黒桜ちゃんカムバック   作:みゅう

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#10 やり直せれば

 時は少し遡る。ランサーの戦闘に桜が加勢し始めた頃、セイヴァーはその瞳にライダー達の姿を捉えたようだった。

 

「ライダー達が動き出したようだな。しかし妙だ。あの方向は遠坂邸でも、桜達の方でも、城の方でもないな」

「でも桜ちゃんたちがバーサーカーとは交戦中だろ」

 

 本当ならセイヴァーの弓矢で援護して欲しい所であったが、現在の戦場は市街地の路地裏であるため破壊力の高い一射は避けるべきである。

 勿論セイヴァーの腕を持ってすれば、遮蔽物の多い場所であったとしても威力を抑えて援護することは不可能ではない。

 しかしライダーやアーチャー、そして未だ潜んでいる可能性のある衛宮切嗣とアサシンをの横槍を防ぐためには、そう簡単に自身の場所が特定される訳にはいかない。 よって彼ら三人は静観に徹していた所であったのだ。

 

「ならば動いた理由は別にあるな。戦いが始まったことに気づかんほど奴らも愚鈍ではあるまい。現時点で最も不利なのはライダーだ。このタイミングで動いたことからも、討伐より優先すべき理由があるとしか思えん」

 

 口元に手をあてながら思案するケイネスに対し、セイヴァーが同調しながらも胸の内によぎる懸念を口にした。

 

「あぁ。アインツベルンと行動を共にしているのも気になる。潰すなら他に気が向いている今かもしれん。が、しかしバーサーカーの本体の対処が桜達だけでいけるのかが気になるな」

「見ている感じ桜ちゃんも絶好調みたいだし、ランサーと旨く噛み合っている。いざとなったら令呪があるから大丈夫さ。あの糞爺が『場所』を抑えているんだ。後は『器』を確保さえすれば、俺達の勝利はグッと近づくんじゃないのか?」

 

 ライダー達が何かに対して気を取られている所への奇襲。そして他の陣営もバーサーカーへと目を向けているはず。ならば勝利条件の一つであるアイリスフィールの奪取に最適なのは今しかないと雁夜は考えを示す。

 

「確かに一理ある。そもそも令呪一画と聖杯の器、どちらを優先するかなら器の方だろう。万が一アーチャーが現れた場合は打ち合わせ通りにする、それでどうだ?」

 

 雁夜の言葉にケイネスも同意し確認をとった。セイヴァーも異存はないようで結論を告げる。

 

「問題ない。予定から外れるが我々の勝利条件を整えられるのは今しかない。器の奪取のために動く。雁夜、桜に連絡を獲り次第……」

「待ってくれ!」

 

 双眼鏡の先に何かを捉えた雁夜がその言葉を遮った。紅茶で暖まったはずの頬色が再び血の気を失い、青ざめていく雁夜。

 

「何で、葵さんが!? 禅譲に居るはずじゃ……」

「桜達の母親か? 凛や遠坂時臣の姿はあるのか?」

「いや、葵さんだけだ。でも殺人事件がこれだけの騒ぎになっていて、聖杯戦争のことだって知っているはずなのに、何かあったのか? 士郎、俺は……」

 

 酷く早口で誰の目から見てもに明らかに狼狽している。それを引き留めない理由はなかった。

 

「行くというのか? 現状を認識しろ雁夜。器を追わなくてはならない今、私は付いていけないぞ。君一人では無力だ」

「罠かもしれないってのは分かってる。時臣や言峰綺礼が俺をおびき出そうとしているのかもしれない。それに衛宮切嗣も」

「そこまで分かってるのなら少し息を整えて、冷静に考えろ。君がその場に向かうことに何のメリットがある?」

「メリットなんてわからない。けど、俺が死んだところで大したデメリットもないだろ? 感情的になってるのはわかってる。でも、それでも、俺は。葵さんが、葵さんの事が心配なんだ!」

 

 冬の白い吐息と共に唾を飛ばしながら、雁夜は長年胸に抱いていた感情を発露する。もはや論理だった言葉では説得が不可能と理解したケイネスと士郎は、先走る雁夜に対して何も言葉を与えることができない。

 

「ゴメン。聖杯の器は任せた。早く行ってくれ追えなくなるから」

「雁夜……」

「大丈夫、あいつ等のしっぽ掴んで来てやるからさ」

「キャスター時間が惜しい。ライダーを追うぞ。マトウカリヤ――――陽動は任せた」

「任された!」

 

 強張った笑みを浮かべて雁夜は二人の横を走り去る。彼らだけが知る煉獄の運命から一刻も早く彼女を逃すために。

 

 

                ×        ×

 

 

 

 思い出の公園。奇しくも二人は邂逅を果たした。あるいはそれが必然であったのかもしれない。

 

「雁夜くん!? どうしてここに!?」

「こっちの台詞だよ。葵さん。今の冬木は危ないんだ分かってるだろ?」

 

 闇に佇む街灯。静かな光に照らされる女の姿は、木枯らし一つで倒れてしまいそうなほどに弱々しい。きっと彼女を支えてやらねば、その先に待つのは魔都の深淵だろう。雁夜はある種の予感めいたものを胸に抱く。

 

「でも、凛が、凛が居なくなったの!」

「凛ちゃんが!?」

 

 葵の実家に避難していたはずの凛、彼女が居なくなったとの報に雁夜は驚きを隠せない。

 桜とセイヴァーの知る未来通りであれば間違いなく葵と凛は生き残る。そう信じようとした雁夜だがそんな考えは逃避でしかないと数瞬の後に考え直した。改竄してきた新たな歴史では、彼女たちが無事な保証はもうどこにもないのだ。特にバーサーカーが子供を狙っているこの状況下では楽観視などできようもない。

 

「冬木では子供狙いの通り魔が出てるってテレビにまでなっているのにあの子はどうして……」

「大丈夫、きっと凛ちゃんは大丈夫だ。今まさに俺の相棒がこの事件を終わらせようとしているから。それに桜ちゃんも頑張っているんだから」

「――――桜が?」

 

 根拠のない励ましを少しでも引き延ばそうとして、余計な言葉を口にしてしまった。己の迂闊さに気付いた時はもう遅い。彼女以外にもその言葉を耳にしてしまった者が居たのだ。

 

「やはり、そういうことだったのだな」

 

 闇の隙間から流れてくるのは耳につくほどに精悍な声。限りなく最悪に近いタイミングでその男は現れた。

 

「遠坂、時臣……」

「貴方、どうしてここに!?」

 

 自分の娘に命の危機が迫っているだろう今でも、その男は一部の隙もない気品と余裕を身に纏っている。

 

「葵、君は下がっているんだ。この男は私の敵だ」

「雁夜君が、敵? それはそんなっ、なんてこと!?」

 

 自分の夫と幼馴染が聖杯の所有権を賭けて命を奪いあう仲なのだと告げられた葵。次々ともたらされる悲報によって膝が崩れ落ちそうになるのが見てとれるが、今の雁夜には彼女の肩を支えることは許されない。

 そして雁夜に対して一分一厘の迷いもなく時臣は推測を口にする。

 

「それに桜も、いや桜こそがマスターなのだろう?」

 

 核心を突かれてしまった。それも雁夜自身の迂闊さによってだ。いつかは露見すると覚悟はできていたが、このミスは悔やむに悔やみきれない程に痛い。

 

「あの翁と桜のどちらなのか鎌をかけたつもりだったのだが、その沈黙は肯定と受け取っても良さそうだな」

 

 否定の言葉を発せない雁夜に対し、蔑んだ瞳を向ける時臣。

 

「君の事を一瞬でも認めようとした私が愚かだったようだな。魔導を諦めておきながらも未練がましく舞い戻ったものの、結局半端者にすらなれない凡俗のまま、ただの囮として扱われるか。無様だな間桐雁夜。だが間桐の翁が好みそうな手だ」

 

 時臣は手の甲を顎にあて、自身の言葉に納得する様に一人頷く。その視線の先には雁夜の姿はない。

 

「あぁそうだよ。囮役しかできない無能だよ俺は」

 

 しかしそんな時臣の注意を少しでも引こうと雁夜は引きつった笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「でもこうして、遮蔽物のない見通しの良い場所までおびき寄せることができた。役目が果たせるのなら本望だ」

 

 狙撃を意図した行動である旨を含ませる雁夜であったが、その言葉を受けてなお時臣は眉ひとつ動かす様子を見せない。

 

「葵がここに居るのに雁夜、君がそんな事出来る訳がないだろう」

 

 時臣は分かりきっているとばかりに冷淡な声を浴びせる。そう、図星だ。以上のハッタリがしないことは明白だった。

 

「だが雁夜、君には感謝しているよ。君が責任から逃げたおかげで桜は見事に才能を開花させることができた。まさか一番危険視していたサーヴァントを使役していたのが桜だったとはな」

 

 その声に宿るのは桜に対する悦びの熱気であると雁夜は悟った。魔術師の在り方というものをセイヴァーに何度も叩きこまれた雁夜は必死に思案する。桜に対するごく一般的な親としての愛よりも、魔術師の親としての方が勝っているのが目の前の男なのだ。それを利用するしか、この場を切り抜ける術はない。

 

「――――仮に桜ちゃんがこの聖杯戦争で最後まで勝ち残ったとしても、遠坂の家名には栄光がもたらされる。遠坂時臣、お前はそう考えているのか?」

「あぁ君の言うその通りだ。私にとってこれ以上幸運な事はあるまい。凛と桜、あまりにも非凡な才能をもってしまったがために後ろ盾がなければ只の人として生きることすら許されなかったのだよ。君は暗部を知らないだろうがね」

 

 目尻から溢れ出る感情を抑えきれず、時臣は指先で滴を拭い去る。対面する雁夜はその涙が意味するのが何たるかを理解しながらも、それに憤りをぶつけることができない。それが時臣の信ずる歪んだ愛の形だと、知識としてならば理解できるからだ。

 無知な昔の自分であれば「ふざけるな!」と一蹴していたに違いない。しかし数多のホルマリン漬けが眠る時計塔の話をセイヴァーから聞いた今では、決して納得はできないものの時臣の判断を責めることは難しい。何しろこの時代の桜は本来受けるべき苦難を逃れることができているのだから。

 

「だが実際どうだ、今の状況は? 潰さざるを得なかった才能が、諦めかけていた命が、ここまで早く華を咲かそうとは。やはり私の判断は正しかった。――――よし、方針を変えよう。桜のキャスターの排除は一番後回しだ。これで後の憂いなく私は戦うことができる」

 

 時臣の言を信じるのならば、アーチャーの矛先が桜に向かうのは最も最後になったということだ。雁夜が魔術師の性質という納得しがたいものに対して感謝したのはこの時が初めての事であろう。真実はバレてしまったが、全くの無意味ではなかったことが雁夜を安堵させる。

 

「俺も憂いはないよ時臣。今ここでお前を足止めすることが出来たのだから俺たちの勝ちだ」

「そうかな? 仮にキャスターがバーサーカー討伐をしたとしてもだ。マスターとして登録しているのは間桐雁夜、君だ。桜へ令呪を譲渡することは認められない」

 

 バーサーカー討伐にしか意識が行っていないと確信する。先に向かわせた二人が果たすべき目的に気付いていないのは救いだ。死を偽装して潜んでいるかもしれないアサシンと最終目標であるアーチャーの所在が気になるが、知った所で今の雁夜には何もできない。ただ、時間を稼ぐことを除いては。

 

「俺が死ねば、だろう?」

「家督の責任から逃げ出した君が、私の前から逃げられるとでも?」

「葵さんの目の前で俺を殺せるのか?」

「殺せるとも。葵は“魔術師である”私の妻だ。何ら問題はない」

 

 二人を交互に見やる葵を無視して言葉を連ねる時臣。無理やりにでも話題を変える他ないと、雁夜は次なる言葉を選ぶ。

 

「それで時臣、凛ちゃんのことは良いのか? わざわざ俺一人のために穴熊を辞めたという訳じゃないんだろう?」

「それは今直ぐ君を排除して捜索に向かえば済む話だ。言い残すことはそれだけか?」

「融通の利かないお前のサーヴァントと違って、俺たちのサーヴァントは索敵に長けている。凛ちゃんは俺達が必ず――――」

「カッ、無理な事は言うものではない」

「その声っ……何でお前が!?」

 

 街路樹の陰間から近づいてくる声。足元に這い寄るのは底冷えする空気。聖杯戦争の直前からずっと姿を消していた黒幕の一人が、その姿を薄暗い街灯の下にさらけ出す。

 

「久しいですね。間桐の翁」

「本来ならば出番は最後の仕上げの時のはずじゃったが。あまりの不甲斐なさに見ておれずにのう」

 

 排水溝や樹木、遊具の物影から蛆の様にうねり集う蟲の大軍。今にも襲いかかり血肉を喰らわんとする蟲たちを杖で一つ地面を小突くことで制した老人は、その伽藍の瞳を時臣に向ける。対する時臣も抑揚のない声を臓硯に突きつけた。

 

「桜をあそこまで仕上げた貴方の手腕、いくら感謝してもしきれません。貴方に預けてやはり正解でした。しかしその恩もこの聖杯戦争においては別です。私の前に立ちはだかるのならば容赦はできません」

 

 杖を向けて臨戦態勢を取る時臣。一触即発の空気だと素人の雁夜と葵でさえ理解できる。しかし、そのつもりはないと臓硯は言葉を続けた。

 

「立ちはだかろうという気はない。ただ夜の散歩に出て、独り言を呟きたくなった。それだけのことじゃよ」

「独り言ですか」

「あぁ、独り言じゃ。遠坂の小娘がバーサーカーに攫われたらしいと風の噂で――――」

「凛が!?」

「凛ちゃんが!!? どういうことだ臓硯!!」

 

 悲壮を形にする葵、表情を固まらせる時臣、掴みかかろうとするも蟲に阻まれる雁夜。それらを気にせず老獪は淡々と独り言を続ける。奈落の底に落とさんとばかりの悪意を含ませながら。

 

「残念ながら亡骸すらもう残ってはおらぬようじゃのう。桜と比肩する才能を持っていたろうに惜しいことじゃ」

「それは、本当なのか爺ぃ! 俺たちを騙そうと――――」

「桜に聞くが良い。何しろ死体を処理したのは他ならぬ桜本人だからのう」

 

 笑い声こそ発していないが、満面の愉悦を顕わにする臓硯。その態度に対する憤りよりも、その言葉がほぼ間違いなく真実であるという思いが雁夜たちの脳内を埋め尽くす。

 

「い、いやっ、いや……そんな凛、凛が?」

 

 重力に任せ膝から崩れ落ちる葵。そんな彼女を支えることもなく、茫然自失としている時臣。そしてまた雁夜も唇を震わせ狼狽していた。

 

「う、嘘だっ……さ、桜ちゃんが」

「疑うのならばおぬしの機械で桜と連絡が取れば良かろう」

 

 そう薦められるも携帯電話へと手を伸ばす勇気を雁夜は持ち合わせていない。

 

「さて。独り言も終わったところで家に帰るとするかのう、雁夜よ」

「翁、今の話は……」

「良く考えるが良い。いくら相性で勝っているとはいえ、この状況で儂と相対するつもりか? やもすれば優秀な胎盤を失うことになるのだぞ?」

 

 時臣にとって足手まといである葵への襲撃を臭わせる臓硯。凛を失い、葵までも失えばどうなるか。時臣にとって考えるまでもなかった。英国に置いて来ている女と葵では実績が違い過ぎる。配偶者の血統における潜在能力を最大限引き出せる特異体質を持つ葵を手放す理由など存在しえない。故に選択肢は一つだった。

 

「確かに仰る通りだ。妻の容体が優れないのでこの場は大人しく退かせて頂きましょう。この借りは必ずや――――」

 

 取り乱し、腰を抜かした葵を抱えながら時臣は光の届かぬ方へ去っていく。その後ろ姿を口を開けて見続けることしかできなかった雁夜も、二人の姿が視界から完全に消えるとようやく臓硯へと言葉を発することができた。

 

「どうして、今ここで出てきた爺ぃ」

「実の息子を助けるのに理由がいるのか?」

「思ってもいないことを、白々しい」

 

 時臣に対して吐き出せなかった分の衝動をぶつけるが、柳の様に言葉の圧力をかわす臓硯。

 

「おぬしに死なれては儂が困るのだ。桜のストッパーは多い方がいい。儂ですら一度失敗しておるのだからな」

 

 桜のあからさまな敵意は彼女の容体が豹変した時からずっと変わらない。桜から聞かされた取引時の未来の話がどこまで本当かなどは臓硯にとって大した問題ではない。

 

――――桜が聖杯を使用し、過去へと遡った――――

 

 この事実だけこそが臓硯にとっての全てだった。これが意味するのは二つ。臓硯が桜の制御に失敗し、聖杯を桜に使用されたということ。二つ目は過去への時間旅行又は魂と精神だけの世界間移動を可能にする力を間違いなく聖杯は有していること。その推測される二つの事柄に臓硯は身を震わせるほどに怖れ、そして心の底から歓喜した。

 桜からは自らと違い魂の腐敗臭を纏わせていない。記憶も明瞭でありながら、その身体は若さを取り戻している。そう、臓硯の求めた不老不死の形の1つが目の前に現れたのだ。

 

 最初、弱々しかった桜を取引通り臓硯が手出ししなかったのは、桜が貴重なサンプルであるという事実が最も大きかったのだ。そして桜はそのことに気づく様子は全くない。臓硯よりも強いという自負が、その可能性を桜の頭から消し去ってしまっていた。

 だからこそ臓硯はその慢心に付けこむ。敵意に晒されぬよう持ちうる全てを使い桜を支援しながら、影で自らの準備を重ねてきた。能力、忠誠、頭脳を揃えたセイヴァーは厄介極まりなく、出て来るタイミングが今までなかった臓硯。

 しかし、偶発的な出来事が都合良く重なった上、今まさに心身共に無防備な雁夜が一人で居るのだ。足のつく蟲を使うまでもない。

 

「雁夜、遠坂凛を救えなかったことを悔いているのだろう? 桜やあの女を苦しませたことをな」

「何が……言いたい」

 

 なぜならば麻薬にも等しい禁断の言葉を臓硯は手にしていたのだから。

 

「聖杯があれば生き返る。そう考えたことはなかったか?」

「だからお前に付けと? どうせ俺達が反旗を翻そうとしているのは知っているんだろ。冗談じゃない!」

「当然。しかし雁夜よ。儂が求めている不老不死、その形はもしやおぬしの望みと一致しておるかも知れんぞ?」

「願いを叶えた後、残った力を使えというのではなく、か?」

 

 ゆっくりと、真意を確かめるように雁夜は言葉を返す。先程の様に激情に任せた物言いではない。

 

「やり直せれば」

 

 聞いてはいけなかった。

 

「もし仮に人生を“やり直せれば”、凛も桜も、そして“禅譲葵”も手に入る。そう妄想したことは一度や二度ではなかろう?」

 

 だが、雁夜は聞いてしまった。

 

「やり直しだなんて、そんなことは許され…………あっ」

 

 ハッと目を見開き、そして細らせる雁夜。

 

「気づいたようじゃの。桜は既にやり直しているではないか。そして確実に歴史は変わっておる。おぬしは桜の在り方を否定するのか? それとも目の前で奇跡を見ておきながら聖杯の力を否定するのか?」

 

 できるはずが、ない。桜の在り方は仕方ないことであり、正しさもある。そしてそれを可能にした聖杯の力も本物だ。他の願いならいざ知らず、少なくとも時間に干渉する戻す力は認めざるを得ない。雁夜は確かめるために問いかけた。

 

「――――間桐臓硯。お前も“やり直し”を求めているのか?」

「無論。“やり直し”続ければ儂は悠久の時を生きられる。そして間違いを正すことも、できるかもしれん」

 

 星を覆い隠す薄雲を仰ぎ、老人は嗤う。誰も知らぬ過去を独り、想いながら。


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