東方影響録   作:ナツゴレソ

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124.0 始まりの地と龍神

 羽をもがれた二色の蝶が横風に煽られながら、真っ逆さまに堕ちていく。俺はそれを墜落寸前のところで、両腕で抱き留める。身代わりに自分が地面へ叩きつけられるが、構わない。それより、腕の中の小さな少女が傷付いていないか不安だった。

 俺は少女を一旦地面に横たえさせてから、再び抱え直す。見たところ大した傷もないし、浅いが呼吸もしっかりとしている。だが、唇が青黒くなっている。この冬の嵐の中で、相当無理をしていたのだろう。つい抱きとめた腕に力が入ってしまう。

 

「ごめん、霊夢」

 

 気を失った彼女に言っても答えは帰ってこない。例え目覚めていても許してくれないだろう。だが、それでも許しを乞わずにはいられない。そうでもしないと、胸の奥が張り裂けて色んなものが吹き出してしまいそうだった。

 祈るように霊夢を抱きしめ続けていると、不意に目の前の空間が裂ける。もう、この登場は慣れてしまった。それに……そろそろ現れる頃かと予感もあった。

 

「来ましたね、紫さん」

「ご機嫌よう、北斗。どうやら決まったようね。どちらが幻想郷に残るか」

「えっ……?」

 

 現れて早々の紫さんの意外な言葉に、俺は目を丸くしてしまう。てっきり俺は、紫さんとも戦わないといけないかと絶望していたのだが、杞憂だったようだ。

 内心ホッとしていると、紫さんがスキマの中から両手を差し出してくる。俺は、名残惜しさを振り切って、腕の中の霊夢を手渡す。

 重みが消え、喪失感がじわじわと足元から登ってくる。いよいよ、その時が来たのだ、と。

 

「もしかして俺が人柱になることを認めてくれるのですか?」

「認めない、と言っても貴方は押し通るのでしょう? それに貴方は霊夢に勝つことで人柱としての資格を示した。今更貴方を止めるつもりはないわ」

「……そうですか。てっきりまた殺されかけるのかと思いました」

「意地悪言わないで頂戴。これでも私は貴方に感謝しているのよ」

 

 そう言うと、紫さんは霊夢を見つめながら口角を緩める。そしてしばらく目を閉じてから、こちらに視線を向け直す。申し訳なさそうに潤んだ菫色の瞳を見た瞬間、俺は息が止まりそうになった。

 

「いえ、貴方にするべきは謝罪なのでしょう。私は一度貴方を殺そうとした。けれど今回は、貴方を利用しようとしている。そんな愚か者からの感謝を送られても皮肉でしかないものね」

「そんなこと……俺はただ、霊夢に幻想郷を生きて欲しかった。博麗の巫女の宿命を終わらせたかっただけなんです。その結果が別の誰かが望んだものであったとしても、紛れもなく俺が望んだことなんですから。後悔はありませんよ」

 

 これは強がりでも何でもない。この一年間、ずっとお世話になってきた紫さんに伝えたかった言葉だった。時に厳しく、時に優しく、俺達を見守ってくれたことに。そして、俺の我儘を最初から最後まで受け入れてきたことに。ただ感謝しかなかった。

 

「紫さんとの最初の約束がなければ、ここまでやれませんでした。きっと何も守れずに、どこかで無為に死んでいました。だから本当に、ありがとうございました」

「北斗……」

 

 一際強い風が俺と紫さんの間を吹き抜けて、皆の表情を覆い隠す。また氷混じりの雨が強く降り始めた。みぞれから雹になりつつある。もう、限界が近い。

 俺はせめて最後にと、霊夢に手を伸ばすが……やめる。これ以上、未練を残すと、もう動けなくなりそうだった。途中まで伸ばした手を握りこみ、息を大きく吐く。

 

「紫さん、そろそろいいですか?」

「……ええ。本当は貴方に説明しなければならないことがいくつかあったのだけれど、その時間も残されていない。今から貴方を龍神の元へ直接送ります。説明は彼女がしてくれるでしょう」

 

 紫さんが顎をクイと横に向ける。そこには紫さんが入っているものとは別のスキマがあった。俺はぬかるんだ地面に足を取られないよう、ゆっくりとそこへ向かっていく。

 その途中、風の音に混じって微かに吐息の音が聞こえてくる。遠くからではない。俺の後方、近くの木の陰からだ。気配でわかるほど、自分の感覚は鋭くない。だが、なんとなくそこにいるのが誰かわかった。

 

「……霊夢を頼む。火依が側にいてくれれば、きっと大丈夫だから」

「………………」

 

 木陰から答えは帰ってこない。俺は反応を待つことなく、スキマの中に一歩足を踏み込んだ。その時、雨音に混じって微かな声が届いた。

 

「北斗じゃなきゃ、ダメだよ」

 

 

 

 

 

「そんなこと、ないさ」

 

 俺がそう呟いた時には、周囲の風景は一変していた。雹が降る暗がりの森も消えており、目の前には薄霧で霞んだ階段があるだけだ。

 ここが、龍神がいる場所なのだろうか? 当初の予定では青娥さんに案内してもらう予定だったのだが……紫さんの能力で直接送ってもらったため、ここがどこかまったく見当が付かない。

 まあ、今更紫さんを疑いはしないし、ここがどこであろうと関係はない。俺は、意を決して先の見えない階段に足を掛け、登っていく。

 

「こんなことしてるってみんなが知ったら、きっとまた呆れられるんだろうな」

 

 今更ネガティブなことは考えたくなかったのだが、距離が長いのもあっていらない想いが勝手に湧き上がってくる。

 数えきれないほど後悔があった。自分が幻想郷で何かを解決した時は大抵後悔が残っていたが、今回はあまりにも残り過ぎだ。気分はさながら、死刑台に登る罪人のようだった。

 しばらく階段を登り続けていると、薄霧の中にボンヤリと何かの輪郭が見えてくる。これは……朽ちて今にも崩れそうな鳥居か?

 龍神様が封印されている場所なのだから、神社があるのは不思議ではない。だが、目を凝らしてよく見ると妙な既視感を覚える。いや、既視感というよりは……

 俺はつい気が早ってしまい、二段飛ばしで階段を駆け上がる。

 

「……まさか、博麗神社なのか?」

 

 鳥居の高さや石畳の長さ、手水舎の場所が一致している。まるで数百年手が付けられていないような荒れようだが、一年間近く住んだのだ。霧の中でも、見間違うことはない。

 もう二度と来ることはないだろうと思っていた場所に辿り着き、呆然としていると、社の方から誰かが歩いてくるを見つける。条件反射で構えるが、歩いてきたのは和服を着た見知らぬ女の子だった。

 夜の水面の様な深い青のおかっぱ頭には、二本の大きな角が生えている。童子の様な出で立ちだが、人間じゃないことは一目でわかった。

 

「キミ……いや、貴女は」

「ようやっと来よったか。ギリギリもいいところじゃ」

 

 古めかしい言葉遣いをしているが、見た目は幼い子供だ。つい警戒が緩みがちになる。だが、幻想郷では見た目で判断してはならないと、経験則でよく知っている。何よりこんなところにいる者が只人であるはずがなかった。

 女の子は真っ直ぐ俺のところまで来ると、見た目にそぐわない、ため息混じりの笑みを浮かべた。

 

「文字通り首を長くして待っておったぞ、外来人。いや、博麗の巫女と呼んだ方がいいか?」

「……変な冗談はやめてください。俺は女でもなければ巫女でもありません。ただの代用品です」

「真面目なやつじゃのう。じゃが、あまり己を卑下するでない。お主を信じた者、お主が打ち負かした者に失礼じゃろうて」

「………………」

 

 どうせもう会えないから関係ないだろう、と言いかけた言葉を飲み込む。初対面の相手に、自暴自棄になってもみっともないだけだ。俺は少女にバレないよう小さく息を吐いてから、尋ねる。

 

「それで、貴女は何者ですか?」

「察しは付いているじゃろう? ここは幻想郷の根の元。そこにおるのは結界の主人と管理者だけじゃよ」

 

 管理者。人柱の役割は龍神を眠らせること、と青娥さんから聞いている。つまり、管理者は博麗の巫女で間違いないだろう。では、目の前の彼女が……

 

「貴女が龍神様なのですね。封印されているって聞いていたのですが……貴方がここにいると言うことは、間に合いませんでしたか?」

「さっきも言ったぞ、ギリギリじゃとな。儂はただの幻影。そうさな、現代風に言えば電話の親機と子機みたいなものじゃ」

「子機、って……随分現代にお詳しいんですね」

「神様じゃからな! 現世も幻想郷もしっかり見守ってやっておるわい。特に、現世と今の幻想郷はお主を通じてな」

 

 俺を通じて……どういう意味だ? 意味深な言葉に、俺はつい顔をしかめてしまう。対して龍神様は褒め称えよと言わんばかりに胸を張っていたが、俺の様子に気付くと、すぐに態度を改めた。

 

「……ほう。紫め、此奴に何も教えてないな? まあ良い。とりあえず、こっちゃ来い。お主の初仕事じゃ」

「いや、その前に今の話を……」

「それは後じゃ。この場で話しても詮無いことよ。ほれ、往くぞ」

 

 そう言うと龍神様は、そそくさと社の方へと歩いて行ってしまう。有無を言わせず、といった様子だ。

 何が何だかさっぱりわからないが、龍神様の言う通り時間は残されていないだろう。それに置いてけぼりは今に始まったことじゃない。俺は小さな背中を小走りで追いかけていった。

 

 

 

 龍神様と俺は社の横の庭から、社の外廊下に上がる。ふと俺は足を止めて、ところどころ空いている障子の穴から中を覗く。予想はしていたが、薄暗い居間と土間がそこにあった。社の中の間取りも博麗神社とそっくりのようだ。

 俺は早歩きで龍神様に追いてから、話しかける。

 

「それで、仕事というのは結界の修繕ですか? ここまで来ておいて何なのですが、あまり自信がないのですが……」

「急くでないわ小僧。それより先にやらなければならないことがある」

「やらなければならないこと、ですか?」

「そうじゃ。お主はこれから先代の博麗の巫女に会ってもらう。詳しい事は彼奴から聞け」

 

 そう言うと、龍神様はある障子戸の前で足を止める。ここは居間の奥側、博麗神社で言うところの霊夢の部屋があった場所だ。

 龍神様が顎で中を示してくる。中に入れ、ということだろう。流石に勝手に開けるのは憚れたので、俺は軽く咳払いをしてから、中に声を掛ける。

 

「あの、入ってもいいでしょうか?」

「……えぇ、待っていたわ。輝星北斗君」

 

 やや、しゃがれた女性の声だ。年老いてはないが、疲れている様な弱々しさを感じる。それに、俺の名前を知っていた。先程の龍神様の言葉と関係あるのだろうか?

 緊張しながら、ゆっくりと障子を引く。畳の部屋の中は殺風景で、一枚の布団が引かれているだけ。いや、一人の女性が布団の中で横たわっていた。

 

「よく来ました。どうぞ近くに座ってください」

「は、はい」

 

 言われるがまま枕元に正座で座る。すると、真っ白な着物を着た、白髪混じりの女性がゆっくりと上体を起こした。

 黒く澄んだ瞳、きめ細やかな白い肌、やせ細って入るが儚げな美しさの女性だ。だが、彼女を見てすぐに悟った。この人は、もうすぐ死ぬ。彼女が着ているのは……死装束だ。

 誰かの死期に立ち会うことは初めてではない。だがそれでも、うすら寒い恐怖が背骨の辺りから広がっていく。凝り固まってしまって動かなくなった唇を抑え、一言目を探していると、先に床に臥せた女性……先代の巫女が口を開いた。

 

「初めまして。私は先代の巫女。名前は、知らない方が良いでしょう?」

「そんな、ことは……」

「気にしないで。その方が私にとっても都合がいいの。貴方だって沢山の人達とサヨナラしてここに来たのに、余計な思い出が増えても嫌でしょう?」

「………………」

 

 答え辛い事をつらつらと並べられて、まともに喋られない。そんなの、何も言えるわけない。初対面で、もうすぐいなくなると言っている人に、なんて声を掛けたらいいのかわかるものか。火依の時だって、考えて考え抜いて、あの程度の言葉しか出なかったのに。

 無理やり話を進めてしまおう。あまり、この人と余計な話をしたくなかった。

 

「それで、ここで初めての仕事をしろって言われて来たんですが、何をすればいいんですか?」

「何って、えーと……」

 

 先代の巫女は可愛らしく首を傾げしばらく唸ると、後ろで見守っていた竜神様に尋ねる。

 

「何すんの?」

「ボケておるのか、お主は。お祓いじゃお祓い! お主の死穢を祓わなくては結界が元通りにならん。儂も目覚めてしまう。お主も前の巫女を看取って祓ったじゃろうが」

 

 お祓い。あまり俺も詳しくはないのだが、何かの本で読んだことがある。死……というか、死から生じる恐怖が穢れにあたるから、葬式の後にその参列者払う必要がある、んだったか。つまり、俺にこの先代巫女の葬儀をしろということか。なるほど、らしい初仕事だ。だが……

 

「それはわかってるのよ。けど、博麗の巫女でない、勝手に代理な北斗君にお祓いができるのかなって」

「……それくらい、あのはねっかえり娘に教わっておるじゃろうが。のう、小僧?」

 

 半ば呆れた様子で、龍神様が横目を向けて来る。だが、俺はいたたまれない思いで下を向かずにいられなかった。

 

「あー、いえ、それが……習っていたのは弾幕ごっこくらいで。巫女の仕事は妖怪退治くらいしか手伝ったことがなくて」

「……まじ?」

「マジです」

「お前……よくもまあ、それで博麗の巫女の代わりをやろうと宣ったわ! 冗談抜きでいったいどーするんじゃこれ!? このままでは儂が起きて幻想郷が消えてしまうぞ!?」

 

 龍神様が頭を抱えて右往左往し始める。どうやら思った以上に拙い状況らしい。

 ……ここは本来、幼い頃から博麗の巫女として育てられた霊夢が来るところだ。影響の力があるとはいえ一年すら修行していない自分では、イレギュラーが起こって当然か。

 わかってはいたが、考えないようにしていた。だが、現実は簡単に目の前を遮ってくる。ようやく引っ込んできた暗い感情が喉の奥からせり上がってくる。

 

「……結局、俺は代用品にすらなれないのか」

「そうね、君は霊夢にはなれないよ」

「………………」

「誰だって他人の代わりになれやしない。だから、君は君が出来るをするしかないの。私も、私が出来ることをするから……北斗君、肩を借りていい?」

 

 先代の巫女はそういうと、左の腕を差し出してくる。まさか、この目に見えて弱り切った人間を起こしてほしいというのか。本人の頼みとはいえ、躊躇われる。枯れ木の様に細くなった腕は触れるだけで崩れてしまいそうだった。

 だが、先代巫女に柔らかな笑みを向けられて、断るに断れきれなくなる。俺は繊細な美術品を運ぶかの様な慎重さで彼女の肩を持った。

 

「先代、一体何をするつもりですか? あまり無理をしない方が……」

「小僧の言う通りじゃ。ここ最近は粥も喉を通らぬほど弱っていただろうに」

「大丈夫だよ。こう見えて昔は結構鍛えてたし、今日は絶好調なの」

 

 先代はそう言うと、案外軽い足取りで庭先まで歩いていってしまう。そして、裸足のままピョンピョンと二、三度跳んでからこちらに向き直った。

 

「うん。それじゃあ、北斗君。私と弾幕ごっこしよっか」

「はぃ!?」

「なぁ!?」

 

 突然の申し出に、俺は龍神様と一緒になって素っ頓狂な声を上げてしまった。

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