竜馬が起こしたフェンリル極東支部襲撃事件から一週間後。
外部居住区はともかくアナグラ内は復旧が終わり、肝心の対アラガミ装甲壁の補修工事も七割方完了していた。
そんな中、新人にして最初の新型神機使いとなった総司は浮かない顔でアナグラ内を歩いている。その姿を見かけたリンドウは煙草を消して声をかけた。
「よお、新入り。調子はどうだ?」
「リンドウさん。いやー絶好調ですよ」
「顔とセリフが合ってないぞ」
「いやいやどんな時でも訊かれたら絶好調ですって言わないと」
「なんだそりゃ」
「自己暗示みたいなものですよ。調子が上がりやすくなるとかなんとか」
「それ本当か?」
「本当かどうかはともかく信じていればプラシーボ効果でご利益がありますよ」
なんといってもただの水で病気が治ったりするのだ。精神面ならよっぽど効果が期待できるだろう。少なくとも総司はそう思っていた。
「なるほどな。そんじゃ酒は百薬の長と思っておけばいくら飲んでもいいってことだ」
「お酒よりたばこの方が問題なんじゃないですか? 百害あって一利なしって言うし」
「それもそうだ」
そうは言いつつもリンドウが煙草を止める気配は全くない。かといって総司にそれをとやかく言うつもりもなかった。
「まあゴッドイーターになった僕らは有害物質のほとんどを無害化できるみたいだからお酒もたばこも大丈夫だと思いますけどね」
「おー、今度それサクヤに言っといてくれ」
「自分で言ってくださいよ」
「俺が言っても信用されないからな」
「そういえばそうでしたね」
「おいおい、そこは否定するところだろ」
なんて言いつつもリンドウは笑っている。総司としてもリンドウがそこまでルーズでないことは整頓された部屋を見ればわかる。ただその部屋にも酒瓶がズラリと並べられていることから酒と煙草には弱いのだろうなとも思っていた。特に酒に関してはこのご時世ではかなり希少な銘柄の酒を持っているのだ。まさか特務の報酬はそっちに使ってるんじゃないかと疑ってしまうほどに。
「そういえばリンドウさんはどこへ行くんですか? たしか今日の仕事は終わりですよね?」
「ああ、仕事も終わったしサクヤの所に配給ビール貰いにな。お前も飲むか?」
「いえ。葉月さんの所へ行く途中なんで」
「そうか。なんにせよお前らはまだ新人なんだ。あんま気ぃ詰めんようにな」
「はい。訓練も適度に手を抜いときます」
「それは止めとけ。姉さんは怖えからな」
「知ってます。それじゃあ、また今度一緒に呑みましょう。ソーマさんでも誘って」
「そりゃいいアイデアだ」
最後に実現したらいいなと思える約束をして二人は別れる。総司の顔色は幾分かマシになっていた。
葉月は書類の山に顔を埋めるようにして項垂れていた。
彼女の周りにあるのは数々の資料。それらは多岐に渡り、新型の神機に関するものもあればトウモロコシ堕天種と言えそうなジャイアントトウモロコシなど食料生産に関するもの、果ては人事や物資に関するものまであった。
彼女がこの世界へ来て約三ヶ月。たったそれだけの期間であらゆることを任されるようになったというわけではない。ただ支部長であるヨハネスや技術開発統括責任者であるペイラーなどから書類を見せてもらっているだけだ。故にヨハネスから回ってきた人事や物資に関する書類には書かれていないことも多い。例えばアーク計画関連などがそうだ。エイジス計画に紛れてそれとは微妙に気色の違う人材や物資が調達されている。しかし、それもペイラーからの資料もとい密告がなければ分からなかっただろう。
問題は書類の山よりも山積みだ。それでも彼女が今気にしているのは顔の下にある書類、オウガテイル特異種についてのものだ。それは他の者からすればデータベースにあるアラガミについての一項目に過ぎないが彼女にとっては別のもの。
総司から件のオウガテイルは竜馬だと聞かされた時は思わず聞き返してしまっていた。とはいえ彼がそんな嘘を吐くとは思えない。その上、竜馬と総司と葉月自身には厳密には違うものの彼女が開発したオラクル細胞が投与されている。それにより近づけばなんらかのシンパシーを感じることは開発段階で分かっていた。どうやら電波に近いものが発せられているらしい。ただそれでも個人に合わせて作られたオラクル細胞同士でのシンパシーは非常に弱く、相当近づかなければ感じ取ることが出来ないのだ。
そして、今回の件で総司はあのオウガテイルが竜馬だと感じたということはそのとおりなのだろうと、葉月は考える。さらにリンドウからオウガテイルとサリエルのミッションについて聞きだし、彼女は自分がしてしまったことの重大さに押しつぶされそうになっていた。
「あー、どうしてこう私のやることは裏目に出るんだか」
葉月は大体の事は自分で上手くやれる。それが例え誰に教えられなくともだ。そして、知り合いの天才たちと力を合わせればほとんど出来ないことはない。しかし、だからといってそれで全てが良い方へ向かうわけではなかった。
それでも大体は上手くいくのだが、今回はどんどん悪い方へと転がっている。
オリジナルのオラクル細胞で竜馬の足を治すまでは良かった。害のある副作用が出ることもなく、彼の身体に細胞が馴染んだのも良い。だというのにまさか二年で二回も交通事故に遭うとはさすがの葉月も予想できなかった。それも二回目は即死ものだ。
そして、問題が起こった。
普通なら即死するはずの傷を負ってもなお、竜馬は死ねなかったのだ。これは本来ならありえないことだった。なぜなら動物実験では余りに損傷が激しければオラクル細胞をもってしても再生することはなかったから。そして、最初にオラクル細胞の被験者になったのは葉月だったが、さすがに死ぬほどの傷を負おうとも思わなかった。
だからこそ、竜馬が事故に遭ったことで葉月達が創りあげたオラクル細胞の欠陥が明らかになったのだ。
本家のオラクル細胞の特性が捕食ならば、彼女のオラクル細胞は維持となる。それは健康な状態を維持しようとする作用。つまり、あくまで自然治癒や新陳代謝の延長線上である。はずが、人に使われた場合は精神状態や意思の力の影響で変質することが発覚した。そこで人と動物の差が現れる。それは脳。すなわち情報量の差だ。そして最も優先して維持されるのが精神や意識だったことも誤算だった。
その影響は未知数。しかし、一つの結果として竜馬は中途半端に死にきれなかった。死にゆく身体を維持し、意識を繋ぎ止める。それはいっそ死なせた方がいいのではと葉月が考えたほど。だが、彼女が選択したのはタイムマシンを使い彼を時間の檻に入れて保存し、時間を稼ぐことだった。
その間に葉月達はオラクル細胞を研究し直し、改良版でもあり安定版でもある完全版。世間からは万能薬の意味を持つキュアオールと呼ばれ、後に数多くの人を救うと同時多くの混乱を呼んだ代物が作られた。
そして、完成したキュアオールを竜馬に使用するためタイムマシンを停止させたもののそこに彼の姿は無く、同じようにタイムマシンを使って彼を追いかけてきた。それは原因の分からない誤作動を狙うという理論もなにもない博打にすらならない行為。ただ葉月には竜馬がいる場所へと行ける確信があり、実際にそうなった。そうしてたどり着いた先はなんの因果かゴッドイーターの世界。さらに運良くリンドウ達に拾われて後は再会するのみ。
だったというのに、と葉月が溜息を吐いたところで扉が開き、総司が部屋に入ってきた。
「ノックぐらいしたらどうだ?」
「しましたよ。でも集中してるといつも聞こえないじゃないですか」
「そういえば、そうだったな」
これはいつものやりとりというわけではない。総司の経験上普段の葉月ならばノックの有無など関係なく挨拶をしてくる。だというのにそんなことをきいてくるのはなにか隠し事がある時か、精神的に参っている時だけだろう。そして今回は後者。それは誰が見ても明らかだ。
「そろそろやることやんないと後々面倒なことになりますよ」
「仕事ならちゃんとノルマはこなしているぞ」
「人並みにじゃないですか」
「人並みじゃ駄目なのか?」
「暇な時ならともかくここではいつも人手不足なんで少しでも人並み以上に動いてもらわないと。まあ余裕がなさすぎるのも問題ですけど」
そもそも今の時代まともな就職口などフェンリル関連以外ありはしない。そして、フェンリルに所属するためには神機の適性か突出した才能が必要となる。人並みでは駄目なのだ。それでこそ人類の希望と言い張れる。
「だがなあ。私が動いてまた厄介なことになったらと思うとな」
「いやいや今までの経験上、悪くなった方のが少ないじゃないですか」
「そうは言ってもだなあ。今回ばっかりはお前が言ってた通り放っておいた方が良かったような気がしてな」
葉月の言うとおり総司は竜馬を追いかけることに反対だった。それは竜馬のことをどうでもいいと思っていたわけではなく、竜馬を信頼してのことだ。竜馬ならなんとかなるだろう。そんな考えが総司の中にはある。そして、竜馬の考えることも大体察することが出来、だからこそ葉月に反対した。それでも止めることは出来なかったが。
「そんなたらればの話は考えても気が滅入るだけですよ。竜馬の事はともかく先輩がこっちに来たおかげで助かってる人もいるんですから。主にペイラーさんとかリッカさんとか」
「それはそうかもしれんが」
「なんにせよ僕らに止まってる時間はありません。それが責任ってやつです」
竜馬に対する責任もあるだろう。後を託して元の世界に残してきた家族や知り合い達への責任もある。そして、この世界においてフェンリルに所属するということは待遇と引き換えに責任を負うということ。就任時にヨハネスも権利と義務について語っていた。
「それに葉月さん好みの大団円を迎えるためにはやることはたくさんあるんじゃないですか? 人だった竜馬ならともかく、アラガミになった竜馬を戻す方法も今のところはないし、その間に竜馬が被害を出したらもっと面倒になりますよ。幸いこの前の一件では一人も死ぬことはなかったんですから、壊れた建物は直せばいいし、まだなんとかなりますって」
そう言う総司に葉月は頭の下敷きにしていた一つの書類を差し出した。総司がそれを受け取って目を通すと、まず右上に挟まれた写真に眼がいく。
「この写真に写ってるのって」
「ああ、竜馬だ」
そこに映っていたのは四足オウガテイルとなった竜馬の姿。ただ先日とは違い、身体の前半分が黒く変色していた。それは黒い何かに浸食されているようにも見え、アラガミがアラガミ化しているようにも見える。
「これって大丈夫なんですかね?」
「分からん。ただ正常な状態ではないことだけは確かだ。元々竜馬のオラクル細胞……」
「その呼び方ややこしいんで変えません?」
「じゃあオラクル細胞改めキュアオールは私たちの完成版に比べて不安定だ。刺激がなければ大したことはないが、神機により常時偏食因子を送られ続けられている状態ではどうなることやら。……それに問題はそれだけじゃない」
報告の部分も読んでみろと総司は葉月に促され、とりあえず一通り書類に目を通す。
その書かれた内容を要約すれば、最近のオウガテイル特異種は各地を転々としながらも昼夜問わずアラガミを狩り続けており、より強力なアラガミを狩ろうとする傾向があるということ。そして、追跡していた調査隊の面々は殉職しており、回収した者の報告では頭のみ乱雑に埋められていたという。さらに首には刃物で切り飛ばされた跡があり、毒性の高い鱗粉が付着していたことからオウガテイルの特異種により襲撃されたと断定。そして、それ以降のオウガテイル特異種の足取りは不明。とあった。
「これはまずいですね」
「人が、いや同僚が死んだ以上すんなり仲間にとはいかなくなった。人に戻すにしろアラガミのまま匿うにしろ後ろ暗いことは必須だ」
「いやまあそれもまずいんですけど、報告の日付からして今まさにまずいことになってると思いますよ」
「どういうことだ?」
「竜馬からしてみれば調査隊がよほど鬱陶しかったから始末したんでしょうけど。だとするとたぶん元を断とうとしてきます。つまり……」
総司が言い終わる前にその答えを代弁すべく警報が鳴り響く。
「……遅かったや」
総司は溜息と共に呟いた。
先輩と総司君が来るまでの話は長い上に完全に別物なんでダイジェストにしました。完結したらその後でちゃんと書くかもしれない。
補足
ちなみにメディのコアが無傷だったのは傷がつかなかったからではなく、取り込んだ竜馬君由来のキュアオール(先輩作オラクル細胞)が直したから。つまり、竜馬君とメディがお互いを捕食してなければメディの人格は消えていたという。そして、互いの位置が分かる謎電波はノヴァの波動に近く、ユーバーセンスのようなもの。
そして、元々竜馬君がいた世界は出番ないけど現在それなりに大変。
専門分野ならば先輩以上の天才である医療関係の天才二人(一人は名前すら出ていない)、機械関係の天才一人の間を先輩がとりもって四人で作り上げた万能薬(cure-all)は一人でも欠けたら作れない代物。
先輩がいなくなったため数には限りがあり、その後のことはご想像にお任せします。