テイルズオブ憂鬱   作:gamika

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※コメディ


■ヴァルキリーの憂鬱

 ここは隻眼の神、オーディンが住まう聖域。神の世界。

 そこで華奢な体に似合わぬ鎧をまとい、これまた美麗な顔立ちに似合わぬ怒気をはらんで、ヴァルキリーは人間界を眺めていた。否、睨みつけていた。

「人間め……」

 口元から呪詛のような言葉が漏れる。

「もはや我慢できん!」

 

 

 

   ◆

 

 

 

 赤いバンダナをつけた少年剣士は、自宅の道場の前でひなたぼっこしていた。道場前は日当たりが良く、まったりするには格好の場所である。いつもなら叫び散らしている門下生がいるために静寂とは無縁で、安穏と過ごすには向かないのだが、今日に限っては道場がお休みなので誰もいない。

「ああ、いい天気だ」

 長閑だ。少しばかり発展したとはいえ、この街はまだまだ田舎だ。耳を澄ませば木々で戯れる小鳥たちのさえずりが耳を癒し、新緑を揺らす穏やかな風が心地よさを運んでくる。

 少年は気の抜けた顔のまま、天を仰いだ。空は青く、雲一つないそこはどこまでも澄み渡って────いなかった。

「なんだ、あれ?」

 ちょうど彼の真上当たりに妙なもやがある。空間がゆがんでいるようにも見えるが、少々位置が高いため、はっきりとは判別できない。

 異常だ。平穏に慣れた少年の嗅覚でもそれを感じ取ってしまう。必然的に体が強張り、自然と警戒態勢に移る。

 じっと目を凝らしていると、突然もやが拡大し、その部分だけ青が裂け、そこから黒い影が飛び出す。声を上げる間もなかった。影が自分の方に落下してきたのだ。

 必死で横に飛びのき、その直後、元いた場所に影が大きな音を立てて着地した。もうもうと上がる土煙の中に、人影らしきものが浮かび上がってくる。

「え、な、なんだ?」

 少年の声に反応して、黒い影が土煙の中から飛び出してきた。

「そこの剣士ッ!!」

「うぉっ!?」

 黒い影は目に強い光を湛えた女戦士、ヴァルキリーだった。輝く金色の髪と凛々しくも美しい顔立ち、そして何故か羽が生えた赤い兜に一瞬見とれてしまった剣士だったが、眼下の奥で燃え滾るものに気づいて、知らず後ずさってしまった。

「あの時から何年経過したと思っている!神の時間が無限に近いとはいえ、お前には返す気がないのかッ!」

 強い口調で問いただすが、言われている本人は「キミ、誰?」と、とぼけた顔と口調で逆に問い返していた。

「誰とは何だッ!!私の顔見忘れたか、クレス・アルベインッ!」

「僕はクレス・アルベインじゃない。人違いだよ」

「とぼけるな!私は主オーディン、即ち神の眷属であるヴァルキリーが一人!例え私を忘れたとしても、慈悲を賜られた神の名まで忘れたとは言わさんぞ、クレス・アルベインッ!そもそもが貴様の顔と名を知る私に謀りなど通じぬッ!!」

 赤いバンダナに金色の髪。意志の強そうな目と、鍛えられた肉体。ヴァルキリーの言う通り、顔も背格好もクレス・アルベインそのものである。見間違うはずが無い。

「そんなこと言われても僕は知らないしなぁ……」

「どういうつもりだ貴様ぁ!我が名乗りを上げてもまだとぼけるつもりかッ!」

「とぼけるも何も本当だし」

 本当に知らない、という顔をされてヴァルキリーは歯噛みした。

「くっ、私が思い出せぬならそれでいい。だが、グーングニルは返してもらうぞ!」

「グーングニル?」

「ええい!それも忘れたというか!槍だ!人間の業では精製不可能な槍を持っているだろう!?アレは我が主の物、神具なのだ!返してもらうぞ!」

「槍……?しかも精製不可能って、僕が知ってるものはアレしかないなあ。お望みのものかは分からないけど、とりあえず確かめてみる?」

 いくら名乗りを上げたとはいえ、ヴァルキリーは少年にとっては不審者である。しかも超常現象を伴って現れたのだ。普通ならば警戒しないはずがない。けれども少年は言われたことに対して素直に応じた。危機感が足りないとも言えるが、それが田舎の少年の純朴さというものだろう。

 少年はちょいちょいと手招きして、ヴァルキリーを道場の裏に連れて行った。そこにはいかにも年代物といった感じの蔵があった。壁は煤け、頑丈そうな扉も経年劣化のたまものか、微妙にひび割れている。少しばかり力を入れれば壊れそうなほどだ。明らかに手入れを怠っている様子だった。本当に物置と呼べる程度のもので、ヴァルキリーが言う神具を安置する場所としては最低というにも憚られるほど劣悪なものだった。

 あんまりなその場所に、まさか、とヴァルキリーはつぶやいた。口元がひとりでに震えてしまう。

 戸を開こうと少年が手をかけると、ごくりと喉が鳴った。妙な緊張感がその身を包んでいた。長い時間、それが続く。本当に長い時間。少年はヴァルキリーの心中察することもなく、唸りながら何度もガタガタと扉を揺らしていた。

 待機時間が長すぎて、さすがのヴァルキリーにも困惑が生まれる。もしかしてここは見た目だけが古めかしい、凄まじい封印がされた場所なのでは。このボロさも、宝物を狙う不埒者を欺くための擬態なのでは。だからこそ、扉を開けるというだけでこんなにも時間がかかっているのでは。

「ど、どうしたのだ……?」

 意を決してヴァルキリーが問うと、少年はごまかしたような笑みを浮かべつつ振り返った。

「あはは、錆びちゃってるみたいで開かない」

「笑い事じゃないわぁぁあああッ!どっけぇええええッ!」

 少年を押しのけ、ヴァルキリーは力任せに扉を蹴りつけた。完全にブチギレていた。その感情をこれでもかと乗せた蹴りの威力はさすが神の眷属と名乗るだけはある。派手な音とともに扉が吹き飛び、蔵の中から何かが崩れる音が盛大に響いた。

「あっちゃー」

 今の衝撃で蔵の中は間違いなくごちゃごちゃになっただろう。それだけならまだいいが、下手をすれば押し込まれていたもの達が壊れてしまったかもしれない。少年はそれを確認するためにぜぇぜぇと荒い息を吐くヴァルキリーの背中からそっと覗いた。

 惨劇。崩壊。混沌。

 蔵の中は、そんな言葉が似つかわしいほどちらかっていた。中には曾祖父の代から続く骨董品が入っていたのだが、あくまでも骨董品だ。価値があるにしても、家族のだれも見向きもしていないだけに、本気で怒られることはないだろうが、母に片づけをしろとは言われるかもしれない。少年は後を思って肩を落とした。マジめんどくさい、と神の眷属に聞こえないようにつぶやく。

 途端、この惨事の元凶であるヴァルキリーは振り返った。怒りが沸点を超えて、臨界に達してしまったのだろう。これ以上もないほど赤く染まった顔は引きつり、体はわなわなと震えていた。自分のつぶやきが聞こえてしまったのかと少年は焦った。

「こんな状態では見つからないではないかッ!」

「自分でやっといて怒らないでよ……」

 それは自分の不用意な一言が聞こえていなかったことに対する安堵の気持ちも混ざっていたのか。少年は大きくため息をついた。

 

 

 

 

 神具グーングニルを探すこと一時間。全く手伝おうとしないヴァルキリーに何処か釈然としない思いを抱きつつも、少年はようやくそれらしきものを発見した。運悪く、崩れた物たちの一番下になっている。これでは取り出すのも一苦労だろう。とりあえず、槍が見える程度に物をどかし、ヴァルキリーを呼びつけた。

「あったよー」

「まことか!」

 飛んでくる、という形容がまさにぴったりの素早い行動に少々驚きつつ、少年はヴァルキリーに聞いた。

「これのこと?」

 彼が指差す先には、「マジどうでもいいわこんなもん」という、所持者の気持ちが明確に反映された形で神槍が放置してあった。放置である。保全でもなく、保管でもなく、ましてや安置などでは絶対にない。大量に埃が積もり、心なしか槍が放つ神秘の光も薄らいでいるようだった。

「あ、ああ……主の槍が……神の至宝が……」

 ヴァルキリーは赤かった顔を青色に変え、大量の脂汗をかきながらその場にがっくりと膝をついた。その心中いかばかりか。当然のことながら、事の重大さを理解していない、たかが人間に過ぎない少年には分からない。けれども、なんだか可哀想に思ったので慰めようとした。少年は基本的に心優しいのである。

「えと、その……よっぽど大事なものだったんだね。なんというか……ゴメン?」

「疑問系で謝るなッ!!」

 でも、全然慰めになっていなかった。むしろ煽っていた。青筋を浮かべつつも、どこかうっすらと目の端を滲ませる美貌に気圧され、少年はポリポリと頬をかいた。

「じゃあ……」

 コホン、と咳払いを一つして、少年は気合を入れる。そこには全身全霊をかけて謝ろうとする心があった。理不尽に対する憤りも、この先待ち受ける片づけという面倒事も、まとめて無視してただひたすらに謝罪の気持ちを込めて腰を直角に折る。

「ゴメンなさあああああああああああい!!」

「うるさい!こんな密閉空間で叫ぶな!鼓膜が破れるわ!」

「一体どうすればいいんだろう……」

 訳が分からないよ、と不満じみた言葉を漏らす少年に対し、ヴァルキリーは呆れながらも返答する。

「普通に謝れんのかお前は」

「ごめんなさい」

 ついでに土下座もつけた。一応相手が神の眷属なのでそこまで譲歩したのだ。少年はとても素直だった。

「謝った程度で許すかああああああーーーーッ!!」

「マジで?ここまでしたのに?」

 ヴァルキリーの叫びは不条理なようで、全く間違ってはいなかった。だって一言も「謝れば許す」なんて言ってないし。そもそも、神族というのは基本的に我がままなのである。神の言葉は絶対とか言いながら、簡単に前言を撤回する。それどころか言うことがその場その場でコロコロ変わるのだ。多神教の神であれば尚の事、その奔放さは言うに及ばない。つまるところ、少年がどう謝ろうと意味がなかったのだ。義理も人情もない、酷い話である。

「既に私の怒りは融点も沸点も通り越してプラズマ化しているのだッ!簡単には許さんッッ!」

「例えがよくわかんないんだけど」

「うるさい!とにかく激怒しているんだ!いいか、許して欲しければ私と勝負しろッ!」

「は?なんで?」

 その疑問に答えるものは誰もいなかった。いるのは怒りのあまり目がヤバい感じになっている神の眷属と、純朴な少年だけだった。

 

 

 

   ◆

 

 

 

 場所は移り変わってユークリッドの都。なぜかユークリッドの都である。さっきまで田舎の自宅にいたはずなのに、突然都会にワープである。

 ヴァルキリーは相も変わらず怒りに燃えた目で対峙する少年剣士を睨んでいた。険のある視線を意図的に流しつつ、少年は途方にくれていた。

「なんで僕はここにいるんだろう?」

「お前がここがいいと言ったからだ」

「いや、それはそうなんだけど……」

 納得いかない、という表情で少年は周囲を一通り見回した。

 自分たちを囲む見渡す限りの人、人、人。さながらお祭りのように人が集まっている。いや、人々にとっては、本当にお祭りなのだろう。誰も彼もが浮かれた表情で始まりを待っていた。

『れでぃーすあーんどじぇんとるめーん!』

 突如、響いたそれは紛れもなく武術大会の司会の声だ。連綿と続く、由緒正しきユークリッド武術大会。まだ少年は参加したことがなかったが、栄誉ある大会に憧れはあった。闘技場に立つというのを夢見たこともあった。それがこんな形で叶うとは、人生とは良く分からないものである。意味の分からない現状を嘆きつつも、せっかくなので、と記念に土を袋に入れている少年は逞しい。その姿は高校球児のようであった。ほとんど負けた感がある。しかし実際はまだ始まってもいないのだ。

『突然の開催にも関わらず、たくさんのご来訪、まことに、まことにありがとうございますッ!さぁ、お待たせしました!特別な、本ッ当に特別な武術大会の始まりです!何が特別かッ!?それは告知でも皆さんもご存知の通りッ!

 なんとぉおおッ!神の眷属ヴァルキリー様と、あの魔王ダオスを倒したアルベイン流剣士との一騎打ちなのだあああああああああッ!!』

 頭痛が増してくるようだった。ノリで「勝負するならユークリッドの闘技場がいいよね」などと言ったら、この神の眷属はそれを本当に実行してしまったのだ。

「神の眷属がこんな人前に出ていいんでしょーか?」

「構わぬ。これは神罰の一つ。お前は大衆の前でこてんぱんにやられ、生き恥を晒すのだ。そして、神との約束がいかに大きなものか、他の人間どもにも思い知ってもらう」

 口調は冷静だが、完全に目が据わっていた。その迫力たるや人を超えた美しさも霞んでしまう程だ。物怖じしない少年は、黙ってれば美人なのになあ、とろくでもないことを考えていたが。

『さあてそろそろ行こうか!準備はいいか、二人とも!!』

 司会の声が響くと、ヴァルキリーはとんでもない気迫を抱えたまま剣を構えた。つられて、少年もしぶしぶながら剣を構える。二人とも真剣であり、真剣である。模造刀など持ち出す前にヴァルキリーが叩き折った。少年の逆らう心が折れたのもこの時である。

「あんまり、やる気ないんだけどな……」

 まぁしかし、と少年は思い直す。

「自分の実力がどこまで通用するか試すのも面白いかもね」

 相手は神の眷属。負けたとしてもおかしくはないし、恥ずかしいこともない。それに、いくら真剣を使うとはいえ、命をとられることはないだろう。そんな打算的な考えがあって、少年は比較的楽観視していた。

「わかっているな。万が一私に勝てれば、お前の愚行の数々も許してやろう」

「負けたら?」

「死ね」

 目が据わっている。怖い。怖すぎる。

「本気だよ、この神様もどき……」

 ここまで来たらもはや逃げ出せない。前言撤回。死ぬ気でいこう、と少年は心に誓った。

『では、バトル開始だああーーーーッ!!』

 合図とともに闘技場は歓声に包まれ、二人は互いに相手に向かって疾走する。

先手は少年。肉薄した二人の間に閃光が一陣走った。年若い少年が放ったにしては、強烈な一撃だった。驚嘆に値するものだったが、驚嘆だけだ。向かい合う神の眷属は吐息すら乱すことことなく、空を切った剣が地面をえぐる。

 落胆することなく、少年はすぐさま剣を振り上げた。凄まじい速度での切り返し。アルベイン流剣技、虎牙破斬。かち合う牙のように相手を襲うそれも、ヴァルキリーが無造作に突き出した剣によって簡単に軌道を変えられ、空を切った。さらにその突き出された剣は少年へと向かってくる。針を通すような呼吸で放たれた攻防一体の一撃である。迫る致命の一撃に対し、少年は咆哮を上げて応える。

「閃空ゥゥゥ裂破ァァァッ!!」

 回転を伴った闘気が地飛沫を上げながら突きを弾き返し、空を切ったはずの剣が円を描いてヴァルキリーの喉元へと迫る。

 取った。

 少年はそう確信したが、それが油断だったとでもいうのか。常人ならば決して逃れえぬはずの一瞬のはずだった。それがどういう軌道を描いたのか、闘気で弾き飛ばされたはずのヴァルキリーの剣が舞い戻ってきて、少年の渾身の一撃を腹で受け止めたのだ。しかし、衝撃は殺せない。ヴァルキリーの体は大きく後方へと弾かれた。

「やるな、クレス・アルベイン」

「そっちこそ……」

 互いの技術を認め合う二人の言葉が終わらないうちに、予想だにしないことが起こった。

 観衆から巻き起こる大ブーイングである。

「え?え?」

 突然のことで疑問符を浮かべる少年に遠慮ない野次が飛ぶ。

「てめぇコラ!ヴァルキリー様に傷つけるなんて許さねぇぞーーー!!」

「ひっこめーー!!」

「ヴァルキリー様ああああ!こっち向いてぇえええええ!!」

「きゃー素敵ぃぃぃーー!!」

 老若男女、あらゆる全てが少年へと敵意を向けていた。あまりの事態にこの場で敵対するヴァルキリーから目を逸らしてしまうほど少年は動揺した。周囲を見渡すと、いつの間にやら『LOVE♡VALKYRIE』などと書かれた応援幕まで掲げてある。どうやらここに集まったのはヴァルキリーの魅力に惹かれた者ばかりらしい。さすが神の眷属である。その美しさと凛々しさは人をここまで(たら)し込むのか。

『おいコラァアアアア!ヴァルキリー様に手を出してみろォ!ぶっ殺すぞしょぉおおねェェェんッ!!』

 挙句の果てに、本来中立の立場にいるべき司会までもがこうである。集まったのはただの観客だと少年は思っていたが、それは甚だしい勘違いだった。この会場には敵しかいない。

「なんてこった……頭痛い」

 空き缶やゴミが容赦なく少年へと降り注いでいた。ガンガンと唸りを上げる頭の鈍痛は、もはや頭痛なのか外的衝撃なのかも分からない。意味が分からない。僕何もしてないのになんでこうなるの?本当に意味が分からないよ。

 少年の心は荒んでいた。マジもう勘弁して、と心の中で泣いていた。いつの間にかその場で体育座りして膝に顔をうずめていた。こうなってしまえばもう勝負どころではない。

「やめろッ!!」

 大勢の人間のざわめきにかき消されもせず、その声が闘技場中に広がったのはやはり、神の眷属たる者だからだろうか。

「勝負の邪魔をするなッ!」

 その一喝で場内が瞬く間に静まり返った。ヴァルキリーはそれに満足すると、ゆっくりと剣を構えなおす。

「来い」

「もういいよ……僕、なんだか疲れちゃった……」

「いや、あの、クレス・アルベイン?」

「僕もうおうち帰るぅー」

 まさしく幼児退行である。これにはさすがのヴァルキリーも慌てた。神の眷属ともあろうものが、たかが人間、それも純朴な少年に対して精神攻撃をぶちかましたのだ。そして心を折ったのだ。畜生にも劣るやり口である。『ひでえ』誰かがそう呟いた。誰かというか、司会だった。お前が言うなというものである。

 ヴァルキリーはあわわ、と右往左往していたが、それも僅かな時間だった。これほどの人がいるというのに静寂が闘技場を包んでいるのだ。今度は神の眷属が精神攻撃を受ける番だった。なんとかしろよ的な空気が心臓に悪すぎる。

 どうしていいかも分らぬまま、ヴァルキリーは少年に駆け寄り、とりあえず優しい笑顔で語りかける。

「その、な?元気、出そう、な?みんな私達の戦いを楽しみにしていると思うんだよ」

「嘘だ。だってみんな僕にブーイングするし、物は投げられるし、死ねとか言われるし」

「死ねとはひどいな」

 試合開始前にヴァルキリーが言ったことはなんであったのか。自分のことは棚に上げてなんという言いざまであろう。やはり神はコロコロと意見を変える我がままなヤツだった。

 我がままな神の眷属は、できる限り美しい笑みを保持したまま、聖母のように少年の肩を抱いた。優しく、優しく、腫れ物に触るかのように。

「みんな、本当はお前のことが好きなんだ」

「じゃあ、死ねとか言わない?」

「ああ、言わないとも」

「ヴァルキリー様も僕を殺さない?」

「もちろんだとも」

「よっしゃああああ!言質とったああああッ!!皆聞いてたよね!僕を殺さないって聞いたよね!?」

 その豹変ぶりにヴァルキリーは呆気にとられていた。少年はヴァルキリーの優しい抱擁を振り切って飛び跳ねて叫んでいる。余程嬉しいのだろう。人の生は短い。短いがゆえに、死の匂いに敏感で、それを振り払おうと足掻く。ああ、少年はどこまでも人間だった。生を尊び、求め、そして襲い来る死に立ち向かおうとする、紛れもない人間だった。やり口がめちゃくちゃ卑怯だったが、それはお互い様である。

 ヴァルキリーは放心したように大口開けて歓喜に震える姿をしばらく眺めていたが、やがて口元をきつく結んで、剣をとった。ギロリ、と音が出るように少年をにらむと、少年も嘲るような笑いを浮かべたまま剣を向ける。純朴な少年の姿はそこにはない。酸いも甘いも知った、歴戦の勇士の姿だけがそこにあった。

 二人は成長したのだ。主に周りの人間のせいで。

 静まり返る闘技場で、二人の気勢が空気を震わせた。音を生まない振動が、凄まじい圧迫感をそこに生みだしていた。

「今度は本気だ」

「ああ」

 それ以上の言葉は不要。言うが早いか、ヴァルキリーは地を蹴り、一陣の風となった。巻き起こる剣風はまるで嵐のよう。斬撃は白い光となって少年の体を切り刻む。確かに先ほどまでとは雲泥の差と呼べるほどに剣速が増している。それに乗る感情も倍増している。これは怒りだ。途方もない怒り。神具を放置されたことよりも余程腹に据えかねたのか。

「どうしたっ!お前の力はその程度か!」

 ヴァルキリーが余裕のある声をあげる。嘲るような笑みが口元からこぼれる。完全に神の眷属がしていい顔ではなかった。だが、だからこそそれは一瞬の隙を生む。麗しき神の眷属が、人の子のように悪意に踊らされるなどとは愚の骨頂。悪意に関しては人間に一日の長が、否、受け継がれてきたそれは神すらも凌駕する。

「るぁああああああッ!」

 少年は迸る感情のままに剣を振るった。その一撃は本来の剣身以上の軌跡を大気に生み出した。煌めくそれはアルベイン流が最終奥義、冥空斬翔剣を思わせる剣筋だった。ヴァルキリーの顔が強張る。神の眷属が脅威を感じてその身を捻る。赤兜の羽が小さく舞った。緑色の肩当が甲高い音を立てた。鮮血が舞う。

 おそらく、現状の少年が放てる最高の一撃は、しかし、勝負を決するまでには至らなかった。鬼気迫る美貌にかすり傷を付ける程度に留まった。けれども神の眷属たる騎士に一時的とはいえ恐怖を抱かせたのだ。それは十分すぎるほどに神気を高めさせる結果となった。

 剣戟が踊り狂う。噛み合っていたはずのそれは、やがて一方的な流れとなっていく。少年の剣が唸る。それを受けて、神の力が発動する。ガード・インパクト。問答無用で剣閃を弾く特殊技能だ。そこから息つく間もなく繋がる神の騎士たる力の一部、ワルキュリア・ストライクは凄まじかった。まさに神速の連撃。感情が排されたその剣はあらゆる剣士が求めるであろう頂の技だった。

 もはや観客は騒がない。あまりに高次元な戦いに息を呑み、静かにその行く末を見守っていた。

「受け止めたか。さすがだ」

「くっ!」

 少年は痛みと共に唖然としていた。殺さないって言ったのに。今の一連の剣戟は間違いなく殺す気で来ていた。どうしよう。少年は悩んでいた。ここにきて、悩んでいた。まさかこの神の眷属は己の言葉を違うつもりなのか。神の眷属なのに。神の眷属のくせに!

 否、神の眷属だからこそである。何度も述べるが、神族共はとてつもなく我がままなのだ。

 だとすれば、簡単に襲い掛かるわけにもいかない。手段を考えねばならない。どうにかして、このくそったれな神の騎士に、一泡吹かせて逃げねばならない。

 高速で思考を巡らせる穢れてしまった少年と、それをどう嬲ろうかと考える騎士の間でたまたま意図が噛み合い、戦いは硬直した。

 それで戦いは終わったと感じたのだろうか。始まった時と同じように場内に歓声が沸く。盛り上がる観衆の興奮が最高潮に達しようとした時、少年の焦りもまた、最高潮に達しようとしていた。

 ヴァルキリーは強い。今の自分では及ばない。

 このままじゃ本当に殺されるッ!!

 なんとか剣を構えなおし、ヴァルキリーを睨みつける。だが、ヴァルキリーはその視線を平然と受け止めて、余裕たっぷりに言った。もう高笑いでもしそうな勢いであった。

「どうした、クレス・アルベインよ。その程度か?魔王を倒したほどのお前がこの程度か?かつてオーディン様にも戦う価値があると認められたお前が。違うだろう?もっとあるだろう?私を楽しませてくれよ!お得意の時空剣技を解放してなァァあああ!?」

「時空剣技て……ひいじいちゃんじゃあるまいし、そんなの使えないよ」

「そうか使えないのか……」

 ヴァルキリーはもうこいつ人間と変わらねえんじゃねえ?という感じでチッと舌打ちして残念そうにそう言うが、一瞬の後、驚いた表情でもう一度問う。

「今、なんと言った!?」

「時空剣技は使えません」

「本当か?本気でそう言っているのか?ああっ、そうか!時の剣が無いから使えないと、そう言いたいのだな!?」

「全然違います。時の剣使えたのひいじいちゃんだけだもの。僕には無理です」

「『ひいじいちゃん』?『ひいじいちゃん』と言ったのか、お前は?」

「そーだよ。クレス・アルベインは僕の曽祖父」

「なっ、ならば、まさかお前はクレス・アルベインでは……」

 震えた口調で問うヴァルキリーの顔はどこか青ざめた様子だった。もう今更のことである。人違い程度がなんだというのだろう。それは出会った当初から何度も言ったのだ。不思議に思いながらもクレスと間違われていた少年剣士は改めて言葉にした。

「違うよ。僕はスウェッズ。スウェッズ・アルベイン。チャームポイントは赤いバンダナです。なんでか知らないけど、うちの家族はみんなつけてます」

「なんだとぉッ!?」

 そのとき、ヴァルキリーは改めて思い知ったのだ。

 人間の命はなんと儚いものか、と。

「迂闊……!人間の寿命は短いのだ!そうだ、さっきそれを思い知ったというのに……ッ!」

 ちなみに、もしクレスが生きているならとうに100歳を超えているのが今の時代である。生きてたら生きていたで、たぶん死因が『老衰』から『ヴァルキリーの折檻』に変わっただけで、結局死んでいただろう。

「そういや、ひいじいちゃんが死ぬ数日前に『何か忘れている、何か忘れている』ってうわごとのように繰り返してたらしいけど、あの槍のことだったんだねー」

 しみじみと頷く少年を見て力が抜けたのか、ヴァルキリーはがっくりとうなだれた。先ほどまでの覇気は雲散霧消していた。やる気の欠片もねえという感じであった。

「この勝負……私の負けだ……」

『おおっとー!ヴァルキリー様、突然の敗北宣言!なんでだー!?』

「ふざけんなー!」

「いやぁ!ヴァルキリー様ああ!」

 またも観衆のブーイング。まったく懲りない人間達に、スウェッズはほとほと困り果てた様子で呟く。

「もう、なんなんだよぉ……そんなに僕の心を虐めたいのかよぉ……」

 少し泣きそうな声だった。

 だが、ヴァルキリーは遠慮しない。先ほどまでのうなだれた様子はどこへやら、追撃のごとき口撃をしかけてくる。

「大体、お前がクレス・アルベインに似すぎているのが悪いのだぁああッ!」

 それは八つ当たりである。

「それは言われてもどうしようもないしなあ。あの世のひいじいちゃん恨んでよ」

「うぐっ……」

 怒った表情が一転して悲しみに包まれ、

「人間なんか大嫌いだああーーーッッ!死んじゃえぇえええええーーーッ!!」

 子供のような捨てセリフを吐きつつ、神の眷属は何処かへと走り去っていってしまった。

 

 

 

   ◆

 

 

 

 後日談。

 勘違い(というかクレスの物忘れ)から始まった戦いの後、ヴァルキリーの銅像が作られた。自分でないとは言え、身内の不始末。少しばかり罪悪感に駆られたスウェッズが今回の褒章代わりに、とユークリッド国王に進言したのだ。国王も、実際に降臨した神の眷属の銅像ということで異存は無かったという。

 が、しかし。

 作った彫刻家がヴァルキリー本人を見ていたのがまずかったのか。その表情は何処か不満げで怒っているようだった。

 

 ちなみに。

 怒ってばっかだったヴァルキリーはグーングニルを持って帰るのを忘れていた。その上、その後全く姿を見せない。おかげで、アルベイン家にはおかしな口伝が残ってしまうことになる。

 

 

『ヒステリックな女騎士には槍を。約束を忘れし者には制裁を』

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