「臓硯!! 桜ちゃんを聖杯戦争に参加させるだって、本気で言っているのか!?」
「何を今さら抜かすと思えばそんなことか。儂は何も言うておらぬ。言い出したのは桜の方じゃ」
「しらばっくれるな臓硯、何で馬鹿けた魔術師なんかの争いに桜ちゃんが進んで巻き込まれなくちゃならないんだ! 全部お前の陰謀だろう!!」
お爺様と協力体制ができて数日後、雁夜おじさんが戻って来たのは只の偶然だった。話を聞いていると、久々に再会したお母様からわたしがこの家に養子に来たことを知ったらしい。そういえばずっと外国を回っていたんだっけ。
そんな雁夜おじさんは帰って来るなり感情に任せた剣幕をお爺様に叩きつけているが、当のお爺様は応接間のソファで悠然と腰掛け、ほとんど相手にしていない。
「わしは此度の聖杯戦争に勝ち目があるとは微塵も考えてはおらんかった。桜は大事な母胎だからの。ようやく入れた物を簡単に失うような危険を冒すと思うか? 儂はその子か、孫の代にと思っておったのだが。当の桜がやる気のようでの」
「そんな馬鹿な! 桜ちゃん、本当に臓硯に唆されていないのかい?」
「うん、これはわたしで決めたの。だから心配しないで雁夜おじさん」
無理やり表面だけの笑顔を作り、抑揚を抑えて言葉を発する。
わたしの言葉に叔父さんの表情筋が固まった。相対するお爺様は対照的に、ミイラのような顔に更に深い皺を刻む。愉悦に酔いしれているといったところだろう。
ごめんなさい。戻ってきてしまった以上巻き込む気は満々です。あの呑んだくれは役に立たないし、お爺様以外の協力者、それも信用できる人間がわたしには必要なのだから。
「どうして君がそんなことを」
僅かに震える声を耳にして、胸の奥が締め付けられた。お爺様の視線がおじさんからわたしへと移る。干からびた表情こそ変わらないが、罪悪感に苛まれるわたしの事を見て悦に入っているのだろう。
「雁夜おじさん、それは本当なんです」
「無理をしなくていいんだ。桜ちゃん、君は魔術の恐ろしさを何もわかっていない。聖杯戦争がどういうものかもわかっていないんだろう?」
「雁夜おじさん、わたし知ってるんです。間桐の魔術も、聖杯戦争の中身も、全部知ってるんです」
「え?」
雁夜おじさんの顔が再び固まる。視線だけがわたしからお爺様へ移り、そしてまたわたしへと戻ってきた。癪な笑い声をあげてお爺様が煽る。気の毒だが必要な事だ。わたしは“打ち明けられる”全ての秘密をおじさんに明かすことにした。
「魔術を捨てた凡俗には理解が及ばぬ、といったところか。良い顔をしておるわ。先を続けるがよい桜。お主の言葉で教えてやれ」
「雁夜おじさん、わたし、未来から来たんですよ」
× ×
「葵さんが死ぬ……だって?」
わたしが未来から来た事よりも、お母様の死の方が雁夜おじさんには衝撃的だったようだ。口の隙間から洩れる様な音でも、この閑静な応接間においてはわたしの耳に届くのに充分だった。
わたしはそんな雁夜おじさんに対し、哀しい事実を“必要な部分だけ選択して”端的に伝える。
「えぇ、病死らしいですけれど、聖杯戦争でお父様を失った精神的ショックによるものだと思います」
「そんなっ!」
「そして姉さん一人が残されて、お父様の悲願を継ごうと一層魔術にのめり込んでしまうんです。そして最期はサーヴァントなしで一人で戦って……」
死んだ。とは言わずとも察してくれたようだ。掌で顔を抑え込んで俯くおじさんの眉間に力が入っていくのがわかる。
「くっ、 時臣、お前になら任せても良いと思ったのに、桜ちゃんをこんな家に送っただけじゃなく、死んでからも葵さんを苦しめるなんて。糞っ! そんなことなら俺がっ!!」
自らの両肘をテーブルに叩きつけながら、雁夜おじさんは頭を抱え込む。わたしの出る幕はない。そんな隙をあの妖怪が見逃すはずはなかった。
「くくくっ、雁夜。今からでも遅くはないのではないか?」
「何が、言いたい?」
「遠坂時臣さえおらねば。そう思っておるのだろう? お主自信が手に掛けずともよい。桜の言う結末では犬死にした貴様だが、貴様が生き残れば夫を失った後の禅譲の娘に寄り添えるのはお主しかおらぬのではないか?」
「だが、葵さんを間桐の家に巻き込む訳には行かない! こんなおぞましい魔術に巻き込むことはっ!」
「そのころには間桐の魔術など必要ないんですよ。雁夜おじさん」
お爺様の誘惑に耐えていた所へわたしが追い打ちをかけにかかった。多分、もう少しで堕ちるはず。さぁ、わたしと一緒にどこまでも堕ちましょう?
「お爺様が聖杯を使い不老不死の願いを叶えれば、以降の聖杯戦争は不要。そのための次代の駒を作る必要も魔術の継承も必要はない。そうですよね、お爺様?」
「そうじゃ。故に聖杯を必要とせず、聖杯戦争を終わらせる必要のある桜とも協調を取れる。お主の秘めたる想いもそれと矛盾することはなかろう? さぁ雁夜、貴様は何を選ぶ?」
「――――なぁ、桜ちゃんは、葵さ……お母さんの事をどう思ってるんだい? 俺たちと一緒に暮らした方がいいと思うかい?」
普通、ここでそれを幼児に問いかけるものだろうか。このヘタレ。こういうところがあったからこそお父様に取られてしまったというのに。ここはおじさんに決めてもらわなければ意味がないのだ。
なのでここはあえて、あからさまに冷淡な受け答えをしてみることにした。
「理由はどうであれわたしを捨てた人たちですから、わたしはお父様にもお母様にもあまり興味はありません」
これはわたしの正直な気持ち。お父様への殺意やお母様への恋慕も全くないわけではないが、わたしが欲しいのは最後までわたしの味方であり続けてくれた二人だけなのだ。
もしくは第四次聖杯戦争でお爺様に抗ってくれた雁夜おじさんは、わたしの大切な人に加えていいと思うけど。
わたしの願いは“わたしにとって”大切な人とのささやかな日常。それを得るためにはこの戦争に乗じる他はないのだ。だから都合のよい言葉を並べてでも雁夜おじさんをこちら側に引き込む。
「ですがこの聖杯戦争で決着を付けることで姉さんが聖杯戦争に参加しなくて済むのなら、そして何よりわたしの恋人を救えるのなら――――もう一度この戦争に身を投じるだけの価値はあります」
「桜の覚悟はこの通りじゃ。さて雁夜、お主はどうする? 純粋に桜に力を貸すか? 己の欲望に忠実になり禅譲の娘を掻っ攫うか? それとも――――」
次でお爺様は止めのつもりなのだろう。全く良い趣味をしている。
「また、逃げ出すのか?」
高まる鼓動、固唾を飲む音が隣のわたしにも聞こえた気がした。
「くそっ、俺は、俺はっ!!」
雁夜おじさんの前髪が乱暴に掴まれぐしゃぐしゃになる。その右手の下の表情はもっと酷いものだ。
「――――俺の意志で桜ちゃんに力を貸す。その上で葵さんがどうやったら幸せになれるか模索する。だから決してお前の邪な願いを叶える為じゃない。それを覚えておけ。臓硯!」
今にも胸倉を掴みかかりそうな勢いで人差し指を向けるおじさん。少し男らしくなったようだ。
「放蕩息子の割には良い答えじゃ。それと、わかっておると思うがの。聖杯を取り逃した際には桜は新たな胎盤になるぞ。よく肝に銘じておくことじゃな」
それがわたしとお爺様が協力する上での条件の一つ。そして雁夜おじさんにこそ告げなかったが、雁夜おじさんがお母様を確保してくれれば、間桐の養子としてのわたしの価値はなくなる。
万一聖杯を得られなかった場合、または聖杯を手に入れた上でお爺様が間桐の魔術を捨てなかった場合、雁夜おじさんとお母様が結ばれればわたしが苗床になる必要はない。
まだ子を成せないわたしよりも優秀な実績を持つお母様の方がお爺様にとっても好ましいだろう。そうすれば少なくともわたしは自由の身だ。
ごめんなさい雁夜おじさん。あなたの恋心、十二分に利用させてもらいます。
× ×
時は満ちた。一年近い歳月をかけて、やれることは全てやった。
外部から適当な師を呼び一般的な基礎魔術を最低限覚え、主にお爺様の力によってあらゆる手段で魔力を集め、新たなパスも用意し。予備の拠点も十分に備え、財力を生かしてこの時代の最新機器を揃えた。
そして何より、わたしたちは情報面で最大のアドバンテージを有している。
――――黄金のサーヴァント、二度も召喚されたセイバー、言峰綺礼と衛宮切嗣の存命、アインツベルン城や武家屋敷、倒壊したホテル、燃え盛る街、十年後に再び起こる聖杯戦争。
わたしの僅かな伝え聞きしかない第四次聖杯戦争、そしてあまりにも鮮明に覚えている第五次聖杯戦争の記録を整理し、あらゆる可能性を先に列挙しておく。
あとは召喚だ。サーヴァントの召喚さえ上手くいけば、わたしたちの勝率はグッと高くなる。
しかし、その召喚こそがもっとも不確定要素が高く、不安に満ちたものであった。
最大の問題は触媒だった。わたしがかつてライダーを召喚したエトルリアの神殿から発掘された鏡の他にも、円卓の騎士に縁があるものなど多数の強力なものをお爺様は用意できたようだったが、わたしにはどうしても目当てのサーヴァントが居た。
もっとも汎用性が高く、わたしの力となり、願いを叶えてくれるそんな存在をわたしは知っていた。しかし彼の召喚において、確実に触媒と呼べるものがなかったのだ。
用意した触媒は場所そのもの。正直、縁は薄い。しかし召喚されるとしたら彼以外にはあり得ないと思う場所。あとはもう信じるしかない。
小さな影を召喚して足場にし、雁夜おじさんと二人壁を越えてその目的地へと向かう。お爺様は留守番だ。お爺様とその英霊は敵対する可能性が高い。よってお爺様には間桐の家そのものから離れてもらい、聖杯戦争中はわたしたちとは別行動をとる手筈になっている。酒臭いあの人は万が一足を引っ張るといけないので、邪魔される前に兄さんと共に外へ追い出し済みだ。
そう、これからはわたしと雁夜おじさんと、彼と三人での戦争になる。
目的の場所へ着いた。入口の鍵は壊すまでもなく簡単に雁夜おじさんが開けてくれた。あくまで一般人としてだが、この一年で色々器用な人になっているようだ。
靴を脱いで部屋に上がる。藁と安土の泥の匂いが妙に懐かしい。西洋魔術師のくせに、体が覚えているのか、神棚に礼を行う自分が居た。
時はたてど、体は変われど、心の方はあのときの弓道部員のままのようだ。どうか無事にわたしの召喚が成功しますように。
「へぇ、初めて来たけど雰囲気あるなぁ」
雁夜おじさんがシャッターを上げると、月の光が差し込み暗い部屋を淡く灯す。綺麗だ。
「またわたしも引きたいなぁ」
射場に立ったのはいつ振りだろう。思わず体が勝手に動き、徒手で射法八節を行う。本当は素引きをしたかったが、こんな体に合う弓は生憎とない。残念だ。
矢道から通り抜ける冬の澄んだ風がゆらりと髪を揺らした。戦争前で憔悴気味な心を落ち着かせてくれる気がする。
「桜ちゃん、悪いけどそろそろ時間だ」
「えぇ。雁夜おじさん、始めましょう」
この場所、かつてわたしが通っていた弓道場を縁にできる英霊は只一人。もちろんアーチャ―だ。
神父様たちの見立てが間違っていないのなら、先輩に片腕を託したアーチャ―は先輩の未来の可能性の一つ。使う魔術からしても、アーチャ―というクラスであることからしても、そう矛盾はないだろう。
その推測が正しいという前提を信じた上でリスクを冒してでも、アーチャ―を召喚するメリットは大きい。
まずは宝具が豊富で汎用性が高く、あらゆる英霊に対して切り札を持てること。 次にアーチャ―として遠距離に徹する場合、実力的に前線に立ちにくい雁夜おじさんやわたしを戦線から遠ざけられる。そしてこれはオマケだが、先にアーチャ―をわたしが呼び出せば、あの黄金のアーチャー、ギルガメッシュの召喚を失敗させることができる可能性もあることだ。
他のサーヴァントを呼ぶことは許されない。だが未来の英霊であるアーチャ―と縁のあるものなどほとんどなく、武家屋敷かこの弓道場かの二択が最適だという結論に至った。
武家屋敷をわたしたちが先に買収しておく手段もあったが、おそらく予備の拠点として使われるその屋敷の位置を知っていることで罠に嵌めれるかもしれないと、その案は却下された。
故にこうして月夜の学校に侵入したわけである。
「準備はできたよ。桜ちゃん」
そうこう考えている間に魔法陣の用意ができたようだ。わたしも準備を始めよう。
腰に両拳をあて、右足を半歩引き体重を後ろに乗せる。そのまま真下にスッと腰を落とし、
久々の爪先座りは少々難しいが、意識を天へ。心なしか足先だけでなく、胸の辺りにつっかえたものも取れた気がした。
魔術とは全然関係がない動作だが、心を落ち着かせるにはこれが良い。瞳を閉じ、丹田に息を納め、呼吸を整える。
――――
「閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ、閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
エーテルの奔流が狭い射場の中で吹き荒れる。
――――|どうか失敗しないようにわたしを見守っていて下さい《先輩、先輩》。
「なんて圧力っ、桜ちゃん頑張れ!」
目を瞑っていてもわかるほどの風圧が襲う。そんな中、雁夜おじさんがわたしの肩を抱くようにして応援してくれている。なんて暖かくて、なんて心強い。わたしはもう独りじゃない、だから折れずに一年間ここまで頑張れた。
――――
胸が熱い。目の奥が、指先が、体中が熱い。魔力が体中を巡り、火照りが収まらない。集中しなくちゃ。
――――
大丈夫かな、失敗しないよね?
――――
「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
全身を声にならない衝撃が駆け巡る。耐えなくちゃ、これくらいの痛み我慢しなくっちゃ。
――――
そして歯を食いしばりながら詠唱の仕上げに入った。
――――
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
――――
爆発とも呼べるほどの突風が巻き起こり、眩い閃光が月灯りを弾き飛ばした。目を瞑っていてもわかるほどだ。
しかしあの時も確かこんな感じだった。だから少なくとも召喚そのものは成功だ。後は誰が召喚されたのかが問題だ。
おそるおそる、わたしは目を開けた。煙が徐々に晴れていく。目の前に立っているのはシルエットからしてライダーじゃない。あの時は気付けなかったけど、今のわたしにはわかる。
例え姿形が変わっても、恋い焦がれたこの匂いをわたしが決して間違えるはずがない。あり得ない。貴方を想いながら、寂しさを紛らわしながら、幾夜を超えたことか。
この溢れ出る想いを抑える術を、今のわたしが持つはずがなかった。
「やれやれ、まさかこんな幼い子供に召喚されるとはな。予想外も良いところだ」
わたしの知っている先輩よりも少し低くて大人びた声。暖かい声、美味しそうな匂い、服越しに伝わる腹筋の感触がわたしの理性を奪っていく。
「念のためだが、確認しよう――――君が私のマスターか、お嬢さん?」