***海・船の上***
航海を始めてからそこそこの時間が経った。慣れない船での生活や操縦、その他、普段の冒険と勝手が違うことも多々あり、やっと慣れてきたといったところだろう。
けど、
そんな僕のそばにいたミミちゃんが手持ちの望遠鏡で十二時の方角……つまり、船の真正面のほうを見ながら僕に問いかけてきた。
「ねぇ、間違い無いの?」
「うん。方角的にも地形の特徴的にも間違い無いよ」
僕の言う
「アレが『フラウシュトラウト』がよく出現するっていう『海峡』だろうね。きっとその地形や海流の関係で良い餌場になってるからナワバリになってるんだと思う」
『フラウシュトラウト』というモンスターの生態については全く知らないが、生物であるならば、この推測はあながち間違ってはいないと思う。
それに……間違っていようがいまいが、今重要なのは『フラウシュトラウト』のナワバリが目前まで迫っているという事だ。これまでの『アランヤ村』での被害情報から考えても、そのナワバリから出てこないという保証はないため、一刻も早く戦闘準備を整えておかなければならない。
「ミミちゃん。海峡が見えてきたことを皆に伝えてくれるかな? それで戦闘準備をしたら甲板で手分けをして周囲を警戒して……何かあったらすぐに対応できるように」
「わかったわ。……マイスは?」
「僕は何かあるまでここで進路を確保しておくよ。さすがに有事には僕も出るけどね」
そこまで言うとミミちゃんは「わかったわ」と言いながら僕に望遠鏡を投げ渡し、駆け足でその場から離れて行き……何故かピタリといきなり立ち止まってコッチを振り向いてきた。
「マイス」
「ん、どうかした?」
「私一人でって言いたいところだけど……
「もちろん! そのために僕はここにいるんだよ」
「そっ、ならいいけど。……頼りにしてるんだからね」
「あっ、ちょっと待って」
用は済んだとばかりに再び駆け出そうとするミミちゃんを僕は引き止める。少し眉間にシワを寄せたミミちゃんが再びこっちを向いた。
「
「……っ!! もちろんよ! マイスは、私を誰だと思ってるのかしらね」
そう言って今度こそ駆け出していったミミちゃんは、甲板下の船内へと入っていった。中で自分の武器の手入れをしていたり休憩をしている人に声をかけに行ってくれたんだろう。
その、入っていく際に僅かに見えたミミちゃんの
「ミミちゃん、やっぱりどこか気を張り詰め過ぎてるっていうか、気負い過ぎっていうか……
あの時……ミミちゃんのランクアップのお手伝いをしていた時期のある日の夜。ミミちゃんがこれまで思ってたことを話してくれて、昔みたいに話せるようになるきっかけとなったあの出来事。
あの時に、ミミちゃんが言っていたことから感じられた……ううん、もっと前から、初めて会ったころから少なからずあったのだろう「『貴族』のプライド」とでも言うべきもの。「シュヴァルツラング家の名を立派な名にしてみせる」そんなふうなことを言っていたけど、それはミミちゃんの主な原動力であると思うが、同時にミミちゃんを追い詰めてしまうものでもある気がする。
別に悪いってわけじゃないんだけど……もう少し気持ちに余裕を持っておかないと、いつも「こうでないといけない」って自分を正しているのは凄く疲れてしまうと思う。
それに……。
「もう一人前の冒険者で実力もあるんだし、もっと自信を持っていいと思うんだけどなぁ」
「でも、向上心があるってことだし……」って小声でもらしつつ、僕は空を見上げた。
空は快晴。視界の端の方に見える船の
まさに「航海
けど、同時に『フラウシュトラウト』がいるだろう場所の目と鼻の先なわけで、気を引き締めて行かないといけないわけで……。
「……あれ? そういえば……」
ふと、
……と、そんな僕に声がかけられる。
「フラウシュトラウトの
そう言って僕のそばまできたのは戦闘用の『
そんなメルヴィアの言葉に、僕はすぐに答える。
「船の前方に例の海峡が見えてきたんだ。……それで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど…………メルヴィアって『フラウシュトラウト』がどんな見た目のモンスターか知ってる?」
「知らないわよ?」
「えっ……うそ」
「いやだってさぁ。フラウシュトラウトが出没したことがある場所って、近くても『アランヤ村』から見たら
「だから『アランヤ村』の中でもちゃんと知ってる人はいなわよ」とメルヴィアは肩をすくめながらため息を吐いて首を振ってきた。
でも、それって……。
「こうやって今みたいに周囲を警戒して何か見つけたところで、それが『フラウシュトラウト』かどうかわからないってこと?」
「……船を沈められたら、フラウシュトラウトなんじゃないかしら?」
「いや、もうそれ『フラウシュトラウト』かどうかなんて考えてる場合じゃないじゃないよ!?」
僕がそう言ってツッコんでみても、メルヴィアは「そうよねー」と困ったように苦笑するばかりだった。
ああ……今になって段々と不安になってきた……。
「おーい。マイスもメル姉も、なに話してるんだよ?」
そう僕らに声をかけてきたのはジーノくんだった。
さっきのメルヴィアみたいに僕が気付かないうちに……って、よくよく見てみると、甲板上の前のほうにはトトリちゃんとミミちゃんが、中央あたりにはマークさんがいつの間にか出てきていて、周囲に目をやっていた。どうやら僕がメルヴィアと話しているうちに、僕らがいた後方以外で手分けして周囲に異常があったりしないか監視をしはじめていたようだ。
それを理解したうえで、僕はジーノくんの問いに答えた。
「見た目を知らないから、『フラウシュトラウト』がいるかどうかがわからないなー、って話をしてたんだ。ジーノくんも知らないよね?」
「ああ、知らないぜ。けど、わかるだろ?」
「え?」
「なんか強そーなのが出てきたら、ソイツがフラウシュトラウトだ!」
……うん。なんというか、ジーノくんらしいというか……これまたアバウトというか……。
ジーノくんの言葉につい僕は頭を抱えてしまったけど、そばにいるメルヴィアはケラケラと笑っているようだった。
「ジーノ坊やの言うことにも一理あるわね。……それに、相手が何であろうとあたしたちは船を襲ってくるヤツを倒せばいいだけだし。うん、
「まぁそれはそうだけど……それでいいのかな?」
でも、今、この問題をどうにかできるわけでもないのも事実だし……とにかく船を進めて行くしかない……のなか?
――――――――――――
僕らのそばまで来ていたジーノくんが、マークさんのいる船の中央付近へと移動し二人で左右にわかれて監視をし始めてから数十分経ったかというころ。
海峡が肉眼でもシッカリハッキリと認識できるほどの位置まで来て「もしかして、何も無しに通れるんじゃ……」という考えが浮かんだあたりで唐突にそれはおこった。
最初に感じたのは、気のせいかと思ってしまうほど
轟音。
大量の海水が打ち上げられ、そして重力によって叩きつけられる音。それとほぼ同時に聞こえてきたのは、水音に勝る音量の何かの
「……来たか!」
その咆哮に反射的に身をすくめつつも、僕はその発生源を睨みつけた。
ソイツがいたのは、トトリちゃんとミミちゃんがいる甲板の前のほうのそのまた先の海……つまりは、船の進行方向の海面から
全体は把握できないが、海面から上は目視することができる。
その体は、
その頭部は、いつだったか本で見た砂漠地帯なんかにいるという『コブラ』という
また、頭部を支えている首が伸びている海面、そののギリギリあたりから左右に伸びているのは巨大な
ということは、目の前にいるのは、胸部から上の大きさだけでこの船の甲板を見下ろせるほどの高さを持つ巨大な生物であるということだ。
……ジーノくんじゃないけど、これは見たらわかった。
「こいつが『フラウシュトラウト』……!」
それ以外はありえない。こいつの他にいるっていうなら連れてこいって言いたくなるくらいだ。
……いや、『フラウシュトラウト』でない可能性は万が一くらいはあるかもしれない。けど、ひとつだけ確かなことはあった。
船を見つめるソイツの
もはや直感でわかった。ギゼラさんだ。あんな傷をつけられるのはギゼラさんしかいない、と。今、確かに僕らはギゼラさんの足取りをたどれているのだと確信を持った。
……と、それとほぼ同時に、フラウシュトラウトが船を……もしくは船の前のほうにいたトトリちゃんたちを睨みつけた状態で、先程よりも大きく咆哮をした。それは完全に敵意を向けたもので、いわば宣戦布告のようなものだった。
「もし、話ができそうなら……」なんてことを一瞬でも考えていた僕だったけど、どう考えても無理そうだ。
咆哮を合図に、みんなが
フラウシュトラウトは…………
「……へ?」
誰かが呆けた声をもらしたのが聞こえた。けど、それはみんな同じようなことを思ったことだろう。
けど、どう考えてもおかしい。ものの数秒前に射殺さんばかりの眼光を浴びせてきたモンスターがいきなり逃げ出すなんてあり得るだろうか?
目に、鼻に、耳に。少しの情報も逃さないようにと、周囲を探るべく神経を張り巡らせた。
「…………! 三時の方向!!」
三時の方向……つまりは右を見ると、船から二百メートル以上離れた海にフラウシュトラウトが見えた。聞こえた水音が小さく感じられたのは、先程よりも遠かったからか、勢いが無かったのか、その両方か、また別の理由か……。
そんなことを考える間もなく、遠くでフラウシュトラウトが天を
その咆哮を耳にしつつ、僕は少しの違和感を覚えた。
「……? さっきのは威嚇だったけど、今のは……?」
「前と同じく威嚇なんだろうか?」そんなふうに考えたところで、また僕の思考をそらせる出来事が……『
ポツ、ポツ、ポツ。
髪に、鼻先に、『ドラグーンクロ―』を持つ手に、
その正体はすぐにわかった。なぜなら、なじみのあるものだったから。
雨粒……つまりは『雨』。特別なものではない、日常でも見かけるもの。
けど、僕は驚いた。
とっさに空を見上げ……さらに驚く。
「えっ……なんで!?
そう。ついさっきまでは快晴だったというのに、いつの間にか空一面に灰色の雲が広がっていたのだ。それに釣られるように、こころなしか風が強くなって、波も高くなってきている。
まさかとは思うけど、さっきの咆哮が雨雲を呼んだ……!?
その考えに
フラウシュトラウトは変わらずそこにいた。けど、問題はそこではない。
フラウシュトラウトの後ろから
「みんなっ! 船のどこかに
呆然としているところに、メルヴィアがはりあげた声で現実に引き戻される。僕はすぐさま船の
横目で他のみんなも柵やマストに掴まっていることを確認したところで……船の横っ腹に波がぶつかった。
海に浮かぶ船の性質上、巨大な波が近づくにつれ船もあわせて少し浮かび上がってきたため、遠目では船を丸ごと飲み込むくらいの高さの波だったが、実際には甲板上に十センチにも満たない水が流れる程度で済んだ。
だけど、その流れは速かったため、もし何かを掴んでいなかったとすれば足を取られて流されてしまったことだろう。それに、船自体も大きく揺さぶられていたから、投げ出されていたかもしれない。
甲板上を見渡してみたが、みんなも無事なようで、船そのものにも特に損傷は見られなかった。
「よかった……」
ホッとしたのもつかの間、フラウシュトラウトの咆哮が轟いた。先程の巨大な波で船が沈まなかったことに
そして、フラウシュトラウトは船へと波をかきわけ近づいてきた。今度はその牙や爪で船を壊そうとしているのかもしれない。
そのフラウシュトラウトの動きから目を離すわけにもいかない。けど、僕には他にも気になることがあった。
「波も風も少しずつ強くなってきてる……?」
どうしてかはわからない。もしかすると、さっき僕が考えたようにフラウシュトラウトの行動に何か関係があるのかもしれない。 だけど、理由はひとまず置いておいても注意すべきことがある。
それは強くなってきている風だ。帆船は風の力を利用して効率的に推進力を得るのだけど、それは同時に良くも悪くも風の影響を受けやすいということ。このまま風が強くなっていけば
なら、僕がまずすべきことは……。
「トトリちゃん!」
「は、はいっ!?」
急いで駆け寄り声をかけるとトトリちゃんは驚き身をすくめつつも、元気のよい返事をしてくれた。状況も状況だから、要点だけを端的に伝える。
「帆っ! このままだと危ないから、僕がたたんでくる!」
「わかりました! お願いします!」
そう伝えると、トトリちゃんはハッとした後、大きく頷いてきた。グイードさんから船の動かし方の他にも色々と教えて貰った、と言っていたので、この状況での危険性を理解できていたのかもしれない。
なんにせよ、安全面でも戦闘への参加という面でも、いち早く帆をたたむ作業を終えるにこしたことはない。
僕は急いで駆け出した。
――――――――――――
「よしっ! これで……最後!」
たたんだ帆をギュっと
帆を張っていたマストの上部にて作業を終えた僕は、甲板を見下ろして戦況を確認する。……どうやら、あまり良い状況では無さそうだ。
フラウシュトラウトは船からほんの数メートル先にいた。そして、船そのものとは別に、船に乗っている人間もそれぞれ排除すべき敵として認識しているようだ。
そこから噛みついてきたり、ブレスを吐いたりして甲板上のトトリちゃんたちを攻撃していた。そして、作業中に見たのだけど、驚くことにフラウシュトラウトは短く叫ぶことで雷を落としてきていたのだ。やはり、天気の急な変化もフラウシュトラウトのしわざだと考えていいようだ。
それに対して、
というのも、フラウシュトラウトがいる場所が、近くはあるものの絶妙に離れているため、近接攻撃がギリギリ当たるか当たらないかといったくらいでしか届いておらず、攻撃機会自体が限られていることが大きな問題となっていた。加えて、荒れる波やフラウシュトラウトの動きで少なからず揺れる船。さらには降りだした雨で気を抜くと足を
荒れる海の上に飛び出すわけにもいかず、ミミちゃんとジーノくんはフラウシュトラウトが攻撃してくる際のわずかな接近にタイミングを合わせて出の速い攻撃を与えることしかできていないようだ。
メルヴィアはブーメランのように斧を投げ、マークさんは背負った機械から
こんな時にでも問題無く戦えそうな『錬金術士』であるトトリちゃんも、
気になるのは、トトリちゃんが使っているアイテム。他の人がフラウシュトラウトの攻撃を避けきれずに負ったダメージを、すぐさま回復させているようなんだけど……それら高性能な回復アイテムと比べ、フラウシュトラウトに使っている攻撃用の爆弾などのアイテムはどうしてか『フラム』や『レヘルン』といったいわゆる
そんなトトリちゃんをフラウシュトラウトが狙いを定めたようだった。
目をトトリに向け、首を引くようにして
「させるかっ!」
僕は、フラウシュトラウトの頭部とトトリちゃんの間あたりを目がけて飛び降り、着地と同時に迫りくるフラウシュトラウトの牙へ向けて両手で『ドラグーンクロー』を抜き放った。
両腕に大きな衝撃を感じたのと同時に、フラウシュトラウトのうめき声のような鳴き声が聞こえてきた。どうやら迎撃は成功したようだった。
「マイスさん!?」
「コッチは終わったから参加するよ。……あと、他の爆弾はどうしたの?」
色々と言葉を省いた質問だったけどトトリちゃんには意図は伝わったようで、うつむき気味に心底困った様子でトトリちゃんは答えてきた。
「それが、爆発範囲に船が入ってしまいそうで、問題無く使えるものがもの凄く限られてしまってるんです……」
それを聞いて納得した。
確かに、胴体近くは船の側面や縁のあたりを巻き込みそうだし、頭部は頭部でマストの帆を張ったりまとめたりするための横に伸びる棒を巻き込むことだろう。なら、狙うのはその中間、首のあたりなんだろうけど……それでも船を巻き込みかねないことには変わりはなさそうに思える。
だから、威力も爆発範囲も小さい初級のものばかりを使っていた……いや、使えなかったということか。
思えば、ミミちゃんやメルヴィアの動きにも違和感を感じた。もしかしたら二人も足元の船への損傷を気にして、十分に武器をふりまわせていないのかもしれない。
「いちおう、比較的爆発範囲が狭くて威力は凄い爆弾もあるんですけど……その性質の関係で「絶対に」とは言えなくて、使えなくって……」
そう申し訳なさそうに言うトトリちゃん。
けど、これは…………。
根本的な準備不足。
トトリちゃんがいる手前、口に出すことはできなかったけど、そういう結論に至ってしまっていた。
メルヴィアが言っていたように、『フラウシュトラウト』という存在は具体的な情報の無い相手だった。
それでもその被害などから「海上で戦う」ということは間違い無いと推測はできただろう。ならば、それに合わせた準備、戦略を練るべきだった。そうすれば今のように、フラウシュトラウトの立ち位置のでいで近接攻撃も満足にできず爆弾も有効利用できないというジリ貧な状況にはならなかったはずだ。
こうなってしまったのは、船の完成にうかれて気持ちが先走っていたからか…………いや、おそらく普段の冒険では多少苦労しても勝てることがほとんどで、
「船が壊れてしまえばお終い」。ギゼラさんが
自分が立っている足元にさえも気を配らないといけないという状況。そして、その他の環境も異なっている海上・船上での戦闘に、みんな本来の動きが出来ずにいる。
僕は、未だに波が高くなり続けている荒れた海を睨む……。
「状況を変えようにも、あんなに海が荒れてたら…………なら……!」