終末の物語   作:Wiseman

5 / 14
第五話 神様

 長い沈黙が続いている。

 なぎさの母と思しき女性は、異形の魔物に拘束されたまま、俯き、微動だにしない。

 その異様な光景を目の当たりにし、まどかは息の止まるような緊張を感じた。これが、こんなものが、なぎさの母に起こった奇跡の正体なのだろうか。

 彼女の造形から抱く印象は、初めて魔法少女を見たときに抱いた印象とはまるで異なる、不安と恐怖を感じさせるものだった。

 隣で様子を見守っていたさやかとマミも、この状況にどう手を出してよいのか、思いあぐねているようだった。

 やがて、女性が動き始めた。

 手足を縛っていた拘束が灰のように崩れ去ったかと思うと、周囲に無数のナイフが出現し、弾丸が飛ぶような勢いで異形の魔物を襲った。

 瞬く間に、異形は姿を消し、異空間は消滅した。

 なぎさは依然、腰を落としたまま放心し、女性の姿を見ている。

 女性の顔が、なぎさを向いた。それまでの険しい表情を緩め、なぎさの身を案じるように、

「なぎさ、怪我はない?」

 と、声をかけた。

 なぎさは混乱しているのか、「え……」と消え入るような声を上げるだけで、女性の問いかけに答えない。

 彼女は確かに人間とも魔法少女ともつかぬ容姿をしているが、その一方で、大人の女性らしい美しさも保っていた。真っ直ぐなぎさに向けられたその目だけを見れば、子を案じる普通の母親にさえ見える。

 女性がなぎさに近づこうとした直後、無数の黄色いリボンが女性に向かって伸び、女性の全身を拘束した。

 リボンを発したのは、マミに他ならない。

「なぎさ、その人から離れて!」

 マミは声を荒げながらなぎさに警告する。

「その人はあなたのお母さんではないわ!」

「そんな……」

 なぎさは依然混乱している様子で、女性とマミを交互に見ながら、手をこまねいている。

「放しなさい」

 女性が言った。怒りのこもったような、低い声調だった。

「なぎさ、こっちへ!」

 マミが叫ぶと、なぎさは足を震わせながら立ち上がり、一歩、また一歩と歩き出した。

「待って」

 なぎさは女性の前に駆け寄り、両手を広げて、女性を庇うような姿勢を見せた。

「待ってください!」

 なぎさが叫ぶと、マミのリボンを握る手が緩んだ。

「この人は……なぎさのお母さんです!だからお願い……お母さんを放してください!」

「なぎさ……」

 マミの表情に、焦りが見え始めた。なぎさの言葉を信じるべきか、自分の直感を信じるべきか、迷っている様子だった。

 次の瞬間、女性の周囲に爆風が起こり、身体を縛っていたリボンが瞬く間に緩んだかと思うと、女性は拘束から脱出した。

 そして、なぎさを抱き寄せたかと思うと、女性はなぎさ共々、消え入るように、その姿をくらませた。

 

 

 

 

   ――――

 

 どのくらいの間、放心していたのかわからない。

 ふと我に返ると、なぎさは、母に手を引かれながら、街灯に照らされた遊歩道を歩いていた。

 母の歩調が速かったので、なぎさは必死に付いていくように、駆け足に近い足取りになっていた。

 なぎさは母の背中を見た。いつもと変わらない、普通の人間の姿をしている。さっきまで見ていたのは、夢だったのだろうか。

「あの……お母さん」

 なぎさは恐る恐る、母に声をかけた。

「なあに?」

「怪我……してない?身体、なんともない?」

「平気よ。なぎさは何も心配しなくていいの。早く帰って休みましょ」

「……うん」

 母の声のトーンがいつもより低い。怒っているのだろうか、と不安になったが、その表情はなぎさからは確認できない。

 しばらくの沈黙の後、再び母が口を開いた。

「ねえ、なぎさ。ひとつお願いがあるの」

「……なに?」

「巴さんとはもう会わないって、約束してくれる?」

「え……」

 なぎさはその時に気がついた。先ほどの一件で、マミの秘密を母に知られてしまった。母が怒っているとすれば、きっとそのせいである。やはり、夢を見ていたのではなかったのだ。

「でも、マミは――」

「約束、してくれるわよね?」

 なぎさの言葉を遮り、威圧するような口調で、母は言った。

 いつもの優しい母とは別人のような態度に、なぎさは返す言葉を失い、ただ、

「うん」

 と返事をするしかなかった。

 

 

 

 

   ――――

 

 父が、怒っている。

 だが、その理由が杏子にはわからない。

 やがて、父の強烈な平手打ちを頬に浴び、杏子は床に倒れ込んだ。勢いのあまり、手に持っていたソウルジェムを、床に転がしてしまった。

 杏子は慌てて、落ちたソウルジェムを拾い、再び手に収めた。

 杏子は顔を上げた。

 妹が、泣きながら母にすがっている。母が、冷たい視線を自分に向けている。その視線が耐えられなくて、杏子は目をそらした。

「ずっと……父さんを騙していたのか?」

 父は怒りに声を震わせながら、杏子に問いかける。

 確かに父には隠し事をしていた。だが、すべては父のためにした事である。

「だって、お父さんが……みんなに話を聞いて欲しいって……」

 怯えながら、声を震わせながら、杏子は必死に釈明する。父に、喜んで欲しかった。大勢の人々の前で説教をする父の姿を見たかった。そして、皆が父の話を聞くようになれば、きっと世の中は良くなる。

 そう信じて、杏子は奇跡を起こした。

 だが、杏子の釈明を前にしても、父の怒りは収まらなかった。

「こんなまやかしの力で人を集めて……父さんが喜ぶとでも思ったのか?父さんは何度もお前に言ったはずだ。正しい事をしないさいと。これがお前にとっての正しい事か!」

 父の言葉を聞き、杏子は自分の過ちに気づいた。人を騙して利益を得ることは悪である。杏子は父に何度もそう教えられてきた。自分は、父の教えに背いてしまったのだ。

 そのことに気づいた杏子は、ただ涙を流しながら、

「ごめんなさい……ごめんなさい……お父さん……」

 と、謝ることしかできなかった。

「お前は、私の娘じゃない」

 低い口調で、父が冷たく言い放つ。

 杏子にとっては、自分のすべてを否定されるような一言だった。

「お前は……悪魔だ」

 その言葉に、胸を突かれるような痛みを覚えて、杏子は夢から醒めた。

 

 

 眠りから覚めると同時に、杏子は勢いよく上体を起こした。寝汗がひどい。心臓の鼓動がいやに速い。

 ベッドから起き上がって時計を見る。まだ深夜の三時だった。

 気持ちを落ち着かせるために冷蔵庫を開け、保存しておいたペットボトル入りのリンゴジュースを一気に飲み干す。

 だが、なかなか気持ちが鎮まらない。

「クソッ」

 と呟いて、杏子は勢いよく冷蔵庫を閉めた。

 暁美ほむらの誘いが、頭から離れない。

 気を紛らすためにゲームセンターに入り浸ってみても、ふとした瞬間に彼女の言葉が頭をよぎり、集中できない。

 やがてゲームセンターにも行かなくなり、部屋にこもって考え事をする時間が多くなった。だが、いくら考えても、答えが出せない。

 暁美ほむらは一体何のために、自分にあんな誘いをかけてきたのだろうか。彼女が自称する通りの悪魔なら、彼女は自分を誘惑して堕落させるつもりなのかもしれない。だが、それをわかった上でも、彼女の提案は魅力的だった。

 部屋にこもるのも嫌になったので、その日の早朝は、目的もなく外をぶらぶらと歩いた。

 深夜に雨が降ったのか、アスファルトが濡れていた。腐った牛乳のような霧が周囲を漂い、視界が悪い。

 しばらく歩いて、杏子はふと足を止めた。

 目的などなかった筈なのに、気がつくと、杏子は父の教会の近くを歩いていた。教会は今どうなっているだろうか、と思い立ち、杏子はその足で教会に向かった。

 雑草の生い茂る庭を通って、教会の建物に足を踏み入れた。朽ちかけた木張りの床が、歩く度にギシギシと音を立てる。

 奥の教壇まで進み、杏子は腰を下ろした。

 ほころびかかった建物の内部を見回しながら、杏子は再び、色々なことを考え始めた。

(さやかやマミは、もしあたしが先に死んじまったとして、それを悲しんでくれるのか?……それとも、「あいつも逝っちまったな」の一言で終わり?)

 仲間や友達と過ごすとき、杏子は過去のことも何もかもを忘れて、精一杯戦い、精一杯遊ぶ。だが、一人になると、急にそのような暗澹とした考えに囚われてしまう。

(なんでだろうな。ずっと一人で戦っていれば、こんなことで悩まずに済んだのに。なんで、あいつらなんかと)

 その理由は、杏子自身、よく分かっている。仲間と一緒に過ごす方が、楽しいからだ。

 だが同時に、杏子は恐れている。またあの時のように、当たり前と思っていた幸せが、ある日突然、うたかたの夢のように消えて無くなってしまうことを。魔法少女の道を選んだ以上、やがて来る消滅の運命から逃れることは出来ない。それが何年先に起こるのか、あるいは明日起こるのか、誰にもわからない。

 今の暮らしから抜け出したいと思ったことは、一度や二度ではない。だが、それを強く思うようになったのは、学校に通い始めてからだ。魔法少女や魔獣のことなど露ほども知らず、勉学に励み、笑い合う同級生達。ときどき、彼らのことを羨ましいと感じてしまうことがある。

 だが、自分には使命がある。それを途中で放棄することは許されない。マミやさやかなら、きっとそう言うだろう。それを分かっていたから、杏子はこれまで、誰にもその本心を打ち明けたことはなかった。初めて打ち明ける相手がまさか暁美ほむらになるとは、杏子はまったく予想していなかった。

 前方で物音が聞こえて、杏子は顔を上げた。

 建物の入口付近に、老人が立っている。結構な年配に見えるが、背筋はピンと伸び、紳士然としている。その姿に、杏子は見覚えがあった。

 杏子は慌てて立ち上がった。背後の破れたステンドグラスから、逃げてしまおうと思ったのである。

「待って」

 老人が声を発し、杏子は動きを止めた。

「杏子ちゃんだろう?」

「……人違いだ」

 杏子はしらばっくれた。だが、老人は杏子の返答など気にも留めない様子で、

「ああ、やっぱり」

 と言う。どうやら、視力と聴力はかなり良いらしい。

「杏子ちゃんだ。ずっと姿が見えなかったから、心配していたんだよ。何処にいたんだい?学校には、通っているのかい?」

「……この近くにいた。学校には……行ったり行かなかったりだけど」

 杏子は正直に、自分の近況を話した。

「どうしたんだよ。爺さん。こんな所に来ても、もうお説教は聞けないぜ」

「ああ、分かっているよ。ここは今では、私の土地だからね」

「え?」

「売り叩かれていた土地を、半年ほど前に私が買ったんだ。あの人が生きた証を、壊されるのが惜しくてね……。あいにく、建物の手入れをするほどの余裕は、残らなかったがね」

「そうだったのか……。悪かった、勝手に入ったりして」

 杏子は、老人のことをよく覚えていた。父の元から次々と信者が離れていく中、この老人だけは、毎日のように教会に通い、必死に耳を傾けるように、父の説法を聞いていた。それくらい、この老人は父のことを深く尊敬していた。

「道に、迷ったのかね?」

 老人が急に、変なことを訊いてきた。

「……子供扱いしないでくれ」

「悪かったね。君は、考えていることがすぐに顔に出るから。それに、何の理由もなく、こんな場所に来たりはしないだろう?」

 杏子は、黙りこんでしまった。

 脳裏に、ふとある考えが起こった。杏子には、ずっと一人で考え続けても、答えのわからない疑問がある。だが、目の前にいる老人なら、その答えを知っているかもしれない。

「なあ、爺さん。ひとつ訊いていいかな?」

「……いいとも」

「神様って……本当にいると思う?」

 杏子が問うと、老人はしばらく黙ったまま、微動だにせずにその場に立ち尽くしている。質問が聞こえなかったのだろうかと、杏子は不安になった。

 やがて、老人が口を開いた。

「人間なら、誰もが一度はその疑問を抱く。……私もそうだ」

「え……?」

 杏子は、驚きの声を上げた。

「信じてるんじゃないのか?」

 ずっと父の教会に足繁く通っていたのだから、当然、神を信じているものと思っていた。だから、老人の答えは杏子にとっては驚きだった。

「君には、まだ話していなかったね」

 老人が言った。

「もう何十年も前になる。大きな災害があって……数えきれないほどの悲しみがもたらされた。私もその時、妻と、二人の子供のうちの一人を同時に失った。生きる気力を失ったよ。月日が流れて、皆がそのことを忘れるようになっても、私の悲しみは癒えなかった。そのときに出会ったのが、君のお父さんだった。あの人は、大きな災害が起こると、必ず現地に赴いて、犠牲者に祈りを捧げ、苦しむ人々に手を差し伸べることを信条としていたんだ」

 そのことは、杏子もよく知っていた。父に連れられて遠くの地に赴き、一緒に祈りを捧げたこともある。

「私はあの人に、自分の嘆きのすべてを打ち明けた。するとあの人は私の手を取り、まるで我が事のように泣いた。私が神を求めるようになったのは、その時からだ。神を信じ、死んでいった家族の魂が安らかであれと、残された家族に末永い幸福あれと祈った。……だが、その祈りは聞き届けては貰えなかった。去年、残された我が子も、私を置いて逝ってしまった。子にとってみれば、幸せな人生だったかもしれない。自分の家族を持ち、その家族に看取られて逝けたのだから……。だが、それを分かっていても、残された者の悲しみというものは、簡単には癒えるものではない……」

 杏子はすっかり、老人の長話に聞き入ってしまっていた。以前からこの老人のことは知っていたが、そんな悲しみを抱えていたとは、杏子は露ほども知らなかった。同時に、世の無情さのようなものを、杏子は感じていた。

「神はいるのか、という質問だったね。私が思うに、この世界は、ルールに支配されているんだよ」

「……ルール?」

「そう。ルールと言っても、人間が決めたルールのことじゃない。もっと普遍的な……この世界の万物を形作る法則。この世界に住む者は、何びとたりともそのルールに背くことはできない。もし背こうととすれば、その者は相応の罰を受けることになる。もし神がいるとすれば、ルールだけを決めて、ただ悠然とこの世界を眺めているだけなのかもしれない。あるいは、ルールそのものが神といえるかもしれない」

「それは……」

 杏子が、口を開いた。

「そんなのは、あたしの思い描く神様とは違う。……神様ってのは、悲しんでたり、途方に暮れている人がいたら、救いの手を差し伸べたり、導いてくれる存在じゃないのか?」

「それを信じるのもいいだろう。……だが私は、ただ自分の経験をもとに、神が無慈悲だと断じているのではない。……君を見ていたからね」

「……あたしを?」

「ああ。あの頃の君は、お父さんの教えを純粋に守っていた。神を信じ、正しい生き方をすれば、幸せになれると。なのに……」

 老人は途中で言葉を濁したが、彼の言おうとしていることは杏子にはわかった。

 信じていたのに、裏切られた。その想いが、ずっと杏子の心を支配している。思えば、家族を失ったあの日から、杏子の中にあった信心というものは失われていたのかもしれない。唯一信じるものがあるとすれば、それは自分自身であった。だから杏子は人との関わりを避け、ただ自分自身の為に生きてきた。

「近頃は、ろくに考えもせずに、神の存在を否定しようとする者が多い。だが、君は違うようだね。必死に考えている。自らの力で答えを出そうともがいている。さすがは、あの人の娘だ」

 本当はもう答えを出している、とは杏子は言わなかった。本当は父の教えに背いていたことも、言わなかった。

「そろそろ、行くよ」

 そう言って、杏子は入り口に向かって歩き出した。

「待って」

 老人の呼びかけに、杏子は再び足を止めた。

「一人で、平気かね」

「ああ」

 杏子は答えた。

「仲間がいるんだ。あいつらを、助けてやらないと」

「……そうか」

 杏子は顔を上げて、建物の内部を見回した。元々古い建物であっただけに、あちこちが綻んでいて、思わず身の危険を感じてしまう。

「大地震でも来たら、倒れちゃうかもな、この建物」

 杏子は、老人の顔を見た。

「危ないからさ、もう思い切ってぶっ壊しちゃえば?」

 表情の抜けた顔で老人に告げ、杏子は教会を後にした。

 老人は、驚いた顔をしていた。

 

 

 夜になって、杏子は暁美ほむらを食事に誘った。

 かつて地元にいたときに通っていた、お気に入りのラーメン屋である。

「あたしのおごりだ。遠慮しないで食べな」

 卓上にラーメンが届いた後、ほむらは前かがみになりながら、ぼんやりと器を眺めるばかりで、箸をつけようとしない。それを見かねて、杏子は早く食べるよう促した。

「地元で一番うまいラーメン屋だ。食っといて損はないぜ」

 杏子は箸を割り、自分のラーメンをすすり始めた。

 ほむらが顔を上げ、杏子の顔を見た。

「私の話、聞いてくれる気になったのかしら」

「だから、こうして呼んだんだろ」

「だったら、早い方がいいわ。場所を変えましょう」

 ラーメンなど知るか、といった態度で、ほむらはおもむろに立ち上がり、席を離れようとした。

 その態度が、杏子の癇にさわった。

「待て」

 箸を持った手をすっと前に差し出しながら、低い口調で杏子が言った。

「こいつを食い終わってからだ。食い物を粗末にする奴とは話をしない。いいな?」

 睨むような視線をほむらに送ると、彼女も杏子の顔を見た。無表情で、何を考えているのかわからない。が、やがて屈したように椅子に腰をおろし、箸に手を伸ばした。

 杏子は、彼女がラーメンを食べるかどうか、じっと観察した。

 杏子にとって、相手の人柄を知る最も確実な方法は、食べ物を与えることである。相手が美味しそうにものを食べれば、杏子はその相手に好意を持って接する。普通に食べれば、それなりの接し方をする。食べなかったり、粗末に扱う相手には、嫌悪感を示す。だから、ほむらがもしラーメンを食べなければ、二度と彼女の話を聞くつもりはないと、杏子は真面目にそう考えている。

 ほむらは箸の先を器につけると、少量の麺を掴んで、そっと口に運んだ。

 杏子は、軽く驚いた。考えてみれば、彼女が何か物を食べるのを見るのは、これが初めてである。

 だが、杏子はそれで、完全に彼女に気を許したわけではない。何しろ彼女は自らを悪魔と自称しており、自分に謎めいた誘いをかけているのだから、無理もなかった。

 食事がある程度進んだところで杏子は箸を止め、口を開いた。

「改めて確認させてもらうけど、本当にあるんだろうな?魔法少女の運命から逃れる方法っていうのが」

 杏子が問うと、ほむらはそっと箸を置き、自分の耳元に手をかざした。

「貴方に、私の力の一部を授ける。それで貴方のソウルジェムは、もう浄化の必要はなくなる。普段の生活には何の支障もないし、あとは貴方の好きなようにすればいい」

 そう言いながら、耳元にかざしていた手を、そっと前に差し出し、手のひらを見せた。

 手のひらに、何かが載っている。

 球状の宝石のような石の周囲に、装飾が施されている。

 杏子はその石を見て、思わず息をのんだ。それはソウルジェムのように見えるが、魔法少女のそれが持つはずの輝きはまったくなく、まるで穢れで満たされたように黒く濁っている。

「あんた、そりゃあ……何だ」

 声を震わせながら、杏子が尋ねた。

「貴方達がソウルジェムと呼んでいる物。もっとも、私はもうその名前では呼んでいないけど。ここで貴方に質問。私のこの石を満たしているものは何だと思う?」

「……穢れ」

 杏子は率直に、そのとき浮かんだことを答えた。

「そうね。普通の魔法少女なら、そう答えるでしょうね。まあ、いいわ。貴方にもいずれ、わかる時が来る」

 ほむらは、不敵な笑みを浮かべながら、杏子の顔をじっと見ている。誘いを受ける気になったか、とでも言いたそうな顔をしているが、杏子は黙っている。

「まだ私の事が信じられないといった感じね。無理もないわ。そんな都合のいい力、無償(ただ)で授けてくれる筈がない。きっと何か裏があるに違いない。貴方の考えているのはそんなところでしょうね」

 図星だった。

 見返りを求めない善意というものを、杏子は信じていない。そして、暁美ほむらの常に余裕ぶった態度が、不信感をより大きくしていた。自分を手玉にとるつもりではないか、という疑念が、杏子の中にはある。

「ええ、その通りよ。貴方には、仕事を頼みたいの。仕事と言っても、貴方がこれまでやってきたことと変わりはないけど」

「……なんだよ」

「貴方には、出来る限り多くの魔獣を退治してもらいたいの。私が求める見返りはそれだけ」

「んんっ?」

 杏子は思わず、前のめりになった。

「それだけでいいのか?」

「ええ。私の力を手にすれば、それも造作もないことの筈よ」

 気分がかすかに高揚するのを悟られないようにするため、杏子は視線を逸らした。

 人生の大きな岐路に立たされたような気分になり、軽いめまいを覚えた。

 杏子は冷静になって、いま自分が置かれている状況を整理した。見滝原で、魔獣が出現しなくなるという原因不明の異変が起きている。暁美ほむらによれば、それはある存在の影響によるものであり、その影響力が強まっているために、やがて風見野から、引いては世界から魔獣は消滅するというが、その真偽はわからない。さやかとマミは、身の危険も顧みず見滝原に留まり、異変の調査を行うつもりでいる。が、ほむらの予言通り魔獣が消滅すれば、やがてそれも叶わず、自分も含めて魔法少女は消滅の運命を受け入れる他なくなる。しかし、ここで暁美ほむらと取引すれば、そのような憂いから解放される。少なくとも自分自身は。

「ひとつ訊いていいか?」

「なに?」

「あたしには……仲間がいるんだ」

「美樹さやかと巴マミね」

 仲間の名前を言い当てられて、杏子は驚いた。

「……何もかもお見通しってわけか。それでその……あいつらにも同じ力を授けてやることはできるのか?」

「どうかしらね。あの二人が、私の言葉に耳を貸すとは思えないけど。でも、貴方が二人を誘うのは自由よ。その点についても、あなたの好きにすればいい」

 杏子の表情がわずかに緩んだ。

「どう?答えは出たかしら?」

「……そう、急かすなって」

 杏子はそう言って、器に残ったスープを飲み干した。

 

 

 

 

   ――――

 呼び鈴に指先を添えた瞬間、手が震えた。

 慣れ親しんだ筈の家の扉が、異世界に通じる門のように感じられる。

 一瞬、引き返してしまいたい衝動に、マミは駆られた。だが、そういう訳にはいかない。もう一度なぎさ母娘と会って、きちんと話をしなければならない。

 なぎさ母娘の一件以来、マミはなぎさと会っていなかった。あれ以来ずっと、心のざわつきを抑えることができない。なぎさはあの女性のことを、自分の母親だと言った。だがマミはそれを信じ切れずにいる。逆に、なぎさが悪魔に魅入られてしまっているのではないかという疑念に捕らわれ、そのことがマミの不安を増幅させていた。

 手の震えを抑え、マミは呼び鈴を押した。しばらくすると、大人の女性が扉を開けた。

 なぎさの母と思われる女性は、躊躇もなくマミを家に招き入れた。

 家に入ると、大きな書斎が目に入る。作家としての母の作業部屋らしい。しかし、マミは何度かなぎさの家を訪問したことがあるが、母がこの部屋で作業している姿は一度も見たことがない。

 やがてリビングに通され、テーブルに向かい合う形で、二人は椅子に腰掛けた。

 マミは女性の顔を見た。

 初めて会ったときと、ずいぶん印象が違う。以前の彼女は、マミ自身の母親を彷彿とさせるような、優しく美しい、普通の母親の顔をしていた。だが今は、まるで感情の読み取れない、乾いたような目を、微動だにさせず、まっすぐにマミに向けている。

 マミは、息の詰まるような緊張感を覚えた。普通の家にいるはずなのに、まるで異形の魔物の作り出す異空間にいる時ような違和感を覚える。

「なぎさは友達と外で遊んでいます。あの子には、もうあなたと会わないように言って聞かせてありますから、あの子と会うのは諦めてください」

 淡々とした口調で、女性が言った。

「私が今日お伺いしたのは……どうしてもあなたにお尋ねしたいことがあったから……」

 心を落ち着かせながら、マミはゆっくりと語りかけた。

「……あなた、本当になぎさのお母さんですか?」

 相手を怒らせるような問いかけであることを、マミは覚悟していた。だが、女性は顔色一つ変えなかった。

「何を話せば信じてもらえるのかしらね?あの子の誕生日?好きな食べ物?友達の名前?父親の名前?何だって話してあげられるわよ。あなたの知らないことも」

「いえ……わかりました」

 視線を落としながら、マミは弱々しく答えた。

「私が本当に確認したかったのは……あなたがなぎさに危害を加えるつもりがないということ」

「その質問、そっくりあなたにお返しするわ」

「え?」

 マミは、息をのんだ。

「前から訊きたかったのだけど、あなた、なぎさとはどういう経緯で知り合ったの?」

「それは……」

 マミは何かを言いかけて、言葉を詰まらせた。

「偶然……」

「偶然?」

 知り合ったのは、偶然である。だが、親密になった経緯を話すには、ある共通の知人について触れなけばならない。その共通の知人は、人間ではない。小動物の姿をした、言葉を話す知的生命体である。

「偶然知り合って、そのまま仲良くなったの?歳も離れていて、学校も違うのに?」

「それは……」

「あなた、本当はあの子をそそのかして、危険な道に引きずり込もうとしていたんじゃないの?」

 嫌な予感が、的中した。あの時、母の前で魔法少女の姿を晒していたために、そのような事を邪推されるのは、覚悟していた。

「魔法少女の道に」

「……え?」

 呟くように発した母の一言が、マミを硬直させた。母の口から「魔法少女」という言葉が飛び出したことが、マミを困惑させた。

「私が何も知らないとでも思った?」

「あなた、もしかして……」

 なぎさが魔法少女のことを母に話すとは思えない。だがそれ以外に、魔法少女の存在を知る方法はある。

「あなた、仲間はいるの?」

 母が急に、脈絡のない質問をした。

「ええ」

 マミは答えた。少なくとも今においては、仲間はいる。

「友達がいたの」

 母が言った。一体、何の話をしているのだろうか。

「私と同じで絵を描くのが好きで、子供の頃から一緒だった。大きくなって、同じ美専に進学した。彼女はずっと友達だった。けど、彼女には仲間がいなかった。……魔法少女だったの」

 マミは黙って、母の話に聞き入っている。

「私と一緒に素質を見出され、彼女は私より先に魔法少女になった。彼女はずっとひとりで戦い続けていた。その苦しみは、きっと同じ魔法少女にしか理解できない。けど、私なりに理解しようとした。きっと、辛かったはずだと。心細かったはずだと」

 マミは、一人で戦っていた日々のことを思い出した。孤独に押し潰され、自分が消えてえしまいそうになる感覚を、いまでも覚えている。

「私は悩み続けた。私なら、私が魔法少女になれば、彼女の孤独を癒してあげられるかもしれないと。そんなことを悩み続けているうちに、すべてがひっくり返るような驚きの出来事があった」

 母はそう言って、マミの顔をじっくり見据えた。

「あの子を身篭ったのよ」

 マミは驚くと同時に、その後の顛末のすべてを察した。

「その時、すべての迷いが晴れたわ。……生きてこの子を守らねば……。その日を境に、キュゥべえは私の前から姿を消した」

 魔法少女になることは、子を産み、育て、その成長を見届けるのを諦めることに等しい。だから、彼女は人間として生きる道を選んだ。母として、これ以上の選択はないと、マミは思った。だが――。

「あの子が産まれたとき、彼女は自分のことのように喜んでいた。あの子を抱きかかえて、我が子を見るような優しい顔で、笑ってた」

 そして、母の入院する病院を去って行ったと、彼女は語った。マミはその光景を思い浮かべながら、その友人の心境がどんなものであったか、想いを馳せた。

「それが、私が見た彼女の最後の姿だった」

 母は最後に、呟くようにそう付け加えた。胸を締め付けられるような感覚に、マミは陥った。

「彼女は戦いの話は滅多にしなかった。けど分かっていたわ。彼女は人の世の呪いから私達を守るために、ずっとひとりで戦っていたと。どんな最期だったのかもわからない。彼女の生き様を、誰かに語って聞かせることもできない。……それが、魔法少女の人生よ」

 母はそう言って、マミに乾いた視線を向けた。

「あなた達の生き方を否定したいわけじゃないのよ。この街の平和を守るあなたは、彼女の意志を受け継いでいる。尊敬しているわ。けどこれだけは言わせて。あの子を巻き込むことだけは、私が許さない」

 母の強い口調に押されて、マミは視線を落とした。

「隠していたことは謝ります。けど、誤解です。私は、あの子をそそのかそうだなんて……」

「あなたにその気がなくても、人は気付かないうちに他人に影響を与えるものなのよ。知ってた?最近のあの子、あなたの話ばかりするのよ」

「え……」

「まるで何かに取り憑かれたように。よほど、あなたに憧れているのね」

「そんな……」

 マミは、身震いした。なぎさの身を案じて母の元に乗り込んだはずが、返り討ちにあった気分である。目の前にいる女性は、紛れもなく、娘の身を案じる普通の母親であった。

 マミはすっと立ち上がった。

「お母さんのお気持ちはよくわかりました。……失礼しました」

「安心して。あなたの秘密を周りに言い触らすような真似はしないから。だから、関わり合いを持つのはこれ限りにしましょう?」

 母が笑みを浮かべながら、脅しを込めたような口調で言った。

 その笑みを見届けて、マミは家を後にした。

 外に出ると、すでに陽は落ち、暗くなっていた。

 帰り道の途上、マミはふと足を止め、目を閉じて顔を上げた。マミはこれまで、一日たりとも、自分の母のことを忘れた日はなかった。だがこの日ほど母を恋しいと思ったのは、長らく無いことだった。

 優しい母の姿を脳裏に思い浮かべて、マミは再び目を開いた。

 

 

 マミは、ひとつの決意を固めた。

 まどかに、自分の知っていることのすべてを打ち明けよう。そう思い立ち、マミは再び、まどかとさやかを自宅に招いた。

 だが、躊躇いが無いわけではない。すべての真実を打ち明けるには、感情を押し殺すくらいの覚悟が必要であった。

「話をする前に、二人に確認したいことがあるの」

 真剣な口調で、マミは話を切り出した。

「二人とも、この前の出来事は覚えてる?」

「え?」

 まどかとさやかは戸惑いながら顔を見合わせた。奇妙な質問に聞こえたのだろう。マミ自身、おかしな質問であることは自覚している。だが、この確認が、今の彼女達には極めて重要であった。

「なぎさちゃんのお母さんのことですよね?覚えてますけど」

 マミは、ひとまず安堵した。だが、もうひとつ、確認しなければならないことがある。

「じゃあ、夏海詩花さんのことは?彼女のことは覚えてる?」

「え?……覚えてますけど」

 まどかが答えた。

「覚えてるに決まってるじゃない。マミさん、急にどうしちゃったの?」

 さやかに問われて、マミは思わず視線を落とした。ここまでの答えは、マミの予想していた通りであった。だがマミは、最も重要な質問を、まだしていない。次の質問ですべてがはっきりすると、マミは思っている。

 マミは表情を引き締め、顔を上げた。

「じゃあ、夏海さんが魔法少女だったことは?」

 問われた二人は、しばらくマミの顔を見据えたまま、沈黙を続けた。

「魔法少女?しいちゃんが?」

「マミさん、何言って……」

「あなた達は、知っているはずよ」

 マミは二人の反応を見た。二人とも、明らかに困惑の表情を浮かべている。その反応に、マミは大きく落胆した。

「やっぱり、忘れてしまったのね」

 マミはここに来て、打ち明けるのをやめてしまおうかとも思った。だがそれでは、物事を前に進めることができない。やはり、ここで引き返すわけにはいかなかった。

 いま一度表情を引き締め、マミはまどかの顔を見た。

「鹿目さん。いまからあなたにとってとても重要な話をする。だから、心して聞いて欲しい」

「……はい」

 まどかは素っ気なく返事をした。

 おそらく二つ返事だろうとマミは思いつつも、ゆっくりと記憶を辿りながら、詩花が訪ねてきた時の話を始めた。

 

 

「鹿目さんの友達っていうのは、本当みたいね」

 渡された写真には、二人の少女が映っていた。一人はまどか。もう一人は、いま目の前にいる少女とみて間違いなさそうだ。

 ただ、表情はだいぶ違っている。写真の中の少女は笑っているが、目の前の少女は、何か思い詰めたような険しい顔をしている。

 突然家に訪ねてきた少女は、夏海詩花と名乗った。彼女も魔法少女であり、マミに大事な話があるという。

「それで、私に話って?」

 マミは、三角テーブルの向かいに座る詩花に尋ねた。

「話のわかる方で安心しました」

 安心した、と言っているが、険しい表情は変わらない。

「単刀直入に訊きます。この街で最近、変わったことはありませんか?例えば、魔獣がいなくなったとか」

「あなた、やっぱり、そのことを調べるためにこの街に?」

 マミはあまり驚かなかった。今起きている異変と、突然遠くの地から訪ねてきた魔法少女、この二つが無関係だとは初めから思っていなかった。

「あなたの言うとおり、確かに最近、魔獣とは縁がないわね」

「それっていつから?」

 詩花は身を乗り出すようにして尋ねた。

「三週間ほど前からよ」

「そんなっ!」

 詩花は驚嘆の声を上げた。しばらくして詩花は落ち着きを取り戻し、

「巴先輩に、見て欲しいものがあります」

 と言って、指輪をはめた左手をテーブルの上にかざした。

 指輪の宝石が一瞬光ったかと思うと、何処からともなく二枚の紙地図が現れ、テーブルの上に広げられた。

 マミは地図を凝視した。そのうち一枚が見滝原の地図であることはマミにもすぐに分かった。もう一枚は見慣れない物だったが、地名がすべて英語で記されていた。

 そして、二枚とも、地図の中心付近に二個のバツ印が記されており、その二つの印を中心とした楕円のような図形が描かれている。さらに、地図上のあちこちに、無造作に書き殴られたチェックマークのようなものが描かれている。マークの色は、円の内側と外側で異なっている。

 そこから詩花は、これまで自分が行ってきた調査の内容と、自分の立てた仮説を洗いざらいマミに話した。

 話を聞き終えて、マミは身震いするような衝撃を受けた。

 二つのバツ印はそれぞれまどかの家と学校を表しており、その二つの地点を中心とする一定の範囲から魔獣が消え、代わりに異形の未知の魔物が出現するようになったのだという。

「私の街の異変が収まったのが三週間前、この街の異変が始まったのも三週間前。けど、私ひとりで結論を出すのも早計だと思って……。できれば、他の人の意見も聞いておくべきだと思ったんです。巴先輩――」

 詩花は前のめりになりながらマミに尋ねた。

「こんな偶然って、あると思いますか?」

 どう答えてよいか、すぐにはわからなかった。詩花はつまり、まどかが異変の原因かも知れないが、確証が持てない、だからマミの意見を聞きたい、と言っている。答えようによっては、詩花を落胆させることになるかもしれない。

 悩んだ末、マミは直感的に、そのとき思ったことを答えた。

「確かに、偶然にしては話が出来すぎているわね」

「……やっぱり」

 詩花は肩を落としながら、呟くように言った。

「それで、あなた、これからどうするつもり?」

「異変を放っておくわけにはいきません。……気がかりなことがあるんです。異変の範囲が、以前より明らかに大きくなっている。このまま拡大が進めば、他の魔法少女にも知られることになるでしょう。そのとき何が起きるか……。これは、魔法少女の在り方に関わる重大な問題だから……」

 視線を落として沈黙した後、詩花は再び顔を上げた。

「私、まどか本人に確認するつもりです。本当に何も知らないのかどうか」

「あの子は私の見る限り普通の女の子よ。何かを隠しているとは思えないわ」

「私もそう思っています。だから、もしまどかが何も知らないと答えたら、これ以上まどかを疑うのはやめます。大切な友達だから……」

 詩花は、悲しそうな表情を浮かべている。

「そこで、巴先輩にお願いがあります」

「何?」

「私の持っているすべての情報を、あなたに預けます。だから、約束して欲しいんです。……もしもこの先、私の身に何があっても、この情報を守ることを優先するって」

「そんなっ」

「私も魔法少女だから、最悪の事態は覚悟しておかなくちゃいけない。だから、私にもしもの事があったら、あなたに私の調査を引き継いで欲しいんです」

 死を覚悟するような詩花の言葉に、マミは息をのんだ。

 マミはその場では彼女の依頼を承諾したが、自分と同じ魔法少女が危険を冒そうとしているのを、放っておける性分ではなかった。

 その翌日、詩花はまどかを遊びに誘った。監視するようで気が引けたが、マミは二人を追跡することにした。直接その姿を目で捉えなくても、魔法少女同士であれば、互いが発する微弱な魔力で、ある程度の居場所がわかる。魔法少女の間でプライバシーを確保するのがいかに困難かということを、マミは改めて感じた。

 二人が訪れたのは、隣町のショッピングモールだった。詩花がまどかをここまで連れてきた意図は明確だった。詩花の調査では、その場所は異変の範囲の外だった。そこにまどかを連れて来て、異変が起きるかどうかを調べるつもりだったのだろう。

 そして、事件は起こった。

 

 

 

 

   ――――

 

 話を聞いている間、血の気が引くような感覚を、まどかは何度も味わっていた。

 詩花が魔法少女であるという事実、自分がいま起きている異変の原因かもしれないという事実、そのどちらも、すぐには受け入れられない事実だった。

「あの、しいちゃんは……」

 声が詰まりそうになるのを必死に制して、まどかは言った。

「しいちゃんは、とても責任感が強い子なんです。マミさんに、そんな大事な情報を預けて、一人で帰ったりするはずがない。あの子は、今どこに?」

 マミの顔色が変わった。顔を伏せながら、悲痛に歪むような表情をしている。

「……マミさん?」

「夏海さんはもう、この世にはいないわ」

 言葉を理解すると同時に、意識の遠退くのを感じた。

「殺されたのよ。暁美ほむらの手にかかって」

 畳み掛けるように発せられるマミの言葉が、容赦なくまどかの頭にのしかかってくる。だが、その言葉を理解することさえ、まどかは出来なくなっていた。なぜここで、暁美ほむらの名前が出てくるのか。

「そんなっ!」

 さやかが膝立ちになりながら、声を荒らげた。

「私はこの目ではっきり見た。暁美ほむらが、魔法少女を凌駕する力を発揮するところを。夏海さんは、その力の前に倒れたのよ」

 さやかの目をしっかり見据えながら、マミが言った。

「なぎさのお母さんに起きたことはあなた達もよく覚えているでしょう?これではっきりしたわ。暁美ほむらは、正真正銘、悪魔というべき存在よ」

 さやかは、目を見開いたまま硬直している。

「暁美ほむらは、なぎさのお母さんを自分と同等の存在に作り変えてしまった。けど、彼女の力はそれだけじゃない。彼女はおそらく、人の記憶を自在に操る力を持っている。彼女は夏海さんを手にかけた後で、その場にいたあなた達三人の記憶を書き換えてしまったのよ。……私も最初は信じられなかった。この世界にそんな力を持つ者が存在するなんて。けどもし、本当に悪魔が存在するのなら、この世界を自分の都合の良いように作り変えることだって出来るかもしれない」

「……ちょっと待ってよ!」

 さやかが興奮気味に立ち上がり、マミの話を遮った。

「マミさんは、見てたんでしょ?あの子があの悪魔に殺されるところを……!なのに、それを、黙って見てたの?どうして……」

「それが……あの子の意志だった」

 マミが答えると、さやかは冷静さを取り戻したのか、口を閉ざした。

「あの子は、自分の身に何が起きても、他の誰かが自分の調査を引き継いでくれることを望んだの。私は、あの子の意志を尊重したかった。これは、鹿目さんのためでもあるの」

 気がつくとまどかは、溢れ出た涙で頬を濡らしていた。

「鹿目さん……ごめんなさい。私は、あの子を助けることが出来たかもしれない。なのに……」

 まどかは、マミを恨む気には到底なれなかった。もし助けようとしていれば、マミもまた、危険な目に遭っていたかもしれない。そうなれば、異変の真相も闇に葬られ、自分自身は何も知らないまま、これから先を過ごすことになっていたかもしれない。

「わたしは、見届けたんですか……?しいちゃんの最期……」

 言葉を詰まらせながら、マミに尋ねた。

「……ええ」

「あの子は、どんな顔をしてましたか……?」

 マミは視線を落として何かを考え込むような素振りを見せた後、

「とても……安らかな顔をしていたわ」

 と答えた。

「暁美ほむらは、一体何のためにこんなことを……?」

「はっきりとは分からないけれど、彼女は異変の真相を知っているのかもしれない。それを魔法少女達に知られるのは不都合だと判断したから、夏海さんを殺し、あなた達の記憶を書き換えた。……これからは、なるべく悟られないように、彼女の動きを探る必要がある。だから約束して。学校で彼女と会うことがあっても、これまで通り普通に接すること」

「そんなっ」

 さやかが声を上げた。

「放っておいたら、また誰かが犠牲になるかもしれないのに……!」

「美樹さん。……あなたが一番心配なのよ」

「え……?」

「美樹さん、あなた本当は、ずっと彼女の正体を知っていたんじゃないの?知っていたけど、忘れさせられていた。だとしたら、彼女もあなたのことを警戒しているかもしれない」

「けど……」

 さやかは言葉を詰まらせた。

「なぎさは?あの子のことはどうするの?」

 さやかが次に口にしたのは、別の話題だった。

「あの子のお母さんに委ねる」

「……平気なの?」

「ええ。私が誤解していた。あの人は紛れも無く、なぎさのお母さんよ。なぎさは、家族と一緒にいる方が幸せのはずよ」

 さやかは、返す言葉を見つけられない様子であった。

「……話を戻しましょう」

 マミが言った。

「あなた達にもうひとつ、見せたい物があるの」

 マミはテーブルの上に何かを置いた。

 それは、掌に収まる程度の大きさの、球状の物体だった。

 まどかはその物体を凝視するが、それが何なのかわからない。

「ソウルジェム……みたいだけど、なんか違う。それに、なんかちょっと濁ってる……?」

 まじまじと物体を観察しながら、さやかが言う。

 それは、ソウルジェムと同程度の大きさをしており、ソウルジェムと同じような輝きを放っているが、形状は魔法少女のそれとは異なっており、片方の先端がピンのように尖っていた。そして、さやかの言うとおり、その内部は穢れを溜め込んだソウルジェムのそれのように、すこし混濁していた。

「二人とも、この石に見覚えはある?」

 マミは二人に尋ねた。

 まどかも、さやかも、首を横に振る。

「何なの?これ」

 さやかが訊き返した。

「これも、夏海さんが私に預けた物のひとつ。夏海さんがこの街に現れた未知の存在と交戦したときに、そいつが落としていった物だそうよ。もしかしたら、異変の真相に近づく手がかりになるかもしれないと思ったのだけど……」

 さやかが石を手に取った。

 角度を変えながら間近でじろじろと観察するが、特に気付くところは無かったらしく、やがてその石をまどかに手渡した。

 まどかは手のひらに石を乗せ、じっと眺めた。

 石が、淡い光を放っている。

 やがて、自分の意識がその光に吸い込まれるような奇妙な感覚に陥り、まどかは目を細めた。睡魔に襲われる感覚に近い。

 その不思議な感覚にまどかは抗おうとするが、やがて抗いきれなくなり、意識の遠退くような感覚とともに、仰向けに倒れた。

「ちょ、まどか!」

「鹿目さん!」

 二人が驚いた様子で、まどかの名前を何度も呼ぶ。

 やがてその声も聞こえなくなり、まどかの意識は深い闇の中に落ちた。

 

 

 意識がはっきりしたとき、まどかは仰向けになり、雲のかかった青空を見上げていた。

 慌てて、上体を起こす。

 周囲を見渡すと、広い草原が広がっている。そして、少し離れた所に、見慣れない小さな異国風の町並みがある。

 ここが何処なのか、なぜ自分がここにいるのか、まどかは記憶を手繰ろうとするが、何も思い出せない。

 まどかは立ち上がり、訳もわからぬまま、草原をさまよい歩いた。

 風が吹くたびに草がそよぎ、さらさらと音を立てる。その音が、不思議と心地よかった。

 やがて、草原の中に、ひとつの人影を見つけた。

 背中を向けて、膝に顔をうずめて座っている。女の子のようであった。

 近づいてみて、まどかは、その少女が泣いていることに気づいた。

「あなたは……?」

 まどかが声を掛けると、少女は顔を上げて振り返り、まどかに目を向けた。

 目に、涙が浮かんでいた。

「まどかっ」

 少女は開口一番、まどかの名前を呼んだ。

「わたしのこと、知ってるの?」

 まどかが問うと、少女は涙を浮かべた目を、まっすぐまどかに向けた。目で「そうだ」と訴えているようであった。

 よく見ると、少女は魔法少女を思わせるような衣装に身を包んでいた。

「あなたは……魔法少女?」

 まどかが尋ねると、少女は首を横に振る。

「かつてはそうだった。けど、いまは違う……」

「じゃあ、あなたは、円環の……」

「それも違う」

 少女はかすれるような声で答える。

「私達、ずっと信じてたの……戦いの運命から解放されるって……けど、違った。私達は、ひとつになることを許されなかったの」

「どういうこと?」

 少女の言葉が理解できず、まどかは困惑した。

「この世界に、叛逆者がいるの。その叛逆者を消し去るまで、私達は自由になれない」

「……叛逆者?」

「けど、本当は嫌なの……怖いの……この世界にいると、自分が自分でなくなってしまいそうで……」

「え……」

「お願い、まどか。私達を助けて」

 少女の願いに、まどかは当惑した。自分に彼女を救う力があるとは、到底思えない。

「どうすれば……どうすれば助けられるの?」

「まどかが、魔法少女になれば……」

「え?」

 思いがけない言葉だった。

「わたし、言われたの……魔法少女にはなれないって……」

 どこで、誰にそのことを言われたのかは思い出せない。だが、その事実だけは、なぜかはっきりと覚えている。

 まどかが返すと、少女は悲嘆に暮れるように、再び顔を覆ってしまった。

「変なこと言って、ごめんなさい……そろそろ行かないと……」

 

 

 夢から醒め、まどかは目を見開いた。

 視界にあったのは、マミの部屋の天井だった。

「まどかっ、大丈夫?」

 声のする方に目を向けると、案じるように自分の顔を見るさやかの姿があった。

 さやかの手を借りて、まどかはゆっくりと上体を起こした。

 ふと思い立ち、まどかは自分の手のひらに目を向けた。手に握っていたはずの石は、既にそこには無かった。

「夢、だったのかな……」

「夢?」

「うん……女の子がいて……話をしたんだけど……」

「内容は、覚えてる?」

 マミに問われたが、まどかは首を横に振った。残っていたのは、断片的な記憶だけだった。美しい草原、そこに居た少女。少女と言葉を交わした気がするが、話の内容を、思い出すことができない。

 ただの夢でないとしたら、少女の話は重要な手がかりかもしれない。だが、マミもさやかもまどかの体調を案じて、それ以上の詮索を行うことはせず、まどかはさやかと共に、家を後にした。

 すでに、夜になっていた。

 ゆっくりと夜道を歩くまどかの数歩後ろを、さやかが歩いている。二人の間に会話はなかった。

 自分が異変の原因である。暁美ほむらは、本物の悪魔である。詩花はもう、この世にいない。

 マミが明かした真実のひとつひとつが繰り返し頭を巡り、まどかは気持ちの整理をつけられずにいた。

 さやかはそんなまどかにどう声をかけてよいかわからないといった様子で、黙ったまままどかの背後を歩いている。

「ねえ、さやかちゃん」

 最初に口を開いたのは、まどかだった。

「マミさんが言ってた、わたしがこの街の異変の原因かもしれないっていう話……それが、もし本当だとしたら……わたし、ここから――」

「ここからいなくなって、どこに行くつもり?」

 まどかの言葉を遮り、さやかが問う。考えていることを、見透かされたようだった。

「それは……」

「どこに行ったって、同じことだよ。魔法少女は、世界中に居るんだから」

「そう……」

「まどかは、ここにいていいんだよ」

「え……?」

「ここにいて、あたし達と一緒に、異変の本当の原因を突き止めようよ。あたしもマミさんも、まどかの味方だから。絶対、まどかを見捨てたりしないから」

 さやかが、まどかの手を両手で握った。

 まどかの目から、再び涙がこぼれた。

「しいちゃんも、同じだったんだよね……わたしのためにって……なのに、それを忘れちゃうなんて……」

「まどか」

 さやかは、まどかの身体をぐっと引き寄せ、背中をゆっくりとさすった。

「さやかちゃん、いなくならないで……」

「……どこにも行かないよ」

 さやかの抱擁を受けながら、まどかは不安に襲われた。いつかこの温もりも、自分の手の届かない遠くへ行ってしまうのではないか。それは、嫌だ。これ以上、友達を失いたくない。

 …………

 しばらくして、何かに驚くように、さやかが身体をまどかから離した。

 左手を開いて、ソウルジェムの指輪を宝石に変化させた。

 ソウルジェムが、何者かの魔力に反応するように、点滅を繰り返している。

「うそ、また……?」

「まどか、あたしの側から離れないで!」

「……うん」

 二人が魔力の痕跡を追って辿り着いたのは、夜の工場地帯だった。

 至る所に設置された赤い照明が、縦横無尽に走る工場のダクトを照らし、昼間とはまるで違う光景を生み出していた。不気味ながらも目を引く、不思議な景色だった。

 二人はその中に、結界のような場所が出現していることに気づく。

 さやかは魔法少女に変身した。

 結界の入口に向かって走りだし、まどかもその後を追う。

 直後、一筋の細長い影が空中から飛来し、二人の道を遮るように、地面に突き刺さった。

 二人はその影に目を奪われ、足を止めた。

 影の正体は、槍だった。

 色が全体的に赤く、見たことのない形状をしている。

「冷たいよなあ。さやかもマミも」

 遠くから聞き慣れた声が聞こえて、二人は顔を上げた。

 張り巡らされたダクトの上に人影が見える。しかし、暗くてその姿をはっきり捉えることが出来ない。

「何度も連絡したのに、ちっとも返事をよこさねえ。だからこうして、危険を冒して会いに来ちまったじゃねえか」

「危険って……」

 やがて雲の合間から月が出て、その姿をかろうじて目で捉えられるようになった。

 声は間違いなく、杏子のものである。

 しかし、その姿形は二人の知る杏子とは明らかに異なっていた。

 黒い衣、胸元でかすかに光るソウルジェム、肩に抱えた赤い長槍、背中に生えた大きな翼。

「あんたは手を出すな。こいつの狙いは多分あたしだろうからな。手本を見せてやるよ。その後で、じっくり話をしようぜ」

 背後の半円の月が、赤い光を放っている。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。