黒桜ちゃんカムバック   作:みゅう

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改訂版
#0 サクラの願いを叶えて下さい


「シロウ、何故……」

 

 彼女の喘ぐような嘆きは、奇しくも私のものと同じだった。

 闇色の刀身を伝って溢れだす命の滴が、漆黒の鎧を紅に染め上げていく。

 墜ちた聖剣を押し返してようやく見えたサクラまでの道程はここで閉ざされてしまった。絶望に塗れた世界に再び灯ったはずの小さな希望の光。それを奪ったのはシロウの迷いであり、そして道具(サーヴァント)である私の怠慢でしかない。

 私たちにこれ以上の奇跡が起こす力がないことは、眼下の血だまりを見れば間違いなかった。

 感情を初めて取り戻したように狼狽するセイバーとは対照的に、赤みを失っていくシロウの顔からは表情が、生気が、一滴ずつ失われていくことが見てとれる。

 

「ライダー、……めん、でも、俺には、ど……し、ても……」

 

 自らの血にむせかえりながら、謝罪をする彼をどうして責められようか。

 サクラを助けるためには、セイバーの排除は絶対に必要だ。それを分かっているからこそシロウは震える指先で取り落としたアゾット剣を拾おうとするが、数センチを掴み上げることすら叶わない。

 宝具の反動で体中の筋肉と血管が引き裂けるような痛みが走り、私の本能に動くなと警告を発している。その上、魔力のほとんどが抜けきって私の体は思うように動かない。

 だが、それがどうした。シロウが倒れてもリンが居る。止めを刺してリンを一刻も早く助ける。私にできることはそれだけだ。

 

「ライダー! 早く私をっ!!」

 

 当のセイバーから発せられた「早くしろ」という悲嘆。崩れ落ちたシロウに聖剣をねじ込みながらも彼女は消滅を望んでいる。大聖杯のバックアップを受けたセイバーの回復力は尋常でないのだ。     

 どうしたら助けられるかなどと、愚かなことに思考を割く猶予などどこにもない。もうすぐアレは、ただの肉塊になる。

 今、私にできることは―――この命の海を踏み越えて、サクラの待つ深淵へと進むことだけだ。

 

 

                ×        ×

 

 

 せめて、リン、貴女だけは――――そう信じて駆け付けた最深部。

 だが私は遅かった。もう、何もかもが手遅れらしい。

 煌めきを失った宝石剣が虚しく横たわっているのを確認して全てを悟ってしまった。彼女の亡骸が残っていないということは影に取り込まれてしまったのだろう。

 リンとシロウが全てを賭けた最高傑作ですら、聖杯に呑みこまれたサクラを引き戻すには至らなかったようだ。

 

「随分と遅かったのね。ライダー」

 

 サクラは白く変色してしまった前髪を掴み上げながら、虚ろな瞳を私に向ける。

 最愛の人と再会することも叶わず、更に自らの手で唯一の肉親を葬ってしまったのだ、無理もない。

 嫉妬、怒り、愛憎、憧憬――――聖杯によって顕在化してきた様々な感情の濁流に呑み込まれて、我を失っていた最近の彼女とは違う。

 今のサクラは私と初めて出会った時の人形の頃、いやシロウと出会う前であっただろう頃に戻っている。

 本当の意味で絶望を知ってしまったのだ。もう自分を愛してくれる人も、止めに来てくれる人はいないのだと。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 洞窟に響くのは冷たい声。彼女は口元だけを歪ませて哂っている。泣きたくて、叫びたくて、縋りたいはずなのに。だが士郎も、凛も既にいない。感情を向ける先がもうないのだ。

 

「ねぇライダー、もう諦めて。わたしと一緒になりましょう?」

 

 打つべき手が分からず沈黙することしかできなかった私に向かって、サクラが蒼白い手を伸ばしてきた。そう、私は今すぐにでもその手をとって彼女を包み込んであげたい。一人で背負いこませてしまった罪を癒してあげたい。独りで呟くように語りかけてきた声に、思わず鎖を手放して駆け寄りたく衝動に襲われる。

 しかし私は踏みとどまった。彼女の腕に纏わり付いて触手のように蠢く影が今にも私を喰らわんとする。サクラが私と共に破滅を選ぶのならばそれに殉じよう。

 だが彼女の罪を認め、共に破滅への道を歩むこと以外に、私ができることは残っていないのだろうか。足りない頭を振り絞ってみるも、辿りつくのは私では力が足りないという結論だ。

 彼女を救うことができるのは姉のリンか、想い人のシロウだけだったのだ。

 ――――いや待て。二人を失って絶望できる程に想いがあったのなら、まだサクラに揺さぶりをかけることができるかもしれない。

 

「シロウが死んだというのに、貴女は何も思わないのですか。サクラ」

 

 主従の再会というのに、私の第一声は主への糾弾というのは哀しいことだ。

 

「馬鹿な人。助けられないセイバーなんかのために無駄死にするなんて。どうせならわたしが食べてあげたかったのに」

 

 セイバーに止めを刺せなかったシロウに侮蔑の言葉が投げられる。それがサクラの本心なのか、強がりなのか。きっと多分その両方なのだろう。

 確かにシロウは愚かだった。だが誰よりもサクラを助けようとした彼の想いが報われなかったことが、そして自分がそんな二人の力になれなかったことが、何より哀しくてたまらない。

 

「間桐桜よ、そろそろ最後の仕上げだ。“この世全ての悪”の誕生を祝福しようではないか」

「えぇ神父様お願いします」

 

 私が言葉を返そうとした所で、ちょうど遮るように現れた言峰神父が生誕の儀式を促した。全く以って厄介な男である。一時は味方だと思っていたがそれは間違いのようだった。アレの生誕を祝おうだなど、この男もとっくに壊れている。

 

「姉さんも先輩も救われない世界なんて滅びてしまえばいいんです。わたしと同じぐらいの絶望をみんな味わえばいいんですよ」

 

 投げやりながらも、サクラは本気でそう言っていた。声を上げて笑いながら――――嘆いている。

 涙すら流せなくなった心があまりにも痛々しくて、それでも今のサクラを救う術を持たない私が忌々しい。

 宝石剣を手に入れても届かなかった。せめてアーチャーか、キャスターが残っていてくれれば魔術や宝具で現状を打破できたかもしれない。しかしサーヴァントで残ったのは私一騎だけなのだ。

 私単独ではこの状況をひっくり返す術は奇跡でも起こらない限り――――――――――――――いや、“サーヴァントである私”には一つだけ“奇跡”が用意されているではないか。

 

「サクラ」

「何、ライダー?」

 

 良かった。私にもまだやれることがある。私には救うことはできないが、祈る権利だけは残されている。

 

「――――救えなくて、申し訳ありませんでした」

「謝ることはないわ。こうなる運命だった、それだけよ」

 

 サクラの下へ一歩、一歩と歩み寄る度に足元から影に侵食され、言葉にならない忌避感に襲われる。しかし私は足を止める訳にはいかないのだ。

 腰元まで呑み込まれた時、ようやくサクラの下に辿りつき、泣き出しそうな顔で微笑む彼女の頬に手を添えることができた。

 

「サクラ、私たちはどこから間違ってしまったのでしょうね」

「わたしが、悪いってあなたも言うの!? お爺様がっ、お父様が、兄さんが、みんながっ、世界の方が悪いのに!」

 

 サクラを否定するような言葉が障ったのか、怒りという形になってサクラの言葉に再び熱がこもる。

 

「事情は知っています。誰が悪いのかも」

「そうよ。でも後戻りなんてできないわ。わたしはただ、先輩と、姉さんと一緒に居たかっただけなのに!」

「ならば、それを願いましょう。サクラ」

「――――え?」

 

 他に縋りつける物がないのだ。これが到底真っ当な願いを叶えるとは思えない穢れた聖杯だとしても、望みを託す他ない。下手をすればもっと大きな悲劇が待っている可能性もある。

 だがそれでも最期の一騎である私は、運命に抗える僅かな奇跡を信じよう。

 短剣の切っ先を胸元に当てる。イリヤが吸収した魂の分を補い、僅かな可能性を少しでも引き上げる手段は現状これしかないのだ。

 

「聖杯よ、此度の聖杯戦争の勝者であるメドゥーサが告げる――――」

「ライダー! まさかあなたっ!?」

 

 サクラが、シロウが救われない世界など、私は認める訳にはいかない。二人は幸せになるべきなのだ。

 

「サクラの願いを叶えて下さい。それが私の願いです」

 

 そして躊躇うことなく私はその刃を心臓に突き立てた。

 

「ぐっ……」

 

 私は元々この世界に存在しない者であり、サクラのための道具。この程度の痛みがサクラの幸せの代償ならば安過ぎるぐらいだ。

 私の言葉に応じるように大聖杯から更なる魔力が溢れ出してきた。首の辺りまで影に貪られ、全てが魔力の渦に飲み込まれて行くのを感じる。混沌とした泥に全ての記憶を犯されながらも、私は最期まで抗い願い続けよう。

 

 ――――サクラ、どうかシロウと幸せになって下さい。

 

 


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