「その様子だと、貴方も我らと近い存在ですか」
リールを抱えたまま、自分の力で急に家の中に現れたイスカス、いや紘汰にそれほど驚きもせず、ルシスはそう告げていた。
紘汰もその言っている意味を理解できているためか、笑顔を浮かべるとそっとリールを、彼女のベットに寝かしつけた。
「だからこそわかるけど、大変だったな。その上、俺なんていう訳の分からないものまで拾ったんだしな」
「人でないものだからこそ、人にやさしくするものですよ。怖いものなどありませんから。それに我ら以外、不明な貴方に触ろうとも思わないでしょうから」
「確かに、そうだな。…いままでありがとう。頼みがあるんだけど、起きたら全て夢だったって事にしといて上げてほしい。俺の事を知らない方がいい」
そう、リールはまだ知らない。
イスカスが紘汰で、そもそも人ならざる者だったということは。
イスカス、この地の英雄。
そう信じている今が幸せであることを誰よりも知っている。
「下手に知らない方がいいこともあるということですか。…しかし、貴方は一体?」
もはや記憶を取り戻しているのはわかっているし、自分たちに近い存在であることも理解できている。
だが、自分たちとは違う何かを感じていた。
だからこそ、ルシスは紘汰に興味を抱いていた。
「本当の名は葛葉紘汰。気付いていると思うけど、この世界の住民じゃない。そして、ルシスやリールに近いけど、それともまた違っている。元々は人間だったしな。だから、イスカスだったころは人間に戻ってたんだろうな。…さて、もう会う事はない。だから、ちゃんとお礼を言いたいんだ」
「お礼?この世界を救った方にお礼を言っていただけるようなこと、何もしていませんが」
全てを見透かす目に、紘汰は笑ってしまう。
「まあ、そういうなって。それに、救ったのはあくまで紘汰で、イスカスじゃないんだしな。だから、イスカスとして、ちゃんとお礼を言わせてくれ。…ありがとう。おかげで、本当に助かった」
「律儀な方ですね。…しかも、かなり慕われている。ほら、お迎えが来ましたよ」
さっと見れば、ローズとゼクスがそこに立っていた。
全てを終わらせたとの報告のつもりらしいが、紘汰は思わず盛大にため息をついてしまう。
「別に俺、ちゃんとあの世界戻るから、わざわざ迎えにこなくても」
そもそも、自由にしてもいいじゃないかと、そう思っていた。
「頭、前科があるの忘れたんじゃねえですか?勝手にあの世界から消えて、記憶をまた無くされたんじゃ、たまったもんじゃありませんぜ」
「もう、そんな失敗するか」
盛大な抗議になぜか、何も知らないはずのルシスが笑っている。
だからこそ、妙に恥ずかしくなった紘汰は顔を赤らめて、穴があったら入りたい状態になってしまっていた。
「主様、あまり長居するとご迷惑ですよ」
ローズがさも当然のように話している一言に、紘汰はローズを睨みつけた。
「おまえ、ぜってえわざとだろう。ああ、もう。…ごめん。こんな感じで。じゃあ、リールによろしくな。ルシス」
「ええ、リールにはよく言っておきます。全ては夢物語だったと。…でなければ、この子の叶わぬ思いが可哀そうですしね」
叶わぬ思いというものに、紘汰はよくわからずに目が点となっている。
叶わぬ思いってなんだ?
他の事は知恵の実の影響で、色々わかるようになっているのに、相変わらずそういうことに疎い紘汰に、ローズはため息をつくと、紘汰の手をとった。
「確かにそのようですわね。この方はすでにある方を…まあ、本人に自覚はありませんが。そうそう、色々ご迷惑をおかけしましたお詫びに、これをお受け取りください。繁殖はしませんから大丈夫ですよ」
そう言って、ローズは自分たちの世界にさくヘルヘイムの果実を呼び出し、いくつか渡していた。
その意味を受け取ったのか、ルシスは頷いている。
「確かに。魔の森がなければ、食糧をとることが出来ませんからねえ。…まあ、我らもあるところに隠しているのですが、ストックは多い方がいいですし」
同じ存在ならば、定期的に接種が必要となる。
だから、ローズは頷くと、さっきから叶わぬ思いって何?っと固まっている紘汰と、それを見て面白がっているゼクスとともに、その場から姿を消していった。
「まさか、拾ったものが神とは…確かに我らと同じ存在というのが間違っていたな」
いなくなった、紘汰達に向ってルシスはただそうつぶやいていた。
女神としての役目を終えた舞は、さっと右手を翳すと、魔の植物を全て消し去り、同時に自分の力の分身である女神像を無効化した。
「これで、この世界に神がいなくなる」
そう嘆いている神官長に、リクシアがただ冷たい目を向けていた。
「そもそも、この世界の本来の神がいるでしょう。舞様にしろ陛下にしろ、異世界のもので、この世界の神ではないんです」
「まあまあ、リクシア。言いたいことわかるけどね。…神官長、これでいいんじゃない。神様って困った時に頼むもので、本当は自分の力でなんとかしなきゃいけないんだしね」
困ったときの神頼み。
そう言いたかった舞だったが、この世界にそのようなものが存在していないためか、神官長にしろ聖騎士団長のファルコンも首を捻っていた。
「え…おかしなこと言ったの?」
「舞様、貴方の元の世界の常識とここの常識のちがいという奴ですよ。さて、そろそろあの男も戻ってくる頃。我々も、戻りましょう」
その言葉に突然現れたビルスとサリアに、神官長と聖騎士団長が怯えている。
どうやら魔族だと勘違いしているらしい。
「なんですか、この間抜け面の人間は。…まあ、今回はビルス様より手を出すなと言われているので、取って食いはしないんですが」
その言葉がより二人を怖がらせている。
「って、何怖がらせてるの?大丈夫。この人たち、私たちの世界の者だから。魔族じゃないからね。…さあ、なんかこれ以上いるとややこしくなりそうだし、戻ろう」
舞が思わずフォローするが、なぜだかサリアが怖がっている二人をさらに睨んでいた。
「その方がよろしいですね。陛下には通信されたんですか?」
唯一その辺の事はまだわかるリクシアが、舞にそう尋ねている。
そもそも、リクシアにとって陛下である紘汰の身だけが大切なのだから。
「大丈夫。ローズが勝手に紘汰つれて戻ったみたいだから。よっぽど勝手にどっか行かれることをこわがってるみたいだし。…そう言うわけだから、皆頑張ってね。ちゃんと、前を向けばきっと未来は開かれる。私も紘汰もそう信じているから」
そう言って文字通り急に姿を消した、舞たちに、神官長とファルコンは呆然となるしかなかった。
ありえない力に理解すらできないでいる。
「ありがとうというべきか…まるで夢のようだな」
「確かに、夢だったと信じたい。神が女神がいなくなるなんて」
そう言って頭を抱え込んだ神官長には、さすがのファルコンも冷たい目を向けるしかなかった。
自然豊かなその星は、ようやく戻った女神と、創造主を迎え入れるがごとく光り輝いている。
「ただいま」
その世界に、紘汰はただそう伝える。
それに答えるかのように風が紘汰を吹き抜けていく。
「おかえりなさいませ、我らが主様」
そうローズは笑いかけていたが、真剣な顔をした紘汰が、じっとローズの瞳を見つめている。
「無理してる。戻ってきたんだし、そんな無理をしなくていいんだ。お前の気持ちよくわかってるんだし。…お前が失ったのは唯一の家族だから。泣きたきゃ泣いていいんだ」
「主様、もう大丈夫ですよ。泣くのはずっと泣いていて、涙も枯れましたし。…それにあの子もそのような事を望んだわけじゃないんです。私はあの子の分も生き続けると決めているので」
そう言って笑ってはいるが、紘汰は口をとがらせていた。
「やっぱ無理してる。あのな、泣かなくてもいいから、その…無理に笑わなくていい。なんか無理されるとつらいしな。…さてと、この辺でいいかな?」
紘汰はあの時ローズからもらった、マーガレットの花をそっと取りだすと、強い風が吹く空に投げた。
風はそのマーガレットの花を遠くに運んで行っている。
それを見ながら、紘汰の目に自然と涙が零れ落ちてきた。
「マーガレット、お帰り。この地でゆっくり眠りなさい。…主様も無理しなくていいのですよ。色々あると思いますが、少なくてもここにいる我々はいつでも、貴方様の味方ですから」
「ローズのいう通りですぜ。ワシは頭の味方。だから、何も恐れることなどねえんですから。頭は恐れず前だけ向いて歩けばいい。邪魔なものはワシらが排除しますから」
ゼクスはさっと、唯一頭と認めた紘汰の肩に手をおいた。
紘汰は優しい笑みを浮かべながら、隣に立つゼクスを見上げる。
「排除はいらないけど、お前らといれて、本当に嬉しいよ。こうしていれば平和だと実感できる」
「そうですね。こういう時間も、いいものですわね」
ローズも先ほどまでの作り笑いではなく、自然と笑みがこぼれていた。
「紘汰、おかえり。その様子じゃあ、マーガレットを眠らせてあげたのね」
紘汰の背後にリクシアとともに、突如現れた舞が、優しく話しかけた。
紘汰もそんな舞とリクシアに、優しく微笑み返す。
「舞もおかえり。あと、ありがとうな。後片付けまでしてもらって」
「あの程度、余裕だからね。紘汰、また未来に向かって進もうか」
「そうだな、未来に向かって進もう。それが、俺に出来る唯一の弔いだしな」
自分を信じた夢に向かって、ただ真っ直ぐ突き進む。
それが、マーガレットと交わした最後の約束。
それを、紘汰は成し遂げなければならない。
「ならば、思い通りに動いてもらおう?お前がこの世界にいない間、色々とあったんだ。お前が責任をとるべきだろう?」
雰囲気をぶち壊すような感じで現れたビルスとサリアに思わず、紘汰はため息をついた。
「ちょっとくらい、ゆっくりさせてもらってもいいじゃねえか」
「あほな事をいうな。この世界はお前を待たないんだからな」
ぎゅっと紘汰の首根っこをつかんで、引っ張っていくビルスに、ゼクス、リクシア、ローズは殺意を覚えている。
「舞様、あいつ一回ぼこぼこにしてもよろしいですか。さすがにあの扱いは…」
「まあまあ、リクシア。紘汰もあんな感じに見せても、楽しんでるようだし。それに、ビルスは愛情の裏返しだからな。…さてと、私たちも行こうか」
いや、俺は楽しんでないから…
聞こえないその声で、笑顔を浮かべて叫ぶ紘汰に、だれも何も返さなかった。
その後、紘汰がいつ解放されたのか誰も知らない…