔法少女であるという事実を、否応なく受け入れるほかなかった。
「いつから……?」
まどかはその事が気になって、詩花に問いかけた。だが、詩花は答えない。
「もしかして、出会った時から、ずっと……?」
そして、もうひとつの事実が、まどかを更に困惑させた。
詩花のソウルジェムが、短い周期で、強い光を放ったり、収めたりを繰り返している。
さやかに聞いたことがある。ソウルジェムは周囲に強い魔力を感じ取ると、このように光を放つという。
詩花はまどかの問いには答えようとせず、まどかから離れるように、ゆっくりと後ずさりする。
やがて、駆けるような足音がまどかの耳に届いた。
「まどか!」
駆け寄ってきたのは、さやかと杏子だった。
「さやかちゃん、杏子ちゃん。どうして……」
まどかは思わず声を漏らしたが、なぜ二人がここに居るかを考えるほどの心の余裕は、既になかった。
さやかと杏子もまた、手のひらにソウルジェムを載せている。
その宝石が、眩い光を放っている。
「あんた、こんな所にまどかを連れ回して、一体どういうつもり?」
さやかが、険しい顔と口調で、詩花に問いかけた。
詩花は俯いたまま黙っている。
やがて、周囲の景色が変わった。
まどかにとっては、二度目の体験である。
「ねえ、お二人さん。あなた達は、この異変を放っておける?異変の原因を突き止めたいとは思わない?」
詩花が問うと、さやかと杏子の顔色が変わった。
「あんた、異変の原因を知ってるの?」
「知らないわ。けど……今ようやく、真実に一歩、近づけたような気がする」
詩花はそう言って、魔法少女に変身した。
直後、まどかの周囲に螺旋状の光り輝く蔓のような物が出現し、まどかの上半身を縛った。
詩花の放った魔法により、身体の自由を奪われたようだ。
「おい、何しやがる!」
杏子が血相を変え、槍を構えた。さやかも応じるように、剣を構える。
詩花は答えずに、右手をさっと挙げて二人に向けた。
直後、杏子の槍がまるで溶けた蝋のように変形し、さやかの剣がアルミの薄板のように折れ曲がりながら、渦を描いた。
「何よ、これ!」
二人とも、狼狽している。構えた武器が、瞬く間に使い物にならないガラクタに変わってしまったのだ。
「ねえ、あなた達は、まどかをどう思ってる?大切な友達だと思ってる?」
詩花が二人に問う。
「あ、あたり前でしょ!」
さやかが答える。
「私も同じよ。……けど、だからこそ、はっきりさせないといけないことがある」
詩花はまどかを拘束したまま、異様な風景の広がる周囲に、目を配った。
やがて、見たことのない造形をした異形の生物が、四人の前に姿を現した。
詩花は大きくジャンプし、高所の足場に着地した。
異形の目がどこにあるのか、まどかには判らない。が、異形は詩花の動きを捉えている。詩花に敵意を向けているように、まどかには見えた。
やがて、異形は無数の投擲武器を周囲に出現させて、詩花をめがけて投じた。
しかし、投擲武器は詩花に到達する寸前に、砂にでも変化したように散り散りになり、詩花に傷を与えることはなかった。
その様子を、さやかと杏子は呆気にとられた様子で見守っている。
異形の攻撃が止むと、詩花は、まるでSF映画に登場するような光り輝く剣を出現させ、両手に握った。
詩花は、今度は異形をめがけて大きくジャンプした。
そして、息をのむような鮮やかな立回りで、異形に次から次へと太刀を浴びせた。
まどかが呆けた顔でその様子を見守るうちに、気が付くと、異形の生物は姿を消し、周囲の景色も元に戻っていた。
「すごい……」
さやかが、折れ曲がった剣を握ったまま、声を漏らした。
詩花はまどかの拘束を解かないまま、ゆっくりとまどかに歩み寄る。
戦いが終わっても、彼女は真剣な表情を崩そうとしない。
「まどか、あなたに大事な質問がある。正直に答えたら解放してあげるから、それまで辛抱して頂戴」
「なに……?」
質問があるにしても、なぜ今、こんな場所で、しかも拘束されたまま質問されなければならないのか、まどかは戸惑うばかりである。
詩花は続ける。
「あなたが呼んだの?さっきの魔物」
「え……」
まどかは唖然とした顔で声を漏らした。質問の意味がわからない。
「はぁ?」
杏子が目を細めた。さやかは呆然としている。誰ひとりとして、詩花の唐突な質問の意図を理解できかねている様子だった。
「まどか、答えて」
「答えるって……なに言ってるの?わたしは……知らないよ、あんなの」
まどかは包み隠さずに、自分の知っていることを答えた。とは言っても、何も知らないから、知らないと答えるしかない。
「ばかばかしい!」
さやかが声を荒らげた。
「まどかを放しなさいよ!その子は関係ないでしょう?」
詩花が、さやかに視線を向けた。睨むような目つきをしている。
「質問を変えるわ。次に答えるのはあなた達」
詩花はさやかと杏子を見据えたまま、言葉を続けた。
「見滝原で、魔法少女の在り方に関わるある重大な異変が起きているはず」
さやかと杏子が目を合わせる。二人とも心当たりがある様だ。
「……魔獣のこと?」
「ええ。その異変が起き始めたのはいつから?」
「いつからって、それは……」
さやかは記憶の糸をたぐるように、瞳を震わせた。
「三週間くらい前からだけど……って……!」
さやかは答えた後に、目を大きく見開いた。三週間前と言えば、まどかが転校してきた時期と重なる。
「あんたまさか、それだけの理由でまどかを疑うつもり?」
「それだけじゃない!」
詩花が声を荒らげる。
「それだけじゃないのよ。あなた達は、この異変が世界で同時に起きているとでも錯覚していたんでしょうけど、それは違うの。異変が起きているのは見滝原だけ。……正確には、まどかを中心とする一定の範囲だけ」
さやかも杏子も、言葉を失った。だが、一番困惑しているのは、まどかである。
「私はアメリカに居たとき、同じような異変に悩まされていた。調べるうちに、異変が限られた範囲でのみ起きていることに気付いた。そして、その中心にいたのがまどかだった。……その事実を知った私の仲間は、みんな街を去って行った。あなた達なら、その理由がわかるはずよ」
杏子の顔色が変わった。
「あんたは、残ったのか?」
杏子が詩花に尋ねる。
「ええ。まどかを、見捨てたくなかったから……。私もはじめのうちは、ただの偶然だって思ってた。きっと、何かの間違いだって……そう信じたくて……。けど、その期待も裏切られた。……まどかが日本に帰った途端に、街に魔獣が現れたから……」
詩花は、声を震わせている。
「私の街の異変が収まったのが三週間前。見滝原で異変が起き始めたのも三週間前。それでもあなた達は、ただの偶然だと言い張れる?まどかは無関係だと言い切れる?」
詩花の問いかけに、さやかも杏子も返す言葉を失った。
「もう一度訊くわ、まどか。…………あなたは、何者?」
「わたしは……」
弱々しい調子で、まどかが口を開いた。自分が何者かは、自分が一番良く知っている。
「鹿目まどか……だよ。しいちゃんの、友達の……」
言いかけて、まどかはその事実が揺らぐのを心の奥底で感じた。まどかはずっと、何の疑いもなく、詩花のことを普通の友達と思って接してきた。なのにその間、詩花はずっと、自分が魔法少女であることばかりでなく、異変の原因がまどかかも知れないという疑念さえ包み隠したまま、まどかに接し続けていたのだ。
その事実を知り、まどかは急に、詩花が遠い世界の存在になったような、寂しい感覚を得た。
「わたしは……何も知らない……!しいちゃんはずっと、わたしのこと、疑ってたの?」
まどかが問うと、詩花の顔色が変わった。迷いと後悔のにじみ出たような、そんな淋しげな顔をしている。
「まどかが、何も知らないのだとしたら……他の誰かが、あなたを操っているのかもしれない。なら、そいつを暴き出す」
「そんな……どうやって……」
そのとき――。
会話を遮るほどの不気味な轟音と共に、真っ黒な影のようなモノが地を這い、詩花の足を捕らえた。
詩花は足元に目を向ける。
沼に足をとられたように、くるぶしから下が影に沈み、詩花は身体の自由を奪われた。
影は詩花の背後から伸びている。
コツ、コツ、と規則正しい間隔で響く靴音が次第に大きくなり、一同は音の聞こえる方向に注意を向けた。靴音は、まどかから見て正面の方向から聞こえてくる。
人影が見えた。女性である。
腰まで届くほどの長髪と、乾いた目つき。
まどかのよく知る女性だった。
「ほむらちゃん……?」
暁美ほむらである。休日だというのに、中学の制服を身につけている。
彼女の乾いた視線が、詩花を捉えている。
彼女はゆっくりと歩み寄りながら、
「その子を放しなさい」
と、詩花に向かって言い放った。
そして、詩花の数歩手前で、足を止めた。
「貴方、まどかの友達なんでしょう?どうしてこんな酷いことをするの?」
冷静沈着とした口調で、暁美ほむらが問う。
詩花は、突然の乱入者に戸惑っている様子である。
「な、何なのあなた?あなたには、関係ないでしょう」
「いいえ」
さきほどまでの冷静な態度が嘘のように、ほむらは強い口調で言い返した。
「その子は…………………………」
ほむらの視線が、まどかに向いた。
その微動だにしない眼球に思わず目を奪われ、まどかは息をのんだ。
「…………………………………………………………私のクラスメートなの」
さやかも杏子も、呆気にとられている。
クラスメートであるという公然の事実を語るにしては、間が空き過ぎである。
「だから、あまり手荒なことはして欲しくないのだけど」
「うるさいわね。私はただ、まどかの潔白を証明したいだけ。これは、私達の問題なの」
「証明できなかったら?」
「え……?」
詩花の顔色が変わった。
「証明できなかったとしたら、貴方、まどかをどうするつもりなの?」
「それは……」
詩花は返す言葉を探すように、しきりに目を泳がせている。沈黙が続いた。
「答えられないのね。あなたはそんな半端な覚悟で、まどかを追い詰めようとしている」
暁美ほむらの声のトーンが、次第に低くなってゆく。
詩花は依然、返す言葉を見つけられずにいる。
「そうよね。確かに、魔獣がいなくなるのは困るわよね……魔法少女には、立ち向かうべき悪が必要だもの」
「……私は」
「まどかのためなんて嘘。貴方はただ、自分達の存在意義が脅かされるのを恐れているだけ。そうでしょう?」
「……違う」
消え入りそうな声で、詩花が言った。
「残念だわ。貴方の出方次第では、こちら側につく選択肢も用意してあげられたのに」
暁美ほむらは、右腕を伸ばしたままゆっくりと胸の高さまで上げた。その先端が紫色の炎に包まれたかと思うと、すぐに炎が消え、それと同時に、右手に握られた黒い鉄の塊が露わとなった。
拳銃である。拳銃である、ということしか、まどかには判らない。
銃口は、詩花の胸元を向いている。
間髪を入れず、ほむらは撃鉄に親指を添えて起こしたかと思うと、人差し指を引き金に添えた。
「やめてっ!」
まどかの反射的な叫びを聞いてか聞かずか、ほむらは引き金を引いた。
カチッ。
…………
…………
虚しい金属音だけが周囲に鳴り響き、その後、静寂が流れた。
詩花は、硬い表情を浮かべながらも、堂々とした出で立ちで、銃口を見据えている。
瞬間、まどかの脳裏に、別の光景が映った。
この光景を見るのは、初めてではない。そんな考えが頭を過ぎり、やがて確信へと変わった。この光景を見るのは、二度目である。
引き金が引かれた。が、弾は不発に終わった。そして、詩花は傷ひとつ負っていない。
暁美ほむらは不思議そうに銃を見回したかと思うと、回転式の弾倉をカラカラと回して、再び銃口を詩花に向けた。無表情の中に、かすかな焦りが見える。
今度は二回、引き金を引いた。が、結果は同じであった。何度引き金を引いても、弾が発射されない
「そう……変わった魔法を使うのね」
暁美ほむらは、かすかに微笑んでいる。
「けど、無駄な足掻きよ。貴方はもう、私から逃れることはできない」
そう言って、彼女は下を向いた。
何かを呟くように、口を小刻みに動かしている。だが、何を言っているのか、まどかの耳には届かない。
やがて、純黒の妖気のようなモノが彼女の周囲を包んだ。かと思うと、何かが爆発するような衝撃音と共に、爆風が周囲の四人を襲い、まどかは思わず目を覆った。
目を開けると、暁美ほむらの姿が視界に入った。が、先ほどまでと容姿が違う。
まどかは、驚くような出来事の連続のせいで、感情が麻痺してしまっていたのかも知れない。だから、目の前のクラスメートが人ならざる姿に変化しても、ただ呆然とその姿を眺めるだけで、恐怖も戸惑いも湧いてこなかった。
全身を黒い衣装に包み、背中から大きな翼が伸びている。
気が付くと、詩花の足を捕えていた拘束は無くなり、彼女は自由に動ける身となっていた。しかし、変わり果てた暁美ほむらの姿に圧倒されているのか、立ち尽くしたまま動こうとしない。
暁美ほむらが、飛ぶように詩花の背後に回った。
そして、右手を詩花のソウルジェムに添える。
再び、爆発と同時に黒い妖気が周囲を包んだ。
しばらくその様子を呆然と眺めていたさやかが、
「正体を現したな、悪魔め!」
と叫び、折れ曲がった剣を捨てて新たな剣を召喚すると、怒りに身を任せるように、暁美ほむらに斬りかかった。
「さやか、よせっ!」
杏子が叫ぶが、さやかは耳を貸さない。
直後、さやかは爆風に弾かれて後方に身を倒した。
やがて、爆風が収まり、詩花は解放された。
詩花は呆けた顔のまま、ふらふらとした足取りで一歩、また一歩と足を前に押し出す。
立ち止まり、自分のソウルジェムに目を向けた。
ソウルジェムが、真っ黒な穢れに満たされ、亀裂が走っている。
詩花はその様子を見て顔を緩めたかと思うと、人形のようにその場に倒れた。
同時に、まどかの身体を縛っていた拘束が消滅し、まどかは自由の身となった。
まどかは慌てて、詩花の元に駆け寄る。
倒れた詩花の傍らに膝を落とし、両手で彼女の上体をすくい上げた。
詩花は自らの身体を動かす力も完全に失っている様子で、今にも閉じそうな細い目を、必死にまどかに向けている。
まどかの手が震えた。
「待って」
まどかは、既に背中を向けてその場を立ち去ろうとしていた暁美ほむらに、低い声をかけた。
何を言おうとして彼女を呼び止めたのか、まどか自身にもわからない。ただ、心に湧いた怒りとも悲しみともわからない感情をどう処理してよいかわからず、咄嗟に出たのは、ほむらを呼び止める言葉だった。
ほむらは立ち止まり、振り返った。
たった今ひとりの人間を手にかけたとは思えないほど、冷静な目をしている。
だが、まどかの目を見るなり、急に顔色を変えた。
何かに恐怖するように顔をひきつらせ、目を見開いている。
直後、彼女は大きな翼で顔を覆い隠したかと思うと、瞬く間に姿をくらませた。何枚かの黒い羽根が、ひらひらとその場を舞った。
まどかは再び詩花に視線を落とし、
「しいちゃん、しいちゃん」
と、必死に声をかけた。
さやかと杏子も、慌てて詩花の元に駆け寄る。
「グリーフシードは?」
さやかが焦燥しながら杏子に問う。が、杏子は首を横に振る。
まどかは二人に目を向けた。
「……助けられないの?」
震えた声でまどかが問うと、二人は苦い表情を浮かべた。
「……すまん」
消え入りそうな声で、杏子が答える。
「まどか……ごめんなさい……私」
詩花のかすれた声を聞き、まどかは彼女の顔を見た。どうしても、彼女に聞いておかなければならないことがある。
「しいちゃん……。教えて欲しいことがあるの」
「……なぁに」
「しいちゃんが、魔法少女になったのは、あのとき――」
まどかは、今でもはっきりと覚えている。
勇敢というべきか、無謀というべきか。あの事件が起こったとき、銃を持って教室に立てこもる男子生徒の前に、詩花は立ちはだかった。
男子生徒は無遠慮にも、詩花に銃口を向け、引き金を引いた。
だが、弾は不発だった。
男子生徒は何度も引き金を引いた。パーカーのフードで顔を覆い隠していたため表情はわからないが、その立ち居振る舞いから焦りが見える。
詩花はゆっくりと、右手を拳銃の上に添えた。かと思うと、その手を勢いよく引いて銃を奪い取り、上から振り下ろすようにして男子生徒の肩を思い切り殴り、男子生徒はその場に倒れた。
まどかはあの出来事をずっと、単なる奇跡だと思っていた。詩花のことを、強運の持ち主だとも思っていた。
だが、見滝原に帰ってきて魔法少女の存在を知ったとき、気付くべきだった。奇跡は
「あの時、みんなを救うために、魔法少女に……?」
詩花は緩んだ顔を必死に笑顔に変えながら、
「ばれちゃったか……」
と答えた。
「どうして?どうして、そんな……」
「私にしか、できないことだったから」
詩花の言葉に、まどかは心を掴まれるような衝撃を覚える。
「けど、後悔はしていないの。……大切な友達、失わずに済んだから」
詩花はそう言いながら、震える手を必死にまどかの頬に伸ばした。
まどかの目から涙が溢れ、詩花の頬に落ちた。
「疑ったりして、ごめんね。使命感にとらわれ過ぎて、本当に大切なもの、見失いかけてた。……悪いのはきっとあいつ……あの、悪魔……どうか、それを、忘れないで……」
詩花の表情に笑顔が無くなり、声が次第に弱々しくなっていく。
「しいちゃん……待って……」
「悲しまなくて、いいんだよ。これが、魔法少女の運命だから……。私は、ちょっと遠くの世界に行くだけ……。ほら……」
詩花はゆっくりと、右手を天に伸ばした。
「…………っ」
詩花の表情が変わった。
何かをはっきりと見据えるように、目を大きく見開き、何もない天を見ている。何かに驚いているように、まどかには見えた。
ソウルジェムに満たされた穢れが、何か未知の力に吸い上げられるように消え去り、浄化されたかと思うと、瞬く間に、ソウルジェム自体の姿形も見えなくなった。
気が付くと、詩花が横たわっていた場所には、何ひとつの痕跡も残っていなかった。
まどかは、手のひらにわずかに残された詩花の体温だけを感じながら、涙の枯れるまで泣き続けた。