これは過去、ユークリッドの村でのお話です。
そこにはとあるおじい様が住んでおりました。
おじい様はその生活の大部分を家の中でお過ごしになり、人付き合いは少々減りはしたものの、幸福の絶頂をその身で感じておりました。
おじい様は事あるごとにこう仰ります。
「わしは猫好きのじいさんぢゃ!う~ん、ネコちゃーん(はぁと)」
家の中は猫でいっぱいなのです。
ところで、猫好きのおじい様には今年結婚したばかりの1人息子がおりまして、その息子さんは事あるごとにこう言っておりました。
「うううっ……猫だらけ……なんでやねん……」
彼は犬好きだったのです。
さてさて、その息子さんは結婚しておりますから当然奥さんがおりまして、奥さんは毎日毎日主婦の業務で多忙な日々を送っておりました。お友達が遊びの誘いにいらしても、奥さんはその都度、このような事を仰って断られていました。
「あ、ごめんなさい。今、夕食の準備をしているの」
「猫の?」
「そう、猫の」
「うーん、じゃあ仕方ないわね」
仕方ないも何も、それで納得されてしまうのですか、お友達。
◆
「以上で、説明を終わります」
「ああ、ありがとう。君の状況は良く分かったよ。いや、分かっていたよ。だが……」
「はい、何か?」
「何故私のところに来るんだ! しかも毎日!」
らしくもない大声を上げて、クラースは目の前の、犬好きを公言する男に怒鳴りつけた。ここのところ毎日やってくる客人だが、彼にとっては正直迷惑極まりない。おかげでここ数日というもの魔術の研究もろくに行えていなかった。おまけに研究そのものも煮詰まっている。既に堪忍袋の緒は切れかけていた。
「いやあ、だってクラースさんは魔術の研究をしているじゃないですか」
「それと何の関係があるんだ!」
「いやね、魔術だったらこう、パッと解決できるのではないかと思って」
「そんな便利な魔術は知らん! そもそも知っていたらとっくに解決しているよ!」
「えぇー。だって魔術なんでしょう?」
疑念の声を上げる犬好きの男は「この、出し惜しみしちゃってもう!」という表情でクラースに擦り寄ってくる。むちゃくちゃウザかった。
「君が魔術をなんでもできる、それこそ奇跡のような素晴らしい力だと勘違いしているのは良く分かった」
対してクラースは、こめかみに青筋を立てつつも、表面上は冷静さを取り戻したように声のトーンを落とした。その上で、寄ってくる男を力任せに平手で押し返す。男は男で、平手に遠慮なく顔を押し付けたまま擦り寄ろうとしている。まさに一進一退の攻防である。
「だが現実はそれほど甘くない!まずは他人の力に頼らず、自力で何とかしてみなさい!」
「あ、犬だ」
犬好きの男はクラースの言葉など聞いておらず、窓から外を眺めていた。じゃれあう犬達に慈しむような目を向けて微笑んでいる。平手を頬に押し付けられたまま。
「う~ん、めっちゃぷりてぃ(はぁと)」
「人の話を」
「あ、はいはい。何でしょう?」
「人の話を聞けぇーーーッ!! 聞く気がないなら帰れ!帰ってくれ!」
「いや、ムチャクチャ相談に乗って欲しいんですけど」
「うるさい! もういい! 帰れ帰れ!」
「あの、でも僕本当に困ってるんですよ。今の状況をなんとかしてもらわないと……」
瞬間、ついにクラースの中の何かが音を立てて切れた。何かというか、堪忍袋の緒だった。
「シルフ」
突如巻き起こった風が犬好きの男を吹き飛ばした。遠慮など微塵もない。一般人に対する手加減など存在しない。男は吹き荒れた突風になすすべもなく、玄関の戸をぶちやぶり、そのまま外へと転がっていく。男は空を舞いながら思った。このまま犬を飼わずに死んでしまうのか、と。思うさまモフることもできずに一生を終えるのか、と。
それは許されない。許すはずがない。この身を呪う相手の力に縋り付いてでも、必ず目的は果たす。果たして見せよう。
その姿を思い浮かべて、男は空中で身を捻った。以前放り投げたときのそいつ───猫の姿を真似してしなやかに体を躍らせた。見事な受け身が決まった。
ずざざと靴底が砂利の上を滑る。そのまま足をたわませ、そして蹴り出す。仇敵の猫のごとき反射をもって、今しがた吹き飛んだ玄関へと向かう。
だが、そこには。そこにはすでに冷たい空気が男を阻むように居座っていた。空気というか、氷だった。
「あれ?」
玄関は凍り付いていたのだ。そのすぐ傍には水中をのぞき込んだ時のように屈折して見える歪んだ女騎士がいる。クラースがそいつ、ウンディーネを召喚したのだろう。えらく間違った精霊の使い方である。とはいえ、よほど腹に据えかねていたようだし当然といえば当然か。
犬好きの男は氷塊の前でがっくりと膝をついた。
「み、見捨てられた……」
それは疑いようもない。というか、クラースは初めから協力しようとしていなかったようだが、彼にとってはそうではなかったのだろう。顔がさっきまでとはうって変わり沈んでいた。
「はぁ、ここにいてもしょうがないしな……」
よろよろと立ち上がって、我が家に向かって歩き始める。
「帰ろう、猫だらけの家に」
何の解決策も見つからないまま家に帰るのが相当嫌なのだろう。
「しくしくしく……」
しまいには泣き出してしまった。どうやら彼にとってはかなり深刻な問題だったらしい。彼自身がクラースにとっての深刻な問題であることを度外視すれば、哀れな姿だった。事情を知るものが見れば完全に自業自得である。いくら切羽詰まっても、助け合いの精神を忘れてはならない。
「あら、また来ていたんですか」
突然声をかけられ、振り向くと、見知った顔の女性がいた。買出しに行ってきたのか、パンやら野菜やらの入った袋を抱えている。クラースの相棒というか恋人というか、むしろ保護者といったほうが正しいか。真の意味での大人の女性、ミラルドである。助け合いの精神を持つ女性である。
「あ、どうも。お邪魔してました」
「ずいぶん暗い顔されてますけど、どうかされたんですか?」
「実はクラースさんに埒もなく断られまして」
「全くもう、クラースは……もしかしてまた猫のことですか?」
「ええ」
「でも、なんであの人に頼ろうと?こう言ってはなんですけれど、クラースみたいなダメ人間に人間関係の改善なんてできませんよ?魔術研究以外できないダメ中年なんですから」
酷い言いようだった。クラースは泣いてもいい。
「あんなのに頼るくらいなら、お父様に直接言った方がまだマシでしょうね」
「直接ですか。それがですね……」
彼はぽつぽつと父親に意見したときのことを話し出した。
◆
「親父!」
「なんじゃ?」
父親は相変わらず猫と戯れていた。幸せいっぱいネコ最高!そんな感情がたやすく読み取れる緩んだ表情だった。
意見すればその表情を崩してしまうかもしれない。なんだかんだで父親を嫌ってはいない男はそれも忌避したいところであったが、彼にとってこの状態はそんな気持ちすら押さえ込むほど耐えられないものだった。
「オレ……犬が好きなんだ!」
「そうじゃったのぉ」
「だから、猫を飼うのをやめてください!」
途端、ほんわかした雰囲気が消え去り、かわりに凄まじい威圧感がその背中から溢れ出した。猫たちもそれに気づいたのか、机の下やら棚の隙間等に退避してしまった。にゃあ、と一つ鳴き声が響いた。
親父殿は机の引き出しを開けると猫じゃらしを取り出した。先の毛玉がゆらゆらと揺れる。犬好きの男の視線も揺れる。背中越しに放射される威圧感に一滴の汗が流れ落ちた。
「殺すぞ若造」
本物の殺気だった。ひっと思わず息を呑んだ犬好きの男だったが、長年たまった鬱憤はそれでも収まりがつかなかった。
「だだだだだってさ、ず…ずるいじゃないか!親父ばっかり大好きな猫を飼いやがって!俺だって犬が飼いたいんだよ!」
「ダメじゃ」
「なんで!?」
「猫と犬は相性が悪い。わしのかわいい猫ちゃんが傷ついたらどうしてくれる」
「その時はその時だよ」
「ばかもんがぁッ!」
一瞬でさらに増大した殺気とともにとんでもない怒鳴り声が響く。
「ひっ!」
今度こそ息子は悲鳴を上げた。マジ殺されると思ってしまった。
「万に一つの可能性も許されんのぢゃ!もし猫ちゃんが傷ついてみろ、お前の命だけでは済まさんぞ!」
「おやじ……」
頭おかしいよ。言いかけた言葉を飲み込んで、彼は黙って頷いた。頷くより他無かった。
◆
「ということがありまして。もういっそ魔術のような超常的な力で何とかならないかと」
「で、クラースは無理だって言ったわけなんですね」
「そのとおりです」
「うーん、だったらローンヴァレイに行ってみるといいですよ」
「ローンヴァレイですか?」
「ええ。魔術のことならエルフかハーフエルフに聞いた方がいいでしょう?あそこにアーチェっていうハーフエルフの女の子が住んでいるから頼ってみたらどうかしら」
彼は、なるほどそれはいい考えだと頷き、ミラルドに口早に礼を告げてローンヴァレイへと向かって駆け出していった。
「がんばってくださいねー」
お世辞レベルの他愛ない応援だったが、彼はその声を聞いてなぜか涙が出そうになった。
◆
ミラルドの助言を受けて、犬好きの男は早速ローンヴァレイに来ていた。アーチェに事の次第を一通り説明すると、彼女はけらけら笑いながら
「へぇ、猫がいっぱいねー。いいじゃん。カワイイし」
「よくありませんよ!こっちの身にもなってください!」
あまりにも真剣な男の表情を見て、アーチェはため息をついた。
「……随分切羽詰まってるみたいだねえ」
「お願いします、協力してください! この状況をどうにか打破しないと僕は……!」
「まぁ断る理由もないからね、いいよ。で、実際のところどうしたいわけ?」
「親父の猫好きをやめさせてください」
「無理」
「そ、そんな……」
有無も言わさぬ勢いで断言され、男は狼狽した。
「クラースも言ってたみたいだけど、魔術で何とかできるわけないじゃん。猫を焼き殺せば済むことでもないし。それとも焼き殺すの?」
「できれば暗殺……」
「あんたサイテー」
即答する男にアーチェは冷たい視線を向けた。あわてて彼は取り繕う。
「じょ、冗談ですよ!じゃ、じゃあこんなのはどうです!?父を洗脳して犬好きに変えるとか!」
「洗脳?できなくもないけど、頭に影響与えるから下手すると廃人になっちゃうよ?」
「洗脳すれば廃人、ですか…」
彼はしばし考え込んだ。
もとから猫に関することだけには壊れているようなものだけど、さすがにまずいか。いやしかし、このままでは己のほうが先に廃人になりかねない。どうするべきだろう。いっそ一か八かでやってみるか?
「はいはい、暗くならないよーに。なんか別の方法考えよっか」
アーチェには彼の神妙な様子がショックを受けているように見えたらしい。返答を待たずに、別の方法を考え始めた。
犬好きの男も洗脳すべきか考え込んでいたので、自然と沈黙がその場を支配することになった。
数分後、アーチェが沈黙を破って切り出す。
「あ、そうだ。直接的な解決じゃないけどさ、こんなのはどうかな?」
「なにか方法でも!?」
「うん、ホント偶然なんだけどね。実は最近ウチの近くに野良犬が一匹住み着いちゃってさ」
「は?」
と、そこへワンワンにゃーにゃーと鳴き声が聞こえてきた。
「あ、またやってる。ちょうどいいから見にいこっか」
「犬を、ですか?」
「そーそー、そのワンちゃんを連れてけば多少は気がまぎれると思うよ」
「いやしかし、それじゃ父が……」
僕を殺しかねない、と言いかけてためらった。さすがに人間としてそれはどうなの?と思ったのだ。でも事実そうなりかねないあたり、もう父親は人間ではないのだろう。ダメ人間とミラルドに言われたクラース以上の人外だ。きっとあれは猫そのものなのだ。あれ?だったら殺しちゃっても大丈夫かもしれないな、やっちゃう?ホントにやっちゃう?というところまで思い至り、男は再び唸った。
「あははは、だいじょーぶだって。実際見てみればわかるよ。ほら、そこの窓から見えるから」
言われて、男は不思議に思いながらも窓越しに外を見た。
「この犬は……!」
◆
相変わらず猫たちと戯れるジジイを横目に、奥様は今日も猫たちのご飯を作り始めた。疲れきった表情が哀愁を誘う。
そこへ、匂いにつられたのか一匹の猫が近づいてきた。
もうちょっと待っててね、と奥様が言うとその猫は答えるように鳴いた。
「わん!」
その鳴き声は犬そのものだった。しかし姿は猫そのもの。多少面食らった奥様だが、夫が犬を飼いたいと言っていたのを思い出して納得する。
「ああ、あの人が連れてきたのね……でも、どっちにしろ私の負担が増えるだけなのよねぇ」
このままねずみ算的に増えていく猫の事を想像して暗くなる。
「そもそもなんでこんなにあの人たちはペットを増やすの?増やした分あの人たちが減ればいいのに」
「わん!」
暗に旦那と養父に出ていけと言っている奥様だったが、それは叶うはずもない。自分は入り嫁である。どちらかと言えば出ていくならば自分の方だ。
「どうにかならないかしら……」
「わん!」
「あっ」
そのとき彼女に天啓が舞い降りた。
「そうだ。クラースさんに相談してみよう。偉い学者さんだし、あの人なら魔術でどうにかしてくれるかも」
頑張れクラース。
猫好き一家に幸福あれ。
[おまけ]
ひんやりとした空気がその家の周りを覆っていた。その空気の元凶は一目瞭然、凍りついた玄関である。とても雪が降るような季節ではないし、仮に降っていたとしてもこのような異常事態は起こり得るはずが無い。
買出しから帰ってきたミラルドは呆然と玄関の前で立ち尽くしていた。
「……」
「ん?ミラルドか?ああ、これでは入れんな。ちょっと待っていてくれ。」
声のした方ではクラースが窓から玄関先を覗いていた。
ほどなくして、「イフリート!」と叫ぶ声が聞こえた。火がウチの中で燃え上がっているのだろう。氷はもうもうと蒸気を上げながら溶けていく。冷気に熱気が混じって、ミラルドをひどく気持ちの悪い感覚が襲った。
やがて氷が溶けきると、ミラルドは雫がぽたぽたと滴り落ちる玄関を潜り抜けた。またもミラルドは呆然とした。一言でいうならば、家の中はしっちゃかめっちゃかだった。書類が散乱し、椅子は転がり、タンスは倒れ、だというのにクラースは特に気を留めることなく、悠々とコーヒーを沸かしていた。
「クラース。これはどういうこと?」
「ああ、あの猫男を追い出すためにウンディーネを使ったからな」
明らかに怒りのこもった声で問いただしていると言うのに、クラースは悪びれるそぶりもない。
「じゃあこの散らかりようは?昨日片付けたばっかりなのに何でここまで……」
「ああ、あの猫男を追い出すためにシルフを呼び出したんだ」
「ウチの中でシルフを……!」
眩暈がした。
「玄関は氷付けだし、全く、あなたには常識がないの?」
「いや、しかしだな……!」
「黙りなさい」
静かな怒りが凄まじい威圧感を放った。クラースはビビった。それはもうビビった。目前の女性が怒りに身を任せる姿は何度も見てきたが、それでもビビった。というか、だからこそビビった。勝手に身が縮こまる。
「どんな理由があろうとやっちゃいけないことがあるでしょう?それともあなたはそんなことが分からないほど子供なの?」
「そんなわけな」
「だったら、今すぐに片付けなさい!」
「はい。片付けます……」
ろくに反論の余地すら与えられず、言いなりになるしかない情けない男の姿は既に日常の一部である。威厳もクソもない。しりにしかれマンの称号は伊達ではないのだ。
伊達であって欲しかったなぁ、と箒を手にしたクラースは力なくつぶやいた。
過去、ユークリッドの村にて。
猫がわんさかいるとある一家のお話。
猫好きのじいさん
「わしは猫好きのじいさんぢゃ!
う~ん、ネコちゃーん(はぁと)」
主婦
「あ、ごめんなさい。今、夕食の準備をしているの」
「猫の?」
「そう、猫の」
犬好きの人
「うううっ…、猫だらけ
なんでやねん…」
「わん!」
「……犬?」
(※ゲーム中のせりふです)
・なんかあんまり修正できなかった。面倒になったので投稿した。
・とりあえず書いてる分はこれで終わりです。
・今後は何か思いついたら更新するかもですが、可能性は低いです。