「私達…………助かったの?」
「多分そうみたいだ」
時は少し遡る。桜によってイスカンダルの身体を触媒に使用され、新たなサーヴァントと共に飛び去った後、残されたのはソラウとウェイバー。
非力な組み合わせの二人に、直接的な被害がなかったのは不幸中の幸いであった。桜に害意そのものがなかった可能性もあるが、それ以上に大きく動揺する姿が二人の目に焼き付いていた。
「ケガがないのは良いけれど、不味いことになったわね」
桜が去り際に問いただしたのは士郎の新たな契約者と、彼ら一向の行方、そして“しろう少年”の行方。最後の一つは分からないが、残り二つを答えると桜は即座に去ってしまった。
「あの子のこと自体も不味いけれども、その子の目当てだった“しろう”が居ない状況という方が不味いんじゃないか」
「確かにそうよね。あの子の中にはそれしかないって感じだったし。私達の不和を狙ったか、それとも桜ちゃんへの人質目的。そう考えるのが妥当でしょうね」
「だけどだ。いくらでも他に手段があるにも関わらず、わざわざ目立つ火を使ったのは何故だ? 陽動目的にしたっておかしい。何から目を逸らしたかったっていうんだ?」
ウェイバーは考え得る可能性を列挙していく。その考察が状況の打破に通じると信じて。
「火を使う遠坂時臣の仕業に見立てるには幼稚すぎるし、そもそも先生と会談の予定なんだろ?」
「えぇそうね」
「あの子にとって最大のウィークポイントを僕らが居ない時間丁度を狙っての襲撃だ。これは間違いなく事情を知っている奴の仕業だ。そう言った意味では衛宮切嗣が一番怪しいけれども、身体の不自由なアイリスフィールを連れて行方を眩ませているんだ。アイツがそんなリスクを犯すはずがない」
大人一人を抱え、更に子供を連れての遠回りな逃避行の最中。切嗣がわざわざウェイバーの拠点に再び戻るなどとはどうしても考えにくかった。
「バーサーカー、いえ正式にはキャスターのサーヴァントが犯人とかだったら誘拐も容易いのだけど、もう終わった話なのよね」
青髭による連続児童誘拐事件、それもライダーが仕留めたことにより事態は収束したはず。そもそも誘拐のために行った行動としては不可解な点が多い。
「そうだ。誘拐するならこの場に―――――これが誘拐じゃないなら、どうなる?」
そして、新たなる幾つかの可能性に思い至る。
「誘拐じゃないって、それはどういうこと?」
「例えば“しろう”が偽物だったり、操られていて、誘拐ではなく、脱出していた場合とか」
「脱出って、そんなまさか。あの桜ちゃんでさえ中の精神はもっと上の年齢の子なのよ。そんな大げさな」
「中の精神か。なぁ、聖杯戦争の関係者で誰かの身体を乗っ取ったりできる人間に心当たりはないか?」
ウェイバーが把握している限りそんな器用な芸当ができる人間に心当たりはない。だが、問いかけられたソラウは一瞬間を開けた後、一つトーンを落とした声で答えた。
「……噂話からの推測だけど一人だけ居るかもしれないわ。あの子の事情を知っていて、あなたの言うような芸当ができるかもしれない魔術師が」
軽く血を滲ませる程に下唇を強く噛むソラウ。未だ天高く燃え続ける炎が、その険しい瞳に刻まれる。
「もしもこの火事が桜ちゃんを精神的に追い詰めることが目的で、私の悪い予想が当たっていれば最悪な状況になるかもしれない。早くケイネス達に連絡しないと不味いわね。でも携帯は取られたし……」
焦って去って行った桜もソラウに渡していた携帯を持ちさるだけの余裕はあった。教会に直接向かったとしても、間違いなく桜たちが到着する方が早い。
「そういえばアンタたちも携帯持ってたんだな。でもほらっ。ボクも切嗣から借りているのがある。何番にかけたらいい?」
黒いシンプルな携帯電話を懐から取り出すウェイバー。得意気に掲げて見せた後、ボタンを押すべく人差し指を構える。だがしかし、返ってきたのは予想外の返答だった。
「何番、ってどういうこと?」
「番号だよ。電話番号!」
「えっ、何なの。そ、そんなの初耳よ」
「もしかしなくても、使い方わかってなかったのか? だから現代技術を馬鹿にする魔術師は……」
ウェイバーが皮肉を言ってしまうのも仕方ない。携帯に、ゲーム、通販のシステムなどなど、ウェイバーは日本に来てからというもの、嫌と言うほどに外の世界の凄さを痛感させられていた。
「わからないものは仕方ないじゃない。それより貴方、一体どうするの?」
「はぁ、こんなことならタクシーの番号でも調べておけばよかったな。仕方ない、ダメ元で持ち主にかけてみる。今さらアイツ出るのかな……」
半信半疑といった面持ちで大きな溜息と共に暗記していた番号をプッシュするウェイバー。興味深そうにソラウはその様子を観察する。
「――――――繋がった!! おい、もしもし? 聞こえるか!?」
『誰かと思えば。その声、ウェイバーか』
長いコール音の後、ようやく衛宮切嗣と電話が繋がる。電波越しのせいか、ウェイバーの耳には声が擦れているように聞こえた。
「あぁボクだ。無事に冬木は出れたのか?」
『……知っていたのか。騙したことを責めないんだな』
「アイリスフィールのためなんだろ。結果的にそれが最善だったみたいだし責めないさ」
『悪いね。だけど最善ってどういうことだい? 生憎だが、アサシンのマスターと遭遇してね。撃退できたんだが、二人とも瀕死の重傷だ』
「おい! 今、何だって!?」
さらりと出てきた発言に大声で聞き返すウェイバー。
『アサシンがマスター共々落ちた。今度こそ間違いない。だけど僕は中身がぐちゃぐちゃなのを無理やり繋いでいて、アイリも無理な魔術行使が祟って回路がボロボロだ』
「そんな呑気に喋っていて大丈夫なのかよっ!? 今どこだ、すぐに迎えに行く!!」
『……良いのかい。僕たちは君たちを裏切って逃げたんだぞ?』
「聖杯の正体も未来のボクからようやく聞いた。それにライダーなら笑って許してくれたから心配しなくていい」
『そうか、もし君が少しでもアイリに同情してくれるなら冬木市民会館に来て欲しい。その入口横の物影に二人とも居る』
「わかった。急いで行く。だからそれまで二人とも絶対死ぬんじゃないぞ」
『すまない、感謝する……』
「じゃあ切るぞ。近くに来たらまた連絡する」
ウェイバーはそう告げて電源ボタンをワンプッシュする。「参ったな」という言葉が長い溜息と共に思わず零れ落ちた。
「ねぇ、今のは一体?」
「アサシンとそのマスターが脱落した。そして応戦した元セイバーのマスターと聖杯の器が瀕死の重傷ということらしい」
あまりの急展開にソラウは開いた口が塞がらない。問い直す前にウェイバーが言葉を続ける。
「ボクは二人を助けに行く方を優先する。同時に教会には向かうのは不可能だし、きっと間に合わない。アンタはどうする?」
× ×
「二人とも生きているのが不思議なくらいね。タクシーで来なかったら間に合わなかったわよ」
会館の外壁にもたれている切嗣とアイリの負傷状態を確かめたソラウは眉間に皺を刻みながら言った。
二人の怪我の状態に加え、近くの交差点で見かけた激闘の残滓と、壁と床に広がる大量の血痕を見ている。ウェイバーもソラウの発言と同じ感想を抱いた。短距離とはいえ会館の物影まで移動できたのが不思議なぐらいだった。
「病院に連れていくのが一番だけど、その前に魔術で手当てを続けるわね」
「本当にすまない」
「ありがとう、ウェイバー。貴方に助けてもらうのはこれで二度目かしらね」
ソラウの手当てに頭を下げる切嗣。傍らのアイリもそれに倣った。
「ウェイバー、そちらの状況はどうなっている? 征服王の姿も見えないようだが?」
「あぁ、それは……」
ウェイバーは掻い摘んで状況を切嗣に数分で説明した。桜の変貌による新たな召喚のこと、アンリマユのこと、聖杯戦争停止のために動き出したメンバーのことなどだ。そんな中、治療に専念し無言を貫いていたソラウが急に胸を抑え出す。
「ランサーが戦闘を開始したわ」
「おいおい、戦闘ってもしかして相手は……」
「おそらくは四騎全部が教会に集まっていると考えれば、新しいライダーかアーチャー、もしくはその両方が相手でしょうね。このままだと私が治癒に回せる魔力が限られてくるわよ。ランサーが凄く消耗しているみたい。やっぱりこの二人は早めに病院に搬送するのが良いかもしれないわ」
予想していたとはいえ、動き出してしまった事態に悩むソラウ。数瞬ほど思案した後、そして一つの提案を切嗣へと投げかけた。
「その令呪もう要らないのなら私に頂戴。少しだけ時間が稼げるかもしれないわ」
「あぁ完全に降りた僕には不要だ。移植できるのか?」
「父は時計塔の降霊科学部長なのよ。ケイネスほどではないけれど、私だって対象者の同意があれば問題なく行えるわ」
そう言って差し出された切嗣の手を取ったソラウは詠唱を行った。一画の令呪がソラウに宿る。瞳を閉じて息を吐き出す。
「我が令呪をランサーへ捧げます」
例えその声はランサーに届かずとも彼の力となるように、万感の想いを込めてソラウは祈りを謡う。
「――――生きて。少しでも長く」
消失する令呪の光。ソラウは見えない印の痕を華奢な指でなぞる。そして伏せていた顔を上げ、再びアイリの治療を始めた。
「これで私にできることは治療だけね。何か案はあるかしら? 何もないならウェイバー、あなたはもう一度車を調達して来て」
「あぁ、わかった。すぐに冬木を出よう」
「ソラウさん、私の治療はもういいわ」
ウェイバーが立ち上がり、大道路へ向かおうとすると、アイリが唐突に言葉を発した。思わずウェイバーも足を止める。
「私の治療はもういいわ。だから残りの魔力は切嗣に回してあげて」
「アイリスフィール。アンタ、突然何を言い出すんだよ?」
「最終決戦が始まった以上、もう私は助からないわ」
アイリは助からないと言いつつも、その口元は笑っているかのように見えた。
「セイバーのときは何故か何ともなかったけれど、本来のキャスター、そしてさっきのアサシンの魂が私の身体に入って来てから、私の人間として生きるための機能は大部分失われて来ているわ。それに残るサーヴァント、特にあのアーチャーの魂なんて入って来たら私は人ではなく即座に聖杯に成り果てるでしょうね」
だから私はもう助からないの、とアイリはごく近い将来に訪れるであろう結末を、第三者の様な達観した口ぶりで語った。
「ウェイバー、さっきの話本当なのね?」
「さっきの話って……」
「アンリマユのことよ」
「それは事実だ。未来の第五次聖杯戦争に関わった英霊が二人も証言していて、その二人が口を揃えて今回の状況はかなり不味いらしい。抑止力が来てこの周辺の人類ごと滅ぼされる可能性も否定できないぐらいに」
「そうなのね。教えてくれてありがとう」
笑顔で答えるアイリの顔をウェイバーは直視できなかった。痛々しい、そんな感情を抱くのは人として決しておかしなことではないだろう。
「ねぇ、切嗣。お願いがあるの」
「なんだい?」
アイリは隣に居る切嗣の右手をなけなしの力を振り絞って掴む。切嗣も可能な限りの力で握り返した。
「――――聖杯を、貴方が壊してくれる?」
ここに集う面々はアイリのその言葉を半ば予想していた。故にその言葉の意味は問い返すまでもない。
しかし意味と意義を理解しつつも切嗣はその無慈悲な言葉を繰り返えさざるを得なかった。
「僕に、君を、殺せと言うのかい?」
「そうよ。そうでないと、汚染された聖杯の中身が溢れるのでしょう? ここで二人とも倒れるのだけは絶対に駄目よ。イリヤだってあの雪の城に閉じ込められたまま、次の器へと変えられてしまうわ」
「言っていることはわかる。でも、君と共に生きると僕は誓ったばかりなのに……くそっ!」
その悪態は誰に向けたものなのか。顔を歪めた切嗣は、再び強くアイリの手を握り返した。
「どうするの? 冬木を脱出するにしても、聖杯を破壊するにしても早くしないと時間がないわよ。さっきから随分と魔力を持って行かれているわ。おそらく宝具だけじゃない、かなりの部分を治癒に充てているはずよ。これは私の予感なんだけど、きっとランサーの命はそう長くはないと思う」
ソラウからも決断を促される。おそらく今起こっているのは四騎の混戦だと誰もが予想していた。この戦いで二騎または三騎の脱落の可能性は十分以上に起こり得る。それが数時間後なのか数分後なのかを把握する術を持たない現状において、究極の選択を切嗣は迫られていた。
「そして貴方は生きて、イリヤと一緒に。貴方にしか頼めないの」
ギリギリまで堪えていたものが、アイリの頬を伝って零れ落ちる。それが更なる一押しへとなった。
「……あぁ。わかったよ、アイリ。絶対にイリヤは助け出してみせる」
切嗣はゆっくりとした動作でアイリの涙を指で拭い取る。
そして彼は懐から大柄な銃と、一発の弾丸を取り出した。トンプソン・コンテンダーと起源弾だ。その性能を知るものは切嗣を除いてはこの場には居ないが、大口径ならではの威力と魔術回路を焼き切ることをも可能とするその特性は、聖杯の器の破壊という点においてこれ以上ない選択とも言えた。
聖杯が顕現してしまえば霊体であるサーヴァントにしか対処できない。しかしまだアイリに収められている聖杯を物理的に破壊するならば、今のうちしかない。それがわかっているからこそ、アイリはそれを提案し、ソラウやウェイバーも必要以上に語らない。
切嗣は負傷した腕でも普段と変わることなく正確に起源弾を装填した。目を瞑ってでも何ら問題はない。心を平静にするために自らを機械と可さんとする。
切嗣は今まで父親を、母親代わりを、多くの人々を葬って来たのだ。今さら迷いなどはないと、切嗣は自身の胸の内に言い聞かせた。それに元々、聖杯戦争に参加した時点でアイリは死すべき運命だったのだと、もう一つの言い訳を重ね、固く銃把を握りしめた。
「ボクがやる」
――――誰かの声がした。
「ボクが、アンタの代わりに殺してやる」
――――誰かがそう言った。
「……代わりになんておこがましいか。ボクが、ボク自身の安全のために聖杯を壊す。だからボクを怨んでくれていい」
――――誰かが銃把を握り締める手を、ぎゅっと力強く掴んだ。
「だからボクに銃を渡してくれ。切嗣、アンタが撃つよりも幾らか救いがあるはずだ」
名前を呼ばれ、目を見開くと、泣き腫らした顔のウェイバーがそこには居た。
切嗣の腕に籠っていた力が、すとんと抜け落ちる。
「ウェイバー、貴方はそれでいいの?」
「悔しくて、痛々しくて…………正直さ、見てられないんだよ、アンタたちは!」
アイリに対してウェイバーが吼えた。その直後、ソラウは「あっ」とだけ呟いて、次に出て来るべき言葉を呑みこんだ。
「アイリスフィール、アンタにとっては旦那に殺されるのが救いかもしれないけれど、殺さなきゃいけなかった方はずっと生き残るんだ」
「それは……」
アイリは言葉に詰まり、切嗣へと視線を向ける。切嗣は首を横に振ってウェイバーへと言葉を発する。
「ウェイバー、僕の事は良い。身内を殺すのにだって慣れてしまっているんだ。だから――」
「良いわけないだろう! だって……だって今、今のアンタはっ、泣いているんだぞっ!!」
ハッと目を見開いた切嗣は手を頬にあてる。そして濡れた指先を見た切嗣は擦れそうな声で呟いた。
「そうか。僕は泣いていたんだな」
「そうだよ。だからボクがアンタの分を……」
「でもウェイバー、貴方も泣いているじゃない」
アイリに指摘されるウェイバー。その顔は誰よりも酷く崩れており、頬を伝う涙は止まらない。
「そうだよ。ボクだって、本当は嫌なんだ。またみんなで集まって、タコヤキや煎餅を食べながら、テレビを見たりゲームをしたいんだ!!」
悲痛な声が会館の周囲に響き渡る。その叫びに誰もが耳を傾けた。あの部屋で過ごした幸せな時間を、当たり前の日常を掴んで欲しかったとウェイバーは言う。
「でも、二人を冬木から連れ出す前に失敗して、災厄が起こるなんてことは許されない。魔術師の一人としてボクは絶対にソレを未然に防がなくちゃいけない。でも本当はアンタたちに幸せになって欲しい。これが魔術師として未熟なら、ボクは未熟なままでいい。本当に、本当にそう思っているんだ」
切嗣のように機械になりきれないウェイバーは矛盾する二つの選択に苦しめられていた。
「きっと
理性と感情の間で揺れ動きながら、それでもウェイバーは切嗣が落としたコンテンダーを拾う。
「それにボクの中の何かがこう言っている気がするんだ。『銃を取れ』って」
ウェイバーはコンテンダーを両手で構える。脇のしめも甘く、大口径の反動に耐えられそうにはない。しかしアイリの心臓への零距離射撃ならば、それでもなんら問題はなかった。
「ボクは怖い。強迫観念が、見えない何かが後押ししている気がするんだ」
「ウェイバー、僕と代われ。今の君は正常じゃない。これは僕が背負うべき罪だ」
「嫌だ。でも、だからこそボクは逃げない。ボクの意志で引き金を引く」
「よすんだウェイバー!」
切嗣の制止を振り切って、ウェイバーは引き金を引こうと人差し指に力を込める。
「待って、話を聞いてウェイバー! 大事な事なの!」
静観を保っていたソラウが大きな声を上げる。その鬼気迫る形相に後ずさりしたウェイバーは銃を降ろした。
「ランサーのパスが切れたわ。いえ、とっくに切れてるの。直前に大きく魔力を持って行かれたし、多分彼は死んだわ」
「えっ!?」
「いつからなの?」
ソラウが動揺していたことや、ウェイバーたちの声にかき消されたことによって伝わるのが遅くなったようだった。あまりにも大きな報告内容だったので被せ気味でアイリが問いかけた。
「ウェイバーが声を張り上げたぐらいからよ。随分経つけれど、アイリスフィールに変化が起こった感じは見えないのだけど、実際どうなの?」
「特に変わらないわ。でもどういうことなのかしら。アサシンやキャスターのときはすぐに変化があったのに随分と違うわ。セイバーの時も変だったけれど、どこか別の所に魂を留めでもしない限り……」
「ケイネスたちが何かしたのかも知れないわね」
「わかった。なら当初の予定通り冬木を出よう。だけどアイリスフィールに異変が出た時点でボクが引き金を引く。それでいいか?」
一同は無言で頷いた。だがしかし――――
「良くないのう。そうはさせんぞ、若造」
悪辣で老獪な声が、彼らの耳に届いた。
「貴方は、マキリの!? そんな、アーチャーに倒されたはずじゃあ……」
「カカカ、本体が死なん限り儂は不滅じゃ。いくらでも予備の身体はある」
仄暗い茂みの中から姿を現したのは先程死んだはずの老人だった。アイリは驚嘆するが、臓硯はそんなアイリを爛れた声で笑い飛ばした。
「どうしたらいいの。こっちは怪我人と素人しか居ないっていうのに。さっきの令呪があればランサーを呼べたけれど栓のない話ね」
切嗣の装備が僅かにあるといえども、ウェイバーとソラウには扱えるような技術はない。ソラウは思わず舌打ちをした。
「今さら出て来て、オマエは一体何をする気だよ」
「――――ただ正義を為す」
ウェイバーの問いに対して、臓硯は端的にそう言いきった。その言葉には先程までと違って一切の淀みはない。真に迫るものを対峙する一同は感じた。
「貴様は何を言っているんだ? 聖杯は汚染されているんだぞ。正気なのか?」
「衛宮切嗣、ぬしはまだまだ若いの。ものは考えようでな、汚染されていようが聖杯は聖杯。その機能そのものは間違いなく健在じゃ。解釈が歪められる可能性がある願いならばともかく“やり直し”ならば聖杯に曲解されることは少ないはず。何より既に桜という成功例があるからのう」
「やり直し……だと? では貴様のいう“正義”を実現する方法というのは……」
「聖杯が穢れる以前に遡り、今までの聖杯戦争における知識を駆使して、聖杯を正常に起動させる」
切嗣は言葉を失った。確かにその理屈ならば願いの実現も不可能とは断言できない。
「知っておるぞ、衛宮切嗣。ぬしは“戦争のない世界を作る”という崇高な願いを抱いておるのだろう――――儂と同じくの」
「確かに以前はそうだった。でも今は違う。聖杯の正しい使い方なんて知ったことじゃない。貴様に手を貸せと言われても、答えは絶対にノーだ」
「そうか、それでは強引に奪うしかないのう」
臓硯は手にした杖で足元に敷き詰められたタイルを叩く。影という影から湧いてくる蟲の大群。
「待って、その前に聞かせて! サーヴァントが居なくては聖杯は使えないはずよ。頼みの綱の桜ちゃんはあなたを最も警戒しているわ。取り込もうなんて無駄よ」
「露骨な時間稼ぎか、助けを待っても無駄じゃて。が、まぁ良い。何も儂が桜に語りかける必要はない。同じ願いを持つように仕向ければよいだけの話よ」
「まさか、あなたやっぱり桜ちゃんの――――――――!?」
「ほう、随分と勘の良い小娘のようじゃ」
ソラウは臓硯の意図に気付く。続くソラウの言葉は臓硯の歪みきった笑みからして正解で間違いなさそうだった。しかしそれを桜に伝える術を持たない。
「ぬしは、桜が願わずにおれると思うかの――――?」
「そ、それは……」
「カカカ。さて、益のない雑談は終了じゃ。この時代は礎になってもらう。正義のために必要な犠牲じゃ」
ウェイバーたちに忍び寄るのは芋虫や羽蟲、甲虫などが奏でる死の音色。
「ボクが、ボクが……何とかするしかない。駄目で元々だ」
ウェイバーは誰にも聞こえない声で決意を呟く。
そして手の中にある確かな重みを再び確かめた。
取り落とさないように強く銃把を握り締め、引き金に人差し指をかける。
「ウェイバー、私を殺して! 早く!!!」
アイリスフィールの叫びが届いた直後のこと。
「うわぁああああああああああっ!!」
絶叫と共に、乾いた銃声が一つ鳴り響いた。