無機質な白い病室で、弟の暖かな手を握りながら思い出す。
背から這い出る黒い剣。
力なく倒れてゆくイスラ。
それを見下ろしている、黒い双眸。
彼ならば、アキラならば、何とかしてくれると何の根拠も無く思っていた自分は、
その光景を見ても何が起きたのか解らず呆然としていた。
遅れてやってきた理解は、私に悲鳴を上げさせた。
普段からは考えられない様な弱々しくも甲高い声でイスラの名を呼びながら、
私はイスラへと駆け寄る。
傍目も気にせず涙を零し、その身体を抱き起こしながら必死に呼びかける私に、
優しい声が降り注いだ。
「大丈夫。
イスラなら生きてるよ、アズリア。」
その声に、いつものアキラの優しい声に、私は、はっと顔を上げる。
するとそこには、黒くなってしまっているが、以前と同じ優しい光を宿していた双眸で、
以前と同じ優しく微笑んでいるアキラの姿があった。
回想に沈んでいた意識を再び、眠り続けるイスラへと向ける。
「……魔剣は心の刃。
だから身体を傷付けずに、心だけを、そして憑依したモノだけを、斬る事ができる。
アキラはそう言っていた。
事実、お前はこうして生きている。」
私は、そっとイスラの胸の上に手を置いた。
そこに、静かに、しかし確かに鼓動する胸を感じ、安堵に涙が滲む。
「お前は、もう、自由なんだぞ。イスラ。
長い間お前を苦しめた憑依したモノも、歪んだ願いもなくなった。
だからお前は、これから自分の意思で走り回り、自分の思い通りに生きていく事ができる。」
不意に私の瞳から、涙が一粒零れる。
弟の今までの不運を嘆いてか、これからの幸福を祈ってか、
それは私自身にも解らなかったが、優しさという物から来ているのは間違いないだろう。
何故なら、私は微笑を浮かべているのだから。
「イスラ。
アキラから伝言を預かってるんだ。
『このバカイスラ!!本気で俺が“友達”を殺すと思ったのか!?
見くびんな!俺は“友達”は見捨てない!!
例えお前が嫌だって言っても、無理矢理助けてやる!
それから色んなトコを連れ回してやる!
だからッ……だから、早く目を覚ませよ。待ってるから。』
なあ、イスラ?良い友達ができたな?
私も待ってるから、早く目を覚ましてくれ……。」
海賊達から借り受けた船の一室で、潮騒を耳に、潮風を肌に受けながら、
穏やかに眠り続ける弟の目覚めを私は待ち続ける。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
海賊船の食堂で、一様に沈んだ顔で黙り込んでいる面々。
それぞれの視線の先は、テーブルの上の物に固定されている。
一見するだけで判る、ガラクタ。
誰が見ても判る、何の役にも立たないだろうと。
碧色の欠片。
砕け散った、シャルトス。
しかしソレは、あの戦いでミユを始めとする護人達に行く手を阻まれていたオルドレイクが、
イスラが倒されたのを見て退却していったその時に、ウィルが拾い集めていた剣の欠片。
そして、アティの心の欠片。
「……しっかし、集めたはいいけどよ。どうすんるだ、コレ?」
皆の心情を代表する様に、カイルが溜息を吐く。
しかし、当然の事ながら誰からも答えもない。
集めようと提案したウィルとて、明確な対策があって提案した訳ではないのだ。
「……ただ、僕はどうしてもコレを取り戻したかっただけです。
だって封印の剣は持ち主の心の剣なんでしょう?
それが折れたから、先生はあんな風になった……。
それなら折れた剣を修復できれば、先生の心だって治せる筈だと思ったんです。」
ウィルの下を向きながらの独白に、
スカーレル、ソノラ、ヤードが、眉を寄せ、あるいは溜息を吐きながら続く。
「―――とは言っても、ねぇ。」
「肝心の修復ができないんじゃ……」
「……どうしようもありません。」
結局、堂々巡りに陥ってしまうカイルたち。
その様子を扉の外から聞いている人物が居た。
それは、心を居られた筈の、部屋に引き篭もっている筈の、話の渦中の人。
アティだった。
何故、アティがそこに居たのか?
それは、咽が渇いたからかもしれないし、陽の光や風に誘われてかもしれない。
もしかしたら、誰かを捜してかもしれない。
ただ何となく、という事もあるだろう。
しかし、今はそんな事は問題ではない。
アティが皆の話を、想いを聞いてしまった事が問題だった。
アティは、皆が自分を心配してくれているという喜びと共に、
また戦わなければならないのかという恐怖を感じていた。
砕けた心のままに、ちぐはぐな思考のままに。
そして、
アティは、
ソコから逃げた。
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走る。走る。走る。
何処に向かっているのかも判らないままに。
何を求めているのかも解らないままに。
ただ、アティは森の中を走っていた。
いつも身に付けている白い帽子も、白いマントもなく、
紅い髪を振り乱しながら、木々の間を、落ち葉の上を、彷徨う様に走っていた。
時に木の根に足を取られながら、枝に行く手を遮られながら、それでも走り続けた。
何かから逃げ出す様に、何かを追い求める様に。
そして、遂に、辿り着いた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
私がそこに着いた時、目に飛び込んで来たのは一枚の絵画。
あの人が、アキラさんが、水晶に囲まれたその場所で、
まるで厳かな絵画の様に一人佇んでいました。
ただ、木漏れ日を見上げているその姿が、まるで泣いている様で、
まるで懺悔している様で、祈りを捧げている様で、近付いてはいけないように思えました。
でも、
何が哀しいのか、
何を悔いているのか、
何に祈っているのか、
それが知りたくて、アキラさんの事が少しでも知りたくて、
私は今の自分の状況も忘れて、話しかけてしまいました。
「―――アキラ、さん。」
「アティ?どうしたんだ、こんな所で?
今は安静にしてなきゃいけないんじゃなかったのか?」
神聖な物を汚してしまいそうで、躊躇いながら声をかけた私に、
アキラさんはいつもの様に優しい笑顔で応えてくれます。
それはただの日常だった筈なのに、今はとても遠くにある物の様で、
掛け替えも無く大切な物の様で、嬉しくて、ただ嬉しくて、
気が付けば、さっきまで考えていた事も忘れてアキラさんに抱きついていました。
「アキラさん!アキラさん!!アキラさん!!!」
子供の様に泣きじゃくり、アキラさんの胸に縋り付いて、
まるでそれが奇跡を起こす呪文であるかの様に、アキラさんの名前を呼び続ける私に、
アキラさんは驚きながらも、優しく抱きしめてくれました。
「大丈夫。大丈夫だよ、アティ。
ここには怖い物は何も無い。
ここにはアティを傷付ける物は何も無い。
俺が傍に居るよ。
怖い物からも、痛い物からも、俺が護るから。
俺が、アティを、護るから。
だから、大丈夫。」
優しい声で囁きながら、軽く背中を叩いてくれるアキラさん。
むずがる子供をあやす様なその仕草に、凄く安心して、
私はアキラさんの腕の中で、何処よりも安全な、何よりも暖かな、誰よりも愛しい人の腕の中で、
静かに泣き続けました。
触れられるだけ触れて、泣けるだけ泣きました。
そうしてやっと涙が止まり、今の状況を考える余裕が出てきた所で、
私は凍りついた様に動けなくなってしまいました。
あ、あわわわ!??
どどど、どうしましょう!?
わた、私、私ったらアキラさんに~~~っ!?
私はさっきとは違う動揺で、慌て始めてしまいました。
その変化を感じ取ったのか、アキラさんが私の名前を呼びました。
「アティ?」
「はっ!あ、ああああの、あのゴメンなさいッ!!」
咄嗟に謝って、腕を突き出す様にしてアキラさんから離れます。
って、こんなことしたらアキラさんに失礼なんじゃ!?
嫌がってるなんて誤解されたらどうしたら!??
でも、だ、抱き締められたままなんて、そんな!?
混乱に更に拍車が掛かってしまい、
もう、何をどうしたら良いのか判らなくなった私の耳に、笑い声が届きます。
「ぷ、くくく。」
「はぇ……?」
「あははは!ごめんごめん。
でも、いつも通りのアティで安心した。」
そう言って、にっこりと嬉しそうに笑うアキラさんは、
この光の差す水晶の広場と相まって、とても綺麗で見惚れてしまいました。
それに、アキラさんの笑顔はいつも綺麗ですけど、今見せてくれている笑顔は、
まるで小さな子供がする様な純粋な物で、私まで思わず笑顔になってしまいます。
……笑顔?
あれ、私どうして
「―――どうして、私は……私の心は、壊れちゃった筈なのに……?」
さっきから泣いて、慌てて、笑って……。
まるで何事も無かったの様に反応する私の心。
どうしてと、呆然と呟く私に、アキラさんが優しい声で応えてくれます。
「アティ。心は、人の心は傷付き易くて脆い物だけど、
それでも、強くしなやかに出来ているから、
傷付いても、壊れても、必ず立ち直る事ができるから。
だから、きっとアティはここに居るんだよ。」
「―――でもっ!私の剣は、シャルトスは、壊されてしまったのに……。
あんなに……あんなに痛くて苦しかったのに?」
「そうだね。心が折れてしまうのは、とても辛くて苦しくて……、
絶望は深い闇に落ち行く様で、二度と立ち直れない気がするけど、
でも、それでも……心は、例え折れても、壊れても、無くなってしまった訳ではないから、
深い闇の底にも光は届くから、きっと人は立ち上がれるんだと思う。」
「……アキラさん。」
あの時を、剣を折られた瞬間を思い出して、
思わず反発してしまった私に、アキラさんは悲しそうな顔を見せました。
もしかしたら、アキラさんにも似た様な経験があったのかも……。
だけど、続けられた言葉は暖かく、力強い物で、すとん、と自分の中に入ってきました。
「それに、ね?一人で駄目でも、二人なら大丈夫。
アティが傷付いて倒れたら、俺が助け起こしてあげる。
闇の中に居るなら、照らしてあげるよ。
そうしたら、きっとアティは立ち上がってくれる。
前より強くなって立ち上がってくれるって、俺は信じてる。」
ふわり、と微笑んで励ましてくれるアキラさんの言葉に、
心が、壊れてしまった筈の、私の心が震えます。
「ッ!!アキラ、さん……。
そうですよね。
『想いを籠めた言葉は、打ち負かされたものを、より強く蘇らせてくれる』。
自分の言った言葉でした。
なら、ちゃんとやってみせないと!
私、先生ですもの!」
「よし!その意気だ!
頑張ろう、アティ!!一緒に!」
「はい!」
差し出された手をしっかりと握り、精一杯の笑顔で応えます。
ありがとうございます、アキラさん。
貴方の言葉、私の心に届きました。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
深い深い森の中。
水晶が生い茂る一角で、青年は一人佇む。
静かに木漏れ日を見上げているその姿は、
まるで泣いている様で、
まるで懺悔している様で、
祈りを捧げている様で、
誰も近付けない、聖なる一枚絵。
哀しみの溢れる瞳を揺らさずに、ただ葉の間から漏れる光を見詰め、彼は唇だけを動かした。
「すまない。
……すまない。
………すまない。
あんた達を傷つけた。お前達に傷つけさせてしまった。
テメエ達に喚ばれたのに護れなかった。
そなた達を喚んだのに還してやれなかった。
君達を殺してしまった。貴殿達に殺されてしまった。
貴方達を残してしまった。俺達だけが残ってしまった。
すまない。
ゴメンなさい。
申し訳ありません。」
彼の口から出て来たのは、謝罪の言葉。
しかしその内容は支離滅裂で、
その声は、一つの口から出た筈なのに、別人が同時に喋った様にぶれていた。
青年は誰も聞く事の無い懺悔を続ける。
「すまない。」
壮年の男性の声で、
「ゴメンなさい。」
少年とも少女とも判らぬ、幼子の声で、
「申し訳ありません。」
涼やかな女性の声で。
銀の髪も、蒼と黒の瞳も、間違いなくアキラのモノだというのに、
今、そこに居る青年は、アキラだと言い切る事ができない。
もし呼ぶとするなら、“彼”と言うしかない。
“彼”の独白は続く。
しかし、今度は悲哀から一転した激情を込めて。
「憎い!
……憎い!!
………憎い!!!
刃を向けてくる奴らが!
仲間を傷つけるお前らが!
好き勝手に喚び出すテメエらが!
苦労して喚んだのに役に立たないそなたらが!
君達を殺した奴らが!
我らを殺した貴様らが!
のうのうと生きているお前らが!
皆が居ないのに生きている俺達が!
憎い!
ムカつく!!
腹立たしい!!!」
“彼”の口から溢れ出るのは、憎悪の言葉。
そしてその声はやはり、一つの口から出た筈なのに、別人が同時に喋った様にぶれている。
先程と違うのは、まるで地の底で煮え滾る溶岩の様な熱さ。
殺意を、憎悪を、怨嗟を、滴る悪意をこめられた言葉。
ギラギラと暗く光る瞳。
しかし、それも束の間。
ブレーカーが落ちる様に、急に“彼”から全ての激情が消え去る。
噴火する火山の様な悪口は途絶え、
瞳からはあらゆる光が消え、虚ろな穴だけが覗いていた。
ゆっくりと瞼が閉じられ、穴が塞がっていく。
そして、深く、長く、息を吸い、吐く。
開かれる瞼から現れたのは、決意の光。
しっかりと“前”を見据えたその蒼と黒の瞳は、間違いなくアキラの物。
先程までの冷たい悲哀や、焼かれる様な憎悪はなく、
その瞳には、悲しみや怒りを飲み込み、それでも“前”へ進もうとする意志があった。
「すまない。
皆の悲しみも、怒りも、寂しさも、恨みも、
全部……全部、解ってる。この身に刻んでる。
でも、それでも……俺はこの世界で、皆と生きていくよ。
この世界が、そんなに優しいモノじゃないって事も、
全ての生き物が、誰も彼も綺麗な心じゃないって事も、
よく、解ってる。
俺自身だって、この身の内に黒々としたモノを抱えてる。
でも、それでも……
俺は、この醜くも美しい世界で、劣悪で善良な皆と、一緒に生きていくよ。」
哀しいのだろう、悔いているのだろう、
怒っているのだろう、憎んでいるのだろう。
だが、それすらも乗り越えて、アキラは微笑んでみせた。
その姿はきっと、どんな巨匠にも描けぬ美。
過去にこの島で起きた全てを視て、全てを経験して、全てを感じた上で生み出された決意は、
自分の胸の中にある。
だから、アキラは願いを捧げた。
神にでも、何にでもなく、ただ、全てが少しだけ優しくなればいいと。
そんな彼に声をかけるものが一人。
「―――アキラ、さん。」
「アティ?どうしたんだ、こんな所で?
今は安静にしてなきゃいけないんじゃなかったのか?」
心の壊れた筈の彼女を癒し、自身の中に燃える決意を、彼女にも燃え移らせて。
「よし!その意気だ!
頑張ろう、アティ!!一緒に!」
「はい!」
彼らは手を取り合って歩き出す。
共に生きる為に。
(-ω-)/ やあ!前を向いて歩こう!